バルト海を一望とするウーゼドム島の小さな街の近くに建設された海軍の実験施設『ペーネミュンデ兵器実験場』。鉄血海軍における様々な兵装実験や技術試験が行われる場所にて、俺は今、禁忌の実験に立ち会おうとしていた。
「最終確認にゃ。指揮官は本当に後悔しないのかにゃ?」
車一台程度の大きさの謎の機械にレンズを取り付けながら明石は真剣な目で俺に尋ねる。彼女がこれから行おうとしている研究は極秘であり、この実験も絶対に他国にも、なんなら同胞である多くの鉄血海軍の皆にも幹部や将校以外には漏らすことの出来ない最高機密だ。
「あぁ……頼む」
俺の言葉に明石は深く溜息を吐くとゴーグルを外してからゆっくりと頷いた。
「分かったにゃ……」
震える手でスイッチを入れる彼女の表情は今まで見た事がないような真面目なものだった。倫理観と技術者としての好奇心、そして彼女の中の葛藤。様々な感情で彼女は揺れ動いているのが手に取るように理解できた。
「あぁ…待った。スイッチは俺が押すよ。明石はグラーフ達の所に避難してくれ」
「ふざけてるのかにゃ!?」
俺の言葉に明石は憤慨するが、その肩に手を置いて彼女を説得する。勿論、ふざけているわけではない。寧ろ至極真剣だ。
「悪いが明石……これはお願いや冗談でどうにかなるもんじゃないんだ。もしも明石の身に何か起きたらそれこそ……」
「明石にだって商人として!技術者として!工作艦としての吟味があるにゃ!確かに明石だって怖いにゃ。失敗すれば明石も巻き込まれて死ぬし、指揮官もただじゃ済まないにゃ……。でもここで指揮官に任せたら何かあった時に調整を施せる明石の責任にもなるにゃ……」
俺の目を見つめる彼女の手は恐怖で震えている。怖いんだろう。本当は逃げたいんだろう。明石が本来臆病な性格だと俺は知っている。だがそれでも尚、明石の目に諦めや絶望は浮かんでいない。
「あのぉ……まだでしょうか?指揮官様?」
そんな雰囲気に似合わない様子のイラストリアスは椅子の上でキョロキョロと周囲を見回す。服装はまるで手術衣のようなものなのだが、彼女の豊満なバストとヒップを際立たせておりエロティズムを醸し出している。
「悪いな……イラストリアスももう少し待っててくれ」
俺の言葉に彼女は微笑みながら小さく頷いた。その笑みに狂気を感じさせるものはなく、むしろ目の前の事象に対して一種の好奇心を抱いているような雰囲気だ。
事前に明石が煎じた精神安定剤を飲ませている為か彼女の容体は収まっており、側から見ると俺と初めて会った時とは変わらない印象だ。だがそれも効能は一日一時間程度限定。早くしなければ『再発』し、彼女は服を脱ぎ捨て、それはもう『厄介』な事になるに違いない。
「……なぁ、イラストリアス」
「はいっ?」
きょとんと小鳥のように首を傾げる彼女に俺は静かに告げた。
「俺は今から君に酷い事をする」
「はい?」
俺の宣言に彼女は目を点にして首を傾げた。その反応は当然だろう。説明はしたんだがやはりというかイラストリアスは現状を理解していない。忘れているのか、都合の良い解釈をしたのか、それとも区別がつかなくなっているのか。何れにせよ今から俺がイラストリアスに行う行為は彼女を著しく傷つける。
「だから俺の行動や言動、俺に何かされようが……君は決して抵抗しないでくれ」
「……はぁ…?」
イラストリアスは尚も首を傾げるばかりだ。だが俺はそんな様子を無視して明石に合図を送った。彼女は小さく頷くと共にスイッチをONにする。そして……『それ』は起動するのであった。
「もし治療が完治すれば俺を煮るなら焼くなり好きにすればいい。もし失敗しても責任を持って君を一生できる限り幸せにする」
機械はぷす…ぷす…と音を立てながら何かが吹き出し始めた。機械の中から漂ってくるのは生臭い臭気とどことなく泥臭い匂いだ。そして中心部に設置されたレンズが青白く光メンタルキューブを通じて緑色の光を照らし始める。
「最悪、もしここいら一帯が吹き飛んで。君が死ねば、俺はたとえ生き残ったとしても君の後を追う」
「メンタルキューブの出力安定!シグナルの共鳴率83%!マテリアルの損傷も問題にゃし!行くにゃ!」
メンタルキューブに照射された緑色に発光する光は機械内部を循環するように動き始める。オーロラのようにも見える光景に俺とイラストリアスは息を呑んだ。
何処か懐かしく、それでいて不気味な光……それはまるで星の瞬きのような光でもあり……死に逝くモノの末期の輝きのようにも感じられたのだった。
「だから……最後まで、付き合ってくれ」
そして、光は周りを包み込み。
放たれた怪光線がイラストリアスに照射されたことを確認すると。
「ごめんな」
俺は意識を失った。
時は一週間を遡る。
「PTSD…?それって…」
「あぁ、知らなくて当然だにゃ。PTSD(Post Traumatic Stress Disorder)。心的外傷後ストレス障害。それがイラストリアスの病名にゃ」
ビスマルクやヴェネト達への報告などを終えて明石が待つ応接間へと戻った俺に待っていたのは明石からのそんな衝撃的な報告だった。
既にイラトリアスはシュペーに連れられて客室に向かっており、部屋には俺と明石、そしてマンジュウ達だけの空間。本人不在の中苦々しい表情の明石は一枚の紙を取り出すと、俺とマンジュウ達に見せる。
「知らなくても仕方ないにゃ。こんなマイナーな病気について知ってるのは一部の精神科所属の物好きな医者と明石。後はユニオンの工作艦のヴェスタルくらいにゃ」
明石の差し出した紙にはイラストリアスの症状が書かれていた。その殆どは『PTSD』と書かれており、彼女の精神状態がかなり危険な状態にある事を表している。
「この病気は簡単に言うとトラウマやストレスが原因で起こる心の病にゃ。発症する原因は様々で、例えば家族を失ったとか恋人を殺されたとか……そういう人が多いにゃ。でも中には自分が何かしたからこうなったんだっていう妄想に取り付かれて自傷行為をしてしまう人もいるにゃ」
明石曰く、アイリスでは昔研究された事もあったそうだ。その対象は性暴力を受けた女性が中心であり、陵辱や暴力などにより心に傷を負った者。
彼女達は自由の身となった後も精神に支障をきたし、パニックによる発狂や自傷行為。痙攣や周りに危害を加えるなどの行動を行う女性が少なからず存在していた。
だがそれらは研究分野としてはマイナーであり、この分野の研究が本格的に行われる事は無かった。中には金目的の詐症と疑われる事もあったと女性として思う所があるのか明石は口を尖らせる。
次に本格的に話題となったのは今から50年ほど前。丁度セイレーンがこの世界で現れて始めた頃だ。人類に対する絶対的な敵対種による苛烈な攻撃は多くの軍人が犠牲になったが、生き延びた者の中にはショックの余り戦場の記憶が蘇り唐突に泣き始めるもの、暴れるもの、立つことができなくなるもの、無許力に自傷行為を行う者などが現れ始めたのだ。
もし人類がそのままセイレーンとの殺し合いを続けれていれば、そんな患者達は今とは比べ物にならない程量産され、一気に研究が進んだであろうと明石は語る。だがそうはならなかった。全てはkansenの登場や無人艦の普及のおかげだ。
戦乙女達は強かった。砲を構えれば敵は穴だらけとなりされ、魚雷を発射すればセイレーンは爆音と共に海に沈んでいく。
戦場の主役が彼女達に移行するのは当たり前の結果であり、更に人的資源を守る為にアズールレーンにて研究、配備された無人艦は少なからず戦果をあげ、海軍は無人艦とkansenを中心に再編されていく。
その結果、仲間達が死亡した事で精神的にショックを受けるkansenは少なくない数が産まれたが、軍人や民間人の死亡率は戦争初期とは比べものにならない程に下がっていく。それらは戦傷によるヒステリー症状を引き起こす患者達サンプルデータの喪失を意味し、PTSD……心的外傷後ストレス障害と名付けられた症状が忘れ去られる要因に繋がっていった。
「明石やヴェスタルはkansenの治療の経験があるから知ってるにゃ。でも鉄血では……下手をするとビスマルクすら知らない可能性もあるにゃ」
鉄血公国は福利厚生や社会的弱者の救済に関しては共産主義以上に力を入れている国家だ。明石曰くこの国はPTSDになる前の予防が異常なまでに洗練されているらしい。
故に戦いによって心の傷を負う前の段階で適切かつ迅速な治療が可能であり、ある意味世界の何処よりもPTSDとは無縁の国家だと口にする。
そして……ロイヤルも。いや、クイーン・エリザベスに忠誠を誓っていたkansen達やその周囲も、これらの症状を知らなくても仕方ないと。
「……それで、治るのかな?」
「………」
恐る恐る尋ねる俺に明石は無言で首を横に振る。その反応を見て俺は深く狼狽する。
「治療の可能性は……現状かなり厳しいにゃ。軽度の症状なら投薬とメンタルケアで治るにゃ。でも重度になると……明石の手には負えないにゃ」
「そんな……」
この病気を克服するには長い時間をかけて精神を癒す必要があるが、それをするにも時間と根気が必要になってくる。そして何より、心の傷を治すには本人の努力が必要だ。
だが彼女は今、心理的外傷によって常に夢や妄想と現実の区別が曖昧であり、そんな状態ではどうしようもないと。
例えるのであれば、それはまるで『心』という器にヒビが入ったまま無理やり妄想で修復されたような状態。妄想だけを取り除いてもヘタをすると器ごと破壊しかねない。そもそも修復するという意思すらイラストリアスは持っておらず、治る見込みも極めて低いと明石は言う。
「じゃあ、どうすれば……」
「……指揮官はイラストリアスをどうしたいにゃ?」
俺が弱々しくそう尋ねると明石は静かに顔を上げて俺の顔を見た。まるで自分の意思を確認するようにこちらを見る明石に俺はその問いに答える。それは最初から変わらぬ回答だ。だが……今回は強い意志を込めて明石の瞳を見つめる。
「彼女を治してあげたい」
心からそう思うのだ。今の彼女の現状を見て見ぬ振りはできないし、それを放置する事もできないと。使命感や責任感ではなく。ただ純粋に『そうしたい』という気持ちで俺は彼女を治療すると明石に宣言すると、明石は迷ったそぶりを見せながらしばらくの沈黙の後、静かに頷いた。
「分かったにゃ……指揮官がそこまで言うのなら……明石も覚悟を決めるにゃ」
葛藤と不安、そして恐怖。そんな感情に揺れ動きながら明石はそう呟いた。
「本当に、本当に何でもする覚悟はあるのかにゃ?人の道から外れる事も、非人道的な事もにゃ。別に人を殺せとか、そういうレベルの話じゃないにゃ……本当に……」
「……あぁ」
明石の質問に俺は静かに頷いた。それを見て彼女は何度も躊躇いながらも口を開き始める。
「まず、イラストリアスの病気を完治させるには過程は二つあるにゃ。一つ目は時間をかけながらメンタルケアを行い治す方法。こっちは限りなく可能性が低いにゃ。そして二つ目が『別の手段』で治す方法にゃ……」
「別の手段……?」
明石は頷くと小さな箱から一枚のレンズを取り出した。透明なようで光の角度で虹のように色を変え、まるでクリスタルのようでもあった。そのレンズを俺に差し出すと、明石は説明を始める。
「今、重桜ではある極秘計画が勧められているにゃ。全ての始まりは重桜が北方連合との共同作戦であるセイレーン基地を撃破してその戦利品を入手した事が始まりだったにゃ」
重桜は今もアズールレーンに所属しているが、だからといってセイレーンの技術解析を行っていない訳ではない。
そもそも国民がその身体に精霊だとか妖怪だとかよく分からないものを大昔から宿している集団であり、セイレーン技術に関する忌避感はロイヤルやユニオンと比べても低かったのだろう。
北方連合との同盟によりさらに多くの技術を得た重桜はその戦利品と北方連合から提供されたセイレーン技術によってとある禁忌の研究を進めているようだ。
その研究の名は『比良坂計画』。彼等の神話に登場する現世とあの世の境目に位置する『黄泉比良坂』をその名に刻む計画は正に神の所業と言うべきものだ。
「重桜では戦力拡張の為に今も少しずつkansenが誕生しているにゃ。でも彼らは実戦経験を殆ど積まずに生まれて、そのまま戦場に出るという弱点があるにゃ。なら指揮官、その弱点を補う方法はなにか分かるかにゃ?」
「……まさか」
黄泉比良坂の名を関する計画と今の説明。そこから答えは簡単に導き出せる。しかし、余りにも馬鹿馬鹿しくあり得ないアンサーは脳が理解と肯定を拒み、俺は首を横に振ってそれを拒絶する。
「実践経験のある過去のkansen。それも死者のコピーを現世に生き返らせる事にゃ。そして記憶と最も激しいセイレーン戦争初期の激戦を知る猛者のコピーに最新鋭の艤装を与えて配備する。それが『比良坂計画』の最終目標にゃ」
明石の答えに俺は絶句した。死者を生き返らせる。それがどれだけ馬鹿げた事で、どんなに人道を踏み外した行為か。もし仮にそんな技術が実現すれば、それは人類史における最大の禁忌となりうるだろう事は想像に難くない。
だが……その研究は重桜で秘密裏に行われていたという。
「このレンズの特殊な光を『生きている』有機物に当てると、全く同じ分身を作り上げる効果を持つにゃ。例えばプランクトンに当てればそこに存在するプランクトンのDNAから情報を得て同じプランクトンをコピーするにゃ」
「そんな事が出来るのか……?本当に……?」
「そうにゃ。それどころかマウスにこの光を当てればマウスの分身が『生まれて』しまうにゃ。倫理もへったくれもない外法。命や尊厳を踏みにじり、死者を弄ぶ最悪の計画に流石の長門様も難色を示して計画は凍結されたにゃ……表向きには」
しかし、と明石は続ける。
「中止や破棄ではなく凍結という事は……裏では進行してるって事にゃ。そして、明石はそのスポンサーから頼まれているにゃ『死者を甦らせる実験の前に生者のコピーを造って欲しい』とにゃ」
「まさか、その被験者って……」
そこまで聞けば彼女が何を言わんとしているかは理解した。だが俺の質問に明石は肯定も否定もしない。ただ冷たい無機質な顔でこういった。
「イラストリアスの、そのコピーを産み出す事でPTSDのイラストリアスの精神を安定させる事。それがイラストリアスの病気を完治させる為の最後の条件にゃ」
………はい?
いや、えっ……なんで?
「いやその…明石?精神の安定…?何言ってんの?」
一瞬意味が分からなかった。俺が予想したのはイラストリアスのコピーを作り、本物を『処分』した上でPTSDではないイラストリアスを向かい入れるという提案だ。
余りにふざけた提案が頭によぎり、流石にそれはと拒否しようとした所で斜め上の答えが返ってきて。俺は困惑した表情を浮かべる事しか出来なかった。
「端的に言うと、イラストリアスには妊娠をすっ飛ばして子持ちになって貰うにゃ。既に動物実験で大人のマウスから全く細胞の同じ子供のマウスを生み出す事には成功しているにゃ。その技術の応用で───」
明石は困惑する俺を無視してペラペラとよく分からない言葉を並べだした。俺は情報の理解が追いつかず、頭を抱えることしかできない。出来る限り耳から耳に言葉の羅列を流そうとするが、専門用語や複雑な計算式が頭に流れ込んできて、俺の脳のキャパシティは限界を迎えた。
「……つまり?」
「イラストリアスから子供のイラストリアスを産み出して母親を経験させる事で精神安定させるって事にゃ。現実と妄想の狭間で混乱するイラストリアスに母親としての自覚と母性を与えれば、彼女の心も安定するって算段にゃ」
……言ってる事は分かる。分かるけど何で??どうして??という疑問が頭から離れなかった。
「……いや、明石さん?その、さ。なんで子供なの?その説明を聞く限り動物とか養子とかでもいいんじゃないの?」
母性を自覚させる事による精神安定なら犬猫に囲まれてその世話をする事で癒されて精神安定、もしくは養子縁組でも結んで子供を引き取りイラストリアスをと……色々やり方はあるはずだと俺は思った。
「それは駄目にゃ」
しかし、そんな俺の提案を即座に明石は否定する。その反応に俺は思わず眉を顰めた。
「なんで?」
「指揮官は男だからちょっと分からないかもしれにゃいけど、哺乳類のメスは例外なく実の子供には特に愛情が産まれるものにゃ。動物は癒されても母性を生み出せるのかと言えば難しいにゃ。養子は……指揮官も聞いたことないかにゃ?灰被り姫って童話をにゃ」
「えっ、まぁAschenputtel (アッシェンプッテル。要はシンデレラの事)なら鉄血でも有名だが…」
「あの話では主人公は継母に虐められていたにゃ。けど継母は実の娘には特にそんな描写もなく、『実の娘』と一緒に『血の繋がらない娘』を虐めていたにゃ。アレと同じでどうしても養子と実子じゃ愛情が違ってしまうにゃ。だからイラストリアスは実の子供を『産む』事で母性を得る必要があるにゃ」
でも、と明石はイラストリアスがPTSDだと示す紙をトントンと指で叩く。
「でも、今のイラストリアスが妊娠なんてしても間違いなく碌な事にならないにゃ。妊婦になっても指揮官に肉体関係を迫って無理に襲うなり、胎児に影響を与える薬やお香を平気で使って流産させるなり、絶対にろくな事にならないにゃ。そうなると妊娠も無理、出産も不可能。でも実子でなければ心の傷を修復するのに必要な『母親』という自覚は得られないにゃ」
だから『比良坂計画』の実験に参加し、ある程度成長した段階の子供の分身を実子として生み出す事で自覚を促す。事実PTSDの被害者は『親』となる事をターニングポイントとして完治した例は多数存在しており、自然界においても凶暴な猛獣が母親となる事で子を守ろうとする事例は珍しくないと明石は述べる。
成功するかどうかは不明。投薬治療で少しだけ安定させる事は出来ても重度のPTSD患者であるイラストリアスには自然完治は難しい。
失敗すればその子に実の親に捨てられた娘という烙印を刻む事になる。そもそも愛し合うのではなく治療と軍事実験の為に新たな生命を生み出すだなんて冒涜的、背徳的、非人道的な事この上ない。
それでもと。覚悟があるのなら明石は機材を用意してくれると誓った。俺達はイラストリアスの治療に光明が見える。明石は非人道的で躊躇ってたであろう『比良坂計画』の貴重なデータを入手する事ができる。全員が笑顔になれる関係を構築できると言うかつて明石が語った言葉通りの取り引きだろう。
まさしく人道なんて物を塵紙の山に投げ捨てる行為。まさに悪魔の取引である事を除けば。
「ふぅ……感想を言ってもいいかな?」
「倫理観皆無。人権無視。外道の極み。鬼畜の所業。神に対する冒涜。悪鬼羅刹。なんでこんな計画に参加したんだこのマッドサイエンティストが。他にも好きなだけ言うといいにゃ」
ぶっきらぼうではあるがその表情の裏にどこか後悔と同情といった様々な感情が混じっているのを感じた。きっと葛藤もあったのだろう、彼女なりに実験に参加し続けなければならない理由もあるのだろう。けど俺が彼女を非難するなんて事は出来ない。だってこちらをある程度利用しようとする意図はあれどわざわざ情報を引き渡してくれたのは彼女なのだから。
「……少しだけ、皆と話し合ってもいいかな?他言無用にしておくから」
明石は頷いてカバンに書類を詰めていく。何を思ったのかレンズを一枚俺に手渡した。
「指揮官の好きにすればいいにゃ」
それだけ言って彼女は無言で立ち上がって出ていく。俺はしばらく渡されたレンズを手に持ったまま呆然と立ち尽くしていたが、やがて大きくため息をつきながら机に突っ伏した。
「どうすればいいんだよ……」
一人になった部屋で、誰にも聞かれる事のない俺の弱音が部屋に木霊した。
結論から言えば俺は明石に頼み込むことになった。
グラーフは仮に失敗したとしても我が育ててみせると頷いてくれた。
ヒッパーは反対した。それは都合の良い実験役に選ばれてるだけ。イラストリアスはどうなってもいいが、アンタは確実にその実験を側で見守るだろうし危険性がある以上断るべきと最後まで心配してくれた。
シュペーは中立の立場だ。本人は感想を述べなかった。ただ、悩み抜いて死人のような顔をした俺を慰めてくれた。
ガスコーニュはよく分からないと。でも、何かあればお姉ちゃん達にも治療法を探してほしいと頼むからと頭を撫でてくれた。
勿論サディアの2人とロイヤル滞在中のビスマルクにも連絡した。皆忙しいながらも時間を取ってくれてそれぞれの意見を述べてくれた。
リットリオはサンプルデータが余りにも少ない。仮にやるにしても、まずは君のつてで死刑囚辺りで人体実験を行ってからにすべきと提案していたが流石に却下した。というかリットリオはわざと他の子には提案出来ないような恐ろしい提案をあえて口にしている気がした。
ヴェネトは陣営代表としてはそのデータをレッドアクシズに少なからず引き渡せと明石に提案すべきだといいつつも、個人としては嫌だとハッキリと口にしていた。反対ではなく嫌だと。
俺にそこまで背負わなくてもいい。イラストリアスの世話なら一生サディアが面倒を見るからと。彼女の事なんて忘れてマルタ島で皆で過ごしましょうと泣きながら懇願された時は、その涙の重みに思わず吐きそうになったが、それでもと踏みとどまった。
「えぇ…分かってました。私が好きになった殿方は誰よりも優しい方ですから」
啜り泣くのを堪えて最後は無理やり自分を納得させているような、そんな声でヴェネトは引き下がってくれた。
ビスマルクはイラストリアスの現状を知ると絶句していたようだ。曰く最後に会った時は家族との別れもちゃんと出来ましたと淑女そのものだったらしく、まさかロイヤルから鉄血に来るまでの間にここまで症状が悪化していたとは思わなかったようだ。
PSTDの事を伝えるとその可能性は元々予想していたが、自分は専門医ではない為に確定するまではと控えていた様だ。彼女は『比良坂計画』の事も含めて語ればしばらくの間無言であったが最後はこう口にした。
「もう、答えは出ているんでしょう?なら私が責任をとって上げるから此処で実験しなさい」
と言いつつ『ペーネミュンデ兵器実験場』を使用する許可を取ってくれた。
結局の所、俺はイラストリアスを完治させてあげたいというエゴの道を突き進もうとして、最後の一押しが欲しかっただけなんだと自己嫌悪に襲われた。
事実イラストリアスには何度も、何度も計画や許可を得ようとしたがその度に卑猥な答えを連想してまともに彼女は取り合ってはくれなかった。つまり本人の了承をまともに得ずに命の危機の可能性すらある実験へのサインを書くことが怖かっただけなんだ。
結果として明石に治療を頼んでから準備までの数日はストレスや自己嫌悪。罪悪感でまともに眠れず、その度に後悔を口にしながら妻達を抱いて過ごす羽目になった。
彼女達は優しかった。ベッドの上で思わず泣きながら後悔を口にする俺を慰め、励まし、時には叱咤し。そしてまた優しく包み込んでくれる。薄情な話だが女体に溺れる毎に不安は薄れて、やがて吹っ切れてしまった。
弱音を吐いている暇なんてない。決めた以上はやるしかないと。俺に出来る事はイラストリアスの側で実験に参加する事。
そして、産まれてくる我が子を父親として愛することなんだと。
意識を失っていたのは数分だったようだ。衝撃と眩い光に肉体が耐えきれなかったらしく、俺は地面にうつ伏せに突っ伏していた。
全身がズキズキと痛むがそんな事はどうでもよかった。顔を上げて周りを見渡せば、白い煙で視界は良好ではないがそれでも今は命がある事、五体満足でいる事に安堵の息を漏らす。
「いら、ストリアス……明石は…?」
徐々に視界が回復して周りを認識できる様になり、明石の姿が見えない事に気付いて無理やり身体に鞭を打つとゆっくりと立ち上がる。
その時だ。服の裾をクイ、クイッと引っ張られたのは。
びくり!と思わずその手を振り払う。確かに誰かが服の裾を引っ張った。明石ではない誰かの小さな手が。
「……ごめんな。驚かせるつもりはなかったんだ」
恐る恐る振り向くとそこにいたのは小さな人影だった。だがその姿ははっきりと判別できない程の煙に包まれている。誰なんだ?と茫然としていると、その煙は晴れて行き、人影はゆっくりとこちらに近付いてくる。そして俺は信じられないものをみたのだ。
「君は……」
そっくりだった。
白い髪。利発そうな顔。サファイアの様に青い瞳。その全てが俺の知る『彼女』に。違っているのはその少女は余りにも幼く、せいぜい6〜7歳児程度の身長しかない事。後ろに小さな羽が生えている事。そして、衣類の類を何も纏ってはいない産まれたままの姿であると言うことだ。
少女は困惑する俺を他所に再び服の裾をクイ、と引っ張った。そこに込められた力は小さくか弱いが、それでもこの子にとって俺は頼るべき存在なのだと雄弁に物語っており、上着でその体を包んであげれば嬉しそうに笑顔で彼女はこう語った。
「初めまして、お父様!会えて嬉しいです!えっと……私のお名前を教えて貰えませんか?」
俺が、彼女の。
「グレンツェン。それが、君の名前だよ」
グレンツェン(輝き)の父親になった瞬間だった。
・比良坂計画
重桜にて行われてる死者を復活させる事で戦力の拡充を目指す計画。勿論こんか人道的にもアレな計画は破棄されているが、実はゲーム本編でも「吟ずる瑠璃の楽章」にて似た様な事が行われ、ザイドリッツ達がこの世に生を受けている。恐らくピンと来た方もいるでしょうがこの計画を裏で進めているのは天城復活を目論む赤城。
北方連合から提供された技術や戦利品などを使い、明石を半ば強引に巻き込み野望の実現に邁進しようとしている。今回明石が提案したのはゲーム内でベルちゃんが誕生した「第256回メンタルキューブ構造解析実験」と同じ事。つまり、kansenのクローンとも言えるリトルを誕生させようとしていました。
・PTSD治療
イラストリアスのPTSD治療の為に母親として自覚をさせる。子供の前で卑猥な事を述べる恥ずかしさや母性によって子供を守るとする心、癒されようとする心によりヒビ割れてしまった彼女の心の回復を目指す。無論養子であっても愛情を注ぐ家族は多数存在していますし、アニマルセラピーの有用性も確立していますが1940年代の世界観にて少しでも治療の可能性を上げるには血を分けた実子が最も優れていると言うことに。実は元ネタのエピローグのダイスにてリトル誕生は決められており、それが治療に関わるともGMさんによって述べられていたりする。
・グレンツェン
ドイツ語で輝きを意味する単語。リトル・イラストリアスでも構わないのだが流石に自分の子供にリトルと付けるのはどうかと言う事でイラストリアス(英語で輝かしいという意味)からネーミング。基本的な見た目や性格はゲーム内のリトル・イラストリアスと全く同じです。また、明石とイラストリアスも気絶していましたが程なく目が覚めたそうな。なおシュペー、ヒッパー、ガスコーニュは今にも指揮官の元に駆け寄ろうとしてましたが、煙に有害な物質があるかもしれないとグラーフが少し調べていた為に遅れたそうな。また謝る必要がありますねこの旦那は。
次回はそんなこんなで産まれたリトルについてのお話し。ビスマルク達が子供を産む前に父親になってしまった指揮官、無邪気なグレンツェンちゃん。そしてイラストリアスの治療は……
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