凪のあすから~ heart is like a sea~【新装版】 作:白羽凪
~遥side~
次に目が覚めた時は潮留家だった。記憶がおぼろげだが、どうやらちゃんとたどり着けたみたいだ。
隣では美海がうとうととしながら俺の傍に座っていた。俺が起きるのをずっと待ってくれたみたいだ。
「・・・ん、遥、起きたの?」
「まあ、な」
「体調は? 動ける?」
「さっきまでよりは随分といいよ。・・・さすがに本調子には程遠いだろうけど」
「そう」
それに今は、体調なんかよりもっと問題がある。
心が、恐ろしいほどに軽い。悩みがないなんてものじゃない。簡単に言えばこれは空虚だった。何も考えれない。考えようとしてももやがかかり、邪魔をされる。何をするにももう心が空っぽになっていた。
死に体とは思わない。けれど生きる気力もない。あれだけ美海に言われても、魂が震えることはなかった。
「・・・大丈夫?」
「大丈夫・・・なはずなんだけどな。・・・何もないんだよ」
「え?」
「何も湧いてこないんだ。これからどうしたい、だとか、何のために生きればいい、だとか、何も分かんないんだ。もちろん、死にたいってわけじゃない。・・・けど明日からのことが、何も考えれない」
「・・・いいんじゃないかな、それで」
美海は困ったような顔をしながら微笑んだ。その言葉の真意が分からずに、俺はただ見つめ続ける。
「疲れたなら休めばいい。それこそ、遥は私の知らないところでずっと頑張っていたでしょ? 毎日頑張らなくていい。それを責める人なんていないし、いるなら私が許さない。何かやりたいことを探すために生きるのは間違いじゃないよ」
「・・・焦りすぎてた、のか?」
「どっちかというと、抱えすぎ、なのかもね」
ああ、間違いないだろう。俺はまた、見えないところで一人で多くのものを抱え込みすぎていたみたいだ。
誰かを頼ることが怖いとかそういう訳ではない。ただ・・・迷惑をかけたくなかっただけなんだ。
その報いが、記憶から消されたことなのかもしれないけど。
「・・・だから、遥がどうしたいか決まるまで私は付き添うし、この家に住んでほしい。ちゃんと答えが決まったら、その時にまた言ってほしい」
「・・・とりあえず今は、甘えさせてもらうよ」
「うん、わかった」
どのみち、翼の折れた鳥だ。羽ばたくまでは時間がかかるだろう。
「・・・」
「どうしたの? 遥」
ふと、俺の目線は美海の手にいっていた。小さく可愛げな、けれど姉としての優しさと強さを持った手だ。五年前にはどうだっただろうか。こんなに頼りのあるものだっただろうか。
「美海、成長したな」
「・・・遥のお陰だよ」
そう言って美海は少し俯いた。嬉しそうにしている様子は傍からでも分かる。
・・・そうか、俺のおかげか。
面と向かってそう言われたことが何度あっただろうか。でも、今は、今ばかりはこの瞬間のその言葉が一番うれしかった。
そこに、俺が生きた意味の欠片があるから。
「・・・というか、私そろそろ学校行かないとだね。流石に遅刻になっちゃうけど、サボりはしないって決めたからね」
「えらいな」
「遥はちょくちょくサボってたんだっけ?」
「まあ、気分屋だったからな。少なくとも五年前は」
「そっか。また何かあったら言ってね。・・・大丈夫だから」
それから美海は自分の部屋に戻って身支度を始めた。数分して玄関の扉が開く音が聞こえる。
一人になったかと思うと、今度は足音が一つ俺のいる部屋に近づいてきた。あかりさんみたいだ。
「あかりさん」
「目、覚めたんだね。調子はどう?」
「おかげさまで、だいぶマシになりましたよ。それより、晃は?」
「庭で一人かけっこしてる。元気なもんだねぇ子供って」
「光も好きだったでしょ、ああいうの」
「そうだったね。・・・ね、ちょいと雑談、いいかな」
「断ってもするでしょう?」
前に一度居候していたもんだから、この人の性格がどんなものかはある程度分かっている。俺は一つため息を吐いて、どうぞ座ってくださいと目線をやった。
その場に座り込むなり、あかりさんは会話を切り出す。
「同じ屋根の下でこうやって二人きりで話すの、何年ぶりだろうね」
「俺がまだ小学生の頃でしたっけ。もうずいぶんと懐かしいですね」
「遥くんの両親が海から出て行って、それから私たちの家に来て。・・・嫌じゃなかった?」
その一言に、俺は眉を顰めた。
「・・・なんで、そう思うんですか?」
確かに、俺は海に反発する面をあの頃から少し持っていたのかもしれない。けれど、あの家に厄介になる事を選んだのは俺自身であり、あの家で過ごした日々も、決して悪いものなんかじゃなかった。
「時々ね、虚ろな目をしてたんだよ、遥くんは」
「あの頃から、ですか?」
「うん、あの頃から。それこそ今ほどじゃないから、私以外の誰も気が付かなかったみたいだけど。だから、時々不安になってたんだ」
「とんでもないですよ。・・・きっとそれは俺の心の弱さのせいで、あの家にいたから、なんてことはないです。あかりさんの作るご飯も美味しかったですし」
「あはは、ありがとうね。・・・それでも、少しうまくなった気でいる今でも、みをりさんには叶わないんだろうなぁ」
「えぇ、叶いませんね」
「はっきり言うなぁ・・・。でも、だから頑張れるんだけどね」
下手な言葉より、きっとこう言った方がお互いの為なんだ。それに、俺自身の届かない壁でもあるから。
「・・・千夏ちゃんのこと、災難だったね」
突拍子に、あかりさんは話題を切り替える。きっとこの話をするつもりで来たんだろう。分かっているから、特に取り乱すこともしない。
「当然の報いなんでしょう。多分、俺には」
「そうやって、自分を傷つけて・・・辛くないの?」
「もう辛いかどうかなんて分からないですよ。ずっと、こうしてきたんですから」
これまでの失敗を全て自分のせいだと決めつけてきた。そうやって人生を送ってきた今、俺に出せる答えなんてあるのだろうか。
・・・馬鹿だよな。これだけ歳をとって、何一つ成長できてないんだから。
「冬眠してもしなくても、人って変わんないね」
「なんですか藪から棒に」
「変わんないならさ、辿ってきた道繰り返すことだってできるのかもね」
「・・・そんなこと、過去に戻る力でもない限り完璧には無理ですよ」
「あはは、そうだね」
この人が何を思ってこんなことを言ったのか、俺には分からなかった。
それを考えるだけの力も、きっと今の俺にはない。
「・・・ね、遥くん。助けたいって思っちゃ、いけない?」
「?」
「美海も言ったと思うけどさ、私も今の遥くん心配なんだ。こんな状態で水瀬家に帰るってことをさせたくないし、遥くん自身のメリットにならないって思っちゃってるの。まあ、こればかりは私の勝手だけどね」
あかりさんの言葉が身に染みて、俺は笑ってしまった。
「笑うところ、あった?」
「いや。・・・やっぱり親子なんだなぁって思いました」
「美海に先越されちゃってたかー」
そう口にするあかりさんは嬉しそうだった。
それはそうだろう。五年前ずっと口にしていた願いだから。美海の母親になりたいという夢を、現在進行形で叶えることが出来ているのだから。嬉しくないはずなんてない。
「というわけで遥くんさえよかったら、うちに身を寄せてもらいたいんだけど、どうかな?」
「そうさせてください。今が、一番自分を見つめることが出来るはずなんで」
「うん、わかった。荷物とか大丈夫かな?」
「駅のロッカーに置いてあるんで体調が優れるようになったら取りに行きますよ」
「あー、多分ダメだと思うけど、ここ数日何があったとかってのは教えてもらえるかな?」
「・・・すみません、流石に」
あの事件のことは外に言いふらすなと警察からも釘を刺されている。流石に個人情報も関わっているし、他言は出来ないだろう。例えそれが美海であっても。
「そっか。それなりの事情があるんだね、分かった」
「すみません」
「いいのいいの。それじゃ、また何かあったら声かけてね。できることならなんでもするから」
それっきりあかりさんはキッチンの方へと戻った。俺は起こした身体を布団に倒してため息を一つ吐く。
意識もはっきりとして、脳もようやく正常に回るようになってきた。だからこそ、苦しい。突き付けられた絶望と向き合うには、まだ時間がかかりそうだった。
「・・・これからの自分、か」
生きる意味。それすら分からない今は、ここで動けないままでいよう。そうしたらきっと、何か見つかるかもしれないから。
『今日の座談会コーナー』
前作にはなかったよわよわ遥をもう少し前面に出したいななんて思って今作を書いています。いやー、楽しいですね。何かに追われるでもなく、完結を急いでいるわけでもないので、ゆっくりと楽しみながら今作を書こうと思います。
とは言えども、この有り余った時間も有限ですからね。これが社会人になろうものならいよいよ小説なんて書く暇がないので。
といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。
また会おうね(定期)