凪のあすから~ heart is like a sea~【新装版】 作:白羽凪
~聡side~
12月がやってくる。
千夏ちゃんのリハビリもほぼ終わりを迎え、次第に千夏ちゃんに元気が戻ってきていた。もう杖を使わなくても歩けるし、微動だにしなかった右腕も着実に回復している。
そうすれば、後はこの場所を抜け出すだけ。元の世界に帰るだけ。
しかし、それについて少しだけ千夏ちゃんは浮かない顔をした。
「松原さん、ちょっといい?」
「ん、どうしたの?」
「相談、というか不安。ぶちまけてもいいかな?」
構わない、と僕は頷く。これから歩いていく約束をしているんだ。障害は一つでも取り払っておきたい。
「二人との関係、どうすればいいと思う?」
千夏ちゃんの言う「二人」というのは、島波さんとその奥さんのことだろう。千夏ちゃんはその二人とかつて親友だったという。
しかし、二年の時で環境が大きく変わってしまった。トライアングルは崩壊し、千夏ちゃんはただ、結ばれた両矢印を遠くから眺めるだけの存在となってしまっている。そうして膠着してしまった関係をどうすればいいのか、という問いだ。
「別に、二人のことが嫌い、なんて思ってもないし、今はただ純粋に心から応援してる。・・・けど、だからこそなのかな? 私が、そこにいていいのか分からなくて」
「なるほど・・・。確かに難しい問題かも」
僕自身を千夏ちゃんの立場にあてはめて考えてみる。期間こそ短いが、濃い時間を過ごしてきたはずだ。・・・同じ痛み位、投影できるはずだ。
もし、僕が千夏ちゃんの立場なら・・・。
先を行ってしまった二人を見て、自分が何をするか考える。おそらく千夏ちゃんと同じように、今もなお親友だと思っていることには変わらないだろう。けれど、多分僕は・・・。
「・・・一歩引いて考えてみようか」
「一歩引く、か・・・」
「二人との関係を大事にしたいのは理解できる。けど、同時に千夏ちゃんは二人に対して引け目も感じている。それは多分、同じ距離にいるから辛いんじゃないかな」
「同じ距離?」
少々複雑な例えだったのだろう。一つ咳ばらいをして、僕は言い直す。
「千夏ちゃんと島波さんとその奥さん・・・美海さんだったかな。三人の関係は多分、綺麗な正三角形だったんだと思う。各々が、相手のことを自分と同じほどに大切だと思っていたんじゃないかな。・・・けど、今はそうじゃない。歪になってしまっている。多分これは追い求めても、もう元には戻らないよ」
「だから、一歩引く・・・」
「親友をやめろ、とは言わない。・・・けど多分、これまでと同じように二人を見続けることはしんどいと思う。だから、三角形はもう終わらせるべきなんじゃないかな」
つまるところ、かつて自分と同じほど大切だと思っていた二人を「他人」として扱う、という話だ。
それもまた辛い事だと理解している。すぐに受け入れろ、という方が無理なものだ。
けれど、僕の一通りの話を聞いた千夏ちゃんは愛も変わらずケロッとしていた。あたかもそれしか答えがないと知っていたかのように、儚く笑む。
「やっぱり、これまでと同じようには交われないよね」
「最初から、この言葉を聞こうとしてた?」
「うん。多分これしか答えがないだろうなって思ってて、本当にそうなのかなって松原さんに聞いたの」
最初からあきらめることは苦く辛いことだ。それでも、こうして笑えている理由はなんだろうか。
「・・・悲しくないんですか?」
「悲しい・・・? まあ、少しは。だけどもう潮時かなとも思ってたし、それに松原さんが連れ出してくれるんでしょ? 一人ぼっちなら怖かったし、悲しかったけど、私のことを思ってくれる人がいるなら、これくらいなんてことないよ」
そう口にする千夏ちゃんの目線は、すっかり僕の方を向いていた。お前に全てを賭けている、そう言わんばかりの視線が胸を突き刺していく。
けれどそれはまぎれもなく僕が望んだことだ。何も悪い気はしない。
「・・・そうだ、松原さん」
「ん?」
「今日、この後二人が来てくれるんだけどさ。・・・ちょっと席を外してくれないかな?」
「席を外す・・・か。帰れ、じゃないんだね」
「うん。二人がいなくなった後でまた来てほしい。・・・だって仮にも"恋人"だからね」
少し茶化しながら、千夏ちゃんは僕にそう投げかける。そうならば、と僕は納得して頷いた。
おそらく、これが「三角形」の最後になるだろう。その世界に異分子である僕がいてはいけない。だから、千夏ちゃんの知らないところで見守ろう。
「じゃあ、また後で」
手を振って、千夏ちゃんの病室を後にする。随分離れた廊下まで戻ってきたところで、開いたエレベーターから二人が出てきた。いいタイミングだったみたいだ。
軽く会釈をして、手を振り、二人を見送る。どうか、幸せな終焉を、と祈りながら。
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~千夏side~
二人は、いつもと変わらない二人だった。しっかりと互いの手を取り合って、それでいて表情は常に穏やか。その世界におそらく私は少ししかいないし、むしろいなくてもいいと思えた。・・・それに、新しい命もそこにあるとなると。
けど、それが妬ましいわけではない。羨ましいわけでもない。ただ応援したいと思った。それは多分、私が私の道を歩くために。
二人と穏やかに決別することが出来れば、私はもう自分の道を歩くしかなくなる。
昔はそれが嫌だった。だけど、私の道に着いてきてくれると言ってくれた人がいる。だからもう怖くなかった。
だんだんと遠ざかっていく二人を見送る。部屋を出て三分もしないうちに、エントランスから向こうへと出ていく二人の姿を見た。
・・・これで、よかったんだよね。
別に、友達をやめるという話ではない。金輪際関わらないわけでもない。会おうと思えばいつでも会えるし、心から離れ離れになるわけでもない。
なら・・・私の両の目から溢れてくる涙は何だろう?
その時、扉が開く。私の顔をしっかりと見て松原さんは一度口を開いて、何か後ろめたそうな表情を見せた。それから・・・。
・・・。
私の身体に、慣れ親しんだ重さと柔らかさが伝わる。抱きしめられてようやく私はゆっくりと息をすることが出来た。
喉を奮わせて、松原さんに尋ねる。
「松原さん、私、なんで泣いてるんだろう?」
「・・・寂しいから、じゃないかな」
「寂しい・・・。それって、悲しいとは違う?」
「違うと思うな、僕は」
それから私の背中を何度も撫でて、松原さんは似て非なる二つの感情の説明を始める。
「悲しい、って、どこか嫌な感情だと思うんだよ、僕は。でも、寂しいって本当にそうなのかなって思ったりもする。いくら素敵で、鮮やかな別れだとしても、それが嫌なものじゃないと分かっていても、寂しいと思うことはあるでしょ?」
「確かに・・・」
「多分、千夏ちゃんは二人と心から理解しあって別れた。それに対して嫌な気持ちなんて微塵もないんでしょ?」
私は頷く。少なくとも、どこか心が痛んだだけで、二人のことを嫌に思うことはなかった。
だから・・・この気持ちは、「寂しさ」ということなんだろうか。
「だったら、この寂しさってどうやって拭えると思う?」
「・・・無理だと思うな、僕は」
松原さんは少しトーンを下げて、寂しさは拭えないと語った。その瞳には、過去の人物が映る。いつか話してくれた、元婚約者の人だろう。
「僕は美浜と関係を断った。それこそ、千夏ちゃんが二人に話したこと以上の言葉で。・・・割り切ってたはずなんだけどね、やっぱり、寂しかった。思い出がよぎったんだろうね」
「・・・」
「だから、無理に拭ったり、抑え込むことはしないでいいんじゃないかな。それより前を向いて、未来を考えた方が、ずっともっと楽だと思う。新しい何かで上書きするって言うのかな、そうした方がいいんじゃないかなって、僕は思う」
松原さんの言葉は、どこまでも温かさを帯びて心に染みてきた。だんだんとそれが馴染んできて、私の怯えも少しずつ消えていく。
上書き・・・と言っても、そう簡単に出来るものではないはずだ。私が二人と過ごしてきた時間は、私が思うより随分と私の根幹に関わっていたのだから。
だから、それを埋めていくのはこれから。ゆっくりと、少しずつ。
そうしたら、寂しい思いもきっといい思い出だったと思えるようになるだろうから。
疑わない瞳で松原さんを見つめる。彼の眼はいつものように真っすぐで、だからこそもう疑う余地もなかった。
そうして、12月の空に恵みの雨が降る。いつか来る旅立ちを花で彩るための雨が。
『今日の座談会コーナー』
寂しさと悲しさは似て非なる存在、というのは間違いなく作者の見解ですね。「悲しい」という感情ははたして、心から満足できる素晴らしい別れに際しても現れる感情なのでしょうか。おそらく私はそうじゃないと思っていますし、そういう時に感じる負の感情に似た感情を「寂しい」と考えています。これに関しては、「涙」だとか「寂しい」という感情に負のイメージが付きまといすぎてしまったことが問題点になっているのかなとも思います。
といったところで、今回はこの辺で。
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また会おうね(定期)