凪のあすから~ heart is like a sea~【新装版】   作:白羽凪

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特になし。


第九十二話 もう、どこにも

~遥side~

 

 言われた言葉を、俺は自分の心の中で何度も反芻した。

 けれど、それを信じたくなくて、俺はあろうことか目の前の少女にもう一度尋ねた。

 

「えっと・・・今、なんて?」

 

「だから、誰なんですか? あなたは。私・・・会ったことありましたか?」

 

 今度は確実に、それが耳を通して体内に入ってくる。

 

 間違いない。目の前の水瀬の記憶から、俺という存在は完全に消え去っている。

 あれだけ傍にいながら、その記憶の中に俺はもう、存在しない。

 

 俺の中で何かが壊れる音がした。先ほど入ったヒビは、その大きさを増して、いよいよそれを砕くに至った。

 

 そうか・・・これが、現実か。

 ・・・残酷な、もんだよな。

 

「・・・ははっ、そう、だよな」

 

「遥・・・」

 

「・・・悪い、放っておいてくれ。俺は今きっと、ここにいるべき人間じゃない」

 

「ねえ待って、話を」

 

「来るなって・・・!」

 

 それから俺はふらつく体を携えて、その場から逃げるように走り去った。それがどれだけみっともない姿か、なんてものはもはやどうでもいい。俺は、ここに存在するべき人間じゃないから。

 

「遥、待ってって!」

 

「来ないでくれ! ・・・今、水瀬の元を離れたら誰があいつのことを見るんだよ。俺には出来ないぞ。・・・あいつに忘れ去られた俺なんかじゃ」

 

「そんなこと・・・」

 

「お世辞は言わないでくれ。優しい嘘ならなおのことだ。・・・それを言って、あいつの記憶が戻るのかよ。答えが、変わるのかよ・・・!」

 

「・・・」

 

 美海は黙り込む。立ち止まって、俯く。それを後目にして、俺は情けない姿のままでその場からどんどんと離れていった。

 歩く。今日はやけに体が重たい。そうか、さっきまで、昨日まで頑張っていたもんな。

 でも、それが報われないんじゃ・・・もう、生きてる意味なんてない。全ての期待を背負ったまま生きることなんて、俺には出来やしない。

 

 はっ・・・いっそ死んでしまおうか。

 

 そんなことを思って、誰もいない道をただ歩いていく。

 歩く、行くあてなんてないまま。

 歩く、たどり着く答えなどないまま。

 

 今日はやけに、雪が冷たい。

 

 

---

 

 海から結構離れただろう。先ほどまでしんしんと降り積もっていた雪はいつの間にか強さを増して、今にも吹雪になろうとしていた。

 身体はどんどんと冷えていく。そういえば、エナも潤してないんだっけ。

 

 俺は、どこに行けばいいんだろうな。

 

 この足で水瀬家に戻る? そんなことは出来ない。あの二人が第一に待っているのは実の娘である水瀬本人であって、偽りの器の俺なんかじゃない。

 至さんのところに行ったってそうだ。あの人にもあの人の家族があって、それは俺じゃない。

 街の家はどうだ? ・・・きっとこの吹雪じゃ電車は止まってしまっているだろう。今すぐには帰れないし歩いて帰ることも険しい。

 

 そうか。・・・あの日家族を失ってから、俺の本当に帰る場所なんてないんだ。

 

 立ち止まりたくなるほど絶望の現実。それでも俺は歩き続けた。本当に馬鹿だ。水が染み込んで足が少し軋む。身体もいよいよ重たくなって、一歩の大きさはどんどん小さくなっていく。

 

「・・・なんで、こうなんだよ」

 

 そして俺の身体は倒れこむ。いよいよ限界が訪れてしまったみたいだ。

 ここなら・・・誰にも見つかることはないだろう。きっと見つけられる頃には、死んでしまうかもしれない。

 けどもう・・・それも、いいかもな。

 

 遠くに、懐かしい場所が見える。

 あそこは、父さんが、母さんを刺した場所だったっけ。

 

 そこで俺も死ぬなら・・・それもまた、運命なのかな。

 父さん、母さん。

 

 今から俺も、そっちへ行くよ・・・。

 

---

 

~美海side~

 

 遥の背中が、だんだんと遠ざかっていく。その背中を私は追うことが出来なかった。遥のいう事が、何一つ間違いなかったから。

 今、どんな励ましの言葉を遥にぶつけたとしても、それは届くことはない。五年前のあの日とは違う。

 

 千夏ちゃんの記憶から遥が消えてしまったという事は、それは遥が大切なものを失ってしまったことと変わりはない。

 明確に失ったと分かった遥の絶望は、私には計り知れない。

 

 けど・・・少なくとも今の私には使命がある。

 千夏ちゃんをどうこうできるのは私しかないから。

 

「千夏ちゃん、家、帰ろ。立てる?」

 

「え、あ・・・うん。ねえ、さっきの人は?」

 

「大丈夫だから、気にしないで」

 

「そう・・・。美海ちゃん、大きくなったね」

 

 さっきから、一つ一つの言葉が胸に刺さって痛い。

 遥のことを忘れてしまって、そして空白を抱えたまま五年の月日が経って。

 だから私はなんて言えばいいのか言葉に詰まって仕方がなかった。

 

 千夏ちゃんの言葉になんて返せばいいか分からない。

 五年経ったから? 違う。

 何を覚えてる? 違う。

 

 私に返せる答えは、あいまいなものしかなかった。

 

「うん、いろいろあったから」

 

 今は多分これでいいのかもしれない。頭から色々なことを伝えてしまうとパンクしてしまうのは、光のことで身をもって知った。

 

 それから無言で千夏ちゃんを家へと送り届けた。

 千夏ちゃん自体も体力がまだ完全に回復していないのか、少しまだ気だるそうに歩いていた。それが少しだけ、今はほんの少しだけ、幸いした。

 

 家に辿り着いて、インターホンを鳴らす。ドアの向こうから顔をのぞかせたのは、千夏ちゃんのお母さんだった。

 

「あら、いらっしゃい美海ちゃん。・・・え?」

 

 その視界に、私の隣にいる千夏ちゃんが映ったのだろう。たちまち千夏ちゃんのお母さんは膝から崩れ落ち、やがてとめどなく涙を流し始めた。

 

「ただいま、お母さん」

 

 少しだけ困ったような笑顔を浮かべて、千夏ちゃんは答える。その笑顔が眩しくて、だからこそ、とても胸が痛い。その笑顔の中に、遥がいないと思うと・・・。

 

 一連のやり取りが聞こえたのか、奥から千夏ちゃんのお父さんが出てくる。

 

「千夏・・・」

 

 その顔は驚きと、嬉しさの感情で滲んでいた。

 

「・・・外は寒いだろうから、入ったらどうだ。美海ちゃんも」

 

「・・・おじゃまします」

 

 遥のことが心配なのは間違いないけど、だからこそ全てを混乱させてこの場を去ることが一番悪手だろうと私は判断した。きっと、遥ならそうするから。

 ちゃんと、伝えるべきことを伝えて、それから追わないと。

 

 改めて、私は千夏ちゃんに大切なことを伝えた。

 

「さっきは色々って言ったんだけどね・・・千夏ちゃんが眠ってしまって、五年が経ったの。だから、私は今中学二年生で、千夏ちゃんと同い年」

 

「そっか、だから大きくなったんだね。・・・私の言う昨日が、五年前なんだ」

 

「ねぇ、千夏ちゃん。その五年前の事、どれだけ覚えてる?」

 

「・・・最後にお舟引きをしたような、そんな記憶はあるけど・・・、でも、なんか思い出せないの。まだ体が疲れてるのかな」

 

 

「千夏、疲れているなら無理しなくていいんだぞ」

 

「うん、そうだよね」

 

「部屋の準備は出来てるから、いつでもいいわよ」

 

 千夏ちゃんのお父さんからの勧告に従って、千夏ちゃんは自分の部屋に下がることにした。ちゃんと全て回復した状態じゃないと、千夏ちゃんも疲れるだけだ。

 

 それから千夏ちゃんと千夏ちゃんのお母さんが部屋へと消えていった。ここぞとばかりに、千夏ちゃんのお父さんは切り出した。

 

「千夏は、大丈夫なのか?」

 

「私には分かりません」

 

 なんていうけど、大丈夫なんかじゃないのは分かっている。だって、あれだけ好きでいた人の存在を忘れてしまっているのだから。

 それは傍から見れば、とても悲しいもので。

 

 これじゃ、フェアに戦う、なんて・・・。

 

「ところで、遥くんは? 連絡したんだろう?」

 

「・・・あ、えっと・・・」

 

 返答に困る。そしてその時、私の頬を涙が伝いだした。全ての悲しい現実に、私自身耐えきることが出来なかった。

 

「・・・遥は」

 

「なんで泣いてるんだ?」

 

「千夏ちゃん・・・遥の事・・・全て忘れちゃったんです」

 

「・・・なんだって?」

 

「だから今も・・・どこかに行って・・・遥、もうここには帰ってこないかもしれなくて・・・!」

 

「・・・追おうと、してるのか?」

 

「今すぐにでも行かないと、遥は・・・!」

 

「分かった。こっちのことは、俺に任せてくれ。・・・大丈夫、いかなる事情があっても、俺たちは遥くんの味方でいるつもりだ。・・・ちゃんと全ての整理が着いたら、また帰ってきてほしいと、どこかで伝えておいてくれ」

 

「はい」

 

 私は短く返事をして、すぐに千夏ちゃんの家を出た。この時間の中で遥はどんどんとどこかへ進んでしまっているだろう。それが遠くなればなるほど、私の手は届かなくなる。

 

 今逃げちゃったら、私は絶対に後悔する。

 だから、何があっても逃げない。絶対に遥のことを見つけて、その傍にいたい。それが今私にできることだから。

 

---

 

 そうして遥を探す。足跡も雪に埋もれて、どこに行ったかの痕跡さえ残っていない。溶けた雪が靴に染み込んで冷たいけど、そんなことなんてもう気にならない。それよりも、今は遥だけを私は見ていた。

 

「おい美海! どこ行ってたんだよ!」

 

 見知った声が聞こえてくる。光だ。どうやら私を探しているみたいだった。

 

「ごめん、色々あって」

 

「ったく・・・朝飯までに戻るって約束したんだろ? さっさと帰らねえと」

 

「それどころじゃないの! ・・・遥が」

 

「・・・なんか、あったのか?」

 

 うっかりと口が滑り、遥の身に何かあったことを光に伝えてしまった。光も少しばかり動揺した表情で、私に問いかける。

 

「あいつ、今街に戻ってるんじゃなかったんのか?」

 

「そうなんだけど・・・そうじゃなくて・・・!」

 

「・・・ったく、面倒なことになってそうなんだな」

 

 光は何かを察したように、はぁ、と一つため息を吐いた。

 

「・・・あかりには俺が上手く言っとく。けどその代わりちゃんと終わらせて帰って来いよ?」

 

「うん、ありがと」

 

 こんな思いやりが出来るようになっているとは思っていなかっただけに少し驚いたけど、それより今はそうしてくれたことのありがたさが勝った。

 私は全力で遥を探す。

 

 

 たどり着いたのは、鷲大師から随分と離れた場所。

 こんなところにいるはずもない。けれど、街中にはいなかったんだからここに来るしかなかった。

 

「どこなの・・・遥」

 

 また泣きそうになる。吹雪はより一層強さを増して襲い掛かってくる。

 そして視界を奪われそうになった時、その視線の先にそれは映った。

 

「はる、か・・・?」

 

 もう随分とその場所で倒れていたのか、雪が体の上に積もっている。

 そして・・・息をしていない。

 

 

 でも、そこにいるのが遥であることに間違いはなかった。




『今日の座談会コーナー』

 前作で一番好きな回の候補の一つにこの回がありますね。だからこそ膨らませたいなと思っていたので前作にはなかった一幕も入れてみました。
 さて、ここからですが随分と大きく動くと思います。前作とは違った未来になるかもしれないのでお楽しみにしておいてください。

 といったところで、今回はこの辺で。
 感想、評価等お待ちしております。

 また会おうね(定期)
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