ビスマルクさんに避けられている。
それはもう、露骨なまでに避けられている。
イラストリアスとの政略結婚なんて面倒ごと持ち込んだのだから仕方ないとはいえ、あの日以降……何となくだが彼女に避けられているように感じてしまい胃が痛い。
仕事があると夜になると決まって部屋を抜け出し朝まで戻ってこないのでビスマルクさんに気を使わず部屋を独占出来るとはいえ、彼女と顔を合わせる機会がないというのは中々堪えるものがある。
「あー……」
寂しい…書類仕事の一つでもあれば気がまぎれると言うのに出張中の俺にはそんなものがあるはずもなく、私用で家族の為にロイヤルに長距離通信装置を借りるのも気が引ける。
思えば俺は新婚生活中は常にお嫁さん達が誰かしら側にいてくれた。サディアの時はシュペーが、ヴィシアの時はガスコーニュがそれぞれ付いてきてくれてプレッシャーに押しつぶされそうな時は精神的にも肉体的にも癒して支えてくれる存在が常に横に存在していた。
だが今回はそれも無しだ。妻に話す事も、妻に悩みを吐露する事も出来ない。下世話な話ではあるが、溜まるものは溜まっていく。帰ったらいっそ一週間くらい休暇を取ってめくるめくピンクな生活を満喫しようかと邪なことを考えるが、そもそもいつ帰れるかもわからない。
「散歩にでも行くか」
一人呟いて部屋を出る。最近はずっと部屋に籠りっぱなしだったし、気分転換も兼ねて外に出てみるのもいいだろう。基地内から離れる気は無いが庭で日光浴をする程度なら問題ないだろう。
念には念を入れて普段着用している軍服ではなく私服に着替えて帽子を被る。流石にいつもの格好では目立ちすぎる。一応、身分証明書としての手帳とヴィシアから授与されたレジオンドヌール勲章も懐に入れておく。
あぁ、ガスコーニュに会いたい……あの子はまだヴィシアにいるらしいが泣いてないだろうか?寂しがり屋なガスコーニュだって頑張っているんだと思えば自然とやる気が出てくる。
(よし)
覚悟を決めて部屋を出て、廊下を歩く。幸い、基地内は静まり返っており人の気配はしない。皆それぞれの業務や訓練に励んでいるんだろう。謹慎中とも言っていたけどね。
暫く歩いていると、曲がり角の先に人影を見つける。思わず立ち止まれば向こうもそれに気付いたのかこちらに振り返ってくる。
そして―――
「あら?どうかなさいましたか?」
近寄ってきた黒髪のメイド服姿の女性は微笑みかけてくる。敵意はないが落ち着いた雰囲気の裏に得体の知れなさを感じる。恐らくは彼女もまた、ロイヤルメイド隊の関係者なのだろうか。
「えぇっと、ちょっと気分転換に散歩にでも行こうと思って……君は?」
「ロイヤルメイド隊所属、ニューカッスルと申します。もしや道に迷われてしまったのですか?」
「いえ、そういう訳じゃなくて……ただ、少し外の空気を吸いたくなったんですよ。もうずっと部屋の中にいたものですから……」
「成程、確かにそうですね。よろしかったらご案内致しますよ?」
「いいんですか!?」
「はい。勿論、構いませんよ。丁度私も暇を持て余していたところなので……」
「ありがとうございます!」
思わぬ幸運につい声が大きくなってしまう。何せこの基地に来て初めて出会ったともいえる裏表のない友好的な女性なんだ。これで安心できるというものだ。それにしても美人だな……グラーフとはまた違ったタイプの美女だ。落ち着いた物腰と穏やかな笑みを浮かべる口元に思わず視線がいってしまいそうになる。
……なんて。
普通なら警戒心を解いて無防備に綺麗なメイドさんとの出会いに思わず喜ぶ所だが、明らかにタイミングが絶妙過ぎる。曲がり角で『偶然』メイドがこちらを見かけて更に案内を申し出てくるなんてあまりにも都合が良すぎないか? とはいえ、今更断るわけにもいかないし、何より彼女の申し出は渡りに船でもある。ここは素直に好意に甘える事にしよう。
「ふふっ…ですが、あまり不用意に知らない場所を出歩くのは感心致しませんよ?今回は私がたまたま通りがかったのでどうにかなりましたが……他国の方に下手な場所に入られてはロイヤルとしても大変困りますので」
「ええっ、今度からは電話で誰かに一言声をかけてから出歩く事にします。とはいえよく私が他国からの客人だと見抜きましたね?私、自分の身分は明かしてないと思うんですが……それにあんなにバッタリとメイドさんと出会えるだなんて本当に運がよかったですね、はい」
「それは…」
軽いジャブのつもりでカマをかけてみると、彼女は小さく笑って俺の手を握ってきた。コケティッシュな魅力を漂わせる彼女は悪戯っぽく笑いながらこう言った。
「偶然ですよ、ええ偶然ですとも」
どう見てもわざとだろう。
恐らく彼女は俺の監視役として待機していた所、唐突に散歩に行くかー!なんて独り言を聞き、下手な場所をうろつかれても困るので監視という名目で同行するつもりだったのだろう。何となくだが、そんな気がした。
握った手はどこか冷たく、優しく握りしめられた筈なのに家族とは全く。そんな感覚に戸惑いながらも俺は彼女に手を引かれながら歩き出す。
そして、彼女が俺の耳元で囁く。
「一つだけ、お聞きしたい事があります」
甘い吐息と共に、艶やかな声で彼女は言うのだ。
まるで、睦言でも囁くかのように。
「貴方は何故、何の為に戦っているのですか?」
「家族」
ニューカッスルの質問に迷う事なく即答すれば彼女は僅かに目を細める。だが、それ以上何も言わずにただ黙って歩く。
暫くして、不意にニューカッスルが足を止めた。
そこは、基地の中でもかなり奥まった場所にある小さな庭園だった。色とりどりの花々が咲き乱れ、花壇には見たこともないような花が咲いている。恐らくは品種改良して作ったものだろう。
こんな場所があったのかと驚く俺とは対照的に、ニューカッスルは静かに笑う。
「家族、ですか。国の為、ビスマルク様の為、同胞の為……その様な答えを予想しておりましたが、まさか家族の為に戦うだなんて。随分とロマンチストなのですね?」
「悪いですか?」
「いいえ、悪くありませんよ。寧ろ、とても好ましく思います。ずっと気になっておりました。レッドアクシズの英雄である貴方がどうして、何故戦い続けているのか。それを聞いてみたくて」
「……別に大層な理由じゃないんですよ。まぁ、確かに最初は祖国を守るとか、仲間を助けるっていう正義感みたいなものはありましたけど。今は、もっとシンプルに考えてますよ。何があっても俺を見捨てないでくれた、何があっても俺を支えてくれた好きな女性の為。それが今の俺の戦う、そして生きる理由です」
言い終えると、少し気恥ずかしくなる。というか初対面の。それも俺を監視していたであろうメイドさんに話す内容ではなかったかもしれない。
だが、嘘はつけなかった。国やビスマルクさんへの忠誠だって勿論ある。だけど、一番の理由はやはりそこなのだ。どんなに辛い時だって、苦しい時だって、悲しい時だって、寂しい時だって、あの子達は俺の側に居てくれて支えてくれる。戦争中、何だと俺は迷ったし何度も間違えたけどそれでも付いてきてくれたんだ。
花壇の花々を見つめていると、ニューカッスルがこちらに向き直ってくる。相変わらず表情に変化はなく、何を考えているかわからない。
暫くすると、ニューカッスルが笑みを浮かべた。
それは先程までの微笑みではなく、少しだけ妖しく、どこか小悪魔めいた印象を受ける。
そのままゆっくりと耳元に顔を近づけ、彼女はそっと囁いた。
甘く、優しい声音で。
『貴方様は此処では嫌われています』
しかし、何処か冷たさを感じさせる声で言うのだ。
『ですから、忠告させて頂きます。貴方様が思っているよりも、恨みは深く、捩じ込まれた傷跡は痛むものです。例え理不尽であったとしてもこのままでいればきっと……だから、私はこうして警告しているのです。もし、私の言っていることが理解できたのなら……どうか、お忘れなきよう……』
それだけ言って、彼女は俺から離れて踵を返す。
最後に彼女は振り返らずに呟いた。
まるで、自分に言い聞かせるように。
あるいは、俺に語りかけるように。
『貴方様個人の事は嫌いではありませんが、私は貴方様の味方にはなれませんし……なる事はできません。ですから……くれぐれもご注意下さい』
そう告げてから、足早に去っていった。
一人残された俺はぼんやりと彼女の言葉を思い返していた。この基地に来て初めて会ったメイドさんはどうにも掴めない人だなと思いながら。
花壇に咲く花の美しさに見惚れつつ、俺は小さく溜息を吐くのであった。
ヒッパーから花についてある程度の知識は得ていたが、実物を見ると改めて時間を忘れて見入ってしまう程の見事なものだった。赤、青、黄色、白、紫、桃色……様々な色の花弁が風に揺れる姿は見ていて飽きない。なんと言うか、景観の為に義務的に育てたと言うより花そのものに愛情を込めて育て上げたという感じだ。
『貴方様は此処では嫌われています』
とは言え、可憐な花を眺めてみていても先程のニューカッスルの言葉が脳裏を過り思わず彼女の忠告に鉛を飲み込んだような気分になる。
とはいえ、あまり気にしていても仕方がない。ここはポジティブに考えるべきだろう。
つまり、俺が此処で何か問題を起こせば彼女達のヘイトが溜まり、逆に俺がいい事をすれば俺に対する評価が上がる。それが鉄血とロイヤルの関係改善に繋がるのであれば片っ端から声を掛けて人助けといこうぜぇあはは!!
……なんて思えるはずも無い。正直に言えば怖いし不安でもあるし何より向こうの立場からしたら俺は怨敵だ。
『色々あったけど水に流して仲良くしようぜあはは!!それとイラストリアスは俺の妻として娶ってやったんだから感謝しろよな!』
なんて言われても納得できるわけもない。俺ならまず間違いなくキレていた。要するに、ニューカッスルの言いたい事は『何もするな』『問題を起こすな』に他ならない。無難に、ただ部屋に引きこもりつつ大人しくしていろ。
そういう事なのだ。
「出歩くのは控えようかね…」
グッと手を握り締めながら小さく息を吐く。そろそろ戻ろうか?とそんな事を考え始めた頃
「えっ…ええっ!?」
不意に後ろからバチャリ!と何かが溢れ落ちる音が聞こえてきた。
「どう、して…」
懐かしく、聞き覚えのある声が響く。困惑したような、震えた声が耳に届き思わず背後を振り返ると……そこには一人のkansenが立っていた。彼女は目を見開き、信じられないものを見たと言わんばかりに呆然と立ち尽くしている。
その姿は忘れもしない。真紅の瞳に少し茶の混じった黒髪。赤いメガネは知的な印象を与え、以前と比べてるとどこかゴシック調の衣装に身を包んでいる。手元には音の要因だったであろうジョウロが落ちており、その手は僅かに震えている。
彼女は、俺のよく知るkansenだ。捕虜の身でありながら媚薬を飲まされ酷い目にあったというのに俺の事を信じて、ずっと信頼してくれた女の子。クリスマスに彼女から貰った手袋は今でも大事に使っている。
そう、彼女は──
「ロンドン……?」
「あ、あああの!?どうして閣下がロイヤルに!?」
ロンドンが驚愕の声を上げる。まぁ、驚くのも無理はない。何せ俺自身も驚いているのだから。こうして再会するまですっかり失念していたが、そう言えばエリザベスは彼女がこの基地で過ごしていると教えてくれたが正直言って本当に会えるとは思っていなかった。
「えっと…まぁ、その、ね?近々ヴァリアント、さんの戴冠式があるだろ?その関係でここに滞在する事になってね?」
「そ、そうですか…」
相当動揺しているのかロンドンが目を泳がせる。そりゃそうだ。だって、今の今まで俺がこの基地にいるだなんて知らなかったはずだし。いきなり現れたら誰だってビックリするだろう。
しかし、こうして実際に対面してみると……やっぱり可愛い子だよな。眼鏡っ子だし、スタイルも良いし。何より気品があって知的な雰囲気が実に良い。一番近いのはグナイゼナウさんだが彼女と比べるとクールと言うよりは溢れ出る優しさというか包み込むような母性を感じる。
「あの……どうしましたか?」
じっと見つめすぎたせいだろうか。恥ずかしそうに頬を染める姿も可愛らしい……ってなに考えてんだよ俺は既婚者だぞ!?あーヤバいな最近ずっと禁欲してるせいで…。
「……閣下?」
ハッと我に返る。危ない、また思考が明後日の方向にぶっ飛んでいた。慌てて咳払いをしてから改めて彼女に向き直る。部屋に帰ったら久々に『処理』しておかなくては。
「いや、ごめんね。前会った時と比べて服がだいぶ変わってたからびっくりして…似合ってるよ、うん」
「そう、ですか…あ、あの!褒めて頂きありがとうございます!」
嬉しかったのか、はにかみながら礼を言う姿に不覚にもドキッとしてしまう。とはいえジロジロと女の子を見るのはマナー違反だ。取り敢えず話題を変えよう。
それにしてもロンドンは知らない、か。元は鉄血本土を襲撃する極秘任務に抜擢される程なのだから幹部や重鎮という程ではなくともそれなりの地位にいたはず。嘘をついている様子も無く、演技をしているようには見えない。
「ロンドン、君がこの基地に来てからどれくらい経つんだ?」
「はい?……えぇと、半年ほどでしょうか?元は別の基地に所属していましたけど終戦した後はずっと此処にいます」
髪を手で押さえながらロンドンが答える。ロイヤルでは主に空母、戦艦と主力艦クラスの人員が高い地位についている事が多いと聞いたが重巡であるロンドンすら俺達の来訪を知らなかったんだ。混乱を招かない為にもビスマルクさんにも後で報告しておくか。
……少しだけ、ロイヤル内で情報伝達が上手くいっていない事に不安を覚えたのは内緒だ。
「ところで、君はここで何をしていたのかな?」
「あっ、はい。私はお花のお世話を」
そう言うと彼女は花壇の花を愛おしそうな眼差しで見つめてから、優しく指先で触れる。指先から伝わる花の温度を感じ取るかのように目を閉じて、ゆっくりと瞼を開く。
「私達が此処に来た時に陛下から『ご苦労様、好きな事をしていいわよ』とお言葉を貰いまして……それからはこうして毎日、花のお手入れをしたりお話ししたりして過ごしてるんです。この花壇も、陛下が『好きにしていい』と言ってくださったので私が育てているんですよ」
「成る程ねぇ……」
ロンドンの言葉に小さく相槌を打ちつつ彼女の状況を自分なりに推理しようとする。しかし、そうしようとした途端ロンドンはクイクイと俺の上着の裾を引っ張ってきた。
「あの、閣下」
「ん?どうしたの?」
「えっと……その、ですね?一つお願いしたい事があるのですが……」
モジモジとしながらロンドンが上目遣いにこちらを見上げてくる。その仕草に思わず心臓が跳ね上がりそうになるが、必死に堪えつつ平静を保ちながら続きを促す。
「もし良ければ私の部屋でお茶でもいかがですか?実はお菓子も用意してあるんですが……」
「えっ!?」
「ここからならそう遠くありませんし……久しぶりに閣下とゆっくりお茶でもと…その…」
えっ、いや…その、いいの、ですか?
思わず声を上げてしまう。確かに魅力的な提案ではあるがいくらなんでもそこまで甘えるわけにはいかないだろう。とは言え、断るのも気が引ける。
だが、ついさっきニューカッスルに言われたばかりじゃないか。何もするな、問題を起こすな、大人しく部屋にいろと。極力ロイヤルの子達との接触を避けろって釘を刺されたばかりだというのに。彼女に悪意はなく親切心100%なのは間違いないがどうしたものかと悩んでいると
「駄目……ですか」
しゅんとした表情を浮かべられると俺としても断りにくいというか、まぁ、ね?
「分かった、少しだけお邪魔させて貰うよ」
「はいっ!」
パッと顔を輝かせるロンドンの姿を見るとやっぱり悪い気はしないというか、彼女は捕虜の中でも特に友好的に接してくれた子の一人だ。世間話の合間にそちらで何が有ったのか聞いてみればその情報がビスマルクさんを助ける間接的なサポートになる。
それに……個人的にも彼女の近況について知りたい事だらけだ。今、ロイヤルで何が起きているのか?そしてこれから先、どのような動きを見せるのか。
俺が国外で色々とケジメをつけていた間に、何が起きたのか……例えニューカッスルに警告されていたとしてもそれを知らなければきっと後悔する事になると思ってしまったのだから。
……それはそれとして未婚の美少女の部屋に行く事に少しだけドキっとしたのも事実ではあるが、常に妻達の顔を思い出せと念じ続けて煩悩を振り払い、俺はロンドンの誘いにのって部屋に向かうのであった。
………………
ロンドンに連れられて向かった先は彼女が暮らしている部屋だった。基地の一角にある居住棟の2階、廊下の突き当たりを右に曲がったすぐの場所だ。やはりと言うか人気はなくしんとしている。ロンドン曰く静かなだけで全員部屋でくつろいでいて偶に外でお茶会をする事も珍しくはないらしい。
ドアを開けると甘い匂いが鼻腔をくすぐる。花の香りだろうか、それとも良い香水を使っているのかもしれない。
部屋の作りは簡素だが、家具類はしっかり揃えられており掃除が行き届いているのが見て分かる。流石はロンドン、几帳面で真面目な子だけあって仕事に妥協が無いな。そんな感想を抱いているとロンドンが椅子に座るよう促してくる。お言葉に甘えて席に着くとテーブルに紅茶とケーキの乗せられた皿を並べ始めた。
「あの、何か食べれないものありますか?」
「いや、特には無いよ。ありがとう」
「そうですか、良かった」
ほっと胸を撫で下ろしながら向かいの席に座ってきたのでこちらも軽く頭を下げる。さて、せっかくの機会だし最近の出来事を聞いてみよう。そう思った時、ふと机の上に立てかけられていた写真が目に入った。
中央に位置するのは恥ずかしそうに微笑んでいるロンドンであり、その横には3人の少女達が並んで穏やかに笑っている。まるで絵画のような光景に目を奪われているとロンドンが視線に気づいたらしく、頬を赤らめながら小さく呟いた。
「姉妹達ですよ。私の自慢の妹達です」
「そうか……仲が良いんだね」
「えぇ!みんな優しくて可愛い良い子達ばかりです」
誇らしげに、嬉しそうに語るロンドン。余程大事な家族なんだろう。その笑顔からは本当に姉としての愛情を感じ取れる。
「閣下、お砂糖はいくつですか?」
「あー……うん、9つで」
「分かりました」
俺の返答を聞くと慣れた手つきでカップの中に角砂糖を落としていく。その様子をじっと見つめていると、クスリと小さく笑い声をあげる。
「サセックス、デヴォンシャー、シュロップシャー……とっても優しい妹達で、戦争中は心配してたようで…あっ、違いますっ。閣下の事を非難している訳じゃ無いんですっ!」
慌てふためくロンドンの様子を見て思わず苦笑してしまう。大丈夫だよ、と返すと彼女はホッとしたように息をつく。しかし……成る程、ロンドンは長女なのか。俺自身も長男だけあって少しだけシンパシーを感じるな。
「閣下?どうかなさいましたか?」
「いや、何でもないよ。ただ……」
「ただ?」
首を傾げるロンドンに小さく首を振る。まぁ、これはあくまで想像でしかない。本人から直接聞いた訳ではないからな。だから、口に出すべきかどうかは迷ってしまうが意を決して尋ねてみる。
「もし君にとって話したくない事なら言わなくていい。もし良ければ聞かせて欲しい事があるんだけど……」
「私に答えられる事なら構いませんが……」
「なら遠慮なく。ええと……何と言うかその……」
いざ、聞こうと思うと言い淀んでしまう。やはりまだ俺も精神的に成熟しきっていないというか、結婚したと言うのにまだちゃんとした大人になりきれていない部分があるようだ。こういう時にもう少し大人の余裕を見せられたら良いのだが……。
だがここで黙りこくっていても話が進まないし……よし。覚悟を決めて俺は真っ直ぐロンドンを見据えるとゴクリと喉を鳴らしてからゆっくりと問いを投げかけた。
「もし…嫌じゃなければ戦争が終わり、国に帰った後の君の事を聞かせてくれないかな?無理にとは言わないから」
「それは……ビスマルクさんからの命令ですか?」
「好奇心もあるし、その情報が鉄血の為になるのなら伝えるさ。でもエリザベス、さんから聞いたんだ。元捕虜の子達は大変な目に合ったって……それで俺が此処に来る前の事も……気になって」
イラストリアスについて話し合った時、詳しくは述べてないがエリザベスはシェフィールドとエディンバラを他国に亡命させたと口にしており、決して捕虜になった子たちは名誉ある帰還ではなく恥辱的な扱いを受けたと予想できた。事実エリザベスは腐った生卵を投げつけられている写真が鉄血にも残されていた。
「……そうですね」
俺の言葉を聞いた彼女は少しの間、目を瞑って思案するとポツリポツリと語り始めた。
「.……初めてでした、あんな目で見られたのは」
「……」
「軍人も、国の人々も、殆どの人が私達を見る目は冷たいものでした。船からこの基地に移動するまでに向けられた嫌悪と憎悪に満ちた目と視線。どの面下げて帰って来たのかという恨み辛みを滲ませた目で見られて居心地が悪くて堪らなかったのを覚えています」
ぎゅっと手を握りつつ、俯くロンドンの表情は暗く影を帯びている。彼女の言葉を聞けば容易に当時の様子と心境を察する事が出来てしまい、彼女達をそんな境遇に追い詰めてしまった自身の行動にもっと上手く立ち回れなかったのかと歯噛みする。
もっと上手く、捕虜の皆が凱旋できる道を作ってあげられなかったのだろうかと悔やむ気持ちが心の奥底から溢れてくる。彼女は俺を最後まで信頼してくれた。必ず祖国に返すという言葉を疑わず、信じてくれたというのに。
新婚気分で浮かれてロンドン達を蔑ろにしてしまったのではないか?少しでも彼女達に寄り添う姿勢を見せていればこんな事にはならなかったんじゃないかと考えれば考える程に後悔は深まる。
「ジャージちゃんは何もせずお空をずっと眺めていて反応も薄くなって、キュラソーさんも普段は平気そうな顔してますけど夜はお酒を飲んでばかりで……私もどうすれば良いか分からずこうしてお花を愛でる日々で……ダメだと分かっても思ってしまうんです。もし、私達が基地襲撃を成功していればロイヤルの皆はきっと今も一緒に笑っていられた筈なのにって……」
「…………ロンドン……」
「そんな事、考えたらいけないのに。基地襲撃の成功はグラーフ・ツェッペリンさんの命を奪う事。それだけではなくグラーフ・シュペーさんにアドミラル・ヒッパーさん。そして閣下を殺した方が良かったと願ってしまった……最低です、私は」
顔を手で覆いながら弱々しく呟く。
「閣下を…あんなに捕虜の私達の待遇を良くしてくださっていた閣下を殺した方が幸せだったなんて……思ってはいけな……っ」
それ以上は言わせまいと立ち上がり、彼女に手を伸ばそうとするが手は中を浮いたまま止まる。ロンドンの手は僅かに震えており、触れてしまえば壊れてしまうのではないかと不安になる。後一歩踏み出せば、彼女を抱きしめれば何かが変わるかもしれない。だけど……それが出来なかった。
鉄血軍人であるから。既婚者であるから。理由は色々とあるだろう。しかし一番は怖かったんだ。自分が戦争終結の為に悪辣な行動した事に関しては後悔はしていない。だからこそもしも今、抱き締めて、慰めて、大丈夫だよと言ってもそれはただの綺麗事でしかなく、自己満足に過ぎない。だから俺は伸ばした手を引っ込めて代わりにゆっくりと息を吐いた。
何も出来ずにいると、すすり泣く声が耳に届く。
「……閣下、申し訳ありません……お見苦しい所をお見せしました」
数分後、落ち着きを取り戻した彼女は静かに頭を下げた。
「閣下を責める気持ちは微塵も御座いません。寧ろ感謝しているんです。こうしてお茶会に誘ったのも、あの時のお礼をしたかったのに……すみませんでした」
「いや、俺の方こそ辛い事を思い出させてしまってごめん。打算的な意味で君から情報を引き出そうとしたのも事実だから……そう、だな。俺に言える事はその…もし、君が何か困った時は…俺に手紙の一つでも送ってくれ。俺に出来る限りの事はするつもりだし力になりたいと思う。それと……」
言い淀んでいるとロンドンは弱々しく 笑みを浮かべて首を横に振った。
「いいえ、大丈夫ですよ。閣下の優しい気持ちだけで充分ですから」
空気は決して軽くはなく、どんよりとした重たい雰囲気が立ち込めるが、俺はふぅと小さくため息をつくとカップを手に取った。中身を一口飲み込むと仄かな苦味と甘味が身体中に染み渡っていく。
「他の子は……イーグル達はどうなったんだ?」
ぴくりとロンドンが反応し、恐る恐ると言った様子で彼女は話し始める。
「デューク・オブ・ヨークさんについては分かりません。全ての地位を自分の意思で返上しバミューダ海域の激戦区に配属される事を望んだようですが……ですが、イーグルさんはその…」
「その?」
聞き返すと彼女はゆっくりと首を振る。
「だいぶ、やつれてしまって……ご飯を口にしてもすぐに吐き出して拒食症みたいになってしまっているらしく、今は病院で入院していると聞きました。特にイーグルさんは襲撃部隊の隊長として報道され、新聞や週刊誌にも取り上げられたせいで様々な人から好奇の目に晒されて、それで……」
「……そうか……シェフィールド、とエディンバラは?」
「………『生きては』います。」
……一気にケーキの味がしなくなり、それを無理やり紅茶で流し込んだ。喉に苦味が張り付くように残り、不快感が募るが気にしてはいられない。
「……別の話題にしましょうか?」
「そう、だね……すまないね。こっちから聞いたくせに」
一区切りの話がつき、しばらく無言の時間が続く。気まずく、会話を切り出すのが難しい中ロンドンはかすかに笑みを浮かべて何も言わずに紅茶をポットから注いでくれた。それを一口だけ飲めば……砂糖なんて入れてないはずなのに、ほんの少しだけ味が戻ってきたような感じがする。
そうして、俺たちはそれから暫くは互いの話や好みの話になり……なるべく内情などには触れないようにして、ポットのお茶が切れるまでは気分転換になるくらいには楽しい時間を過ごす事が出来た。
だけど、やはりと言うべきか……俺はすっかり冷めきってしまったお茶を眺めながらどうしても考えてしまうのだ。傲慢といえどもっと上手くできなかったのか?この戦争は全てのヘイトをロイヤルに押し付ける事で早期講和に繋がったといえるだろう。なら、そのヘイトをロイヤルではなく人類共通の敵であるセイレーンに向ける事に成功していれば、今よりロンドン達の待遇はマシになったのではないか?と。
……だが、そうはならなかった。メルセルケビール海戦、鉄血基地襲撃未遂、イオニア海海戦で膨れ上がったレッドアクシズ側の憎悪は取り返しの付かない程に肥大化し、そして最後の一線は指揮官暗殺未遂事件によってついに爆発した。
そう、あの日。俺がバカな行動をとり、シェフィールド達に発砲された結果レッドアクシズの憎悪は爆発してしまったんだ。もしあの日ヒッパーと出かけなければ、もしあの日スパイ2人を捕獲する為に援軍を待っていれば今とはまた別の未来があったかもしれない。
だが、その未来は恐らく戦争が続き余計に犠牲が増えるだけのものだろう。頭の中ではそう分かっていてもそう思わずにいられないというのは何と女々しい事だろうか。
「…あら、切れちゃいましたね?」
「それじゃあ、ここでお開きかな…お茶、ありがとう、助かったよ」
ロンドンが自分の分に注ごうとして…切れたポットをテーブルに置くと、俺も自分の分も飲み干して立ち上がる。
……プレッシャーだらけの環境だがロンドンとの会話は間違いなく癒しだった。ビスマルクさんは信頼してるがどうしても遠慮してしまう事もあり、こうして穏やかな時間を過ごせたのは久々な気がした。
その分のダメージも受けてしまったけどね。ロンドンを利用しようとした自業自得だ。
だけど、もうそろそろ戻らないとな。
名残惜しさを感じながらも彼女に別れを告げようとしたその時だった。
「……その、ですけれど」
立ち上がった俺に、ロンドンはどこか迷った様子であったが声をかけてくる。
「……こうしてお茶くらいなら出せますので…また、気分転換でもしたくなったらお声かけしてください」
「……いいのかい?」
───俺は君の祖国や仲間達を苦しめたのに。
───俺は君を利用して情報を得ようとしたのに。
───俺は君が苦しんでいる時に何もしようとしなかったのに。
気がつけばそんな言葉が無意識に口から出てしまったのは我ながら本当に色々と不安定になっている証拠なのかもしれない。
しかし彼女は一瞬驚いた表情を浮かべたが、すぐにいつもの微笑みに戻ると 小さく、だけど確かに首を縦に振った。
「だって理由は二つあります。一つは閣下とこうしてお茶を飲んでいる間は私にとって幸せなひと時だったから。正直に言えば私も……ずっと悩んでましたから」
恥を晒した挙句家族に罪人の妹というレッテルを貼ってしまった事。妹達は気にしてはいないと言ってくれているが自分のせいで妹達の人生に悪影響が、例えば人を好きになった時に『ロンドンの妹だから』と断られる事があるんじゃないかと。
「ですから、こうやって私の話を親身になって聞いてくれる人がいて、一緒にお茶を楽しんでくださる方が居るだけで私は救われているんです。利用してるとも言えるかもしれません。ロイヤルの皆と話す事が怖くなってる私にとって閣下は負い目もなく、普通に話せる唯一の方でしたから」
ロンドンは照れ臭そうにはにかむと、俺の目をしっかりと見つめて言った。その目は笑みを浮かべつつも、じっとこちらの心を透かすかの様に見据えていた。
「何より今の閣下の顔は……とても辛そうですから」
「……そんなに?」
無意識に顔に手をやり頬を撫でれば心なしか冷たい自分の肌の感触だけが返ってくる。これでもポーカーフェイスは慣れるように努力はして……あぁ、そうか。無意識に手を触れてる時点で辛いのか、俺は。
「……妻達とずっと話せてないから、かな?」
ぽつりとそう呟けば、ロンドンはくすりと笑う。
「でしたらギブアンド・テイクという奴です。私は閣下の奥さんの代わりは務められませんが多少の愚痴の相手になれますし、私も遠慮せずに話し合える相手が欲しいのですから。それに……きっと、奥さん達も同じ事を思っていますよ。貴方は1人で抱え込み過ぎだと。」
そう言う彼女の瞳はどこまでも真っ直ぐに俺を見据えていて、嘘偽りのない本音である事が分かる。
「だから、ね?今度は私がお茶をお誘いします。その時には、どうか……お願いできますでしょうか?」
「……分かった。約束するよ」
差し出された小指を見て、俺は苦笑いを零しながらも自分の小指を絡める。ゆびきりげんまんというやつだ。ロンドンの指は細く、それでいて柔らかくて……まるで壊れ物を扱うように優しく、そして温かかった。
「浮気はダメですからね?」
「勿論」
うん……全てが終わったらヒッパー達に包み隠さず話そう。
今回はIF展開はお休み。
・ニューカッスル
彼女との遭遇はダイスで決まっていましたが、明らかな監視役として指揮官の行動を警戒していました。そして彼女はタウン級軽巡洋艦クラス……つまり今作では全世界に汚名が知られてしまった暗殺者の1人ことシェフィールドの姉であり、彼女の言葉にはどんな感情が混じっているのでしょうか?なお指揮官も本来であれば実の所ニューカッスルの名前を聞いた時点で旧メイド長なのでは?と推測する事が出来たのですが……それすら出来ない程に今の指揮官はギリギリです。
・ヴァリアントに不安になる指揮官
彼女も必死で戴冠式を進めるための準備を行なっていますが情報伝達がうまくいっておらずロンドンは鉄血の指揮官が今この基地にいると知りませんでした。これは言ってみれば捕虜の名誉を汚した男が我が物顔で港に歩いている。更に捕虜だったものの家族や友人達がこの事を知ってしまえば果たして恨み骨髄の鉄血の指揮官を見てどう思うのでしょうか?
そう言う面も含めてはっきりいってヴァリアントは望まない地位になりながらも努力はしていますが、使者を迎えるが上に完璧な行動が出来ているとはいえず、更に人事面でもニューカッスルというシェフィールドの親族を監視役にする(たとえそれがニューカッスルが望んだとしても)と言うのは不適切と言えるでしょうし、どんどん綻びを見せてしまうロイヤルネイビーなのでした。
・捕虜達の現在
基地襲撃部隊→デューク・オブ・ヨークは激戦区を望み、襲撃部隊隊長であったイーグルはありとあらゆる方面から非難を浴びた結果判定によって食事も喉を通さない程に精神的にやつれてしまい現在では入院中。例えkansen達が味方であってもそれ以外のロイヤル国民のほぼ全員から白い目で見られて糾弾され、毎回腐ったトマトの臭いなどを漂わせて帰ってくるエリザベスを見ていたなど罪悪感も相まって耐えきれませんでした。
サディア参加組→オーロラ達も入院こそしていませんがイーグルと似たようなもので、特にサディアの謀略によって一般兵の捕虜とは違い、あえて贅沢な暮らしをしていたと国民に知られてしまったウォースパイトの精神状態はかなり危ういことに。頼りになる精神的支柱であるウォースパイトが側にいない事がエリザベスの挑発やヴァリアントの精彩をかく行動に繋がっていました。そしてイラストリアスは処刑になってもおかしくない程の状況であり、鉄血の英雄の元に差し出される事に。
暗殺者コンビ→生きて「は」います。粛清されただとか、一般兵によるリンチを受けた訳でもなく生きて「は」います。しかしもはやこの2人はロイヤルでは生きてはいけないほどの悪名と言えるでしょうし、シェフィールドとエディンバラの心も……
コメント、感想、評価をお待ちしております。
指揮官の後世の評価はどうなる?
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戦争を終わらせた立役者
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サディアを救った救国の英雄
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ロイヤル最大の敵
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女の子に手を出しまくりの色を好む英雄