「ねぇ、兄さん昨日シュペーさんとヤったでしょ?」
キッチンでトマトを切っていた指揮官の背中に妹の声が届くと、彼は一瞬手を止めて包丁をまな板の上に置くと、ゆっくりと振り返りながら背後に立つ妹の顔を見た。
「……匂うか?」
「否定はしないんだ?意外ね……兄さんなら「してねぇよバーカ!!」とか言いそうだと思ったんだけど」
亜麻色の髪をクルクルと指で弄りながら、指揮官の妹である少女、ツィトローネは揶揄うように笑う。指揮官はその笑みに対して小さくため息を吐くと、観念した様子で口を開いた。
「悪いな、お前の家でそう言う事はって思ったんだがこう、アレだよ……涙目でシュペーに求められたらさぁ…!」
彼の脳裏には昨夜の記憶が反響する。ヴェネトやリットリオと別れ、マルタ島に引っ越した妹夫婦の所に滞在していた、彼の妻の一人であるシュペーに心配してたと抱きしめられた事。
久々の妹夫婦に何故サディアにやってきたのかという理由説明と、事の顛末を話しながらも四人で夕食を食べた後に、パジャマ姿のシュペーに涙目で押し倒され、三日間心配してたんだよ?と舌と舌を絡ませる濃厚なキスを致した事。
『指揮官……しよ?疼いて…一人でずっと慰めてたけど限界で……身体の火照りを鎮めて……大好き、ヴァイス…♡』
その言葉を最後にここが妹夫婦の新居である事実を忘れてシュペーを押し倒した指揮官は、朝まで彼女の身体を求め続けたのだ。そして今に至る。
「あー、うん。まぁいいや。それで?どうだったの?」
「最高でした」
「そっか」
軽口を叩き合う中手早く彼は卵とトマトを混ぜ合わせた物をフライパンに入れてトマトオムレツを作ると、それを皿に乗せる。それが終われば今度は別のコンロに置いていた鍋の蓋を取り中身をかき回す。
「おぉ~良い匂い!兄さんって料理が下手だった記憶しかないからびっくりしたかも?」
「嫁さん達に手料理を披露したい旦那の気持ちって奴だよ。ヒッパーに色々教えてもらってね?スープも作っといたから皿持ってってくれ」
「はいは~い」
ローネがテーブルに食器を運ぶのを確認してから指揮官は冷蔵庫の中からバターを取り出すと、溶かすために熱していたトースターの中に入れる。少し待つと、チンという音が響き、取り出された食パンにバターを塗ると、最後に残ったトマトとレタスにドレッシングをかけながら再びローネに話しかける。
「色々とごめんな。いきなりシュペーを泊まらせて欲しいなんて頼んで大変だっただろ?」
「いーよ、いーよ!元々シュペーさんとは色々と兄さんとの関係とか含めて色々聞きたかったから!その為なら部屋で兄さんがシュペーさんとナメクジみたいな濃厚な交尾したって安いもんだよ!」
「お前は俺を何だと……」
ジト目となる指揮官にローネはケタケタと笑うが、彼としても妹夫婦が安全の観点から軍港近くのマルタ島に引っ越す事を余儀なくし、更には昨晩部屋で新妻と無断で男女の営みを行ったと言う事もあって何も言い返せない。
数ヶ月ぶりに行われる兄妹の朝の会話は互いに全く遠慮のないものだったが、温厚ながらも自己評価の低さと生命への執着心の無さが際立っていた兄が複数の美女と結婚したと言う事実にローネのテンションがいつもより高くなっている様子。
隙あらば恋愛トークや兄のベッドの上での性生活について聞こうとする彼女に指揮官は呆れつつも、せめてシュペー達の前で質問攻めはしてこないだけの配慮はある事に感謝する。
「ねーねー兄さん!もっとシュペーさん達の事教えてよー!キスは誰が一番最初だったの?最初にヤったのはダレ?ヴェネトさん達と3Pを…」
「キスはガスコーニュ。最初にSEXしたのはグラーフ。ヴェネトとリットリオと3日近くヤりまくってアソコが痛くて死ぬかと思った。これでいいか?絶対シュペー達には話さないでくれよ頼むから…」
恐らく黙っていても妹は決して満足しないだろうと朝からゲンナリした表情を浮かべながら指揮官が答えれば、ローネが目を輝かせて身を乗り出す。例え人妻であっても彼女は一六歳であり、恋バナには興味津々な年頃なのだ。
「うっひょー!さすが兄さん!前会った時は童貞だったのにヤリチンになっちゃって!毎晩シュペーさん達を侍らせて『ぐへへ!今日は縛って蝋燭垂らすプレイをしてやるぜ!』とでも言ってたの!?」
「やってねぇよ!?あと俺はそこまで下品じゃねぇよ!?」
妹の口からとんでもない言葉が飛び出した事に思わず指揮官は大声を上げる。しかし、その言葉を否定すればするほどにローネは興奮し、瞳をキラキラさせ始め、彼女の旦那さんである可愛い義弟も苦労してるんだろうなと察した指揮官は今度サディアに滞在する時はワインの一本くらい奢ろうと心に決めた。
「あーもう楽しいなぁ……兄さんがヤリチンになって私は嬉しいよ?シュペーさん達の気持ちに鈍感主人公ムーブでもしてダラダラと数年過ごすよりハーレムでもちゃんと責任取るタイプの方がずっと良いから!」
「なぁ妹よ、兄さん泣いていいか?」
妹の中で自身に対する評価がどうなっているのか気になり始めた指揮官だが、ちょっとした会話や仕草から情報を抜き取る事に長けている彼はローネの言葉に嫌味や揶揄いの色は無く、全て本心からの言葉である事に気がついていた。
彼女の性格は十四歳で祖国を飛び出し愛に生きる程にバイタリティ溢れる少女であり、恋愛に対して非常に積極的。それ故に指揮官もそれとなく彼女の会話の端々から、恐らくガスコーニュが自身にキスをしたのは彼女達をローネが焚き付けたからだと推測出来る。
そして、指揮官の事を本気で兄として慕っており、彼が複数人の女性達と結婚する事に偏見や一つもなく祝福してくれている。だからこそ、そんな好奇心と好意故に、妹が自身の恋愛や性生活について根掘り葉掘り聞いてくる事に対しては兄としては複雑な心境であったようで、甘いミルクココアを飲みながら苦笑いを浮かべた。
「ねーねー兄さんもっと聞かせてよー、エッチな事無しでも良いからお嫁さん達との思い出とか色々と!」
「そうだなぁ……」
とは言えこれ以上話せば朝食の時間を大幅に削ってしまう事になる。それは避けたいと思いつつも、自身の話を楽しそうに聞く妹の姿に少しだけ口元を緩ませながら、ならと自身のトーストに大量のいちごジャムをこれでもかと塗りたくりながら彼は口を開く。
「聞かせてやっても良いけど交換条件だ。後でちょっとシュペーと出かけるから彼女が喜びそうな場所でも──」
今日もマルタ島の朝は平和であった。
同時刻、地中海でレッドアクシズの英雄が穏やかな朝を迎える中、アイリス教国のとある軍寮ではピリピリと緊張した空気に包まれており、そこに住まう住民である軍人達……先の戦争で枢機卿であるリシュリューに同調し、本国を離脱し自由アイリスに参加した面々はカツカツと靴音を鳴らしながら廊下を歩く二人の男女に敵意を隠さず睨みつけている。
「し、指揮官…」
ヴィシア聖座……自由アイリスとは違い本国に残留する事を選んだkansenの一人である褐色の日焼け跡が目立つル・マルスはその視線に威圧されたのか怯える様にネイビーブルーの軍服を着込む男の服の袖をクイクイと上目遣いで見つめるが、男は素っ気なくその腕を振り払う。
「気にするな、無視しろ。有象無象の連中の相手などしている暇はない。護衛の仕事にも少しは慣れろ、何かあれば俺の承諾なんて要らん。撃ち殺せ」
「撃ち殺…!?」
親切心のカケラもない男の発言にマルスはドン引きするが、指揮官と呼ばれた男はそんな彼女をチラリと見やりながらも足を止める事無く歩き続ける。
仮にも数年前はイデオロギーの差はあれど祖国防衛の為に共に戦った同胞であるはずだと言うのに、指揮官にとって自身を睨みつけてくる男達は視界に収める価値すらない存在らしい。
「チッ…クソ共が…」
同時に苛立ち混じりの声を上げ、忌々しいと言わんばかりに唾を吐き捨て、憎悪に染まった瞳でジロリと自分達を睨んでいた男達の姿を思い浮かべながら指揮官は不機嫌そうに呟く。
可哀想なのはマルスだろう。周りから睨まれ、指揮官もまた舌打ちを連発するこの状況に胃がキリキリと悲鳴を上げる。
彼の性格をこの数ヶ月程ではあるが共に戦場で過ごしてきた彼女はある程度は熟知しており、彼がここまで不機嫌な理由も理解していたが、それでもなお空気が張り詰める現状に不安を抱かずにはいられなかった。
(多分、指揮官は皆さんに怒ってるんだ……守るべき人達を見捨てて、リシュリュー様に盲信した人達が……)
指揮官の性格ははっきり言ってかなり不器用かつ、捻くれ者であり口調も粗暴で乱暴なものになる事が多い。
しかし、その一方でセイレーンの襲撃によって故郷を焼き払われた故のトラウマと復讐心により、武器を持たない人々に自身が味わった絶望の淵で死ぬ事すら生温い、あの地獄の様な感情に心を蝕まれる人間をこの世界から消す為に生命活動の全てを捧げていた。
彼は指揮官として死に物狂いで復讐の為にその牙を研ぎ続けており、国民を守ろうとする気持ちは誰よりも強いと言う事をマルスは知っていた。
だからこそ『怪物』の異名を付けられる程に激戦を潜り抜けてきた彼は枢機卿に盲信し、守るべき国民を見捨てた自由アイリスの面々を彼は酷く嫌悪していたのだ。
彼らにも大義があったのだろう。
彼らにも理想があったのだろう。
彼らにも事情があったのだろう。
しかし、彼にとってはその様な事実は知った事ではなかった。例えどの様な美辞麗句を並び建てた所で枢機卿一派が離脱した結果、国内の防衛に支障をきたしたのは事実であり、例え自由アイリスとヴィシア聖座が再統合の道を歩もうとした所で彼は自由アイリスの面々を決して許す事はないだろう。
それが権力をジャン・バールと共に掌握した彼が主導となり、旧自由アイリスに所属・協力した者達を追放する大粛正を行った最大の理由であり、『怪物』を睨みつけている者達は敬愛するリシュリュー枢機卿を蔑ろにした挙句、権力を握り続ける19歳の若造に怒りと殺意を抱くのは当然であったと言えるだろう。
そんな彼に付き従うマルスは周囲の視線に怯えつつも、彼を見失わない様に小走りで追いかける。自由アイリスとヴィシア。同じ神を信奉する人々に生じた壁は例え戦争が終わり、再統合への道を歩もうとも消える事は無いのかもしれない。
「ここだな」
やがて舌打ちの数が1ダースに差し掛かろうとした所で、指揮官は軍寮が集う区画の中で一際大きな建物の前で足を止める。彼を胡散臭そうに見ていた警備担当の軍人が彼の胸元に光る階級章に気づき、慌てて敬礼を行うと指揮官は小さく顎を引く事でそれに応えつつ、マルスを引き連れて建物の中へと入る。
「……」
「……」
無言のまま受付に歩み寄ると、受付嬢は二人の姿を確認するなり慌てた様子で書類を取り出すが、直ぐに終わると指揮官は受付嬢を無視して歩みを辞めず、マルスもぺこりと頭をさげると指揮官の後ろをついていく。武器を携帯した状態でフリーパスでこの区画通れると言う時点で指揮官の身分の高さが伺えるが、反面マルスの心臓はバクバクと鼓動を繰り返していた。
この区画は過去に自由アイリスに参加した軍人達の中でも特にリシュリュー『元』枢機卿に近かった者達が一時的に住居を構える、いわゆる高級士官用の居住区であり、一般士官用宿舎と比べても内装や廊下の雰囲気はまるで違う。白を基調に赤を基調とした絨毯に壁には絵画が飾られており、調度品も一級品の物が揃えられている。
しかし、失脚したリシュリュー元枢機卿に近かったという事実は真っ先に彼等が大粛正の大鉈を向けられる事と同義であり、あと一ヶ月もすればここに住まう者達は大粛正の余波により、公職追放や植民地への左遷を言い渡される事は確定であり、いわばこの場所は重要参考人でもある彼等が逃亡を防ぐ為の隔離施設でもあったのだ。
二人はそのまま真っ直ぐとある部屋へと向かうと、指揮官はノックを軽く行う。すると部屋の扉は開き、中から一人の少女が緊張した面持ちで姿を現す。
薄い紫色の髪を長く伸ばし、翡翠色の瞳をしたその少女はゆったりとした服装に身を包んでおり、顔立ちからしてまだ幼さが残っている。背丈は十二歳程度の小柄な体躯をしており、一見するとその容姿も相まって子供にしか見えないのだが、彼女が纏う雰囲気には確かに大人びた何かを感じさせる。
「その、待ってました…主人は中に──」
「悪いが部屋に上がらん。今すぐアンタの旦那を呼び出してくれ。外で要件を済ませば済む話だ。アンタにとっても産まれたばかりの子供を俺に見せたくはないだろう?」
部屋に招き入れようとした少女……ルピニャートに向かって指揮官は淡々と告げれば、ビクリと肩を震わせた後、彼女は悲しそうな表情を浮かべながらこくりと首を縦に振る。そして、ゆっくりと部屋の中に引っ込むと、数秒もしないうちに彼女の夫であろう人物が現れる。
「待ってたよ…久しぶりかな?」
やや痩せ気味の長身の男性はにっこりと微笑むが、指揮官はその男の顔を見るなり不愉快そうに顔を歪めてこれ見よがしに舌打ちをする。その態度に男は僅かに眉をひそめるも、特に気にする事もなく、マルスの存在に気づくと興味深そうに視線を向ける。
男の年齢は二十代前半程であり、どこぞの指揮官と比べても遥かに温厚で優しげな雰囲気を漂わせている。軍服ではなく、冬用のダウンジャケットにジーンズというラフな格好をしており、まるで指揮官が自身を連れ出す事を予測していたかの様に頷いてみせた。
「あなた……」
「大丈夫だよルピニャート。彼は信用できる」
心配げに声をかける妻に対して夫は優しく笑いかけると、指揮官に向けて手を差し伸べる。指揮官は一瞬だけ躊躇する様な素振りを見せるも、じっと不安そうに彼を見つめるマルスの瞳に勘づくと、それはもう嫌そうな表情で握手に応じてみせ、マルスも色々とごめんなさいと指揮官の非礼を詫びる様に頭を下げる。
「じゃあちょっと話してくるけど……マルスさん?はどうする?妻と一緒にお茶でも飲んでくかい?ケーキだってあるよ?」
「えっと…私は護衛で……」
そう言いながらもケーキの一言にマルスは目を輝かせるが、慌ててブンブンと首を振ると指揮官の隣に立つ。だが、指揮官は「好きにしろ」と短く呟くと是非!と言わんばかりに人懐こい笑みを浮かべて頷いて見せた。
「じゃあ行ってくるよルピニャート。すぐに帰るからね?」
そんなルピニャートの夫の優しげな一言を最後に彼等は連なって歩き出す。ルピニャートとマルスは顔を見合わせると、ほっと一息ついてから二人を見送るのであった。
頬から伝わる太ももの感触は柔らかく、心地よい温もりを孕んでいる。ふわりと鼻腔を刺激する甘い香りに思わず心が安らぎ、時折頭を優しく撫でられているとまるで幼子に戻った気分になる。シュペーの体温はやや低めではあるが、ひんやりとした体温が今は丁度良いくらいだった。
シュペーの膝枕に身を委ねながら、指揮官はゆっくりと瞼を開く。ぼんやりとした視界が徐々に鮮明になってゆくと、目の前には嬉しそうな表情で指揮官を見下ろすシュペーの姿が映り込んだ。
さらりと長い銀髪が揺れ動き、青色の瞳はどこまでも母性的な優しい眼差しで指揮官を見つめており、その美貌と相まってどこか神秘的な雰囲気を醸し出している。
「起きちゃった?」
「ごめん寝てたかい?」
「10分くらいかな?もう少しだけ指揮官の寝顔を見ていたかったけど…可愛かったよ?」
クスクスと笑うシュペーの表情はどこか妖艶さを感じさせ、指揮官はその雰囲気に当てられてドキリと心臓を高鳴らせる。昨夜ベッドの上で散々愛し合った妻が見せる無防備な姿というのは実に魅力的であり、つい先ほどまで感じていた眠気など一瞬にして吹き飛んでしまう程であった。
ゆっくりと身体を起こすと、指揮官はそのままシュペーの華奢な肩を抱き寄せ、そのまま彼女の唇に口づけを交わす。最初は触れるだけの軽いキスであったが、やがて互いの舌先が絡み合い濃厚なものへと変わっていく。
指揮官は夢中になりながらシュペーとの接吻に酔いしれていたが、不意に彼女は指揮官の胸板を押し返すと、悪戯っぽく笑いかけてきた。
名残惜しそうに指揮官が口を離すと、唾液の糸が伸び、やがてプツリと切れてしまう。
「外、なのに……指揮官のえっち…」
ペロリと唇を舐めるシュペーの言葉の通りここは彼が現在滞在する妹夫婦が住む家ではなく、美しい地中海を望むことができる高台に設置された市民公園の一つであった。元は高台に設置された城塞を再利用しており、現在は観光地として整備されており、海を一望できる絶景スポットとして知られている。
しかし、この公園を見渡せど周りに指揮官達以外の人の姿は微塵も存在しない。住民の強制追放によって元は賑わっていたであろう子供達が遊ぶ遊具は寂しそうにポツンと佇んでおり、まるでここだけ世界から切り離されたかの様な静けさが漂い始めていた。
マルタ島は現在正式にロイヤルからサディアへと領有権が譲渡されたものの、市民の入植活動は未だそこまで進んでおらず元の総人口が30万人であったこの島に現在住むのは旧ロイヤルの海軍基地に勤務するサディア軍人とその家族。
現在重桜に売却予定であるサディアのアフリカ大陸植民地都市であるエリトリアから住んだ人々が中心ではあるが、その総人口も1万人を切っており、平日だというのにこの美しい公園にはシュペーと指揮官以外に人の気配は皆無だった。
無論、指揮官としても今頃元々住んでいた市民は……と頭に思わずよぎってしまう事は否定出来ない。しかし、今は妹から教えられたこの公園でシュペーと共に過ごせる時間を堪能したいというのが本音であり、それは彼女も同じ様だった。
「指揮官、もっと……」
甘える様な声色で指揮官の首に腕を回すと、シュペーはそっと自身の顔を近づける。そして再び二人は唇を重ね合うと、今度は互いに求めあう様に舌を絡ませ合う。誰もいない平日の公園という非日常感がより一層興奮を掻き立て、手元から伝わるシュペーの柔らかい太ももの感触が余計に指揮官の理性を奪っていった。
指揮官はシュペーの身体を強く抱きしめると、その柔らかな双丘に顔を埋め、ゆっくりと深呼吸をする。合間合間に万が一にでも人が来ないか周りを二人は見渡しているがその警戒心すらも興奮のスパイスとして二人の情欲を加速させていた。
「……しちゃう?」
シュペーの熱のこもった瞳に思わず理性がプッツンと飛びそうになるが、指揮官は何とか堪えて彼女を引き剥がす。不満げに頬を膨らませるシュペーだったが、指揮官は優しく彼女の頭を撫でると、そのまま耳元で囁いた。
「今はダメだよ」
「……ダメ?」
「今はね」
指揮官の返答にシュペーは少しだけ嬉しそうな表情を浮かべて指揮官の手を握りしめてくる。今は……という言葉にシュペーは嬉しそうな笑みを浮かべ、握られた手をそのまま恋人繋ぎにすると、指揮官の手の甲を優しく撫でてきた。
「今は……?」
「うん、今は……ね?」
「……わかった。じゃあ後でいっぱいしよ?」
恥ずかしそうにシュペーは頬を染めるが、普段は大人しい妻が見せた大胆なお誘いに指揮官は我慢の限界を迎えそうになってしまう。指揮官はそんな欲望を抑え込む為に必死に平常心を保とうとするが、シュペーは太ももをトントンと叩くと再び膝枕の体勢になった。
「指揮官、膝枕してあげるから……おいで?」
指揮官は誘惑に抗えず、そのままシュペーの膝の上に頭を乗せてしまう。シュペーのスカート越しに感じる太ももの温もりと柔らかさ、そして彼女の香りが指揮官の思考を奪い去り、思わず猫の様にゴロリとベンチに転がってシュペーのお腹に顔を押し付けてしまう。
「指揮官、可愛い……」
慈愛に満ちた表情でシュペーは指揮官の頭を撫で始める。普段なら子供扱いされている事に多少なりとも反発してしまうのだが、今のシュペーから与えられる安心感はまるで包み込む母の様な優しさに満ち溢れており、指揮官はそのまま身を委ねてしまう。
シュペーは指揮官の髪を指先で弄りながらも、その表情はとても穏やかであり、以前サディアに滞在した時のホテルでの膝枕を思わず思い出す。
あの時は指揮官は不安からの逃避の為にシュペーの膝枕を頼んだものの、結局は彼女に迷惑をかけてしまった。しかし、今回は指揮官は安らぎを求めている事をシュペーは理解していた。
救国の英雄となってしまった指揮官が弱音を吐ける相手は限られている。だからこそ、彼女は指揮官に甘えられるこの時間を楽しんでいた。
シュペーは指揮官が自分を必要としてくれている事が何よりも嬉しいのだ。故に、指揮官が望む事ならば何でも叶えたいと願いながら。
「デートなのにずっとシュペーの膝枕に甘えてばかりで申し訳ないかな?」
「いいんだよ?私、指揮官のこういう所が好きだから……もうちょっとだけこのままでいたい……」
シュペーの言葉に指揮官は思わず胸を高鳴らせる。シュペーは好意を全く隠さず、むしろ普段のおとなしい性格からは考えられない程に、積極的に伝えてくれるタイプなのだが、こうして改めて言葉にされると指揮官も照れ臭くなってしまう。
穏やかな陽光に包まれた公園でシュペーの太ももに顔を埋め、二人だけの時間を過ごす。仕事や責務といったものから解放された至福の時。シュペーが与えてくれた優しい時間に指揮官は感謝しながらも、ゆっくりと目を閉じて眠りについた。
「寝ちゃった?デート中に寝ちゃうなんて私以外にしちゃダメだよ……ふふっ♪」
指揮官が寝息を立て始めたのを確認すると、シュペーは指揮官の額にそっとキスをする。指揮官の寝顔を見つめるシュペーの表情はまさに聖母の様であった。
「単刀直入に言おう。お前はクビだ」
マルタ島で夫婦が仲睦まじい時間を過ごす中、ジャン・バールの元で若くしてその才能を発揮し、『怪物』とまで言われたヴィシア聖座の指揮官は、枢機卿リシュリューの腹心であったルピニャートの夫に吐き捨てるように路地裏で紙をつきつける。其処には再編されたアイリス教国海軍にて彼の居場所がないという内容が記されていた。
「……子供も産まれたばかりなのにキッツイなー…」
嘆息するルピニャートの夫だが、まるで自身の除籍が既に決定事項であるかの如く落ち着いている。旧自由アイリス派閥に参加したもの達の多くは左遷や公職追放、中には軍刑務所へと収監された者もいる。
その中でも彼に突きつけられた軍の除隊という処分は枢機卿に近かった彼の地位を考えれば寧ろ甘い処分であったと言えるのだが、娘が生まれたばかりの身としては少々厳しいものがある。
ルピニャートもこの様子ならば恐らくkansenてしての地位を剥奪され、武装解除の上で除籍される事になるだろう。産まれたばかりの可愛い愛娘にパパとママが一気に失業したと告げなければならないのは辛いところだが、こればっかりは仕方ないと諦める事にした。
「まぁ……そう言う事なら仕方ないか。じゃあ俺は行くよ」
とは言え、彼自身も自身の罪を把握していた。『怪物』が述べている通り守るべき国民を見捨て、枢機卿を支える為にロイヤルへに参加したのは自身の意志によるもの。今も書類を突きつけながら睨みつけてくる『怪物』にとってはどこまでもクソヤロウだと映るのであろう。
これからどうしようか?と再就職の選択肢を彼は考えようとするが、元自由アイリス派閥であった自身が軍人が引退した後に選択する職であるボディーガードや軍関係者への下請けといった信頼が重視される場所への再就職への道は閉ざされていると理解している。
聖職者である父親の家に転がり込む事は迷惑に繋がるだろうし、まずは貯金を切り崩しながら転職活動に励むしか無いのだろうか?と頭を悩ませていると「怪物」は彼に向けて一枚の封筒を差し出す。
「これは?」
「お前には選択肢が用意されている。多くの自由アイリスに参加した奴らはリシュリューの尻に連なる金魚の糞、思考停止したクズ共だ」
吐き捨てるように「怪物」がそう述べれば思わず指揮官は眉をひそめる。敬愛するリシュリュー猊下を呼び捨てした挙句、自由アイリスに参加した面々を金魚の糞と評した彼に不快感を覚える。
だが、今自身が彼にそれは違うと述べた所で自分達が祖国を離れている間、誰が必死になって国民を守っていたのかといえば「怪物」達の様な残留を選んだ面々であり、彼らの苦労を知らずに否定するのは筋違いというものだと黙って堪えて見せた。
「……だがお前は冷静だな。俺が他の奴らに同じ事を述べれば『リシュリュー猊下に謝罪しろ』だの『軍を牛耳るクズ』だのと罵声が飛んできた。全く……指揮官の選定システムに国家への忠誠ではなく神への信仰なんぞ重視した結果、リシュリューを神か何かと勘違いしてる連中が多い事、多い事……そんな奴らに国防を任せた結果リシュリューの一声で国が二つに割れた。本当に……馬鹿馬鹿しい」
指揮官は思わず息を飲む。自由アイリス派閥が枢機卿の忠実な僕となり、そして彼が語る様に国を割ったのは彼の責任もあるからだ。だからこそ、この場で「怪物」に反論する事は出来なかった。
「俺はこんな軍隊は二度と認めない。リシュリューの私兵集団に成り下がったお前達を俺は否定する。だからこそだ……軍を本当の意味で再編する為には、リシュリューの痕跡を全て消滅させ、お前達の影響力を全て削ぐ必要がある」
そう言って懐からもう一枚の書類を取り出すと「怪物」は指揮官に向かって差し出した。其処に書かれていたのは、新たなる指揮官として彼を推薦する旨であった。
────極東クルジス・エルサレム共和国が新しい彼の任地であった。
「これ、は……」
「極東クルジス・エルサレム共和国は新興国だ。今は北桜同盟やユニオンに祖国防衛の為に駐留軍を許しているがゆくゆくは自前の国防軍を持つ予定だ。その軍の指揮官候補としてお前を推薦した」
「怪物」の言葉を聞きながらも指揮官はその書類に書かれた文字を食い入るように見つめる。其処には『元自由アイリス所属の指揮官殿へ』と記されていた。
「あと数週間もすればジャン・バールは正式に枢機卿の地位に任命されるが、それを良しと思わない勢力が存在している……お前の元にも届いただろう。リシュリューを再び枢機卿とする為に逆賊である俺を殺せなんて過激な言葉が乱立するクーデターの誘いが」
ふんっと鼻で笑いながら彼は指揮官に告げる。それに指揮官は頷かざる得ない。確かにあったのだ、逆賊である『怪物』や彼の思想によって傀儡となってしまった『ジャン・バール様』を取り除き、再びアイリスの旗を掲げる為に力を貸してほしいという旨の手紙が。
「あぁ届いたよ……同時に全部、俺は海軍本部に引き渡した事を君なら知ってると思うけどね」
「あれは全部俺が用意したモノだ。しばらく派手に動いて軍内部のリシュリュー派を一掃する為に、な。面白い様に炙り出せたよ。俺を殺してリシュリューを復権させようとした連中は全員反乱分子として刑務所行きだ」
まるで天気の話をするかのように「怪物」は淡々と言葉を紡いでいく。忠誠心を利用した悪辣な罠に更に眉の根を寄せるが、反乱に同調したモノ達は武力革命を起こしかねない火種を抱え込んでいた事もまた事実であると言葉を飲み込む。
それよりもだ、先に口にしたクルジス・エルサレム共和国への編入の誘い。これはどういう意味なのか?と問いかけると「怪物」は口角を歪めながら笑みを浮かべる。
「ハッキリ言ってお前達はもうこの国に存在するだけで害悪だ。反乱に同調しそうな危険分子はひとまずは一掃したが氷山の一角に過ぎない」
壁によりかかりながら「怪物」は指揮官に視線を向ける。
「この国に、今最も必要なものは平和や武力でもなく安定。リシュリューは最早権力を全て放棄し、全ての権威をジャンの奴に移譲する事に同意したがその事で不満を抱く奴らは多い。その中でも先鋭化した連中が武力と結びつけば、不満やリシュリューへの忠誠が未だに揺るがない軍人達でも抑えきれない可能性がある。そうなればおそらくこの国は今度こそ内戦となるだろう。同じ神を信じる者達が最早勝手にリシュリューへの忠誠を叫びながら狂信者の様に殺し合う。そんな地獄絵図を……俺は絶対に許さない」
親が子を殺し、子が親を殺し、恋人が、兄弟が、姉妹が、家族が、隣人が、仲間が、友が、同胞が、部下が、上司が、リシュリュー猊下が望むのならと、それが枢機卿と神の名の下に命じられるのだからと人を殺す。
そんな光景を彼は想像して吐き気を覚え、否定をしようとするも、リシュリュー猊下が国家を二分出来るほどの圧倒的なカリスマ性の持ち主である事実は彼女の腹心の一人であった指揮官自身もよく理解していた。
今でさえ、テロ行為の誘いに同調する人間がいるのであれば、その可能性は決してゼロでは無いのだ。それはリシュリューという人物が枢機卿として余りにも人望を集め過ぎていた結果でもある。
「お前達の様な奴らがいる限り、この国には真の平穏は訪れない。例えお前が望まなくとも先鋭化した連中は目的の為ならばお前の妻子を捕らえて反乱に同調させようとするだろう」
「……っ!」
「そうならない為にはどうすればいいか……答えは簡単だ。反乱を企てようとする者達を捕らえ、反乱への脅威に成らざる人材は全てこの国から追い出し、内戦の火種となる物をすべて消し去る。そして、この国からリシュリューの痕跡を。旧態依然の宗教色の近いアイリスの軍を、ただ国民と祖国を守る為だけの軍隊に変える……それが俺の望む安定であり、その為にはお前達の存在は邪魔だ」
だからこそと再び「怪物」は複数の書類と共に封筒を指揮官に手渡す。其処には新たな国に移り住む為の旅券や小切手が入ってあり、小切手の額は彼の家族全員が2〜3年は余裕で生活できる程の金額が書き記しており、「怪物」の言葉が決して嘘や出任せなどでは無く、本気の言葉である事を示していた。
「もう一度問う。祖国に残留し、祖国を見捨てた軍人として後ろ指を指されながらその立場故に妻と子を危険に晒すか……それとも祖国を離れ、新天地にて新たな人生を歩むか。選ぶのはお前の自由だ。どちらにせよ、今まで通りの生活は出来ないだろうがな……」
「怪物」の言葉に指揮官は俯きながら考え込む。確かに、今のままでは指揮官の家族の身の安全を確保する事は不可能であるのは明白だった。
と言うよりもこの選択肢は最早選択肢ですらないだろう。家族の身の安全を提示されてしまえば、妻子を持つ身としては最早祖国を離れる以外の選択肢はないのだから。
(もしかすると、最初から俺達を安全に亡命させる決断をする為にこんなお膳立てを考えていたのかもね……いや、考え過ぎか?)
心の中でこう呟くと、指揮官は嘆息混じりに書類や封筒を受け取り、軽く頭を下げる。新たな新天地での生活は決して平坦な道ではないだろう。しかし、妻子を守り、軍人として再び……今度こそ、自身の意思で流される事もなく人々を守る戦いをするが為に指揮官はぎゅっと右手を握りしめる
「君はずっとそうだね。指揮官として、俺と出会った頃からずっと、ずっと、ずっと……常に人々を守ろうと。そして、セイレーンを潰す事しか考えてなかった」
「潰すんじゃない、撲滅だ。この世界からあの海のクズ共の痕跡を消す為ならば俺はなんだってしてやる。それが俺の生きる理由だ」
目に黒い焔を宿しながら彼は踵を返して路地裏の奥へと消えていく。復讐だけを生きる糧とする怪物の背中に指揮官は何も声をかける事は出来ずに、ただ眺める事しか出来なかった。
「いつかは指揮官にも笑って欲しいんです。あの人が本気で笑ってくれるなら、あの人の役に立てるなら。私は……」
「……好きなんですか?指揮官が」
「はい。好きです。でもずっと復讐の為にいっぱい傷ついて、戦い続けてきて、今もがむしゃらに走り続けてるあの人に掛ける言葉なんて分からなくて……だからせめて一緒に戦って、あの人の役に少しでもなれば、それで……良いんです」
「……きっと、指揮官もマルスの事を見てますから。恋のマホウが成就する事を私も願ってます」
・極東クルジス・エルサレム共和国への指揮官の移籍
戦後アイリスとヴィシアは再び再統合への道を歩み出そうとしますがその道は決して平坦なものではなく、粛正の最中の公職追放や左遷。更にはリシュリューという圧倒的なカリスマ性を誇る人物が枢機卿の地位を辞任する事で不満を抱える旧自由アイリス派の将校の数は少なからず存在していました。故にジャン・バールと相棒である『怪物』は幾つかの決断を行う事に。それは火種となり得る人々の内、最も苛烈な思想を持つ面々を投獄した上で、自由アイリスに参加した多くの面々を、新興国である極東クルジス・エルサレム共和国に派遣する……いわば追放処分を行うという事でした。
リシュリューの息が掛かっていた有力な人々の多くを待遇を約束した上で新興国故にノウハウや人材が不足している彼の国に送り込み、スムーズな改革を行いつつ、恩を売って影響力を得る。ある意味では戦争によってレッドアクシズが勝利し、その興奮の余波が今も残る時期だからこそできる強引な手法と言えるでしょう。果たしてその目論見が成功するかどうかは後世の歴史書だけがしっているでしょう。
・ルピニャートの夫
リシュリューの腹心であった彼は実は「怪物」の知り合いであって、彼の新人時代も知っていますが、それぞれ別の道を歩む事に。リシュリューを今も尊敬しているとは言え、新天地にて愛する妻子を守る事が彼の新たな戦いです。
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戦争を終わらせた立役者
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サディアを救った救国の英雄
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ロイヤル最大の敵
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女の子に手を出しまくりの色を好む英雄