鉄血の旗の元に《完結》   作:kiakia

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After18話 成長と空回り

 

 

 ビスマルクが諸々の工作を終え、夕日に照らされたロイヤルの基地に帰還して程なく彼女は全ての荷物を放り出して指揮官の待つ自室に飛び込んでいた。

 

 

 

「おかえりなさい」

 

 

 

 彼女の突然の帰宅に指揮官は驚きながらも笑顔で彼女を迎えてくれた。まるで変わらないその笑顔、それを見て彼女は心の底からほっとした表情を……浮かべる事ができない。安堵より先に感じるのは罪悪感と自身への嫌悪のみ。

 

 

 また、繰り返してしまった。一度ならず、二度も三度も同じ失敗を繰り返してしまい罪悪感と自己嫌悪で死にたくなる程の自責の念が彼女を蝕む。涙が流れ、声にならない嗚咽を零したくなる程に心が激しく荒れ狂う。

 

 そうしなかったのは彼女が全て報告を。エリザベスから諸々の報告を聞いていたからだ。申し訳無さそうに頭を下げながらエリザベスから自身が外部で仕事をしている時に何があったのかという真実を聞いた時、彼女の中で何かが音を立てて壊れてしまった。彼女の中に存在していた最後の自尊心といったものが。

 

 

 指揮官の傍を離れるべきではなかった。

 

 

 自分が外部で仕事等している場合ではなかったのだ……そう考え始めると彼女の中で自己嫌悪が止まらない。何故自分がここに残り彼を守る事を放棄したのだ。

 

 

 エリザベスやヴァリアントによくも我々の指揮官を傷つけたなと怒りを露わにして親指を下に向けて罵倒するだけでいいのなら気が楽であったろう。しかし、彼がたった1人で孤立無援となり傷ついていた時に何もしなかった、何もできなかったのは彼女自身なのだ。

 

 

 少なくともビスマルクはそう思っていた。また、繰り返してしまったと。国を守る為に眼を抉り取り、忠誠を尽くした腹心の心を破壊した時に誓った決意。もう二度と同胞達を裏切らず、守りぬくと。

 

 

 しかし、彼女はそれを再び守れなかった。いや守ると誓っていながらその実、彼女は何一つも彼を守るという約束を果たせなかったのだのだ。

 

 

 自己嫌悪が怒りになり、その怒りがまた自己嫌悪感を助長する負の連鎖。既に彼の元に向かう前に別の部屋で感情の赴くままに泣き叫び、拳で頭やソファーを殴りつけ、壁を蹴るなど普段の彼女を知るものであれば呆然とする程に荒れ狂い、自己嫌悪に苛まれてボロボロになってはいたがその比ではない程の感情の渦が彼女の心の中で暴れ回っていた。

 

 しかし、彼女が涙を流すことはなかったがそれでも感情は荒れ狂い、その波の荒さを表すかのように激しく肩が上下していた。呼吸も、荒くなっている。

 

 

 

「っ……はぁー……」

 

 

 

 深呼吸をして気持ちを落ち着かせようと考えた彼女は一度大きく息を吸いこむ。しかし彼女のその試みは失敗となる。いや、むしろ失敗という言葉ですら足りないかもしれない。何故なら、呼吸をする為肺に空気を送り込んだ直後彼女の視界がぐるりと大きく揺れたからだ。

 

 

 ヴァイスクレー・ヘルブストという人物は今や家族となったグラーフ達の指揮官として恥じないようにと身嗜みに人一倍気を使っていた。

 

 

 自己評価が底辺でありながらも「英雄」となる前から彼は自分の失態は皆に迷惑や苦労をかけてしまうと自覚し、それを恐れていた。故に彼は身なりに関しては人一倍の意識を持っていたのだ。

 

 

 指揮官はそんなビスマルクを心配そうに見ているがその姿は酷いものであった。顔はやつれ、髪は整われておらず、眼は充血し、髭や肌は僅かに荒れていたからだ。

 

 

 その眼の下にうっすらと存在する黒いクマも、指揮官の不精髭の伸びきった無精髭や乱れた髪の毛、少しやつれた様子に彼女が今までどんな環境に居たかを容易に想像させられる。

 

 

「…あっ…」

 

 

 

 声をかけようとした。しかし、ビスマルクは指揮官の顔を見た瞬間に再び、自己嫌悪で思考が塗りつぶされていく。自分は何故彼にこんな表情をさせてまでここに戻ってきたのだと……そう再び自責の念が強くなっていく。

 

 

 そんな自分を罰を与えるかのように彼女の中の荒れ狂う感情が次々に襲い掛かり、彼女から言葉を奪い去っていく。

 

 

「あなた……その格好」

 

「んっ…あー…申し訳ございません。ちょっと一人で過ごしてたので身嗜みには気を付けなくて。ちょっと髭剃ってきますね。ロンドンに悪い事したな…」

 

 

 違うそうじゃない。鉄血随一の才媛と呼ばれた彼女も今だけは思考回路が上手く働かず、言葉を選ぶことができない。そんな状態の中で彼は洗面台に向かって行き、その間ビスマルク近くの椅子に腰を下ろした。

 

 

 後悔、自責の念、自己嫌悪。様々な負の感情が彼女の中を駆け巡りその心は今にも壊れてしまいそうになっていたが……それでも彼女は弱音を吐く訳にはいかないと自分に言い聞かせて自分を奮い立たせる。自分が不甲斐ないせいで指揮官は傷ついたのだ。ならばその責任を取るべきだと。

 

 

「ふぅ……すみませんお待たせして」

 

「……いえ」

 

「では、報告を聞かせてください」

 

 

 しかし、彼は何も追求せず普段通りの調子で指示を仰ぐのだ。それが今の彼女には辛い。責め立ててくれた方がどれだけ楽な事であるかと言える程に辛く苦しい言葉なのだ。いっそ責められた方がまだ楽で、弱音を吐いたとしてもその責任を取ると思えたかもしれない。

 

 

 だが、彼は責めない。しかし、それが彼女の心を蝕む毒となってゆっくりと精神を腐食させていく。

 

 

「私が……」

 

 

 そして、報告を始めるも言葉が出てこない為に思わず泣きそうになるがそれでも僅かに残っている軍人としての誇りが辛うじて言葉を詰まらせるだけでとどめる事ができた。

 

 

「……以上よ」

 

「なるほど……」

 

 

 そんな報告を受けて彼は顎に手を当てて考え込む仕草を見せる。彼女にとっては長く、短い時間が過ぎていく。不満も何も彼は述べずただビスマルクの活動を脳内で反芻しているようだ。自分がどうすればビスマルクの役に立つのか、自分は何をしたらいいのか。

 

 

「もう一つ、質問があるわ」

 

 

 しかし、彼が何かを口にする前にビスマルクが言葉を遮る。

 

 

「……あなた、ロイヤルの子と一体何を話したのかしら」

 

 

 指揮官の表情が一瞬強張る。いくつもの言い訳が彼の脳内を駆け巡る。どのロイヤルの子との会話なのか。ヴィクトリアス達。ロンドン、そしてユニコーン。どのエピソードを答えるべきなのかと悩むが指揮官はどのエピソードを答えるべきなのかと考える。

 

 

 

「まぁ、その…自分がやった事を再確認してきただけです」

 

 

 

 洗いざらいビスマルクに報告するのが本来の指揮官の役目だ。だが、何故かビスマルクに全てを告げるのは憚られた。全てを吐き出せば楽になれる。だが、全てを背負い込むのが自身の役目だからと彼は正面からビスマルクに『嘘』をつく。

 

 普通に考えればそれは愚かな事だとすぐに分かったはずだろう。ロイヤル側が余程の隠蔽工作を行っていない限りビスマルクがその手の報告を受けていない筈がないのだから。

 

 

 

 だが、最早そんな当たり前の事すら考えられなくなる程に彼の心は疲労していた。

 

 

 

「本当に、それだけなの?」

 

 

 

 

 僅かな沈黙の後、彼女の口から言葉が吐き出された。最終確認。猜疑的に塗れた言葉でそう問い詰めても黙って彼は頷くばかり。指揮官は笑みを浮かべて無理に押し切ろうという態度を見せるがビスマルクは首を横に振る。

 

 

「お願いよ……嘘をつかないで」

 

 

 

 ビスマルクの口調から怒りや嘲りと言った負の感情は読み取れない。ただ、悲しみと寂しさだけが込められている。それは一体どうしてか?その問いかけに対して彼は何一つ答える事も、考える余裕すらなく狼狽した様子を見せて口を開こうとした。

 

 

「お願い、指揮官」

 

 

 だが、その口が開かれる前にビスマルクが彼の言葉を遮り懇願するように彼に訴えかけた。その言葉には普段の彼女の姿からは想像もできない程弱々しく、弱々しいのにとても力強い。まるで母親の様に彼の全てを包み込むような錯覚すら覚える程にどこか包容力に溢れた言葉であった。

 

 

 

「エリザベスから全て聞いているわ。貴方がロイヤルの幹部にとんでもない言葉を吐かれた事も。昨日イラストリアスを慕っているkansenを脅迫し、彼女を可愛がっていた連中は激怒したって事も。そして今日、貴方がずっと部屋から出てこない事も」

 

 

「……すいません」

 

 

 

 彼は小さく彼は呟くと、顔を俯かせながら項垂れる様に肩を落とす。沈黙の中で再び時計の秒針が進んでいく音だけが響き、まるで叱られる寸前の子供のような彼にビスマルクは先程見せた強い感情ではなく、優しく諭すように言葉を紡いでいく。

 

 

「なんで謝るの?」

 

 

「それは……自分が」

 

 

「……貴方は悪くないわ」

 

 

 

 

 再び彼女は首を横に振ると静かに。しかし、はっきりとした声でそう言った。その言葉に思わず彼は顔を上げて彼女の顔を見た。その横顔から見える表情に怒りも侮蔑もなく、ただ淡々と真実を噛みしめるかの様な表情で彼女は言葉を続けた。

 

 

「……これは私の責任よ。貴方がエリザベスの言うような恨まれるだけでは済まされない言動を好き好んで口にする筈がないもの」

 

「そんな事…」

 

 

 

 

 ビスマルクさんに責任はない。全て自分の責任だ。

 

 

 まるでそう口にしようとする指揮官にビスマルクは眼だけを向けて首を横に振る。

 

 

『あの人がそんな事を言うだなんて信じられません、どうかご確認をお願いします』

 

「…っ」

 

 

 口調を一気に変えたビスマルクの、まるで誰かの言葉であるかの様な言葉の言い方に彼は息を呑んで固まる。

 

 

「よっぽど交流があったようね?貴女の指揮官とあの子ってエリザベスに言われたわ。ロンドン、かしら?噂話を聞いていてもたってもいられなくなったのかエリザベスとヴァリアントに直接、鬼気迫る表情で陳情していたって。何か理由がある、だから話を聞いてあげてほしい。弁護なら自分もするからって」

 

 

 

 それまでポーカーフェイスをギリギリの所で保っていた指揮官は顔を引き攣らせてビスマルクに問いかけるが彼女は顔を背けて答える事なく小さく溜息をついた。

 

 

「なんで、そんな事を……」

 

 

 再び彼は沈黙の中でそう呟くと頭を抱える様にして俯いた。その様子は先程よりも酷く弱っているように見え、困惑と混乱を見せている。

 

 

「だから、最後にもう一度聞くわ…あなたが何をしたか、何を抱え込もうとしているのか…教えてちょうだい」

 

 

 沈黙と静寂が二人の間に流れ、再び時計の秒針だけが響いていく。先程まで指揮官は何かを言おうとして口を開こうとするも、それは声にならない呻き声となりそのまま彼は動かなくなる程に項垂れて固まってしまう。

 

 しかし、何度か頭をかいたり両手を擦り合わせると言った意味のない行動を繰り返す内に何かを決意したのか顔を上げ、立ち上がると同時に口を開こうと……した瞬間、ドン!ドン!と扉を激しく叩く音が二人の耳に入った。

 

 

 

 二人は一瞬硬直していた。何故?誰なんだ?とそして一瞬の沈黙の後、銃声がドアノブを貫通して鍵を破壊したと同時に、バタン!と音と衝撃が室内を伝う。そこには息を荒げながら、必死の形相で2人を見比べる眼鏡をかけた少女が一人立っていた。

 

 

 

 

 

「ろん…どん…?」

 

「ご、ごめんなさい!お邪魔だったのは、分かっています!ですけど、ですけど…!」

 

 

 

 いきなりの乱入者にビスマルクは警戒を露わにする。ロンドンは息も整えずに言葉を発しながら指揮官に言葉を投げかけた。

 

 

 

「あの、失礼なのは分かってますけど!閣下はそんな事をする人じゃなくてっ!いつもお茶会で楽しそうにしてくれて!なのに今日は約束の日なのに来ないから心配で……それで知り合いから閣下が噂になってるって聞いて!」

 

 余程焦っているのだろう。言葉は脈絡も何もない。冷静に任務をこなす落ち着いた才女の姿はそこにはなく、ただ感情を爆発させながらも目の前の女性から……陣営代表であるビスマルクが指揮官を処分するのではないか?最悪の可能性に震え、彼を庇おうと必死の様子だけが窺えた。

 

 陣営代表と鉄血の英雄が過ごすゲストルームドアを破壊して乱入し、好き放題言い立てる彼女は間違いなく処分されるだろう。場合によっては謹慎ではなく投獄されるかもしれない。

 

 それでも、そんな可能性があったとしても彼女の瞳にあったのはただ他国の指揮官を庇おうとする必至さと、彼の事を心から心配する心だけ。

 

 たった少しの関わり。捕虜生活の際に少し言葉を交わし、プレゼントのやり取りを行い、数日間お茶会を重ねただけの関係。たったそれだけの関係であったとしても、ヘルブストという存在はロンドンにとっては心名を掛ける存在となっていたのだ。

 

 

「閣下は、そんな人じゃありません!本当に良い人で、優しい人で……だからっ!」

 

 

 だからこそ彼女の必死な声はビスマルクの鼓膜を震わせる。ビスマルクにとって必死な彼女の姿はどこか眩しく、羨ましく思えた。

 

 

「……ありがとう、ロンドン。でも、ごめん、もう俺に関わらない方がいい」

 

 

 少し笑みを浮かべるも、直ぐに元の顔に切り替えた指揮官はロンドンに向けて拒絶の意思を示す。ユニコーンの様にお前と過ごしていたのは情報目当てだと露悪的な言葉を口にしなかったのは彼なりのロンドンへの敬意か、それとも。

 

 

「っ!どうしてですか!?わ、私はただ貴方がそんな事する人じゃないって!それだけで!」

 

 

 ロンドンは諦めない。相手が鉄血の陣営代表という身分を持っていたとしても関係ないとばかりに言葉を紡ぎ続ける。彼女の瞳は最早涙すら浮かび上がりそうになっていたがそれすらも意思の力で押さえつけ、今にも倒れそうな程に身体が震えていたとしても彼女は決して引こうとしない。

 

 そして……そんな姿を見てしまえば指揮官とて、これ以上彼女と関わる事は出来ないと決意を改める。

 

 

 

「俺がユニコーンさんに酷い事を言ったのは事実だ。絶対に許される事もなく、嫌われて当然の言葉をね」

 

 

「……」

 

 

「そんなアホに向かってこの人は悪くない。皆聞いて欲しい、きっと事情があったんだ。なんて口にしてみろ。君の立場はどうなる?孤立して、白い目で、奇異の目で見られて…」

 

 

 

 だから自分と関わるな。関わらなければ君は普通に、いや、もっと楽しく過ごせるだろう。

 

 

 自分の立場を考えろ、君は賢い筈だろう?まるでそう問いかけるかのように彼は静かに、だがはっきりとした口調でロンドンに語り掛ける。聡明な彼女はきっと理解してくれる筈だからと。

 

 

 

「だから…『嫌です!』」

 

 

 

 

 だがきっぱりと彼女は言い切る。拒否の意思を示した事に対して指揮官は思わずポカンと口を開き……ビスマルクはすっかり置いてけぼりの状況だ。指揮官がまた言葉を口にしようとするよりも早く、ロンドンは言葉を続ける。

 

 

 

「わかっています、私自身の立場も、あなたがわざわざ嫌われようとしている、ということ位は…その上で、私は追い詰められようとしているあなたを放ってはおけません」

 

 

 

 いつの間にか、ロンドンは指揮官の目の前に立って…彼の手を包み込んでいた。

 

「何故……そこまで俺を?」

 

 

 

 その手を振り払おうとしても彼は何故か出来ないでいる。ビスマルクも思わずロンドンの行動に困惑し、ロンドンもまた、そんな鉄血陣営の代表に対して恐れながらも彼の目を真っ直ぐと見る。

 

 

「…前に言ったでしょう、もっと頼ってもいいんだって。ずっとロイヤルに来てから大変そうな顔をして…それでも私の前では無理に笑って空気を悪くしない様にしてくれて……」

 

 

 

 真っ直ぐ、祈るように、それでいて力強い想いが灯る目で彼は思わず吸い込まれそうになるものの、いよいよ彼はロンドンの眼を見ることが出来なくなり拒絶するかの様に視線を逸らす。

 

 

「だからお願いです、どうか私を、あなたを支えたいと思う人を、どうか頼ってください」

 

 

「……ダメだ、巻き込みたくない」

 

 

 自分が耐えれば、自分だけが傷つけば…自分が、責任をとって、ロイヤルの全てを受け止めれば。全ての悪意や憎悪を受け止める鉄血の英雄(怨敵)になれば。

 

 

「鉄血ではなく俺さえ、俺だけが恨まれればそれでいいんだ。全部俺が悪いって流れになって……その後で、自分がいなくなれば…きっと、もっと全てが上手くいく筈なんだ」

 

 それでいいんだ、きっと、それがいいんだ。まるでそう自身を納得させるかの様に彼は頭を小さく横に振り……その様子を見て、ビスマルクはガツンと頭を横殴りにされたかのような錯覚に陥る。

 

 

 人は変わる、人は変われる、人は成長する事が出来る。そして彼は鉄血に着任したばかりの雛鳥から、様々な経験と人々との出会いを得て、鉄血どころかレッドアクシズに欠かせない『英雄』として成長していた。そう、ビスマルクは信じていた。

 

 

 

 

 

 

 だがそれは違ったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 彼の本質は全く変わらない。たった一年で彼の病的とも言える自己評価の低さと、自己犠牲を通り越した自信を顧みない思考、思想を変える事など出来てはいなかったのだ。

 

 

 多少の成長はあっただろう。多少の変化はあっただろう。だが、それは全て彼個人の凝り固まった本質を揺るがす程では無かった。

 

 

 

 その現実を叩きつけられたビスマルクは、これまで全く感じた事のない虚無感と、怒りを通り越した絶望を感じると共に……なぜ自身は腹心として仕えながらも彼の本質に気付けなかったのか。と己自身にも絶望する。

 

 では何故勘違いしてしまったのか?それは簡単だ。激しい戦いに身を投じる中、信頼関係を気付き上げた同胞達が。今では彼にとっての妻となったグラーフ達が傍らに居たからこそ、指揮官は自己犠牲や自己評価の低さを一時的にだが拭い去る事が出来たのだ。

 

 彼は妻が側にいる限り命を捨てるなんて馬鹿な事は考えないだろう。自己評価の低い彼は何かを迷えば、妻に真っ先に相談していただろう。心が疲弊した時も彼は素直に妻に甘えて気が済むまで慰めてもらっていただろう。

 

 指揮官の妻もまた理不尽に怒り、傷ついた夫を寄り添いながら慰め、馬鹿な行動には正論と妻としての立場から叱りつけ、最後には仕方ないなと微笑んで夫を許すのだろう。

 

 だが、彼の妻達の存在が居なくなったら?今まで彼が縋っていた物が無くなったなら?他の誰にも弱みを見せずに一人で抱える様になってしまったら?

 

 

 そう、指揮官を追い詰めたのは。彼を護衛として任命し、最愛の妻達と離れ離れにさせてしまった自分に他ならない。

 

 

 故にビスマルクは彼が、これほどまでに全てを背負い込む原因となってしまった己の浅慮を呪った。それと共に自身に向けて怒りと苛立ちを覚え……彼の本質を理解出来なかった己の無知蒙昧さに憤った。

 

 

 

 

 

 結局、彼女は繰り返してしまったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……それは違うわ、指揮官」

 

 

 少しだけ、遠慮するような形ながらも…ビスマルクはそう口を開く。

 

 

「あなただけが傷つけば、そして耐えればそれでいい、だなんて…そんな事、誰も望まないし、望んだりはしない…それに、あなたが傷つけば…どう隠そうとしたって、あなたの周りも傷つくわ。それこそ、そこの子みたいに、ね」

 

「……でも」

 

 

 まるで怯える子供の様に指揮官はロンドンに目を泳がす。ロンドンは……全てを受け入れようとしていたのだ。自身の立場の危うさも、これから自身に降りかかるであろう風当たりの強さも、それら全てを理解しながらもなお、彼女は己の意志で彼を救おうとしている。

 

 どんな言葉をかけられようともロンドンは揺らぐつもりはないのだろう。その言葉を証明するかの様にロンドンは指揮官の手を包む様に握りしめる。

 

 

「…だから、私から言うわ…」

 

 

 ビスマルクは続く言葉を紡いだ。まるで、一字一句考えられた言葉を吐くかのように、穏やかな口調で淡々と一言一句を確かなものにする為に。

 

 

「お願いだから一人で抱え込まないで…もっと、私達も頼ってちょうだい……こんな事、こんな風になるまで気づかなかった私が言っても説得力は無いかもしれないけれども…ね」

 

 

 

 ロンドンが包む手に重ねるように、ビスマルクも躊躇いがちに手を置こうとするも……彼を追い詰めた自身にはその資格はないとビスマルクは取りやめる。その事を指摘する程の余裕は今の指揮官にはありはしない。

 

 これらの慰めは普遍的なものだ。辛い時、苦しい時、悲しい時、不安な時にかけられる優しい言葉。大多数の人間が当たり前の様に受け取る慰めの言葉。使い古され、同じような言葉がこの世に溢れかえった陳腐な言葉。

 

 

 

 

「俺は…」

 

 

 

 

 震える様に指揮官の口から言葉が紡がれるも、それは余りにも小さくて弱々しくて……今にも消えてしまいそうで。憔悴しきった表情は青ざめていてはいるが、そんな陳腐な言葉が今の彼にとっての救いであるかのようにビスマルクとロンドンを指揮官は無言で見つめ……。

 

 

 

 

「……っ……」

 

 

 

 

 

 顔を上げられずに暫くの間声にならない声を上げたかと思えば、途中で、プツリと何かが切れる感じとともに意識を失ってしまう。ガタリ、と倒れそうになる指揮官をビスマルクとロンドンは慌てて支えてみせる。

 

 

 

「だ、大丈夫なんでしょうか…!?」

 

 

「……多分、緊張の糸が張り詰めすぎたか緩んだか…どちらにせよ、意識が保てなくなったようね。多分大丈夫だとは思うけど…念の為、運んでおきましょう」

 

 

 

 ビスマルクの言葉にロンドンは指揮官を恐る恐る抱き抱え、彼をベッドのところまで移動させるとビスマルクが近くの棚から取り出した医療キットで応急処置を行い、手早く診察を済ませては異常が無い事を確認した後に医療キットを片付ける。

 

 

「……情けないわね」

 

 

 ポツリとビスマルクが呟いた言葉の対象が誰であるのかは明白であった。ロンドンはどう声を描けるのか迷い、そのまま口を噤んでしまうが、ビスマルクはそんな彼女に向き合うと改めて、頭を下げながら謝罪の言葉を口にした。

 

 

 

「……私が不在の間、彼を支えてくれてありがとう。たったの数日だとしても……私が戻るまでの間、あなたが彼と一緒になって戦ってくれたからこそ……彼はこれまで保てていたのね。本当に感謝しているわ」

 

 

 ビスマルクは頭を下げ続けながらそうロンドンに感謝の言葉を告げたが、ロンドンはただただ混乱してしまい思わず「お、おやめください!」と大声を上げてしまう。

 

 

 

 陣営代表が。それも実質的な戦勝国の人間が敗戦国の幹部ですらない少女に頭を下げて感謝の意を示したのだから。

 

 限界ギリギリまで耐え続けた挙句、幼い少女を傷つけた指揮官。

 

 もう二度と繰り返さないと思っていた過ちを再び繰り返してしまったビスマルク。

 

 ただ指揮官を信じ、支え続けようとした少女ロンドン。

 

 奇妙な空間にどんよりとした無力感と虚無感が覆っていく。もっと何か出来たはずだと。

 

 

 

 もっと上手く頭を使えば誰も傷付かない結果を生み出す事が出来たはずだと可能性の糸を手繰り寄せても、それはあくまで可能性にしか過ぎず現実にはならなかった。

 

 

 過ぎ去った時間は戻らない。起きた過去は変えようがない。

そこから挽回する事は出来ず、後悔ばかりが募っていく。

 

 

 

 故に、その空間にはただただ深い喪失感だけが蔓延していた。

 

 

「……ひとまず」

 

 

 

 気まずくなりかけていた空気を裂くようにビスマルクは言葉を紡いだ。

 

 

 

「……それじゃ、私は少しエリザベスと…ヴァリアントと話してこなくちゃいけないから、よろしくお願いするわね」

 

「えっ、えっと、その…私も、ついていった方が」

 

「いえ、一人はついていてあげた方がきっといいし…それに、それはきっと私よりあなたの方が適任でしょうから…悔しいけれども、ね」

 

 

 

 

 そういうと彼女はマントを翻して自室を後にしようと足を進めようとする。

 

 

「あのっ!」

 

 

 そんな彼女の背中をロンドンが呼び止めた。ビスマルクは振り向きはしないものの、足を止めて彼女に言葉の続きを促した。

 

 

 

「……今更、本当に今更ですけれど……エリザベス陛下も、ヴァリアント陛下もずっと私達を護ろうと必死で動いてくれていて…だから、その」

 

「……今回の事は鉄血は何も追求しないわ。全てを隠蔽して闇に葬る事になるでしょうから安心して頂戴」

 

 

 

 その言葉にロンドンは戸惑いを見せるものの、ビスマルクの寂しげな表情と、彼女なりの気遣いを感じ取ると口を噤み。何も言わずぺこりと頭を下げる。

 

 

 

 それを見て少しだけ安心したのか……ビスマルクはそれ以上は何も語らずに部屋を後にするのであった。

 

 

 






・指揮官の成長について。

 本作の主人公。ヴァイスクレー・ヘルブストはこの戦争で様々なモノを得る事が出来ました。経験、覚悟、挫折、そして最愛となった妻達。しかし、彼の本質は何も変わってはいませんでした。

 自己評価の低さと狂信的とも言える自身への執着の無さ。それらは全て側にいてくれるグラーフ達のお陰で矯正されたものであり、いわばボロボロの苗木を外付けの器具で固定しただけに過ぎません。無論それらは本人や妻となったグラーフ達にも自覚はなく、本来であればじっくりと基地の司令を務め上げる。或いは結婚生活や父親としての自覚を見せる事でゆっくりと意識を変革していく事も出来たでしょう。

 それが結果として孤立し、家族に頼る事すら心配をかけられないからと拒否し、耐え続けた結果が自分が悪者になれば他の鉄血の皆は白い目で見られない筈だ。だから俺はロイヤルから嫌われよう!と短絡的で本来の彼であればありえない様な行動に結びついてしまい、結果ユニコーンに暴言を吐いてしまう羽目になるのでした。


 ちなみにに今までのおまけとして登場したグラーフ、シュペー、ヒッパー同行のIFルートはそんな彼が孤立しなければどうなったのか?というIFでもあり、早々にロイヤルから引き払ったグラーフは例外としても、シュペーとヒッパーの内誰かが指揮官の側にいればもっと穏便に今頃ロンドンと仲良くお茶をしていたでしょうね。ガスコーニュ、ヴェネト編はまた後日。

・ビスマルクについて。
 意図的に後半はビスマルクの心情描写を控えめにしましたが、もう彼女の心はボロボロです。結局は彼女が強引に指揮官を連れていった事が今回の騒動に繋がってしまい。二度も同じ間違いをしてしまい、そして自身はこれからロイヤルと共に隠蔽工作に走る事になるのですから。

 とはいえビスマルクも、自身が不在の間に指揮官がエリザベスのお膝元でヘイトスピーチをぶつけられた挙句、家族との連絡すら拒否するほどに抱え込む様になっただなんて、予想出来るはずもないので仕方ないのですが。

・ロンドンについて
 ネタバレになりますが彼女の発言に裏表は一切ありません。打算も、謀略も、恨みもなく。ただ純粋に、自身の立場が悪くなる事すら覚悟して、閣下のために行動をしていました。






 次回はそんなロイヤルについて踏み込むお話。指揮官がぶっ倒れた中で始まる会議。果たしてヴァリアントはどう選択するのか。そして、そんな彼女を見つめるモナークの真意とは。


 コメント、感想、評価をお待ちしております。

指揮官の後世の評価はどうなる?

  • 戦争を終わらせた立役者
  • サディアを救った救国の英雄
  • ロイヤル最大の敵
  • 女の子に手を出しまくりの色を好む英雄
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