凪のあすから~ heart is like a sea~【新装版】 作:白羽凪
~千夏side~
そうして、全ての過去を語り終えた松原さんは、俯き、瞑目していた。小刻みに震える体が、私に涙を想起させる。
本人も、自分が泣いていることに気が付いたようで、何度も何度も目元を拭いながら呟いた。
「すみません。僕に泣く資格なんてないのに・・・」
「いいえ、どうか泣いてください。・・・だって松原さん、事故の日から一度も泣いてないんですよね? ・・・人の心は、全ての感情を飲み込めるほど強くできてないんですよ? 堪えるだけが、強さじゃないです」
なんて、これも自分が身をもって知ったこと。
求められる自分になろうとして頑張って崩れてしまった私だからこそ、全てをこらえることが何のためにもならないことを知っている。
私の声に答えてか、松原さんはその場に崩れて、ベッドの隅の方で声を押し殺しながら泣いた。私はただ、その光景を眺める。
それを目にして改めて思う。・・・本当に、誰も悪くないんだと。
みんな悪くて、それを相殺してるんだって、そう思った。
私を轢いてしまったことがこの人の罪なら、私の罪は倒れこんでしまったこと、自分の心と身体を自分で傷つけてしまったこと。・・・他にもたくさんの罪があるかもしれないけど、細かいものをいちいち挙げてもキリがない。
それに、そんなことをしても失ったこの二年は決して戻らない。私は二年の間眠りについたままだったという現実も、遥くんが美海ちゃんと結婚しているという事実も、覆ることは決して無い。
・・・無いんだ。
心の奥底にある複雑な気持ちを張らすためか、私のぎこちない左腕は松原さんの頭の方を撫でていた。せめてこの涙の向こうに、前向きな明日があることを祈っていたかった。
きっと多分、それは自分のため、なんだろうけど。
「・・・今日まで、お疲れ様でした」
「・・・怒っても、いいんですよ? あなたには、そうするだけの権利が」
「何を怒ればいいんですか?」
松原さんは私の言葉を聞いてなお、罪の意識を口にした。
覚悟は決まっていたのだろう。けれど、いざそれを目の前にしてその覚悟が揺らがないとは限らない。私の目を見て、現状を知って、この人の傷が広がったのかもしれない。
「傷つけたこともそうですけど・・・僕は、償いなんて称して好き勝手やってただけなんです。・・・それは、本来千夏さんが得るべき時間で」
「けど少なくとも、その時間のおかげで、両親は救われたと思います。娘の私が言うんだから、そこは間違いないです」
「救われた・・・?」
「私が両親の前からいなくなったのは、これで二度目ですから。一度目は埋めてくれる誰かが傍にいたんですけど、今回は、ちょっと違くて・・・」
あはは、と苦笑いを浮かべる。全て終わったことだし、納得も出来ているけど、それでも遥くんもいない二人の時間はやっぱり寂しいものだったのだろう。
それを、こういう形で松原さんは埋めてくれていた。遥くんと似た方法で、遥くんと違う生き方で。
・・・ただ、気になる言葉もあった。
これは後でちゃんと聞こう。そして、真正面から話さないと。
「・・・失礼しました。取り乱してしまって」
松原さんは心の踏ん切りがついたのか、すっと立ち上がった。泣き腫らした目はもう濡れていない。
ふと、私は時計の方に目をやった。時刻は一時から十分ほど前。松原さんは仕事の服装でこの場にいる。ということは、休憩時間はそろそろ終わりじゃないんだろうか。
そう思って、私は提言する。
「松原さん、そろそろお仕事の時間なんじゃ?」
「え? ・・・あ、本当だ。けど」
「いいですよ。また明日以降来てください。その・・・松原さんとは、もっとちゃんとお話ししないといけないと思うので」
「ありがとうございます、千夏さん」
「あと、その千夏さんってのやめてください。私、結構年下ですよ? そんな代の大人に敬語という敬語使われると・・・ちょっと疲れます」
松原さんは少し困惑したような顔をしながら、言い直した。
「じゃあ、千夏ちゃん。また今度」
「はい。待ってます」
短くやり取りをして、松原さんは病室を後にする。それから少しの間、廊下で話声が聞こえた。松原さんがそこで誰かと話しているみたいだ。
そして声が無くなったのと同時に、病室の扉が開かれる。その会話の相手は御父さんとお母さんだったみたいで、二人は体を起こしている私を見るなり急いで近づいてきた。
「千夏!!」
「お母さんっ・・・!? ちょっと、痛いよ・・・」
看護師をやっているならけが人の扱いも分かっているだろうに、お母さんはそれを無視して私をきつく抱きしめた。・・・私が起きたこと、こんなに喜んでくれるんだ。
「千夏・・・ごめん・・・私・・・!」
「大丈夫だよ、お母さん。あの時の約束、守れなくてごめんね」
無事に帰ってくるという約束。ちゃんと守りたかった約束。それを無下にしてしまったことは、やっぱり謝らないといけないと思った。
お母さんは私の左手を握ったまま崩れ落ちた。そのままワンワンと声を挙げて泣く。
こうなってしまうと話は出来ない、とため息を吐いてお父さんの方を見るけれど、お父さんも天を仰いだまましばらく黙り込んでいた。目頭をぐっと摘まんだまま、動かない。
・・・五年の冬眠とは、訳が違うもんなぁ・・・。
理解した私は、少しの間黙って二人を待つことにした。
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十分もすればお父さんの方は大分落ち着いたようで、ようやくゆっくり話が出来る状態となった。
「それで、どうなんだ? 千夏。身体の方は?」
「見て分かると思うけど・・・ちょっとね。まともに動くのは今のところ左手だけかな。寝てた時間が長いのもあって、体が慣れてないだけかもだから、検査を待つよ」
「そうか」
「でも大丈夫。・・・今ならちゃんと、出来る気がするから」
何の自信か分からない。そもそも、出来るって何のことだろうか。
けれど、自分の気持ちを知って、現状を受け入れて、そうしたら何か出来そうな気がしていた。
「それより、松原さんのこと、二人はどう思ってるの?」
「そうか、入れ替わりだったもんな。話したのか?」
「うん。だから聞いてるの。二人の主観で見たあの人のことも、ちゃんと知りたいと思ってね」
それを受けて、お父さんはどうしたものかと後ろ頭を掻いた。けれど確かに真っすぐな声音で自分の思いを言う。
「まっすぐな子だ。けれど、誰かに遠慮するだけの存在じゃないことも知った。なんだろうな、彼のことはすごく気にかけたくなる。俺はそう思ってる」
「お母さんは?」
「・・・あの人は、いい人だと思ってる」
ちょうどお母さんも泣き止んでいたみたいだ。
・・・だから、ちょっとだけ残酷な質問をする。松原さんの話を聞いて、ずっと気になっていたこと。口にするのも禁忌かもしれない。だけど、ちゃんと真意を確認しないといけない。私はそう思ってるから。
「ねえ、お母さん。・・・遥くんの事、そんなに恨んでたんだね」
「・・・!?」
「千夏、お前・・・」
「松原さんから聞いたんだ。この二年間何があったのか。私が、二人にどんな形で迷惑をかけてたのか。・・・でね、気づいちゃったんだ。お母さんがずっと、遥君のことを憎んでたこと」
あの感情は、憎悪以外の何者でもない。
松原さんをずっと遥くんと比較して見ていたんだから間違いない。
私に嘘が効かないと分かっているのか、お母さんはちゃんと自分の心情を吐露した。
「・・・許したくなかったの」
「夏帆・・・」
「最初は、遥君が自分の道を自分の意志で決めたことを応援しようと思ってた。・・・だけど結果的に、あの子の優柔不断な判断の連続が、千夏を傷つけて、そしてこの事故につながったんだよ。大切なものを傷つけられるくらいなら、好きになるんじゃなかったって、思っちゃう自分がいるの」
絶望しきった顔で、お母さんは胸中を吐く。その思いを貶す人間は、この場所にはいなかった。・・・だってそれは、みんなどこか、心の片隅で思っていたことなのだから。
けど、受け入れて進まなきゃいけないことも知っている。少なくとも、お父さんはそうやって先を行っているのだろう。
「憎んでも仕方ないのに、恨んでも仕方ないのに、松原君がやることなすこと全部、あの子の面影が出ちゃうの」
「・・・そうだな。俺も最初は、そう思ってた」
お父さんも心底苦悶に満ちた表情で同意する。私たちの歪な関係が周りに与えた影響は、想像の何倍も上をいっていたみたい。
流石に、この感情はすぐには解決できないか・・・。
「ごめんね千夏。こんな、どうしようもない・・・」
「やめてよ。・・・絶対に、どうしようもない母親だなんて言わないでよ。そんなの私が許さない」
「千夏・・・」
「お母さんの気持ちはちゃんと理解してる。多分、私がお母さんの立場でも同じことを思うよ。絶対に、遥くんのことを悔いちゃうと思う」
悔いることは誰にだってある。大事なのはその後。
「だから、時間をかけてどうにかしないとね。忘れるでもいい、意識を変えるでもいい。けど最後は、この嫌な感情とちゃんと決別しよう?」
「千夏は・・・それでいいのか?」
「私の決別自体は、二年前の事故の日から決まってたんだよ? 今更どうってことないよ」
真っすぐな答えに、お父さんは「そうか」と呟いて一度頷いた。
どこか居心地の悪い、薄暗い空気が部屋の中に漂う。負の感情が生み出しているそれを一蹴するだけの何かを、この場にいる誰も持ち合わせていないみたいだった。
・・・五年前は記憶を失くしてたから分かんなかったけど、目覚めってこんなに暗いものだったっけ?
ため息は、自然と漏れた。
『今日の座談会コーナー』
ここから現代なんですが、まあ暗い・・・。ここから先のテーマは、「負の感情」と向き合い未来を掴むという物語なんですが、それをレギュラーメンバーではなく準レギュラーメンバーが抱いているのが厄介ですよね。しかも積年の感情のせいでかなりひどくこびりついてますし。ここからは、松原聡が島波遥という存在を認識して、どう動くか、という物語になっていきます。ぜひお楽しみに。
といったところで、今回はこの辺で。
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また会おうね(定期)