凪のあすから~ heart is like a sea~【新装版】   作:白羽凪

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第十一話 僕のために

~聡side~

 

 あれから僕は、会社にも無理を言いつつ千夏ちゃんの元を訪れるようにした。休日も平日も関係ない、割ける時間はリハビリに面会に、全てに費やした。

 ・・・そうでもしないと、千夏ちゃんの世界が崩れてしまいそうな気がしていた。

 

 保さんと夏帆さんの間の溝はだんだんと深まっているらしい。それぞれ、自分の気持ちをうまく割り切るのに苦労しているのだろう。そうなるだけの理由は理解できるし、仕方がないことだとも思う。そこを責めるつもりなど僕にはない。

 

 だから僕は、二人の分まで千夏ちゃんへの思いを背負うと決めた。そして二人が帰ってきたとき、最善の状況で出迎えてあげることが出来れば。ただそんなことを思っている。

 

 

 そうして僕は今日も病室へ向かう。今日は仕事終わりの数時間くらいしか余裕がないが、出来ることはあるはずだ。

 病室の扉をノックする。小さな返事は一秒もせず帰ってきた。

 

「こんにちは、千夏ちゃん」

 

「松原さん、お疲れ様です」

 

 それから僕は無言で歩みよって、小さく肩を寄せるだけのハグをした。そうしよう、と二人で決めた約束だ。

 そして二秒もかからないほどで体を離して、千夏ちゃんの目を見る。

 

「今日のリハビリは?」

 

「そうそう、見て欲しいものがあるんです」

 

 そう言った千夏ちゃんは、これまで微動だにさせる事のなかった右腕をプルプルと伸ばして、手を握ったり開いたりしてみせた。リハビリ開始から一か月経って初めて、目に見える吉兆が見え始めたのだ。

 

「右腕、動くようになったんですか?」

 

「ちょっとだけですけどね。・・・けど、あれだけ苦しい思いをしてたんですから、こうやって目に見えてよくなっているのが分かるの、嬉しいです」

 

 少し伏し目で千夏ちゃんは喜びを語る。・・・それなのに、ちっとも嬉しそうに思えないその表情が、たちまち僕を苦しめた。

 何度もリハビリの手伝いをしてきた僕だからこそ分かる。あれだけの苦労の対価がこれっぽっちでは、思うところもあるだろうと。

 

 そう思うたびに、この状況に陥れてしまった自分に腹が立って来る。もう戻れないとしても、意味がないとしても、後悔だけは捨てきれない。

 

「・・・あと、どれだけ頑張ればいいんですか」

 

「え?」

 

 ふと、千夏ちゃんは俯いてそうこぼす。その表情は僕の角度からは見えないが、酷く辛く、寂しそうな表情をしているのだろう。

 

「頑張っても頑張ってもゴールは見えないし、お父さんもお母さんもバラバラだし、元の生活に戻っても、そこはもう・・・二人はいないし」

 

「千夏ちゃん・・・」

 

「ははっ、なんでだろう。・・・せっかく一歩進んだはずなのに、全部馬鹿に思えちゃんですよ」

 

 元の生活に戻ったとて見返りがないのでは頑張ることすら無意味だと、千夏ちゃんは毒を吐く。・・・確かにそうだ。誰だって頑張り損なんてしたくない。

 そしてそれを示し合わせるかのように、千夏ちゃんは僕にとんでもないことをぶつけてきた。

 

「ねえ松原さん」

 

「なんですか?」

 

「ぶっちゃけるとですね・・・。私、今、こうしている時間が多分一番幸せなんです。松原さんがここにいてくれる今の時間が」

 

「・・・僕がいる、ですか?」

 

 コクンと小さく頷いて、目線を真下にやりながら千夏ちゃんは続けた。

 

「今のお父さんとお母さんは二人とも辛そうで、苦しそうで、一緒にいてもこっちが苦しくなるだけ。遥くんと美海ちゃんが来ても、幸せそうな二人を見て胸が苦しくなる私がいるだけ。・・・一人ぼっちの病室はもっと寂しい。・・・だから、松原さんがいてくれる時間が、一番楽なんです」

 

「けど、それって・・・」

 

「まあ、リハビリ終わっちゃったらなくなっちゃいますよね。・・・このままだと私、居心地悪い家に帰らないといけないことになっちゃいます」

 

 それは酷く絶望しきった目で放たれる、残酷な言葉。

 千夏ちゃんは、元気になって欲しいという周りの期待と、頑張ることに意味を感じていない自分の間で揺れ動いている。どちらも正しいし、どちらも間違いなのかもしれない。

 

 ・・・そんな僕に出来ることは、何がある?

 

 その時、ふと、千夏ちゃんが目を覚ました日の島波さんの言葉を思い出した。

 

『千夏の世界にいてやってください』

 

 僕が、千夏ちゃんの世界にい続けるために出来る事を探す。

 こんな、被害者と加害者の関係に留まらない、その先の世界を探す。

 

 ・・・あれ、これって。

 

 

 まるで、僕が心から千夏ちゃんに惹かれているみたいだ。

 

 

 その事実が心の底を過った時、ふと笑ってしまった。笑っていいものか分からないが、笑ってしまう。

 ただの償いが、いつのまにか心からの一目ぼれに変わってしまっていたなんて。

 

 もちろん、その感情は簡単に許されていいものではないだろう。けれど、それを飛び越えて千夏ちゃんの傍にいたいという気持ちは、紛れもなく僕のものだ。

 

 自分で見つけた、自分だけの答えなんだ。・・・もう、少しくらい我儘になったっていいはずだろう。

 

 その思いは、不細工ながら、真っすぐと言葉になる。

 

「・・・もっと、千夏ちゃんの傍にいてもいいですか?」

 

「え?」

 

「こんな病院だけの関係じゃない、その先にいる千夏ちゃんを、僕は知りたい」

 

「・・・告白?」

 

「かもしれないですし、そうじゃないとも思います。ただ一つ言えるのは・・・」

 

 

 もっとあなたを知りたい、ということ。

 

 

 僕の吐露を全て聞き終えた千夏ちゃんは、目の端から少し零れている雫を拭いながら笑った。

 

「松原さんって、実は結構大胆だったんですね、油断してました」

 

「そうなんですか? 少なくともそんな人間じゃないと思ってたんですけど」

 

「・・・さっきの話、嘘じゃないですよね?」

 

「はい。償いも贖いも越えた先の関係が、僕は欲しいんです」

 

「だったら具体的に、私をあなたとどう結び付けてくれますか?」

 

 突き刺すような鋭い瞳。それにすら僕は気圧されることはなかった。何も考えていなかったのに、冴えた答えはみるみるうちに心から出てくる。

 

「千夏ちゃんが高校を卒業したら、旅にでも出てみませんか?」

 

「旅?」

 

「鷲大師も、向こうの街も越えた、二人とも知らない所へ行くんです。新しい世界が広がるのって、楽しいじゃないですか」

 

 かつては言うことすら出来なかった、為したい夢、叶えたい我儘がつらつらと出てくる。それが拒絶されることなど、今となってはどうでもよく思えてきた。

 

 我儘になるということがどういうものか、ようやく分かった気がする。

 

 僕の広げた落書きの図を見て、千夏ちゃんはまた微笑む。その微笑みは、この病室に来た時一番最初に見せたものとは全く別物の、何にもとらわれない純白のものに見えた。

 

「松原さん、私のこと好きなんですか?」

 

「多分。おそらく。いや絶対、心から惹かれてますよ。・・・素敵な人だと思います」

 

「結構ずばずば言われると、ちょっと・・・」

 

「けど、今はそれまでです。だって僕は、ここじゃない場所での千夏ちゃんを知らないんですから。・・・だから、知りたいんです」

 

 恥ずかしいことを言っているのは分かっている。それでも、どこか気分はよくて、思いが止まる気配はなかった。

 千夏ちゃんは僕の言葉の一つ一つを頷いて、理解して、そして今度こそ曇りない瞳を見せてくれた。

 

「じゃあ、リハビリ頑張ってみます」

 

「え?」

 

「だって、頑張って退院出来たら、松原さんが外の世界に連れてってくれるんですよね? 見てみたいんですよ、外の世界。私だって、まだまだ知らないこと沢山ありますから」

 

「そうですか。・・・なら、もっと全力でサポートさせてもらっていいですか?」

 

「言ったじゃないですか。松原さんがいてくれる時間が、"今"は一番好きなんですから」

 

 範囲を限定しながらも、千夏ちゃんは僕のことを認めてくれた。それはやっぱり嬉しくて、だからこそもっと頑張ろうと思える力をくれる。

 だから立つ。前へ進む。傷つけた過去はそのまま、消えない心の傷と思い出にして、僕はこれからも歩いていこう。

 

 ・・・やるんだ。全員が笑える終わりを迎えるために出来ることを。

 千夏ちゃんのために。千夏ちゃんの両親のために。千夏ちゃんの友達の二人のために。

 

 

 そして誰よりも、僕自身のために。

 

 




『今日の座談会コーナー』

 人生は取捨選択であり、誰かが喜びを得る時別の誰かが悲しみを得るという作りとなっています。そんな中で全ての幸せを願うことは傲慢だ、ないし、綺麗事だと言われますが、そうした綺麗事を望む人間が世の中にいなければ世界はどんどん暗くなっていくんじゃないですかね。願わなければ奇跡が起こらないなら、奇跡を願うことは大切なことですから。合理的な判断を最後まで続けようとした遥と、早いうちからそれを理解した聡、それがこの外伝のキーだったりします。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)
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