凪のあすから~ heart is like a sea~【新装版】 作:白羽凪
~大吾side~
俺は、絵に描いたやんちゃ坊主だった。
本当は弱気な自分が嫌で、矯正するように、あるいは逃げるように、新しい仮面を自分で作り上げて、それをかぶっていた。
だから、少々厳しく人に当たることもあった。いじめなんてみっともない行為は嫌いだったけど、高圧的な対応はしていたかもしれない。
もちろん、そんな俺を丸裸にする存在もいた。
「大ちゃんさぁ・・・もっと素直になりなよ」
常にそいつはそう言い続けた。その意味を、俺は当分の間は理解できなかった。
それに、少なくともそいつの前では、すーちゃんの前では素直でいたつもりだったから、それで十分だと思っていた。
けれど、そんな表面的な世界は、一瞬で崩れ去る。
母親が倒れた一報を聞いたのは、俺が中学生になるその寸前の頃。
もとより体が弱い人間だということは知っていた。それでも、ずっと平気なふりをしていた母親に騙されて、俺は育っていた。
騙されて、俺はさんざん迷惑をかけていた。
それでも、根っこの気持ちはずっと変わっていなかった。母親という存在を俺は愛していたこと。
だから余計にそれが辛くて、ショックで、俺は殻に閉じこもるようになった。部屋の隅で丸くなって泣いていた。
今思えば、あの時前を向く強さがあれば、もう少し心は楽だったのかもしれない。
けれど、前を向いた先にいる、苦しみながら笑う母親を見ることを俺は嫌がった。ずっと苛む罪悪感がより一層大きくなっていった。
苦しかった。
全てが、苦しかった。
そうして迎えた手術前日、親父が鬼の形相で俺の部屋に殴りこんできた。
そして胸倉を掴むなり、とても重たいのを一発。
殴られた痛みより、驚きが勝った。少なくともここまで育てられてきて、一度も殴られたことなんてなかったから。
少なくとも、そういうことを嫌う父親だったから、だからこそ、驚いた。
そして、怒鳴られる。
「馬鹿野郎! 現実から逃げるんじゃねえ! お前には分かるだろ・・・! 本当に今苦しんでる人間が! それはお前じゃないことくらい・・・分かるだろ・・・!」
泣きそうな父親の声で、俺はようやく目覚めた。
本当に苦しんでいるのは、紛れもない母親だ。俺はいつの間にか、それから逃げなければいけないと思い込んで、苦しんでいたつもりでいたみたいだ。
殻が壊れる音がした。ようやく現実と向き合う覚悟が出来た。
そして手術当日。俺はようやく、母親の元を訪れた。
母親は俺が来ないものだと思い込んでいたのか、少し驚いた顔をして、それからすぐにいつもの笑顔で、ひどくやせ細ってしまった手で俺の頭を撫でた。
「来てくれたの。ありがとうね」
母は、ここに来てなお、いつも通りの母だった。いや、こんな時だからこそ、いつも通りでいようと思ったのだろう。
そして俺は、母親のその最期まで手を握り続けた。
しかし、それはあっけなく訪れる。
『手術失敗』
俺の母親の死因はそれだった。
憎んだ。
母の命を奪った、病院という機関を憎んだ。失敗した医者を憎んだ。しかし、一番憎むべき相手を、俺はちゃんと知ることが出来た。
だから殻に閉じこもることはしなかった。閉じこもってももう、母親が帰ってこないことは分かっていたから。
それでも、悔しさは募る。もっと早くに母親に寄り添えなかったこと、そして一つのミスのために、母親が死んでしまったこと。
医者を目指したのは、そこからだった。
勉強は苦ではなかった。悔しさを糧にする、とはよく言ったもので、なかなか俺の根気が折れることはなかった。
同じような悲しみを生みたくない。俺と同じように素直になれず、向き合う時間を得る事すら出来ないまま別れを迎える、なんてことをさせたくない。
だから惰性で生きることもやめた。変に強気な自分を演じることも、もうしなくなった。
本当は弱い自分の心に向きあうようになって、今の俺がいる。
だから今だって、逃げる気なんて微塵もない。
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~遥side~
大吾先生から語られる、過去の自分の話。
それはどこか離れた話に聞こえて、でも本質は俺とそっくりだった。
弱い自分を隠すために、偽った自分の仮面を取り憑けて、平気なふりをして。本当は、不安で不安で押しつぶされそうな心を持ちながら。
それを補足するように、大吾先生は珍しく弱音を吐いた。
「だから本当は不安で押しつぶされそうなんだよ。だからお前に電話をかけた。単純に何度の高い手術が強いられる。医者として生きてきて、一番だ。だからかな、自分の気持ちを整えたかったんだよ」
弱さを誰かに打ち明ける事、それは本当に強い人間の行動だ。
少なくとも、五年前の俺はそれを理解できなかった。最後まで心に壁を作って、最後まであいつらを遠ざけてしまった。
そして今もそれに悪戦苦闘している。だからこそ、今目の前の大吾先生は輝いて見えた。
「強いんですね」
「バカ、そんなんじゃねえよ」
電話越しに乾いた笑いが聞こえる。俺は笑えなかった。
それをすぐさま察してか、大吾先生はフォローを入れる。
「おっと、こんな話で気負うなよ。ただ一人のおっさんの愚痴だからな」
この人は、本当に鋭い。俺が弱気になりそうなタイミングを一番知っている人間だろう。
だから今度こそ、笑うことが出来た。
そしていつものように、軽口で言う。
「まだそんな年齢になってないですよ。それにはまだ貫禄が足りないです」
「あ?」
「大体、彼女の一人でも作ったらどうなんですか?」
「・・・なんかなぁ、病院にいたらそんな気にならないんだよ」
少し間が空いて、真剣に悩んでいる声が聞こえた。
そこで、俺の中に生まれた一つの確かめたいことを口にする。
「それって、鈴夏さんのことが頭の中に残ってるからですか?」
「ばっ・・・! お前なぁ、そういうことずけずけと言うのやめた方がいいぞ」
「実際の所、どうなんです?」
確信して、俺はさらに追及する。自分の気持ちに逃げないことを知っているこの人なら、ちゃんと思いを口にできるだろうから。
だから、奮い立ってほしい、そう思った。
好きの気持ちが遠ざかっていくことは、身が冷えるほど悲しいものだから。
「・・・なんだろうな。よくわかんねえんだよ。俺が思ってることそのものが。ただ・・・そうだな。あいつは、他とは違うように見えてる。それが恋かどうかなんて俺は知らないけどな」
「そうですか」
「第一、人の恋愛事情に首突っ込めるほど、お前自身も余裕はないだろ」
「先生、そのカウンターパンチは痛いのでここまでにしましょう」
「よし分かった」
根本的なことだ。俺が他人の恋愛事情に口出しできるなんてことはありえない。
それこそ、失敗に失敗を重ねてきて、ここまで好きの気持ちが絡んで成功したことなんて何一つない。それを理解しかねている俺がとやかく言うのはお門違いだろう。
一体全体、俺はなんてことを口走ったのだろう。
「・・・まあでも、連絡の一つ取ってみてやるとするか」
「それがいいでしょう」
笑い声が聞こえる。今度は乾いていない。
だから俺も、少し微笑むことが出来た。
「なあ、お前は」
「?」
「いや、なんでもない」
突然口を開いた大吾先生だったが、急にその言葉を取りやめた。俺は不思議に思いつつも、その話を流すことにした。
「とりあえずだ。今はお互い、目の前のことに集中しよう。俺は患者を助ける。お前は犯人を止める」
「はい」
「世間話の二つ目三つ目は、それが終わったらゆっくりするとしようや」
「今度は俺が患者じゃないといいですね」
「全くだ」
そうしてもう一度笑い合って、電話を切る。胸に涼しい風が吹いた気がした。
先ほどまで疲労感で重たくなっていた体が軽くなったように感じる。これなら作業もはかどるだろう。
人との会話には、そんな力もあるんだと、改めて思う。
だから俺はもっと、もっと、心を知りたい。
『今日の雑談コーナー』
前回のここら辺がはちゃめちゃすぎたので、電話の内容もすこしあっさりさせてみました。
今回のSSで、周りの人間関係や心情などもっともっと書きたいですね。
さて、迫りくる凪あす五周年までにこのSSは終わるのか。
終わらせたいですね。
といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。
また会おうね(定期)