Perspective   作:広田シヘイ

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第二話『秘書艦代理の解決策』

 

 

 

 

 

 

 乱雑──なのだと思う。

 いや、というか、こういう状態を正に乱雑と言うのだ。

 思う、じゃなくて。

 目の前にある執務机は書類で埋め尽くされている。子供が癇癪(かんしゃく)を起こして散らかした後と言われても違和感はない。実際は僕が仕事をした後──なのだけれど。

 弁解をさせてもらうなら、僕の中ではどの書類が何処にあるのかは把握しているのだ。こんな状態でも、自分だけにしか解らない一定の規則(ルール)がある。だから、僕としては散らかしているという意識はない。

 

 ないのだが。

 

 傍からはどう見たって無秩序にしか映らないことは了解しているし、この「乱雑さ」が僕の頭の中をそのまま表現しているような気がして確かに恥ずかしい。大淀がこの場に居れば散らかっている訳ではないと主張する僕に対して「整理整頓の出来ない人は決まってそう言うんです」と呆れながら完璧に片付けてくれることも容易に想像出来るのだけれど。

 

 そう、今ここに大淀は居ない。

 更には翔鶴(しょうかく)も居ないし、瑞鶴(ずいかく)も居ない。

 秘書艦が一人も居ない。

 秘書艦の三人のうち一人は執務室に残れるよう担務を調整したところで、現状ではどうしても回らない日は出て来てしまう。今日がちょうどその日だった。

 この間五月雨が秘書艦に立候補してくれたから今後は多少余裕も出来るのだろうが、誰か一人でも残ってくれていたらこんな惨状にはなっていない(はず)だろうと──そう考えてしまっている時点で、僕がどれだけ彼女達に依存して来たのかがよく解る。

 情けないと思う一方で、感謝せねばなるまいと改めて思う。

 

 ただ──。

 今この執務室には、誰も居ない訳ではない。

 こうした時の(ため)の「秘書艦代理」が居る。

 

 

 目線を上げると、ソファに仰向けに寝転がる航空巡洋艦(すず)()の姿が見えた。

 テーブルに菓子と清涼飲料水を置いて、漫画を読んでいる。

 彼女が本日の秘書艦代理だ。

 寝転がって。

 漫画を読んでいるけれども。

 

 ──秘書艦とは一体何だ。

 

 ちなみに秘書艦をやると言って来たのは鈴谷からだ。

 仕事も多い訳ではなかったし大淀達も夕方には戻るので、僕は結構だと一度は断ったのだが。鈴谷がやっりまあす、と無理矢理押し切った形でこの為体(ていたらく)である。

 僕は(おもむろ)に手近にあった国語辞書を引いた。

 

 

   ひ−しょ【秘書】❶要職にある人に直属して、その機密の事務に従事する役(の人)。

 

 

 ほう。

 どうやら「漫画を読むだけの人」ではないようだ。

 鼻から大きく息を吐いて辞書を閉じる。

 

 僕は(しばら)く鈴谷に怪訝(けげん)な視線を送り続けていたが、彼女はそれに気付くことなく漫画に集中していた。数(ページ)(さかのぼ)り前の展開を確認した後で、再び元の頁に戻ったりしている。

 ──何ちゃんと読んでるんだよ。

 僕にはその行為が妙に腹立たしく映って(たま)らず声を掛けた。

「ちょっと鈴谷」

「──うん」

「うん、じゃなくて」

「ほーい」

「ほーい、でもないの」

「ちょっと──後で」

「駄目、今」

「もう何なの提督。今いいトコなんですけどお」

「仕事中に漫画は読まないで欲しいんですけどッ」

 多少声量を上げてそう言うと、鈴谷は諦めるように本を閉じて、首を捻り僕を見た。

「出た出た。仕事が進まないからって鈴谷に八つ当たりするパターン」

 仕事が進んでいないのは事実だが決して八つ当たりではない。

 

 ない、と思う。

 

「注意だよ注意。可愛い部下が今後誤った道を進まない為の教育的指導って奴さ。大体(だいたい)秘書艦をやるって言ったのは鈴谷じゃない。だったらしっかりと秘書をやって欲しいなって、そう思っただけ」

「鈴谷は今日非番なんですけど」

「──それ言っちゃう?」

 僕が鈴谷の申し出を断った一番の理由がそれだった。折角(せっかく)の休みなんだから僕に付き合うことはないよ、もっと有意義に使ったらと、念を押していたのである。

 出来れば休日は任務を忘れて好きなことをしていて欲しい。別に無理に外に出ろとは言わないが、この世界は彼女達も知らない様々なモノやコトで溢れているというその事実を、身を(もっ)て知っていて欲しいのだ。

 

 折角、生まれ変わったのだから。

 彼女達が守る世界なのだし。

 

「まあ、いいけどね。鈴谷は心が広いので短気で怒りん坊な提督も許してあげるのです──ねえ、褒めてよ」

 褒める箇所などないと断言しても良かったのだが、僕は少しの逡巡の後に自らの信条よりも円滑な人間関係を選択した。

「──ううん。解った解った、偉い偉い。可愛い鈴谷が(そば)に居てくれて僕はとっても嬉しいよ」

「解ってんじゃん」

 にひひと笑って鈴谷は立ち上がった。小走りでこちらに近付いて来たと思うと、やがて散らかった机上を見て彼女は顔を(しか)める。

「何この机。キモッ」

「普通に傷付くわ」

「何の書類? もうちょっと整理した方がいいんじゃん?」

 鈴谷は書類の一枚を(つま)んで持ち上げた。

 

 ──塵芥(ごみ)じゃないんだからさ。

 

「全部艤装の改装計画書。今ここにあるのだけで四十六人分」

「鈴谷のは?」

「鈴谷はこの前航空巡洋艦に改装したばかりでしょ」

 鈴谷は初め重巡洋艦として鎮守府に着任した。現在は飛行甲板を装備して航空機を運用出来る航空巡洋艦に改装されている。甲板を装備する分主砲を降ろさねばならず火力は下がってしまったのだが、航空機を運用出来る利点(メリット)は索敵や哨戒の面に(おい)て、それを補って余りある程に大きい。

「いいじゃん別に。減るもんじゃなし」

「思い切り減るよ」

 資材とかお金とか──明石(あかし)の睡眠時間とか。

「はいはいそうですかあ。んで、提督は何で悩んでるの?」

「──順番、かなあ」

 順番? と彼女は首を傾げる。

「今さ、ただでさえ忙しいのに明石にはあきつしまの艤装もやってもらってるじゃない。どう考えても改装出来るのは週に二人くらいが限度なんだよ」

 

 あきつしまとはこの間進水した艦娘(かんむす)母艦(ぼかん)の名称だ。艦娘の(あき)()(しま)のことではない。

 

「そうなるとさ、ほら──鈴谷も解るでしょ? 改装して欲しいのは皆一緒なんだから」

「ああ、なる程ねえ。後回しにされた子の不満は溜まっちゃうかな」

「そうそう。僕としては戦力の平衡(バランス)を見ながら改装して行きたいんだけどね。例えば、鈴谷みたいに艦種が変わっちゃうくらいの大きな改装の子は早くしてあげたいしさ。慣れるのに時間掛かるからね。でも、明石としては同型艦の改装を一気にやりたいに決まってるんだよ。やり易いからさ。そうやって色々と考慮したところで、どうしても後になっちゃう子は出て来る訳でね。どうしたもんかなあって」

「提督はどの子が最優先なの?」

 僕は唸って目の前にある書類を鈴谷に手渡す。

 それは赤城の改装計画書だった。

「僕は空母だと思ってる。正規空母で改装済みなのは加賀(かが)と翔鶴だけだし。やっぱり戦力を考えるとどうしても航空戦力優先になっちゃうよ。搭載機数が増えるのは判り易く戦力の増強に繋がるからさ」

「じゃあ、そうすれば良くない?」

「でもさ──」

 書類の山の中から陸奥(むつ)吹雪(ふぶき)の書類を抜き出した。

 やはり何処にあるのかは把握出来ている。

「水上打撃能力を無視して良い訳は勿論(もちろん)ないし、対潜能力なんて言うまでもなく滅茶苦茶重要じゃん? 特に駆逐艦の改装は漏れなく装備スロットが一つ増えるらしいんだよ。絶対急がなきゃ駄目じゃんか」

 装備スロットとは艦娘の艤装が許容出来る装備の総容量みたいなもので、大抵(たいてい)艤装の大きさと比例している。スロットが増加すればそれだけ積める装備が増えるので、あればあるだけ良い。これはそのまま彼女達の生存性に直結するから、こちらも喫緊の問題に違いなかった。

 鈴谷は呆れたような目で僕を見る。

「それ、何も決まってないのと一緒じゃん」

「これでも一応僕の中では決まってるの。ただ、さっきも言ったけど後に回す子の説得というかフォローというか──そういうの難しいなあってさ」

「簡単じゃん?」

「えっ、本当に? 教えて」

 鈴谷は数秒沈黙した後、視線を逸らして冷淡に言い放った。

「やだ」

「ちょ、ちょっと鈴谷巫山戯(ふざけ)ないでって。教えてよッ」

 反射的に鈴谷の制服の袖を掴んで懇願した。そんな僕を見て、やがて鈴谷は僕の手を包み込むようにして握った。

 

 僕は恥ずかしくなって、すぐにその手を離す。

「何で離すの? 今のいい感じだったから、もっかいやって」

「はあ」

「やってくんないと教えなあい」

 やけに憎らしい調子でそう言った後、ほら──と鈴谷は(てのひら)を差し出した。

 いや、ほらと言われてもどうしたら良いのか判らない。解答を求めるように鈴谷の顔を覗き込んでも教えてくれる様子は(うかが)えなかった。仕方なく、脱力して丸まった手を彼女の掌に乗せた。

 何だか、これではまるで犬みたいじゃないか。

「あ、あのさ鈴谷。僕はペットじゃないんだから」

 その言葉に鈴谷はにんまりとして口許を歪めた。

 

 ──鈴谷、そんな趣味があったのか?

 

「良い子良い子」

「やめてよ」

 頭をわしゃわしゃと撫でる鈴谷の手を払う。

 嫌ではないが照れる。

 嫌ではないが。

「ちょっと提督逃げないの。もう少しやろうよお」

「いいよもう。何か変態さんみたいだもの」

「今更──十分変態じゃん? ほら、次はこれ」

 何気に厳しい一言を放って彼女は両手を広げた。

「──何だよそれ。何するのさ」

「抱き付いて来て。提督から」

「はあ?」

「やっさしい鈴谷が受け止めてあげるから。早くしないと──教えてあげないよ?」

 

 僕は怪訝な表情を作って鈴谷を見上げた。さあさあ、と言って期待を隠すこともなく催促している。

 元々は仕事をしていないのを注意した筈だったのだが、これに付き合うと僕まで同類になってしまう気がした。しかし、改装の順番について鈴谷の意見を聞く為に必要な行為と言えることもまた確かではある。

 これは参った。

 この(たわむ)れが仕事の為だという結論に論理的な瑕疵(かし)はあるだろうか。

 

 いや、ない。

 寧ろ仕事だ。これこそが。

 

 

 自分の意志の弱さに内心呆れつつ、僕は椅子に座ったまま身を(かが)めて、ゆっくりと鈴谷のお腹にその身体を委ねた。そのまま抱き付いてしまうとちょうど胸に顔を埋めてしまう恰好になる。それはいけないだろう。流石(さすが)に。

 予想を遥かに上回る感触と匂いと安寧が、僕の脳髄を蹂躙(じゅうりん)する。鈴谷はぴくりと身体を痙攣(けいれん)させた後、やがて僕の頭を撫で始めた。

「あっ、提督これちょっとヤバいかも──何か、ゾクゾクする」

 鈴谷の声は震えていた。

 彼女は何がしかの新たな扉を開いてしまったようだったが、それは僕も同じだった。僕が今開きかけている扉には「隷属(れいぞく)」の二文字が大きく書き付けられている。

 

 何だこの安心感は。いかんいかん、抜け出せなくなる。

 

「鈴谷、満足した? したよね?」

「ちょおっち待ってって」

 頭を撫でていた鈴谷の指先が移動して、親指が僕の頬を(さす)った。

「ねえ提督、鈴谷のこと──好き?」

 余りに直截(ちょくせつ)的な問いに一瞬呼吸が止まった。

 どのような意味合いかでその回答の重みは(いちじる)しく変化するのだが、仲間、戦友という意味では考えるまでもない。僕はその質問が含む別の可能性から意識的に逃避して、小さく首肯(うなず)いた。

「言ってくれないと駄目」

「す、鈴谷、この状況はおかしいよ。僕はバカだけどそれだけは判るぞ」

「いいのいいの。誰も見てないんだし」

「そりゃ、好きだよ──勿論大好きだって」

 

 あっ──と鈴谷は声を漏らす。

 

「可愛いじゃん──」

「そ、そんなことより──結局どうしたらいいのさ」

「何を?」

「何をって、だから、改装の順番の話」

 ああ忘れてた、と(わる)()れることもなく彼女は言った。

「まあ、こういうことじゃん?」

「どういうことだよ」

「だから、後になっちゃう代わりに提督を好きにさせてあげればいいんだって。そしたら誰も文句なんて言わないから」

 

 僕は鈴谷から離れて机に向き直った。

 

「──期待した僕がバカだったよ。ああ、本当に僕はバカだ」

「何で。超名案じゃん」

「あのさ、好きにさせるって言ってもそんなんで納得してもらえるとも思わないし、(よし)んばそれで許してもらえたとしても後が怖いでしょうよ」

 どんな要求をされるのか判ったものではない。

「絶対納得するって。まあ、確かに何をされるのか不安になるのも解るけど」

「そうでしょうが」

 基本艦娘は皆常識的でありつつも、何処かしら螺子(ねじ)の外れた部分を抱えている──ような気がする。鎮守府の良心とも言うべきあの鳳翔(ほうしょう)さんだって、僕に矢を向けて来たことがあるくらいだから油断は出来ない。

 あれは長波(ながなみ)と鳳翔さんの店で飲んでいた時の出来事だったろうか。軽く心的外傷(トラウマ)になっている所為(せい)か記憶も朧げである。

 

「まっ、選択肢の一つとしてはありじゃん? それにしても、さっきのちょっちヤバかったかも──どうする? このままナニする?」

「バカ言わないでよ。本当にもう──そういうの慣れてそうだもんな、鈴谷はさ」

「ちょっと何なのそれ」

 ぐいと顔を近付けて鈴谷は僕を(にら)み付けた。

「提督酷くない? 折角幸せな気分だったのにそんなこと言うなんて。鈴谷は提督の(ふね)なんだから、提督以外にいる訳ないじゃん」

「あ、いや──ご、ごめん」

「もう知らないし」

「ちょ、ちょっと鈴谷」

 

 鈴谷は憮然とした表情で僕の横を離れて、執務室中央のソファに横たわり再び漫画を手に取った。歩き出した時の勢いから鈴谷は執務室を出て行ってしまうと思ったものだから、ソファに横になった時は一瞬「居るんかい」と思ってしまったのだが、居てくれて良いのだ。それで良いのだ、というかそれこそが良いのだ。何を思っているんだ僕は。

 大体、世界を守る為にその身のすべてを捧げている鈴谷のような少女に、先程の言葉が適切でなかったことは確かだろう。そもそも彼女達にそのような存在が居たとして、果たして僕はそれを許容出来るだろうか。僕に彼女達を束縛する権利などある訳がないし、彼女達がそれで幸せならば(むし)ろそれを歓迎するべきだとも思うのだが。

 

 ──やっぱり、それは嫌だ。

 

 自分の発言の愚かさに気が付いて僕は立ち上がった。とにかく謝ることが最優先だろう。ソファの横に膝を()いて目線の高さを合わせる。鈴谷は頬を膨らませて漫画を見つめていた。

「鈴谷、ごめん。口が滑ったよ。許して欲しい」

「許さないし」

「そ、そんなこと言わないでさ。出来ることなら、その──何でもするから」

 鈴谷は横目で僕を睨んだ。

「──本当に?」

「うん、本当に」

「約束する?」

「勿論、約束する」

 鈴谷の鋭い視線に数秒耐えてじっとしていると、やがて彼女はふうと息を吐いて起き上がり、ソファに座ったまま先程と同じように両手を広げた。

「だったら、さっきのまたやってよ」

 

 さっきの。

 

 僕が半笑いの表情で困惑していると、鈴谷はほらと言って僕を(うなが)し両足を少し開いた。

 ──ええ、この間に入れって言うの?

「何でもやってくれるって言ったじゃん」

「い、言ったけどさ──」

 今眼前に広がっている光景は率直に言って犯罪的だ。短いスカートから覗く生足は(すで)に凶器と言って良い。この聖域に汝の身体を捧げよと、淡緑色の髪を揺らして女神は言う。

 そう、これは彼女からの提案なのだ。

 その意味で、僕は何も躊躇(ためら)う必要はない。

 ない、と思う。

 ないのか、本当に──。

 

 僕は数度の自問自答を繰り返した後、考えることを止めて再び吸い込まれるように鈴谷のお腹に顔を(うず)めた。襲い来る快感の波に恐怖すら覚える。

「鈴谷、これ──やっぱりおかしいよ」

 鈴谷はふふっと笑う。腹筋の動きが直接顔に伝わった。

「いいじゃんいいじゃん」

 鈴谷が立っていた先程にも増して現在の体勢は変態度が上昇している。鈴谷の足の間に身体を入り込ませて(すが)り付くように抱き付いている為だ。今僕が開こうとしている扉には「隷属」の二文字に加えて「服従」という文言が追加されている。意味はほぼ同じだ。状態の表現が強調されたに過ぎない。

 

「ねえ、提督が望むなら──鈴谷がずっとこうしてあげてもいいんだよ?」

 そんな魅力的な提案に僕は唸って動揺した。

「ううん。す、鈴谷はもっとイケてる人の方が似合うんじゃないの?」

「何それ提督。遠回しに鈴谷のこと拒否ってない? さっき怒ったばっかじゃん」

「違う違う。鈴谷はさ、ほら──か、可愛いから。僕じゃ釣り合わないだろ」

 

 それを言い始めたらこの鎮守府に僕と釣り合いの取れる女性など居ない。

 

「そんなことないって。その時は鈴谷が釣り合わせてあげます──って大体さ、イケてるって何なの? どういう意味?」

「──知らないけど」

「結局さ、周りに合わせる気があるかないかじゃん? 時にはそういう協調性みたいなものも必要かもしれないけど、いいよそんなの。大事なのは中身なんだから」

「中身はもっと自信ないよ──」

 思わず漏れた情けない弱音に鈴谷は沈黙した。

「おい、何ちょっと口(つぐ)んでんだよ!」

「そんなことないよって言葉を求められてるの判っちゃったから、意地悪してみたくなっちゃった」

 あはは、と彼女は無邪気に笑う。

「でも、いいんだって。自然体の提督を好きになったんだから。提督はそのままでいて、ね」

 鈴谷は(なだ)めるように僕の頭をぽんと叩いた。

 僕は悲しいかな調教された動物みたいに大人しくなってしまう。何だか、抵抗する方が間違っているような気にさえなる。

 

 いい時間だよねえ、と鈴谷は言った。

 良い時間だ、本当に。

 これ以上──何が要るって言うんだろう。

 

 

 鈴谷の深呼吸を肌で感じながら微睡(まどろみ)(ふち)彷徨(さまよ)っていると、やがて彼女はぽつりと呟いた。

「ああ、これも委員会で報告しなきゃいけないのかな──」

「──委員会?」

 その言葉は僕にとって唐突に感じられた。

「提督さ『提督拘束委員会』って知ってる?」

「何その物騒な委員会」

 知らない。初めて聞いた。

「やっぱ知らないんだ。まあ、鈴谷も入ってるんだけどね。ってか、入ってない子は居ないけど」

 

 入っていない者が居ないのなら「委員」の意味がない。

 全然委ねてないじゃないか。

 

「初めはね『提督監禁連合』とか『艦娘評議会』とか色々な組織に分かれて活動してたんだけど、この間ね、あきつしまが進水した頃かな──大淀が統一しようって提案して出来たのが『提督拘束委員会』なんだ」

「な、何をする委員会なのさ」

 正直聞かなくても判る。その名の通りのことをするのだろう。

「提督をシェアしようって決めたんだ」

「何だかSNSの(うた)い文句みたいになってるけどさ」

「最初は井戸端会議みたいなものだったんだよ。情報共有を兼ねてのお喋りみたいな。提督とこんなことをしたとか、こんな話をしたとか、そんなね。皆、いつだって提督と一緒に居たいんだよ。でも、それは無理だからさ」

 

 嫌な予感しかしない。

 

 鈴谷は(うつむ)き、僕の顔を覗き込むように耳許で(ささや)いた。

「何か川内(せんだい)と結構なところまでいったらしいじゃん」

「あれは襲われたの。川内も夜のテンションでおかしくなってたんだろうよ」

「鈴谷悔しいんですけど」

 

 鈴谷はそう言って僕の腕をくいと引っ張った。身体を離して見上げると、鈴谷は妖艶(ようえん)な笑みを(たた)えていた。その微笑は見蕩(みと)れてしまう程に美しい。

 鈴谷はソファに横になる。腕を引かれていた僕はソファの上に膝立ちの姿勢になってやがて倒れ──鈴谷と重なり合うような体勢になった。

 覆い被さってしまわないように腕を張って自分の体重を支える。

 僕等は至近距離で無言のまま見つめ合っていた。鈴谷の眉毛も、睫毛も、瞳の虹彩も──彼女の(すべ)てが明瞭に識別出来た。

 鈴谷は数度、誘うように瞬きをする。

 

 ああ、全部自分のものにしてしまいたい──と僕の身体を衝動が突き抜けた。

 

「──鈴谷、僕だって男だ。我慢の限界はあるんだからね」

「我慢なんてしなくていいよ。来て、提督──」

 その言葉を合図に、僕は鈴谷へと降下を始めた。二人の距離が零に近付いて、鈴谷が目を瞑った(まさ)にその時──硝子(ガラス)の割れる硬質な衝撃音とほぼ同時に、二人の間の僅かな間隙(かんげき)を一本の矢が切り裂いた。

 その矢はソファに刺さり、僕等の目の前で振動している。

 

 外から──矢が。

 

 日常から非日常へ。激烈な展開を見せた現状に思考の整理が追い付かず暫く放心していると、ふと矢に紙が括り付けられていることに気が付いた。

 震える手でその紙を解き開くと、そこには──。

 

 

 提督、おイタが過ぎると、解ってますよね?

                   翔鶴

 

 

 と書かれていた。

 紙片の角度を変えて鈴谷にもその文面を見せる。

「──お、おい鈴谷。こ、こんな戦国時代みたいなことあるのか」

「戦国時代にもなかったんじゃない?」

 鈴谷は横目で割れた窓硝子を一瞥(いちべつ)した。

「く、空母って強いんだねえ。鈴谷も空母になろうかな、あはは──」

 

 そんな動機で艦種が変わっていいのだろうか。

 

 この見事な弓の精度は賞賛に値するのかもしれないが、僕はこんなことの為に翔鶴を改装した訳じゃない。

 僕と鈴谷が互いに引き()りながら笑い合っていると、早く離れろとでも言うように二の矢が目の前を再び切り裂いて──。

 

 僕等は、すっかり真顔になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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