二二年 ゼン゠ゼンの月 十六日 斑曜日
邊土には本当に蛮族しかいない。
とはいうけど、意外とそんなに蛮族でもないっていうか、ちょっと文化が違うだけで、割とよくしてもらっているので、蛮族ってなんだかわかんなくなってきた。騎士様も、どういう付き合い方をすればいいのかを確かめるために旅をしているんだよとおっしゃる。あたしには難しいことはよくわからないけど、でも仲良くなるのはいいことだ。美味しいものが手に入るから。
サンゼン川を遡った先に、あたしたちは鱗あるもの*1たちが「母なる聖杯」と呼び、小鬼*2どもが「ぬくい湿地」と呼ぶ湖*3にたどり着いた。
湖は驚くほど広く、向こう側が見えないほどで、いくつかの小島が見える外、水中から突然生えてきたような木々*4の林もあった。それは湖の浅いところに根を張ってるみたいだったけど、水上にまで根っこが張り出していて、なんだか怪物みたいだった。
あたしたちははじめ、湖のほとりを沿うように馬を走らせてみたけど、まるで進んだ気がしなかった。騎士様はまるで海みたいだとおっしゃった。海って言うのをあたしは見たことはなかったけど、向こうが見えないこの湖よりなお広いというのだから、ぞっとしない。
この湖をぐるりと迂回するよりも、馬たちに頑張って泳いでもらうか、もしくはどうにかいかだか何かを仕立てて、まっすぐ突っ切ってしまえないか、あたしたちは途方にくれた。
それを助けてくれたのが鱗あるものたちだった。
二人してどうしよっかとぼんやりしていると、水面にぷかりと浮いてくるものがあった。そしてそれは少しずつ増えてきて、ぎょろっとした目であたしたちを見つめてきた。あんまり変な具合だから、それが顔だっていうことも、最初わからなかった。彼らは水面からほとんど鼻先と目だけが出るような平らで長い顔をしていて、その顔の半分以上が牙もつ口なのだった。
その顔の一つが、思いの外に素早く岸に寄ってきて、しぶきをあげながら這い上がってきた時は悲鳴を上げるところだった。上げなかったのは、驚きすぎたからだ。
黒っぽくつややかな鱗に覆われた体はたくましく、前のめり気味の体勢を、長い尻尾で後ろにバランスをとっているみたいだった。指先は思ったよりもあたしたちの手に近くて、短く太い指の先にある爪は、丸く切り揃えられていた。
屈み気味の体勢だけど、それでも騎士様と同じくらいはあって、あたしなんかはひと呑みにされてしまいそうだ。
その、岸に上がった一匹は、喉の奥から唸るような声で喋った。
そう、喋ったのだ!
「大きなガヴァリン*5と普通のガヴァリン水の低きを渡り損ねたか、哀れなガヴァリンを見かねて猛り尾の長きクドゥシヴァル*6は浮き木を曳いてやろうと思っている」
鱗あるものの声は唸る様で、抑揚のない一本調子で、そしてその喋り方ときたら独特のものだったから、すぐには何と言っているかわからなかった。騎士様がいつもの
この辺りには小鬼どもが棲んでいて、乾季になって湖の水位が下がると、水上に顔を出す木々の根などを頼りに向こう岸まで渡っていくのだという。この「猛り尾の長きクドゥシヴァル」は、あたしたちがそれに置いて行かれた可愛そうな子たちだと思って、向こう岸まで連れて行ってやろうかと言ってくれているらしかった。
まさしく渡りに船とあたしたちは喜んでお願いしたけど、心配なのはこの大荷物と馬二頭。でもクドゥシヴァルは笑って――細く息を漏らすような唸り声が笑い声なら、多分――、「クドゥシヴァルは大きな浮き木を持つ」と言った。
この気のいい鱗あるものはざぶんと湖に飛び込んで、仲間たちと共に姿を消した。そして少しもしないうちに、あたしたちが馬と一緒に乗っても全く問題のない広さのいかだを曳いて戻ってきた。乗ってみても、いくらか揺れはするけど、実に安定していて、しっかり浮いてる。
これはガヴァリン、彼らの言う小鬼どもが作ったのだという。小鬼共は力は弱いけど、手先が器用なので、色々便利なものを作ってくれるという。意外だ。
クドゥシヴァルと何人かの鱗あるものたちが、縄で引いたり後ろから押したりして、いかだはぐんぐん進んだ。鱗あるものたちの泳ぎ方は、思っていたよりずっと静かだった。水の上に出すのは顔だけで、水しぶきも立てずするする泳ぐのだった。
騎士様はクドゥシヴァルにお願いして、向こう岸に渡る前に、彼らの集落に案内してもらった。あたしはてっきりいくつかある島のどれかだと思っていたんだけど、なんと湖ににょっきり生えた水上林が彼らの棲み処だった。
木々はうねるような根を何本も広げて、絡み合い、その複雑な隙間に泥がたまり、小さな生き物たちが住み着き、魚なんかの餌になり、そしてそれを鱗あるものたちが食べるようだった。
この林を囲うように、あたしたちの乗るいかだのようなのがいくつもいくつも縄でつなげられて係留していた。そのうえには簡単な小屋も建てられていて、水上の村といった感じだ。
あたしたちのいかだが接舷すると、村のあちこちでボケーっと口を開けてごろごろと横たわっていた*7鱗あるものたちが、のそのそとむらがってきた。余所者を見かけた田舎の村人と同じ反応と思えば可愛いものだけど、何しろ見た目が怖いので、反射的にお腹とお尻のあたりがきゅっとなる。
でも、いかつい見た目に寄らず、彼らはとても親切だった。というかおせっかいだった。騎士様が一つ物を尋ねると、周りの鱗あるものたちがそれぞれ勝手に話し出すものだから、何倍にもなって返ってきた。囲まれて唸るような声を浴びせかけられても平然として、きちんと聞き分けられているのは素直に尊敬してしまう。真似したくはないけど。
そしてあたしはあたしで囲まれて、小さい、痩せてる、たくさん食べろとあれこれ押し付けられて参った。もろにトカゲの親戚っていう見ためからゲテモノとか生の魚とかかなと思ってたんだけど、意外にも普通に食べられるものばかりだった。
籠一杯に持ってこられたキイチゴの類だとか、ちゃんと煮炊きした料理とかなのだ。
驚いたことに、いかだの上に平たい石を敷いた炉が作ってあって、そこで火を焚いて簡単な焼き物や煮物などをしているようだった。
大きな魚を串焼きにしたものは、塩気には乏しいけど意外なほどよく肥えていて、何と養殖しているらしかった。大きなザリガニのスープは出汁がよく出ていて、身も栗の実のような素朴な甘みがあって、ぶりぶりとした歯ごたえが嬉しい。
それに泥に包んで蒸し焼きにした芋虫はとろっととろけるようだった。
普通に食べてしまって、自分が芋虫を食材として見れるようになっていたことがショックだった。色々食べてきたもんなあ。
騎士様は一晩をここで過ごして、明日向こう岸に渡してもらうとおっしゃった。
果たしてこんな場所であたしは寝られるんだろうか。これを書いている今も不安だ。