凪のあすから~ heart is like a sea~【新装版】   作:白羽凪

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第二十五話 こんな御伽噺

~聡side~

 

 ハンドルを握ってかれこれ五時間ほど過ぎて、僕の町の目印のビルが見えてきた。程よく都会で、程よく静か、それくらいの魅力しかないと思っていたふるさとが近づいてきて、だんだんと胸が締め付けられる。

 

 ブレーキを踏んで車が止まった時、千夏ちゃんが感嘆の声を挙げた。

 

「ここが・・・。すごい町だね」

 

「ここを出るまではそんなこと一度も思ったことなかったんだけどね。・・・でも不思議だ。いざこうして帰ってみると、すごく懐かしいし、いい街に見える」

 

 いい思い出、そんなにないのにな。

 

 そう呟こうとした口は直前で止まった。美浜のこともとっくに割り切ったんだ。もうこの街に恨みなんてない。

 ただ・・・連絡もほどほどにふらっと消えてしまった僕のことを覚えてくれている友達などいるのだろうか。そんなことを思う。

 昔からそうだ。どこまでいっても希薄な縁しか作れなかった僕には、帰る場所がなかったんだ。だから今、あの町を愛おしく思っていて。

 

「・・・やっぱり、怖い?」

 

「怖い、って言ったらそうなんだけど、後悔がね。・・・もっと友達に親身に付き合った方がよかったとか、そんなことばかり思ってるよ。・・・それほどまでに、あの町の暮らしが楽しいから」

 

「そっか」

 

 少しだけ嬉しそうに、だけどそれを喜んでいいのか分からないと言わんばかりの複雑な笑みで千夏ちゃんは僕を見る。

 あまり見られたくないものだと、車の発進と同時に僕は前だけに集中した。こんな雑念ばかりの表情、千夏ちゃんには見せられないし見せたくなかったから。

 

「・・・ねえ、聡さん」

 

 動き出した車の中で、少しだけトーンを落として千夏ちゃんは語る。

 

「もしどんな結果になっても、私たちは二人でいようね」

 

「・・・そんな未来、起こらないよ」

 

「もし起こったらの話。私だって信じてないよ。・・・でも、そんなこと言わないとさ、私も不安なんだ」

 

「千夏ちゃん・・・」

 

 それほどまでに僕を思ってくれている。そう考えれば手放しで喜べることだけど。

 でも、そんな未来があっても不思議じゃない。未来なんて誰も語れないのだから。

 

 だったら、うじうじなんてしてられない。隣で手を引く人間として、僕はただ前を向いて立っていたい。誰かに否定されても、運命に捻じ曲げられても、選択した全てを誇れる生き方をしたい。

 

 それは、今となっては僕の一つの夢だから。

 

---

 

 家の駐車場に車を停めて、僕は生暖かい春の風を浴びる。

 潮の香りの一つもない、海とは無縁の町。だけど確かに僕の居場所があった町。少し離れただけで、人は大切だったことをこれほどまでに忘れてしまうみたいだ。

 

「いこっか」

 

 不安にあおられないように、僕は千夏ちゃんの手を取る。ためらう間もなくそれを取った千夏ちゃんとともに、僕は実家のインターホンを鳴らした。スピーカー越しに、父さんの声が聞こえる。

 

「僕だよ、聡。帰ってきたんだ」

 

「・・・まあ、上がれ」

 

 感情の読み取れない、低く落ち着いた声。思えば昔から僕の父さんはそうだった。

 

 自分でカギを挿して、右に回してロックを解除する。ドアの向こうで出迎えてくれていたのは母さんだった。

 

「お帰り、聡」

 

「あ、・・・うん。ただいま」

 

 謝ろうと思った。けれど、おかえりと言われたらただ素直にただいまと言いたくなる。

 少しうつむいた僕の後ろで、先ほどまで隠れていた千夏ちゃんがひょこっと顔を出す。

 

「・・・こんにちは」

 

「あら、あなたは」

 

「・・・水瀬、千夏です。・・・初めまして」

 

 その名前には聞き覚えがあったのだろう。母さんの表情が変わっていく。さすがにノータッチとはいかないみたいで、母さんは僕に問い詰めた。

 

「どういうことなの? 聡」

 

「・・・結果から話すとね、付き合ってるんだ。僕たち」

 

「です」

 

 そしてまた、表情が変わる。けれど、決してそれは暗いものではなかった。

 

「そういうことなら早く言いなさいよ! あんた1人と彼女を連れてくるのじゃ話は違うじゃない」

 

「うん、まあ・・・。・・・怒らないの?」

 

「うーん、そうね。それは話を聞いてからになるけど、私一人でどうこう言う問題でもないし、お父さんにも話をしてからになるわね。・・・でも聡、これはあんたがあんた自身の意志で決めたことなんでしょ?」

 

「もちろん」

 

「なら、私は文句なんてないわよ。ちゃんと話、聞かせてくれたらね」

 

 そう言って母さんはリビングへと帰っていく。ついて来いと背中で語りながら。

 

「・・・緊張した」

 

 靴を脱ぎながら、千夏ちゃんがボソッと呟く。

 

「多分、これからだと思うけど・・・」

 

「私さ、人の親って自分の知る人しかいなかったから。・・・こうして別の場所まで来て会うのが、こんなに緊張することだとは思わなかった」

 

「・・・そういわれてみると、あの二人の前でそんなに緊張しなかったのが不思議だ」

 

「私のところは、ちょっと特殊だから」

 

 もちろん、僕の両親が悪いとかそういう話ではない。ただ、あの二人の優しさがずば抜けているだけであって。

 

 準備を終えた千夏ちゃんの手を引いて、僕は虚勢を張ってリビングへと進んでいく。奥に見える食卓には、四人分のコップが置かれていた。その奥に、少し険しそうな表情の父さんと、ニマニマと小さく笑んでいる母さんが。

 

 その向かいに座って数秒後、最初に口を開いたのは父さんだった。

 

「おかえり、聡」

 

「・・・ただいま。ごめん、しばらくの間連絡もしなくて」

 

「ほんとだ。心配させられる側の気持ちにもなってみろ」

 

 ぐうの音も出ない。

 

「それで? 今日こうして急に帰ってきたわけだが」

 

「うん。色々と話があるんだ」

 

 そこで千夏ちゃんに目配せをする。受け取った千夏ちゃんはすこしあわわとしながら、父さんの方に向かってぺこりと頭を下げる。

 

「はじめまして、水瀬千夏です」

 

「そうか、君が。・・・うちの馬鹿息子が悪いことをしたな」

 

「いえ、そんなことないです。あれは私の方にも至らないところがあったので。・・・というより、もういいんです、事故のことは。全部忘れましたから」

 

「当事者がそう言うなら・・・」

 

 父さんはむず痒いと言わんばかりの表情で頭を掻く。当事者間で完全に解決しているとは言っても、僕の親として思うところがあるのだろう。

 

 少しでも口を噤むと、会話が途切れそうになる。

 分かっていた僕は、流れのままに口走ることにした。

 

「で、父さん、母さん、ここから本題なんだけど・・・。僕たち、付き合っているんだ。・・・それで、結婚も考えている。今日はその連絡に来たんだ」

 

「・・・あら」

 

「そう来たか」

 

 母さんも表情を崩して、父さんはなおも苦虫をかみつぶしたような表情で呟く。そこにすかさずフォローを入れたのは千夏ちゃんだった。

 

「ちょっといびつなことにはなっちゃいましたけど、でも、気持ちは本当なんです」

 

「分かってる、そんなこと」

 

「え?」

 

 父さんが僕の想像と違う言葉を吐いたものだから、素っ頓狂な声が出てしまう。

 

「そんなもの、今更言われなくてもわかってる。聡、お前を見ればな。大体、誰の息子だと思ってるんだ。今更隠し事なんてできると思うな」

 

「父さん・・・」

 

「大体、お前の心の底からの選択を否定する必要なんてないだろ、俺たちに」

 

「・・・」

 

 二人は、僕のことを何の疑いもなく信じてくれていた。それが親の無償の愛だと知って、グッとこみあげるものがある。

 ・・・話がここで終わるなら、よかったのに。

 

 僕たちにはまだ伝えないといけないことがあった。それは、二人の間に越えられない隔たりがあることだ。

 

 さえない顔をしているのだろう。父さんが僕に問いかけた。

 

「認めるって言ってるのに、やけにさえない顔だな。何かあるのか?」

 

「えっと・・・」

 

「お義父さん、エナって知っていますか?」

 

 行き詰った僕に、千夏ちゃんが助け舟を出す。

 

「私は海に行くことが出来る力のある人間なんです。・・・だから」

 

 

「あら、やっぱり」

 

「え?」

 

 そこで話を遮ったのはお母さんだった。向いた視線の先で、肌が鈍い色に光る。この光は・・・。

 

「この街だと私と少しくらいしかいなかったから、そうないものだと思ってたけど、まさか聡が海村に通ずる子と仲良くなってたとは知らなかったわ」

 

「母さん・・・?」

 

「お義母さんは、海村出身の人なんですか?」

 

「違うわよ、ずっとこの街で育ってた。・・・だけど、どうだったかしら。私の遠い祖先が海で生きていたって聞いてるわ」

 

 そして母さんは、柔らかい笑みを僕の方に向ける。

 

「・・・だから聡、きっとあなたにもあるわ。海に流れる血と、エナの力が」

 

「そんなこと、分かるの?」

 

「私だって最初はないものだと思っていたから。でも、その血を引いてるってことは、大丈夫だと思うわ。風の噂で聞いたの、海が門戸を開いたって。私のはもう使わなくなっちゃってずいぶん薄れてしまったけど、今の海にならきっと飛び込めるわ」

 

 そんな奇跡が、あっていいのだろうか。

 僕と千夏ちゃんが未来永劫一緒にいることが出来る未来が、あっていいのだろうか。

 

 頭を抱えて、フルフルと震える。まだそうなったと決まったわけじゃないけれど、目の前に提示された無数の可能性に、僕は悶絶せざるを得なかった。

 

「なあ、聡」

 

 そこでようやく、父さんが間に割って入る。

 

「エナがあるとかどうとか、俺は全く知らない。少なくとも俺はそうではないからな。・・・だけど、どうであっても関係ない。海で生きられないとしても、もしもの時にそこに飛び込んでいけない関係だとしても、聡。俺はお前の全てを許す。俺は永遠にお前の親だ。お前が正しいと思った選択を、俺たちはずっと尊重し続ける。ずっとそうしてきたつもりだ」

 

「あ・・・」

 

 ぼろぼろと涙が零れ落ちる。ずっと離れていて、もうすでに失われていたと思っていたぬくもり、久しぶりに触れたそれに、僕はいよいよ耐え切れなかった。

 

「千夏ちゃん」

 

「え、あ、はい!」

 

「情けない息子だが、誠実さだけはいっちょ前だと思ってる。どうかかわいがってやってくれ」

 

「・・・はい、存分に」

 

 千夏ちゃんが笑っているのが分かる。父さんも母さんも、暗い表情の一つ浮かべていないだろう。こんな空間でただ泣いているのはとてもみっともない。

 

 涙をごしごしと拭って、僕も満面の笑みで答える。これから訪れる未来が良いものと信じて疑わなければ、自然と表情も晴れた。

 

 

「ありがとう、父さん、母さん」

 




『今日の座談会コーナー』

 この回は、ずいぶんと悩みました。この回というよりは、この話のオチ自体を。普通に考えてみればこんなご都合的な展開があっていいかと悩むところではありますが、この作品はできるだけ多くの人を幸せにしたいんです。限られた幸せに満足するビターエンド、なんてのは似合わないと私は思っています。
 話の筋としても、通らないわけではないと思っていますよ。原作で紡がそうであったように、血縁のうちにある海村の血がトリガーしてエナの出現につながる、という理論は開拓されていますから。昔はたくさんの人間が海に生存していた、という設定が原作にある以上、海村に近い町でなくてもエナを持っている人が多くてもおかしくないとは思っています。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)
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