冬の冷たい空気が肌に寒さを感じさせる朝、まだ太陽が顔を出さずに多くの人々が惰眠を貪る中、私の周囲は騒がしい声であふれていた。
動物の身体的特徴を持つ重桜人の人々に混じって私は黙々と作業する。両手に持っている木箱の重量は50キロと聞いていたが、義腕を身につけている今の自分にとってはそれ程重さは感じない。kansenの艤装は重さを軽減させる能力を持っているが、同じ技術を用いられた、この赤くて見るものに恐怖を感じさせる義腕も同じもの。本来は一つ運ぶのにも苦労する木箱を書類感覚でまとめると、船内から次々と地上に移動させていく。
「29……30っと。シュペー、これでラストだ。お疲れ様」
いつもの軍服姿ではなく灰色のコートに身を包んだ温和な雰囲気を感じさせる茶髪の青年。私の指揮官であるヴァイスクレー・ヘルブストがファイルを片手にそう口にする。そっか、もう終わりなんだと私は呟き、時計を確認すればまだ作業開始から1時間も経ってはいなかった。
私達はサディア帝国を出港後、特になんのハプニングもなくこうして祖国である鉄血の地を踏むことができた。まだ二ヶ月も経っていないというのに水平線から鉄血の地が見えた瞬間、懐かしさが込み上げてくる。そう思えてくるのはあれだけ濃い日々を過ごしたのだから仕方ないかも知れない。
グラーフさん曰くビスマルクさんからは国内の混乱やアズールレーンのスパイを恐れて、到着予定時刻は深夜指定。そのために地平線より祖国を眼下に収めながら深夜になるまで海上で待機する必要があって少しだけもどかしかったが、最後は私達は祖国に勝利を握りしめ、大切な仲間達と五体満足で帰ってくることができた。
「すまないが、我は先にビスマルクに報告しておく。卿や皆は先に基地に戻って仮眠を取るといい」
「あーーー疲れたぁ……こっちはオイゲンやザイドリッツの所に行ってくるわ……それと、シュペーもドイッチュが死にそうな顔で待ってると思うから一応顔見せてあげなさいっての」
グラーフさんが本部に向かう準備をしつつ、流石に船旅の疲れを隠せないヒッパーちゃんはそう口にする。任務の達成報告は明日の朝、指揮官とグラーフさんが行う流れになっており、言ってみればヒッパーちゃんと私は今日一日自由に過ごすことができる。
普通に基地の自室に戻ってからダラダラと惰眠を貪るも良し、ヒッパーちゃんのように姉妹に会いに行くも良し。ドイッチュラント姉ちゃんが気掛かりなこともあり、ヒッパーちゃんの勧め通り、最初は私も真っ先に姉ちゃんに会いに行こうとしたけど……。
「アンタはどうすんのよヴァイス、寝るの?休むの?親に顔でも見せに行くの? 」
「俺の実家は列車を使わないと行けないからパスかな。寝るのはついさっき仮眠とったから無理で、グラーフと一緒についていくのも上に迷惑だろうし、ちょっと明石の所の手伝いでも……」
「あっ、じゃあ私も指揮官と一緒に手伝うよ」
その瞬間、迷うことなく私は指揮官について行くと口にする。何故だろう?と自分でもこんなに早く、そう口にしてしまったことに内心驚きつつも、ヒッパーちゃんから「いや休みなさいよ!?このワーカーホリックコンビが!? 」と背中に言葉を受けながら、こうして私達二人はヒッパーちゃん達と別れて、港で深夜から今に至るまで、作業を行う重桜の商船団の手伝いを行っていた。
「悪いねシュペー、お姉さんだっているだろうに」
ふぅと一休みをしながら船を出て、近くのベンチで一休みをしていると、指揮官はココアを二つ片手に優しく話しかけてくれた。義腕を外してそれを受け取り、口にすれば口の中には強烈な甘さが広がっていく。蜂蜜と砂糖とミルクを入れた指揮官特製ココア。普段であれば甘過ぎるそれも、心地の良い疲れと共に外で飲めば、何倍にも美味しく感じてしまう。
「気にしないで。この腕なら重くないし、適材適所ってやつだから」
もしくは同じココアを指揮官と二人で飲んでいるからこそ、余計に美味しく感じるのかも知れないと口には出さずに、私は床に置いた義腕を指さしながら指揮官に呟く。
この義腕はkansenの艤装と同じく見た目程の重さはなく、非力な私でも身につければ成人男性ならば軽く放り投げられるくらいの力を発揮することができる。サディアに着いた直後、ザラさんの目の前で指揮官を放り投げたのも今となってはいい思い出だ。
今までは私は兵器であり、その証明と存在理由を示し、忘れないようにと戒めのためにプライベートでも常に身につけていた義腕。それをこうして外すようになったのも指揮官の言葉があってからだ。こうして戦い以外にこの義腕が役に立つ日が来るなんて思ったことも無かったが、決して悪い気分ではなかった。
「えっとね、指揮官」
「んー? 」
「聞き込みの様子、どうだった? 」
指揮官は間違いなく温厚で優しい人物ではあるが、同時に意味もなく無償の奉仕を行う人物でも無いと、私は数ヶ月の付き合いから彼の性格を何となく理解していた。サディアでも常にザラさん達と過ごしつつ情報を貪欲に集めようとしていた指揮官が何故自分から明石さんの力になろうとしていたのかも何となく想像はつく。
重桜は鉄血にとっては物理的にも、精神的にも遠い国。セイレーン大戦の影響で鎖国を解いてから国際社会に復帰し、いつの間にかその軍事力は没落したアイリス教国、北方連合を超えて、四大国家の一つになるまで成長していた謎に包まれた国家。
そんな国の情報を指揮官が放っておく訳がないと思っていたが、案の定苦笑しながら指揮官はココアを飲みつつ肩をすくめてこう答えた。
「仕事の手伝いをしながらだからそこまでだけどね。重桜の人達は名産品とか、温泉について色々と教えてくれたけど、一番の収穫は巫狐の長門が本当に慕われてるって事を確かめられたことかな? 」
「長門って……確か、重桜の代表だっけ?」
指揮官と出会う随分前に新聞で読んだ、幼い容姿で狐耳を持つ黒髪の少女の写真を脳内の記憶の渦から思い出していると、指揮官は頷く。
「そうだね。アイリスは教皇がトップとはいえ枢機卿が国家をまとめていたけど、長門もリシュリュー枢機卿かそれ以上の権力を持っている人物だ。宗教的にも軍事的にも発言力を持っているだろうし、話を聞く限り重桜の人々にとってはこっちで言えば公王陛下と同じくらいの求心力を持っているね。信奉者が多い巫狐の発言と選択は間違いなく世界を変えかねない。勿論彼女もむやみやたらに軍上層部や政治家の意向を無視できないとはいえ、権力のある彼女が右を向けば重桜の多くは右を向くだろうし、長門が対レッドアクシズとして軍を派遣すると決定すれば俺達は重桜と戦うことになるだろう。逆に言えば長門がこの戦争に関わらないと言ってくれれば……鉄血と重桜の単独和平や、いっそ味方になってくれればかなり鉄血も楽ができるけど……ただ権力はあっても誰かの傀儡になりかねない立ち位置じゃないか?いや、どうだろ例えば……」
考え込むようにぶつぶつと指揮官は呟いている。そんな彼の様子をじっと見つめていると、やがてハッとした様子で目を見開き、次の瞬間バツの悪そうな顔になる。
「っと……ごめんなシュペー。あんまり女の子の前でそういう話をするのもダメだね。グラーフにも言われたんだ、基本的に仕事の時以外は必要以上に仕事や政治や軍の話はするなって──」
「グラーフさんに?」
その瞬間、指揮官の口からグラーフさんの言葉が出てきて思わず少しだけ胸が締め付けられるようにズキっと痛みを感じてしまう。指揮官にはバレなかったけど断続的な痛みを感じてしまい、胸の中のモヤモヤが止まらなくなってしまう。
その理由は何となく、いやハッキリとわかるが決して指揮官にそのことを口にしてはいけない。指揮官はグラーフさんについて今も何かを言っているが、それすら耳に入らず私は黙ってココアを飲んで誤魔化し、指揮官の言葉に相槌を打ち続ける。
私は……多分、指揮官のことが好きだ。likeな意味ではなくloveの意味で。一人の異性として指揮官のことが好きになっていて、例え恋愛の知識はなくても、サディアで過ごすようになって確信してしまった。
最初は優しい指揮官をドイッチュラント姉ちゃんやシェーア姉ちゃんのような家族と同じく、父や兄のような存在として見ていたのかもしれない。しかし、戦いだけではない平穏な日々を皆で過ごす内に私の中で指揮官の存在はどんどんと大きくなっていき、サディアでは弱さを見せて、プレッシャーに押しつぶされて泣いている彼の頭を撫で、決して指揮官も完璧な人じゃないと理解してしまった。思えばその時に既に私の心は彼に射止められていたんだと思う。
私はこの人を守りたいと思った。膝の上で泣いている彼は普段は皆に尽くそうとしてくれるけど、そのために時折危うさや自己犠牲の精神を見せており、そんな彼の支えになってあげたいと思ってしまった。イオニアの戦いで指揮官が海に飛び込んだ時は、まるで心臓を冷たい手で握りつぶされたかのような痛みと恐怖を感じてしまう。
そして、マルタ島での戦勝記念パーティで二人でダンスをした時に私は確信する。あぁ、これが恋してるってことなんだと。
私は彼に既に依存している。彼になら全てを託せてしまう。吊り橋効果でも何でもなく、私は彼が好きだ。彼を失うなんて考えられない。私はヴァイスと戦友や同胞ではなくそれ以上のことを望んでいる。恋人になってもっと先のことをしたい。デートだってしたい、キスもしたい、エッチだってしたい、彼ともっと一緒にいたい。彼が大好きだからこそ、私はそれ以上の関係を願ってしまった。
それと同時にヒッパーちゃんやグラーフさんは指揮官をどう思っているんだろう?とどうしても考えてしまう。少なくても二人は間違いなく、指揮官を嫌ってはいないどころか大切な同胞として見ているのは確実だ。でもあの二人は私みたいにそれ以上の関係を望んでいるのかな?あの二人も指揮官を異性として愛しているのかな?
それに、私はグラーフさんが指揮官にそんな話をしていたなんて知らなかった。二人が仲良いのは好ましいはずなのに、以前の私なら素直に喜んでいたというのに、今も胸のモヤモヤした感情はなくならない。怒りとも違うこの感情は多分、きっと、私は人生で初めて他人に、グラーフさんに嫉妬していたんだろう。
(何よりも指揮官は……私をどう思っているんだろう?仮に、もし私が好きと告白したらどうなるんだろう?)
私は勇気を持てなかった。この艦隊が大好きだから。指揮官と同じくらいヒッパーちゃんやグラーフさんも大切な仲間であり、彼女達と過ごす日々は私が守りたいと願う日常の一つだ。そんな中、もし私が告白してしまえば……この優しく、心地の良い関係に綻びが産まれるかも知れない。
いや、それも都合の良い言い訳だ。結局、私はどんな結果になろうが、確実に皆との関係が変化することに臆病になっているんだろう。だから勇気を持てずに今は告白できない。
しかし、仮にもし、ヒッパーちゃんやグラーフさんが指揮官に告白。もしくは指揮官が先に誰か他の人を好きになったら……多分、今の私は耐えられないだろう。
ふぅとココアを口にしながらため息を吐く。いっそ皆と結婚してくれないかな?セイレーン大戦以降、戦争で夫を失った未亡人を支える名目で法律が整備されており、鉄血では重婚は珍しいが決して非難されることではなくなった、だからいっそ指揮官が皆に告白を……いやそうなると、私はグラーフさんやヒッパーちゃんに嫉妬してしまうかも。
結局、この気持ちを誰かに相談することはできない。ドイッチュラント姉ちゃんは論外だ。指揮官が好きだと口にした瞬間艤装片手に殴り込みをかけるに違いない。グナイゼナウさんやシャルンホルストさんは同じ人と結婚してるらしいけど、そこまで個人としての交流もない。だから今はこうして行動に移すこともできずに、ヤキモキした感情をただ一人で抑えるしかない。いっそ指揮官と別れた後本屋さんに直行して恋愛指南書でも買うのも良いかも知れない。
「お疲れさまだにゃー、本当に助かったにゃ! 」
なんて指揮官の言葉も聞こえずに思考の海に沈んでいると、この重桜商船団の代表である明石さんが私たちに話しかけてきた。
「お仕事はこれくらいで充分だにゃ、それと指揮官にも改めて感謝するにゃ。マインツ経由でビスマルクに会えそうで想定より早く商談がまとまりそうにゃ! 」
「それは良かった。鉄血と重桜、いえ、貴方の商船団とビスマルクさんが笑って、お互いに笑顔になれるような取引になるといいですね」
満面の笑みの明石さんに指揮官は同じく笑顔で応じる、しかし指揮官の微笑みの裏には何処となく牽制の意味が込められていた。
とはいえこれで明石さんへの手伝いも終わりだ。本屋さんに向かおうとしても太陽が登りきっていないこの状況ではどの店もやっていないだろう。船内には大量のワインや捕虜のイラストリアスがまだ残っているといえ、明石さん達が港にいるこの状況では国家機密である捕虜やマンジュウを動かすこともできない。
つまりこれからはフリーの時間。ヒッパーちゃんのようにドイッチュラント姉ちゃんに顔を見せようとしたけど……その前に少しだけ、もう少しだけ指揮官と二人きりで話す時間を楽しんでもいいよね?ごめんね姉ちゃん。と心の中で姉に謝罪しつつ、指揮官と指揮艦内でゆっくり朝食でもと誘おうとすれば……。
「というわけで、鉄血の艦隊の皆には感謝してもしきれないにゃ!だから明石の感謝の気持ちを受け取って欲しいにゃ!! 」
「そんなことしなくても、こっちは仕事をしたまでですからね。ですが、ありがとうございます明石さぶふぉ!? 」
その瞬間、指揮官が思い切り吹き出してしまった。でもそんな指揮官を誰も責めることはできないはず。だって明石さんが片手に持っていた小包の中を覗けば、その中身はあまりにも衝撃的な代物だったのだから。
「えっと明石さん。これって、指輪……だよね……? 」
「ムフフ♪そうだにゃ、正真正銘のkansenと人間の絆の証!心が通じ合ったキューブ適正者がkansenに渡せば能力も底上げされて、実際に婚約したkansenも身につけている正真正銘、貴重な本物のケッコン指輪だにゃ! 」
袋に詰め込まれているの金の刺繍が入った小さなケース。その中身を明石さんが見せつけるように開ければ……中には小さな銀色のリングが眩い光沢を放っていた。
この銀色の指輪はただの婚約指輪以上の意味合いを持つ装備の一つだ。kansenの力を引き出すために、特殊な工程を経てキューブなどの加工などを行って作ることになる、それは完全な軍製品であり、値段はダイヤモンドの指輪と比べても桁が一つ、いや二つ違っていてもおかしくない。
私達kansenは元を辿ればキューブから生まれた存在であり、指揮官はそんな私達の力を引き出す素質を持つキューブ適正者で固められている。適正を持つものが指揮をすれば、通常の軍人以上の力を発揮するのは科学的に証明されていて、指輪はその力を更に発揮させるための媒介物……噛み砕いて言えば、お互いに強い信頼関係で結ばれた、kansenと指揮官の力を更に発揮させるための装備となっている。
しかし、その値段は噂によれば鉄血の大艦隊が複数回出撃できる程の高価な代物であり、更に作ることも難しく、とても時間がかかってしまう。そのためにこの指輪を身につけているkansenはそれ相応の実力が必要であり、私の知る限りではグナイゼナウさん達しか見たことがない。そんな高価で貴重な指輪を無料で渡そうとするのだから指揮官が驚いても仕方ない。私だって色々な意味で目が離せなくなっているのだから。
「……お礼なのは分かりました。しかし何故こんな貴重な物を」
「マインツとのパイプやここまで護衛をしてくれたお礼の気持ちもあるにゃ。でも何よりは、未来への投資、先行投資って奴だにゃ」
軽く咳払いをしながら慎重に言葉を紡ぐ指揮官に対して、明石さんは対照的に今日の天気でも語るかのように軽く答えてみせる。
「イオニアでサディアを救ってロイヤルの空母イラストリアスを打ち破った『救国の艦隊』を率いる若き英雄。そんな指揮官と早い段階でお近づきになっておくのは損じゃないにゃ」
確かに明石さんが言う通り、タラントの防衛に成功し、マルタ島を攻略する鍵となった指揮官とグラーフさんの名声はサディア軍内では知れ渡っている。軍だけではなくサディア国民も、何れは鉄血でも指揮官は英雄として本名も含めてその名は知れ渡ることになるはずだ。
船内で話してくれた指揮官曰く、指揮官は既にレッドアクシズをまとめるために『英雄』を演じることをサディアから望まれていて、指揮官もそれに応じている。これが戦争を終わらせるための一歩となるのならと、政治に関わることに嫌がりつつも、その身をレッドアクシズに捧げようとする指揮官を少しでも支えようと私は心に決めていた。
「それに一番の目的は、商売として何れはこの指輪をレッドアクシズにばら撒きたいと思ってるにゃ。明石としてはビスマルクに指輪をもらったと報告して欲しいにゃ」
袖をブンブン振り回して陽気な様子で明石さんはそう口にする。困惑と硬直から立ち直れない私達とは雲泥の差だ。
「重桜は表向きはレッドアクシズと戦争はしていても遠過ぎて対岸の火事。セイレーンも領海の範囲では他国と比べればマシでこうして商売に勤しむ余裕も、指輪を生産する余裕だってあるにゃ。ぶっちゃければここで無料で指揮官に渡してもレッドアクシズであと2〜3個指輪を注文して貰えれば元は取れるにゃ」
「つまり、宣伝役として抜擢すると?」
「理解が早くて助かるにゃ。ただ、本来はロイヤルやユニオン用の商品でレッドアクシズに渡す予定はなかったから、そこにアズールレーンと書いているのはご愛嬌って奴だにゃ」
指輪ケースをよく見れば指輪の入った上の部分に『AZUR LANE』と金色の刺繍で書かれていて、急遽彼女が指揮官に手渡したことが伺える。ビスマルクさんに真っ先に見せろと言っているのは同時にこれが本物であるか調べろと言っているのに変わりはなく、明石さんは商売の道具として本気で貿易品の一つに指輪を加える気なのかも知れない。
「その、ね。明石さん、気持ちは嬉しいけど俺に相手は──」
「そんなもん未来にきっと出てくるにゃ、なんなら、横のシュペー辺りに渡せばいいにゃ」
あまりのことに辞退をしようとする指揮官の言葉をバッサリと切り裂いて明石さんは提案する。
「…っ……」
耐えられなかった。
明石さんの言葉を耳にした瞬間、一瞬で耳元まで顔は赤くなってしまい心臓はバクバクと音を立てる。彼女にとっては軽口に過ぎないのかも知れない。しかし私にとってその言葉はセイレーンのルーク級戦艦の砲撃やイラストリアスの爆撃機よりも遥かに破壊力を伴ったものだ。
声を失うとはこのことだろう。マフラーで口元を隠して決して今の表情を指揮官に見られないようにするも、その努力は虚しい結果に終わってしまう。
感情が抑えきれなくなる。あり得ないはずなのに指揮官が今すぐ指輪を受け取って私に渡してくれるのでは?愛していると言いながら、私の薬指に指輪をはめる様子が脳内によぎってしまう。
もう、指揮官の顔を見ることはできない。羞恥心、期待、不安、恋慕。さまざまな感情が混ざり合ったそんな私を明石さんはニヤニヤと見つめてくる。もしかして、明石さんは私の気持ちになんとなく気がついているのかも知れないが、だからこそ恥ずかしさが込み上げてくる。
「ふふっ、シュペーも頑張るにゃー応援してるにゃー! 」
「いや、ちょっと待て!?俺とシュペーはそういう関係じゃ……! 」
「あくまで例えだにゃ!指輪がもっと必要になった時はビスマルクに頼んで欲しいにゃ、きっと英雄の言うことなら素直に聞いてくれて、注文してくれるはずだにゃ!指揮官は好きな人に指輪を渡せる!明石は懐が暖かくなる!ビスマルクはソユーズみたいに指揮官を宣伝に色々用いるはず!正に誰もが笑顔になれる完璧な取引だにゃ! 」
「いやちょっと待て、だから勘違いをしているって、というかソユーズってなんだよ明石さん……明石!? 」
結局明石さんは、さよならの言葉も見せずに指輪を入った小包を指揮官に押し付けると、ぴゅー!と風のように去っていく。後に残ったのは指輪を受け取った指揮官と、顔を真っ赤にした私の二人。そう、二人だけだ。
沈黙が世界を支配する。太陽はいつのまにか登りきっており、指揮官の顔が太陽の光と重なってしまう。眩しくて見ることができない。恥ずかしくて見ることができない。この気持ちはバレていないだろうか?指揮官が鈍感であることを祈りつつ、同時に気づいてほしいと期待している自分もそこにいた。
誤魔化すようにココアを一気に飲むも、味がしない。そうだ、心を落ち着かせるときは綺麗な風景でも思い描けばいい。そう思いながらサディアでの風景を思い浮かべようとするも、思い描くのは全て指揮官と過ごした日々ばかり。
あぁ、もう本当私って……どうしようもないくらい、馬鹿みたいに……ヴァイスに、恋をしているんだ……!
「あー……その、なんだ……」
「う、うん……」
「ごめんな」
気まずい雰囲気に暫く浸り続け、ようやく指揮官が口にした言葉は謝罪だった。思わず冷や水を頭からぶっかけられたような感覚に襲われるが、同時に冷静になることができ、やっと指揮官の顔をまともに見ることができた。
指揮官の表情は一言で表すのなら羞恥と罪悪だろうか?ポーカーフェイスが得意な指揮官でもこの時ばかりは恥ずかしそうに頬が少しだけ赤くなっている。同時に私に対する申し訳なさそうな感情も伝わってきて……何となく指揮官の意図が理解できた。
「何で、謝るの?」
「いや、だってさ。シュペーにしても嫌だろうに、勝手に俺と指輪云々とか言われて」
そう、指揮官は浮かれている私と違い、自分と私が恋仲だと見られることに罪悪感を感じていた。
指揮官の自己評価は凄まじく低い。私もかなり低い方だと姉ちゃんに指摘されているが、間違いなくそれ以上の低さだ。そう、他者の評価はたとえ敵であろうとも高く、常に自分への評価が最底辺。だからこそ自分の命に執着を持たずに行動してしまい、イオニアでの海戦ではグラーフさんに自己評価の低さを指摘されて、ようやく自信を理解できるほどに。
指揮官は変わろうとしている。でも、そう簡単に自己評価を高めることは難しいのだろう。指揮官は一度、私のことを天使と称えてくれたことがあるが、指揮官にとっては私は天使のような優しい少女であり、そんなシュペーと自分が恋人か何かと勘違いされるのは失礼なことであると。例え私以外の存在であっても、そのスタンスは決して変わらないはずだろう。
一般論としては指揮官の考えは間違いないのかも知れないし、きっと他の男性でも同じことを口にするかも知れない。だけどね指揮官、違うよ?
私、決して純真無垢な天使のような女の子でもないし、怒る時は怒ってグラーフさんに嫉妬することだってある。それに私は指揮官が大好きだから……軽口でもこうして明石さんに恋人って例えられて、寧ろ嬉しいくらいなのに。
「この指輪はビスマルクさんに渡しておくよ、あの人ならもっと相応しいカップルに渡してくれるだろうし、明石への義理も果たせるからね」
ため息混じりに指揮官はココアを飲み干すと、私の飲み干したカップを掴みゆっくりと歩き出す。
「仕事も終わったから昼まで指揮艦内でゆっくりと過ごすことにするよ。イラストリアスが逃げるとは思わないけど、誰か一人くらい船の中に残っておかないとね。俺一人でいいから、シュペーも折角だし、ヒッパーみたいにドイッチュラントさんの所に今日くらいは顔見せてあげなよ、シスコンなんだろ?シュペーのお姉ちゃんは? 」
それとなく、指揮官は一人にしてほしいと言いながら指輪の小包をコートにしまうと指揮艦に向かって歩き出す。
「待って、指揮官」
だからこそ、私は……急いで指揮官のコートを掴みながら彼を呼び止める。唐突な私の行動に指揮官は驚いているようだけど、ここで動かなければ一生、私は後悔してしまうと思ったから。
コート越しから見える背中は私よりも一回り大きくて、思わず抱きしめてしまいたくなる。貴方のことが好きだと告白したい、全てを晒け出したい。そうすればどれだけ楽になるだろうか?そしてどんな未来が待ち受けているのだろうか?
「指揮官は前に私と二人で話したこと覚えてる?初めてコーヒーを入れてくれた時のことを」
しかし、私は……そんな抱きしめたくなる欲求を胸に秘め、指揮官ではなくヴァイスクレー・ヘルブストという個人を初めて知ることになった日を振り返り、彼に話しかける。
「……忘れる訳ないよ。わざわざシュペーから歩み寄ってくれた日なんだから」
少しだけ懐かしそうな顔になりながら、指揮官は呟いた。あの日、サディア風の甘いコーヒーを飲みながら私達は初めてお互いに歩み寄ることができた。
指揮官について知ったこともある。私が指揮官に知ってもらったこともある。その日、指揮官の妹さんがサディアに住んでいると教えてもらったからこそ私は頑張ろうと心に決めていたんだから。
「あの日、私は指揮官にこう言ったよね?きっと見つかるよ。指揮官のことを好きになってくれる女性も、指揮官が好きになる女性も…って」
「……うん」
あの日、指揮官にそう口にした過去の私は本気でそう願っていた。指揮官は大切な妹さんのために必死になって頑張っていた。バルト海で、レス島で最後まで諦めずに私達を信じて戦い続けてくれた。
そんな風に頑張っている指揮官は、きっと未来に彼を愛して、理解して、支えようとしてくれる人と出会えると信じていた。
そして、現在の私は彼に恋をしている。そうなるとは思えなかったけど、この気持ちは嘘偽りもない私の本心。私はまだ彼を理解しているとも、支えられるとも思わない。指揮官は私をどう思っているのかも分からない。
──それでも私は、指揮官を愛している。指揮官を好きになってしまったんだ。
「なら……その指輪はビスマルクさんに報告しても、ヴァイスの手元に持っていた方がいいと思う。指揮官に将来好きな相手が見つかった時、その相手がkansenならきっと役に立つだろうから」
もう、口の中はカラカラになって心臓の鼓動は止まらない。コートを掴む手はぎゅっと強く力が入り、必死で耐えているけれど、できる限り表情に出さないようにしているけれど、本当は恥ずかしくて今すぐにでも逃げ出したい。
沈黙と気まずさが世界を包み込む。それでも指揮官はあの日のようにからかっているのか?と指摘することもなく、じっと私の目を見つめてくれた。そしてあの日のように私と最後まで向き合ってくれた。
「……分かった。持っておくよ」
「きっと、指揮官ならいい人見つかるよ。例えば……私とか? 」
「なっ……!?」
あの日と私は同じ言葉を口にする。それは過去とは違い、好意を言葉に植え付けた告白。その言葉を聞いた途端、一瞬の沈黙の後、指揮官の表情は一瞬で崩壊し朱の色に染めていく。
サディアの時もそうだけど、やっぱり指揮官は私を女の子として少しは意識してくれているんだ。つまり……チャンスは、ある。
「シュペー…えっ、あっ…それって…」
「ふふっ、なーんて冗談だよ?」
おどけた様子でコートを離すと、舌をペロリと出してころころと私は笑う。えっ…えっ!?と混乱の坩堝に投げ込まれた様子だけど、私の目的は達成したからそれでヨシ。
なら、今日はこれくらいでいい。時間はまだまだ沢山ある。私にもチャンスがあるというのなら、ゆっくりともっと指揮官のことを知った上で、指揮官に私が女の子であると。そして、贅沢かも知れないが、今後、少しでも私を意識してくれるようになれば嬉しい。
だってずるいもん……私だけがこんなにヤキモキしているんだから。せめて指揮官にも、少しくらい恋愛に興味をもって欲しいと悪戯半分、本気半分で私は指揮官に宣戦布告をする。
「もし、ヒッパーちゃんやグラーフさんと、もしかしたら未来の私かも知れないし、もっと別の人かもしれないけど……指揮官とkansenが相思相愛になる未来の可能性が少しでもあるのなら……それまで机の中で埃をかぶっていてもいいんじゃない、かな?」
「……できるかな。俺に、そんな相手が見つかるかな」
「きっと、できるよ。さっきはからかったけど私は……指揮官が幸せになって欲しい。その気持ちは嘘じゃないから」
朝焼けに染まる空の下、今も少し恥ずかしそうにしている指揮官の手元の小包に視線を移し、私は最後の言葉を口にする。いつか、指揮官が振り向いてくれることを願いながら。
「いつか、指揮官を支えてくれる良い人が見つかるといいね。指揮官の幸せを応援してるから、ね」
「あーーーーー!本当私って馬鹿だなぁ……!」
「シュ、シュペー!?何があったのよ!?」
指揮艦近くで指揮官と別れた私は、義腕も身につけず、代わりに船内のワインを一本、片手に握りしめながらドイッチュラントと住んでいた部屋に向かい、私の帰還に驚く姉ちゃんを無視して姉のベッドに倒れ込む。
「何やってんのよ私……あーー!あの時勇気出せばよかったなー!!」
足をバタバタとしながら姉の枕に顔を埋めて顔を真っ赤にする私の奇行に姉ちゃんの脳内はパニック状態になっているだろう。でも、今日だけは許してね姉ちゃん。明日からはきっと元に戻るから……!
(あの時、もし指輪が欲しい、指揮官が好きです。大好きですって答えていれば今頃どうなっていたのかな?恋人になったのかそれともギクシャクした関係になったのか)
もっと。勇気を出さないと、やっぱり私は指揮官が好き。勇気が出せなかった、最後の最後に誤魔化してしまった。あの時はそれが最良でせめてチャンスがあるなら。少しでも私を意識してくれるなら嬉しいと思っていたのに、どうしても告白していればどうなったんだろうか?という妄想が止まらなくなる。
もしも、自惚れかも知れないけど指揮官にあの時告白していれば、今頃私は指揮官と恋人になっていたかも知れない。そうすればまた違った未来が、例えばこの部屋に指揮官を連れてきて、ドイッチュラント姉ちゃんに私の恋人です!とドヤ顔で告白する未来もあったかも知れない。
きっと、私は指揮官が誰と結婚してもこの想いは変わらないだろう、彼が一途にその人を愛していてもきっと私は素直に身を引けない。それがヒッパーちゃんであろうが、グラーフさんであろうが、なんならドイッチュラント姉ちゃんやシェーア姉ちゃん。陣営代表のビスマルクさんが相手でも。私はずっと指揮官を愛し続けるだろう。
だから、今はもっと学ばないと、戦争と同じで知識を集めて最後に勇気を振り絞った人物が恋愛も勝利する。
もっとゆっくりと指揮官と更に親しくなってから、次こそはちゃんと告白しよう。そのためには常に指揮官の秘書をしているヒッパーちゃんには悪いけど、今後は私も定期的にヒッパーちゃんの代わりに秘書をしたいと頼んでみよう。
グラーフさんは特に指揮官は親しいから注意かも。あの胸は脅威だ、私の胸はグラーフさんと比べると悲しくなるくらいには小さいけど、今後私服でも身につけて指揮官に谷間アピールするべきかなと色々と考える。
こうなったら指揮官の心を陥落させるために少しずつ私も頑張ろうと決意する。今日告白しなかったことを後悔しないように、そして、妄想以上の未来を掴むために。そのためには……。
「姉ちゃん、ちょっとヤケ酒するから手伝って!付き合って! 」
そう言いながらベッドから起き上がると、サディア土産の干し葡萄ワインをドンと机の上に置く。姉ちゃんはシュペーが不良になったとかなんだか喚いているけど今日だけは無視させてもらって、無理矢理でも付き合ってもらうからね!
こうして、私は非番のドイッチュラント姉ちゃんを無理矢理付き合わせ、早朝からワインをガブガブと飲みまくる。一本では足りずに途中で姉ちゃんに頼んで、姉ちゃんが普段から飲んでいる赤ワインも口にする。
「……苦っ…」
だけど、姉ちゃん秘蔵のワインはそこまで美味しくは感じなかった。再びショックを受ける姉ちゃんを尻目に、もしかして私の味覚はヴァイスと同じものになっているのでは?と酔った勢いで少しだけ笑顔になるも、結局昼間には酔い潰れてしまい、翌日まで頭痛が続き、ヒッパーちゃん達に心配されたのは苦い思い出となってしまうのだった。
・明石の指輪
メタ的なエピソードになりますが、原作ダイスにおいてはエンディング目前。即ち指揮官とkansenが相思相愛になると通常選択肢に明石が指輪を無料でくれると言うイベント、もしくは上司である陣営代表が指揮官を呼び出すと言うイベントがランダムに発生し、その後デートなどのイベントを得て指揮官が告白。そしてエンディングにと言う流れが定番となっていました。(その後ハーレム展開なら二つ目以降の指輪に明石がお金を要求するのもちゃっかりとしています)
しかし、今作ではかなり早い段階で鉄血に帰還直後に明石は指揮官に指輪を渡しています。その理由はシュペーが指揮官を好きになったから……ではなく、メタ的に言えばもっと早くにどこかの頭サディアの陣営代表が好感度99をいきなり叩き出してしまったのが原因です。
後は本来であれば指揮官が人を好きになる。誰かに告白されて、その返事で指輪を渡すだけでエンディングになるでしょう。しかし、そうとはならないのがこの物語。鉄血なら帰還した後も慌ただしい日々は続いていき、しばらくの間指輪は机の中でほこりを被ることになるでしょう。果たして指揮官はこの指輪を使用する日は来るのでしょうか?そしてシュペーと、彼女も指揮官も知らない内に恋のライバルとなっていたヴェネトの三角関係とも言える恋の行く末は……
指揮官の後世の評価はどうなる?
-
戦争を終わらせた立役者
-
サディアを救った救国の英雄
-
ロイヤル最大の敵
-
女の子に手を出しまくりの色を好む英雄