鉄血の旗の元に《本編完結》   作:kiakia

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第六十五話  河豚計画 極東クルジス・エルサレム共和国

 

 

 

 時は遡り数ヶ月前、オスマン帝国にてスーツ姿の重桜の外交官、杉原千畝に言葉にオスマン帝国海軍の重鎮たるムスタファ・ケマル大臣は遠い異国からの使者の言葉に沈黙、否。絶句していた。

 

 

「重桜及び北方連合はオスマン帝国との同盟締結だけではなく各種海軍技術なども含めた技術支援を行いましょう。ただし、その為の条件の一つとしてオスマン帝国に在住するクルド人及びユダヤ人コミュニティへの仲介役、及び彼らが新国家への移住を望むのであればビザを用意して頂きたい。無論移住者への輸送費用なども含めた金額は、全て我々北桜同盟が全額支払いましょう」

 

 

 温厚そうな目の前の男の言葉にケマルはこの男は何を言っているんだと、困惑した表情を浮かべた。kansenの存在しないオスマン帝国にてセイレーン大戦にて卓越した指揮により多くのセイレーンを撃破し、策謀や暴力が渦巻く政治の世界でも優秀な素質を見せつけててきた彼であったが、この男の言っている事はあまりにも突拍子もなく理解できなかった。

 

 傀儡国や自治を認める訳ではなく迫害された二つの民族の安住の地となる独立国を。それも島国である事や鎖国によって一つの民族として統一されており、ユダヤ人やクルド人とは全く関わりのない重桜が、無償どころかこちらから予算を出してコミュニスト達と手を組み、主権を放棄した樺太の地で国家建国のサポートを行う?

 

 

 

 馬鹿馬鹿しいにも程がある。こんな与太話、酔っ払い達の怒号が渦巻く下町の酒場ならまだしも、国家間の外交にて持ち出す内容ではない。

 

 

「失礼……余りにも突飛な話題に流石に言葉を失いましたが、あなた達が何故そこまで二つの民族に肩入れするのか理由をお聞かせ願えませんか?」

 

 

 だが、ケマルは間違いなく優秀な人物であった。ふざけているのか?と皮肉を口にする訳でもなく、真剣な表情を浮かべたまま重桜の外交官に問いを投げる。善意で二つの民族を救う為にわざわざ広大な樺太の領土を北方連合と共に手放すなんてことはあり得ない、確実に何か裏が有る筈だ。

 

 

 

「正直に申し上げますといくつか理由はございますが……一つは北方連合及び重桜は大航海時代から始まる植民地競争に乗り遅れてしまったが為に国内で一つの市場として完結しており、海外への進出があまり上手く行ってはいないのです。それ故に今回の件は好機と捉えています」

 

 

 重桜は豊臣秀吉による朝鮮出兵の失敗以後、海外への侵略的野望を捨て、更に徳川家の太平の世の最中鎖国を行った事により世界の主流であった植民地政策とはかけ離れる事になる。

 

 

 無論国内で成熟した市場が200年以上にも渡り成立した事へのメリットも存在するがセイレーンの脅威に立ち向かう為に開国をして早四十数年。その年月は重桜が世界から孤立し、様々な意味で遅れている事に気がつくには充分な時間であったと言えるだろう。

 

 たった数十年でセイレーンの脅威に対抗しながらも巫狐の導きの元、近代国家として維新の道を歩む事により技術に於いては大国と遜色のないレベルまで成長したのは間違いなく感嘆に値する。

 

 しかし、世界の主流となった化石燃料を始めとする各種資源に関しては植民地を持たぬ故に常に不足しており、資源外交に於いては常に他国に喉元を狙われ続ける立場にあり、自国以外の経済圏を持たないが故に市場としての規模は小さい。

 

 それは重桜の国力が弱いという訳ではない、セイレーンとの戦いが長引いた結果、国内産業の育成もままならずに停滞してしまったのも原因と言えるだろう。

 

 技術力こそあれど資源を持たずに経済市場としては小さな歪な国家。それが重桜であり赤城がレッドアクシズに参加をする事でロイヤルやユニオンの植民地を強奪する事は決して馬鹿げた考えではなく、そうせざる得ない程に重桜の状況は逼迫していたのだ。

 

 

 持たざる者は持つ者から奪うしかない。例え多くの恨みを買う事になってもこのままではロイヤルやユニオンの犬として資源という名の餌がなければ飢え死ぬだけだ。ならばこの機会を利用しない手はない。レッドアクシズに参加をする事により資源地帯を獲得する事が未来の重桜の繁栄に繋がるのだから。

 

 

 そう口にしながら真珠湾への奇襲攻撃を企てた赤城達率いる親レッドアクシズ派の野望は、長門による北方連合との同盟締結によって水泡と化し、赤城も長門に恭順した事により計画は白紙となる。

 

 

 

 しかし、セイレーンとの厳しい戦いによって国内が著しく衰退し、重桜が望む資源こそあれど共産主義という世界から警戒されたイデオロギーを採用した北方連合もまた国際的な市場という観点からすれば頼りない。寧ろ世界中から嫌われているが故に重桜以下という惨憺たる有り様である。

 

 

 重桜が望む資源は確保した。しかし国際的な市場となる基盤を重桜と北方連合はもってはいない。ならばどうするべきか?そう、収奪する事も侵略する事もできないのであれば新たな市場を0から作り出せばいい。故に独立国としてクルド人とユダヤ人による新国家の市場に二カ国は参加する事で自分達の立ち位置を安定させる狙いがある。

 

 

 

「第二が北桜同盟締結によって関係が悪化したユニオンとの関係改善の為に、ユニオンのユダヤ系ユニオン人の方々の注目を集める為です。ユニオンという国家においてユダヤ人の方々は少なくない影響力を持っております。もしも彼らが同胞たるユダヤ人の為に安住の地を我々が与えれば、彼らからの好感度は間違いなく上がるでしょう、魅力的な市場である事へのアピールに成功すればユニオンのユダヤ人マネーの流れ込みが期待できます」

 

 

 

 

 ユダヤ人という民族は世界から宗教的にも迫害されており、様々な差別的な待遇や理不尽な迫害を受けていた。それはロイヤルや鉄血、サディアなどの国家も同じであり不満の捌け口を求めるようにユダヤ人は排斥されていく。

 

 特に人類種の敵であるセイレーンの出現によって人心が乱れた際などは一部の成功したユダヤ人の活躍を見て「強欲、高利貸し、狡猾な商売人」など蔑む事でその軋轢は深まっていく。

 

 無論政治に関わる者達はその状況を打破する為に何もしなかった訳ではなく、皮肉な事に『あの』鉄血が最もユダヤ人に関する差別の禁止やそれに対する厳しい処罰を盛り込む事によりもっともマシな待遇を作り出す事に成功したのだが、それでも国民に宿った侮蔑的な感情は消えなかった。

 

 一方、新大陸に渡ったユダヤ人達は持ち前の開拓精神と勤勉さ、何よりも安住の地を切実に求めんが為に建国当初から血を滲む様な努力を重ねる事により現在ではユニオンに於いては政治的中枢や市場経済の重鎮に上り詰める程の人物も多いものの、内心では国内外へのユダヤ人の差別に憤りを感じる人々も多い。

 

 そんな、ユニオン中枢のユダヤ人達に同胞達の安住の地となる新国家の樹立のためのサポートを行う姿を見せつける事で関心を集め、その対価として彼らの信頼を勝ち取る事ができれば。

 

 

 停止していたユニオンとの貿易やレンドリースの再開だけではなく、莫大なユダヤ人マネーが樺太の地に投入される事で間接的に重桜と北方連合もその恩恵を受ける事ができると彼らは予測していた。

 

 机上の空論であるかも知れないが、国際社会に正義の味方としてアピールする事で支持を得るという事は現在でも鉄血公国をみれば分かりやすいだろう。彼らの様に国際社会で善人を気取り、世界で難民として差別されているユダヤ人達の関心を勝ち取る事が出来れば。

 

 

 そして、ユニオン系ユダヤ人達にとって樺太が魅力的な新たなフロンティアだとアピールする事に成功すれば、重桜と北方連合はユダヤ人の資本によって発展した見込みのある市場に参入する事ができるのだから。

 

 杉原はやがて三つ目の言葉を口にしようとしたが、一瞬だけ躊躇うような表情を浮かべる。しかし、すぐに意を決したのか彼はゆっくりと口を開いた。

 

 

 

 

「……最後になりますが、Mr.ムスタファ。貴方はこう思ってるのではないでしょうか?北桜同盟はユダヤ人を重視した上で新国家を樹立させようとする意図は理解した。しかしなぜ、無関係なクルド人も巻き込むつもりなのかと」

 

 

 クルド人はユダヤ人と同じく世界中で差別された民族の一つであり、国家を持たない民族としては世界最大規模の人口と誇る民族だ。しかし、はっきりいって彼らはユダヤ人とは違い国家を与えるメリットや旨味はそれほど存在しない。

 

 新大陸で成功を収めたユダヤ人とは違い、このオスマン帝国を中心とした中東諸国に生きる彼らは迫害され続けた歴史があり、わざわざ手を差し伸べるメリットが存在しない。寧ろオスマン帝国に存在するクルド人コミュニティ規模は膨大であり、彼らを国外に連れ出す為にはオスマン帝国の国力の低下に繋がる恐れもある事から今回の交渉を失敗に終わらせるリスクすら存在する。

 

 だが、北方連合も重桜はユダヤ人と同じく迫害された民族であるクルド人にも手を差し伸べようとしているのだ。それは善意ではなくもっと別の何かであるとケマルが予想しながら頷くと、杉原は静かに答えた。

 

 

 

「……ユダヤ人とクルド人に安住の地を与える理由。それは……北方連合と重桜が真の意味でお互いに友人になり得ないと長門様とソユーズ様は考えたからです。そう、例え今が蜜月関係と呼べる仲であれど今のままではこの関係は、あと50年もすれば間違いなく破綻すると」

 

 

 杉原千畝という人物は理想主義者であると同時に現実主義者でもあった。だからこそ彼は祖国と北方連合という存在を客観的に見据えていた。

 

 それは即ち、彼らが将来的には自分達の利益になるかもしれないという期待と、自分たちに害を及ぼす可能性もあるという警戒の二つの視点から見つめており、北方連合が将来において重桜に対してどのような行動を起こすかは予想不能。今でこそ同盟締結という一種の「熱狂」に皆酔いしれているが、決して重桜と北方連合は唯一無二の友人になり得ないと理解していたのだ。

 

 共産主義国家であり神を信じず、無神論を掲げる北方連合は国内をまとめ上げる為に宗教の弾圧を行った歴史があり、それに猛反発したのがアイリス教国。そしてアイリスと同じく宗教を国是とし、ヤオヨロズノカミに祈りを捧げる重桜であった。

 

 

 その為に国交はそれまで断絶状態となっており、長門が三笠達使者を北方連合に派遣しなければ間違いなく互いの不信感を払拭せずに何れ軍事衝突に至った可能性もゼロではない。

 

 陣営代表である長門とソユーズは互いに個人としての友誼を深めているが、お互いに話し合えば会うほどに互いに祖国同士が本来は相容れない事に嫌でも気がついてしまう。個人としての友情など国という巨大な枠組みの中ではあまりにも無力なのだ。

 

 例え今は同盟関係を結んでいても10年後はどうだろうか?或いは20年。30年。セイレーンがこの世界から駆逐させた後は?長門とソユーズという互いに信頼し合えた友人である二人の後任者は果たして蜜月関係を維持出来るのだろうか?

 

 アイリスを見てみよう。ジャン・バールもリシュリューは互いに姉妹だと言うのに国を二つに割り互いに争い合っているではないか。同じ神を信じ、同じルーツを持つアイリスでさえそうだと言うのに、未来で重桜と北方連合の関係が破綻しないと断言出来るものが果たしているのだろうか?

 

 

 

 

 

 否である。間違いなく否である。

 

 

 

 

 

 それ程までに本来重桜と北方連合という国家は相性が悪い。だからこそ、彼らはお互いが信頼できる友人になれない未来を考慮し、せめて両者は例えお互いに憎み合っていても、表面上は友好的な関係を築けるような状況を作り出す事を決めたのだった。

 

 

 それが空前絶後のプロジェクトたる『河豚計画』であった。ユダヤ人とクルド人に国家を与え巨大な市場を人為的に作りつつ、重桜と北方連合が互いに深入りする事により利益という名の果実を互いに分かち合う事で、一種の抑止力にしようとしているのだ。

 

 もしも重桜と北方連合が将来対立したとしても、果実が余りにも美味たるものであれば互いに剣を抜く事に躊躇いが生まれるだろう。二カ国が対立する事により果実の根本たる果樹が焼き落ちてしまえば元も子もない。

 

 

 いわば『極東クルジス・エルサレム共和国』は金の卵を産む鶏でもあると同時に、鶏を逃さないための檻でもあり、そして二つの大国が本気で争わない為に引き金を重くする為の緩衝地帯でもあったのだ。

 

 

 場合によっては二カ国が民族同士の対立を煽り、互いに別民族を肩入れする事により代理戦争が起きる未来もあり得るだろう。しかし、それはクルド人とユダヤ人同士が血を流す事であり、重桜と北方連合は血を流さずに済む道を選ぶ事ができる。

 

 

 その様な思惑があり、長門とソユーズによってこの杉原千畝という男はオスマン帝国に派遣されたのだ。外交官として世界を渡り歩き、ユダヤ人の弾圧の歴史やクルド人をはじめとする中東諸国の少数民族の悲哀を理解と共感、同情を抱いている男を長門は選び、彼はこの仕事を引き受けた。

 

 

 

 

「オスマン帝国は過去のエルトゥールル号の件もあって重桜との関係は決して悪くない上に、あなた方が国内のクルド人問題に頭を悩ませている事を私どもは知っています。彼らを樺太に事実上追放してしまえば国内の治安も安定する上に重桜と北方連合の支援を受ける事が出来る。オスマン帝国にとっては決して悪い話ではありません」

 

「……それは、そうかもしれませんね」

 

 

 

 杉原の言葉にケマルは苦笑を浮かべながら答えた。確かに杉原の言う通り、現在オスマン帝国国内では少なくないクルド人達が独立を求めて不満を抱いている。今は不満の段階であるがそれは火のついた導火線と同じであり、そんな不穏分子をわざわざ弾圧することまでもなく、自発的にまとめて国を出てくれるのであればどれ程までに楽な事か。

 

 

 民族紛争の火種を消すのに最も簡単な方法は、そもそも火を起こさせないようにするか、あるいは既に燃え上がっている炎を鎮めるしかない。

 

 事実、事なる歴史を歩んだオスマン帝国を祖を同じとする国は何度も独立を求めるクルド人やその他少数民族を弾圧した歴史を歩んでおり、不幸と憎悪の連鎖は止まることを知らず、偉大なる『父なるトルコ人』の死後も炎は未だに燃え続けていたのだ。

 

 杉原はオスマン帝国に国内をユダヤ人とクルド人がオスマン帝国を出国する為の書類を用意して欲しいとケマルに主張する。それさえ用意していただければ、国民を海路から樺太の地に移送し自分達が責任を持って送り届けると見返りも含めて提案したのであった。

 

 

 

「長門様はこうおっしゃっていました。自身は偽善者の仮面を被った悪魔だと」

 

 

 

 

 杉原は初めて長門と直接顔を合わせた時の事を思い出す。鎖国を解いて世界のグレートゲームに参加する様になった重桜で外交官として世界中を飛び回った杉原という人物は、重桜のなかでも貴重な海外通な人物であると同時にユダヤ人が世界各国で迫害されている事に心を痛めている人物であった。

 

 

 常日頃から無関係であっても何か出来ないか?迫害と弾圧の歴史を歩んできたディアスポラ(追放者)達の為に自分が出来る事は?とその良心が疼いている事に気がついた長門は、杉原をクルド人・ユダヤ人のコミュニティが多数存在するオスマン帝国への使者として抜擢しながらも、その心の内を全て彼に語っていたのだ。

 

 

 

 重桜は……いや、自身は全く罪もないユダヤ人とクルド人の人々を独立と安住の地という餌を掲げて利用しようとしていると。決して善意ではなくまるで彼らを家畜扱いし、餌を与えるのと同義であると。

 

 

 

 長門の言葉を聞いた時、杉原は思った。彼女はきっと重桜の誰もが思っているよりもずっと慈愛の心に満ちた人物なのだと。『河豚計画』の真意を語る長門は希望と自信に満ち溢れた表情ではなく付き人の江風が思わず心配の声をあげるほどに焦燥と罪悪感。そして何より悲しみに暮れていた。

 

 

 

 

『余は……ユダヤ人を救おうと願うお主の想いを踏み躙ったも同義。蔑んでくれても構わない、怨んでくれても構わない。だが杉原よ、この国の未来の為には……ユニオンやロイヤルの資源奴隷ではなく、北方連合との表面的な友好関係を保つ為にはどうしても必要なのだ』

 

 

 

 今にも泣き出しそうな声でそう言った長門の姿はあまりにも痛々しく、同時に彼女がどれだけ苦悩した末に出した結論なのかを理解してしまった。そして彼女は祖国を導くものとしてヴェネトやソユーズの様に冷酷になり切ることも出来ずに苦しんでいるのだと。

 

 

 

『だからこそ恥を偲んでお主に頼む。オスマン帝国に赴き外交の使者として表向きは技術支援による友好関係の構築を目指しつつ、現地の有力者及びユダヤ人・クルド人達に接触をしてくれぬか?赤城と金剛を否定しておきながらこんな選択を取る事しか出来なかった余の命令をどうか聞いて欲しい……頼む』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 杉原千畝という人物はとある『枝』の歴史であればその人生は悲惨と評しても仕方ないものであった。

 

 

 

 『河豚計画』が事実上頓挫し、日独伊三国同盟の後にナチスドイツとの関係を重視してユダヤ人の積極的な虐殺行為を行うナチスドイツを非難する事はないが黙認の構えを取る本国の意向を無視して『命のビザ』を発行して多数のユダヤ人を無断で国外脱出させた彼の行動を日本は決して評価する事はなく、戦後シベリア抑留から帰還した彼に突きつけたとものは命令は明らかな不服従を理由とする外務省からの嫌がらせも兼ねたリストラであった。

 

 

 困窮生活を送り、死の一年前にイスラエル政府から日本人唯一の「諸国民の中の正義の人」という称号を授与され、その功績は今も語り継がれている事は不幸中の幸いではあるが国家は彼の独断行為を決して許す事はなく、そして彼も自身の行動を悔やむ事はなかった。

 

 

 

 

『私のしたことは外交官としては、間違ったことだったかもしれない。しかし私には頼ってきた何千人もの人を見殺しにすることはできなかった。』

 

 

『私は、何も恐るることなく、職を賭して忠実にこれを実行し了えたと、今も確信している』

 

 

『私の行為は歴史が審判してくれるだろう』

 

 

 

 そんな彼の葬儀にはイスラエル政府関係者も含む多くのユダヤ人が参列したとされ、遠い未来。彼の祖国が大地震による未曾有の被害を受けた際に彼の行動を振り返り、イスラエルを中心としたユダヤ人社会が彼の行動を我々は決して忘れないと支援の手を差し伸べた。彼の正義の行動は後の未来に間違いなく人々の心に残り続けるのであろう。

 

 

 

 

 

 

 しかし、この世界では事情が違う。セイレーンの侵攻こそあれど世界大戦の敗北による帝政崩壊が起こらなかった鉄血公国は蛮行を行う事もなく、タラント空襲の失敗による真珠湾攻撃の中止など世界の歴史は最早セイレーンにすら予測不可能な未来を歩み出している。

 

 

 杉原千畝も本来の歴史であれば罪を問われていた。そんな彼が国家の代表たる長門の密命を受け、どの様な理由があれどユダヤ人とクルド人の安息の地を作る為に奔走するとは何という歴史の皮肉であろうか?何という歴史の巡り合わせであろうか?

 

 

 それは贖罪であったと言えるだろう。自国の利益の為にソユーズと長門はクルド人とユダヤ人を国益のために利用し、遠い将来では彼らが殺し合うための火種を作り出したのではないか?と悔やんできた。だからこそ、せめて二つの民族が安息の地で差別される事もなく当たり前の明日を迎える為のこの計画に生涯の全てをかけてでも取り組もうと決意していたのだ。

 

 

 

『北方連合、ソユーズとの打ち合わせは既に成功した。後はかの地でお主が彼らの説得に成功すれば、北方連合と重桜の未来に太陽が再び昇るだろう』

 

 

 そして長門のそんな真意を全て知った上で杉原はこう答えたのだ。

 

 

『世界は大きな車輪のようなものです。対立しあったり、争いあったりせずに皆で手をつなぎあって、まわっていかなければなりません……ただ争うだけではなくその様な選択肢を用意して下さった貴女に私は敬意を表します。長門様の行動の是非については後の歴史に委ねるとして、今を生きる者として、これからを生きていく者達のためにも私は、私の信念に従ってその職務を全う致しましょう』

 

 

 

 

 

 

 

 こうして国家の英雄であるムスタファ・ケマルを説得した彼であったが、ケマルはビザの発行だけでなく現地のクルド人・ユダヤ人指導者との会談の仲介などにも積極的に取り組み、難色を示すオスマン帝国の指導者達に国内の反乱分子の国外流出と重桜と北方連合の技術提供や利権などの餌を見せつけて杉原と共に行動を共にする。

 

 生粋のオスマン帝国軍人である彼がなぜ杉原の為にここまで協力をしたのか?という意見に関しては今も議論が分かれており、美談であれば杉原との個人的な友情の為や北桜同盟の理念に共感したからだと言われており、また純粋に国内の不穏分子をゴミ箱に捨てる為だとも言われており今では推測と妄想、そしてドラマティックな展開を望む歴史小説の題材の一つとして取り上げられている程だ。

 

 

 杉原とケマルはその会談の後に一度も顔を合わせる事もなく数年後、ケマルはこの世を去り。杉原も決してその時どの様な会話をしていたのかを語る事はなかった。

 

 

 ただ一つだけ言える事、それは後の歴史の教科書にて杉原千畝とムスタファ・ケマルという人物はユダヤ人とクルド人の明日の未来の為に奔走をした二人の英雄として、長門やソビエツキー・ソユーズと並んで記述している事だけは紛れもない事実となるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「成程……『河豚計画』言い得て妙な計画名だね」

 

 河豚計画の説明を終えた円卓のテーブルを囲む代表達は、余りに壮大な計画の内容にしばし困惑気味に目を伏せていたが、最初に口を開いたのはやはりと言うべきかサディア帝国の使者であるリットリオであった。

 

 

「我々エウロパ圏内に住む者たちには余り馴染みのない魚であるが、河豚という魚はとても美味な味だと聞いたことがある。同時のその毒は一瞬で人を死に至らしめる程の猛毒であると」

 

 

 河豚、つまりフグの毒は致死量に達すると約10分で死に至ると言われている。そして、その毒性の強さから加工されたフグ料理であっても調理師免許所持者の許可を得ずに食べる事は法律で禁止されている程に危険な代物なのだ。

 

 しかし、フグを食する文化圏の国々では毎年の様に無免許の者がフグを食べて中毒を起こす事件が多発しており、その理由はどれ程危険であってもフグの完備なる味を求めた欲望の暴走が原因とも言われている。

 

 

 

「きちんと扱えば高級食材になり得るが、その毒は危険極まりのない猛毒そのもの。クルド人とユダヤ人の新国家をフグと称えるのであれば、北方連合と重桜はまさにフグを調理し、口に含もうとする無免許の調理師かな?その身が甘美なる舌触りに酔いしれるか、それとも毒が全身に回り国家そのものを破滅させる要因になり得るか……」

 

 

 

 リットリオの言葉を引き継ぐ様にダンケルクは一度目を瞑ると、次に目を開くと同時に静かに息を吐く。

 

 

「貴方達がなぜそこまでレッドアクシズとの和解を急ぐのかがようやく理解できた気がするわ。セイレーンの脅威に対抗しつつ、二つの大国が支援する事で新たな国家を樹立する。その為の予算は湯水の如く流れるはずなんだから私達と戦っている暇も、時間も、予算も余裕はないってことよね?」

 

 

 正直に頷く長門とソユーズは目の前の二人の使者が即座にこちらの意図を一瞬で読んだ彼らの頭の回転の速さに感心と同時に決して油断できない相手である事を改めて認識を新たにする。

 

 世間一般ではkansenの出現によって巨大な軍艦を乱造する必要がなくなり、軍事費の削減に成功したと述べる者もいるがそれは決して正しくはない。対セイレーンにおける警戒網の構築に、未知の技術であるkansenやキューブの研究費に少なくはない無人艦の製造費や維持費に艤装専用の特殊弾頭の生成。

 

 更にセイレーン対策の為の護衛費用やパトロールなども含めると、その予算は馬鹿にはならず、特に植民地を多数保有しているロイヤルや膨大な国土の防衛の必要性があるユニオンや北方連合にとって軍事費と言うものは常に悩みの種だ。

 

 戦争は外交の延長戦ではなく、戦争は外交の失敗であり紀元前も含めた戦争の多くは例え勝利した所で大赤字を垂れ流す結果となっている。その多くの歴史に漏れず、レッドアクシズとアズールレーンの戦いは直接的な砲火をそれ程交わり合わせてないとしても、予算面からすれば貴重な資源や資金を蛇口を捻るかの様に捨てているに過ぎないのだ。

 

 だからこそ、北方連合と重桜が何故ロイヤルやユニオンとの関係悪化というリスクをもってしてもレッドアクシズとの和平を優先したのか?という答えにビスマルク達は疑念を持っていたのだが、その答え合わせは今なされたと言えるだろう。簡単な事だ、これから河豚計画という膨大な予算を注ぎ込む国家建国計画のサポートを行う彼らに最早戦争という大赤字のから騒ぎなどデメリットでしかないのだから。

 

 

 

「……これが私達ユニオンをオブザーバーとして招いた理由ですか。分かりました、全て報告させて頂きます」

 

 

 

 ユニオンのオブザーバーであるノースカロライナが頷く様子を長門は見つめる。ユニオンという国家はセイレーンの出現によって多くの国家が没落した今となっても経済成長を続ける国家であり、どれ程危険視をしても関係改善と友好関係の構築が必要不可欠であるというのが二カ国の導き出した答えであった。

 

 結局の所、重桜と北方連合はユニオンを危険視しつつもユニオンと敵対する事は絶対に避けなければならない。首輪をつけられ資源奴隷になる事も、かと言って争い合う事も許されない。

 

 だが、この『河豚計画』さえ成功すればユニオンの膨大なユダヤ人マネーが樺太の地に注ぎ込まれる事になり、多くの利権をユニオンは得る事になるだろう。

 

 

 ユニオン系ユダヤ人だけでなく、ユニオンの投資家達は利益を求めて莫大な投資を行う事となり、同時に周辺諸国である北方連合のと重桜との戦争の関係の悪化を避ける為に政界にすら根回しを行い、結果として誰もがこの極東クルジス・エルサレム共和国の地から生まれる果実を得る為に、その樹木を守る為に動こうとするだろう。

 

 もしも、ユニオン社会で重桜が蛇蝎の如く嫌われてさえいなければ。それこそ重桜が大陸の進出を行い、門戸解放を拒否し、ユニオンの船を銃撃し、重桜軍が市民を爆撃する写真が世界に公開され、エウロパ大陸を侵略する鉄血との接近や、大国の植民地の攻撃を行うなどの様々な不信感や嫌悪感の積み重ねがあれば、誰もが『河豚計画』を鼻で笑って拒否した事だろう。

 

 

 

 しかし、そんな何処かの世界で起きた出来事など夢幻の如く、ユニオンと重桜は決して北桜同盟成立の際にレンドリースが途絶えた事を除けばけっしてその関係は悪いものでもなく、寧ろ人道的な観点だけでなく、新たなフロンティアの門戸の解放を開始した重桜との関係構築に急ぐ事は、何も知らさせずにこの場所に強引に連れて来られたと言っても良いノースカロライナから見ても明らかであった。

 

 

「即答は出来ないが我々サディア帝国は貴方達を支持しよう。勿論我らも一枚噛ませてもらう事が条件の一つだけどね」

 

「ヴィシアも賛成よ。貴方達の要求とこちらの要求、それらは全て受け入れ合うのであれば私達も『河豚計画』への支持と希望する国内のユダヤ人の人々へのビザ発行や輸送を支援しましょう」

 

 サディア帝国とヴィシア聖座は即座に了承する。そしてそれまで沈黙を保ち、思案していたビスマルクはなにかを決心した様子でこの部屋に集う者達に答えるのであった。

 

「それが平和に繋がるのであれば、鉄血も『河豚計画』の支持と支援を表明しましょう。そして、鉄血からの要求は───」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 河豚計画──史実通りの成功──

 

北方連合と重桜はユダヤ人とクルド人を利用する代償として、彼らの夢を約束した。迫害の歴史を歩んできたディアスポラ(追放者)達である二つの民族に安住の地を約束したのだ。遂には膨大な数のユダヤ人とクルド人が入植し始めたが、その背後には各国の利害関係が複雑に絡み合っており、天文学的な資金が建国の際動いたとされており地政学的にもこの新たな国家の誕生は歴史に大きな影響を与えるだろう。建国初期に移住する事になった10万人もの人々は、国家の歴史の第一歩を踏み出そうとしている。彼らの未来に待ち受けているものはエデンの園かメギドの炎か。いずれにしても彼らの存在が極東の運命を左右する事は明らかであった。

 

 

 

 

①神よ!我らと同胞に祝福を!

 

極東クルジス・エルサレム共和国の独立を承認

重桜は南樺太の領有権を失う

北方連合は北サハリンの領有権を失う

極東クルジス・エルサレム共和国に南樺太・北サハリンを割譲

国民不満度+7.0

極東クルジス・エルサレム共和国との関係+200

ユニオンとの関係+50

エチオピア帝国との関係+50

オスマン帝国との関係+50

東煌との関係-30

重桜、北方連合、オスマン帝国、エチオピア帝国、極東クルジス・エルサレム共和国との間に「不可侵協定」「技術協定」「貿易協定」が締結される。

イベント「ヤルタ密談」が発動する。

イベント「極東クルジス・エルサレム共和国への投資」が発動する。

イベント「五族共和」が発生する。

イベント「命のビザ」が発生する。

 

 

 

 

 

 

 

情報部より報告

内容

極東クルジス・エルサレム共和国の動向

同国政府の連絡によると

「河豚計画──史実通りの成功──」

において

「神よ!我らと同胞に祝福を!」

を選択したとの事です。

 

 

 

重桜の反応

「彼らにカミの祝福あれ」

 

北方連合の反応

「出来れば共産主義の素晴らしさを理解してほしいのだが」

 

オスマン帝国の反応

「大変結構!!国内の不穏分子共よ!さらばだ!」

 

エチオピア帝国の反応

「我らも負けずに近代化への道を進まなければ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1941年4月に行われたヤルタ会談と同時に発表された極東クルジス・エルサレム共和国成立の宣言は世界に衝撃を与えた同時に、レッドアクシズ各国が即座に承認。そして北桜同盟やエチオピアにオスマン、クルジス・エルサレム共和国がヴィシア聖座を唯一の旧アイリス教国の後継国家と認めた事により、示し合わせた密談が行われていたのではないか?と疑問の声が上がるが、結局の所真相は情報開示が行われる未来まで不明のままとなった。

 

 この発表により世界情勢が一気に動き出す事になり、世界中からのユダヤ人とクルド人が安住の地を求めて国を出る流れは後に『20世紀の民族大移動』と記録される程のものとなり、同時に北桜同盟とレッドアクシズ各国は貿易の再会などを行い国交は正常化していく。

 

 無論全てがうまく行ったわけではない。重桜では日比谷公園にて南樺太を見ず知らずの民族に引き渡したと大規模な暴動が起き、レッドアクシズとの話し合いを控えたロイヤル王国内部でもユダヤ人を中心とした和平・反戦のデモが起きてしまい。

 

 遂にロイヤルの陣営代表クイーン・エリザベスはクルジス・エルサレム共和国の発表を聞いた途端、あまりの衝撃とストレスによって会議中に倒れ込み、ロイヤルネイビーが2日間機能不全となってしまうなど、少なくない混乱が起きてしまう。

 

 

 そして、何よりも鉄血公国による英雄ヴァイスクレー・ヘルブストの叙勲式の数日前に行われたユニオンの発表は、エリザベスにとっては余りにも残酷なものであった。

 

 

 

 

 

 

 

 ユニオンは、北桜同盟のレンドリースの再開。及びレッドアクシズとの講和テーブルに着く事と、早期なる戦争の終結を望むと発表してしまったのだから。

 

 

 

 





 極東クルジス・エルサレム共和国

 元ネタは漫画『紺碧の艦隊』に登場する架空国家東方エルサレム共和国。太平洋戦争が勃発した中、自国の領土をユダヤ人割譲する事によるアメリカ合衆国への関心を集め、秘密裏に領土を租借する事により兵器開発工場や潜水艦基地の設立などを行った。

 今作では史実や紺碧の艦隊の日本とソ連とは違い、重桜と北方連合は蜜月関係であるが為に両国同士がそれぞれ樺太、サハリンの領土をユダヤ人とクルド人に割譲して建国される方になる。その真意は様々なものであるが、もっともに理由を上げるのであれば。

①植民地を持たない両国が信頼できる巨大な市場を欲したから。

②ユニオンとの関係改善とどっぷりと魅惑のある市場に世界各国を巻き込む事で戦争が起きてしまうリスクを肥大化させる為に。(例えるのであれば金の卵を産むアヒルを皆で共有していたのにそのアヒルの近くで騒ぎを起こせば各国がブチキレて村八分にするという図だろうか?)

③何よりも長門とソユーズは友人であれど、お互いに最早北方連合と重桜は真の友人になる事は不可能であり、将来的な対立の回避を行う為にユダヤ人とクルド人を利用しようとした。


 『河豚計画』そのものは史実でも満州にてユダヤ人自治区を作ろうと計画そのものは進んでいたが。日独伊三国同盟の成立によりユダヤ人の贔屓が難しくなり、本編でも上げられている門戸解放の拒否やアメリカ国籍の船であるパナイ号事件の日本軍による銃撃に、重慶爆撃による中国人死者の写真がアメリカ市民に知れ渡り、アメリカ国内の民衆だけでなくユダヤ人の資本家や宗教指導者達の反対もあって最終的には頓挫。

 またソ連でもユダヤ人自治区の構想は存在すれど失敗に終わった為に、今作では史実では失敗に終わった二つの国家のユダヤ人自治区設立計画が国家建国に繰り上げら、さらにクルド人まで巻き込むという世界に驚愕される空前絶後の計画になってしまうのであった。

 なおクルド人を巻き込む理由の裏設定は、重桜人とそれほど軋轢がなく。ユダヤ人と同じかそれ以上の人口であり、なおかつエルトゥールル号事件(本作では開国直後の重桜にオスマン海軍が使者を送るもセイレーンによって死者多数となり、漂流中の彼らを重桜の漁民達が救出したという事に)を引き合いに出す事でクルド人指導者を説得するなど最も話しやすい立場であった事が要因であり、場合によってはクルド人ではなく他の民族が選ばれる可能性も存在していた。




現在の国際情勢

 レッドアクシズと北桜同盟は正式な和平を結び、同時に北桜同盟はヴィシア聖座を正統国家と認める事で自由アイリスは崖っぷちに。ロイヤルでは直前に行なってしまったレッドパージの影響もあって極東クルジス・エルサレム共和国の支持も公式的には難しい事に。

 そしてユニオンが北桜同盟にレンドリースの再会とレッドアクシズとの講和を口にした事により、最早完全に孤立。エリザベス陛下は暗い未来が待ち受けている事を知った上で和平を結ぶか、それとも勝つ可能性も高いとはいえ多くのロイヤルネイビーの犠牲を覚悟にレッドアクシズに電撃戦を仕掛けるべきか決断の時が迫られています。

 そして、ビスマルクが北桜同盟との和平を勝ち取る際に出した取引とは……?





 次回はいよいよ指揮官への勲章を授与する叙勲式に。北桜同盟との講和が成立した鉄血をみて指揮官は。そして、こんどこそビスマルクは叙勲式を成功させる事が出来るのか?そして指揮官達救国の艦隊の面々の目の前に一人の人物が現れて……

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