Perspective   作:広田シヘイ

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第四話『提督拘束委員会・後編』

 

 

 

 

 

 そりゃあ──提督を拘束する(ため)の委員会だからな、と長波(ながなみ)は言った。

 

 大方予想の付いていた返答に嘆息しつつ、僕は未だ違和感と鈍痛の残る喉許を(さす)った。まあ、喉だけではなく全身痛むのだが。

「大体提督が逃げるからいけないんだぞ。前に忠告したよな、もう逃げられないって」

「言ったっけ、そんなこと」

「確かに言ったよ。それに提督はその時、逃げるつもりは更々(さらさら)ないって言ったんだぜ。憶えてないのか」

「ううん」

 憶えていない。

「全く。そうやって人の話を聞いてないから、こういうことになるんだ」

 自業自得だな、と呟いた長波の声が一際(ひときわ)反響した。

「──まあまあ、こうなった以上は足掻(あが)いたって仕方ないからさ、この現状をしっかりと受け止めて大人しく諦めることだな。どんなことだって受け止め方、捉え方ひとつさ。提督付護衛艦第一号がこの長波サマだぜ。光栄でしょ?」

 光栄かどうかは判らないが、護衛艦とは『提督拘束委員会』によって決議された艦娘の新たな任務の一つらしい。らしい──というのはそれが僕の知らないところで決まったことで、しかもつい先程知らされたばかりのことだからだ。そういう訳で詳しいことは何も知らない。

 

 大淀が言うには──。

 

 その名の通り、僕の「護衛」なのだそうだ。

 常に行動を共にして、僕の身の安全を確保するのだそうだ。

 しかし。

 この制度が施行されて数十分と経過していないが、僕は早くも「護衛艦」というその役割の実態を疑い始めている。

「長波って──僕の護衛、なんだよね」

勿論(もちろん)そうだよ」

「あのさ──」

 僕は振り返って、この場で初めて真面(まとも)に長波と向き合った。

 

「護衛って一緒にお風呂入らなくないッ?」

 

 立て掛けていた洗面器が滑り倒れて、かこんと鳴った。

 揺らめく湯気の向こうで、長波は不思議そうな顔をしている。長い髪の毛を(まと)めている姿がとても可愛らしいのだけれど、火照(ほて)った肌と(あら)わになった(うなじ)も相まって、今の僕には相当な目の毒だ。長波は頰を掻きながら視線を逸らして言う。

「──いやあ、入るんじゃないか?」

「入らないよ絶対! だって今襲われたら長波は動けないでしょ。いい湯だなあなんて寛いでるけどさ。どうやって僕を守るつもりなの?」

「守るっていうか──(むし)ろあたしが襲うかもしんない」

「この子全然護衛じゃないじゃん!」

 僕の悲痛な叫びに、あははと声を上げて長波は笑った。

 

 僕は今、何故か長波と一緒に入浴している。

 場所は入渠ドックのある建物の(はし)だ。

 驚くべきことに──わざわざ男湯を新しく造ったらしい。

 幾ら僕が阿呆で間抜けでも、改装工事などしていたら流石(さすが)に気付きそうなものではあるが。

 気付かなかったのだ。

 僕はどれだけ阿呆で間抜けなのだろう。

 

 

 数時間前──。

 提督拘束委員会という謎の組織の始動に伴って、僕の自由は事実上の剥奪宣告を受けた。突然訪れた不条理に動転した僕は、愚かにも鎮守府からの脱出を試みたのだが──綾波のラリアットによって、それはいとも簡単に阻止されたのだった。

 その後気絶した僕の意識が戻ったのは、陽が()うに傾いた一八(ヒトハチ)三◯(サンマル)頃。

 夕方の陽射しに染められた医務室内を霞んだ視界と共にゆっくり見回していると、枕許に人の気配がすることに気が付いた。それが長波だった。床に膝を()き、ベッドに肘を突いて僕を眺めていた。

 鑑賞されていた、という表現が合うかもしれない。

 思い返せばあたしが護衛艦だぞ──などと言っていた気もするが、その時はまだ朦朧(もうろう)としていたので記憶も曖昧である。

 確か──。

 

 何か欲しいものでもあるか?

 飯にしたいんだったら持って来てやるぞ?

 

 ──と、そう問われたのだった。

 ご飯を食べる気もしなかったので、僕は風呂に入りたいと答えた。

 全てを洗い流してしまいたかったのかもしれないし、とにかく落ち着きたかっただけかもしれない。つい先程の自分の心境すら思い出せないのは何だか情けない気もするが、一人になりたいと思ったことは多分確かだ。

 

 大淀は入浴時も例外ではないと言っていたけれど。

 まさか、浴室にまでは入って来ないだろうと。

 すっかり常連と化した近所の銭湯に至っては、そもそも番台通過後の帯同自体が不可能だろうと──。

 

 そんな甘い考えを抱いていた僕が連れて来られたのが、この場所だった。

 確かに僕好みのとても良い風呂であることは認めざるを得ない。石畳の床に御影石の湯船。その奥の壁一面は大きな硝子(ガラス)張りの窓になっていて、和風で慎ましい小ぢんまりとした庭が見える。浴室自体も程好い広さで落ち着いた雰囲気だ。決して豪奢ではないところが(たま)らなく良い。

 一人で入ることが出来ていたらどれだけ癒されたことだろうか──。

 

 僕は恨めしげに長波をちらと見る。

 タオルを巻いているとは言え、(あま)りにも刺激が強い光景であることは言うまでもない。僕の目線が自然と胸許に向いてしまうことを責められる人など居ない(はず)だ。(あらが)える訳がない。多分修行僧でも無理だろう。

 予期せぬ本能の発現を抑えるように、僕は再び長波に背を向けた。

「でも良かっただろ。提督も鎮守府に風呂が欲しいって言ってたじゃないか。私室のユニットバスじゃ狭過ぎるなんて散々文句言ってさ」

「言ってたけど。最近は気に入ってたんだよ、銭湯も」

 初めは望んで通っていた訳ではないが、時代から取り残されたようなあの寂れた雰囲気は嫌いではなかった。見ず知らずの他人と素っ裸で空間を共有するというある意味特異な場所ではあるが、裸故に生ずる他人との絶妙なあの距離感は、人見知りの僕でも十分に心地好さを感じられる程であった。

 それに、この人々の日常を僅かながらでも自分が守っていると思えば、こんな僕でも少しは世の中の為になっているのかなと思えるし、これからも守り続けていかなければならないと決意を新たにすることも出来る。

 

 その意味で──。

 

 鎮守府に(こも)りきりの僕にとって、あの銭湯は貴重な社会との接点ではあったのだ。

()(まま)だなあ。一つ願いを叶えるとまた新しく不満を見つけるのな、人間って」

「別にそういうことじゃないけどさ。あっ、いてて──」

 肩を(すく)める動作で肩甲骨に痛みが走った。

 はあ、と溜息を漏らしながら患部を押さえる。

「痛むのか」

「そりゃあ、あれだけやられたらね。全く綾波も大概だけどさ、五二型の妖精も撃ち過ぎじゃない? 本当に殺されると思ったよ」

「あれは翔鶴の艦載機だろ。爆撃慣れしてないから撃ち過ぎちゃうんだよな。翔鶴のトコは妖精も真面目だからさ」

 僕はそれを真面目と言いたくない。

「──舗装見た?」

「見た。結構な穴が空いてた」

「やっぱり。もう報告書どうやって書いたらいいんだよ」

 脱出を図った際に使用した北上のバイクは多分廃車だろう。機銃の一斉掃射を受けたのだ。フレームから何からお釈迦に違いない。そちらの弁償も考えなくてはならないが(僕が全額負担するのだろうか?)それより大きな問題となるのが正門前の舗装に空いた穴だ。鎮守府に出入りするのは基本的に僕と艦娘だけだが、甚大な路面の損傷を放置する訳にもいかないだろう。

 見た目も悪いし、何より危ない。

 非番の日などは車で出掛ける者だって居る。

 

「でもまあ、それは心配要らないんじゃないか。頼めば妖精がやってくれるよ」

「やってくれるって、何を」

「工事を」

 僕は思わず失笑した。

「あのね、妖精だって何でも屋さんじゃないんだよ。土木工事なんて出来る訳ないじゃない。こんな()っちゃいんだから」

「──提督は本当に何も知らないんだな。この風呂造ったのだって妖精なんだぞ」

「えっ」

 顔を上げて辺りを見回した。

 この風呂場を──妖精が。

「いやいやいや、嘘だあ」

「嘘なんかじゃないよ。提督も『あきつしま』の艤装工事を妖精に頼んでるじゃんか。何を今更──」

「だってあれはフネじゃん」

「ここだってフロじゃん」

「それは全然違うもの。合ってるのはフで始まって二文字ってだけでしょ?」

「全然違わないよ。(ふね)にも風呂はあるだろ? 艦にある風呂が造れるんだから、鎮守府の風呂なんて訳ないさ。大体──」

 

 この鎮守府は誰が作ったと思ってるんだ、と長波は言った。

 

 その言葉に、僕の思考は数秒間停止した。

 話の規模の飛躍に頭が追い付かなかったのである。

 正直考えたこともなかった。

 ここは僕が生まれる遥か以前から存在していた国防軍の施設だと、疑いもせずにそう思っていたような気がする。

 僕は放心しつつも、ゆっくりと振り返り下方を指で差す。

 長波は(うなず)いた。

「そう、妖精だよ。元々は海沿いの山の中だからな、こんな(ところ)は。少なくとも、あたし達が艦だった頃はただの山だった。山の向こうの国防海軍の基地と外観は似てるかもしれないけど、別物だから」

「──そうだったんだ」

 長波の言う山向こうの基地とこの鎮守府は、直線距離でそれ程離れている訳ではない。道路を利用すると山を迂回して海沿いを走ることになるからそれなりに時間は掛かるが、それでも二十分程度で着く筈だ。それだけ近距離にありながら、同じようなレンガ造りの建物が二つあるというのは確かに不自然なのかもしれない。細部の意匠(デザイン)は異なるが、ほぼ同じ建造物と言っても差し(つか)えない。

 どうやら、僕は妖精の力を相当に()(くび)っていたようだ。

「入渠ドックなんて好い例でしょ。傷付いたあたし達の身体を修復してくれるお風呂なんて、人間にとっては理解不能なオカルトの世界でしかないんじゃないか。ああいうのは妖精じゃないと作れないんだよ。提督はいつの間にか自然と受け入れちゃってたけどさ」

 そういうものだと無理矢理納得していたのである。というか、艦の生まれ変わりだとか発射と同時に航空機に変化する矢だとか──そんなことを言い出したらキリがない訳で。

 

 解らないことは解るまで放って置くに越したことはない。

 解った振りをするのが一番危険なのだ。

 

「だから風呂の一つや二つ何てことないの。あ、そうだ──ついでに言っておくと、提督の私室も変わってるからな」

「私室? 何、勝手に模様替えしたの?」

「いや模様替えっていうか、部屋そのものが。だから場所も違うぞ。まあ、その辺のことは後で秘書艦トリオに聞いてくれ。二一(フタヒト)◯◯(マルマル)からはその三人が護衛艦だからさ」

 まあそんなことより今はこの風呂を堪能しようぜ、と。

 長波は天井に向けてそう言った。

 

 

 僕の頭の中は水蒸気みたいに揺らいで、曖昧で、漠然としていた。視界も思考もすべてがぼんやりとしている。

 逆上せているのかもしれない。

 この湯だけではなく、ここに至る一連の経緯や新たに知った事実や、すぐ隣で湯に()かっている長波や、それらすべてを含むこの状況それ自体に──僕は逆上(のぼ)せている。

 僕の(すべ)ては彼女達の掌中(しょうちゅう)にあるのに、僕は彼女達の凡てを未だに知らない。

 何故だか、そのことが堪らなくもどかしい。

 

 ──彼女達のことを、もっと知りたい。

 

 そんな思いに駆られて長波を見る。彼女は湯の中で身体を伸ばしていた。少女でありつつも、しかし強烈な性を主張する肉体の線が強調されている。

 数秒と直視出来る光景ではなかった。

「あ、あのさ」

「何さ」

「長波は、恥ずかしくないの?」

「──ほう」

 

 ぱしゃ、と水音がして(しば)しの沈黙が訪れた。

 浴室内の空気が、(にわ)かに緊張を始める。

 

「提督は──あたしのことそういう目で見てるのか?」

「ち、違う違う! そういうことじゃなくて、普通に考えて恥ずかしいでしょ。一応、その、男と女なんだから」

「ふうん」

 再び水音がして湯が波打ち、長波が移動したのが判った。

 僕のすぐ後ろに、彼女の気配を感じる。

「あたしは──タオルなんか、取ってもいいんだぜ」

「やめなって。駄目だよ」

 僕の背中を長波の指が伝う。

 僕はひい、と情けない声を上げて背筋を反らした。

「提督のそういうところが事態をここまで悪化させたんだろ。こっち向きなよ」

「やだよ」

「──言う通りにしないと襲うぞ」

「わ、解ったよッ」

 僕は振り返った。

 妖しく微笑する長波の顔は、(ほの)かに紅潮していた。

 輪郭に沿って一雫の汗が流れている。

 その雫は顎の先で溜まって、やがて胸許にぽつりと落ちた。

 

 長波の──胸許に。

 

「何処見てるんだ? ん?」

「み、見てないって」

「そういうのは全部判るんだぞ。ふうん、そうか──」

 長波は接近して僕の肩に手を掛けた。

 彼女は上目遣いで僕を一瞥(いちべつ)し、そして静かに寄り掛かった。

 長波の頰の感触を僕は鎖骨で感じている。

 否応なく、鼓動が速まる。

「提督にとって──あたしはそういう対象なのか」

「な、何を言って──」

「あたしは真剣に聞いてる。もしそうなら、今すぐにここで──」

 

 抱いてよ──と、長波は言った。

 

 僕は頭がおかしくなってしまいそうだった。

 本能と理性が。

 長波の匂いと肌の感触が。

 水音と湯気が──。

 

 それら凡てが反響して、思考の輪郭をひたすら曖昧なものにして行く。

 僕は何も出来なかった。

 水滴の(したた)る指先が、強張りながらただ虚しく空気を掻く。指揮官としての自覚が僕に強烈な歯止めを掛けていたのと同時に、その優柔不断さは指揮官としての決定的な資質の欠如に(ほか)ならなかった。

 僕が放心したまま動けずにいると、やがて長波は少しだけ身体を離した。

 彼女は何処か淋しげに微笑んでいる。

「──そ、その、何かごめんな。急に変なこと言ってさ。そうだよな、あたしあんまり魅力ないもんな。あたしも夕雲(ゆうぐも)姉みたいだったら、良かったんだろうけど──」

 今のは忘れてくれと、笑いながら彼女は目を伏せる。

 長波のその言葉と表情に、僕は妙な苛立ちを覚えた。

 何に苛立ったのかは正直判らない。ただ、その怒りの矛先は自分自身であるということと、僕が何か大切な機を逸したことだけは解った。

 人生で一度あるかどうかも判らないような。

 掛け替えのない想いを伝えることの出来る、そんな機会を──。

 

 ──島風の言う通りだ。

 僕はいつも、気付くのが遅過ぎる。

 

 せめてその言葉を否定したいと。

 そんな思いが腹の奥底から沸々(ふつふつ)と込み上げた。

「──ありまくりだよ」

「えっ」

 僕は長波の肩を掴んだ。

 長波は身を(すく)ませて、ひゃっと声を漏らした。

「長波は魅力ありまくりだって言ってるの! お(かげ)で僕は頭がどうにかなってしまいそうなんだよッ」

 

 長波は、あたしが襲うなんて言っていたけれど。

 

「今にも長波を襲ってしまいそうだ。襲いたくて仕方がないよ。だから、お願いだから──余り僕を刺激するようなことをしないでくれよ!」

 長波は。

「もっと自分が可愛いってことを、僕を惑わせるってことを──自覚してくれよ」

 長波は大きく見開いた瞳を潤ませて言った。

「て、提督は──あたしの身体を見て、どうにかなりそうなのか」

「ああ、そうだよッ」

 

 それなら──。

 

「あたしが、どうにかしてやろうか」

 僕は息を呑んだ。

「苦しいんだろ。切ないんだろ? それは──」

 

 

 ──あたしの所為(せい)なんだろ。

 

 

 僕は反射的に長波の頭を抱いた。

 寸前のところで理性が働いて、身体は密着させずに間隔を空けた。

「このまま──無茶苦茶にしてくれても、いいんだぞ?」

「長波、そんなこと言わないでくれ。本当に──おかしくなっちゃいそうだよ」

「何でそんなに我慢する必要があるんだ? 何だかんだ言って、結局あたしじゃ不満なんじゃないか」

「そんな訳ないだろ──」

 本当に、そんな訳がない。

 抱いていた腕を緩ませて、彼女の顔を見る。

「長波、僕はね、これでも司令官なんだよ」

 身体の内側から沸き起こる衝動を必死に抑え付けている所為か、僕の声は震えていた。

「だから、この戦いに勝たなきゃいけない。大好きな皆を守る為にも、大好きな長波を守る為にも──この戦いは、絶対に終わらさなきゃいけない」

 解るよね、と僕は無理に微笑んだ。

「でも、ここで一線を越えちゃったら、僕は長波を出撃させることなんて出来なくなる。指揮官としての客観的な目線なんて、全部吹っ飛んじゃうに決まってる。だって、そうなったら長波は僕の大切な恋人だろ。そんな女性(ひと)を戦場に送り込むなんて──無理に、決まってるよ」

 

 恋人──と長波は呟いた。

 

「だからこの戦いが終わるまで、僕は長波を抱く訳にはいかないんだよ。こんなに近くに居るのに。こんなに、抱き締めたいのに。こんなに」

 ──僕のものにしてしまいたいのに。

 茫然としていた長波の表情が、次第に和らぐ。

「そっか。戦いが終わるまで──か」

 長波の顔は逆上せているのではないかと見紛う程に赤い。長波は暫く目線を泳がせて、やがて僕にその視軸を合わせた。

「な、何か困らせちゃったみたいで、ごめんな。でも、あたしも嬉しいよ。何て言うのかな、胸の奥が何だか──ぽかぽかする。凄く、優しい気持ちになる。ありがと、な」

 見つめ合っていた僕等は同時に照れ笑いをして、多分同時に(うつむ)いた。

 何とも言えない空気が浴室内を満たしていた。沈黙が反響している。

 

 そのまま幾許(いくばく)の時が過ぎたか判らない。数秒か数十秒だったのかもしれないし、数分だったのかもしれない。いずれにせよ、ある程度の時間が経過した頃に(ようや)く──長波は大きく息を吸った。

 

「──よ、よし」

 そう言って胸許を押さえ立ち上がった。

「ちょっち長湯し過ぎたみたい。逆上せてきちゃったから、あたし先に上がってるな。提督も、余り無理するなよ」

「う、うん」

 長波は湯船から離脱して、そして戸の前で立ち止まった。

「あのさ、提督の気持ち、解ったよ。でもさ──」

 

 ──あたしはいつでも良いからな。

 

 そう言い残して、長波は浴室を後にした。

 

 戸が閉まると同時に、衝動が身体を突き抜ける。

 僕はそれを抑え込むように湯の中に全身を沈めた。

 行き場を失くした感情は声にしようとしたけれど。

 叫び声は音にならず、ただ泡になって。

 海月みたいに──頭上で揺らめくだけだった。

 

 

            ※

 

 

「ほら提督さん、ここが新しい私室だよっ」

 ドアを開けると、そこには学校の教室程もある広々とした空間が広がっていた。

 一足先に室内に入って行った瑞鶴が、両手を広げて自慢げに笑っている。

「へえ、中々良いじゃない」

 長波との混浴で精神的に疲弊した所為か、返答はいつにも増して適当である。

 部屋の中心からやや右寄りにテーブルがあって、その周囲にはソファが二つ置かれている。テレビから伸びる幾本ものケーブルはレコーダーやオーディオ、数台のゲーム機に繋がれていて、更にそのゲーム機にはそれぞれ複数のコントローラーが接続されていた。

 

 何だか、溜まり場には恰好の場所である。

 

 一方、生活感たっぷりのAV機器周辺と違って、クローゼットや本棚、机などは壁際に間延びした間隔で設置されていた。空間を持て余している。

 僕は靴を脱いで部屋に上がった。

 ここが──新しい僕の私室。

 執務室と同じ階の北側の端である。以前の私室は南側だったから真逆だ。ちなみに前の私室は今後資料保管室として使用するらしい。

 これも妖精の仕事だと聞いた。本当に大したものである。

「まあ、思ったより悪くはないかな。でも、一人には広過ぎるかもね」

「あ、あの提督、ここは護衛艦の待機室です」

「待機室?」

 大淀の目線を追うと、そちらには三台のベッドが並んでいた。

「──ああ、そういうことか。ここは皆が寝る処なんだね。僕が使う訳じゃなくて」

「提督さん、早とちりしちゃ駄目だよ」

 ここが新しい私室だと言ったのは瑞鶴である。

「ううん、まあ、まあいいや。それで、結局僕の部屋は何処なのさ」

「こちらです」

 翔鶴の指し示す方向に入口とは別のドアが見えた。

「ああ、何だ。こっちなの」

 

 そちらに向かいドアを開ける。

 そこは、六畳程の部屋だった。

 

 ──六畳。

 

 僕は振り返って秘書艦の三人を見る。

「あのさ、こんなこと言いたくないんだけど──狭くない?」

 以前の部屋の方が広かった。

「いいじゃん別に。提督さん寝るだけでしょ?」

「そうだけどさ──」

 必要最低限の家具しかない質素な部屋を、僕は複雑な心持ちで眺めている。窓でも開ければ幾らか開放的になるだろうかと考えて、奥に進み()硝子(ガラス)の窓を開けた。

 生温い外気が侵入して来るのと同時に、縞模様の景色が見える。窓には金属製の(めん)格子(ごうし)が取り付けられていた。

 僕は項垂(うなだ)れて溜息を吐く。より閉鎖的な空間であることを再確認しただけだ。

 独房とか服役といった単語が頭を(よぎ)る中、窓を閉めてドアへと戻った。

 

「翔鶴、ちょっとあの窓の格子外してくれないかな」

「それはいけません。提督の身の安全を考えると、あれでも物足りないくらいです。私は妖精さんに、窓自体要らないのではと申し上げたのですけど──」

「窓自体──」

 危ないところである。窓があるだけ感謝しなければいけない状況だったようだ。窓についてはこれ以上触れてはならない。僕は大淀に視線を移動させて、提起する問題を急遽変更した。

「──お、大淀。この部屋さ、ドアってこれだけだよね?」

「そうですね」

「ということは、僕は私室を出入りする時に、必ずこっちの護衛艦待機室を通らないといけない訳だ。それで、この待機室には常に護衛の誰かが居る訳でしょ?」

「そうなりますね」

 大淀の簡潔な返答が、僕にとっては冷酷に響いた。

「そうなりますねって──」

「何? 提督さん、不満でもあるの?」

 

 あるに決まってる。

 

「何だか落ち着かないよ。僕が部屋に居るか居ないか常に把握されてるってことでしょ。出掛ける時も絶対気を遣っちゃうし」

「それは当然だよ。提督さんを守る為に新しく造った部屋なんだから」

「いやあ、そこまでしなくてもさ。直接廊下に出れるドアくらい欲しいなあ」

「駄目だよ。それだと提督さん、怪しい人が入って来た時に、ガチャって開けられてツカツカツカでグサッ、だよ?」

 ぐさっ。

「いやいや、それだったらこっちでも、ガチャ、ツカツカツカ、ガチャ、ツカツカ、ザスッ──じゃん」

 ドアを開ける手間が一つ増えるだけである。護衛艦待機室に侵入された時点でそんな積極的(アグレッシヴ)な刺客にはお手上げだろう。

 大体、防犯体制(セキュリティ)云々を語っている割には鍵も一般的なものと何ら変わりないというか。そんなに僕の身を案じているなら、生体認証システムとまでは言わなくても、鍵を二つ付けるとかピッキングされ難い鍵にするとか、それくらいの対策を施していて良さそうなものではある、が──。

 

 

 ──鍵。

 

 

 僕は異常に気が付いた。

 このドアの──鍵が、おかしい。

 

「ちょっと待って。このドアさ、鍵はどうやって開けるの?」

 待機室側に鍵穴がある。錠前を開閉する為のつまみが付いているべき内側は、鉄製のプレートで覆われていて、中からは開けることも閉めることも出来ない。

「おかしいよね。妖精間違えたのかな──ねえ、大淀」

 振り返ってそう問うと大淀は目を逸らした。

 返事がない。

 仕方なく翔鶴に問い直す。

「ねえ、翔鶴。おかしくない?」

 翔鶴は俯いたままだった。

 

 正直、この時点でどういうことか解ってはいた。

 

「──瑞鶴、どう思う?」

 瑞鶴は真顔で虚空を見つめている。

 何だその下手糞な誤魔化(ごまか)し方。

「お前らわざとだなッ。何だこの監禁にお(あつら)え向きの部屋は!」

 監禁連合の思想は今も尚、脈々と息()いているようだ。

「提督もう良いじゃないですか! 出来ちゃったものは出来ちゃったんですから、早く中に入ってください!」

「開き直るなって! おい押すな!」

 パワープレイに突入した秘書艦達に背中を押されて、部屋の中へ中へと押し込まれる。抵抗も虚しく僕は部屋の奥まで到達して、やがて身を投げるように顔からベッドへ倒れ込んだ。

 枕に顔を(うず)めた状態からすぐさま身を(ひるがえ)して起き上がろうとすると、僕を押さえ付けるように誰かが()し掛かって来た。

「提督さん、ちょっと恥ずかしいけど我慢しててね。大淀、翔鶴姉、早く急いでッ」

「ず、瑞鶴何やってんだよ! 重いから退()きなさいってッ」

「失礼ねッ」

「痛っ」

 瑞鶴に頭を小突かれた。全身を使って僕を押さえているのは瑞鶴のようだ。身体には瑞鶴の腕と足が絡み付いていて、その感触と匂いで頭がくらくらした。

 

 何なんだよ今日は。こんなことばかりじゃないか。

 

「──ベッドでこんな体勢って、ちょっとエッチだよね」

 何と答えて良いか判らずに黙っていると、瑞鶴は僕の顔を覗き込んで(ささや)いた。

「まさか、あんまり胸ないなとか思ってない?」

 至近距離で瑞鶴と見つめ合い沈黙していると、彼女は再び僕の頭を叩いた。

 今の僕にそんなことを思う余裕なんてない。冤罪である。

 僕は瑞鶴を振り(ほど)こうとして、唸りながら手足の筋肉に全力を注ぎ込んだ。

「ちょ、ちょっと動かないでッ。提督さん変なところ触ってるから!」

「そ、そっちこそ! 変なところ押し付けないでくれるかなッ」

 僕等が子供の喧嘩みたいにジタバタしていると、大淀と翔鶴が折り畳み式の簡易ベッドを搬入するのが見えた。僕は(おもむろ)に抵抗を止める。

「──な、何それ。そんなもの運んで何しようって言うのさ」

「提督さん、折角(せっかく)だから今日は一緒に寝よ?」

「えっ、嘘。こんな処に四人も入るの? 狭いよ」

「私は良いと思いますよ。記念ですから」

 

 一体何の記念だって言うんだ。

 

 時折耳を(かす)める瑞鶴の吐息だとか、逃げようとする僕を押さえ込む際の(かす)かに漏れる艶っぽい声だとか、煩悩を強烈に刺激する精神攻撃を回避する為に、僕はなるべく心を無にして状況を眺めていた。大淀と翔鶴は手際良くベッドを整えていく。やがて完成したそれは、僕と瑞鶴の寝ているベッドに隙間なく並べられた。

 出来ましたと嬉しそうに大淀が言うと、瑞鶴が僕の上から離れて、それを合図に二人がベッドに飛び込んで来る。

 

 ──近い。

 

 至近距離で見つめ合っていた僕等は、そのうち自然と笑い出した。

 窓の方から瑞鶴、僕、大淀、翔鶴の順で横になっている。

「──変な感じですね」

「そりゃそうでしょうよ」

 

 だって変だもの。実際に。

 

「あのさ、四人で寝るんだったらベッドもう一つ作って四つにしたら良いじゃない。何で三つなのさ」

「本当は二つで良かったんですけど、一応三つにしてみました」

「二つって──。どんだけくっ付いて寝るつもりだったの」

「これくらいっ」

 そう言って瑞鶴が寄り添って来た。

 上下の距離感と横方向の距離感ではまた異なった種類の破壊力がある。

 僕は顔を覆った。

「──こんなの絶対寝れない。自信ある」

「提督さんはお昼に散々寝たでしょ。今日はもう寝なくて良いんじゃない?」

「失神と睡眠は別物だって」

 意識がなくなれば良いというものではない。

「そんなことより僕は本当に疲れてるの。もうゆっくり休みたいよ──」

「何かありました?」

 平然と(しら)ばくれる大淀に僕は笑ってしまう。

「何かありましたじゃないって。色々あり過ぎて何があったかもよく憶えてないくらいでさ。はあ、何でこんなことになっちゃったんだろ──」

 

 

 ──提督拘束委員会。

 そんな巫山戯(ふざけ)た組織の設立の経緯を聞いたのである。

 昼の、執務室だった。

 それが手段なのか目的なのか怪しいところもあるのだけれど、とにかくそれは僕の自由を奪う為の組織だった。

 だから僕は逃げて──。

 

 ──逃げて?

 

 ──どうして。何故、僕は。

 ──逃げなければいけないのだろう。

 

 ふと脳裏を(よぎ)った疑問に恐怖を覚える。

 しかし。

 それと同時に、僕は不思議な安堵感に包まれていた。

 逃げなければいけない理由なんて。

 実は、何処にも──。

 

 

 ──しいじゃないですか。

 

 内なる世界の隙間から、翔鶴の声が聴こえた。

「えっ、何だって?」

「楽しいじゃないですか」

「楽しい?」

 ええ、と翔鶴は首肯(うなず)く。

「──こうして提督が居て、瑞鶴が居て、大淀さんが居て。何だか、旅行に来たみたいです。来週からは五月雨さんも秘書艦の任に()くのですよね。この四人で居ることも今後はそうないかもしれませんから──折角です、提督も楽しみましょう?」

「そりゃ君達は楽しいかもしれないけどね、僕は正直言って大変だよ。こうしてる今も僕は僕の中の狼を必死に()(なず)けなきゃいけないの。ちょっと皆は無防備が過ぎるよ。女の子なんだから気を付けないとさ。本当にいつ間違いが起きちゃってもおかしくないんだからね──」

「起こす度胸なんてあります?」

「──理性が強いと言っておくれ」

 

 大淀の鋭い言葉のナイフを華麗に(かわ)した。いや、判らない。普通に刺さっているのかもしれない。

 

「まあ、ある意味幸せな状況ってのは認めるけどさ」

「それだよそれ」

 そう言って瑞鶴は僕の手を握った。

 先程から瑞鶴の距離感が尋常ではなく近い。断わっておくが僕は翔鶴姉ではない。

「提督さん、大切なのは物事をどうやって捉えるかだよ。世界は簡単に変えられないけど、自分の考え方を変えるのは──それに比べたらとっても簡単でしょ?」

 

 

 ──パースペクティブ、ってやつ。

 

 

「エッチな提督さんは、今エッチなことを我慢するのが大変かもしれないけど、その──こ、こんなに可愛い女の子と密着出来るの嬉しいでしょ。提督さん、エッチなんだから」

「何回も言わなくていいって」

 瑞鶴は耳を赤くしてベッドに顔を埋めた。恥ずかしがるくらいなら自分で可愛いなんて言わなければ良いのだ。海の上ではあんなに器用なのに、一度上陸した途端にこの為体(ていたらく)である。まあ確かに、そこが彼女の良いところでもあるのだけれど。

 瑞鶴の赤くなった耳を眺めながら、長波も同じようなことを言っていたっけと数時間前の記憶を辿(たど)っているうちに──瑞鶴さんの言う通りですよという大淀の声が聴こえた。

「提督はある意味ではなく、実際に幸せな状況にあるんです。今現在、鎮守府に艦娘が何名所属しているかご存知ですか?」

「勿論知ってるよ。この前の長門でちょうど一三◯人」

「その通りです。それぞれ形は違うかもしれませんけど、その一三◯人が提督のことを大切に思っているんですよ。それは──確かです」

 僕は大淀を見た。

「僕だって皆のことを大切に思ってるよ」

「私達一人一人にとっては一三◯分の一ですもの」

「それは違うね。僕は皆の一三◯倍大切に思ってるから」

 

 愛情を数字で表現するような子供染みた応酬に僕等は笑ってしまう。

 数字や言葉に置き換えられないものが確かにある──。

 そんな当たり前のことを、僕は彼女達と出会うことで(ようや)く知った。

 

 大淀越しに、顔をひょこりと出して翔鶴が言う。

「でしたら──拘束くらい許して頂いても、良いのではないですか?」

「拘束、ねえ──」

 僕は(すで)に、僕の本音に気付いていた。

 この状況が嫌ではない。

 寧ろ望んでいた状況と言っても良い。

 結局、彼女達に甘えているのだ。

 

 

 逃げようとする僕を、離れようとする僕を──。

 彼女達が大きな力で引き戻してくれることによって。

 僕は、僕でいることの根拠を確保している。

 そこに、存在理由を求めている。

 そういうことなのだと思う。

 だから。

 僕は最初から──。

 

 

「大体さ」

 僕は片目を枕に隠して、もう片方で大淀を見ている。

「こんなことをしなくても、僕は皆に拘束されてるようなものなのに──」

 出会った時から、それは変わらない。仮令(たとえ)身体を解放されていたとしても、心は拘束されたままである。

 この先も、多分。

 ずっと。

 

 そう言って、再び枕に顔を全て隠した。

 照れたのだと思う。

 すると、左右の三人が近かった距離を更に縮めた気配がした。

 

 徐に持ち上げられた僕の両手は、腰の部分で重ねられた。

 やがて両親指が何かに圧迫される感覚がして──。

 そのうち。

 後ろに回された僕の両手は、動かすことが出来なくなっていた。

「あれ、何これ。動かない」

 首を捻り、何とか振り返る。

 肩越しに見えた親指は──結束バンドで縛られていた。

「え、ちょっと。な、何してるの──」

「提督がそんな嬉しいことを言うからいけないんですよ──」

「嘘でしょ」

 妖しく微笑する三人は静かに、しかし確かな意志を持って伸し掛かって来る。

 物理的な拘束への恐怖心は、おいそれと克服出来るものではないようだ。

「な、何でこんなことするのさッ。さっき楽しくしようって言ったじゃん!」

 

 それは──。

 

 

 ──提督を拘束する為の委員会ですから、と。

 

 

 大淀は、そう言った。

 

「今夜は長くなりそうですね」

「何言ってんの翔鶴。落ち着きなさいって」

「提督さん、天井の染みを数えてるうちに終わるよ──」

「僕は(うつぶ)せだよッ」

 左右と上方の三方向から秘書艦の三人が抱き付いて来た。

 身体中の感覚器官が、大淀と翔鶴と瑞鶴の過剰摂取(オーバードース)で麻痺し始めている。

 もう、なるようになれと思った。

 瑞鶴や長波の言うように。

 この世界は捉え方ひとつ、受け取り方ひとつで(すべ)てが変わる。

 

 僕は確かに拘束されていた。

 逃げ出すことも叶わないだろう。

 そもそも、今はもう──。

 

 そんな気は、更々(さらさら)ないけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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