凪のあすから~ heart is like a sea~【新装版】 作:白羽凪
~聡side~
急造で出来上がった普段より豪華な夕食を終え、千夏ちゃんは風呂場へ向かった。その間で、僕は二人に呼び止められた。分かってはいたが、ここからが正念場、ということだろう。
「さて、聡。せっかくだから色々聞かせてくれ。あの子がいた手前、お互い少し遠慮していた部分もあるだろうしな。・・・この二年で何があったか、何が今のお前を作ったのか、それを教えてくれ」
父の声は、少しでも気を抜けば委縮してしまいそうなほど太いものだった。怒りではないが、それに近い感情を感じる。今は少なくとも親子の時間なのだ。その全てを、甘んじて受け入れよう。
「うん。・・・事故が起きてから、僕はまず千夏ちゃんの両親のところに毎日通ったんだ。最初は、謝るために」
「・・・俺たちが同じ立場なら、そんなことされても嬉しくはないな」
「同じこと言われたよ。・・・だから、僕は見方を変えることにしたんだ。この人たちに謝ることじゃなくて、この人たちの力になることをしようって。・・・結局、そのためにもあって話をしたかったから、通うのは続けたけど」
そして、それが実ったことが全ての始まり。僕は千夏ちゃんの両親に少しずつ受け止めてもらえて、ようやくスタートラインに立った。
「といっても、特に何か出来るわけじゃなかった。だから、話をして、たまには釣りに出かけて、そんなだらだらした時間を一緒に過ごした。それが僕は、親身になって考えることだと思ったんだ」
「あら?」
「・・・」
そこで母さんが試すような目を父さんに向ける。しばらく無言を貫いたまま、父さんは少しだけ目線を下に逸らした。
「どうしたの?」
「昔ね、父さんが私をデートに誘うことがあれば、だいたいそんな感じだったのよ。釣りなんてして、のんびり話して、なんてそんなことばかり。血は争えないわねって話」
改めて、僕がどんな親から生まれたのか、ということを思わされる。
「・・・まあ、そんなことをしていて二年が経ったんだよ。そうして千夏ちゃんが目覚めて、リハビリを手伝ったんだ。その日々で、僕はしがらみを抱えたうえで、彼女のことを好きになった」
「なるほどな。一緒にいる時間が長いんだ、そう思っても仕方ないだろう」
「うん。・・・そして、そのしがらみをちゃんと断ち切るために、僕と千夏ちゃんは互いに了承して、旅に出たんだ。その終着点が、ここなんだ」
それが、今日まで僕が歩んできた日々。端的に語ってはいるけど、こんな簡単に言い表せられるほど淡白な日々など送っちゃいない。あの頃の一分一秒は、僕の人生を狂わすほど価値があったんだ。
全てを聞き終えて、父さんは神妙な顔で頷いた。僕の行ってきたことを噛み砕いて、受け入れているのだろうか。
その間に、口を開いたのは母さんの方だ。
「・・・全部、乗り越えた?」
「乗り越えたと僕は思っているよ。あの子を傷つけたことも、それでも好きになったことも、すべての障害を僕は乗り越えたと思っている。それが世間からみて正しいことかどうかは分からないけれど、僕は自分の気持ちに嘘はつきたくないんだ」
「そう。ずいぶんと成長したのね。私たちが見ないうちに」
満足そうな笑みの裏に、大きな感情が隠れている。親が子を思う、というのはこういうことなのだろう。飛び立つ鳥を見て、儚げに、けれど満足そうにうなずいている。
そして言いたいことが定まったのか、父さんもようやく僕の方を向いて言葉を放った。
「それで、お前は幸せになれるんだな?」
「え?」
「なれるんだな?」
おそらく、そこなのだろう。
最初からそうだ。おそらく父さんは、僕が通ってきた道を踏まえて、そのうえで僕がこれが選ぶ選択で僕が幸せになれるかどうかしか興味がないのだろう。親はいつも、子の幸せを願っている。
だから、僕が子として親になせることはただ一つ。選んだ道に胸を張って、それを貫くこと。
少し声を大きくして、僕を知るすべての人に誓う。
「幸せになるよ。これから、もっと。多分、これ以上ないくらいに」
「・・・そうか。二年前には聞けなかった言葉が聞けて良かった」
その言葉にハッとする。
今、僕が千夏ちゃんを幸せにしたいと思っている気持ちを、美浜にも同じように僕は持っていただろうか。
幸せにしたいとは思っていただろう。だけど、それで僕が幸せになるかどうかなんてそんなに考えていなかった。美浜が幸せになれば、僕も幸せになるのだろうだなんてそんなことを思って、自分の幸福を相手に依存していたんだ。
今は違う。僕は千夏ちゃんを幸せにしたいだけじゃなく、今度こそ自分の本心から幸せになりたいと願っているんだ。あの時の気持ちとはもう違う。
それに満足してくれたのだろう。父さんは今度こそ、僕の未来を了承した。
「ならもういよいよ、お前の結婚を止めることなんて出来ないな。・・・あれだけ啖呵を切ったんだ。ちゃんと幸せになれよ」
「うん。絶対に」
そこで話は終わる。父さんは徐にテレビの方に向かい、母さんは食器の片づけを再開した。僕は僕で、自分の部屋を整えにいく。
二年間の空白などなかったように、僕はまたこの場所に溶け込んでいく。
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この街で迎える久々の夜。家族との時間はそれはもう長いものだが、二人で過ごすというのは本当にいつ以来だろうか。
美浜との思い出が薄かったわけじゃない。けれどそれ以上の濃密な時間が、すっかり僕の記憶を書き換えていた。
ベッドに腰かけて天を仰ぎ、二回ほど大きなため息をついた後で、部屋のドアが開く。小脇に抱えられた枕と一緒に。
「邪魔するね」
「いいけど・・・。ここで寝るつもり? 僕はいいんだけど、流石に狭いよ?」
「それでもいい、・・・というか、そっちの方がいい。客間に通されて一人で寝るのも寂しいじゃん」
僕の部屋に布団一式持ってきて、という発想はないらしい。・・・けど、そんな中途半端なことは僕だっていやだ。
千夏ちゃんは有無を言わさず、ベッドに置かれた枕の隣に自分の枕を添える。それから僕の隣に座って、もたれかかるようにこちらに体を預けた。
「・・・かっこよかったよ」
「何が?」
「さっきの、幸せになるよって言葉」
「・・・ああ、聞こえてたんだ」
あの瞬間だけ声を大きくしたのもあって、風呂場までちゃんと届いていたのだろう。千夏ちゃんは満足そうに語った。
「やっぱり、一緒なんだって思ったの。聡さんも、私も、・・・多分あの人も、自分が幸せになることより、誰かを幸せにしたいって思ってここまで来たんだと思う」
「うん」
「だけど、そうじゃないんだよね。自分が幸せにならないと、誰かを幸せに出来ない。今ならそう思えるよ」
「僕の場合、それに気が付くまでずいぶんと時間がかかっちゃったけどね。・・・大きな失敗も、何度もしてきたし」
「けどまだやり直せる。そうでしょ?」
そうだ。だから僕はこうしてここまでたどり着いている。
人間の終わりは、死ぬその瞬間まで。変わろうとする意志があれば、人は時間がかかっても変わることが出来る。遅すぎたと思うことがあったとしても、変われないことなどない。
だからこれからも、僕は変わっていく。正解は常に変わり続けるのだから、有り余るほどの幸福におぼれて何もしないなんてことだけはしないように。
「・・・ねえ聡さん。この旅、楽しかったね」
「うん。・・・またいつか、こんなことを出来るといいな。思い出を作る旅に終わりなんてないよ」
「そうだね。・・・それで、最後にもう一か所だけ行きたいところがあるんだけど」
「聞くよ。どこ?」
「・・・海、一緒に行こう?」
その言葉に、どれだけの意味が籠っていることだろう。
ただぼんやりと眺める、ということを言っているわけではない。千夏ちゃんは、無限に広がる青の世界に、一緒に飛びこもうと提案しているのだ。
僕にはたどり着けない場所だと思っていた。けれど母から提示された可能性に、僕の心と未来はぐらついている。
本当にあるのだろうか。僕にそんな力が。この先、千夏ちゃんと永遠をともにする権利が。
だけど、もうマイナスには考えない。僕は提示されたこの可能性を信じてみたい。賭けてみたい。
「ああ、分かった。一緒に行こう」
軽く結ばれていた手をしっかりと握り返す。この手が離れない限り、僕はあの青の世界にさえ飛んでいけるような、そんな気がする。
『本日の座談会コーナー』
先に言っておくと、この作品はあと二話で終わります。本編に至っては次回が最終回となります。三十話以内でおさまりはしましたが、ずいぶんと長いこと書いていたような気がしますね。松原聡という人間への感情移入で、本編主人公を嫌いになりかけることもしばしば。両方とも自己投影の面影があるというところが、少々もどかしいところです。
この作品はβ世界線における千夏の救済という名目で始まりましたが、α外伝を掻くつもりは「今のところ」ないです。理由としては簡単で、遥と千夏の世界から美海が切り離されていないからです。だから美海は自分で幸せになれるし、救いの手を差し伸べてくれる誰かをもう待っていないんですよね。まあこまごましたSSを掻きたくなったらまた考えます。
といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。
また会おうね(定期)