凪のあすから~ heart is like a sea~【新装版】 作:白羽凪
~千夏side~
巡り、巡り、日々は巡り続ける。
もう一度出会いをやり直すという松原さんの言葉が発されてから、かれこれ三週間は経過した。私たちは今もまだ旅の途上にいる。
あの日の言葉を皮切りにして、松原さんは変わった。・・・というより、本性を見せたのだろう。私が描いていた人間像なんていうものはあっという間に反転した。
私がわがままを言えば「だめだ」ときっぱり断るし、私が抱え込んだら力になりたいと必要以上に関わってきた。素直で、謙虚で、控えめなどと思っていたが、実際はそうではなかった。
そうするうちに、だんだんと居心地が悪くなっていくのを感じる自分がいた。・・・嫌いじゃない。わかっているけど、どうしても居心地だけが悪い。そんな複雑な気持ちは、日を増すごとに私の言葉と行動に紛れて現れるようになった。
・・・そのせいで、最近はピリピリとした空気が張り詰めるようになった。
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「千夏ちゃん?」
「・・・」
「無視されても困るんだけどなぁ」
鷲大師から遠く離れた街のデパート、車に乗り込んだところで松原さんが話しかけてきたが、私はツンとしたままろくに口を開こうともしなかった。
今日は成り行きで「映画を見に行こう」ということになった。これは私の提案。けれどここですんなり引き下がらないのが今の松原さんで、「おすすめの作品がある」と言って聞かず、最終的には私が折れる形となった。
ここまではいい。
悔しいことに、その作品がとても面白かった。心に響いた。
生と死を鮮明に描いたヒューマンドラマ。私は微塵も興味などなかったが、ふたを開けてみれば涙を流していた。何に惹かれたか思い出せないけど、ただ、自分も「生きたい」と思った。それが確かだったから。
けれど、これを松原さんに伝えると負けた気がして嫌だった。私が選んでいたら、ひどく陳腐な結末になっていたのではないかと思ってしまうのも、嫌だった。だから、何も言わないでいる。
最近は、ずっとこんな感じなんだ。何かがおかしい。なぜか分からないけど、これまでの自分じゃなくなっている。
この旅は残り一週間。おかしくなってしまった今では、心のどこかで「早く終わってしまわないか」とまで思ってしまっている。楽しくて、愉快な時間もあったはずなのに、日を増すごとに、どんどんその気持ちが歪んでいってしまってる。
けど、吐き出す場所がない。私には、頼るべき場所がない。
あの町から遠く離れてしまった今の私には・・・。
「・・・今日は、ここで終わりにしよ?」
「んー・・・。分かった。ほかにどこか行く時間があるわけでもないし、行きたい場所があるわけでもないしね」
松原さんは少しだけ硬直したが、自分の言い分がなかったのか素直に私の言葉に乗っかって車を動かした。昨日のうちに予約しておいた宿に車を停めて、それから泊りの手続きを済ませる。業務的な会話だけ交わして各々の部屋へと向かう一連の時間は空虚そのものだった。
同部屋、車中泊など様々なことも経験したが、ここ最近はずっとこうして別々の部屋で寝泊まりしている。気分が良ければどっちかの部屋に行ったりはするけど、このまま別々で夜が明けるのを待つということも増えた。
・・・なんでこうなったの?
荷物を置いて、ベッドに倒れこんだところで、体が震えだす。胸の方を起点にして、気持ち悪さが体中に広がっていく。旅の最初の方ではなかった感覚だ。
私、我慢しているつもりないのにな。ちゃんと言いたいことは言ってるし、二人で話し合って行程を決めるのも悪くないのに、なんで。なんで・・・。
二年前の私がフラッシュバックする。
一人で抱えて、誰にも話せずに、壊れていく、あの日の私が、月明かりの出始めた窓辺の方から影を覗かせている。
「嫌だ・・・誰か・・・」
目を伏せた時に、脳裏に人影がよぎった。
遥君かと思ったけれど、違う。もう一つ、いや、二つ。私を支えてくれた暖かい人影だ。
気が付けば私は部屋を飛び出していた。談話室にポツンと置かれた公衆電話にたどり着くなり、ポイントが満タンに溜まっているカードを挿して、震える指で慣れた番号を押す。
電話がつながったのは、コールが二回鳴ってすぐだった。
「もしもし、水瀬です」
「・・・お母さん、私」
「千夏? どうかしたの?」
この一か月聞くと思っていなかった優しい声に、思わず涙が出てしまう。二年前のあの日も、こうやってすべてが壊れる前に話していたら・・・。
いや、違う。それだけは口にしてはいけない。言葉にしてしまうとまた、今日までの日々が全部壊れてしまう。
無理やり呼吸を整えようとしたところで、お母さんの方から訪ねてきた。
「何か、嫌なことでもあった?」
「ううん、嫌なことなんてないの。ただ、私、おかしくなっちゃった」
「・・・うん。ちゃんと聞いてあげるからゆっくり、ね」
憔悴しきっていたころのお母さんの面影はもうどこにもなく、ずっと私が見てきた、優しく包み込むような声色を投げかけてくれるお母さんがそこにはいた。それに安心して、私はすべてを吐き出す。
「旅行、すごく楽しいものになると思ってた。実際、二人であれこれ考えて行き先を決めたりするのは楽しかったし、いっぱい松原さんの本音も聞けた。・・・でも、最近、すれ違ったり衝突が増えたりして・・・」
「それは、松原さんが嫌いになったから?」
「それだけは違うと思う。・・・だから、おかしいの。嫌いじゃないのに、ずっととげとげしい態度しか取れなくて」
私が話す言葉に対して、しばらくの間お母さんはうんうんと相槌を打つばかりだった。そしてすべて聞き終えて、核心を突く一言をあっさりと放つ。
「多分それって、素直になれてないだけなんじゃないかな?」
「素直に、なれてない・・・?」
「うん。・・・ねえ、千夏。松原さんのことは、好き?」
そう尋ねられて、私は言葉に詰まった。・・・でも、その答えは多分一か月前から変わってない。
「好き、だと思う」
「だったら、どうしてそれを伝えられないと思う?」
「それは・・・」
なんでだろう。その理由だけは言えなかった。
・・・いや、本当は分かっている。私にまとわりつく亡霊が、そのせいだ。
私は、「好きな異姓」を思い浮かべるときに、必ず遥君のことを想像していた。別に彼に未練があるわけじゃないけど、「彼みたいな人だったら」と心の中でそう描いていたんだ。
だから、最初松原さんと会ったときに直感的に惹かれたんだ。あの時の彼は、遥君にそっくりだったから。
それが剥がれて、困っていたんだ。あの人は変わらない思いで私に接してくれていたのに、私がただ変わった彼を知らず知らずにうちに拒んでいた。
それはおのずと言葉になって、電話越しのお母さんに伝わる。
「多分、ずっと、松原さんに遥君の影を思い浮かべてたのかもしれない、私」
「そう。やっぱり」
お母さんは私がそう思っていることを分かっていた。満を持して現れた「やっぱり」という言葉が、それを物語っている。
「お母さんもね、最初はそう思っていたから」
「松原さんのことを?」
「うん。すごく似てると思って、拒否して、逃げようとしてた。・・・けど、当たり前だけど、やっぱり違うんだよね。違うんだって思えて初めて、彼を受け入れられたよ」
淡々と話すお母さんの言葉を受けて、私は改めてこの人の娘なのだと思わされた。
・・・うん。私ももう、遥君のことを払拭できるだけの時間を過ごしたはずだ。今度こそ、彼の幻影を追うのをやめよう。それが彼に見せる、本当の私だ。その時ようやく、出会いをやり直せる。
「ねえ、千夏」
お母さんが問いかける。
「もう一度聞くよ。松原さんのこと、好き?」
「・・・うん、大好きだよ。ちょっと強情なところがあって、根は頑固者だけど、ちゃんと人のことを思える素敵な人だと思ってるし。・・・なんだかんだ、あの人と言い合いして意地の張り合いをするのも楽しい。多分、これまで以上に前途多難かもしれないけど、私はあの人のこと、大好きだよ」
「そう」
松原さんは、全部が全部完成されているわけじゃないし、私と反りあわない部分も結構ある。それは今日までの旅路で分かったことだし、これからすぐに治るものでもないと思う。好きな映画も、趣味も、利き腕も違う。
けど、私が好きになりたいのは、遥君でもその類似品でもない。等身大の彼だ。
「だから、私は・・・」
そこで、ツー、ツーと電話が切れる。カードの残量が無くなったみたいだ。目の前の間の悪さに、苦笑いを浮かべる。
けど、ちゃんと話せてよかった。お母さんのおかげで、私は今を持って生まれ変われる。今度はちゃんと間に合った。
・・・行こう。
踵を返す。前を向く。目指すのは自分に宛がわれた部屋じゃなく。
私を待つあの人のもとへ、初めての私を見せに行こう。
『今日の座談会コーナー』
この外伝のメインテーマで言うと、「水瀬千夏」が「島波遥」とお別れをする話なんですよね。その点で言えばこの回は、初めて千夏が心から「遥」という存在を上書きして「聡」のことを好きになりたいと思った回なので、その意味合いは大きいと思います。そして、事故を起こす前のシーンと対比になっているのでそこもチェックしていただけたら、という感じです。
次回、山場。
といったところで、今回はこの辺で。
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また会おうね(定期)