鉄血の旗の元に《完結》   作:kiakia

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第四十六話 史上最大の作戦 前編

 

 

 12月24日のクリスマスイブ、辺りは既に夜の闇に包まれており、明日にサンタからクリスマスプレゼントを貰うはずの子供達は無邪気にベッドの布団に包まって眠りについていた。

 

 欧州にとってクリスマスは特別な日である。それは欧州各国の人々が信奉する宗教にとっては重要な意味を持つものであり、同時に家族や友人達と共に過ごす大切な時間でもあったからだ

 

その日の夜、サディア帝国の海軍港が存在するタラントでは多くの人々が集まっており、明日から始まるであろう解放祭に向けての準備が行われていた つい数時間前、港には屋台が立ち並び、人々は笑顔で買い物をしている光景が広がっていたのだが流石に辺り一面が暗くなる深夜では人通りも明日に向けて家で家族と過ごしており、街灯だけがタラントの美しい街を照らしていた。

 

 

「いよいよですね……あと少しで歴史は変わるでしょう」

 

 

 時刻は午後23時57分。夜の闇が地中海を包み込む中サディア帝国総旗艦であるヴィットリオ・ヴェネトは姉妹艦であるリットリオに静かに語りかけていた。あと3分。あと3分で彼女達の謀略によってこの戦争はターニングポイントを迎える事を彼女は自覚しており、同時に自身やサディア帝国は敵対するロイヤル王国から100年以上は恨まれるであろう計画案にスイッチを押した事を今更ながら理解する。

 

「だが、ヴェネトは今更後悔はしていないだろう?」

 

「賽は投げられましたからね。それに恨まれるのは全て私とエリザベスだけで済む様に手配は済んでいますから」

 

 

 彼女の妹であるリットリオが苦い表情で口を固く結ぶと、ヴェネトはくすりと笑いつつ窓の外に広がる夜景を見つめる。

 

 

「今更もう後戻りは出来ない。私達はレッドアクシズと共にこの作戦を成功する事を祈るまでさ」

 

「そうですね……後は参加した将兵やkansen達の無事を祈りましょう」

 

 

 

 既に作戦準備はほぼ完了していると言っていい状況であり、後は実行に移すだけであった。そして時計の針が午前0時を指し示した瞬間だった。ヴェネトの脳裏に浮かぶものは罪悪感ではなく、未来を掴み取ろうとする意志。例え自身が100年恨まれ、歴史書に悲劇を引き起こした罪人と呼ばれようとも構わないという覚悟であった。

 

 

(ごめんなさい皆様……それに、ヘルブスト様は私の事をなんて思うのでしょうか?)

 

 彼女が心の中で謝罪の言葉を口にしつつ想い人の名が頭によぎった直後、けたたましいサイレン音が鳴り響き、それと同時に軍港内に設置されたスピーカーからは緊迫感のある声が流れ出す。

 

 

「それでは始めましょうかリットリオ……サディア帝国の栄光の為に。ロイヤルへの復讐の為に。レッドアクシズの誇りの為に。鉄血からの恩を返す為に。何よりも未来を掴む為に」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────私達の戦争を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 スエズ運河という地域を説明するのであれば中東、アジアにおける海上輸送路の中継地点としての重要性は非常に高く、また欧州からの物資を運ぶ際に必ず通らなければならない場所でもある。かつては植民地より多くの富が欧州に流れ込む際に必ずと言ってもいい程にスエズ運河を通過する必要があったのだ。

 

 

 

 それは1940年の現在も変わらず、むしろセイレーンという人類全体の脅威に対抗する為にスエズ運河はレッドアクシズとアズールレーンの二つの勢力の戦争中の現在であっても中立地帯として多くの船舶が通過している。多くの官民問わない輸送船や軍艦はこれより中継地点であるマルタ島かサディア帝国の港に一度寄港し補給を受け再び欧州へと向けて出航していく事となるのだ。

 

 しかし、現在マルタ島は『イオニア海海戦』の結果ロイヤルネイビーの敗北によってレッドアクシズの手に落ち、ロイヤルのkansenや軍艦は事実上中継地点であるマルタ島を奪われた以上はレッドアクシズの領海を通ってジブラルタルに向かう必要があるのだが補給面やセイレーン、レッドアクシズの危険性もあって不可能となってしまい、大きくアフリカ大陸を迂回する必要が出てしまう。

 

 民間船もサディア帝国の臨検を受ける必要があるために『イオニア海海戦』以降その航路を進む船は激減したと言えるだろう。

 

 それは勿論全てこの戦争の実質的なロイヤル側の指導者であるクイーン・エリザベスの名誉や威光に大きな傷を与える事となり、島国であるロイヤルの主要海路をレッドアクシズに奪われた現在は大きく迂回する必要がある為にコストやスピードに大きな問題を抱える事となり、彼女の政治生命は大きな危機に瀕していたと言えるだろう。

 

 マルタ島の陥落はただ軍事拠点が落とされたというだけではなく、ロイヤルという国家の喉元にナイフを突きつけられたようなものであった。

 

 

 そんな女王クイーン・エリザベスが最も信頼する部下の一人である摂政のフッドは現在スエズ運河にてサディア帝国のkansenザラと二人並んで深夜の運河を眺めていた。運河の様子は夜の闇に紛れており殆ど見えないが、それでも二人は何かを待つようにじっと佇んでいる。

 

 軍港には多くのロイヤル軍人や憲兵が敷き詰められており、街灯の灯りに照らされて医療物質や食糧等の物資が運び込まれていく光景が見える。そんな様子を眺めながらフッドは全く信頼できない総旗艦の懐刀であるザラを横目で見つめつつ警戒しながらも数日前の出来事を思い返していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「サディア帝国の皇帝陛下、及び総旗艦の名において約束しましょう。我々は先の戦いで捕虜となった貴方達の勇気ある人々のほぼ全員を返還する準備があると」

 

 数日前のジブラルタル基地にて、サディア帝国の使者として派遣されたザラはジブラルタル基地の責任者でもあるフッド卿に明日の天気でも話すかのような表情でそう告げた。捕虜の返還は確かに喜ばしい事ではある。だが、あまりにも唐突な申し出にその場にいた全員が困惑した表情を浮かべる中、フッドが質問しようとするも、ザラは構わずに更なる説明を行なっている。

 

 

「時期は今月の12月25日のクリスマス。この一日で私たちは捕虜を解放しましょう。一足早いクリスマスプレゼントって所かしら?これでロイヤルの皆も敵国の真っ只中じゃなくてロイヤルの本土に帰れるとなれば少しは安心できるはずでしょうね」

 

 

 ザラは笑顔でそう言い放つもフッドの周辺のロイヤル関係者は困惑の表情を浮かべていた。それもそうだろう、なんせ折角戦いで得た人質でもある捕虜をこんなにあっさりとサディア帝国は解放すると宣言してきたのだ。しかも時期まで指定してだ。

 

 余りにも怪し過ぎる。これをサディア帝国の善意の行動だと信じるものは誰一人として存在せず、サディア帝国の隠れた意図を疑う者が大半であった。

 

 サディア帝国の現在ロイヤルを見る目は控えめに言って最悪と言ってもいいだろう。ロイヤルはサディア帝国の軍港タラントを夜間の奇襲攻撃によって火の海にしようとした所を鉄血艦隊の援軍によって阻止されている。

 

 その結果ロイヤルはマルタ島を失陥と同時にkansenウォースパイトとイラストリアスというクイーン・エリザベスの重鎮や、過去のセイレーン大戦を戦い抜き多くの人々から慕われていたアンドルー・カニンガム中将などを含めた数多くの捕虜をサディア帝国に与える事になり、同時に夜間の奇襲攻撃という卑怯な騙し討ち作戦を計画したロイヤルに激怒しているのだ。

 

 それだけではなくビスマルクの演説や、サディア帝国にとっての英雄である鉄血艦隊の指揮官ヴァイスクレー・ヘルブストの暗殺未遂事件なども含めてサディア帝国は最早ロイヤルを憎悪や嫌悪を通り越して殺意を抱く程にまで怒り狂っていると言ってもいい状況である事はフッドも理解している。

 

 

 そんな中での今回の捕虜の返還という提案……罠と考えるのは当然の事であり、またその裏には何を隠しているのかを考える事もまた当然であると言えるだろう。フッドは疑惑に満ちた表情でザラに目をやりながら言葉を紡ぐ。

 

 

「貴方達の意図がわかりませんわ……何故捕虜を解放するなどと仰られるのです?貴方達は何を企んでいるのでしょうか?」

 

 

「あら、それは心外ね。私は別に貴方達に喧嘩を売るつもりはないのよ。ただ、この戦争を終わらせる為の手段の一つを提示しただけに過ぎないのだから」

 

 

 ザラは差し出された紅茶を飲みながら優雅に微笑むも、フッドは当然ザラが何かを企みつつもその内容を暴露しない事くらいは理解していた。とは言えこの戦争を終わらせる為の手段というキーワードは無視出来ず、更に問い詰めようとすればザラは肩をすくめて口を開く。

 

「そもそも私達が捕虜を解放するのは善意だけじゃなくて貴方達のせいで私達も迷惑を被ったからよ。貴方達がサディア帝国の英雄ヴァイスクレー・ヘルブストを暗殺しようとした事実が暴露された時、サディア帝国内部ではそれはもう大変だったんだから」

 

「貴女に言っておきますが断じて陛下はヘルブスト指揮官を暗殺なんて───」

 

「あらそう?なら現場の判断なのね?そちらは敵国にスパイを派遣しておいてスパイの統制も出来ずに自由裁量、もしくは現場の暴走で英雄を暗殺しかけたのね?なるほど……実に興味深いわ」

 

 

 暗殺命令を否定するフッドをザラは挑発するかのように鼻で笑うとフッドは顔をしかめる。しかし、ここで感情的になってしまえば相手の思う壺だという事をフッドはよく知っていた。だからこそ冷静さを保ちつつザラを睨みつけるのだが、ザラは気にせずに言葉を続ける。

 

 彼女の目的はあくまで交渉なのだ。とはいえ自国を焼き払おうとした国との交渉にてたった1人でロイヤルのkansenや軍人達に囲まれて威圧されるように交渉されても鼻歌混じりに紅茶を飲みながら交渉を進めるザラは間違いなく大物なのだろう。そんなザラはまるで世間話でもするかの如く淡々とした口調でフッドに対して語りかける。

 

「この際暗殺未遂の命令か現場の暴走かについては関係ないわ。結果としてサディア帝国は激怒して今にもその怒りの矛先を捕虜に向けかねない程に険悪な雰囲気になっているのよ。あの戦いで得た勇敢なロイヤルの捕虜はまさに不満の矛先を向ける最高のサンドバック。このままでは私達の兵士がそちらの捕虜を傷つけかねない。それはどちらの国にとっても不利益しかないでしょう?」

 

 

 ザラの言葉にフッドは表情こそ変えないものの内心ではかなり焦っていた。確かにサディア帝国は現在かなり危険な状態に陥っているというのはフッド自身も理解しており、仮に陛下の姉妹艦であるウォースパイトが殺害や陵辱なんて目に合えばこの戦争は最早ハーグ条約を無視した殺戮戦争になるだろう。

 

 戦争の継続は現在ロイヤルは望んではいるが、同時にそのような事態に陥る事だけは避けたいと思っているのだから。

 

 

「だから私達はサディア帝国の兵士達にそんな暴走により悲劇を起こさせない為に捕虜をクリスマスに返還するって決めたのよ。鉄血の演説はエウロパ大陸全域に届いたのだから当然捕虜も聞いて不安がっているわ。捕虜の命や尊厳を守る為に貴方達が懸命な判断をする事を期待しているわ」

 

 

 ザラはそう言うとじっとフッドの目を見つめ、周囲を囲むロイヤルネイビーの皆もこのジブラルタル基地の代表であるフッド卿の判断を仰ぐ。

 

「そちらが嫌というなら構わないけど、そっちとしても国際的に孤立しつつある訳だし、ここいらで戦果の一つでも欲しくはなくて?」

 

 どの口がと思わずフッドは言いそうになるが、心の中で故郷の風景を思い浮かべる事で感情を落ち着かせる。確かにザラの言う事はロイヤルにとってはメリットでしかないのだ。

 

 現在ロイヤル本国では度重なる戦争指導者であるクイーン・エリザベスの失態によってかつては絶対的とまで言われた盤石な支持率には綻びが生まれつつあり、マルタ島で捕虜になった兵士の家族を中心に反戦デモを行っており、それに同調する人々も増えつつあるのが陛下の悩みの種の一つ。

 

 

 だがもしも、捕虜である兵士達がロイヤル本国に帰還出来れば間違いなくデモは収まり、その功績によって多少なりとも陛下の支持が回復するのは間違い無く、荒れている地盤は固まり大規模攻撃作戦までの時間は稼げるはずだ。

 

 しかし、同時にフッドはザラを。サディア帝国を全く信頼してはいなかった。捕虜返還の際に間違いなくサディア帝国のスパイが紛れ込んでいるのは確実であり、その他にもサディアはこの捕虜返還の際に数々の謀略を企んでいるのはず。少なくとも自分や陛下であれば同じ事を考えるとフッドは思考する。

 

 

 そして、もしこの提案を蹴った場合、間違いなく自分達は袋叩きに合うだろう。サディア帝国はロイヤルが捕虜を見捨てたと吹聴し、ビスマルクの様に言いふらすに違いない。そうならば今度こそ陛下の政治的権威は崩壊し、我々の戦争継続は不可能となり……こちらが不利な講和によって祖国の未来は暗いものとなり、陛下は下手をすれば公開処刑されてもおかしくはないのだ。

 

 

 どうすればとフッドは歯噛みをしながら考える。現在のロイヤルはメルセルケビール海戦の様な強引な手法を取れば世界的に非難されかねない程にプロパガンダ戦略によって疲弊しており、自国の支持だけではなく国際的世論を味方につけた正々堂々とした戦いをしなければならないのだ。

 

 あのイオニアの海戦と暗殺未遂事件の暴露はロイヤルの戦争計画を崩壊させただけではなく、戦い方の制限すらもロイヤルに与える厳しいものであった。

 

 

「……分かりました。そちらの提案を本国の陛下に伝えましょう。そちらの見返りは何を望むのでしょうか?」

 

「お金や金銀なんて要らないわよ。こちらとしては政情不安の要因になる捕虜を引き取ってもらえるのであればそれだけで充分。あえて言うなら望むものは……クリスマスに捕虜をロイヤルに返還したという事実かしら?国際的な世論もクリスマスプレゼントとして捕虜引き渡すのは人道的な行為だと褒め称えるでしょうから」

 

 

 フッドとしてはここで金塊でも要求されれば、クリスマスプレゼントであるとヴェネトが演説した直後に金塊に目を眩んで捕虜を解放して私服を肥やしたと反対演説を行うつもりであったが、ザラの要求はあまりにもささやかな物であった。

 

 フッドは内心で舌打ちしながら表情に出さずに交渉を続ける。現状ではサディア帝国に借りを作る形になるが、それでも捕虜解放は政治的に見ればかなり大きな成果だ。だが相手の言う事を鵜呑みにしてはならない。少しでもこの捕虜返還は自国にとって有利なものしなければと笑顔を顔に張り付かせてザラに口を開く。

 

 

「本国の陛下達に相談する事になるでしょうがサディア帝国の判断に感謝しましょう。クリスマスに間に合う様に数日で草案を作り上げますので両国で発表できる形に。ですが一つだけ条件があります、捕虜の引き渡しはこのジブラルタルにして頂きたいですね」

 

「それは無理ね。この海域は最近セイレーンの活動が活発化しているという事もあるけれど、こちらはここまで譲歩していると言うのにわざわざそちらの領土まで捕虜を連れてこいと?それを言うなら貴方達がサディア帝国まで自国の捕虜を迎えに来るのが筋ではないのかしら」

 

 

 ザラとフッドは無言で睨み合う。フッドとしてはスパイなどの予防の為に捕虜返還と同時に憲兵による調査によってサディア帝国のスパイの摘発をスムーズにする為にこのジブラルタルで捕虜を引き渡してほしいと願っているが、ザラは捕虜をロイヤルが迎えに来てまとめて引き取れと口にする。

 

 

 確かに捕虜を安全に引き渡すにはそれが一番良いのだが、その分ロイヤルが負担するリスクはかなり大きい。もし仮にザラの言う通りにすれば、サディアの工作員が紛れ込む可能性は非常に高い上に、万が一サディア帝国に交渉団が包囲される可能性やセイレーンによって捕虜ごと自分達が襲われる可能性もあり、そう簡単にサディアの提案を呑むわけにはいかなかった。

 

「……仕方ありません。私達の間で今決めても口約束にしかならないですし、一度ロイヤル本国にこの草案を提出致しましょう。クリスマスまでに結論を出します」

 

「それで構わないわ。こちらもそれに合わせて準備をするわ。ではまた後日お会いいたしましょうね、フッド卿」

 

 ザラとフッドはぎこちない握手を終えると、その足で親書と提案書を提出したザラは帰っていく。出来る事であればザラを人質として捕らえたかったが、そうなる捕虜交換の提案が水の泡になる可能性も高い。

 

 かつてはウォースパイトがリットリオに、フッド自身もダンケルクに武力をちらつかせた高圧的な態度で交渉を優位に進めていたロイヤルであったが、最早戦力こそあれどかつての様に強行的な手段を取れなくなっている現状をフッドは嘆きながらも、急いで本国のクイーン・エリザベスに伝えるべく通信室に向かうのであった。

 

 

 なお、ザラが単独でジブラルタルだけではなく、セイレーンが増えつつあるヴィシア領海をセイレーンと遭遇せずに帰路に付けた理由は、ヴィシア艦隊の指揮官が念入りに、この航路をそれはもう念入りに『掃除』を数時間前に行っていた事が理由であり、ザラがその事に気が付きヴェネトに報告したのは言うまでもない事であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 フッドが自身の腕時計に目をやれば自国は午前0時直前であった。彼女の周辺には数十人のアレクサンドリア基地所属のkansenが緊張した面持ちで港に待機しており、その数百倍のロイヤル所属の軍人達が山の様な医薬品や弾薬、そして仮設した確認用の尋問室を設営しながらスエズの地で待ち続けていた。

 

 交渉の結果、捕虜の受け渡し場所は国際的な中立地帯であるスエズ運河が選択され、責任者としてロイヤルからはフッドが、サディアからはザラが派遣される事となり、捕虜の9割以上をこのスエズ運河で引き渡す事が決定する。

 

 スエズ運河は中立地帯ではあるが、実質的にその領有権はロイヤルが保有していると言えるだろう。かの地の本来の保有者はエジプトではあるのだが、セイレーンという人類共通の敵が現れた後にロイヤルが防衛の為に居座るようになり、そのまま第一次セイレーン大戦以後も数多くの権益をロイヤルは保有しており、スエズ運河近くのアレクサンドリア海軍基地は表向きはスエズ運河をセイレーンから防衛する為の基地であったが、裏ではエジプトの現政権である通称ナイル政府を恫喝、もしくは傀儡化するための拠点でもあった。

 

 

 いわば人類共通の利益のために国際中立地帯となっているスエズ運河ではあるが実質的にはロイヤルが保有する権益の一部であり、ユニオンのパナマ運河や鉄血のキール運河と同じく中立といいながらも実際は大国の庭と変わらない地域であった。

 

 

 今回スエズ運河が捕虜交換の地に選ばれた理由は比較的マルタ島からのアクセスが早いだけではなく、中立地帯でありながらもロイヤルの息がかかっており、尚且つ近くにロイヤルの海軍基地が存在している事からサディア帝国が奇襲攻撃を仕掛けた所で反撃に素早く移る事が可能であるという点も見逃せないだろう。

 

 

 ロイヤルからの要望を数多く受け入れた捕虜返還交渉であったが、サディアは多くを受け入れる代わりにクリスマスの午前0時から午後23時59分までの間が捕虜の受け渡し時間である事を条件として提示してきた。サディア帝国側の条件を受け入れた結果、捕虜返還の時間は夜通し行われる事になり、いわばクリスマスを丸々使った捕虜返還の為にわざわざクリスマス当日を夜、家族と家で囲むのではなく他国の地で不眠不休で待ち続ける事になったロイヤルの兵士達は気の毒と言う他ないだろう。

 

 

 そんなロイヤルの将兵達の苦労など露知らず、ザラはフッドの横でワインを片手に椅子に座って優雅に待ち続ける。フッドとしては何故こんな深夜にとザラに問い詰めたのだが。

 

 

「セイレーンという人類共通の敵がいる以上捕虜解放の時間は余裕をもって行うべきではなくて?それに朝早くから終わればロイヤルの皆さんも今日の夜頃にはクリスマスを楽しむ時間も取れるでしょう?」

 

 

 

 そう言いながらワインとチーズを口に含むザラにフッドは冷たい視線を向けるが、ザラは相変わらずマイペースにフッドに何度も世間話を話しかけてきておりフッドは内心舌打ちをしながらイラつきつつ、表面上は笑顔を取り繕うと会話を続ける。

 

「0時ね……メリークリスマス。フッド卿。それではそろそろ時間だからきっと捕虜を乗せた私達レッドアクシズの船団は到着するはずよ、その内ね?」

 

「……レッドアクシズ?」

 

 

 フッドはザラの何気ない一言を問い詰めようとするが、その瞬間彼女の通信機が鳴り響く。通信先のkansenシュロップシャーは現在スエズ周辺をパトロールしながら捕虜を乗せた船を一足早く見つける任務を受けており、フッドはシュロップシャーからの報告を受け入れる。

 

 

 

『こ、こちらシュロップシャー!フッド様大変です!捕虜を乗せた船団がやってきましたが……何なんですかあれ!?話が違うじゃないですか!?』

 

 

 

 シュロップシャーの報告は鬼気迫るものであり、フッドはサディアがやはりアレクサンドリア基地制圧のための部隊を派遣したのか?と冷静に判断しながらも、シュロップシャーに落ち着く様に言葉をかける。

 

「落ち着きなさいシュロップシャー。何があったのかを正確に報告してくださいませ」

 

 

 通信機越しでも分かる程に動揺しているシュロップシャーを落ち着かせるべくフッドは優しく語りかける。しかし、フッドの予想に反して返ってきた報告は彼女の想像を遥かに超えていた。

 

 

『は、はい。えっとですね………船団が見えるのですが……数が、数がおかしいんですよ!!』

 

 

 

 その瞬間フッドに駆け寄る駆逐艦ハンターは信じられないと頬を引き攣らせながら、フッドに報告する。

 

「伝令です!現在レーダーを確認しましたがとんでもない数の船団とkansenがこのスエズ運河に向かってきています!その数、推定ではあるのですが500……いえ!1000隻は下らないかと思われます!」

 

 

 ありえない。捕虜の数はせいぜい数千人程度でありそんな莫大な数の船を動員する必要はないのだ。つまり……その船の中にいるものはサディア帝国の軍人か、或いは……。

 

 

 瞬間フッドは全てを理解した。サディア帝国が自国に仕掛けた最悪の謀略の全貌を。自分達はサディア帝国の掌で踊らされていたのだと、そして彼女は怒りのあまり震え始める。

 

 

 

 

「ザラ……貴方と言う方は!!」

 

 

「さて、第一陣の到着ね。それではフッド卿、始めましょうか」

 

 

 

 ザラは最後のワインをグイッと飲み干すと立ち上がり、笑顔でフッドに向き直る。そしてその口から放たれた言葉はフッドの最悪の予想を裏付けるものであった。

 

 

 

 

 

 

 

「イオニア海海戦で勇敢に戦い、そして捕虜となった人達……延べ3()0()()()()()()()()()()()()()()()、このクリスマスに貴方達に返還しましょう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それでは始めましょうか。これより作戦名『第二次ダイナモ作戦』の発動を宣言致しましょう!」

 

 

 サディア帝国総旗艦ヴェネトの言葉によってタラント港に残るサディア帝国軍人。そして鉄血海軍、ヴィシア海軍の軍人達は笑みを浮かべて作戦の成功を待ち続ける。

 

「第二次ダイナモ作戦か……ふふっ、サディアのジョークは本当に皮肉が効いているわね」

 

 鉄血のkansenプリンツ・オイゲンがそう言えば耐えきれないと言わんばかりのレッドアクシズの軍人達は手を叩いてロイヤルを出し抜く事に成功した事を喜び合う。

 

 

 後にレッドアクシズ史上最大の作戦と呼ばれる事になる『第二次ダイナモ作戦』はこうして幕を開けるのであった。

 

 

 

 




 

 今回の後書きはお休みです。

 次回レッドアクシズ、第二の矢となる作戦の全貌が明らかに。

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  • ロイヤル最大の敵
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