凪のあすから~ heart is like a sea~【新装版】   作:白羽凪

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第十八話 越えられない隔たりは

~聡side~

 

 車で移動を始めて三時間ほどたつと、僕たちは見も知りもしない町の海辺に着いた。そこは鷲大師なんかよりもよっぽど小さな町で、買い物をしている場所すら見当もつかないくらいのものだった。

 そんなところ、普段なら行くことなど絶対にない。だが、それでも、この街にしかないものがあるみたいだった。

 

「ここで本当に良かったの? 千夏ちゃん」

 

「うん。多分」

 

 海辺の駐車場に車を止めて、僕たちは堤防の近くへ降り立つ。海から香ってくる潮の匂いは、この場所でもそう変わらないみたいだ。

 僕が背伸びをしている間に、千夏ちゃんは上に羽織っていた服を一枚脱いだ。唐突なその行動に、僕は背伸びをやめて尋ねる。

 

「何してるの?」

 

「まあ見てて。ちょっと話しておきたいことがあるから」

 

 そういうなり、千夏ちゃんは堤防にぐっと飛び乗ると、そのまま勢いよく海へダイブした。着替えもせずに、だ。

 そんなこと、僕の知る世界では考えられない。半ばパニックになりながら、声を張り上げた。

 

「何してるの!?」

 

 追いかけるように飛び込もうとするが、一度冷静になって立ち止まる。千夏ちゃんがこうする意味を僕は考える。

 

 ・・・いつか、「エナ」のことを話してくれたよな。確か、海の中で呼吸ができるとか。

 

 多分、その説明をしようとしているのだと理解した僕は、二度ほど深呼吸をして鼓動を落ち着かせた。それと同時に、海面からひょこっと千夏ちゃんが顔を出す。肌は僕の知らない色で光っていた。

 

「うーん、こっちのほうはあったかくていいね。鷲大師ってここよりもう少し北のほうだから、少し水温が低くて」

 

「潮の流れとかもあるんじゃないかな?」

 

「かもね。あの町以外の海なんて初めて来たよ」

 

 満面の笑みを浮かべた千夏ちゃんはもう一度深く潜り、さながら人魚のようにスイスイと遊んで回った。その光景が光で反射して輝いて見える。

 それはどこまでも美しくて、まるで、人とも思えなくて。

 

「・・・僕は、とんでもない子を好きになったのかもしれないな」

 

 そう呟いてしまう。

 改めて住む世界が違うと思わされた。別にそれくらいどうってことないと思っていたが、千夏ちゃんの「海が好きだ」という気持ちがひしひしと伝わって、どうしても心が苦しくなる。

 

 おそらく、やりようならいくらでもある。千夏ちゃんは別に、海で起き、海で寝たいと言っているわけではない。それは本人の口からも聞いた話だ。

 それでも、海で働きたい、海に生きたいという気持ちに僕が干渉できないことは変わらない。だからもし海で何かが起こったとしても僕は助けに行くことができず、ただ固唾をのんで見守るだけになってしまう。

 

 そして、悲惨な結末を迎えるかもしれない。

 

 千夏ちゃんは早いうちからそれを危惧していたのだろう。僕が思いを伝えたあの日から、僕のことを受け入れてくれた日から。

 そんなことになるくらいなら、一緒にいないほうがいいと。住む世界が違うとはっきりと口にした。

 

 僕は、どうすればいいのだろう。

 

 僕は幸せになりたい。ただ、それ以上に千夏ちゃんに幸せになってほしい。わがままは言いたいけれど、好きな人に幸せになってもらうこと以上に幸せなことなんてない。だから、千夏ちゃんの夢は奪えない。

 

 答えを見つける旅だというのに、早々からとんでもない壁に当たってしまう。

 

 言葉を失い、ただジーっと水平線を見つめていると、海のほうからザバッという音がした。千夏ちゃんがもう一度顔を出していたみたいだ。

 

「何か考え事?」

 

「・・・あ、いや。大したことじゃないよ」

 

「・・・隠し事禁止」

 

 不服そうに千夏ちゃんは頬を膨らます。そのあざとさに折れた僕はため息をついて正々堂々真っ向から向き合うことにした。

 

「本当に、住む世界が違うんだなって思ってたところだよ」

 

「松原さんも案外、エナを持ってるかもしれないよ?」

 

「ははは、さすがにそれに期待して飛び込むのは勇気がいるよ。それに僕の地元は少なくとも最寄りの海村から百キロは離れてる。両親や親戚がエナを持っているとは思えないな」

 

 もしかしたら、遠い血族にエナを持った人間がいるかもしれないけれど、期待できるほどの距離じゃない。悔しいが、僕は本当にただの人間だ。

 

 会話がなくなり、少しばかり空気が暗くなる。このままではだめだとすぐに気づいた僕は、強引に話を逸らすことにした。千夏ちゃんの機嫌と僕の不安を取り繕うために。

 

「・・・綺麗だったよ」

 

「へ?」

 

「ここからだと反射で海底までよく見えるんだけどさ、泳いでる千夏ちゃんが綺麗だなって思ったんだよ」

 

「またまた、そんな風におだてて。・・・なんて、そんなことないよね」

 

 照れ隠しをするように千夏ちゃんは軽くいなそうとするが、僕の瞳に嘘はないと悟ったのだろう。少し頬を紅潮させながらうつむき、小さな声でつぶやいた。

 

「そっか、綺麗なんだ」

 

「うん。心からそう思うよ」

 

「彼女冥利に尽きるね」

 

 二へッと笑って、千夏ちゃんは階段を見つけて僕のもとへと戻ってきた。それから僕のほうをじっと見つめて、視線を逃がさないように声をかける。

 

「・・・松原さん、ちゃんと見ててね」

 

「何を? ・・・って」

 

 視線の先の千夏ちゃんの肌が、先ほどと同じ色の光を放つ。すると衣服にしみ込んだ水分と、肌の表面にあった水滴が次第に消え始めた。・・・消えるというよりは、肌に吸い込まれていくというか。

 

「これが、エナ・・・?」

 

「そう。なんだかんだ見せるのは初めてだなって思って」

 

「・・・すごい、こんなものがあるなんて、全然知らなかった」

 

 複雑な感情よりも先に、純粋な驚きがやってきた。海村のことなんて図書室の端のほうにある資料でしか読んだことがなかったし、あるのかどうかも疑問視していたくらいだ。改めて自分の世界の狭さを知る。

 

 そしてようやく、さっきと同じ複雑な感情がやってくる。今度はそれをどうやって抑えようかと悩んでいたところ、千夏ちゃんがすっかり乾いた手で僕の手を取る。

 

「松原さんは、海、好き?」

 

「・・・好き、かな。どこか境界線があるように思うけど、それを抜きにしてもやっぱり綺麗だなって思うんだ」

 

「そっか。そう言ってくれるの、うれしい」

 

 透き通るような笑み。そこから千夏ちゃんは、少しほの暗い話を切り出す。

 

「昔はさ、海の人間って嫌われてたんだ」

 

「そうなの?」

 

「うん。海村の子たちが学校を求めて陸に上がってきたんだけど、衝突しちゃってさ。臭いだのなんだのって、変なこと言い合って。・・・同じ人間なのに、ひどいよね」

 

「なんでそんなことになってたんだろう?」

 

「さあ、私もよくわからない。・・・けど、人ってそんなよくわからない理由のせいで、他人との隔たりを作るんだよね」

 

 すっかり笑みは消えて、過去に耽りながら千夏ちゃんは淡々と話をした。その瞳の裏に移る感情を、僕は見破れない。

 けれど千夏ちゃんは僕を待ってなどくれなかった。

 

「・・・松原さんは、私が心から”海の人間”だったとしても、好きでいてくれる?」

 

 急に投げつけられる、選択を迫られる言葉。旅が始まって数時間でこれを聞かれるなどと思ってもみなかったから、さすがに戸惑った。

 でも、知っている。ここで安易な答えを投げること”だけ”は間違っていると。

 

 正解かどうかわからないが、僕はあいまいな言葉で濁す。

 

「それを見つける旅、だと僕は思ってるよ。だから恋人関係も仮であって、一か月という時間があると思うんだけど?」

 

「あはは、そうだよね。もしここで好きなんて言われてたら、私は今すぐに帰ってたかも」

 

 心から笑ってはいるが、笑ってはいられない言葉を千夏ちゃんは言う。僕は正解の回答を引いたことにひとまずホッとした。

 しかし、こんなものはただの延命でしかない。ずっとこの言葉に逃げて先送りにするだけの時間は、僕たちに与えられてないから。

 

 あと一か月。僕はこの一か月で、どんな答えを出せるのだろうか。

 悶々と悩み、頭に手を置いたところで、千夏ちゃんは一つ、ある提案をした。

 

 

「・・・ねえ、早速だけどさ、数時間の間、一人にさせてほしいな」




『今日の座談会コーナー』

 さすがに新章なだけあって、展開を考えるのにも一苦労ですね・・・。恋人関係も仮なのでイチャコラできたりはしませんし、作者の技量的にもちょっと無理なところがあります。まあこっちは気が向いた時でいいのかな。
 うーん、やっぱり楽しいね。こうしてこの作品の世界線が広がっていくのが最高に楽しくて、そのたびにこの作品を書いてよかったなって思うんです。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)
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