鉄血の旗の元に《完結》   作:kiakia

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第二十六話 ヴァイスクレー・ヘルブスト

 地中海に浮かぶロイヤル領土、マルタ島。

 

 戦前はロイヤル最大の植民地であるロイヤル領インド帝国に至るまでの中間地点として栄え、セイレーン大戦中はスエズ国際運河とロイヤル本国を繋ぐ重要拠点として重要視され、現在はレッドアクシズに加盟したヴィシア聖座、サディア帝国への「くびき」として両国を監視する地中海におけるアズールレーン唯一の拠点。

 

 その海軍基地はロイヤル本土のリバープール海軍基地にも劣らない程に整備されており、常にkansenは1ダース以上所属されており、大量の無人艦が運用可能なドッグに、監視拠点や沿岸砲台。ロイヤルらしく豪奢な調度品やアンティークで飾り付けられた基地内は本国にも劣らず、数十万人の民間人が生活を送るこの地域はまさに、島そのものが一つの巨大要塞と称される程の規模となっている。

 

 事実、異なる歴史においては常に大戦中は他国からの爆撃に晒される事となっても努力と忍耐によって最後まで戦い続けて陥落を防いだマルタ島。戦後は王家によって本国により勇気ある軍人、国民すべてが表彰される事となり、本来この地域をレッドアクシズが陥落させるにしても困難を極めたといえるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そう、「本来」の「歴史」であるのなら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これは……失敗に終わったかな? 」

 

 

 

 夜間、そんなマルタ基地の司令部では二人の将校が空を見上げて苦々しげな顔となっており、マルタ基地では緊急事態を示す赤いサイレンが鳴り響いている。

 

 兵士達は不安を振り払い次々と輸送船に乗り込んでいき、表情を硬くした四人のkansenは周囲を警戒しながらも叫び出したくなる気持ちを抑えて兵士や技術者達をを誘導していく。

 

 作戦は失敗した。タラントは赤く染まることもなく現在襲撃部隊はサディア海軍の猛攻に晒されているだろう。最早マルタ基地を防衛する事は困難、それならば傷を抑えるためには手早く処置をしなければならないと険しい表情を浮かべた初老の将校カニンガム中将はため息混じりに副官に命令を行う。

 

 

「すまないなリスター少将。この戦い、どうやら負け戦のようだ。手筈通り、後のことは君に任せたよ」

 

「閣下……」

 

 副官であるリスター少将は悔しそうに拳を握りしめる。kansenであるクイーン・エリザベスを中心とした策は失敗してしまった。今すぐにでもサディア海軍は報復としてマルタ島に攻撃を仕掛けるだろう。しかし、マルタ島を防衛する事は現在の戦力では不可能であるとカニンガム中将とリスター少将は理解していたのだ。

 

 

 あぁ、普段の戦力であれば!!こんな事にはならなかったのに!!

 

 リスター少将は悔しげに心の中で叫ぶ。本来マルタ島は空母、戦艦のkansenが最低5隻以上は存在する要衝であり、防衛を徹底して行えば仮想敵であるサディア軍が全力で攻勢を行っても確実に守り切る事が出来たと彼は思案する。

 

 

 

 しかし、本国はクイーン・エリザベスの命令を優先し、あろう事か一時的にタラント港を空襲の『再現』の不確定要素を排除する為に、多くのkansenをアフリカのアレクサンドリア基地に帰還させたのだ。この基地には四人のkansen、それも軽巡オーロラ、ペネロピに駆逐ランス、ライヴリーの四隻のみと、とてもではないが主力艦を多数抱えるサディア海軍に太刀打ちする事は不可能といえるだろう。

 

 その上オーロラ達を指揮する為のキューブ適正者である指揮官は存在せずに頼れるのは無人艦のみ。無人艦の指揮は我々でも行えるとはいえ、これでは時間稼ぎを行えてもマルタ島は……確実に陥落する。

 

 あの小娘がぁ!!!

 

 

 リスター少将は上官が目の前にいなければそう怨嗟の声を叫んでいただろう。なにが、並行世界の『再現』だ!そんなオカルトがまかり通り、貴族風の衣装に身を包んだ若い女性達が軍を牛耳る現在のロイヤルネイビーそのものにリスター少将は怒りを抱く。

 

 リスター少将は決して男尊女卑主義者ではない。寧ろ普段は温厚かつ明朗な人柄であり、多くの将兵から慕われる人物であり、マルタ基地司令であるカニンガム中将からの信頼も厚い理想的なロイヤルネイビーの軍人であったといえるだろう。

 

 

 しかし、セイレーン大戦も含めて長年海と祖国に命を捧げてきた自分達ではなく、兵器として生み出されたkansenが国民人気で今では王族や貴族と同じ待遇であり、作戦に於いても全て彼女達が戦争を主導している現実を未だに受け入れる事は出来なかった。

 

 彼女達に任せてオカルトを信じた結果がこれだ!!何故マルタ島の戦力を引き上げた!!マルタ島に残る数十万人の民間人をあの小娘どう思っているんだ!!

 

 マルタ島に住まう数十万人の民間人は例えタラント空襲という『再現』が失敗に終わった所で、本来の戦力であるのなら守り切ることは出来たのだ。しかし、クイーン・エリザベスは完璧な『再現』の道筋を作り出すため、不確定要素を排除する為に、マルタ基地に所属する指揮官やkansenの多くをアレクサンドリア基地に送り、その結果軍が守るべき民間人の命を危険に晒すという事態に繋がってしまった。

 

 残っているkansenは『再現』において未来の地中海戦線で活躍する事が決まっているkansenばかりというが、現在欲しいのは未来で活躍する軽巡や駆逐ではなく防衛に必要な主力艦だ。

 

 

 海軍の本来の役割は人々が生活を行う為の航路と人々の命を守る事。しかし、クイーン・エリザベス達や彼女を支持する将校、上層部はその事を忘れてメルセルケビールのような確実な『再現』による煌びやかな勝利の為に動き、失敗し、結果として数十万人の民間人の命を危険に晒しているのだ。

 

 サディア帝国が組織的に国民の虐殺を行うとは思わないが、自国の港を焼き払おうとした以上、復讐の矛先が民間人に向かう可能性も万に一つとはいえあり得るのだ。最早『再現史上主義』に染まりきったロイヤルネイビーは勝利の為に民と航路を守る役目という、海軍としての本質を忘れているのではないか?とリスター少将はどうしても感じてしまう。なによりもロイヤルのkansen達は……!

 

 

 

 内心怒りを収めきれないリスター少将。しかし、作戦が失敗した以上、彼らはクイーン・エリザベスの尻拭いをしなければならない。リスター少将は拳を握りしめ、申し訳なさげにカニンガム中将に頭を下げる

 

「閣下……兵士達は必ずロイヤル本島に送り届けます!! 」

 

「あぁ……私も負け戦ならセイレーン大戦中に何度も経験したさ。気にしなくてもいい、あとの事は私に任せてくれ、頼んだよ」

 

 

 手を差し伸べるカニンガム中将。その手を彼は涙交じりに握りしめる。

 

 この作戦が失敗した以上リスター少将の役目は、予め脱出の準備を行っていた兵士達を全てロイヤル本島に送り届ける事だ。

 

 しかし、マルタ基地の全ての人員が祖国の地を踏める訳ではない。基地司令、アンドルー・カニンガム中将は少数の人員と共に足止めを行うために無人艦の指揮を行いつつ、頃合いを見て降伏。そしてマルタ島の民間人の命を守る為、あえて責任者として生贄となり、不名誉な敗北をその軍歴に刻む事となる。

 

 

 セイレーン大戦を初期から戦い抜き、kansenという新たな存在を真っ先に受け入れ、誇り高きロイヤルネイビーの一員として今日まで生きてきた彼の名誉はこの敗北によって他に落ちるだろう。kansenの力を真っ先に認めた彼がクイーン・エリザベスの尻拭いを行う羽目になるとは何という皮肉な事か。

 

 それでも、カニンガム中将は一言も恨み節を語らず、その運命を受け入れようとする。

 

「私は……カニンガム中将、貴方のような方と共に戦えた日々を誇りに思います!! 」

 

 涙ながらにリスター少将は敬礼する。サディア軍はタラント港を空襲された事により激怒しているだろう。そんなサディア軍に、レッドアクシズの捕虜となった敬愛する中将は果たしてどのような扱いを受けるのだろうか?

 

 仮にこの戦争に勝利したところで、最早カニンガム中将の名誉は回復できないだろう。この戦いで敗北した以上、敗者であるウォースパイト、イラストリアスと並び、降伏するカニンガム中将の未来は灰色に染まるに違いない。

 

 

「あぁ、君と共に戦えたことを私も誇りに思うよ。それではリスター君、もし戦後、再開することが出来たのなら私の秘蔵のワインを進呈しよう。頼んだよ……王家に、栄光を」

 

「はっ!ご武運を……! 」

 

 

 リスター少将は敬愛する上官への最後の敬礼と共に、脱出の指揮を行うべく駆け出していく。その姿を見ながらカニンガム中将は紅茶を一杯喉に注ぎ込む。

 

 

「まぁ、失敗するとは思わなかったんだけどね……イラストリアス君達は無事だと良いのだが」

 

 

 

 彼は夜間の港湾奇襲攻撃が失敗した事に疑問を抱く。何故失敗したのだろうか?カニンガム中将はクイーン・エリザベスの傀儡ではなく、あまりにも無茶苦茶な作戦であるのなら拒否をする権限を持っていたのだ。しかし、小さな女王陛下の使者であるイラストリアスと会議を行い、この奇襲攻撃は成功すると確信し、彼は作戦を支持していたのだ。

 

 サディア海軍は空母を保有しておらずロイヤルと比べても対空砲やレーダーの技術は劣っている。だからこそ内心この夜間空襲が失敗に終わった事に驚きを隠せなかった。

 

 だが、最早時は巻き戻らない。リスター少将やこの基地に所属するkansenであるオーロラ達に全てを任せて彼は最後の奉公に向かう。

 

 とある並行世界の歴史……ロイヤルではない海軍が行ったタラントへの空襲を成功させた際、その主導を担った海軍軍人はアンドルー・カニンガム中将とラムリー・リスター少将であった。敵海軍に被害を与えて英雄と呼ばれる事になった老紳士。しかし、この世界の彼は敗軍の将として歴史に名を刻み、脱出の時間稼ぎを行うべく歩み出す。

 

「さて……それでは私もサディア軍のレディ達とダンスを楽しむとしよう」

 

 散歩にでも向かうような気軽さで彼はつぶやく。それにしても彼はどのワインが好みなのだろうか。聞いておけばよかったと少し後悔しつつも、老兵はロイヤルネイビーとしての意地を見せつけるべく、最後の戦いに赴くのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「指揮官が!!指揮官が死んじゃう!! 」

 

「落ち着けシュペー!馬鹿な真似するな!! 」

 

 イラストリアス撃破後。勝利を収めた鉄血の戦士達はその余韻に浸る間もなく、指揮艦内は騒々しい騒ぎとなっていた。

 

 

 特に報告を聞いて取り乱したのはシュペーだ。指揮官がタラントの海に飛び込んだと聞いた瞬間、彼女はパニック状態になりながら身に付けていた生体艤装。そして、身体の一部同然であり、人前では絶対に解除しようとしなかった義腕を無造作に船の上に投げ捨てたのだ。

 

 はぁ、はぁと息を荒らげながら躊躇わずに自身も海に飛び込み、指揮官を救おうとして半狂乱になる彼女を間一髪で間に合ったマインツは羽交い締めにする。しかし、シュペーの精神は落ち着く事もなく、叫ぶように声をあげている。

 

 

 

 

「でも…指揮官が……ヴァイスが!! 」

 

 涙を流しながらマインツに抵抗するシュペー。その取り乱しようは尋常ではなく、必死にマインツは押さえつけようとする。シュペーは指揮官は決して運動神経に優れた人物ではないと知っていたのだ。もし、指揮官が戻らなければ、もし、あの温もりが消えてしまったら自分は耐えられないとシュペーの胸中は、これまでの人生の中で最もと断言できる程に荒れていた。

 

 

 今すぐ飛び込まければ間に合わない。飛び込んで指揮官を救わないと手遅れになるかもしれない。助けないと、救わないとシュペーは最早普段の冷静さを投げ捨てて海に飛び込もうと抵抗を試みる。

 

 

「お願い!!お願いだからぁ……!! 」

 

「くっ…いい加減にしろシュペー!!! 」

 

 

 必死で食い止めていたマインツは我慢の限界を迎えたのか彼女の怒号がシュペーの耳元にダイレクトに伝わり、びくりと一瞬硬直してシュペーは動きを止める。

 

 

「他の戦線でもまだ戦いは続いている!!潜水艦ではない貴官が海に潜り確実に指揮官を救えると断言できるのか!?この瞬間ロイヤルの援軍がやってきてタラントを再び焼こうとするかも知れない!!備えろ!!補給を行え!!そして指揮官が戻るまで待つのが今、鉄血軍人である貴官のやるべき事だ!! 」

 

 イラストリアス以外にもロイヤルには多数の空母が所属しているのだ。イラストリアスを撃破したとはいえ、他の空母がやって来ないとは限らない。マインツは悲観的ともいえる程に常に最悪の想定を行い、その上で生き残る術を模索する。その為に、感情的に刹那的な行動を取りかねないシュペーをこのまま放置する訳にはいかなかった。

 

 

 

「いいか?私も指揮官の事は心配している。だが、あの指揮官がそう簡単に死ぬとは思えない、今は信じて待とう。待つんだ」

 

「……ごめん……」

 

「わかったら艤装に弾を込めるんだ。マンジュウにお願いしてもいい。貴官も戦闘で疲れたろう、今は少しは休むんだ」

 

 

 ようやく抵抗を辞めたシュペーは魂の抜け落ちた幽鬼のようにふらふらと艤装を背負うと補給を行うべく船内に入っていく、同時にマインツは身勝手な行動を行う上司にあの馬鹿が…!と小さく毒づく。

 

 戦争にもルールがあり、敵国の兵士は降伏するのであれば丁重に扱い、古い海戦では海に投げ出された敵国の兵士を戦闘終了後に救出する事例などもいくつも存在している。

 

 しかし、それでもだ。指揮官はこの艦隊の代表であり、最後まで艦隊を指揮する義務があり、最も生き残らなければならない存在。撃墜判定された相手の命を救う為に海に身を投げるなんて正気の沙汰ではないだろう。

 

 

 人としては好ましい。とマインツは認めるがそれとこれとは話が別であり、軍人としては最低最悪といえるだろう。自らに課された軍務を放棄して降伏を拒否した相手に、その生死も定かではないというのに総司令官が勝手に単独で行動した挙句、部下達を放置して自分の命を賭けたのだ。

 

 放置された鉄血艦隊の皆はどうなる。万が一指揮官が戻らなかった場合はどうなる。場合によってはサディアが鉄血に釈明をする羽目になるという愚行。

 

 

 その尻拭いをするこちらの身にもなれ!人として正しい事が軍人として正しいとは限らない!仮に生き残ったとしてもこんな事ばかりしていればいつか取り返しのつかない事態に発展するぞ!とマインツの胸中には怒りが沸々と込み上げていく。

 

 

 

「はぁ!?生身の指揮官が敵を助けようとするとか無茶すぎて見てるこっちは肝も頭も冷えっ冷えだってーの!……今ばっかりは潜水艦や駆逐艦の身軽さが羨ましいったらない!けどこの体は無理でも声くらいは届くでしょ!聞こえるわよね指揮官!!てか、バカヴァイス!!聞こえてなくても聞け!カッコつけて決めきれずしくじったらカッコつけないよりダサいわよ!だからさっさと元気に浮き上がって来なさい!それができなきゃバカアホドジマヌケの後ろに待ってるやつへの配慮ができないクズとか寿命使い切んないカスとか付け足してやるんだからぁ!!バーカ!!バーカ!!沈むならキールの海で沈めばいいのよ!!地中海の魚に餌あげるなんて事したら一回蘇らせてもう一度私が殺すわよ!!このマヌケ!!! 」

 

 

 マインツがあたりを見渡せば、既に補給を終えたヒッパーが甲板越しから常に悪態を吐いている。しかし、その様子やテンションは明らかにおかしく、まるで不安な気持ちを押し殺して、鼓舞するように罵声を次々と連発している。

 

 グラーフはといえば、早期に索敵を行い指揮官の現在地を割り出したようだが、無言で艤装を背負い、海面に立ち尽くして見つめている。その姿は明らかに弱々しく震えており、ビスマルクの右腕として手腕を振るう幹部と同一人物とは到底思えない。

 

 

 少しの期間ではあるが、マインツがあの指揮官と過ごして分かったことがある。実直であり、温厚な人柄である彼は間違いなく人に好かれる素質があるのだろう。上層部受けが良かったのもよくわかる。

 

「しかし、自らの評価を。あまりにも……自らの価値を低く見積もっている……まだ指揮官となって日が浅い事もわかるが、彼は責任と責務があって一兵卒ではないというのに……!! 」

 

 

 思わずマインツは怒りの余り壁に拳を叩きつける。あの男は今泣いているシュペーの気持ちを考えた事があるのだろうか?

 

 人としては尊敬できるが軍人や上官としては最悪、彼女は自分で見てきた事をビスマルクにどう説明すればいいんだと思案する。

 

 

 こうなればあの馬鹿の帰還を祈るしかない。もし帰って来るのであれば奇襲攻撃を行った卑劣なロイヤルと違い、命をかけて敵兵を救った指揮官という存在は煌びやかな美談となるだろう。イラストリアスの遺体だけを持ち帰ったとしても埋葬すればこれもまた美談になる。

 

 今、サディアと鉄血で必要なものは結びつきを強めるための美談だ。独断専行をした以上、最低でもそれくらいはして貰わなければ命令違反を行った彼の未来は厳しくなるだろう。そして万が一戻ってこなければ、ヒーロー気取りの愚か者として歴史に名を刻まれても文句は言えないのだ。

 

「戻ってこい……絶対に説教してやる……! 」

 

 マンジュウが合図を行い、整備を終えたと彼女に報告する。同時に彼女がコーヒーが好きな事を知っているのかマンジュウはブラックコーヒーを一杯差し出した。

 

 いつもなら美味いと思えるはずなのに、戦場で飲むコーヒーは、いつもより苦く感じてしまうのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜の暗い海でも戦闘機の残骸が海面でまだ燃えているのか、案外明るく感じてしまう。とはいえ昼間と比べれば海中は濃淡な紺色に染まっており、心理的な恐怖感が心を削り取っていく。こんな事ならライトの一つでも持ってくれば良かったと少し後悔する。

 

 水を吸って重くなる服も気にならない。目標は幸いにも見えているんだ。なら手を動かせばいい、日々の運動不足で腕と足が悲鳴を上げ、息が苦しくなるも、足りないものは精神で補えばいいと必死で身体を動かして潜っていく。

 

 俺は正直な所泳ぐ事は苦手だ。海軍の軍人である以上は最低限泳げなければならないと、必死に教官に泳ぎ方を叩き込んでもらい、どうにか形にはなったものの、泳ぎ疲れた後は全身筋肉痛で、翌日死にそうになったのも今じゃ昔話に思えてくる。

 

 あー畜生……!出来ればマンジュウに沈むポイントまで移動してもらってからの方が良かったとまたまた後悔。思えばこの海に潜ってから後悔ばかりしてるな俺と、こんな時なのに笑い出したくなる。戻ったら絶対怒られるだろうな、ヒッパーに殴られるくらいの覚悟はしておかないと……なんかちょっと戻るの怖くなってきた。

 

 目を閉じて必死に海を潜り、白い目標に向かって泳ぎ出す。目を開けているのもつらくなってきて呼吸も苦しいが、生きているなら相手はもっと苦しいはずなんだ。海難事故やセイレーン大戦では、意識を失った後に迅速に処置を行えば命は助かったなんて事例はいくつもある。処置の甲斐なく死亡した事例はそれ以上に存在するが、今は間に合う事を信じて身体を動かすしかないんだ。

 

 科学技術の塊であるkansenの艤装は本来は鉄血、ロイヤル共に数百キロ以上の重さとなっており、そんなものは非力な女性どころか屈強なプロレスラーでも背負う事は難しいだろう。なら、何故身体能力は人間とそう変わらないkansenがそれらを軽く装備できるのかといえば、内蔵されているキューブとkansenが共鳴する事により、反重力とも呼べる斥力を発生させることで、kansenの負担となる慣性や、艤装の重量を軽減し、その結果海を滑るなんてSF小説のような事例が当たり前となっているのだ。

 

 その結果シュペーのような小柄な女性が背負った所でスイッチひとつで背負い鞄とそう変わらない重さになる事も可能であり、理論的にはいつかkansenが空を自由に飛ぶ事すら可能になるかもしれない。

 

 なんでそんな話をしているのかといえば、kansenの艤装は完全に壊れない限りは、その重量軽減能力は喪失せずに……イラストリアスはゆっくり、ゆっくりと実質自らの重さだけで沈んでいる訳で。

 

 

 俺が頑張れば!!必死で頑張って潜れば!!死ぬ気で頑張れば!!沈むより前に、彼女を回収する事も不可能ではないんだよなぁ!!

 

 ゆっくりと目を開ければ暗い海に一筋の光が差し込むように白髪の女性が目視出来る。腕を必死に動かせばその分イラストリアスに近づいていく、艤装が完全にダメになれば一気に重さが加算され、そのまま海の底に永遠に沈んでしまうだろう。それよりも前にたどり着かなければと焦る気持ちを抑えながら身体を動かす。

 

 

 あと少し……あと少しなんだ……!

 

 

 正直な話なんで俺がこんな事をしているのか自分でも理解出来ない。理由なら幾らでもあげる事が出来る。言い訳なら駆け出した後幾らでも思いつくのだが結局の所、気がつけば上着を脱いで海へと駆け出していたというだけの突発的な行動だ。

 

 思えば俺はこれまではまだ軍で許される裁量の範囲で動けていたが、今日、初めて軍の命令に背いてしまった。皆にめちゃくちゃ怒られるだろう。特にマインツは軍法会議にかけようとするかも知れない。それでも、俺はこの機会を逃せば一生後悔していたんだと思う。軍人は人を守り、救う事が仕事であり、それは戦闘能力を失った敵兵士に対してもだ。目の前で死にかけているイラストリアスの命を救いたい。いや、救わなければいけないんだ……!

 

 

 そして……

 

 

(掴んだっ!!)

 

 どうにか間に合い、ゆっくりと沈んでいるイラストリアスの手を掴む事に成功する。直前まで殺し合っていた彼女の顔には生気はなく、すでに海水を大量に飲み込んでしまったんだろう。でも、きっとまだ間に合う。もっと酷い事例から生還した人だっているんだ。

 

 安堵する間もなく急いで艤装を緊急パージするボタンを発見して指で押し込む。ボンッ!と音を立てて取り外された艤装は主人を守る役目を終えた事に安心したのかゆっくりと沈んでいく。悪いね、後でサディアに頼んで潜水艦を送ってもらって回収させてもらうよ。

 

 イラストリアスの肩に手を回し、今度は彼女を離すまいと身体を密着させて必死で海面に向かう。急げ、もう呼吸も苦しいがイラストリアスの身体がこれ以上もつかどうかだって分からないんだ。

 

(諦めて…たまるか…!!)

 

 死にかけの人間一人の命を救えなくて何が軍人だ。助かると思ったから、必死で駆け出してやっと掴む事が出来たんだ。もう離すもんか……一度はロンドン達を捕虜にする事に成功したんだ。今度だって成功する。イラストリアスに鉄血に帰って基地で作った芋を振る舞う為にも彼女の命をここで失うわけにはいかない。

 

 

 とはいえ、人が二人分に水を吸った衣類では、それだけ身体が重くなる。上へと進もうとしても中々に前へは進めない。身体は重くて最早イラストリアスを見捨てた所で自分だけが新鮮な空気を吸えるのかも分からなくなってきた。

 

 

 だとしても、諦めるわけにはいかない。

 

 

 (あっ、やべっ…!?)

 

 

 海面の光が見えてゴールに近づいた事に油断をしてしまったんだろう。思わず息が少し漏れてしまい、慌てて口を塞いで少しずつ海水を吐き出す。息が少し出ていってしまい、死への恐怖が脳裏によぎる。あと少しで俺は持たなくなる、だがそれでもあと少しで、あと少しで……!

 

 

 だが……世界はそんなに、優しくはなかった。

 

 

 あと少しと海面に手を伸ばした途端、ゴボリッと口元から大きな泡一つ。最後の最後で油断してしまい、海水を一気に飲み込んでしまった。

 

 あーあ……クソっ……やっちまったかなぁ…?

 

 少しだけ意識が遠くなり、次の瞬間気管にまで海水が入り込んでいく。最早身体を動かすことも出来ずに喉が苦しい。

 

 最後の力を振り絞り、投げるようにイラストリアスを海面に一気に打ち上げる。ゆらりと海面を浮かぶイラストリアスを見て、これで彼女を鉄血の皆が発見出来れば彼女は救われると安堵する事ができた。

 

 それでいい、悔いは幾らでもあるけど自分のやったことに後悔はしていない。意識がどんどん遠くなっていく。最後に皆に謝罪しないといけなかったのが心残りだけど……ここまで、かな?

 

 海水が身体を満たして苦しくうめいてしまい、ゴボゴボと海水が肺を満たす。あぁ、もう無理か……なんて思いながら、俺は薄れゆく意識の中、皆への謝罪を何度もしながら、身体が空を飛ぶ感覚に身を委ねて……えっ?

 

 

「えっ、ちょっ!? 」

 

 

 次の瞬間、ガシリ、と何かが掴んだ気がすると……一気に、ザパァン、と引き上げられてしまい、俺とイラストリアスはまとめて、指揮艦の上に投げ飛ばされていた。

 

 一瞬の浮遊感に混乱のままに海水を吐き出しながら新鮮な空気が肺を満たす。しかし、次の瞬間、俺達二人は甲板で待ち構えているマンジュウ達が用意した毛布や布団の山に叩きつけられていた。

 

 

 ぐぇ!?と着地したショックでうめいてしまい、布団越しで衝撃が吸収されたとはいえ背中に痛みが走る。同時に嘔吐するように海水を一気に喉から吐き出すと、マンジュウの内の一匹はピヨピヨと言いながら背中を優しく撫でてくれた。

 

 ……助かったのか?

 

 マンジュウ達がイラストリアスを担架で担ぎ上げる様子を見ながら、状況を整理しようとゆっくりと起きあがろうとすれば。

 

 

「……卿」

 

 

  ずぶ濡れの艤装を身に纏い、俺を助けてくれたグラーフが悲しげな表情を浮かべながら、じっと俺を見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少しの間グラーフと無言で見つめ合っていたが、次の瞬間 パァン! という平手打ちの音と、鋭い痛みが頬へと襲いかかる。

 

 同時にこれは夢ではなく現実だと気がつく事が出来てしまい、罪悪感で胸が痛くなる。彼女は理不尽に暴力を振るう女性ではなく、今回に関しては完全にやらかしてしまった俺が悪いんだ。いくら謝っても許される事はないだろう、既に俺を基地司令に選んでくれた彼女に失望されたのかも知れないと、状況を改めて理解してしまい、吐きそうになりながらグラーフの次の言葉を待つ。

 

 

「……卿よ。何故、今、我が叩いたのか分かるか? 」

 

 

「……鉄血軍人としての職務を放棄して勝手に行動をしてしまったから」

 

 違う、とグラーフは無言で首を首を横に振る。

 

「友邦サディアを襲った敵の命を相談もなく、ヒーロー気取りに助けたから? 」

 

 再び彼女は首を横に振る。

 

「……皆を心配させてしまったから。生き残ろうとグラーフと約束したのに勝手に死のうとしたから。救うにしても皆に相談しなかったから。自分が地中海で死ねばサディアに迷惑がかかるから。皆の気持ちを踏み躙ったから。基地司令として任命してくれたグラーフを失望させてしまったから。後は……」

 

「何故……卿は気が付かないのだ…!! 」

 

 全てを否定されてしまい、じゃあ何がダメだったんだろうと必死で脳をフル回転させていると、そうではないとグラーフは怒りを露わにする。同時にその表情は悲しみで覆われており、気が付かなければ一筋の涙が目に溢れていた。

 

「ごめん……ちょっと、わからないかな」

 

「ならば教えてやろう。卿は……卿は…!! 」

 

 その瞬間胸ぐらを掴まれグラーフに顔を近づけられる。次の瞬間どんな言葉が放たれるのだろうと恐怖しながら待っていれば彼女は叫ぶのではなく、弱々しく呟いた。

 

「卿が、あまりにも躊躇いなく……命を捨てかねないような事をしたからだ…! 」

 

 

 怒っているような……何処か、悲しんでいるような声音で、ゆっくりとグラーフは続ける。

 

「やっと理解出来た……卿を、ヴァイスクレー・ヘルブストという人間の本質を……人を殺したくないと言う甘さも、情報を利用して交渉を行う冷徹さも、温厚で殺し合った捕虜にすら紳士的になる優しさも……全て、たった一つのシンプルで馬鹿げた答えだったのだから……」

 

「……分からないかな、俺の本質なんて」

 

 いきなり本質について話し出すグラーフに戸惑いを感じながらそう口にする。彼女の目には何が見えているんだろう?

 

「ならば聞かせてやろう。それらは全て卿を構成する要素の一つだ。優しさも、冷徹さも、忠誠も、矜持も。しかし、卿を構成する一番の本質は……卿は、自分の命に……!なんの執着も持ち合わせていない事だ……! 」

 

 激情を俺に全てぶつけるかのように彼女は俺の胸ぐらを掴んで顔を近づける。美しい顔つきは怒りと悲しみで歪んでいて、ずぶ濡れの彼女の生体艤装は無言で俺を見つめていた。

 

 

「自分の命を何よりも軽く思っていて、誰かのためなら躊躇いなく捨てようとする!

卿の自己評価の低さもそれが原因だ!自分の価値をゴミのように思っていて、常に誰かと自分を比べて卑屈になる!自らに全く期待せず、自分を全く愛せず、自分の命を捨てることに躊躇いがない!!人として当たり前の自己の防衛本能や生きたいと思う気持ちが希薄なのだ!お前は!!! 」

 

 そんな事……と否定しようとするが、思い当たる節が幾つかあり、反論することは出来なかった。

 

 

「そのくせ、卿の性格は人から見れば温厚で優しいと言えるだろう!自分以外の命を大切にしようとして自分が傷つく事を厭わない。

だから、皆の命を守る為に慎重になり過ぎて指揮能力が微妙になる!

だから、バルト海海戦の後の降伏勧告の様に突発的に行動する!

だから、躊躇いなく常に戦場では仲間のために盾になろうとする! 

だから、逃げも戦いもせずにピュリファイアーとの危険な交渉に飛び込む!

だから、軍の為に常に危険な賭けをする!

だから、今も敵兵士の命を救おうとする! 」

 

 

「……ごめん」

 

 

「謝罪しても無駄だ。卿は自らの自己犠牲精神……いや、自己犠牲ですらないか。自らの命をゴミのように思っている以上、たとえここで謝罪した所で何も変わらない。きっと何度でも同じ事を繰り返す。その度に卿が謝罪した所で、根底である命の価値の低さを自覚していないのだから、何度でも相手を救う為に、軍のために、我らのために自らの命を危険に晒す。そのくせ常に我らの命だけは救えるように行動してしまい、結局最後に犠牲になるのは卿だけだ……! 」

 

 

 気づけば、皆がグラーフの側に近寄っていた。義腕を身につけてないシュペーはどこまでも泣きそうな表情でこちらを見つめてきて、ヒッパーは怒っているようだが少しだけ震えている。

 

 あぁ……そっか……。

 

 俺ってこんなに……こんなにも……。

 

 

「……シュペーは半狂乱になって卿の為に海へ飛び込もうとしていた。マインツはそんなシュペーを止めながら軍人として卿が戻った後に素早く行動が出来るように動いていた。ヒッパーは卿を止められなかった事を悔やんで叫び続けていた。我も……卿が死ぬかと思えば卿の影を一生引きずるだろう。卿は自らの命を無意識に捨てようとするがこれだけは自覚しろ」

 

 

ーー卿がここからいなくなれば、怒る者も、悲しむ者も……きっと、卿が思っているよりもずっと、ずっと多いという事を……!

 

 ようやく胸ぐらを離されるも起き上がる事が出来ずに、どさりと毛布の山に崩れ落ちる。起きあがろうとするも、精神には色々な感情が溢れ出し、涙が無意識にこぼれ落ちてしまい、身体に力が入らずに幾ら足を動かそうとにも立ち上がることは出来ない。

 

 

 

『まだまだ非才ではあると思いますし、自分……俺には経験が足りない、そして頼りないと思われても仕方ない事は理解しています。

それでも、俺を信じて下さい。絶対皆さんを裏切りません、絶対皆さんを死なせません、絶対皆さんを守ります。その為に、俺に力を貸してください! 』

 

 

 着任当日の決意表明、俺はあの決意を守る為に必死になって今まで頑張ってきた。

 

 絶対に皆を裏切らず、絶対に皆を死なせず、絶対に皆の命を守りきる。この三つを目標に、ただ軍に尽くして皆に認められようとしていたんだ。

 

 

ーー我が同胞のために鉄血の力とならん事を。

 

 

 鉄血海軍に所属する様になった初日に、教官から真っ先に教えられた言葉であり、ロイヤルのような王家の為ではなく、ユニオンのような自由と正義でもなく、ただ公王陛下も軍人も民も含めた鉄血に所属する全ての同胞の為に力を尽くす護るべき目標。

 

 その鉄血の同胞として認められたい、彼女たちの期待を裏切りたくない。彼女達を失望させたくない。だから俺はがむしゃらに働いた。だから皆の命を守ろうとした。

 

 いつかは皆に恥じない軍人になりたいから。

 

 いつかは皆に認められたいから。

 

 それはとっくの昔に叶っていたというのに……皆、俺を同胞として迎え入れてくれていたというのに。

 

 子供の頃にラジオで聞いたセイレーンが人々に与えた被害に怒りを覚え、キューブ適正が認められて軍人になった後も、その責任感と義務感で、ただひたすら誰かの為に行動をするようになって……結局、いつのまにか俺は自分を殺して、自らの命を躊躇いなくチップにする事で生きるようになっていたんだ。

 

 俺が死ぬのは良い。そんな気持ちは自覚した以上少しずつ矯正していくしかない。ただ俺が万が一勝手に死んでしまった場合……こんなに俺の事を心配してくれる皆を傷つけてしまう事だけは、許されないのだから。

 

 

「ごめん、心配させて……」

 

 ただもう、俺が今出来ることは謝る事しかなかった。海水で濡れた手で涙を拭き取り、まっすぐとグラーフ達に向き合えばグラーフは静かに頷く。

 

「……もっと、自分を大事にするのだ。卿の命は卿のものだが…既に、卿だけのものでもないのだから」

 

「………ふん、ビンタの一つでもって思ったけれど…グラーフに絞られたようだからね、今回だけ、今回だけは、今回だけは許してやるわ」

 

「本当に……指揮官が無事で、本当に良かった……よかった」

 

 

「あー……そろそろいいか指揮官、皆」

 

 三人の言葉を聞きながら疲労感や罪悪感と共に大の字で床に倒れつつ、次の言葉を話そうとした途端扉が開いてマインツが姿を見せる。先程までずっと姿を見せなかったがどうやら艦橋に篭って、俺の代わりに軍務を引き継いでくれていたようだ。

 

「マインツ、ごめーー」

 

「あぁ、謝罪はいい。説教も後だ。それよりもちょっと大変なことになってな……」

 

 苦虫を噛み潰したような表情を浮かべて、ため息を吐くマインツ。

 

「マルタも無人艦の動きが良く苦戦はしているが、時間さえかければ攻略は可能らしい。問題はウォースパイトだ。リットリオ達とウォースパイトは交戦しているようだが……戦況が不味い。……サディアは戦艦三隻で相手は一隻の3対1でも押し負けてないらしく、このままでは逃げられる可能性が高いと、リットリオから援軍に来てくれと通信が届いてな……」

 

「……マジで? 」

 

 クイーン・エリザベスは自らの姉妹艦であるウォースパイトこそがロイヤルで最強の戦艦だとプロパガンダしていたが、それは身内贔屓でもなんでもなく事実だったらしい。というかリットリオ達だって弱くはないだろうに3対1で押し切れないって何なんだよ、虹色のオーラでも纏っているのかとウォースパイトのあまりの強さにドン引きしてしまう。

 

「マジだ。さぁどうする指揮官? 」

 

 サディア軍の殆どがマルタに向かっている以上ウォースパイトを捕虜にする為に動ける援軍は鉄血艦隊とヴェネトさんだけだ。流石にヴェネトさんを向かわせるわけにはいかずに、俺達が向かうしか道はない。

 

 幸いにもグラーフ達は殆ど無傷で一番疲労しているのは指揮官である俺だけと言う状況。空母であるグラーフも含めた四人が援軍に向かえば流石のウォースパイトも逃げ出すのは難しいに違いない。

 

 それにイラストリアスの様子はまだ分からないとはいえ身柄は既にこっちが握っている。彼女を人質にして、イラストリアスの命はこっちの手にあると降伏勧告を行えば。

 

 降伏するならよし、降伏しなければロイヤルはサディア攻撃に失敗したうえで仲間を見捨てて逃げ帰る卑怯な国とレッテル貼るぞと脅せるかもしれない。

 

 

「四人とも、まだ行けるか? 」

 

「無論だ、いつでも」

 

「はっ!このくらいならまだまだやれるってえの! 」

 

「ん、行けるよ」

 

「仕方ない……付き合おう」

 

 

 まだ、戦いは終わっていない。本来のサディア海軍の目的はマルタ基地を占領する事だけではなく、ウォースパイトを捕縛する事だ。それを成さなければ作戦は完遂したと言えないだろう。

 

「我が同胞の為に鉄血の力とならん事を!後少しだけ頑張ろう。生きてサディアに帰って祝勝パーティーをする為にも、絶対に生きて帰るんだ! 」

 

 

「いや、それアンタが一番心配なんだけど? 」

 

「……指揮官、今度は無茶しちゃダメだよ? 」

 

「次、卿がウォースパイトの為に海に飛び込めば、流石に我も手を伸ばさないぞ」

 

「……俺、本当信用されてないんだなぁ…!? 」

 

 さも当然と言わんばかりにヒッパーとグラーフはジト目でこちらを見つめてきて、シュペーも俺の服の袖を掴んで止めようとする。

 

「卿の信頼はある意味地に落ちた。なら、卿が軽々しく無茶をしないように監視しておかなければならないのでな? 」

 

「身から出たサビってやつよ。絶対無茶しないって約束だけじゃなくて態度で示すしかないっての、このバカヴァイス」

 

 なんだかグラーフとヒッパーの俺への扱いが一気に雑になった気がするが、それくらいしてくれないと俺は自分でも無意識の内に無茶をしてしまうかも知れないんだ。ため息混じりに反省をしながらも、マンジュウ達に声をかける。

 

「目標ウォースパイトの捕縛だ!全速前進! 」

 

「「「ピヨっ!!」

 

「ふふっ、これが一番だね。マインツさん」

 

「……鉄血に帰ったらもう二度と貴官達には関わらん。ビスマルクが胃薬を常備している気持ちがわかった……」

 

 

 まだ、命が軽いと思う精神を矯正するのは時間がかかるかもしれない。

 

 きっと、無茶をして皆に迷惑をかけることも一度や二度じゃないだろう。その度に後悔して、反省して、死にたくなる事もあるだろう。

 

 それでも、俺はもう軽々しく命を捨てられない。守るべきものは幾らでも存在していたが、その守るべきものの中に、ようやく自分自身を含めてみせる。

 

 皆に同胞として認められるという願いは叶う事が出来た、なら次は皆を支えつつ、全員で生き延び続ける事が俺の新しい目標だ。

 

 

 こうして俺達の指揮艦は動き出す。後に『イオニア海海戦』と呼ばれる事になる戦いは終局を迎えようとしているのだった。

 

 

 

 

 




・ヴァイスクレー・ヘルブスト
 本作の主人公である彼の本質の根幹は自分の命をもっとも軽く、価値のないものだと思っているという人物。
 自己犠牲の精神ともいえず、最早無意識の内にそれが当たり前と思って行動してしまう。トロッコ問題であれば自分が盾になって命を捨てて減速させる事で皆の命を救う。船の上で恋人と母親のどちらかを救えと言われれば二人を船に乗せて自分が船を降りる事で命を犠牲に母親と恋人を救う。常に他者のである軍、家族、公王陛下、民間人、仲間、捕虜などの為に優先して行動をしますが、優先順位で最も最下層なのは自分自身であり、その事が本作における無茶な行動の根幹となっているでしょう。それは本作連載時より決まっており、もう一度指揮官は他者の命を重く思っており、自己評価が低く、何よりも自分の命への執着が薄いという前提で読み直すと新たな発見が見つかるかもしれません。彼が自発的に軍人としての仕事も関係なく、他者ではなく自らの欲望の為に行動をしたのは実の所甘いものを食べることさえ除けば、グラーフとのデートの前に外出に向かおうとした時と、許可を得た上で妹に会いに行ったことくらいだったりします。

 どれだけ無茶な事をしてメンタルがボロボロになっても常に、自分自身の命をカードに無茶な行動をしてしまう。今までは常に優しいから、温厚だから、無茶をするバカだからの一言で片付けられていた行動は本人すら気が付かない程に当たり前となっており、その本質にようやくグラーフは複数回の質問を得て気がつく事が出来たのでした。
 一人で行動をして、そのくせ相手の命を最優先して自分の命を軽く思っているという根幹。その矯正は間違いなく難しいものでしょう。彼が命をカードにして無茶をするのは最早無意識レベルとなっており、その度はグラーフ達は殴り飛ばしてでもその前に指揮官を止めなければならないかもしれません。
 そして、指揮官はやっと自覚する事が出来たのでした。自分が死ねば悲しむ人がいると言う人間であれば当たり前の事実に。常に他者を思いやる美徳、そして命を軽々しく捨てないようになるという当たり前の精神を両立させるまで。そして、他者の為に行動を取り続けた指揮官は今はヒッパー達を二度と悲しませたくないから無茶をする事を控えようと努力するでしょう。その努力が実るかどうかは未来とダイスだけが知っているのでした


いよいよ『イオニア海海戦』も終盤に近づきつつあります。果たしてマルタ基地やウォースパイトはどうなるのか?そして、歴史が壊れてしまった戦いの果てに世界はどう変わっていくのか、もうしばらくお付き合いして頂けると幸いです(実はサディア編でもまだ全体の15%未満しか終わってませんので、プロットは完成しているとはいえ完結はいつになるやら)

指揮官の後世の評価はどうなる?

  • 戦争を終わらせた立役者
  • サディアを救った救国の英雄
  • ロイヤル最大の敵
  • 女の子に手を出しまくりの色を好む英雄
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