凪のあすから~ heart is like a sea~【新装版】   作:白羽凪

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別作品をしたせいで名残引きずりまくり定期。


第九十九話 いつか終わる日

~遥side~

 

 それから夕方になって、学校を終えた水瀬が帰って来る。そこでばったり会ったのか、保さんも一緒だった。

 そんな水瀬は俺を見るなり、あっ、と声を上げた。なんて言われるのかと俺は身構える。

 

「あの・・・どこかで、お会いしましたよね?」

 

「えっとまあ・・・そう、ですね」

 

 歯切れの悪い返事しか出来ない。距離を見定めるために、今は自分を上手に偽るしかなかった。

 

「千夏には紹介してなかったな。島波遥くん、家の遠い親戚の子なんだ」

 

「初めまして、ってことでいいのかな」

 

 保さんはアイコンタクトを飛ばしてくる。この人は臨機応変に対応するのがやっぱり上手だ。

 

「水瀬千夏です。その、遥さん、でいいですか?」

 

「いや、せっかく同じ屋根の下で住むことになるんだし、ため口でいいよ。その・・・堅苦しいの、得意じゃないんだ」

 

「う、ん・・・分かっ・・・た」

 

 ぎこちなく、水瀬はそう言った。これはまた、慣れるのに随分と時間を要しそうだ。だから、俺はどうにか爪痕を残そうと、一歩踏み出す。

 

「俺も、千夏、って呼んでいいか?」

 

「・・・いい、けど」

 

 拒否されなかったことにひとまずは安堵する。とにかく、今は一つ一つ足場を作っていくしかない。行き場のない海を渡っていくために。

 

「ごはん出来てますよ、入ってください」

 

 言葉が行き詰まった時、奥から夏帆さんが出てきた。俺はその助け船に甘えてリビングへと向かった。今はまだ、千夏と真正面から向き合うことは難しい。

 

---

 

 それから食事を終える。結局食事中は何も話すことが出来ないまま、千夏は自分の部屋へと戻っていった。一つため息を吐いたところで、保さんと目が合う。

 俺は何も言わないまま、おもむろに立ち上がり縁側に向かう仕草を見せた。この人の仕草なら、もう言葉を介さずとも伝わる。

 

 俺は一人庭に出て、空を見上げた。

 あまり考えないようにしてきた月日の長さが、今身に染みて伝わってくる。

 

 五年。

 千夏が与えられるはずだった愛を、俺が受け取った時間の長さ。

 

 ・・・長すぎるだろ。

 

 それが申し訳なくて苦しくて、俺はまた泣きそうになる。誰が悪いわけでもない。運命は残酷だ。

 それにもう、千夏の記憶が戻ることはないはずだ。俺という思い出もなかったことになる。受け入れたつもりのそれでも、辛いものは辛かった。

 

「遥くん、大丈夫か?」

 

「っ・・・何が、ですか? 俺は大丈夫ですよ」

 

 背中の方から声を掛けられる。保さんが出てきたようだった。

 

「一週間、どうだった?」

 

「・・・辛かったですよ。現実に向き合いたくなかった。忘れられたのなら、もういっそその事実に納得して、諦めてしまいたかった。・・・でも、したくなかったんです」

 

「何を、だ?」

 

「この場所を・・・裏切りたくなかったんです。五年間ずっと見てきてもらってあいつに忘れられたからはいさよなら、なんてしたくなかったんです」

 

「そうか・・・そう思ってくれているのなら、俺は嬉しい」

 

 そして混じりけのない笑顔。この人の言葉に万に一つも嘘はなかった。

 

「それと、君に一つまだ言い忘れてたことがあってな」

 

「なんですか?」

 

「千夏の病気の話なんだ」

 

 眉の端がピクリと動く。

 水瀬はもともと生まれつき体の弱い人間で、よく俺といる時も体調を崩すことがあった。その病気が今になって、どうなったというのだろうか。

 まさか、この異変のせいで・・・。

 

「この異変のせいで、悪化したんですか・・・!?」

 

「違う、逆なんだ。・・・これまで弱くなっていた臓器や身体の全てで異常が見られなくなっていた。これまでの千夏が、嘘みたいに」

 

「・・・どうしてなんですかね?」

 

「分からない。・・・けど、喜ばしい事実なのには変わらないだろう」

 

「そうですね」

 

 誰も病気で苦しんでほしいなんてのは願わないだろう。それに、これはあいつがさらに幸せになるための一歩だ。俺は遠くから見守ろう。

 ただやっぱり・・・これからのことなんてのは、そう簡単には考えられるものではなさそうだ。

 

「このまま、あいつの記憶も戻ってくれればいいんだけどな」

 

 保さんが何気なく発したその一言、俺は返答に困った。

 確かに、万全の状態に戻ること以上の喜びはない。けれどもし、記憶を取り戻すことそれ自体が千夏を苦しめることになるのなら・・・。

 

 それこそ、千夏の俺にまつわる最後の記憶はあの日のあの光景だ。思い出すことも辛いかもしれない。

 それでも、俺のことを思い出してほしいと思う気持ちがまだどこかにある。難しい話だ。

 

「もし、それが千夏を苦しめることになるなら・・・俺は望みませんよ」

 

「それでいいのか?」

 

「・・・あいつが、幸せになれるなら」

 

 結局はそういうことだ。俺自身の願望を押し付けるより、相手が幸せになってくれることの方が遥かに大事だから。

 

「そうか・・・。辛いもんだな」

 

「辛いですよ」

 

 偽ることはしない。辛いことは辛いと、ちゃんと言葉にする。

 それを理解して保さんは、それ以上何も言わなかった。そしてしばらく考え込んで、別の話を切り出す。

 

「・・・遥くんのここでの暮らしも、もう五年が経ったんだな」

 

「そうですね。あっという間でしたよ、ホント」

 

「・・・いつか、こんな日も終わりが来るんだろうな」

 

「夏帆さんと同じこと言うんですね」

 

「あいつも言ったのか?」

 

 全く同じことを、と俺は言って苦笑する。やっぱり夫婦なんだと笑うしかなかった。

 この時間にもいつか終わりが来るだろう。俺も大きくなって、ゆくゆくは独り立ちするのだから。いつまでも二人の下で、というわけにもいかない。

 だからこの一秒を大切にしたいと今は切に願っている。時の美しさと残酷さをこの五年間で沢山学んできたのだから。

 

「俺だって、いつまでも二人の子供のままでいたいんですけどね。・・・いつかは独り立ちしなきゃいけないんです。というより、ちゃんと独り立ちして、一人前の人間になりたいんです」

 

「そうか」

 

「それが育ててくれた二人に出来る、俺なりの恩返しだと思っているんです」

 

 立派に育ったぞ、という証を二人にちゃんと見せつけたい。二人の親として頑張った証となりたい。それが今の俺の夢でもある。

 その時その隣に誰がいるか、なんてことは全く予想できないけど。

 

「そしてそれは、遥くん自身の両親への恩返しにもなるんだな」

 

「きっとゆくゆくは、そうなるんじゃないですかね」

 

 この世に産み落としてくれた二人への感謝も忘れてはいない。別れこそ悲しみに濡れたものだったけど、恨みなどしていないから。

 

「・・・これからも、よろしくな」

 

「もちろんです」

 

 限りある時間、その一秒一秒を輝かせることが、今の俺に出来る事。

 明日の事、未来のことなんて分からない。だから今は、悔いのない今を生きたい。

 

 そうすればいつかきっと、千夏とだって向き合えるはずだから。

 




『今日の座談会コーナー』

確か前作、ここら辺から早く終わらせたいと思うようになり駆け足気味にゴールへ近づけて一旦ですよね。ということを結構猛省していて、今作はゆっくりゆっくり書こうと思っています。
しかしまあ、こうしてみると遥って立ち位置が複雑ですよね。どんな終わりを迎えても、どこからしらに悲しみが残ってしまうので・・・。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)

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