Perspective   作:広田シヘイ

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最終話『パースペクティヴ』

 

 

 

 

 淡い暗闇の廊下に、僕の足音だけが()(だま)していた。

 スリッパが鳴らすその音は何処(どこ)か間の抜けたような調子で、重々しい静謐(せいひつ)に覆われた空間とのずれが滑稽さを一層際立たせている。そんな音を聴いていると自分自身が情けなくなって来るから、せめて歩調くらいは堂々たるものにしたいとも思うのだが、寝起きの僕にそんな元気がある(はず)もない。まあ、僕らしい音であることには違いないのだ。僕の間はいつだって抜けっ放しだから。

 

 ふあと大きく欠伸(あくび)をする。

 

 真夜中──であることは確かだと思うが、今は一体何時なのだろう。目が覚めて手洗い場に寄り、そのまま出て来てしまったから時間が判らない。二時前後のような気もするが、最近はすっかり夜も長くなったから、もっと深い時刻なのかもしれない。

 時計は何処にあったかな、と回転の鈍い脳味噌でぼんやり考えていると、そのうち階段に差し掛かった。階下の踊り場を(うつ)ろな眼で見つめた後、僕はほぼ無意識に──吸い寄せられるように──階段を下り始めた。

 足許に注意を払いつつ段差を下っていると、ふと僕の横を駆け足で通り過ぎて行く島風の姿が目に浮かんだ。追い抜いて行く瞬間の得意げな微笑まで明瞭(はっきり)と再生されている。

 走っちゃ駄目と何度注意しただろうか。

 そんな日常の一コマを思い出して、少しだけ寂しくなった。

 

 

 ──数時間後、僕等はハワイに向けて出港する。

 

 

 鎮守府での最後の夜だ。

 いや──最後ではない。作戦を完遂して全員無事に帰って来ると決めているのだから、断じて最後などではない。

 しかし。

 そんな簡単に事が進む訳がないと、心の何処かでそう思っている。深海棲艦の中枢に殴り込みに行くのだ。無傷でいられる訳がない。多かれ少なかれ被害は必ず出るだろう。

 その時──。

 

 僕は的確な判断を下せるのだろうか。

 艦娘の生命と作戦の成功を天秤に掛けられたとして。

 世界の平和と艦隊の「みんな」の──。

 そんな、不条理な二者択一を迫られたとして──。

 

 僕は頭を振ってその思考を中断させた。考えて意味がないことはないだろうが、寝起きの鈍重な思考回路で考えることではない。急な動作をした所為(せい)で頭部に血液が回らなくなったのか、僕は軽く蹌踉(よろ)めいた。

 壁に手を()いて状態の回復を待つ。そこは食堂の壁だった。気付かないうちに階段は下りきっていたようだ。

 食堂のドアの小窓から、薄ぼんやりと明かりが漏れている。

 僕は思わず嘆息した。

 締まりがないと言うか決まりが悪いと言うか──。就寝前に一通り巡回している筈なのに、照明の消し忘れを見逃すとは我ながら情けない。

 

 少々ふらつきの残る足取りで歩を進めドアを開けると、窓際のテーブルの上に淡く発光しているランタンが置かれているのが見えた。(かたわら)に座っている人影が、(かす)かに揺れる。

 消し忘れではなかったようだ。

 僕は何故だか妙に安堵して、その影に声を掛けた。

「何やってるの、長門(ながと)。もう夜中だよ」

 

 そこに居たのは、戦艦の長門だった。

 後ろ手でドアを閉め、食堂の中へと足を踏み入れる。

 

「──何だ、提督か。そっちこそまだ寝なくて良いのか」

「一回寝たんだけど目が覚めちゃってね。何か眠れない感じだったから散歩でもと思ってさ。今日で鎮守府も最後──」

 だから、最後ではない。

「──って言うのは大袈裟かもしれないけど、(しばら)くは帰って来れないでしょ。庁舎の中を沁々(しみじみ)とぶらついてみるのも悪くないかなってさ」

 

 長門は黒のタンクトップにジーンズという私服の出で立ちで、ちらと見た感じでは下着を付けている様子ではなかった。このような長門の無防備さは男の僕にとって付き合い易い一面であると同時に、ふとした瞬間に強烈な異性を感じさせる危うさも(はら)んでいた。

 僕は軽い動揺を隠しながら彼女の対面の椅子に腰掛ける。

 机上のランタンの隣には、灰皿が置かれていた。

 

「──ちょっと長門、一応ここ禁煙なんだけど」

「堅苦しいことを言うもんだな。提督だって同じ喫煙者だろう。さっき提督が言った通りここは暫く使わないんだ。何も問題はないさ」

「いや、まだ朝に使うから」

 数時間後だ。

 簡単なもので良いからと間宮さんには頼んである。

 長門は目を丸くして、そうか、と言った。

 

「もう、頼むよ。長門のこと慕ってる艦娘は多いんだからさ。そんな長門が率先して決まりを守らなかったら、艦隊全体に影響が出るんだからね」

「なる程な──よし、じゃあ提督も吸え」

 長門は煙草を差し出す。

「話聞いてた?」

「聞いてたさ。私だけが決まりを守らないから角が立つんだ。艦隊の指揮官が共犯なら誰も文句は言わないよ」

 ちょっと待ってろ、と言って長門は席を立った。

 

 取り残された僕の眼前には、橙色に照らされた煙草と燐寸(マッチ)が揺らめいている。その光景は僕を強かに誘惑していた。確かに今ここで僕が吸ってしまえば、この規則違反の責任は全て僕のものになるだろう。説教をされるのも爆撃を喰らうのも、クズだのバカだのクソ提督だのと(そし)られるのも(すべ)て僕一人だ。

 ──丸くは収まる。

 いや、それを丸く収まると言ってしまうのはどうかと思うのだが、良い意味でも悪い意味でもそういう立ち位置には慣れたし、僕という人間には多分そういう使い道しかない。

 長門の(ため)でもあるというか、長門の為でしかないし──。

 そんな穴だらけの自己正当化を完了させて僕は煙草に火を付けた。

 戻って来た長門はジュースの瓶とグラスを持っている。

 

「他人に注意した割には素直に吸ってるじゃないか」

「長門が吸えって言ったんじゃん。ってか何それ」

「蜜柑水だ。提督も飲め」

「また歯を磨くの面倒だな」

「私の蜜柑水が飲めないのか?」

「それはお酒を飲ませる時に言ってよ。ジュースで高圧的に来られてもさ」

 

 意外なことに長門は一切酒が飲めない。その風格と美貌から醸し出される雰囲気で無自覚に周囲を圧倒している彼女だが、鳳翔さんのお店や食堂で飲んでいるのは大抵ジュースである。どうやら甘い物が好きらしい。まあ、お酒が飲めないのは僕も一緒だし、そんな落差も含めて彼女の魅力なのだろうとも思う。

 長門は僕を責めるような視線で見つめている。僕が諦めて解ったよと言うと、彼女はグラスにジュースを注いでこちらに差し出した。

 ふうと紫煙を吐き出す。罪悪感を覆い隠すように酩酊感が押し寄せて来て、道徳とか倫理とか、そんな(たぐ)いの言葉は僕の辞書から煙と共に霧散した。

 長門は席に着いて頬杖を突く。

 

「長門も眠れないの?」

「いや、特に理由もないんだがな。まあ、私もこの場所が嫌いではなかったということさ。しかし短い間だったな」

 長門が着任したのは三ヶ月程前のことだ。

「寂しいんだ」

「そういうことにしてくれて構わないよ。可笑(おか)しいか?」

「全然」

 

 僕だって寂しい。

 長門は僕の反応を(うかが)った後で、目線を外した。

 

「荷物を纏めるのもあっという間に終わった。着替えくらいしかないからな。陸奥(むつ)は本だ雑誌だ化粧品だと引っ越しでもするのかと思うくらいの量だったよ。あれはあれでどうかと思うが、私ももう少し早く着任していれば荷物も多少は増えたのかな、なんてな。そんなことを考えてしまったよ」

「これから増え続けるから大丈夫だよ」

 そう言うと、彼女はふっと切なく笑った。

「提督は、もう荷物は纏めたのか?」

「うん、準備は出来てるよ。というか、正直僕は何もやってないんだけどね。全部大淀と五航戦の二人がやってくれた」

「全く。絵に描いたような駄目男だな」

「僕はいいって言ってるのに勝手にやっちゃうんだもの。仕方ないじゃない」

 どっちもどっちだと、長門は呆れたような声で言った。

「大淀や翔鶴なんかは私が居ないと提督は駄目なんだ、と本気で思っていそうだな。お前達が居るから提督は駄目なままなんだ、というのが真相なんだが──本人達には判らないものか」

 僕はただただ苦笑している。

「──そう言えば、今日の護衛艦は誰だ?」

(いなづま)

「連れてなくて良いのか。また大淀が煩瑣(うるさ)いぞ」

「いいのいいの。気持ち良さそうに寝てたからさ。わざわざ起こすのもおかしいでしょ」

 

 護衛艦待機室のベッドで眠る電の寝顔はとても穏やかだった。あんな幼気(いたいけ)な少女の安眠を妨害出来る程、僕は鬼畜ではない。

 そんな他愛もない話をしていると、長門の視線が窓外の何処か遠くを漂っていることに気が付いた。その視線の先を追っても、敷地内に設置された数本の照明と窓に反射する僕等が見えるだけだ。

「あのさ、長門」

「何だ?」

「何考えてるの?」

 彼女の瞳が僅かに揺れた。

 

「──心ここに在らずって感じ」

 周囲を静寂が覆った。煙草で灰皿を叩く音がその静寂の時間をより強調している。数秒か数十秒して(ようや)く、長門は大きく息を吐き──口を開いた。

 

「──提督、正義とは一体何なんだろうな」

 

 

 正義──と僕は一人呟くように反復した。

 長門はそんな僕を一瞥(いちべつ)して、再び窓の外へと視軸を移動させる。

「どしたの、急に」

「これから我々がやろうとしていることは多分圧倒的に正義だよ。世界から深海棲艦の脅威を取り除こうとしているんだ。疑いようもないさ」

 

 そうだろ、と僕に問う。

 

「まあ、中にはこのまま混乱が続いて情勢がより不安定になれば良いと考えている者も居るだろうが──それは少数だし、そういった人間から見ても我々が正義だということに異論がある者は、やはり少ないよ」

「そうだろうね。そういう人達は自分が周りと違う考えを持ってるって自覚はあるだろうし、長門の言ってることは間違ってないと思うよ。別に問題はないじゃない」

「──私は正義って言葉が嫌いなんだ」

 嘘臭いからな、と彼女は笑う。

「その嘘臭い言葉にぴたりと(はま)ってしまっているこの現状が、自分自身が──(たま)らなく(いや)なのさ。私は私の信念に基づいて行動している筈なのに、その外側は全部嘘で塗り固められているような気がしてな。私自身を疑いたくなって来るんだよ」

「言いたいことは解るんだけど──考え過ぎじゃない?」

 僕は()えて軽薄に、そう答えた。

「提督は正義って言葉が好きか?」

「まあ、好き嫌いっていうか──苦手かな」

 その言葉自体に後ろ暗いところがない。言葉と人は違うのだけれど、(やま)しいところがない人──もしくは疾しいところがないように見える人、というのは苦手だ。

 

 それこそ、嘘臭い。

 

「私も同じだよ。大体、正義って言葉は解り難いんだ。よく正義と悪なんて言うが、何でこの二つが対語のように扱われてるんだ? 正義の反対は不義だし、悪の反対は善だよ。無茶苦茶だと思わないか」

「確かに言われてみればそうかも──」

「多分、聞こえの良い言葉だからと無限定に使用されて来た結果、本来の意味を失くしたんだよ。今となっては中身のない空疎な語に成り果ててしまった」

 長門は幾分寂しそうに言った。

 今の時代、正義という言葉を額面通り受け取る人は多分少ない。その言葉の下に行われて来た凄惨で酸鼻を極める愚かな行為を、僕等は余りにも目にし過ぎてしまった。それは今に限った話ではなく、昔からそうだったのかもしれないけれど。

 でも。

「何で──そんなことを考えるの?」

 これから、その嘘臭い正義とやらを執行しなければいけないのに。

 いや──。

 

 これから──しなければいけないからか。

 

 長門は煙草を咥えて火を付けた。

 煙を吐いて、一呼吸置いて話し始める。

「漫画映画を観た」

「漫画映画?」

「今は──何と言うのかな。テレビ漫画か」

「ああ、アニメのことね。あれ、長門の部屋にテレビあったっけ?」

「いや、陸奥に借りたすまあとふぉん、とかいう奴で観た」

 

 何だか事態がややこしい。

 少なくとも、それをテレビ漫画と言うのは無理がある。

 

「アニメでいいよ。そういうのは全部アニメでいい」

「そうか、アニメ──と言うんだな。まあ、とにかくそのアニメとやらを観たのさ。多分、子供向けに作られた物だとは思うのだが、そこに出て来たのが正義と悪──だったんだよ」

「なる程ね。それで、か」

 そういった物にはよくある設定だ。

「毎回悪者がその世界の住人に嫌がらせをするんだ。それを正義が退治するという、まあそういう作りの話でな。そんなに何本も観た訳ではないから断言は出来ないが、数本観ているうちに何となく構造が解って来たんだよ。そのアニメとかいう奴で、正義と悪は──」

 

 共生関係にあった──と彼女は言った。

 

「──共生関係って何?」

「両者共に必要としているということさ。正義も悪も、互いにな。その証拠に、正義のヒーローは悪者を倒したって絶対に(とど)めを刺さないんだよ。毎回必殺技の名前を叫びながら殴って遠くに飛ばすだけだ。そりゃ繰り返すだろう」

「いや、そうかもしれないけど、それ子供向けのアニメでしょ? 当然止めは刺せないよ」

 

 子供の教育に悪い──などと何処かの口煩瑣い保護者団体のようなことは言いたくないのだが、正義のヒーローが毎週悪者に止めを刺していく様は、子供の心的外傷(トラウマ)の形成に多大な貢献を(もたら)すに違いない。

 

「確かに提督の言うことも解るよ。子供向けなのだから、どんなに厭な奴でも仲間外れにしないように、という教育的メッセージが込められているのかもしれん。だがな、どんな意図があったにせよ結果としてその作品世界はそういう構造になっていたし、肝心なのは観た私がそう感じたということさ。その作品を観たことによって観客に何が伝わったのかということを作り手はコントロール出来ないし、そもそも作り手の意図が全て観客に伝わるなんてことは絶対にないんだからな」

 

 今も昔もそれは変わらんのだろうと言って、長門は煙草の灰を皿に落とした。

 

「悪者は作品世界の住人に嫌がらせをすることによって、その社会と関わっているんだ。しかし、そのままではいずれ関係が破綻するから、途中でそれを止める役割が必要なのさ。それが正義だよ。正義は悪を社会に留める為に必要だし、一方で正義が保有する過剰な武力は、正にその悪が保証して正当化している」

「──そこまで真剣に観るものなのかなあ」

 僕は再び軽薄な雰囲気を心掛けて、煙草を消しながら言った。

 しかし、場の空気が軽くなることはなかった。

「似ている──と思ったんだ」

「何に?」

 窓の外を眺めていた長門が、(おもむろ)に僕を見据える。

 

「深海棲艦と我々の関係に──だよ」

 

 辺りがしんと静まり返って、ちりちりと煙草の巻紙の燃える音が聴こえたような気がした。

「深海棲艦と──艦娘の関係──?」

 長門は首肯(うなず)いた。

「な、何をバカな──」

巫山戯(ふざけ)ている訳ではないよ」

 何故かは解らないが、頭に血が上るのを感じた。

「じゃ、じゃあ皆はそのアニメみたいに深海棲艦と茶番を演じてるって言うのかい? それは全く違うだろ。実際に生命を危険に(さら)して戦ってるじゃないかっ」

勿論(もちろん)、実際の戦闘は茶番などではないよ。正真正銘生命を懸けて戦っているさ。しかしな、それは我々の視点で見るからそう見えるのであって、別の第三者──まあ観客のようなものだが──その視点から見ると、我々とは違う()が浮かんで来たとしても不思議ではないんだよ」

「──観客って誰のことを言ってるんだよ」

「人間さ」

 長門は当然のことのように言った。

「我々は明らかに警戒されているよ、人間にな。何だかよく解らない不気味な力を持っている者、という点で艦娘と深海棲艦に何ら違いはないからだ。提督もそれは解っている筈だ。提督だって──」

 脅迫を受けたのだろう、と彼女は問うた。

 

 

 梅雨時の蒸し暑い空気と──神経質そうな男の横顔。

 国防省、情報部。

 単刀直入に、尋くが──。

 貴様を、殺すと、彼女達は──。

 ──どう、する?

 

 

 まるで壊れたデータのような、断片的で不鮮明な映像が頭を(よぎ)る。僕は一瞬呼吸が苦しくなって、内側から込み上げる悪寒に身体を震わせた。

 その様子を見ていた長門は、煙を吐いて静かに続ける。

「──そんな我々の存在を正当化しているのは紛れもなく深海棲艦なんだよ。深海棲艦という悪が居るから、それを退治する艦娘は人間の社会とぎりぎり繋がっていられるのさ。そのまま、そのアニメと一緒じゃないか」

 確かに、国防省が僕と艦娘を危険視していることは事実だ。僕達は形式上国防軍の組織の中に組み込まれているものの、海軍参謀本部から僕達へと、その命令系統が機能しているとは言い難い。彼等は艦娘というものが何なのかを遂に理解出来なかっただろうし、そもそも指揮官がこの間まで一介の大学生(しかも留年に留年を重ねた劣等生)に過ぎなかった僕である。階級も何もあったものではない。

 それでも尚、指揮権の剥奪や武装解除等の措置が()られないのは、深海棲艦の脅威が依然としてこの国を──いや、世界を──脅かしているからに(ほか)ならない。

 長門の言うことは正しいのだろう。

 

 しかし。

 

「──深海棲艦と皆は違うでしょ」

 傍からはそう見えたとしても、艦娘と深海棲艦は協力し合って生きている訳ではない。

「ねえ、長門」

 反応を示さない彼女に再度問う。

 長門は煙草を消して、椅子の()(もた)れに身体を預けた。

「──同じだ」

「は?」

「だから、深海棲艦と我々は──」

 同じなんだ、と彼女は言った。

 

 その言葉に、僕の思考は停止した。

 灰皿から立ち上る煙の筋に幻惑されたのか、一瞬、目の前に居る人物が誰なのかさえ判らなくなった。無意識に瞬きを繰り返す。悲しげな表情でこちらを見ている女性と、不気味に(わら)う戦艦ル級の姿が、交互に入れ替わった。

 

 ──酷く不快だ。

 

 僕はその幻覚を断ち切るように頭を振った。

 目の前に居るのは長門だ。長門に決まっている。

 俯いて、視界を手で覆う。

「──どう、いうこと?」

「薄々勘付いていたことだがな、実際に奴等と相見えて確信に変わったよ。どちらも、過去の憎悪や未練、悲憤や悔恨の念に囚われた執着の産物なんだ。元は一緒だよ」

「う、嘘だ。まさか、皆と深海棲艦が同じだなんて有り得ないよ」

「有り得ないことはないさ。深海棲艦は異様なまでに人間を憎んでいる。言い換えれば、それは人間に異様なまでに執着していると言うことも出来るだろう? 我々艦娘も同様さ。提督なら、私の言っていることは理解出来ると思うが──」

「理解なんて出来る訳がないじゃないか」

 

 僕は意固地な態度でそう吐き捨てた。

 長門は自嘲するように口許を歪める。

 

「──大淀や五航戦、その他大勢の艦娘の執着を体験していて解らない訳がないよ。提督に向いている我々の愛情が、深海棲艦はそのまま人類全体への憎悪として表出しているんだ。愛も憎しみも根っ子は同じさ。我々の核にあるのは──」

 

 執着なんだよ、と長門は呟いた。

 

 確かに彼女達の執着──というか束縛は常軌を逸している。最近は幾分緩くなって来たものの、護衛艦と称して二十四時間僕の傍に張り付く任務は未だに続いているし、それに伴って新設された僕の私室は中から鍵を開ける方法がないという監禁にお(あつら)え向きの部屋である。

 相手が可愛らしい女の子とは言え限度というものは当然あって、部屋のドアが開くことに感謝する毎日は、僕の精神を確実に摩耗させている。

 それでも。

 

「艦娘と深海棲艦が同じだなんて、どうしたって信じられないよ。僕よりも僕のことを考えてくれるような──あんなに愛らしい皆と深海棲艦が一緒だって? 長門だってそうだよ。着任したのは最近だったかもしれないけど、平和な海を取り戻す為に人一倍責任感を持って任務に当たって来たじゃないか。何処から見たって、長門とイ級やロ級は似ても似つかないじゃないか」

「そう言ってくれるのは有難いがな、私だってああいう醜い部分は抱えているし、こういう言い方は(ずる)いのかもしれないが──そういったことは当人同士には判ることなんだよ。本来であれば我々も深海棲艦も、この世界に存在してはいけないものなんだ。どちらも過去のものだからな。正義だ悪だなんて、笑ってしまうよ」

 

 幻滅したか、と長門は問う。

 する訳がないよ、と僕は即答した。

 

 何故長門がこんな話を始めたのか、僕はその真意を量り兼ねている。大きな作戦を前にして神経質になっている面もあるのかもしれないが、溜まりに溜まった不安を吐露して平静を取り戻そうとしているような──ただそれだけの感情で話している訳でもなさそうだった。

 

 僕は深海棲艦を実際にこの目で見たことはない。

 写真で見たことがあるだけだ。

 その写真も白黒で不鮮明で、妙に生々しい印象を(たた)えている割に受け取れる情報量は少ない。白黒でも判る程に病的に白い肌。その目から流れる炎のような、それでいて涙のような淡い光線。

 思い返してみても、鎮守府の誰とも似ていない。

 しかし──。

 そう言われてみれば──。

 

 その姿は──鎮守府の誰とも似ている、と言えることもまた確かだった。

 

 

 艦の生まれ変わり。

 艤装を装備して、海を疾走する少女──。

 

 

 僕はそこに至って、意識的に思考を中断した。

 意味がない。

 仮令その先に真実があろうと、これから為すべきことは変わらないし、真実など視点を変えればその数だけ生まれるものなのだ。大切なのは自分がどの位置から事物を見ているのか自覚することだし、他人は決して自分と同じ位置から物事を観察出来ないと理解することだ。

 そういう見方もあるのだろう。

 

──というか。

 

 艦娘である長門がそう言うのなら、それが正しいのだろうさ。

 でも。

 

「長門、やっぱり──僕は違うと思う」

 彼女の目を見て僕は言った。

「皆が執念深いってことは身に()みて解ってるよ。でもね、やっぱり皆と深海棲艦は違う。どんなことがあったって、憎しみに支配されて無関係の人達を傷付けて良いなんて道理はないよ。皆は──迷うだろ。大切なこともくだらないことも、自分のことも他人のことも、皆は迷うじゃないか。迷って落ち込んで無理に笑ったりして──泣くじゃないか」

 自然と彼女達の様々な表情が思い出される。

「根っ子が一緒だろうと、その先に咲いた花は全然違うよ。僕は──全部見て来たからさ」

 

 少しの間を置いて長門は、そうか、と呟いた。

 

「ずっと──背徳(うしろめた)い気持ちがあったんだ。我々の戦いに人間を──提督を巻き込んでしまっている訳だからな。出港の直前にこんなことを言うのは卑怯なのかもしれないが、こうして提督と話せる機会があって良かったよ。私だけではなく、多分艦隊の皆も同じ気持ちだと思う。程度の差こそあれ、何となく気付いている筈なんだ。言い訳がましいことを言うようだが、騙していた訳じゃない」

「勿論解ってるよ。でも、長門は一つ思い違いをしてる」

 思い違い、と彼女は僕の言葉をなぞるように繰り返す。

「これは僕の戦いでもあるんだよ。皆が戦うなら僕も戦うに決まってるじゃないか。いい加減お客さん扱いは止めてくれよ。僕は提督で、皆は──僕の艦なんだから」

「──そうだな」

 

 全くその通りだ、と言って長門はその表情を緩めたような気がした。彼女はやおら身を乗り出して、咳払いを一つする。

 

「提督、我々と深海棲艦では決定的に違うところがあると──今、気付いたよ」

 長門は僕の手を取った。

「それは、提督──我々には貴方が居るということさ」

「僕が?」

 彼女は首肯(うなず)いた。

「提督が居なければ我々だって彼奴(あいつ)らと同じようになっていたかもしれん。だから提督、どうか、これからもずっと──」

 

 ──我々と共に。

 

 長門の手を覆うように僕も手を重ねた。

 彼女の手は冷たい。しかし、僕の手も同じくらい冷たかった。これでは彼女を温めてあげることは出来ないが、それでも一人で居るよりは良いのだろうと──そう思うより(ほか)にない。

 何時なのかも判らない夜の中で、ランタンの明かりは橙色に揺らめいている。

 ふと横を見ると。

 硝子の画布(カンヴァス)に、(もろ)い二人が反射していた。

 

 

            ※

 

 

 艦娘母艦『あきつしま』の艦橋は奇妙な静寂に包まれていた。

 艦橋要員の妖精達が慌ただしく動き回っているものの、妖精達の動作は空気や物体を振動させることはない。聴こえるのは機関の音と機器類の作動音だけだ。均一に流れるそれらのノイズの中には周波数帯域の高い音も混じっていて、それを耳鳴りと錯覚した僕は軽い眩暈(めまい)に襲われる。窓の向こうの鈍色(にびいろ)の空がぐらりと揺らいだ。

 

 一度目を押さえてから前を向き直し、艦長の(あき)()(しま)へと視軸を移動させる。

 

 腕を組んで一点を見つめるその横顔は、今まで見たこともない程に凛々(りり)しく気高い雰囲気を纏っていたのだが、同時に近寄り難く、声を掛けることも不可能な程に張り詰めていた。

 艦橋に居るのは艦長の秋津洲、船務長兼副長の大淀、運用長の明石の三人と、艦隊司令である僕、秘書艦の翔鶴、瑞鶴、五月雨の計七人だ。

 誰一人として身じろぎもしない。

 時計に目を落とすと、そろそろ一一(ヒトヒト)○○(マルマル)だった。

 妖精の一人が大淀の肩によじ上って耳打ちをする。

 それを聞いた大淀は秋津洲に歩み寄った。

 

「艦長、護衛艦隊展開完了しました」

「了解かも」

 秋津洲が振り向いて僕と目を合わせる。

 僕は視線を固定したままゆっくりと(うなず)いた。

「出港よーい!」

 号令と共に出港ラッパが鳴り響く。

「両舷前進微速。針路百七十度」

 

 艦が動き出す。

 艦の揺れと心の揺らぎが同期して、僕は再び眩暈を起こした。

 二度と戻れない可能性があることを重々承知しつつも、何故かそのことに何の感慨も抱くことが出来なかった。海の上で、僕はただただ現実感(リアリティ)を失っていた。

 覚束ない足取りで艦橋の外に出る。見送る人など居やしないと思っていたし期待もしていなかったのだが、何気なく(おか)を見た。

 岸壁の向こう、黄色に色付く銀杏の下に一人の男の姿が見える。

 それは、僕が提督になる契機(きっかけ)を作ったとも言える国防省情報部の──あの男だった。

 

 年齢は知らない。階級は知らない。名前も知らない。

 

 ──ああ。

 

 名前を尋くことすら忘れていたな、と今更思う。

 

 

 陸が離れて行く。

 陸と共に、現実(リアル)が離れて行く。

 

 十一月の下旬──風は、冬の匂いがした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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