凪のあすから~ heart is like a sea~【新装版】   作:白羽凪

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第十九話 境界線の向こう側に

~千夏side~

 

 松原さんにこの場所に連れてきてもらったのには、大きな理由があった。

 この世界には、海と、陸との世界が存在する。私は、私の知らない海の世界を知るためにここにきた。ここには、汐生鹿とは違う別の海村があるという話だ。

 

 この街で海で生きる人は、陸とどのように関わっているのか、そのことがどうしても気になった。汐生鹿で聞いても、私を知る人間からの言葉はどうしても忖度になってしまうから。

 

 私の提案を聞いて、流石の松原さんも少しばかりの不安を見せた。

 

「一人になって・・・何をするの?」

 

「この海のね、海村に行きたいの。私の知らない海の世界の人の言葉を聞いて、私のためにしたい」

 

「そっか・・・。うん、そういうことなら行っておいで」

 

 松原さんは嫌な顔一つすることなくそれを了承した。本当ならもう少し寂しそうな顔をしてもいいはずなのに、私の言葉を信じて疑わなかった。

 そんな私にできることがあるとすれば、遠慮しないこと。せっかくくれた私だけの時間を悲しい色になど染めたくはなかった。

 

 軽く手を振って、今度こそ深く深く潜っていく。呼吸は苦しくない。私は普通の人間と違うのだから。

 せめて光の反射でその姿が見えなくなるまでと思い、私は松原さんの方を見ながら深く深く沈んでいった。

 

---

 

 そこに展開されていた海村は、汐生鹿よりは一回り小さい集落だった。言い方は悪いが、あの場所よりも人の流出は多いだろうし、排他的にもなっているのかもしれない。

 一抹の不安を抱きながら、私は集落に足を踏み入れる。背後から声がかかったのは、それから間もない時だった。

 

「嬢ちゃん、見ない顔だね。・・・ほかの海村の子かい?」

 

 少し太い声。振り向いた先に映る男の人は、見た限り50歳を過ぎたあたりだろうか。光のお父さんより、一回り下のように見える。

 私は相手の出方を伺うように、少しばかり身を引いて正直に答える。

 

「えと・・・確かにほかの集落なんですけど、海村というか・・・」

 

「・・・驚いた、陸の子ってことか」

 

 男の人はあごひげに手を当てながら、何かに感心するようにつぶやいた。

 

「増えたもんなぁ、陸に出てくやつが。けど、そこで過ごす連中がエナを持ってるとは驚いたもんだ。嬢ちゃんの両親は両方海村の出身かい?」

 

「いえ、母は海村ですけど、父が」

 

「なるほど、時代は変わったって訳か。・・・せっかくこうして来てくれたんだ、なんの理由があるかは知らないが付き合おうか」

 

 私が特に理由を語るでもなく、男の人は一度頷いて私にそう提案した。私からすれば願ってもいない話相手、降りることはせず、感謝の念を述べた。

 

「ありがとうございます。ちょうど、話せる人を探してたので」

 

「そうか。・・・っと、名乗っておいた方がいいか。俺は船津」

 

「水瀬です」

 

「じゃあ水瀬ちゃん、ちょいと着いてきてくれ。茶くらいは出したい」

 

 私の返事を待たずに、船津さんは前を歩いていく。その背中を追ってしばらくすると、この村の神社のようなところにたどり着いた。

 どこかで見たことがある光景に、私は思わず声を上げる。

 

「ひょっとして、船津さんはこの村の宮司さんですか?」

 

「宮司、って名乗れるほどたいそうなことはしてねえが、そうなるな。まあいかんせん、この村も人が少なくてな。俺含めて過ごしてるのは50人くらいなものさ」

 

 後ろ頭を掻きながら、どこか恥ずかしそうに船津さんは笑う。光のお父さんは頑固者だったと聞くだけに、この人のおおらかな態度は真反対に思えた。ただ、それがいいか悪いかと言われれば悪いなんてことは決してない。

 

「ちょいと待っててくれ」

 

 そう言い残して船津さんは社の方へ消えていく。3分も待たないうちに、白い湯気が立つ湯呑が乗った盆とともに船津さんはもう一度現れた。

 

「ほれ」

 

「ありがとうございます」

 

 それを大事に両手で受け取って、私は赤いクロスが敷かれた椅子に腰かける。そこから二人分ほど距離を開けて船津さんは座った。一度お茶を体に流し込んで、腹の底の方から太い息を吐く。

 場が整ったのだろう。それを境に、船津さんの方から本題に入る。

 

「で、水瀬ちゃんだったかな? なんでこんな村にやってきたんだ?」

 

「うーん・・・。人生の迷子、ってやつですかね。あはは・・・」

 

 笑い事ではないが、苦笑してしまう。この村がどういったところかを知りたかっただけで、まさかこうして易々と人と話せると思ってもみなかったものだから、いざその場面に直面して何を聞けばいいのかわからなくなっているのだ。

 

 けれど、ここまでの厚意を無駄にするわけにはいかない。私はこの人に、できるだけの自分を曝け出そう。

 

「・・・この村の人に、陸とどう関わっているか、どう関わるべきか聞きたかったんです」

 

 私からようやく本当の言葉を聞いて。船津さんは表情を変える。笑みのない神妙な顔つきで、どう答えようかと悩んでいた。

 

「水瀬ちゃんは、海で生きようとしているのか?」

 

「・・・はい。汐生鹿という海村が、今私が恋焦がれている場所です」

 

 一瞬脳裏をよぎった松原さんの顔をかき消して、私がかねてから持っていた夢を語る。今は、そういう時間だ。

 

「汐生鹿・・・。話には聞いたことあるが、ずいぶん遠いところからきたもんだ。・・・なるほど、水瀬ちゃんは、心の底から海の人間になりたいわけだ」

 

 そう一言で括ってしまうのは少し危険な気がしたが、あながち間違ってはいないだろうと小さく首を縦に振った。

 私の反応を確認して、船津さんはもう一度「なるほど」とつぶやいて。しばらくの間天を仰いだ。それからゆっくりと話を続ける。

 

「陸とどう関わるべきか、って聞いたよな。それなら、俺と、この海村の見解を言っていいか? 汐生鹿にとってそれが参考になるか分からないが」

 

「聞かせてください」

 

 食い気味に反応した私に少しの間困惑したが、船津さんは小さく咳ばらいをしてこの村のすべてを語った。

 

「最近、どんどん陸を目指してこの村を出ていくやつが増えたが、俺たちはそれを止めることはしなかった。もちろん、これからもするつもりがない」

 

「・・・意外ですね。最近、海に雪解けが来たとは言っても、どこの海村も排他的で閉鎖的になってたはずじゃ?」

 

「らしいな。最近あったかくなってようやく人が戻ってきたみたいな話は聞いたが、うちとは無縁の話だよ。うちはずっと昔から去るもの追わず、来るもの拒まずだ。・・・ま、来るものなんてほとんどいなかったが」

 

 はっは、と軽快に笑い飛ばして、船津さんは心痛い話を続ける。それも、衝撃的な一言とともに。

 

「この村に、未来はない」

 

「・・・ずいぶん、あっさり言い切るんですね」

 

「村のやつらはみんな言ってるよ。・・・けど、これでいいって奴だけがここに残ってるんだ。何も不安なことはない」

 

 暗い未来を明るく笑い飛ばすその姿勢は、私にはとても真似できないもの。うらやましくも思ったし、単純にすごいとも思った。

 そんな人の気などお構いなしに、思いはまだまだ語られる。

 

「人生における行動範囲なんてのは広いもんだ。海だけじゃなくて、陸も、なんだったら空だって存在する。それなのに、この場所だけに縛っておくわけにはいかんだろ。だから俺たちは、外への門戸を開いたんだ」

 

「そうして、人口がどんどん減っていったと」

 

「それはいいことだと思うんだ。みんな夢とかやりたいこととか見つけて出ていったんだから。・・・だからここは、俺たちは、そうして出ていったやつの帰ってくる場所でさえあればいいんだ。例えいつか死ぬ日が来たとしても、な」

 

 そこまで言い切って、船津さんは少し冷め始めたお茶に口をつける。私もそれに合わせるように、まだ仄かに温度の残る湯呑を持ちあげ、お茶を流し込んだ。

 

「水瀬ちゃん、想い人がいるんだろ」

 

「っ!?」

 

 思わずむせそうになったが、どうにかそれを飲み込んで、どうしてわかったのか、という目で船津さんを見つめた。

 

「で、多分その男は陸の人間で、エナとは全く無縁の人間で。違うか?」

 

「違わないですけど・・・どうして分かったんですか?」

 

「わかるさ。この村から出ていくやつを何人も見ていったんだからな」

 

 揺れる水面を仰いだ船津さんは、先ほどより僅かばかり寂寥をにじませた表情をしていた。抵抗はしなかったのだろうが、この村を去っていく人を見るということは寂しさと隣り合わせだったのだろう。

 そしてそんな私の稚拙な考察はその通りだったようで、船津さんは自分のことを口にした。

 

「・・・ちょうど水瀬ちゃんと同じくらいのうちの娘が、1年前に陸へ出ていったんだ」

 

「え?」

 

「この間はがきが来たよ、結婚しますってさ」

 

 これまでの話を聞いて、祝福していいものかどうか悩んでしまう。だって、海にとどまることを決めたこの人からすれば、娘が幸せになっていく瞬間をその場で見ていられないのだから。

 

 海と陸で別れるということは、こういうこと。だから私は、松原さんのことを選びきれないでいる。どちらかを諦めなければいけない。

 けど、海から陸を思うこの人の顔は、私にとってあまりに辛くて・・・。

 

 

「なあ水瀬ちゃん、俺の話を聞いてくれないか?」

 

 行き詰った思考に言葉の矢が刺さる。私は船津さんの方を振り向いた。

 

「大事なものを諦めて後悔するくらいなら、大事なものすべて抱えて苦しい思いをする方が、絶対に楽だと思うんだ」

 

「え?」

 

「娘の旦那からちょくちょく手紙が内緒でくるんだ。海のことを心配してか、時々泣いてる日があるって。でも、そう出来るのって幸せじゃないか?」

 

「そういわれても・・・」

 

 いまいち実態がつかめない私に、船津さんはとどめの一撃を放った。

 

「好きなものについて一生悩めるって、素晴らしいだろ? 好きな場所を、人を、一生忘れないでいれる。それって、すごくないか?」

 

「・・・」

 

「まあ、だからと言ってそういう生き方がすべて正しいかと言われたらそうじゃないだろう。考えすぎてつぶれる人間だっている。でも、こういう生き方があるってことは、どうか覚えておいてほしい」

 

 話を聞き終えるころには、湯呑の中はすっかり空になっていた。私は無言のまま立ち上がって、ずいぶん太陽の移動した水面の向こうの空を見る。

 多分、この水面はいつまでも私にとっての境界線となるだろう。エナを持っていない松原さんにとってはもちろんのこと、エナを持つ私にとっても境界線だ。

 

 この人の言っていることは分かった。痛いくらい理解できた。だからあとは・・・。

 

 あとは、本当に松原さんが、私にとってそれだけの価値があるのかを見極める時間だ。

 

 そう思うと、これから先の旅の肯定を楽しめる気がする。心のままに向き合って、彼が私にとっての何なのかを探せばいい。

 ずっと億劫になっていたけれど、私はきっとわがままになっていいのだろう。この人は、ただ実直にそれを教えてくれた。

 

 湯呑を盆において、心からの笑みで放つ。

 

「ありがとうございました」

 

「おう。もう行くのかい?」

 

「ええ、待たせてる人がいるので」

 

「そうか。・・・水瀬ちゃんのやりたいこと、全部叶うといいな」

 

 その言葉に返事はしなかった。ただやんわりとした笑みをぶつけて、私は地面を蹴って海上へ昇っていく。

 

 叶うといい、なんて神頼みみたいなことはしないよ、船津さん。

 

 

 私は、私の全てを自分の力で叶えるんだから。

 

 




『今日の座談会コーナー』

この作品に限らず、自分の作品においてよくあることですが、「わがまま」というのは一つキーワードなんですよね。多分これは筆者である自分が遠慮しがちな部分が強いというところが起因していると考えられます。
最近になって分かったことですけど、小さな遠慮はともかく、大きな遠慮は絶対にしない方がいいのではないでしょうか。それで夢を諦めたり、チャンスを誰かに譲って後悔してしまうと、きっと簡単に拭えないはずなので。
だからといって驕るのも違いますけどね。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

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