凪のあすから~ heart is like a sea~【新装版】 作:白羽凪
~遥side~
翌日朝いちばん、約束のとおりに俺は水瀬家に戻った。
最後に潮留家の扉を開いた際の足の震えは忘れられない。いまだに俺は水瀬に会うことを怖がっていた。
けれど、自分で決めた道に後悔はしないと、一歩を強く踏み出した。
水瀬家の玄関前にたどり着くと、保さんがそこで待っていた。
一応、あれからしばらく潮留家の厄介になる旨は伝えていたが、今こうして対面してみるとやはり言葉が出てこない。この人に、夏帆さんに大きな迷惑をかけたのは事実だったから。
それでも、この人は優しかった。
「・・・よく、帰ってきてくれたな」
「すみません、長い事待たせてしまって」
「記憶の件についてはその・・・何と言えばいいか」
「いいんです。保さんが責任を感じる必要はありません。誰も悪くなんてないんです。誰も・・・」
もし誰かが悪いとするならばきっとそれは、そういう運命を強いた世界、もしくは神だろう。
「あれから、水瀬の調子はどうなんですか?」
「ああ、順調にこれまで通りの生活を取り戻してる。今日から学校にも合流するつもりだ」
「元気そうでよかったです」
「それよりも遥くんだ。・・・君は、大丈夫なのか?」
「・・・それなりの覚悟はして戻ってきましたよ。その覚悟が出来るまで、ずいぶんと時間がかかっちゃいましたけど」
「無理もないだろう。自分一人が記憶から消えてるなんて、俺でも耐えられん」
記憶から、消えている。
保さんが言うには、やはり水瀬は俺のことを何一つ覚えていないようだった。どうやら、自分が眠るまでの記憶は覚えているものの、その生活に俺という存在がなかったことになっているらしい。思い出そうとすると、靄がかかって分からなくなる、というみたいだ。
「・・・だから、俺は一旦諦めます。諦めて、また一から始めようと思って、ここに帰ってきました」
「そうか。・・・大丈夫、俺たちは絶対に君のことを忘れたりはしない」
信じよう。
信じれるか、そうでないか、じゃなく、信じたい。この人のことを。
「立ち話もなんだ。入ってくれ。そもそも、君は休暇中なんだろう?」
「そうですね。まあ、もうずいぶんと時間を消費しちゃいましたけど」
水瀬の一件、そしてこの間の病院騒動、様々なことで俺の休暇は潰えてしまった。ここにいれる時間ももう、そう長くないかもしれない。
けど海の目覚めの波動が近づいている今、そう簡単にこの場所を立ち退きたくはなかった。
促されて家の中に入る。
俺が視認できたかと思うと、珍しく夏帆さんは駆け寄ってきた。
「・・・本当に、無事でよかった」
こういう時、なんて言えばいいのだろう。俺は一瞬踏みとどまる。
すみません、と謝ることでもない。待っていてくれたことを感謝するありがとうでもない。
帰るべき家に帰って一番最初にいう事は決まっている。
「・・・ただいま、帰ってきました」
そう、これだけでいい。少なくとも、家族である今は。
「さてと、遥くんも帰ってきたことだし、俺はそろそろ仕事に行くとしようか」
「行ってらっしゃい」
夏帆さんに見送られて、保さんは仕事に向かった。部屋の中には夏帆さんと俺だけが残っている。
「・・・さて、二人きりになったね」
「そうですね」
「それで、いろいろ話したいことがあるんだけどね」
いつになく、夏帆さんの顔色は真剣なものだった。ここまでの表情は過去に見たことすらない。俺はまっすぐな眼差しでそれに応えた。
「まずは、一つだけ怒らせて。・・・本当に、無茶しすぎ」
「すみません」
「私が怒ってるのは千夏の事だけじゃない。・・・その前に何をしてたか、私ようやく知ったの」
「・・・」
冷静になって考えてみると、夏帆さんも病院で勤務している人だ。いつあの事件の情報が出てもおかしくない身分の人間だったことに今更気づく。
「ある患者の両親への憎悪による病院爆破予告。・・・それこそ、予告日に私は出勤じゃなかったけど、この間すべての真相を知ったよ」
「返す言葉もないです」
「・・・なんで、自分で背負おうとしたの?」
「守りたい子がいたから、それだけです」
「遥くんは優しいから、そう言うと思った。けど、これは結果論ありきの英雄なんだよ? その行動を、命を預かっている母親代わりの身としては認めることは出来ないよ」
「・・・」
複雑な感情が入り乱れている。
俺が頑張ってきたことを認められたくもあった。けど、この人は本気で俺のことを心配している。他人のために自分が犠牲になる必要はないだろうと釘を刺している。その狭間で揺れ動いているからこそ、俺は何も言えなかった。
「終わったことだから、何も言えないんだけどね。・・・でも、それで遥くんがいなくなっちゃうのは、私は絶対に納得していない。消えていい命なんて、ないんだから」
「・・・分かってます」
「それと、千夏のことは、なんて言えばいいか分かんないけど・・・帰ってきてくれて、ありがとう」
「礼なんていらないですよ。今はここが、俺の帰る場所なんですから」
五年前のあの日からずっとこの場所はそういうところだ。俺が真の意味で独立するまで。
「・・・なんか、不思議な人生だね」
「不思議、ですか?」
確かに、思っていることの斜め上の事ばかり起こる毎日だ。言われてみればそうかもしれない。
「保さんと、千夏と、三人だった家族。そのままで生きると思っていたのに、遥くんが私たちの生活の一部になって、今度は千夏がいなくなって、帰ってきたら今度は遥くんがいなくなって」
「不思議っていうよりは、波乱万丈?」
「そうかもね。・・・そんな毎日だからこそ、生きてる実感があるんだよね」
夏帆さんは神妙な顔で一度頷いた。
確かに、変化のない日々は幸せかもしれないが、変化があるからこそ生まれる感情があるのも事実だ。それを幸せと呼ぶことだってできる。
「ね、遥くん」
「?」
「私たちと過ごしたこと、後悔してない?」
急に発せられる、刃のような鋭い一言。
そして瞬時に、俺はこの人が何を思っているのか理解した。
近づいていると感じているのだろう。これまでの日々の終焉が。
「後悔なんて、あるはずないですよ。・・・ここじゃなかったら、俺はここまで成長できませんでした」
「・・・そっか」
「それに、本当の別れが来たとしても、ここにいたことは絶対に忘れませんから」
それは誓いのように。
俺は前だけ見据えてこの言葉を口にした。
夏帆さんは満足そうな表情をして、立ち上がった。
「それなら、いいかな」
それから夏帆さんはキッチンの方へ消えていった。俺は自分の部屋として使わせて貰っていた客間に荷物を送りこみ、その場に仰向けに寝転んだ。
ここに来ると、ようやく一息つける。そして思う。
俺の帰る場所は、やっぱりここなんだと。
『今日の座談会コーナー』
冷静になって考えてみれば、夏帆さん病院勤務の設定だったんですよね。看護学校プラスアルファで病院に行っているちさきならともかく、本職となると事件のことを知ってても不思議じゃないなと思ったので今回書き足してみました。
という幕間の物語。こういった保管をこれ以降もどんどんとして生きたいですね。
といったところで、今回はこの辺で。
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また会おうね(定期)