凪のあすから~ heart is like a sea~【新装版】   作:白羽凪

219 / 237
第十話 ぬくもり、失わないように

~保side~

 

 目覚めた千夏と会うことが出来たというのに、二人だけの家の空気は鉛のように重たかった。それはおそらく、千夏が夏帆に尋ねた言葉にある。

 

 遥君を、恨んでいるのかと。

 

 薄々そんな予感はしていた。表では取り繕っていても、内内から湧いてくる感情はごまかせない。俺と夏帆は、それだけの時間と年月を共にしてきた。

 だから、逃げることは出来ない。俺はこの目の前の問題に真正面から向き合わなければいけないと思った。

 

 家に帰ってしばらくして、俺は硬く閉ざしていた口を開いて、夏帆にその真意を問う。

 

「なあ、夏帆。・・・お前は、遥君のことを」

 

「・・・今は、その話をしてほしくないです」

 

「そんなことを言っても、もう逃げられないだろう。疑念を抱いたまま、俺はこの先を生きていきたくない」

 

 疑うくらいなら、その残酷な事象が真実であって欲しかった。知らないままのほうがよかったこともあると言うが、俺はその片鱗を知ってしまった。もう知らないふりは出来ない。

 

 夏帆は、しばらくの間躊躇った。そして覚悟がついたのか、酷く怒りと悲しみに満ちた表情でぽつぽつと話し始める。

 

「・・・私はもう、あの子のことを好きにはなれません」

 

「そうか。・・・けど、遥くんの決断は彼自身の意志だ。それを咎めるのは逆恨みじゃないか?」

 

「逆恨みだとしても! ・・・あの子の中途半端な態度と行動が千夏を傷つけた。最後まで散々振り回して全てを壊すくらいなら、最初から切り捨てて欲しかった! ・・・それとも、迎え入れた私たちが全て悪いんですか?」

 

「それは・・・」

 

 もしそれが正しかったとしても、肯定したくなかった。

 人間というものは難しいもので、自分の行動が間違いだったと簡単に認めることが出来ないみたいだ。

 

「もう、どうすればいいか分からないですよ・・・」

 

 夏帆は両手で頭を抱えて、ぶるぶると震える。極限状態にあることは簡単に見て取れた。蓄積した心へのダメージがまだ抜けきっていないのだろう。

 それでも、憎むのは終わりにしないといけない。俺は夏帆を奮起させることを選んだ。

 

「けど夏帆、千夏は目覚めたんだ。もう、前を向いてもいいじゃないか」

 

「いいわけあるものですか! あの子を恨むのをやめたら、千夏が失った七年間は取り戻せるんですか!?」

 

 涙混じりの怒声に俺は気圧される。いよいよ夏帆は、この二年間どころか冬眠で過ぎ去った五年のことも語りだした。

 少なくとも、そこに対する遥君の責任なんて微々たるものだろう。・・・けれど憎悪というものは恐ろしいもので、一度敵と見てしまえば全ての行動が悪として見えるようになってしまうみたいだ。

 

 今の夏帆からすれば、遥君はもはや、敵だ・・・。

 

「保さん、私たちは甘やかしすぎたんですか? 彼のこと、信じすぎてたんですか?」

 

「・・・分からない」

 

「そうして信じた結果がこの仕打ちって言うなら・・・やっぱり私は」

 

「もういい。・・・悪かったな、嫌なことを語らせて」

 

 それ以上の話は無理に等しかった。

 どこまでいっても今の夏帆の考えは変わらない。積もった憎しみを、俺は解いてやることが出来ない。

 全てが硬直していく。ようやく時計がまた動き出したというのに、俺たちは前に進める気がしない。

 

 ・・・本当に、どうすればいいんだろうな。

 

---

 

~千夏side~

 

 次の日から、お父さんとお母さんは別々に私に会いに来るようになった。二人の距離が大きく開いてしまったことが分かる。

 その原因、思い当たる節は・・・ある。あの日、私がお母さんに言ってしまった言葉だ。

 

 確認しなければならない言葉であると同時に、口にしてはいけないタブーだったんだろう。それを開いてしまった結果がこれだ。

 私はまた、自分の居場所を壊そうとしている。・・・そして、その場所を失ってしまったら、今度こそ私の帰る場所なんてない。

 

 何回ミスをすれば、気が済むんだろう。

 

 俯くと泣きそうになる。だからせめて涙だけは流さないようにと上を向いて時を数えた。そんな中で、病室の扉がノックされる。

 

「千夏ちゃん、いいですか?」

 

 松原さんだ。私は声を振り絞って、どうぞと答える。それから昨日とは違う格好で、松原さんは部屋に入ってきた。

 

「こんにちは、千夏ちゃん」

 

「今日も来てくれたんですね。・・・それも、休みの日に」

 

「いえ、休みの方がこうやってゆっくりと話せるので。千夏ちゃんさえよければ」

 

「・・・なら今日は、ちょっと私の愚痴を聞いてくれますか? この間松原さんの話を聞いて抱いた疑問が、現実に変わっちゃったので」

 

 松原さんは少し驚いた顔して、それから残念そうな、けれど微かに嬉しそうな表情を見せて、頷いた。

 

「聞かせてください。そうするだけの義務と責任、多分僕にもありますし」

 

「・・・この間、松原さんが度々聞いていた、お母さんの言う『あの人』の話をします」

 

 それから、神経をすり減らしながら全てを語る。

 お母さんが憎んでいる相手、それはかつて私が愛していた人だったということ。かつて、その存在と同じ空間で長い時を過ごしていたということ。二人の子供のような存在だったこと。

 そしてそれが、松原さんも知る「島波遥」という存在だということ。

 私がおかしくなってしまった原因に、彼の存在があったこと。

 

 全てを洗いざらい吐いた。それを聞いてこの人が出来る事なんてほんとに微々たるものかもしれないけれど。

 全てに頷きながら、松原さんは話を聞いた。

 

 そして彼が最初に見せた表情は、苦痛のようなものだった。

 

「・・・苦しい話ですね。だって、誰も悪くないじゃないですか」

 

「はい。・・・だから皆、今こうやって苦しんでいるんだと思います」

 

「でもその中で島波さんがのうのうと幸せになろうとしているのであれば、確かに夏帆さんの立場だと許せないかもしれないですね。・・・僕が同じ立場でも、なんであいつだけがって、多分、思います」

 

 松原さんはお母さんの思いに共感してうんうん頷いた。決して健全な感情ではないが、遥くんへの感情移入のきっかけがない松原さんからすれば容易いことだったのかもしれない。

 

 全てを伝えたからか、私の心の奥の弱い部分がむき出しになった気がした。弱気になった心に付け込んで、不安がどんどんと色を塗り始める。

 その不安は間もなく言葉となる。

 

「松原さん、私、怖いんです・・・」

 

「怖い、ですか?」

 

「あの日、遥くんと離れたことで、私にあった大きな居場所が一つ消えました。・・・そして、今、二人がバラバラになると、また私の居場所がなくなる。・・・そうしたら私、一人です。・・・こんな状態で、一人」

 

 身体はボロボロで、手も足もまともに動かない。それなのに、助けてくれる存在がいないなんて。

 そう思うとより一層の恐怖が私を支配する。流れてくる涙は悲哀によって生まれるものではなく、恐怖による怯えから来るもの。孤独がこんなに怖い存在だなんて、思ってもなかったのに・・・。

 

「怖い、怖いよ・・・・・・」

 

 そう呟いて、目を閉じ俯いた時。

 

 

 ふわりと風が吹いて、柔らかく、力強い匂いが私を包んだ。

 

 

---

 

~聡side~

 

 

 千夏ちゃんは、僕に全てを語ってくれた。彼女の、そして島波さんの過去を。

 千夏ちゃんの手前、誰が悪いとは言わない。島波さんのことは今でも大切に思っているのだろう。

 

 けれど僕からすれば、その煮え切らない態度を長い事続けた島波さんは許せない存在に思えてしまった。憎んでも仕方がないし、責める気はないけど・・・。

 

 全てを語り終えて、千夏ちゃんは何かに怯え始める。その様子があまりに痛くて、心の奥の方がぞわぞわし始めた。

 どうにかして、その恐怖を取り除いてあげたいと思った。それは僕が事故の加害者だからではなく、ただ一人の人間として。

 

 ・・・これから僕はどうする?

 千夏ちゃんは目覚めた。けれど何も前に進んでいないどころか、目覚めたことで後退を始めたものもある。

 

 そんな中で、僕が出来る「償い」は。

 

 

 ・・・違う。この感情は、償いじゃない。

 

 

 あの日、千夏ちゃんが目覚めた日、千夏ちゃんという存在に触れた日、僕はこの子に惹かれたんだ。恋愛感情であるかどうかなどは知る由もない。ただ、人として、この人は大切にしたいと思った。

 

 だから僕は、この子をどうにか幸せにしたい。それがエゴだとしても、今の僕のなすべきことであり、為したいことである。

 ただ、それを伝えるだけの言葉が出てこない。

 

 ならば、と僕は動き出していた。

 精一杯の力を持って、優しく千夏ちゃんを抱きしめる。

 

 予想にもなかった行動に千夏ちゃんは戸惑っていたが、覚悟を決めた僕の心に迷いはなかった。ここにきてようやく言葉がすんなりと現れ始める。

 

「守らせてください」

 

「え・・・?」

 

「もし誰も悪くないというなら、誰か一人に罪があるという訳じゃないというのなら、僕に抱えさせてください。痛みも、怖いことも、全部」

 

 ようやく状況を理解し始めたのか、千夏ちゃんは少し焦ってたじろいだ。・・・けれど、否定もしなかった。この一方的な行為を、優しく受け止めてくれた。

 

「・・・居場所になってくれるんですか?」

 

「ならせてください。・・・その人生に、関わらせてください」

 

「でも私、こんなのですよ? 腕も足も満足に動かないお荷物で・・・」

 

「そんなことどうでもいい! ・・・その全てを抱えさせてください」

 

 僕がなしたかった「償い」の形が、やっと分かったような気がする。

 それは、花瓶を割ってしまったことを謝ることではない。謝って、作り直すことでもない。

 作り直した花瓶に新しい花を植えて、育て続ける。それが僕の為したい「償い」の答えだった。

 

 僕は今、心から千夏ちゃんを幸せにしたいと思っている。もう一度心から笑ってほしい。この先の人生、報われて欲しい。

 それが愛であってもなくてもどっちでもいい。

 

 どこまでも深く果てしないエゴを、僕は千夏ちゃんにぶつけた。当然、拒絶されたって不思議じゃない。「何様」だと突き放されて、罵られることも想像に難くない。

 

 帰ってきた答えは・・・そのどちらでもなかった。

 

「・・・なら松原さん、二人のこと、助けてあげてください」

 

「ええ、分かってます。そうすれば、千夏ちゃんは自分の居場所を失わずに済みますからね」

 

「もしよければ・・・そこにいてあげてください」

 

「もちろんです」

 

 それが、僕が千夏ちゃんの居場所になるという答えだった。

 僕もそれを望む。全てが壊れないことが一番だ。それに、二人のことを何とかしたいと思う気持ちは、僕もそうだったから。

 

 気持ちに一区切りついたところで、僕は思い出したように千夏ちゃんから離れる。ようやく理性も戻ってきて、少し頬を赤らめた。

 

「すみません、急に抱き着いちゃって」

 

「いえ。・・・少し、嬉しかったですよ? 私の事大切に思ってくれているって事、信じさせてくれましたから」

 

「つい、言葉が出なくて」

 

 急に申し訳ない気持ちでいっぱいになる。少々強引だったことが祟っているのだろう。

 そんな僕に苦笑交じりの微笑みを浮かべて、千夏ちゃんは思いもよらぬ言葉を吐いた。

 

「もしよければ、時々こうしてハグしてくれますか?」

 

「え?」

 

「こう・・・あったかい気持ちになれるんです。私、ここにいてもいいんだ、頑張っていいんだって思えるんです。・・・そして、今その役を任せられるのは多分、あなたしかいないですから」

 

「千夏ちゃん・・・」

 

 受け入れられた嬉しさは、もちろんある。

 けれどそれが、今の千夏ちゃんが頼れる存在が本当に少ない事の裏付けにもなっていて、どこか悲しい顔をせざるを得なかった。

 

 本当は、そうするだけの人はいる。僕はその間を繋ぎ留めなければいけないだろう。

 

 だからまずは、目の前の千夏ちゃんの心が離れないように。

 

 

 もう一度だけ、軽く、優しく、千夏ちゃんに自分の肌を寄せて少しだけ抱き着いた。




『今日の座談会コーナー』

 作中の状況が最悪すぎて絶句せざるを得ないですね・・・。本文中にも書いてあるように、千夏視点で見れば遥は遠くへ行き、両親の間にも不和ってなっていますからね。ほかに友達がいたとしても、親友に足る存在がいないと頼ることは出来ませんから。負けヒロインを救済する物語なのに、どん底のスタートからさらに底を見せようとしているわけですからまあまあ苦しい話ですよね。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。