凪のあすから~ heart is like a sea~【新装版】   作:白羽凪

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第二十三話 僕だけの物語

~聡side~

 

 カーテンが閉ざされ、なおも明かりのない部屋の中。隣で寝息を立てている千夏ちゃんをよそに、僕は一人天を仰いだ。ここまで来てようやく真っ白になっていた脳がもとに戻り、冷静な思考が出来るようになる。ここに来て恥ずかしさがこみあげてくる。

 

 それでも、やっぱり嬉しいものは嬉しい。

 今度は手遅れになる前に、本当の自分を見せることができた。それでいて、好きでいたい人に好きと言えて、好きと言ってもらえた。愛していた人に裏切られた痛みは消えないだろうけれど、千夏ちゃんははっきりと己の未練を上回ったと言ってくれた。

 

 過去の傷は癒えないだろう。少なくとも僕は一度この子を傷つけたし、人生を狂わせた。本来なら好きなんて言っていい立場なんかではないだろう。

 だから、ちゃんとやり直した。嫌われるような真似だってして、それでも本当にいいのかを確かめた。

 

 ・・・そっか、演じ続けた日々も、もう終わりなんだな。

 

 そう思うと急に疲れがこみあげて、一つ大きな息をついた。その時、小指の方がきゅっと捕まれる。目を向けた先の千夏ちゃんが目を覚ましていたみたいだ。

 

「ごめん、起こした?」

 

「ううん、目が覚めちゃっただけ。・・・それより、聡さんはずっと寝てないの?」

 

「ちょっと寝付けなくてね。色々あって疲れたはずなのに」

 

「ほんと、色々あったからね」

 

 一つ大きな境界線を越えたのがついさっきのことだ。身体的にも精神的にも疲弊してもなんらおかしいことはない。

 多分、興奮が疲弊を上回っていたのだろう。精神が極限に研ぎ澄まされると、人は疲れていたことすら忘れる。

 

 千夏ちゃんは布団の中でもぞもぞと動く。先ほどは肌着をつまむ指先だけで繋がれていたが、今度はしっかり両腕で僕の体に抱き着いてきた。暗闇の中でも、小さくはにかんでいるのが分かる。

 

「どうしたの?」

 

「なんか、こうしてみたくなった。それだけ」

 

「そっか」

 

 こんな触れ合いに大層な理由などいらないだろう。つい数時間前とは一転して甘えてくるようになった千夏ちゃんを、僕は素直に受け止める。

 

 でも、その時だった。急に現実に立ち返ってしまう。

 僕たちの間には絶対に越えられない境界線があるということを、思い出してしまう。

 

 もちろん、それくらいのハンデは乗り越えて生きていけると思うし、今更それで全てを諦めるなんてことはしない。・・・分かっていても、どうしてもこの問題は一生付きまとってくるのだ。

 

 僕の表情から喜びの感情が抜け落ちたことに、千夏ちゃんは瞬く間に気が付く。

 

「・・・どうしたの?」

 

「いや、大したことじゃないんだ。・・・ただ僕も、海で生まれた人間ならよかったなって、そう思っていたところだよ」

 

 嘘はつかないけれど、ダイレクトな言葉でも伝えない。

 千夏ちゃんは僕のこの一言をちゃんと理解してくれたみたいで、、少しだけ目を伏せて、寂しそうな笑みを浮かべた。

 

「・・・仕方がないことだよ。世界はそういう風に出来ているんだから」

 

「でもおかしな話だよね。昔はもっと陸と海が繋がっていたっていうのに。今じゃお互いがこんなに離れて生きてるなんて。・・・なんで、こんなことになったんだろう」

 

 伝承の部分については千夏ちゃんから何度も聞かされた。長い年月を経て、かつて海で生きていた人々は陸へと赴き、それが分断される形になったと。

 その長い歴史の末端にいる僕は、理由など知る由もない。ただ不可解で、そして悲しい事実だけが残っている。

 

 僕にはどうしようもできないことだと分かっていても、悔しくてきゅっと唇を噛む。考えないようにと思っても、一度種が植わってしまえばそれを抜くのは困難なことだった。

 

 そんな思考が支配する僕の頭を、千夏ちゃんがふんわりと撫でる。

 

「私は大丈夫だよ」

 

「うん。・・・僕もちゃんと乗り越えるよ」

 

 それだけの話なのだ。違う境遇を嘆くことなんて全く無意味で、僕らはただこの壁を乗り越えるか、割り切って回り道をするしかない。

 分かっているから、もうこれ以上の言葉はいらない。

 

 僕はグッと全てを飲み込んで、この話を終わらせることにした。今日という日を、ブルーな気分で塗りつぶしたくはなかったから。

 千夏ちゃんが僕の背の方に巻いていた腕をもとに戻すと、僕はすかさずそれを捕まえて、しっかりと握った。少し驚いたような、だけどまんざらでもないような表情に僕は安堵する。

 

 クスクスと笑って、千夏ちゃんはふいに問いかけた。

 

「ね、聡さんにまだ聞いてないことがあったよね?」

 

「ん?」

 

「私ね、あなたの夢を、まだ聞いてないの」

 

 とても穏やかで、まるで春のような温かさを持つ声音に、僕の心はスンと落ち着く。でも、その質問は今までになかったものだから、どう答えればいいか固まった。

 

 さすがに突拍子もないことは向こうも知っていたのだろう。補足するようにつづけた。

 

「私はさ、海で生きたいって夢をずっと持ってた。そしてそれはこれからも変わらない夢。聡さんに関係しない、私だけの夢。・・・だからさ、聡さんの、私に関係しない昔からの夢を教えてほしいの」

 

「・・・僕だけの夢、か」

 

 思えば、ずっと僕は周りのみんなに幸せになってほしいという一心だけで生きてきた。それは鷲大師に引っ越してくる前から、ずっと。

 気持ちがよかった。自分の頑張りで誰かが喜んでくれることが、たまらなく。いつからかそれは僕の生きがいになっていて、僕の全てになっていた。

 

 でも、そのせいで、僕は僕自身のために生きることを忘れていたのかもしれない。常に誰かが大事で、僕なんか二の次で。そんな風に思っていた。

 

 多分それはこれからも簡単に変えることはできないだろう。間違ったことはしていないし、誰かを幸せにしたいという気持ちは変えたくないから。

 

 だからこうして、返答に困っているわけだけど・・・。

 

「・・・ないの?」

 

「いや、違う。ないって訳じゃないんだ。・・・ただ、僕はずっと自分の幸せを誰かに依存していたのかもしれないって思ってるよ。越してくる前からずっと、誰かを大切にしたいって一心で動いていたから。・・・あ、でも」

 

 そして、ふと思い出す。

 僕がまだ制服を着ていたころに思い描いていた、たった一つの夢。

 

「あったよ、僕だけの夢」

 

「聞かせて」

 

 千夏ちゃんは興味津々と言わんばかりの瞳を僕に向ける。僕の夢を聞いてどう思うか分からないけど、全部伝えることにしよう。

 

「僕は、一冊の本を書きたいと思っているんだ」

 

「本?」

 

「そう。・・・ノンフィクションでさ、ありのままのことを全部書くんだ。生きてきた日々の中で、何が嬉しいと思ったか、何が悲しかったか。僕が生きてきた道のりとすべての感情を、忘れないように一冊の本にしたい」

 

 誰かを幸せにして、幸せになった自分のことを記録にしたい。それがまぎれもない、僕の夢だった。

 結局誰かに依存していることには変わらないけど、僕の文字で、僕の言葉で記すそれは、間違いなく僕だけのものだ。

 

 そんな僕の夢に、千夏ちゃんはややあきれ笑いを浮かべた。つまらない、とかそういう感情ではなく。

 

「・・・全部って、とんでもない時間がかかるよ? それに、長い時間を記そうとすると、絶対どこかで忘れた何かが出てきちゃう」

 

「忘れないよ。そのために、日記だってつけてる。生憎、記憶力だけはいいんだ」

 

 そのせいで散々悶々としてきたけど・・・。でも、幸せな記憶のおかげで救われた瞬間だっていくらでもある。

 

「日記かぁ・・・。私の日記、渡しちゃったからなぁ。・・・でも、あれは私の未練そのものだったから、今の私にはいらない」

 

 おそらく、渡した相手は島波さんなのだろう。それがいつのことかは分からないけれど、千夏ちゃんはそれを未練と名付け、そして譲渡したと言った。それ以上のことは考えなくていいだろう。

 

 千夏ちゃんははぁ、と大きな息を吐いた後、満面の笑みを浮かべて、繋いだ手を自身の胸の方に押し当て、目を伏せた。

 

「・・・うん、素敵な夢だと思う」

 

「千夏ちゃん」

 

「出来れば、私もその夢に協力したいな」

 

 その言葉に嘘がないことは顔を見れば明らかで、たちまち僕は安心する。今日交わした言葉の全てに嘘はないのだと信じることができた。

 

 だから、また、愛おしさが溢れる。美浜と愛の契りを交わした時のそれなど、優に超えている。

 

 

 その思いに言葉などいらない。もう一度触れるだけの接吻をして、僕は目を伏せた。

 




『今日の座談会コーナー』

 この作品恒例といえばそうなんですけど、「誰かに影響しない自分だけの夢」というものがこの作品ではたびたび出てきます。今回は聡partというわけですね。
 しかしまあこの外伝ももう二十話overですか。あんまり長いこと書くつもりはないなって思っていたのに、まず過去を語るだけで相当話数使いましたからね。ここまでくるとまた終わらせたくない症候群が発症してしまうのがなんとも・・・。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)
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