出会わなければ落ちることがない。
恋は人工的な地獄だ。
ヴィル・シェーンハイトはポムフィオーレの白い百合。毒気の強い性質だったが、粋で、上品で、才気があり、努力を惜しまなかった。女よりも艶やかな風采で、歴代で一番美しい寮長と褒めそやされていた。
ヴィルの華やかさは羽を広げた雄の孔雀に似ている。彼が髪を少し払うだけで周囲が特別になる思いをさせた。荘厳なポムフィオーレ寮はまことに彼にふさわしい住まいであった。
「……で、アタシに話っていうのはなんなのかしら」
石造りの豪奢な一室でヴィルが少女と向かい合っている。少女は校内唯一の女子学生である。監督生と呼ばれており、色は白く痩せており、素直そうな瞳をしていた。
清潔感のある佇まいには好感がもてたが、ヴィルに言わせればそれだけだ。評価をするほどのものが彼女にはなかった。
「美しくなりたいんです」
少女はスカートの裾をつかみながら、ヴィルに挑むような目を向けた。
「理由は」
「好きな人ができて」
「なぜアタシに?」
「私の知る中で、1番美しい人だから」
「メリットは」
「願いを叶えていただけるのなら、なんでもします」
寮長の座る椅子は部屋のどれよりも豪華で、階段の高いところに置かれている。位の高い人間の頭がだれよりも高い位置にあるのは当然だと言えた。ヴィルはひじおきに腕を乗せ、指の付け根のあたりに片顎を乗せて少女を見下ろした。
凡庸極まりないが、目に宿る光は美しかった。
「アタシが飽きるまでならいいわよ」
少女の瞳が星を散らしたように輝いた。
凡庸は言い換えれば癖がないということである。
ヴィルは少女を磨き上げた。無学は大変な恥だとして、見てくれのみにこだわらず、品のあるふるまいや教養を求めた。少女はヴィルの指導を絶対服従で受け入れた。
少女は一言も弱音を吐かず、またヴィルに言われるまでもなく一切の妥協を己に許さなかった。顔にこそ出さなかったが、ヴィルは内心瞠目していた。どこまで厳しくすれば心が折れるのか試したい気持ちと、自分が手塩にかけて育てた小鳥を慈しむ気持ちが絡まりあっていた。
少女は日毎に美しくなった。しかし、彼女の持つ清らかな性質ゆえか、彼女が近寄りがたい高みまで上がることはなかった。いつの間にか、ヴィルは彼女の人懐っこく可憐な足音が自分の背を追うのを好ましく感じていた。
「ご機嫌いかがかな、麗しい毒の君」
お抱えの狩人が頭上の羽根を揺らし切れ長の目を細める。笑っているようにも見定めているようにも見えた。
「最悪よ」
「オーララ! なんて嘆かわしい」
狩人は窓の金網に指を引っ掛け地上を見下ろす。花の咲き乱れる庭園で、ヴィルの小鳥が某(なにがし)かと談笑しているのが見えた。
女が美しくなると周囲が放っておかなくなるのは道理だった。少女は周囲の罪のない自慢話を聞く時間が長くなっていた。
「望むのなら剥製にして差し上げようか?」
「どっちを」
「お望みの方さ」
「アタシの望みは、この会話が終わることなのだけど」
「ふむ、それは残念。よいものが出来ると思ったのだけれどね」
「元々が美しければそれもいいわね。でも、あの鳥はダメ。死んだら平凡になってしまうの」
「そうかい。キミがそう言うのなら何も言うまいよ。例え瞬きひとつで消えてしまうような輝きでも、世から消えてしまうのは、私も悲しい」
狩人の口上を適当に聞き流しながら、ヴィルは窓から目を背けた。
男のために美しくなろうとする女は浅ましいと思っていた。芯がないとも。しかし磨いてみれば目を奪われるほどの輝きだった。満足感と虚しさがあった。
「殺してしまおうかしらね」
誰を。どちらを。候補はふたつ。小鳥か、小鳥の心をとらえているもの。
女王の口から滑り落ちた言葉は命令ではないようだった。狩人は物思いにふけるヴィルの横顔を観察して口の両端を吊り上げる。美しい人にこんな顔をさせるのだから、狩人にとって、少女は有益な存在であった。
「ふふ。彼女は”なんでもします”と言ったじゃないか」
狩人は欲が深い。
求めるものを手に入れるために言葉をためらうことなどしない。
「キミの欲望を彼女にぶつけても、誰も文句は言うまいよ」
それも考えた。
そして、少女が”その程度”のことで、ヴィルを見下げもしないと理解もしていた。少女の覚悟とはそういうものだ。
そこまで理解をすると手にかけるのは敗北と同義だった。
欲より情が勝っていた。
ステップを踏むような軽い足取りで少女がヴィルの背中を追っている。蜂蜜を煮詰めたような甘い瞳を背中に向けていた。
「彼女が誰に恋をしているかなど一目瞭然であるのに、並んで歩くことがなければ、気づくことはない」
木の上で羽根帽子が揺れた。
「世界は今日も素晴らしいね! ボーテ、100点!」
狩人が林檎をかじると、滴った蜜が地面にいくつかの染みを作った。