凪のあすから~ heart is like a sea~【新装版】   作:白羽凪

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外伝本編最終回です。


第二十七話 蒼の世界のその果てへ

~聡side~

 

 次の日の朝早く、僕たちは実家を立ち去った。今日向かう場所は鷲大師、僕の新しい居場所。ここから五時間とかからないが、今の僕たちの報告を早く保さんと夏帆さんにしたいというのが僕たちの答えだった。

 名残惜しさはあるが、これで終わりじゃない。僕はまたいつかここへ帰ってこれる。そう思うと、胸を張ってこの場所を後にすることができた。

 

 鷲大師へと向かう道中、特に主だった会話はなかった。もう旅が始まってずいぶんと経った。ホテルなどで疲れを取るのには限界がある。そうして溜まった疲労のせいか、僕たちは何か起こそうという気にもならなかった。

 それでも、心地のよい時間は続く。無言で淡白だけれど、柔らかさが漂う空間。それが今は愛おしくて、ただそれに身を委ねた。

 

 そうして、鷲大師の看板が見えてくる。ここからおよそ20kmほど。15分とかからないだろうタイミングで、先ほどまで転寝をしていた千夏ちゃんが目を覚まし、眠たげな眼をこすりながら言った。

 

「ん、もうついた?」

 

「ううん? だけど、あと二十分もかからないよ」

 

「そっかー。もう終わっちゃうんだね」

 

「最後にとびっきりのイベントが待ってるけどね・・・」

 

 疑っているわけじゃない。けれど不安はある。

 それを隠すように、僕は少し笑って見せた。それが伝染してか、同じような表情で千夏ちゃんも笑む。

 

「・・・楽しかったね、ほんと」

 

「うん。途中、いっぱいギクシャクしちゃったけど、全部楽しかった。後悔なんて・・・、あー、いや、今のなし」

 

「後悔、あるの?」

 

 少し不満げに口先をとがらす千夏ちゃんに、僕は弁明する。

 

「もう少し早く、自分の心に素直になれたら、って思ってる。そこだけは後悔かな。もっと早く、うまいこと出来たら、あの日々よりもっと楽しくなったんじゃないかなって」

 

「それは違うよ、聡さん。・・・回り道は必要。そうしないと気が付かないことってあるの。分かるでしょ?」

 

 優しい声で千夏ちゃんは諭してくる。そしてそれがあまりにも身に覚えがあるものだったから、僕はぐうの音も出なかった。

 こうして、後悔しない出会いを迎えることが出来たのは、婚約破棄、逃亡という手数を踏んだから。それは紛れもなく、僕の人生にとっての回り道だ。こうして回りくどいことばかりして今日にたどり着いたのだ。最短ルートなんてないに決まっている。

 

「その通りだね、ごめん」

 

「ううん、いいの。素直になった方がよかったなって思うのは、私も一緒だから」

 

「ほんとだよ。保さんたちから頑固さが残って融通が利かないところがあるって聞かされてはいたけど、まさかここまでとは思ってもみなかったし」

 

 相手のことを思いやれる優しさを持っていつつも、本質的にこの子はお姫様なのだろう。頑固でわがままで、アグレッシブで度胸があって、本当に魅力に事欠かさない。

 

「それでも、好きになったんでしょ?」

 

「もちろん。むしろ張り合いがあって、生きてて楽しいよ」

 

「分かってたけど、聡さんも結構強気なところ見せてくれたしね」

 

「自分でも驚いたよ、僕の本性ってこうなんだって。・・・それを見つける旅でもあったのかな、なんて」

 

 そうこうしていると、鷲大師に入ったことを表す看板がやってくる。

 

「帰ってきたねー、安全運転、ご苦労様でした」

 

「普段から意識してないと、会社の車壊しちゃうからね」

 

「・・・あのトラックって、どうしたの?」

 

「さすがに引き取ってもらったよ。他の人を乗せるわけにもいかないしね」

 

「そりゃそうだ。はたから見ればいわくつきだし」

 

 こうしたブラックジョークだって、今となってはいい思い出だ。傷跡をなぞって痛む心はあるけど、互いの理解のもとで、こうやって笑いに昇華されていく。 

 

「・・・あ、ここで」

 

 千夏ちゃんがふと声を挙げる。車を停めて降り立った場所は、この街の中でも僕があまり立ち寄らない場所だった。千夏ちゃんにとっては、何か意味があるのだろうか。こんな、人の寄り付かなさそうな堤防に。

 

 グーっと背伸びしながら、千夏ちゃんは語る。

 

「ここはね、私のお気に入りの場所なんだ」

 

「何かあったの? パッと見ても普通の堤防のように思えるけど」

 

「まあ、なんの変哲もない場所だね。だけどここは私にとって待ち合わせ場所だったの。長いこと、ずっとね」

 

 それから千夏ちゃんはゆっくりと語りだす。一人で寂しい思いをしていた時、この場所でぼんやりと海を眺めていたこと。島波さんとよく通ったこと。

 全てを語り終えて、少しうつむいて、わずかに湿っぽい声で続ける。

 

「・・・退院してから、ずっとここに来るの嫌だったんだ。何をしても彼のことを思い出して、そのたびに寂しくなっちゃうから。・・・だから、ありがとね。私のこと、救い出してくれて」

 

「もう、傷は癒えたんだ?」

 

「もちろん。彼より好きなあなたがここにいるんだから、傷なんて何一つないよ。今日からここは、聡さんとの思い出の場所になります」

 

「そっか。すごく光栄だよ」

 

 湿っぽい声音はどこへやら、カラッと笑った千夏ちゃんは僕の両手を自分の両手で覆った。しっかりと繋いで、目線を合わせてくる。

 

「だから、招待するね。私が好きな海の世界へ」

 

「・・・このまま飛び込んでも、大丈夫? 服とか」

 

「エナがあるなら、結構簡単に乾いてくれるよ」

 

 そうして手を引かれ、僕は堤防の上に立つ。そこから流れる深い蒼は、眩さと、仄暗さの両方を兼ね備えている。突如、それがとても怖く思えた。もし、そこに僕の立ち入る隙が無かったら、と。

 

「・・・結構怖いね、これ」

 

「大丈夫。私を信じて」

 

 今の僕には、まだエナの片鱗も見えない。それだというのに、千夏ちゃんは僕を信じて疑わなかった。まっすぐな目をして、大好きな海を思っている。

 

 だったら、委ねよう。全て。

 

繋いだ手をほどいて、僕は両腕を千夏ちゃんの背中の方に回し、そのまま抱き着いた。

 

「・・・こっちの方が、落ち着く」

 

「分かった。・・・それじゃ、行こっか!」

 

 高らかな声と同時に、僕の体は勢いよく海へと沈んでいく。深く、深く、奥底の方へスイスイと千夏ちゃんが泳いでいく。僕はまだ、目をつぶったままだった。

 

 呼吸が出来ないものかと、口を開こうとする。瞬間、海水が思い切り口内へと侵入してきて、無意識のうちに大きく口を開いてしまった。酸素がなくなり、体が苦痛を覚える。

 

「大丈夫だから。・・・絶対、大丈夫だから」

 

 千夏ちゃんの声が遅れながら聞こえてくる。

 でも、僕には・・・。

 

 だんだんと意識が遠のいていく。この海は、やっぱり僕のことを受け入れることはないのだろうか。

 

 こんなに好きなんだ。・・・一緒に、いたいのに。

 

 全てを諦めかけ、目を伏せた時・・・、静かに声が聞こえた。

 

『耳を澄ませて、目を開いて。・・・あなたが待つ人が、そこにいます』

 

 その時、シャラシャラという音が耳に響いた。砂のような何かが肌にまとわりついて、しみ込んでくるような感覚。

 もうすっかり苦痛を感じることはなくなって、僕はゆっくりと目を開いた。

 

「・・・あ」

 

 アクアリウムのど真ん中にいるような、そんな光景が目の前に広がっていた。水面の向こうの光で時折反射をしながら、スイスイと左右を通り抜けていく魚たちを僕は呆然と眺める。

 

 そして、繋がれた手の先の千夏ちゃんを見て、ようやく自分が今海の中にいることを知った。

 

「これが・・・海」

 

「ね? やっぱり大丈夫だったでしょ?」

 

「こんなに・・・綺麗な世界が」

 

 千夏ちゃんの言葉なんてそっちのけで、僕はただ目の前の光景に恍惚としていた。自分の身近に、これだけの世界があるなんて思ってもみなかったから。

 

「聡さん、腕、見てみて」

 

 その言葉でようやく千夏ちゃんの存在を認識して、僕は腕の方を見やる。母のそれよりももっと鮮やかな光が僕の腕にも表れていたのだ。

 

「・・・僕にも、エナが」

 

「ところでさ、聡さん。・・・さっき、声が聞こえた?」

 

「え? あ、うん・・・。あれって、千夏ちゃんの、じゃないよね」

 

 うんと頷いて、千夏ちゃんは遠くを見つめて語る。

 

「誰かが、最後の置き土産をしてくれたんだと思うよ。私が大好きな人をこの場所に迎え入れるための置き土産を。それがトリガーになったんじゃないかな」

 

「よくわからないけど・・・。でも、すごく温かい声だったと思うよ」

 

 ありがとう、僕を助けてくれた見知らぬ誰か。

 僕にあなたのことを知る手段はないけれど、この気持ちだけはちゃんと伝えよう。

 

 ホッとしたと同時に、胸の奥底の方からぶわっと感情がこみあげてきた。全てのしがらみを越えてここまでやってきたことの達成感、この場所にたどり着けたことと、千夏ちゃんとこれからを歩んでいける嬉しさ。それがあふれ出して仕方がない。

 

 けど、涙は違う。僕たちがこれから歩いていくのは、幸せに濡れた日々なのだから。

 

 揺らぐ水面の中で、仕組みの分からない呼吸を行って、僕は叫ぶ。腹の底から、力を振り絞って。

 

「好きだ!!」

 

「えっ!?」

 

「僕は誰よりも水瀬千夏が好きなんだ!!」

 

 誰に向けて叫んだのだろうか。

 目の前の千夏ちゃんにかもしれない。かつて彼女の中心にいた二人にかもしれない。保さんや夏帆さんにかもしれないし、僕たちの知らない誰かにかもしれない。

 

 あるいは、僕自身にかもしれない。

 

 けれど、どうでもいい。僕は彼女が好きなんだ。自分の人生を全て投げ打って、互いの最善最高の未来を掴みたいんだ。これは、その宣誓だ。

 しばらくして、後ろから優しいパンチが飛んでくる。横腹の方をポスっと殴られて、僕はそっちを振り向く。千夏ちゃんは顔を真っ赤にしていた。

 

「・・・馬鹿。恥ずかしいよ」

 

「じゃあ、千夏ちゃんもやる?」

 

「ううん。・・・私の答えは、これだよ」

 

 そのままもう一度手を組みなおして、水中で押し倒すように千夏ちゃんが唇を奪いに来る。なすすべもなく、僕はそのまま唇を重ね、目を伏せた。

 

 キスが終わるなり、二人で笑いあった。腹を抱えて、あるいは声を挙げながら。誰も見ていない、二人だけの世界で、幸福だと笑いあう。

 

「それじゃ、行こう?」

 

 人二人分ほど距離が開いた先で、千夏ちゃんがこちらを振り向き、手を挿し伸ばす。向いている方向には、彼女が愛してやまない汐生鹿の街があるのだろう。

 けれど、僕はその手を素直には取らない。そこはもう、僕が導かれる場所ではないのだから。

 

 千夏ちゃんの隣まで泳いで、横並びになって初めて手を握る。これから二人が歩む歩幅が一緒だとそう伝えるために。

 

「・・・やっと、辿り着いた」

 

「ううん? これからだよ。こんなところがゴールだなんて思わないでよね?」

 

「もちろん、分かってるよ」

 

 今日という日は、昨日まで生きてきた僕の一度目の終着点だ。全てのしがらみを断ち切って、一度僕の目標ボックスは空っぽになる。

 けれど、幸せへと続く旅路はまだまだ続いていく。空っぽになったボックスを満たす旅路だ。

 つないだ手を信じれば、もう二度と間違えることはない。

 

 足の裏に力を込めて、すっと蹴りだす。体が海流を切り裂いて、先へ先へと進んでいく。

 

 

 深い深い、蒼の世界へ。

 君が大好きで、僕もこれからたまらなく好きになる世界への中へ、ゆっくり、ゆっくり、飛び込んでいく。

 

 




『今日の座談会コーナー』

 二話前の座談会コーナーで語った通り、この結末にたどり着かせるかどうかは最後まで悩みました。けれど、作者は、「ひたむきな心で現実に向き合い、挑んだ生にはそれ相応の報酬があって当然」と思っているので、このような幸福な結末を与えることにしました。自分で生み出したキャラならなおのこと、幸せになって欲しいんです。
 ここで自己解釈の説明をしておきます。聡が持っているエナの才能を引き出したのは、やはりおじょしさまの残留思念ということになります。これに関しては、似た感情を持つ千夏を引きずり込んだ負い目の部分に起因しており、「千夏の幸せのために協力する」という思念が残した最後の置き土産ということになります。遥の視力が回復することも、あの時の千夏にとっては幸せになるために必要なことでしたから。

 アフター、どうしようかな。日常回をもうちょっと書きたくなるかもしれないので、一通りのアフターを作って、細かめのSSを以降投稿することになるかもしれません。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

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