「こうして直に顔を合わせるのは初めまして、かな?」
「ええ、そうね……あなたが今回のオブザーバー役でいいのかしら?」
ビスマルクさんの問いかけにクリーブランドさんはニッコリと頷く。
ここは鉄血本国の海軍本部。あの戦いの後に、一度補給に戻るなどした結果予定の日付をオーバーしてしまうハプニングなどもあったが、俺達はどうにか祖国の地に足を踏み。客人であるクリーブランドさんをビスマルクさんに会わせることに成功したのであった。
わざわざ鉄血の最高機密の情報も詰まったこの部屋にクリーブランドさんを呼ぶ辺り、何かあるのだろうかと予想していると案の定クリーブランドさんは懐から書類らしきものを取り出して机の上に置く。
「それと、これがウチの上層部から預かった書類ね。と言っても私も読んで無いんだけど」
「……ええ、確かに。ありがとう…確認したわ。要件は今の所は以上よ、下がってもらって結構。何かあればケルンが近くにいるから聞いて貰えばいいわ。それでは……改めて歓迎するわよクリーブランド。鉄血は貴女達を歓迎するわ」
書類に目を通しつつクリーブランドさんにそう言えば、彼女は素直に頭を下げてから部屋を出て行く。彼女が退室した後、ビスマルクさんは書類を眺めながらため息をつく。
「ユニオンも思い切ったものね……要求としては軽くは無いものだけど、まぁこれくらいで今後の友好関係が築けるなら安いものかしら?まぁ、良いでしょう。とりあえずこちらの要求通りに来た以上、彼女達への対応はしっかりと行わないとね」
俺ではなく独り言に近い形で彼女はそう呟き、書類の束をファイルに挟む。少しだけ内容は気になるが下手に重箱を突くわけにもいかず、手持ち無沙汰にその様子を眺めていると、ビスマルクさんはやがて緊張した表情を浮かべると俺に声をかけた。
「貴方達を襲ったサウスダコタは、貴方の予想通りセイレーンのコピーのようね。当時サウスダコタはユニオンのハワイ基地で訓練をしていて目撃者も多数。本人も自身の偽物が貴方達を襲ったと知って驚いているそうよ」
その言葉に俺は小さく拳を握る。よかった、そう思うと同時にセイレーンが生み出したと思える模倣艦の存在に頭を悩ませる。
kansenと姿形が同じな敵だなんて、未熟な俺にすら悪用方法なんていくらでも思いつく。欺瞞作戦に撹乱作戦、例えば現在の情勢でロイヤルの模倣艦が鉄血の港に砲撃を加えて民間人に死者が出てしまえば同胞を傷つけられた鉄血は間違いなくロイヤルに報復を行ったはずだ。そう考えればあのサウスダコタの模倣艦との遭遇はある意味幸運だったかもしれない。
情報が無ければ惨劇の幕が上がろうとしていた可能性も否定できない。情報は時に人を殺すが人を守る事だって出来る。ビスマルクさんは椅子の背もたれに体重をかけつつ、口を開く。
「貴方の報告書を見る限り、模倣艦にはいくつかの特徴があるそうね?」
「そう、ですね。サンプルが一つだけなのでまだ何とも言えませんが模倣艦は戦闘能力こそ高くても、自我が存在せず、こちらの通信に応える事も無く、ただひたすら砲撃を続けていました。なので今の所は対策は容易かと」
今後こちらと受け答えするタイプの模倣艦が産まれる未来を思えばゾッとするが、ひとまず会談までの間の対策は容易だと応える。模倣艦はこちらの通信を一切無視して砲撃を続けるだけの存在なのだから通信をして、相手が返信をしなければその時点でクロだ。
「それでね、今回の会談参加のメンバー全員に専用の合言葉を決める事になったわ。乱戦時や相手と遭遇した時に合言葉を尋ねる事で、それに返信する事で模倣艦がどうかを区別する。安直な対策になるかも知れないけど、これしかないわ」
「了解しました。合言葉はどのようなものを?」
成程、合言葉かと感心している。ビスマルクさんは白紙の紙とペンを取り出すと、俺に向かって差し出す。どうやらこれに書けと言う事らしい。
……んっ!?待って、俺に決めろと!?
「えっ、ちょっと…ビスマルクさん!?」
「北方連合のオブザーバーからの提案よ。折角だから交戦し、貴重な情報を報告書を提出した鉄血の『英雄』に是非、合言葉を決めて貰いたいそうね」
ビスマルクさんはどこか楽しげにそう言うと、俺は思わず頬を引きつらせる。困った……いきなり合言葉を決めろと言われ、それが各国のオブザーバー全員が使う事になるとは……下手に適当なものを書いてしまえば鉄血にとって不利益になりかねない。
「まぁ、そう身構えなくても良いんじゃないかしら?余程の合言葉でなければ問題は無さそうだし、最悪は適当に書いておけばいいじゃない。ほら、貴方はもう立派な鉄血の『英雄』なんだから堂々としなさい、ね?」
「……わかりました。では少し時間を下さい」
思わず眉間にシワを寄せながら唸っていれば、呆れたように笑いながらビスマルクさんはそう言うが、肩の力を抜く事が出来ない。アズールレーンとレッドアクシズの双方で使用しても問題ない合言葉か……これは結構ハードルが高いぞ。
(あ、でもこの条件だと……うん、これならいけるか?)
ふと脳裏にとある案が浮かぶ。これなら……多分いける。俺は意を決して、ペンを取り紙の上部に大きく文字を書き込むと、それをビスマルクさんに差し出した。
「それでは、こんな言葉は如何でしょうか?」
──蒼と紅に、祝福を──
こうして、ビスマルクさんの了承を得て、この合言葉が全軍で使われる事になるのだが。その後ビスマルクさん曰く各国のオブザーバーにこの言葉を伝えた所。
「反応模索…ガスコーニュは、いいと思います」
「(暗号として効くならどうでも)いいと思いますわ~」
「……ええ、単独で決められたのなら少々考えものでしたが……皆様の話し合いで決められた、と言うのであれば」
素直な良い子であるガスコーニュは笑顔で誉めてくれたのだが、同時に重桜からの評価は高かったそうな。逆に自由アイリスを自称する亡命政府のオブザーバーの方は俺という鉄血の英雄が決めた合言葉に政治的な意図を感じて納得せず、渋々といった様子で消極的に賛同し。
「……それだけだと弱い気もするし、アズールレーンとレッドアクシズで別々に用意をする、というのも二次策であるんじゃないしら?」
「ええ、そうね……一度知られても、二つ目がある、というのは大きいものね」
サディアと北方連合のオブザーバーの方は二次の予防策としてそれぞれの陣営のみに通じる合言葉を作れば良いのではないか?提言し、こうして一時的なものであるが模倣艦に対する対策が進む中、あっという間に5月を迎え、ロイヤルとの会談まであと一ヶ月という所にまで迫るのであった。
話は少しだけ戻り、ビスマルクさんに自分なりの合言葉を提出してから数日が経ったある日の休日。いつもの様に本部の大講堂にて自主勉強をしようと筆記用具を片手に出かけようとした所、教室にて異臭騒ぎが起きたらしく、大講堂は立ち入り禁止となっていた。
なんでも、鉄血の潜水艦kansenであるU-73が大講堂にて薬品を片手に趣味の実験を行い、失敗して薬品をばらまいてしまったらしい。その結果、彼女は涙目で謝罪しながらケルンさんに説教をされつつ薬品の処理を行なっているらしく、結果として教室を使う事も出来ずに手持ち無沙汰になった俺は何をするべきか悩んでしまう。
街に遊びに行くのは論外だ。式典の結果、俺の顔は広く鉄血内で知れ渡ってしまったらしく、ビスマルクさんからもせめてロイヤルとの会談が終わるまでの間は大人しくしていて欲しい、というか外出はやめなさい。やめろ。と釘を刺されている。
かと言ってkansenの皆に会いに行くのも……その、気恥ずかしい。ガスコーニュとシュペーに告白されて以来、どうしても彼女達を異性として認識してしまい、情けない話だが告白の返事を待ってもらっている身としては中々顔を合わせるのは難しい。
ヴェネトさんへの手紙はもう既に書き終えて明石さんに手渡しており、今更自室で勉強する気分にもならない。どうしたものかと悩みつつ廊下を歩いていると、ふと見覚えのない女性と目があった。
「……っ…」
「あら、私に何か用かしら?」
柔和な表情を浮かべる青髪の美女。黒を基調とした鉄血の軍服とは真逆である、毛皮をあしらった雪の様な純白の軍服に、むっちりとした太ももを黒ストッキングで覆い、スカート丈は短く胸元が大きく開かれた露出度の高い装いであり、グラーフとはまた別の大人の色香感じてしまう。
彼女の白い軍帽には星を象った装飾がなされており、恐らく彼女は北方連合から派遣されたオブザーバーのkansenなのだろう。彼女の美貌に一瞬目を奪われたのは事実ではあるが、鉄血とは真逆の共産主義を信奉する国是を掲げる北方連合出身者である彼女を見て、思わずじっと凝視してしまった事を自身を恥じつつ、咳払いをして誤魔化す。
「失礼、北方連合のオブザーバーの方ですね?私は鉄血の指揮官ヴァイスクレー・ヘルブスト。会談に私もビスマルクさんの護衛として参加するのですが、お互いの親睦を深める為にお茶でも飲みながらお話しでも如何ですか?」
そういって笑顔で右手を差し出したのだが、正直に言えば誤魔化す為に何でデートに誘ってんだよバーカ!!と咄嗟の判断で自身の行動を呪いたくなる。いかん、これじゃまるでナンパみたい……いやナンパだわこれ!?
ちょっと待って俺馬鹿なんじゃねぇの!?何でその気と無いのにわざわざ政治的に面倒臭い立ち位置の北方連合の女性にちょっかいかけてんのよ?これ完全に失敗案件じゃねぇか!?
「あら、会って早速デートのお誘い?どうしましょうかしらね」
「えっと、あの、これは、その」
思わず脳内でセルフツッコミを入れつつ、差し出した手をどうするか悩む。このまま黙っていても何も始まらないのだが、だからといってナンパをした事実が消える訳でもないので、必死に弁明を考えねばとまるでイオニアの戦場を彷彿とさせるかの様に脳をフル回転させてこの盤面をどうにか覆そうと足掻く。
「そうね……私で良ければご一緒するわ」
「……え?」
そんな風に頭を抱えてうんうんと悩んでいると、彼女は俺の手を握ると柔らかな笑みを浮かべてそう告げてきた。
「だって、鉄血の『英雄』さんからのお誘いだもの。私の名はチャパエフ。お察しの通り、北方連合のオブザーバーとしてここに派遣されているわ。貴方の事は北方連合でも有名になっているけど……ふふっ♪もしよければ色々とお話しでも聞かせてもらえないかしら?」
「あっ、はい……それでは近くの喫茶店にでも行きますか」
こうして予想外の結果ではあったが、俺は興味津々と言った様子のチャパエフさんの冷たい手に導かれるまま、軍港に併設されている近くの喫茶店へと足を運ぶ事になるのであった。
軍港近くに併設された喫茶店は鉄血軍人の憩いの場でもあるらしく、ボードゲームや本を片手に軍人達がリラックスした一時を過ごしている姿がちらほらと見える。
そんな光景を見ながらチャパエフさんと二人、テーブルを挟んで向かい合う形で席に座り、とりあえず紅茶を注文するが、やはりチャパエフさんの北方連合出身者と一目でわかる服装は目立つのか、周囲の視線が少しだけ痛い。
俺が彼女の服装をじっと見つめていたせいか、彼女はくすりと微笑むと胸元の谷間を見せつけてくる。
「気になる?私の恰好が?」
「いや、その……まぁ、はい」
二重の意味で。あっやめて、そんなに谷間見せつけないで……!流石にそこまでされると男としては嫌でも意識してしまうというか……やばいちょっとムラムラしてきた。
平常心を保とうと必死に深呼吸を繰り返しつつ、なるべく彼女の胸元を見ないように心掛けていれば、ウェイトレスさんが最高のタイミングで紅茶を運んできてくれた。
「お待たせしました。アールグレイです」
「あら、ありがとう。丁度喉が渇いていた所なの」
ウェイトレスさんからカップを受け取ると彼女は紅茶をゆっくりと口に含み、満足げに頬を緩ませる。俺も一口飲んでみると、普段飲んでいるのとはまた違った風味で美味しい。
鉄血軍人がロイヤルの代名詞である紅茶を口にするなんてどうなのか?という人もいるかも知れないが、俺は紅茶は寧ろ好きな方だ。出来るのならこの紅茶に蜂蜜や砂糖をドバドバと入れて飲みたいのだが、今回は我慢してチャパエフさんと改めて対面する。
「少しだけ、驚いたわ」
やたらエロティックな仕草でジャムをスプーンで掬って舐めとる彼女を見て思わずどきりとしていると、不意に彼女が口を開く。
「何をです?」
「私はオブザーバーとして北方連合から派遣された訳だけど、同時に貴方と接触出来ればいいなと思っていたのよ。それがまさか貴方の方から声をかけてくれるだなんて思わなかったわ」
そう言いながら俺の手をそっと握ってくるチャパエフさんに内心どぎまぎしながらも、表面上は冷静さを装う。俺と彼女の立場上、お互いに腹の探り合いをしなければいけない事ぐらい理解している。しかし、スキンシップの経験がほぼない俺にとってはチャパエフさんの行為一つにも緊張せざるを得ないのだ。
「いや、別に大した意味はないですよ。ただ、ちょっと話してみたいと思っただけです。個人的に北方連合の話は聞いてみたかったので……」
「ふぅん……そう。私とね……?」
そう言って妖艶に微笑む彼女にどきりと心臓が高鳴るが、それを表には出さずに何とか平静を保つ。
「私としてはここじゃなくてもっと静かな場所で2人きりで……例えばベッドの上で色々とお話ししたいんだけどなぁ……?」
「ッ……!」
チャパエフさんの言葉に思わず息を飲む。
「ねぇ、指揮官。北方連合に来る気はない?もし頷いてくれるのなら今夜は私の身体を好きに……ううん、これからずっと自由にさせてあげるわよ?」
耳元に届く、囁かれた甘い誘惑に俺はごくりと生唾を飲み込む。チャパエフさんの身体を自由に……それはつまりアレか、ナニしてもOKという事だろうか。
思わず下半身に熱が集中してしまいそうになるが……皮肉な事に、そう誘惑する妖艶な彼女の言動が緊張していた俺の心に冷や水を浴びせかけるのであった。
「…………いえ、結構です。お断りします」
「あら、残念ね。せっかくのチャンスだったのに?」
胸の谷間を強調するかのように腕を組みながら微笑むチャパエフさんの姿に、再びムラっときてしまうがここで押し切られるわけにはいかない。確かに男としてはチャパエフさんの様な極上の美女とあんなことやこんなことをしてみたいが……それはそれ、これはこれだ。
「チャパエフさん。言っては何ですが……ハニトラを仕掛けるにしては余りにも下手くそですよ。というかソユーズさんの勝手にそんな事をしても良いですか?」
俺の牽制にチャパエフさんは怒る様子もなく、むしろどこか感心した様子で微笑んだ。
「ふふっ、気づいていたの?」
「ええっ。だって北方連合が俺にハニトラ仕掛ける理由なんて何一つないですし、万が一にでもそんな事をすれば両国との関係は一気に悪化。それに仕掛けるにしてもここまであからさまだと流石に気が付きますよ」
ハニートラップ。
主に女性が男性に仕掛ける諜報活動や情報の奪取などの任務の事を指す言葉であるが、その多くは肉体関係を持ち、相手の油断や弱みを探るという手段である。しかし、確かに鉄血も含めて世界各国の諜報組織ではこの手法を使って情報を入手、あるいは奪取するというのはよくある手ではあるが……だとしてもチャパエフさんが俺に。もっと言えば北方連合が鉄血の『英雄』である俺を引き抜く事にメリットなんて一つもない筈だ。
確かに鉄血と北方連合はイデオロギーの見解の相違などでその関係は悪化していたが、それでもこの戦争では幸いな事に互いに砲火を交える事は一度もなく、極東クルジス・エルサレム共和国の出資を両国が宣言。オブザーバーとしてチャパエフさんが派遣されるなど寧ろ関係は少しずつ改善に向かっている。
そんな状況でネームバリューがあるとは言え、今更俺一人を引き抜きたいからと言ってわざわざ北方連合側が何かしらのリスクを冒してまでする必要性がない。鉄血は間違いなく俺を暗殺する勢いでブチ切れるだろうし、それまでの関係が水の泡になる所か最悪戦争再開の火蓋を切ることになりかねない。
まぁ、そもそも仮に本当に俺を口説き落とすつもりならば……もう少し上手くやっていただろう。彼女は恐らく、というか確実にわざとあんな風に振舞ったのだ。
そう、まるでこちらを試すかのように。彼女の視線に籠る、ある種の好奇心のようなものを俺は見逃さなかったが、何よりもチャパエフさんのハニトラが本気ではないと思った理由は北方連合の陣営代表、ソビエツキー・ソユーズさんが自身の部下にハニートラップを仕掛けて他国の指揮官を引き抜いてこいだなんて命令をするはずがないという事だ。
ソビエツキー・ソユーズ。冷徹な瞳が印象的な美女である彼女は一見すると躊躇いなく部下を粛清しかねない印象を与えるが、彼女と数十年前に直接やり取りをしたとされるビスマルクさんは、各国の陣営代表を説明する際にソユーズさんの事をこう評していた。
『私やヴェネト、エリザベスは必要ならば仲間を切り捨てる事を選択するけれど彼女は違う。冷徹な瞳の奥に祖国への忠誠を抱きつつも、同時に仲間を思いやる心を鉄面で覆っているだけで、間違いなく彼女は仲間を切り捨てるなんて事は不可能でしょう。それこそ仲間達がモノを言わない骸となったとしても部隊を派遣して必死にその遺体を回収しようとする程度にはね』
そう、ビスマルクさんはソユーズさんを表しており。イデオロギーの違いで敵対こそしているが明確にビスマルクさんは彼女に戦士としての敬意を抱いているのが窺える。
だから俺はチャパエフさんのあの行為も、彼女なりの試験のようなものだと判断したのだ。あのソビエツキー・ソユーズさんが部下に股を開けと命令するような真似は絶対にしないはずなのだから。
「ふふっ♪振られちゃったかしら?そうね、ソユーズは関係なく鉄血の。いや、レッドアクシズの『英雄』さんに個人的に少しだけ興味を持っただけよ」
チャパエフさんは俺の言葉に微笑む。どうにも掴みどころのない女性だ。
「ああ、あなたが望むのなら別だけれども、ね?北方連合はいつでも貴方を歓迎するわ」
「……気持ちだけ受け取っておきます。今の言葉は互いに忘れましょう」
「そうね、ごめんなさい。少しからかい過ぎたわ」
舌をペロっと出してウィンクするチャパエフさん。この人、仮に俺が誘惑に負けて貴方のおっぱいを好きにさせてくださいとか言ったとしたら、そのままヤッていたのだろうか……うん、考えるのはよそう。
「それに最初からダメな事は百も承知よ。だって貴方には好きな人がいるでしょ?」
「なっ…!?」
何気なく放たれたチャパエフさんの一言に、俺の心臓が跳ね上がる。それはまるで心の奥底に隠した本音を看破されたかのような感覚。
違う、と否定しようとしても声が出ない。俺には好きな人はいない。そう口にして受け流せば良いだけだと頭では理解している筈なのに、口が上手く動かない。
「分かりやすいくらい狼狽してるわよ。ふふっ、鉄血の英雄さんの弱点発見とでも言えばいいのかしら?」
チャパエフさんが妖艶に笑う。本人から悪意や敵意は感じられず単純にからかって楽しんでいるだけのようだが、その笑みが余計に俺の動揺を大きくさせた。
「……いませんよ。俺に恋人なんて」
そう口にするのが精一杯だ。チャパエフさんがこちらの心を見透かすような瞳で見つめてくる。
「でも、色恋について悩んでる事はあるでしょ?貴方と会話をしてしばらくして思ったわ。貴方が私を見つめる瞳には情欲こそあれど常に別の女性を想う色がある。貴方は嘘をつくのは上手なのに、女性が関わると直ぐに表に出るわよ」
「…………」
沈黙が辺りを支配する。無言の時間が数秒続き、やがて観念したように俺は口を開いた。
「…………わからないんですよ………どうしたらいいのか」
自然にそんな言葉がポツリと出会ったばかりのチャパエフさんに放たれる。ずっと、ずっと心の奥底で仕舞い続けてきた本音が漏れ出す。
「俺は、告白されたんです。それも複数人の女性から。皆とても魅力的な方達で、最初は戸惑いましたけど凄く嬉しかった。彼女達は皆優しくて、こんな俺なんかに好意を抱いてくれて……戦争だから、忙しいからと回答は保留してきたけれど、このままじゃいけないのは分かってる。だけど、どうすればいいのか分からなくて……」
「成る程ね、確かに悩むでしょうね」
チャパエフさんは微笑を浮かべる。そこには同情も哀れみもない。ただ、静かに鉄血の指揮官ではなく悩む一人の男に対して助言を行う女性としての慈愛に満ちた瞳があった。
「まずは貴方がどうしたいのかをはっきりさせるべきね。彼女達の想いに応えたいのか、それとも拒絶したいのか。どちらにせよ曖昧な態度を取るのだけは止めなさい。それで後悔するのは他でもない貴方自身よ」
「そう、ですね……」
そろそろ戦争も終わる。ロイヤルとの会談というXデーは刻一刻と近づいてはいるが、恐らくクイーン・エリザベスが余程愚かではない限り、あの講和草案を受けざる得ないだろう。
ビスマルクさんに見せてもらった草案の内容は、余りにも狡猾であり、これを拒否しても、受け入れてもロイヤルの未来は暗雲で覆い尽くされるという悪魔的な内容なのだから。
そして、戦争が終われば保留し続けてきた告白の返事を……シュペー、ガスコーニュ、そしてヴェネトさんへの答えを出さねばならない。ケジメを付けなければならないと言うのに、答えが見つからずに罪悪感に包まれる。まるでゴールの見えない霧の中をコンパスも持たずに彷徨う気分だ。
「焦らない事よ。決断を下すというのは貴方の人生で最も重い選択になるんだから」
「……はい」
チャパエフさんは紅茶を飲み干すと、どこか陰のある表情で呟いた。
「コミュニストの私はこの国では嫌われている。鉄血に来てから用事があって何人かと話したけどその多くが嫌悪感情や差別感情を仮面で隠しつつ、私と接そうとしてくれていたわ。きっと、皆優しい人達なんでしょう。それでも仮面から漏れる嫌悪感は嫌でも感じられた」
国民の多くが公王家を信奉する鉄血公国にて、その軍人ともならば愛国心と公王家への忠誠を持つ者が殆どであろう。そんな彼らにとってコミュニズムという思想は異端であると同時に受け入れられない。
同胞との絆を重視する鉄血公国と同志との連帯を重んじる北方連合では似ている様で、そもそも前提となる思想が違うのだ。俺にはチャパエフさんに罪悪感を感じつつもその軍人達を非難する事は出来なかった。
「でもね。ビスマルクと並んで貴方はその数少ない例外として私に接してくれたわ。私を北方連合出身者と知りながらも差別感情や忌避感情は一切感じられなかった。エッチな視線は感じたけどね」
クスリと笑うチャパエフさん。俺は確かに帝政支持者ではあるがイデオロギーというものは他の人の権利を阻害しないのであれば自由にすれば良いと考えている身だ。そんな思想となったのも自由にサディアで幸せを掴んだ妹の存在が起因しているのかもしれない。
「蒼と紅に、祝福を……そんな合言葉を思いついた貴方に興味が湧いて話がしたいと思っていたのが真相。そんな貴方に感謝の気持ちも兼ねてお姉さんから一つだけアドバイスを送らせてもらうわ」
チャパエフさんは真剣な眼差しで俺を見つめる。その瞳は何処までも澄んでおり、真っ直ぐに俺の心を見透かしているかのようだった。
そして、ゆっくりと口を開く。
「死んでからはもう遅いのよって。北方連合って結構色々と大変でね?私も何組かそんな悲恋をしてきたカップルを見ているのよ。本当に辛そうで、見ていられないくらいに哀れで、なんであの時想いを伝えなかったんだって……ずっと後悔していたわ」
チャパエフさんは静かに、淡々と語る。
「だけど、死人は蘇る事はない。例え神様が赦しても、天国で再会は出来たとしても、現世で死んだ者は生き返ることはない。だからこそ今できる事を全力でやりなさい。恋愛に正解はないけれど、相手が取り返しのつかない状況に成り果てても後悔しない様に。早めに気持ちの整理は想いは伝えなさい。私が言いたいのはそれだけよ」
俺は何も言うことが出来なかった。ただ、無言のまま
頭を下げて感謝の言葉を口にする。俺の心の底に沈んでいた淀みが綺麗に消え去ったような、そんな感覚を覚える。
「ありがとう、ございます」
「ふふっ、と言ってもこれも先輩の受け売りの言葉なんだけどね?その先輩は好きになった相手に好意を隠さず何度も、何度も伝え続けて結婚までしたんだって。頑張りなさい。私も応援してるから」
チャパエフさんは微笑を浮かべると紅茶を飲み干す。そして、ゆっくりと立ち上がると俺に手を差し伸べてきた。
「もし、会談が終わって平和になって貴方が北方連合に遊びに来るなら歓迎するわ。その時は是非お嫁さん達も連れてきてね?同志指揮官」
俺は彼女に応えるようにしっかりと握手をする。その手は小さく華奢だったが、それでもとても力強く思えた。
「そうですね。その言葉をそっくりそのまま返すとして鉄血に遊びに来る時があれば歓迎しますよ。同志チャパエフさん、ってね」
チャパエフさんは満足げに笑った。
「いよいよ、ね……」
ビスマルクは乱暴に軍服を脱ぎ捨てると自室のベッドの上に寝転ぶ。役者は揃った、草案は用意した。後はロイヤルと鉄血の会合さえ最高に終われば彼女が引き起こしたこの戦争は終結する。
あの日、幼い眼帯の指揮官を傷つけた事により嫌でも自覚する事になってしまった戦争を起こした罪。ただひたすらに祖国の未来を願い、罪を償う為に走り続けて来た。会合まであと一週間、追い詰められたロイヤルが暴発する可能性はあれど最早クイーン・エリザベスの政治生命は風前の灯火と言えるだろう。
「……でも、まだまだよ」
枕を抱き締めて彼女は呟く。戦争が終わった所でセイレーンの脅威は今も人類社会に対する病原菌の様に蝕んでおり、物語の様に全ての黒幕を倒した結果全部の勢力が手を繋いで仲良く平和になりました!という結末を迎えるとは限らない。
「私の役目は終わった訳じゃない……まだよ、まだ鉄血に尽くさなきゃ……私は幸せになってはいけないのだから……私は……」
まるで自分に言い聞かせ、強迫観念の様に呟いた言葉。ふとバーデン宰相の忠告が彼女の頭によぎる。
『もう少しだけ肩の荷を下ろして気楽に生きて見るのも悪くはないのではないか?同胞の為に生きるだけではなく、自身がこの戦争が終わった先に何をしたいのか?を考えるのだ。貴公の事だからロイヤルからの圧力の解放や同胞の笑顔しか考えてなさそうだが、個人で考える事も大事だぞ?』
「私は……」
もしも、ビスマルクが誰かに頼れば。少しでも弱音を吐けば、或いは別の未来もあったのかもしれない。しかし彼女にそんな選択肢は存在しない。自分は幸せにはなってはいけないという、鎖の様な呪縛が彼女を縛り付けていた。
この戦争が終わったとしても、血反吐を吐きながらでも彼女は自身の一生を祖国鉄血の為に捧げ続けるつもりなのだ。それが彼女なりの贖罪だったから。
だが、そんな彼女でも、もう我慢の限界だった。身体の震えを抑えられず、瞳からは涙が溢れる。
もう何もかも限界だった。
「……指揮官。私は自分をまだまだ……許せないから……」
会談まであと一週間。だがビスマルクは身体の震えを決して人に見せる事はなく、常に人前では凛々しくリーダーとして振る舞いながらも、決断の時を迎えようとしていた。
・チャパエフとのひと時
チャパエフは指揮官に興味を持って少し話しかったのは事実とは言え結果的に指揮官がナンパと言う形で彼女をデートに誘う事に。穏やかな会話の中でハニートラップを仕掛けて試そうとしたチャパエフですが、指揮官の目には既に他の女の色が感じ取られたらしく、誘惑をする前からこうなる事は予測していたそうな。もし指揮官が頭ロイヤルであり、じゃあ今から早速ベッドに!と言えばどうなったのやら……
・北方連合と鉄血公国
基本的には設定資料集でも明確に敵対していると書かれている両国ですが、今作では北方連合が重桜との同盟関係の締結と河豚計画を重視する事もあってか交戦には至らずにそのまま終戦し、住民感情はまだ不信感はあるものの、すこしずつ貿易の再開なども始まっているそうな。
とはいえ北方連合の海路はまさに地獄と言ってもいいほどセイレーンの出現率も高くなっており、護衛として引退したkansenを傭兵として雇っている明石などはきっとそれはもう、儲けていたでしょう。もしかすると河豚計画も含めて今作で最も一人勝ちしている勢力は明石の商船団かもしれません。
次回はいよいよ講和会議に至るまでの最後のイベント。これが終わればいよいよロイヤルと鉄血による話し合いが始まります。果たしてどの様な結末となるのかは……今しばらくお待ちくださいませ。
コメント、感想、評価などをお待ちしております。
指揮官の後世の評価はどうなる?
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戦争を終わらせた立役者
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サディアを救った救国の英雄
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ロイヤル最大の敵
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女の子に手を出しまくりの色を好む英雄