凪のあすから~ heart is like a sea~【新装版】 作:白羽凪
~陽香side~
私の身体が生まれつき弱いことを聞いたのは、私が四歳の時だった。
その時の光景は、よく覚えている。お母さんに抱かれて、優しく頭を撫でられて、そして弱弱しい声で、ごめんねと言われていた。
私は、泣かなかった。
それがどういうことかを、その時の私はまだ理解してなかったから。
でも、その意味を理解した時も、私は泣かなかった。
お父さんも、お母さんも家の仕事に振り回されて、私の心配をする余裕がなかった。そんな私に芽生えた感情は、「心配してほしい」、ではなく、「心配をかけたくない」だった。
悲しまれたくなかった。初めて見たお母さんの辛そうな顔。あの顔を見るのは嫌だった。
だから、空元気を続けた。時折痛む体も無視して、上っ面の笑顔を貼り付けて、二人が心配しないよう私は生きた。
誰かが言う。私はお母さんのお姉さんに似てるって。
その人はやんちゃで、わんぱくで、そんな人らしい。
・・・私は、そんなのじゃない。
そうやって生きなきゃ、全てがダメになると思っていたから。私が、壊れてしまうから。
でも、病気はだんだんと身体を蝕んで、入退院を繰り返すようになった。そして今は、今までのどれよりもひどいレベルに達したみたい。
引き延ばす治療を続けていたある日、偶然、私は聞いてしまった。
私の手術と引き換えに、この病院の命運がかかってること。
しかもこの病院が助かるには、私が死ぬしかなくて・・・。
それを聞いた私は、笑ってた。
なんでかな? 嬉しいなんてことないのに、悲しいはずなのに。
泣けない。悲しめない。
そしてやっとわかった。
私、壊れちゃったんだ。とっくの昔に。
自分のことすら分からなくなって、誰のために生きてるのか分からなくて。
・・・心はもう、死んじゃってるんだ。
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それを抱えてもなお、私はいつも通り生きることにした。
今更何を言っても、私の呪われた人生は変わらないから、だったらせめて、最後まで他人に迷惑をかけないように生きたいと思った。
そうした中、私は診察室に呼ばれた。先生から大事な話がある、ってことらしい。
「・・・陽香ちゃん、今からいくつか聞きたいことがあるんだけど、大丈夫かな?」
いくつか聞きたいこと。
・・・うん、分かってる。手術のことだ。そして、今回の事件のこと。
私が死ぬしか、みんなが助かる方法はない。だから、それが口から発せられるのは容易いことだった。
「・・・いいよ、殺して」
「・・・なんだって?」
先生の顔が引きつってるのが分かった。それでも私はあふれるがままに言葉を紡ぐ。
「全部知ってるの。私の手術失敗しないと、この病院、爆破されちゃうんでしょ。私が、日野、陽香だから。それなら、わたしよりも多くの人を助けて。それでいいから」
「・・・」
先生はそれでも黙っている。やがて一つため息を吐くと、口の端を震えさせながら話し始めた。
「言いたいことは、それだけか・・・?」
「?」
私が首を傾げた瞬間、先生は力任せに右手を机に目一杯たたきつけた。
「舐めてんじゃねえぞクソガキが!!」
「!!」
予想もしていなかった怒鳴り声が診察室に響く。私が萎縮していることに関係なく、先生は続けた。
「私は死んでもいいと思ってるだ? ふざけたことを言うんじゃねえ!! 心臓動いてる人間は俺たち医者の守るべき対象なんだよ!」
「え、あと・・・」
「お前が言うのは楽だけどな、手術を失敗するってどういうことか分かるか? お前は俺に、人殺しになれって言ってるんだよ! ・・・受け入れられるか、そんなもん・・・!」
それから少しだけ口調を落として、先生は続けた。
「・・・自分を犠牲にして誰かを助けようとするバカはよく見てきたけどよ・・・。それで命を捨てるってのは、絶対にやってはいけないことなんだよ。俺は人殺しになる、お前は命を落とす。それで残された人間は幸せです、って言えるか? 違うだろ?」
「でもっ・・・わ、私が死なないと・・・この病院は」
決まっていた覚悟のはずなのに、頭の中がぐちゃぐちゃになっていく。
私はどうしたい? 私は生きてていいの? こんな・・・心が死に絶えている私が・・・。
・・・嫌だ、死にたくない。
そう思った時、久方ぶりに頬に雫が伝った。その時、私の頭に温かく大きな手が置かれる。
「死ぬことが怖い、今、そう思ったか?」
「・・・うん」
「死にたくなんて、ないだろ?」
「・・・・・・うん」
やっと、言葉に出来た。
本当の私が、そこにいた。
「だから、俺たちは誰一人不幸せにならない道を進もうとしてるんだよ。お前のことを、病院をどうにかしようと自分を犠牲にしてでも頑張ろうとしている馬鹿がいるんだよ。他人を助けることに夢中になり過ぎて、一番大事なことを見逃しがちになって。それでもあいつは、やろうとしてる」
「・・・遥お兄ちゃん?」
「そう。あいつだよ」
「そうなんだ・・・」
私にとってのあの人は、太陽みたいなものだった。
あの人がいたから、私はこの退屈な入院生活も楽しいと思えた。元気に過ごせた。
太陽がいなければ、陽の香はしない。
あの人は陽の当たる場所を作ってくれようとしているのに、そんなあの人の気持ちにすら、私は気づかないままだったんだ。
・・・やっぱり、生きたい。
私だって、幸せになりたい。
だから・・・助けて。
涙の粒は次第に大きくなる。無数に零れ落ちるそれを私は止めることをしなかった。
先生はやれやれと首を振って、これまでで一番優しい声で私に言った。
「生きたいと思うのは当たり前の事なんだよ。それを遠慮することも、諦めることも必要ない。大丈夫、お前の心はまだ死んじゃいない。だからさ、ちゃんと言い続けてみろよ。生きたい、って」
私は涙ながらに首を縦に振る。
「先生・・・手術を、成功させてください」
「・・・おう、任せとけ」
先生は曇り気ない笑顔で、私に答えた。
後の私にできることは、全てを信じることと、生きたいと願う事、それだけだった。
---
病室へ戻る。
いつも静かな病室が、今日はいつにもまして静かだった。けど、その静寂すら、今は心地よく思えた。
その時、私の病室のドアが開く。その人は優しい声で、私の名前を読んだ。
「陽香」
「おかあ、さん・・・?」
もうずいぶんと会ってなかった気がする。懐かしいとも思えた。その人を前にして、私はそれ以外の何も言えなかった。
「ごめんね・・・。もっと、もっと早くから、こうするべきだった」
私より先にお母さんが泣き出しそうな顔でそう呟く。だから私は泣かないって決めた。
大丈夫だよ、と、ちゃんとそう伝えるために。
「・・・ううん。私は大丈夫。みんな信じてるから。きっと、全部うまくいくから」
「うん。・・・お母さんもね、信じてる」
「それより、仕事はいいの?」
「それよりもしなきゃいけない仕事は、お母さんとして陽香の傍にいること。違う?」
「・・・ううん、そうしてくれると、嬉しい」
選択は間違えたくなかった。
自分のことを思ってくれている人のことを、裏切りたくはない。
それからお母さんは私の手を握った。久方ぶりに、誰かのぬくもりに触れた気がする。
それはやっぱり暖かくて、泣きそうになる。
そしてようやく、私は全ての感情を理解できた。
私、やっぱり生きていたいんだ。
『今日の座談会コーナー』
今回は前作からサブタイトル変更なしでお届けしました。だいぶ気に入ってるんですよねこのサブタイトル。
凪のあすから本編とはほとんどと言っていいほど関係ないこのパートは、だいぶ作者自身の力量を試されるところだと思うんですよね。
どうでしょうか、前作と比べて少しは成長しているといいんですけどね。
といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。
また会おうね(定期)