決着の決塔   作:ディティールノベル

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デッドエンド(後半)

「本気出すなよ」

「ええ、軽くですね、軽く」

「演舞みてぇな感じで」

「了解です」

 

 どうやらジャルドは桃音と違い、軽くとか手合わせとかを理解できる人外のようだ。本気を出す気はないと明言した。桃音は不意打ちで殺す気で来たのと比べると常識がある。

 ありがたいことだ。鏡夜は真上から降ってきた魔王の踵落としを軽く腕で弾いて流した。

 

「メガ盛りの呪詛だ。本気出されると俺が死ぬ」

 

 ……うん、鏡夜に本気を出させない意図の方が本意であるらしい。いいけどね? 化け物扱いされて傷つくとかないけどね? 

 ……嘘だ。少しばかり傷ついた。弱くて繊細な鏡夜である。

 鏡夜とジャルドは演舞をしながら会話する。

 蹴りを合わせ、腕を合わせ──。

 

「てめぇはもう、呪えねぇんだな」

 

 ジャルドはポツリと言った。

 

「俺は肌全てを置換し、神へもっとも近き性能でもって呪詛としている。呪術と肌のトレードオフだ。本来“俺たち”にとって呪詛は極めて繊細な代物だ。双方の同意が必要だ。だが、俺は同意も時間もすっ飛ばせて、極めて短期間だが、呪詛の付与ができる。なのにてめぇは、どうだ? 不調を感じるか」

「……呪ったんですか?」

「呪えなかったんだよ」

 

 ジャルドはステップで身体を回転させると、回し蹴りから腕を叩きつけてくる。カーテンコールにはまったく及ばないとはいえ、巨体から繰り出される威力は洒落にならない。わざわざ状態異常を置こす手袋と《鏡現》を封印し、さらに動きもゆっくりにしていると対応が少し怖い。ミスったらバキボキに身体が砕けそうだ。

 

「呪詛と祝福には、ある仮説がある」

 

 鏡夜はゆっくりとジャルドの蹴りを避ける。ジャルドは言う。

 

「まず前提として、限界がある。呪詛を積んで積んで積んでいけばどこまでも強くなれるが──もうこれ以上は無理って値がある、祝福も同じように存在する。俺がお前を呪えないのは、どうも、〈限界〉だからとしか考えらねぇ」

 

 鏡夜の極限まで手加減したパンチを魔王は避ける。

 

「お前は神代ですら技術的“課題”だった限界値の呪いに纏わりつかれているわけだ。そして──本題の仮設だが──つまりだな」

 

 鏡夜は覆いかぶさろうとするジャルドをバックステップでいなした。

 

「理論値にしか存在しない最高値に発生する呪いの極北、祝福の頂。どの呪詛も祝福も齎せぬはずの、しかし齎された神を超えた力。簡潔に言えば、理論値限界まで呪われると、〈異能〉が増えるって仮説だ」

(鏡だ)

 

 鏡を作り出し──そして、本物の鏡に手を沈められる、力。鏡夜は直感する。間違いない。

 

「ああ、だいたいわかってる。俺も見た。知ってるだろ」

「ええ」

 

 不運な偶然で、鏡──というか風呂場の水面から、鏡夜は飛び出した。魔王の前でだ。だから、ジャルドにはすでに推察ができていたのだろう。

 

「良し──―。もういい」

 

 魔王は構えを解いた。鏡夜も合わせるように戦闘態勢をやめる。

 

「理論値の先を見れるだけで呪術師としては十分だ。近寄れ、鑑定する」

「ありがとうございます」

 

 鏡夜は微笑んでジャルドへ呪詛の鑑定を願った。

 

 

 手袋=【状態異常付与/不健康】

『健康をトレードする形で状態異常付与能力を得ている。極めて病弱かつ貧弱かつ息苦しい苦痛の身体を持つだろう』

 

 ズボン=【徒手空拳/無筋肉】

『徒手空拳戦闘スキルを得る代わりに筋肉を差し出している。箸より重たいものが持てない力で技術のみ優れて何になる?』

 

 帽子=【弱点看破/言語忘却】

『弱点を透視する能力を得る代わりに言語を失くしている。弱点を見通せるがそれを誰かに伝えることはできない』

 

 シルバーチェーン=【状態異常無効/装備不能】

『状態異常を全て無効化する代わりにあらゆる装備を身に着けることはできない。毒すら効かぬ肉体に鎧などいらないだろう?』

 

 シャツ=【全言語習得/治癒不能】

『あらゆる言語を操れる代わりに治癒能力を失くす。万の言葉を操れるが、一つの傷すら治せない』

 

 ベスト=【超身体能力/戦闘技能喪失】

『超人的身体能力を得るが、戦闘技能をなくしている。フィジカル、それが一つの答えであり、小技など女子供のものである』

 

 靴=【ダメージ自動回復/アイテム使用不能】

『ダメージを自動回復する代わりにアイテム使用能力をなくしている。治るだろう。薬などいらん、つばでもつけておけと悪鬼は言う』

 

 ポーラータイ=【環境適応能力/不運】

『環境適応能力の代わりに幸運を差し出している。溶岩に沈み、宇宙に放り出たところで苦しまない。だが、不運が襲えばその限りではない』

 

 ベルト=【悪食/繊細】

『どんなものをも食べられるが、代わりにとても繊細になっており、環境の変化で死にやすい。強靭な胃袋、貧弱な身体、ノミの心臓』

 

 パンツ=【幸運/※他装備の呪詛量に比例する】

『幸運に恵まれやすい代わりに他に背負ってる呪詛の量を要求する魔人専用装備。パンツ一丁ラッキーか? なら服を着ればもっとラッキーだな』

 

 

 ……以上が、鏡夜の被っている呪詛の全容である。

 

(ひっどい、ひっどいひどすぎる!!!!)

 

 納得できるものがある。納得できないものがある。だが、どちらにしても理不尽だ。ポーラータイ一つとっても、生物の基本である酸素と二酸化炭素、呼吸の関係すら捻じ曲げて、環境に適応し、生存を可能にする、まさしく神の所業だ。

 生命の操作は神の領域だと誰かが言った。では、神が生命の操作を行えば、それは倫理に反しないのか。鏡夜は荒狂う嵐のような内心を抑えながら微笑む。

 

「ありがとうございます、ジャルドさん」

「いいさいいさ、楽しめた──。くく、重いなァ! 想像以上だ!」

「ははは」

 

 本当に笑いごとではない。自分の身体の中で呪詛のシナジーが勝手に組まれているのだ。どういう気持ちになればいいのかすらわからない。しかも、どうやらジャルドを信じるなら、神代ですらありえなかった出来事らしい。

 

「ちなみになんですけど一つだけ外すとかしたら」

「やべぇな。例えばお前のつけてる宝石ついたネクタイを外したら……環境適応能力が外れて、ある程度の温度差で死にかけるほど貧弱になる」

「つまり、一気に、全部、同時に、外すしか、ない、と」

「お、おう、そうだな?」

「本当に〈決着〉しかない、と!」

 

 しかも〈決着〉で駄目ならどうしよう、だ。苦悩付きだ。〈決着〉で無理なら、もう当然の帰結として、灰原鏡夜は一生呪われたままだろう。

 だいたいそうだと思ったからこそ鏡夜は決着の塔にいるわけで、まさしく幸運なのだが──。

 幸運も呪いか。いつだったか、幸運にこそ呪われていると言われた。なるほど。まさしくその通りだ。

 幸運と不運の食い合わせなど成立するのか。できてない気がする。ジェットコースターみたいな出来事の乱高下だ。

 鏡夜はしばらく空笑いをした後に、ふーと溜め息を吐いてジャルドへ言った。

 

「鑑定ありがとうございます……助かりました」

「はん、別にいいさ、タダだったわけじゃない」

 

 ジャルドは渦巻く闇の瞳を細めて笑う。

 

「最後に一つ──」

「ところで一個──」

「はい?」

「ああ?」

 

 鏡夜とジャルドは同時に喋り出して、互いに顔を見合わせた。

 

「貴方からどうぞ」

「おう」

 

 鏡夜が促して、ジャルドから先に口を開く。

 

「ところで一個聞きたいんだがよ、お前さ、聖女に会ったか?」

「会いましたよ」

 

 ジャルドよりも先に鏡夜を配下にしようとしたミリア・メビウスを思い出しつつ鏡夜は応えた。

 

「なら話が早い。あいつはな、偽物の聖女なんだよ」

「…………はぁ?」

 

 鏡夜は何言ってんだこいつ、と鏡夜は思った。

 

「影武者ってやつですか」

「ちっげぇよ。シンプルに、あいつが、聖女を、のっとったんだ。そして本物の聖女は──コイツだ」

 

 ジャルドは背後から近寄ってきていたアリアの肩を掴んで鏡夜の前に出す。アリアはとろけるよう笑顔をしていた。

 

「呪術師、聖職者ってのは呪詛と祝福の量が、曖昧にだが読み取れる。お前も経験あるよな?」

「ありますね」

 

 有口聖に説明を受けたことさえある。

 

「アリアの方が祝福量高いのに、なぜかミリア・メビウスが聖女になったんだよ。意味が解らねぇ話だ」

「なぜです?」

「望郷教会の聖女システムはもっと合理的なんだよ。祝福の制約ってのは“闘志”とか“慈悲”とか“勇気”とか“愛”とか。一般的な美徳とほぼ同一だ。だから、祝福の量が多いってのは、美徳を失くさず保ち続けてる明確な指標だ。故にこそ、〈聖人〉の頂点……〈聖女〉を確定的に頂点に置き続けてる望郷教会は隆盛を保ってる」

 

 聖女とはすなわち圧倒的善性の制約をまっとうする随一の聖人にほかならない。どれだけ克己し、どれだけ自縛し、どれだけ自身に制約を課せば、聖の字を持てるのか。

 

「聖女システムが誤魔化された──怪しいよなぁ?」

「はぁ」

「故にこそ、〈Q‐z〉って奴に、あいつが噛んでいると俺は見てる。アルガグラムと組むなんていかにもあいつがやりそうなことだ。……どう思う? ん?」

 

 ジャルドは、まるで驚きの事実を話してやったと言わんばかりの態度で鏡夜へニマニマおとした笑顔を向けている。

 どう思うか、か──―。

 

「私の推測ですが、たぶん違いますねぇ」

「ああ?」

 

 ジャルドは奇妙そうに首を傾げた。

 

「私、〈Q‐z〉の首領と通信機越しに会話する機会があったのですが、違いますね。キー・エクスクルとミリア・メビウスは別人です」

 

 キー・エクスクルはもっと……極端に話が通じない感じだったし、何よりも、鏡で知ってしまったミリア・メビウスの〈本性〉とまったく違う。

 

 

「ミリアさんが偽物の聖女で、そちらのアリアさんが本物の聖女──でしたか? 信じませんよ、そんなの──あと」

 

 鏡夜は続けて言う。

 

「本物を決めるのは私ではない。貴方でもない。彼女でもない。誰かが決める事柄で──そしてどこかの誰かも、その決定も、私には心底どうでもいい」

 

 鏡夜は酷薄に言った。

 

「私にとってはミリアさんの方が〈聖女〉に見えますしね」

 

 さらに、残酷に、誠実に付け足す。

 

(正確にはアイドルだが)

 

 似たようなものだろう。アリアはひどく悲しそうな顔をして、ジャルドは額に人差し指を立てて眉を顰めた。

 

「はっきり言いすぎだろ。喧嘩売ってんのか」

「私は誰にも喧嘩なんて売ってませんよ。貴方は、恩人ですし」

「──はん、いいさ。義憤で怒る魔王なんざいるかよ。アリアを実際に聖女にしてから、テメェに改めさせてやる。んで、テメェ、何か言いかけてたな?」

 

 鏡夜は意地を張って笑顔で頷いた。

 

「ああ、そうでしたそうでした。最後に一つだけ。貴方自身は〈決着〉についてどう思います?」

「負債だ」

 

 ジャルドは断言した。

 

「無責任な、負債だ」

「負債、ですか」

「千年先を予測できる奴なんていねぇよ。決着の塔なんてな、馬鹿が考えたシステムだ。〈塔〉である意味や必然性なんか欠片もねぇ。ただ停戦を行った会場が、塔にあったらからそうしただけだ。千年って期間も、時間があれば、”奇跡”が起こるかもしれない。──そんな程度の先延ばしだろうよ。今解決できないからって、先送りにするなんて。未来に汚物を押し付けるなんて大人のすることじゃないね。例え国を一つや百つ滅ぼしたとしても、当時で解決すべきだった」

「や、貴方の国が亡んだらどうするんですか」

「それでもだ。他の国の……契歴以後の子供にそんなものは関係ない。くそったれだ。今までの千年はな、平和じゃなかった。ただ戦争をかたっぱしからぶっ殺してただけだ」

 

 ジャルドはごく当たり前のように言った。悪ぶっているくせに、良識があるじゃないかと鏡夜は思った。いつのもように、二つ目の問いを発する。

 

「なら、あなたが〈決着〉を手に入れたら、どうするんです」

「人外の勝利を。人類よりも人外が上位の世界を」

「──貴方は」

「ああ、何を言われようと俺は聞くつもりがねぇよ。お前が〈決着〉を手に入れる動機のように。お前がアリアに言ったように」

 

 ジャルドは静かに告げる。

 

「……もし、決着の時代が良き事であるというのなら。……これから全てのことが、後回しにして未来に託すのが良き事になる。無責任な後回しが雪だるまみてぇに肥大して、いつかは未来を潰すだろう。だから、もう文句もつけようもない、人外と人類の決着をつける気しか、俺にはねぇんだよ」

 

 千年を越えて生きている人類人外はいない。いるとするなら神であり、天使と悪魔であり、そして人形だけである。もう人類も人外も決着を自らのものと捉えていない。千年を弄ぶだけの、世界の歪みをジャルドは嘲笑っている。柊王が危惧しているように。

 

 魔王の願いが叶ったのなら、人外と人類が確定するのだろう。突然お前は人と言われ、突然お前は人外と言われる。

 ……突然宣告された種族間で──争いこそ起こらず、悲劇も起こらない。

 だが、魔王が〈決着〉をつけた世界は未来永劫”差別”が続く、笑えて酷薄な、馬鹿げた現実になるだろう。

 

 極論だ。しかし、必要な言葉であり、思想でもある。為政者として冷静に分析をしていた契国王とは違うが、しかし、同程度には道理が通った言葉でもある。他人事で──世界からして違う鏡夜には、わからない話だ。

 華澄は勇者と魔王をジョークがわかる人物だと言った。しかし、現状の歪みは、吐き気を催すほどに面倒で異常だ。契国王は、私でもそうする妥当な処置だと言った。勇者は最初から関わり合いを放棄して、聖女は己が統べると独り宣告し、魔王は無責任だと断じて極端な願いを奉じる。

 ああ──自分の事だけで手一杯な奴に、他の連中の有り様などわかるわけがないだろうが。

 

 

 

 ……本当に? 

 

 

 

 ならなんで、質問をしたんだ。契国王に、良い質問だと評されたから惰性でまったく同じ質問をしただけだ。

 

 本当に? 

 

 やかましい。何度も本当に? と問われようと──―。

 

「我が君?」

 

 後ろからかぐやから声をかけられて、鏡夜は顔を上げた。虚勢で取り繕う鏡夜にあるまじきほどに外面が崩れたのかと一瞬冷や汗が出るが──大丈夫だ。少しだけ黙考しただけだ。鏡夜は微笑の仮面をつけて、礼を告げた。

 

「ありがとうございます。聞けて嬉しかったですよ」

「ふん、いっちまえ」

 

 ジャルドの言葉に従って鏡夜は桃音とかぐやを連れて訓練場から離れた。

 ……そろそろ家に帰ろう。

 

 

 

「で、我が君、どうしてお風呂場に来たの?」

 かぐやの問いに鏡夜はハキハキと答えた。

「テスト兼近道ですかね」

 鏡夜は浴場の縁に立って振り返り、床に立つ桃音とかぐやへ両手を《鏡現》の手袋で固めてから手を出した。

「お手をどうぞ。呪詛の極北は、はたして人助けに繋がるか、確かめるのも一興でしょう」

 かぐやは右手を、桃音は左手を掴んだ。鏡夜は後ろに倒れて湯船に落ちる。そして手をつないだかぐやと桃音も一緒に水面の鏡の中へ入った。

 

 鏡の世界に入った時、鏡夜の両手の先には確かに彼女たちがいた。想定通り、連れて来れた。桃音は眼を輝かせている。かぐやはポカンと驚いた顔をした。

 人間味のまったくないかぐやらしくもないアクションだった。

 

「不可思議ね。何かしら? 我が君」

「鏡の世界──のようですよ。先ほどの魔王様が言う、呪詛の極北、でしょうか?」

 

《鏡現》の力、そして──《移動鏡》の力。端的に言えば、鏡を操る異能。まさしく鏡の魔人と呼ばれるに相応しい力。得たのは灰原鏡夜──。なんとも、言葉遊びだ。

 かぐやは何度も高速でまばたきを繰り返して、何度も何事かを口にしようとして口を閉じて。やっと言葉を音にした。

 

「──―きれい」

「……それは、どうも」

 

 限界以上に呪われたことで発生した力でなければ、鏡夜も美しいと感じれたのだろうか? 

 ……だがこの疑問は詮無きIFの思考だ。

 鏡夜は前回と同じように桃音の家の鏡を真正面に出して、潜り抜ける。

 鏡夜はよっと着地して、両腕を軽く振り回して桃音とかぐやを、きちんと床に着地させた。

 

「おかりなさい」

「…………」

 

 桃音は周囲を振り回して、無表情に鏡夜を見つめると、すっと鏡夜の横を通り抜けて洗面台で手を洗い始める。そしてさらに鏡夜の隣を通り抜けて洗面台の部屋から出た。

 ……キッチンの方から夕飯の準備の音がし始める。かぐやは不愉快な様子を隠さない。

 

「不語桃音、我が君にれうじ──不作法じゃない?」

「桃音さんはああいう呪詛がついてるんで」

「なら抱きしめるとかすればいいのに」

「なんでですか……」

 

 確かに灰原鏡夜は不語桃音の弱点、【格好良いもの】の条件を満たす形だし、再三弱味につけこんで居候させてもらったりダンジョン攻略に協力してもらっているし、実際頭を撫でられたこともあるが。チョロイと思っている点もあるが。

 恋慕とは、少し違うだろう。桃音は恐らくカッコイイヒーロー人形で遊ぶ男の子のような、あるいはアイドルを追いかけて静かにCDに耳を傾けるような、そんな心持ちを鏡夜に抱いていると思われる。嫉妬はするが……別に、本気で、愛されているわけもないだろう。

 出会ってなんと四日しか経ってないのだからさもありなんだ。

 抱きしめられても、ひどく悲しいだけだ。

 服が脱げないわけであるし、と落ち込む鏡の魔人である。

 

 帰って来たのだ。夜も遅いしさっさと夜の用事を終わらせて寝ようと、鏡夜はかぐやと共にリビングに向かった。

 

 

 

 

 

 〈1000年1月4日 午前〉

 

 鏡夜は寝起きが悪い体質であるにもかかわらず異様なほど優雅に起床した。聞こえてくるのは優しい木漏れ日のような音色のバイオリン。

 

(桃音さんだ)

 

 もう契暦999年12月31日から契暦1000年1月4日、五日も一緒にいれば、流石に桃音の朝の奇行には慣れる。

 鏡夜はカーテンを開けみるが……地面に桃音はいなかった。確かに外から聞こえてきたのだが、と鏡夜が顔を上げると、……桃音がいた。

 

 一本の木の、枝の一つに立ち、豊かにバイオリンを奏でている。昨日のタンバリンを比べれば、泣きたくなるくらいに情緒溢れていた。

 鏡夜は、声をかけるか悩んで……やめた。しばらく音色に耳を傾ける。ドの音と余韻で曲が終わり……桃音は目を開いて、バイオリンを降ろして、窓から桃音の演奏を聞いていた鏡夜へ視線を向ける。

 鏡夜は拍手をした。桃音はずっと鏡夜を見ている。鏡夜は拍手をやめると、桃音へ笑いかけた。

 

「おはようございます」

「……」

 

 桃音は一足飛びで鏡夜の部屋の窓に足をかける。鏡夜がおっと、と避けると、中に入った。

 そして桃音は一度振り向いて鏡夜をちらりと視線をやると、部屋出てキッチンへと向かった。

 

「……びっくりした」

 

 桃音が突入してきた時、鏡夜が避けなかったら正面衝突してたところだった。桃音は超人なのだから、ほぼ交通事故だ。気を付けてほしい。

 

 ……そんな一幕がありつつも、何をやるか決まっていない、今日である。

 

「やはり、何につけても……情報が欲しいです」

 

 鏡夜はトーストにバターを塗りながら言った。

 

「情報?」

「ほら、かぐやさんだって、この……時代のことわからないでしょう?」

 

 世界と言いかけて、やめる。世界は鏡夜だけだ。時代なら一人と一体が共通してわからない。

 

「今のところ不都合はありますせんよ!」

「……今はそうでもいつかは。んー。平安時代って男性が女性の家に通って結婚とか風になってますけど、今は違います……違いますよね?」

 

 鏡夜は自信なさげに言う。桃音はトーストを食べ終わった後、手と口を拭いて、ラップトップPCを操作してかぐやに渡す。

 

 かぐやはラップトップPC受け取ると、不思議そうに何度かひっくり返したりつっつく。鏡夜が操作方法を説明しようとして、かぐやは即座に学習して慣れたようにキーボード操作を行った。そして驚く。

 

「えっ、じゃあ我が君は妻の一人の家に入り浸ってるわけじゃないの!?」

「嘘でしょ!? そんな大きすぎる思い違いに気づかないまま一日以上を……!? ……とにかく、ええ、違うのですよ、全然、言語が違い過ぎるのですから文化も違うのです」

「なるほどー」

「だから……情報です。でも安易に外出れないんですよねぇ。謎の乱入者、灰原鏡夜は有名人です」

 

 顔写真は広まっていないようだが時間の問題だし、何より、全身灰色の華美なスーツを着た男など、なかなかに珍しい。話しかけられない、気取られないと祈るのは、あまりに無為な祈りだろう。

 

「となると、やはりスマートフォンとかパソコンとか、情報機器が欲しいですがっと、待ってください桃音さん」

 

 鏡夜は高速でカタカタとし始めた桃音を止める、桃音の瞳に映る画面にはネット販売のPCの購入ページが開かれていた。

 

「流石に、申し訳ないので、自分で稼ぎます。はい」

 

 ヒモだヒモだと自虐はするが、お世話になっている人にさらにお世話になるような真似はしたくない。罪悪感とか情けなさで、心苦しくなり、ただでさえ低めのモチベーションがに悪影響が出てしまう。

 

(といってもどうするかな。バイトとか……無理だな。ざっと過ごした感じ、金銭感覚に違いはない。十数万円は確実に必要だ。ネット環境がある分、省略できるんだが……)

 

 桃音はしばらく首を傾げると、カタカタとラップトップPCを操作して、画面を鏡夜に向けた。

 鏡夜は画面を見る。絢爛の森は冒険者の素材の採取場だとわかるホームページだ……。

 

「冒険者、ですか。絢爛の森……ふむ。例えば、そういえばそうですね。絢爛の森も神代の痕跡だかなんだかでしたか……」

 

 つまり金になる。鏡夜はざっと考えていった。

 

「かぐやさん、桃音さんの案内に従って絢爛の森で採取および換金してくださいますか?」

「いいけど、我が君はどうするの?」

「冒険者してきます」

 

 鏡夜はそう言って残されたコーヒーを飲んだ。

 

「欲しいものもありますしね」

 

 

 

 〈1000年1月4日 午後〉

 

 鏡夜とかぐやは互いに稼いだ金銭を机の上に並べた。

 

「なかなかに集まりましたね」

「我が君、へとへとに見えるけど大丈夫?」

「命の危機があっただけなので」

「それ、大丈夫って言わないと思うわ」

「……」

 

 鏡夜とかぐやの会話を背景にしながら、桃音は机に並べられたお札と小銭を意図の読み取れない瞳で眺めている。

 

「桃音さん?」

「珍しいのかしら?」

「かぐやさんや私じゃないんだから」

 

 平安あたりに稼働予定だった生体人形と異世界人を、現地人と一緒にしてはいけない。鏡夜は目に包帯を巻いた万札の美男子も柊釘真に少しだけ似た高齢の女性の絵が描かれた千円札も見たことはないが、しかし桃音はあるだろう。日月の契国の住人なのだから。だからたぶん挙動の意味は……勝手に読み取ると、そうなる。と鏡夜は桃音に声をかけた。

 

「さて、桃音さん」

「……」

「お金は集めてきたので……私の代わりに購入していただけます? 予算は、あ、待ってください?」

 

 鏡夜は机の上の代金をちょこっとだけ避けて懐に入れた。

 

「残りのこれくらいで、お願いできます?」

 

 桃音は静かに鏡夜から視線を外すと、机の上のお金を全て回収しまとめる。鏡夜たちが稼いできた金銭を横にしてラップトップPCを取り出して操作し始めた……。凄まじい速度で指が動いている。鏡夜がちらりと画面を覗き込めばかなりの勢いでPCやスマートフォンのスペックと値段があっちへきたりこっちへきたりしていた。

 どうやら予算内で最高のものを用意するために、全力で調査比較をしているようだ。

 

「ありがとうございます……」

 

 鏡夜はそう言って音を立てずに席を立った。桃音の邪魔をするわけにはいかない。

 

「ああ、かぐやさん」

「なぁに?」

「今日は夕食をお願いしてもいいですか?」

「うんうん、任せて任せて!」

 

 かぐやは嬉し気に頷くと、キッチンへと引っ込んでいた。鏡夜はとりあえずお願いを終えるとソファの上にグデッと身を沈めた。

 今日はなかなかにハードな一日だった。

 もちろん弱音を吐いたりはしないが、少しだけ……少しだけ休んでもバチは当たらないだろう。

 ……そんなことをうすらぼんやり思いながら鏡夜は目を閉じた。

 

 顔の近くに何かが通り過ぎる感覚がしたので睡眠の世界から半分だけ覚醒する。鏡夜が見上げると、桃音が鏡夜の肩に触ろうとする寸前だったので、鏡夜は手を掴んで止めた。

 

「…………あの、何か」

 

 寝起きで定まらない目でうとうとしながら桃音に質問する。

 

「…………」

 

 桃音は石になっていた。

 

「ああ、しまった」

 

 鏡夜は手を放すと、すぐに立ち上がって、身だしなみを整える。もともと常に清潔を保つ呪いの装備だ。いくらか直せばキッチリとしたスーツになる。

 そして桃音の状態異常、石化が解ける。

 桃音は横に立つ颯爽と佇む鏡夜へ溜め息を吐く。鏡夜は深く腰を折り曲げて、片手を胸にやった。

 

「申し訳ありません」

(ホントこの服クソだな)

 

 何が“食い合わせでデメリットを踏み倒してる”だ。日常生活に支障でまくりではないか。

 

「で、なんです?」

 

 桃音は鏡夜の問いに、自分のラップトップPCの画面を見せた。

 

「はて……ふむ……華澄さん?」

 

 白百合華澄からのメールだった。

《要件が完了いたしましたの。つきまわしては相談のため少しお時間よろしいでしょうか》

 

「『いいですよ』って送っておいてくださ──はいはい、自分でやるんですよね、はい」

 鏡夜は桃音が差し出したラップトップPCのキーボードでそそくさと入力し送信する。自分の端末が手に入れば、現在発生している謎のやりとりも必要なくなると思えば寂しくならない。むしろせいせいする。

 すぐに返信が返ってくる。

 

《では、今絢爛の森に入っても?》

「あ、外にいるんですか……え? 勝手に許可してもいいんですかね、管理人は桃音さんでしょう?」

「……」

 

 桃音は無言で姿勢を崩さない。

 

「うーん、駄目なら攻撃してくるんでしょうが。……よし。『私が向かいますのでお待ちください』……と」

 

 鏡夜はそう言ってパチンと手を叩く。

 

「というわけなんで、少し外に出てきますね」

 

 さらに大声で。

 

「かぐやさーん、私、出てきます! 夕食までには戻りたいと思いますが、戻れなかったら、こう、置いといてください!」

「りょうかーい、我が君!!」

 

 かぐやの返答も確認した鏡夜はすぐに玄関を開けると外に飛び出した。

 桃音は無言で鏡夜の後ろ姿を眺めるだけだった。

 

 

 夕方を背にして鏡夜は木の上に着地する。オレンジ色の夕焼けに染まる地面。白百合華澄とバレッタ・パストリシアが立っていた。鏡夜は声をかける。

 

「お待たせました」

 

 華澄は見上げて、木の上に立つ鏡夜へ応えた。

 

「いえいえ」

 

 鏡夜は木の上からジャンプして、絢爛の森の外一歩手前に立つ華澄の前に降り立つ。

 

「準備できたとか」

「はい、バレッタ」

「くすくす……」

 

 華澄の指示に合わせてバレッタが前に出て説明する。

 

「契国軍正式採用武装ヘリ【フォーナインバード】を確保いたしました。おそらく契国において一日で手に入れられる最高のスペックの機体です。全長十八メートル。最大速度時速三百キロメートル。三十ミリ機関砲二門。搭載弾数は機動力を優先して八百発のみ。最大射程はアルガグラムの最新照準レーダーを置換したので五千メートルは安定。今は亡き神獣生体兵器、朱雀に匹敵するスペックを持つ、アジアの虎の子ですわ」

「契国軍ですか? たしか挑戦者に政治的干渉は駄目だ、とかなってたと思うんですけど」

「ええ、非協力的態度の契国から、〈不当な代金を払って購入〉しましたの……そうですわよね?」

「くすくす……確実に」

「わぁ、ダーティ」

 

 たぶん、という建前、が言葉の前につくのだろう。そして実際に事実でもあるのだ。

 

「誉め言葉ですわ……で、灰原さん」

「なんです? 華澄さん」

「貴方には──武装ヘリ、【フォーナインバード】乗ってもらいます」

「…………」

 

 鏡夜は戸惑ったように顔を手で覆って言った。

 

「私、車も運転できないんですけど」

「ああ、安心していただいてよろしいですわ。【フォーナインバード】は二人乗りですの。操縦は、わたくしがしますわ」

「それは……それは……?」

 鏡夜は【密林】を思い出す。想像の中で毒の気流を操る巨人と、空を飛ぶ怪鳥と、この鉄の鳥を、同じ空間内で飛ばす。機体は突風でひっくり返り、落ちるヘリは、怪鳥に食いつかれて地面に叩き落された。

 

「鉄の棺桶じゃないですか」

「……あらあらまぁまぁ」

 

 華澄は頬を染めて嬉しそうに微笑んだ。

 

「判断力に優れているのは、素晴らしいことですわ。ふふ、貴方が素晴らしいことは、わたくし、ずっと知っていたのですけれど」

(茶化すんじゃねぇ)

 

 と言いそうになるのを飲み込んだ。言ってはならない。冒険者は舐められたらおしまいだ。今日、灰原鏡夜は確かに冒険者になったし、そもそも異世界に来て最初から、冒険しかしていない。金言を裏切るな。ヒステリーを起こすな。

 ……白百合華澄を、信じろ。

 

「で、どんな手品が仕込んであるんですか?」

「機体にではなく、わたくしに少し」

「……祝福ですか? あるいは……?」

 

 祝福と呪詛、生き物の身体を改造して力を与える神様の御業。しかし、華澄は首を振って応えた。

 

「まさか! アルガグラムらしいやり方ですわ」

 異様なまでに自信満々、間違いなく、白百合華澄だった。

 

「わかりました。期待していますよ」

「パーフェクトなタクティクスをお見せいたしますわ」

 

 鏡夜は頷くと、では、と声をかけて華澄に背を向けた。

 

「あ……」

「……はい?」

 

 華澄らしからぬ弱弱しい声を超人的聴力で聞き取った鏡夜は、勢いよく振り向いた。

 華澄と鏡夜は目が合う。

 

「華澄さん……?」

 

 

 

「ふふ……ふふふふ……バレッタ!」

「くすくす……? なんです?」

「わたくしの、今の、心情を、謳ってくださいまし!」

「…………我が君」

「否も! 提案も! いりませんわ!」

「くすくす、了解です……どこから話すべきでしょうか……。まず、我が主は同情心を持ちません……ここまではいいでしょうか」

「……? 私も同意見ですけど、それが?」

 

 鏡夜のパーティメンバーである豪奢なお嬢様は、シビアで、冷酷で、耽美なエージェントだ。不必要な同情心など、持ち得るとは到底思えない。人を助けはするだろうが、義憤や憐憫などは持たない……そんな感情など、精緻な仕事にとって邪魔でしかないからだ。許せない! 可哀想! 強い感情は冷静さを失わせてしまう。だから、華澄は冷酷だ。

 

「くすくす……そして……実はですね。我が主は素性が知れぬ者を、素性が知れぬままにするほど、抜けてはいないのですよ。我が主は、貴方に見せているはずです」

「……」

 

 鏡夜は今日、華澄がミリア・メビウスと鏡夜の対談を、裏側から監視していた事実を思い出す。そして、実際に華澄がエレベーターに乗ってこなければ、鏡夜は華澄の存在に気づけなかった。真の魔人、灰原鏡夜が、だ。

 当然のごとく、鏡夜は気づいていた。戦慄し、驚愕していた。白百合華澄は極めて高度な諜報スキルを持っている事実に。灰原鏡夜にまったく気取られずに情報収集ができ、殺せる距離まで近づける、その事実に。

 

 

「なので結構、灰原様についてわかっているのですよ。なにせ、この私も、過去を観測できますからね……。くすくす……気分を害しましたか」

 

 率先して言うべきではないのは、異世界人であることだけだ。他は、ただ言う機会がなかったから言わなかったに過ぎない。さらに全身に呪詛が纏わりついているのは、昨日知ったのだから当然でもある。エレベーターを降りた段階では背筋が凍りきっていたし、今でも警戒こそ、しているが。

 協力という名で利用しあっているのだから、相手のことを調べる当然の態度としか思えない。

 そして知ってほしくないことがあるのなら。

 

「別に?」

 

 鏡夜は肩を竦めた。

 

「ただ。私について調査する姿勢を現してくださったのなら……絢爛の森での私を、過去観測含め調査しないでくれませんか? それとも、もうしたとか?」

「絢爛の森には入っておりませんわ」

 

 今まで黙っていた華澄がポツリと告げた。

 

「なら、それだけお願いします」

「わかりましたの」

 

 バレッタが改めて口を開く。

 

「くすくす、話しを続けますね……。我が主は、灰原様が全身を呪われていて……真の魔人と呼ばれていると知り……とてつもなく我が主は」

「華澄さんは?」

「貴方を……尊敬しているのですよ」

「尊敬……尊敬……?」

 

 あまりにも灰原鏡夜には似合わない言葉だ。舐められないために意地と虚勢とを張ってはいる。だが、鏡夜の舐められない方策は、そんな、尊敬とか、偉業に類するような、ものではない。底知れないように、慇懃無礼にしているに過ぎない。尊敬を抱くというロジックが、鏡夜には理解できない。

 バレッタは言う。

 

「そう、ただ……声をかけたかったのです。呪われていても灰原鏡夜は尊いと。優雅に跳ねる魔人は美しいと。ただそうなると我が主の諜報能力を表に出す必要があります。……エレベーターで、我が主が貴方に合流した時点で、表に出したのと同じです」

「何か不都合でも?」

「それが不合理なので、我が主は少し……バグが発生しているのです」

「……別にそんな不合理じゃないと思いますけど。要は……ある程度の信用では。こうして話してくれたのも、嬉しいです」

 

 正直、バレッタに説明されるまでは信用、なんて解釈はしていなかった。怯えしかしてなかった。対話って大事。

 華澄が確認するように呟く。

 

「信用……そう、ですの。信用……それだけに。貴方が折れるのが我慢ならない。折れかけるのすら認められないのですわ」

「折れそう……ですか」

 

 鏡夜は首を傾げた。華澄は曖昧に苦笑した。バレッタがその横から端的に告げる。

 

「我が主には、そう見えました。だから、発破をかけにきた面もあります」

「うがぁ! はっきり! はっきり言いますのね!」

「言えと命じられたので」

 

 淡々と応えるバレッタに華澄は拗ねたような表情をする。

 

「……こほん」

 

 気を取り直して華澄は言った。

 

「大筋は合っておりますわ。……ええ、そうですの」

 

 華澄は打って変わって冷たく語る。

 

「────〈魔術師〉。アルガグラムの中で特級にイカレている浪漫狂いに送られる称号ですわ。アルガグラムの人形使いとは、すなわち魔術師ですの。もっとも最高で最上でそして何より最低最悪な魔女に準じます」

 

 冷酷に、冷徹に、冷静に、酷薄に、異常なまでの有り様で。淡々と華澄は名乗る。

 

「現存する魔術師の数は、たった三名ですわ。一名、〈人形使い〉〈不吉で不穏な妖精〉、エーデルワイス。そしてもう一名、──〈銃使い〉〈無敵で無法なプロフェッショナルレディ〉白百合華澄──ええ、実は、この、わたくしなんですの」

 

 鏡夜はびっくりしたような顔で見る。

 

「バレッタさん……」

「アルガグラムはネットワークに近いのですが、例外として、名誉称号として魔女が存在し、下に魔術師があります。アルガグラムの魔術師であるということは──、少なくとも、まともであるのならば、相対するのは愚かであると、評されるでしょうね。あまり表現としては正確ではないのですが……わかりやすい言葉に例えると、三人しかいない、幹部の一人です」

「す──―ごいじゃないですか」

「ええ、すごいんですの。名乗りすらありえないほどに! 自分の在り方の全てを名乗るプロが、エージェントが、スパイがいるのは明らかな矛盾ですもの!」

「ああ、なるほど。矜持の問題ですか。なんとなくですがわかるかもしれません」

 

 外部から偶然耳にした金言を信じ切る鏡夜だが、今までの経験上および、論理的思考において、間違はないし、譲るつもりもない。華澄の矜持はおそらく、鏡夜の臆病さとは似ても似つかないものだろうが……しかし、同じものでもあるのだろう。

 

「とにかく、わたくし……銃の技術者にプラスしてエージェントの……スパイの能力がありますの。…………諜報員、白百合華澄の話をしたのは、アルガグラムとわたくしの家族以外では、貴方が初めてですわ。言葉にすれば、ええ、確かにわたくし、信用しているのですわ。貴方を」

「それは……」

 

 考えろ。正解はなんだ。

 

「光栄です」

「ええ、ですから、もしわたくしに諜報活動及び工作活動をしてほしいのなら──貴方の鏡の力で……人知れず、連絡お願いしますの」

「私の〈異能〉も知ってるんですか。鏡の世界を自由に移動できるよりも優れた諜報なんですか?」

「もちろん、プロですのよ」

 

 心強過ぎて怖い。

 

「わかりました。機会があれば、頼らせてもらいます」

「ええ……では」

 

 華澄はスカートの両端をつまむとちょこんとお辞儀した。鏡夜も大袈裟なほど一礼して、一人と、一人&一体は別れる。

 

 

 鏡夜は夕食を終えた後、どうしても寝る気になれず、桃音の家の天井に昇って空を眺めていた。絢爛の森は塔京都貝那区のど真ん中にこそあるが、しかし巨大な森でもある。

 夜空は美しく思える……。

 桃音の家以外の光源が月と星以外にはない。絢爛の森の立地条件が功を奏しているのだろう。

 

 空の色は、何色なのだろうか。赤か、青か、灰か、黒か、白か。益体もない思考の影に迷いがちらつく。

 

(明らかに──知り過ぎている)

 

 理由は様々だ。バレッタ・パストリシアに質問して知り、疑問を問い、出くわした相手に問いただし、用事のついでにうっかり知って──信用された相手から、知らされる。

 ただ塔を攻略するだけなら、鏡夜は明らかに知り過ぎている。

 

(意図するだけ無駄か。どんな情報が有益かもわからないんだから、ある程度は知るしかない。どこにあるかもわからない、一本だけあるアイスの当たり棒を、袋に入ったアイス百個から意図して一発で当てるなんで不可能だ──。何が重要かも何が役立つかもわからない。だから──―)

 

 問題は別の所にある。

 

(話がどんどんと変わっていく。本質はどこだ。真実はどこだ。決着とは、いったいなんなのだろう)

 

 自分のことしか考えておらず、自分のためだけに動いていて、外面を舐められない程度に意地を張ってるだけで──、感情の動きなど、起こりえないはずなのに。

 前提として──鏡夜はもしかして、服に生かされているのではないだろうか。言葉が通じないのを、呪詛の力で乗り越えている。もしかしたら、服の力で、鏡夜は、本来生存できない異世界で生きられているのかもしれない。

 それもまた詰んでいるが、もっと切実な危機がある。

 桃音や華澄に、油断ならないと思いつつも親しみを感じている。バレッタやかぐやに、利用するだけではなく感謝を抱いてしまっている。

 柊王に、ごく当たり前のように、権威に関係なく、敬意を抱いてしまっている。薄浅葱や久竜晴水やミリア・メビウスやジャルドを、変人だ変人だと思ってるくせに、ふと、隣人のように気を利かせてしまっている。

 自分で自分の感情の動きに納得できない。不合理だと感じる。目的意識と自分の弱さが……矛盾している。

 服で生きているのに服を嫌い、利用しているのに親愛を抱く。一文で矛盾してしまっている。

 

 鏡夜はギシィ、と木が軋む音で振り向いた。背後には不語桃音がいた。

 

「桃音さん……?」

 

 桃音は鏡夜の隣に座って夜空を見上げる。鏡夜は不思議そうに桃音の顔色をうかがうが、いつものようにぼんやりとした、憮然とした無表情で空を仰いでいる。

 

「…………」

 

 さて、何を話すべきなのだろうか。何を言っても返ってこないと分かりきっている。そして、掛ける言葉の何が彼女を傷つけ、あるいは届くのか、性格もわからない。

 

 わかるのは【格好良いもの】に弱い、弱点だけ。そして、灰原鏡夜は……追い出されていない以上、今も変わらず格好良いのだろう。

 

「…………私の名前なんですけどね」

 

 自然に口から出た話は、自分の名前の話だった。

 

「実は偽名じゃないんですよ」

「……」

 

 鉄板ネタだったのだが、もちろん不語桃音は笑わない。

 灰原鏡夜は、自分の名前を誇っている。灰原の苗字を自慢に思っている。鏡夜という名前で馬鹿にされたことは何度もある。だが、鏡夜はいつだってこう返した。

 

「生まれた日、分娩室の窓の外、夜空を瞳に映した赤子が私です。黒い夜の瞳に星と月を映すこの子はきっと、キラキラとした世界を目に映すのだと、そういう意味があるんですよ」

 

 

 灰原鏡夜は決して自分の名前を嫌ってはいない。むしろ、間違いなく誇りである。親兄弟などは関係なく、ただ意味だけが美しく本物であると思うからだ。

 

「まぁ、私の今の瞳は──―真っ赤なんですけどね」

 

 鏡夜は苦笑して桃音に笑う。細められた虹彩は、妖しく血のようだった。

 

 鏡夜は突然、桃音に襟首を掴まれて、押し倒された。

 鏡夜は驚いて、自分に馬乗りになる桃音の目を見返す。

 

 彼女の黒い瞳に、鏡夜の紅い瞳が映る。鏡夜の紅い瞳には、桃音と星空が映っていた。

 

「…………そうですねぇ、私と貴女はこんなノリでしたねぇ」

 

 沈黙と行動。桃音とはそういう女性であり、鏡夜もまた、好き勝手に解釈して語る。

 鏡夜は、桃音の行動を、…………激励だと、解釈した。だから、鏡夜は。

 

「ありがとうございます」

 

 起き上がって桃音のオデコに自分のオデコを引っ付けた。

 

「おお、私は貴女に指一本触れられませんが、額ぐらいなら大丈夫なようです! よかったよかった!」

 

 鏡夜は眼前の黒い瞳を見つめて慇懃無礼に言い放つ。気取り過ぎた格好つけが、不語桃音の好みであり──灰原鏡夜の、意地と虚勢だ。

 本音は胸の内に仕舞っておく。

 

 鏡夜は額を桃音から離すと、両手のひらを桃音へ向ける。桃音は無表情に、鏡夜の上からどいた。

 鏡夜はすくっと立ち上がり、砂埃を払う。どうせ自動的にクリーンになる灰色の服には必要のない動作だが……服を脱ぐのが目的なのだ。

 慣れるべきだろう。服を脱いだら生きれないかもしれない? なら生きるための方法も一緒に探せばいい。

 利用すべきものに親しみを感じている? 上等だとも、それが目に美しい夜を映す灰原鏡夜だ。

 やれることは全部やればいい。世界への責任? 関知? なるほどなるほど──―行動だ。舐められないように行動すればいい。

 こいつは無責任だと思われると舐められる。しかし、弱い人間に、大いなる責任など最初から背負えない。

 なら、結局のところだ。

 

「私は、駆け抜けるしかできないのですから」

 

 そう口に出すと、とても気持ちが楽になった。

 さぁ、明日はダンジョン攻略だ。誰にも追いつけない速度で走り抜けよう。

 

 

 

 

 

 

 

 〈1000年1月5日 午前〉

 

 鏡夜はしばらく唸ってから起床した。寝起きが悪い男である。どれだけ決意を改めようが、それは変わらない。ぼんやりしながらも耳を澄ます。音楽は聞こえない。二日連続で演奏していた桃音だが今日は違うらしい。

 とりあえず、窓を開けて外を眺めてみる。……いない。自室を出てリビングを観察してみても、ものが散らかっていない。

 まさか……何もしてないのか!? ……問題ないけど? 何驚いてんの自分? 

 とかを考えつつキッチンから聞こえる料理の音を聞き流しながら朝シャワーを浴びて、席に着く。

 かぐやと桃音によって料理が並ぶ。……並ぶ……。並ぶ。

 

「……」

 

 並ぶ。色とりどり、美しいほど鮮やかな朝食が大量に並べられていた。まるでフレンチノコース料理のように大きな皿に小さく盛り付けられている……が、多い。

 桃音は満足そうな──と鏡夜が勝手に思っただけで実際は無表情で──鏡夜と朝食の写真を撮っている。

 ……どうやら今日は朝食と写真の日だったらしい。

 

「いいんですけどね? 以前薄浅葱さんだか華澄さんだかに聞いた難事の前に大量に食べるのはやめた方が良いというアドバイスをぶっちぎってますが……うん。食べ物は一つ残らず大切なものですし、おいしくいただきましょう」

 

 鏡夜は頷いた。そういう風に納得しよう。

 

「ところで桃音さん? 背中に何を背負っていらっしゃるので?」

「…………」

 

 桃音は背中に大きな細長い板のようなものを風呂敷に包んで背中に背負っていた。桃音は淡々と席について手を合わせてから朝食をとる。

 鏡夜は助け求めるようにかぐやに目を向けたが、かぐやはさぁ、と両手を上に向けるジェスチャーをするだけだった。

 

 

 

 

 

 決着の塔攻略支援ドームのエントランスで華澄とバレッタと合流する。そしてダンジョンアタックに入ろうとしたのだが。鏡夜は染矢がものすごく不機嫌そうな顔をして受付に座っていることに気づいた。

 

「どうしました? 染矢さん」

「灰原さん……」

 

 染矢は一枚の紙を鏡夜に手渡した。真顔の久竜晴水の顔写真の下に、探索依頼と大きな文字が書いてある。依頼主は国際決着塔委員会と書かれている。

 

「やられました。支援ドームの前身である国際決着委員会は解散しているのですが、委員による支援システム監査改善の権限は残っていて……委員会の臨時復活から監査要求。不公正だと判断。競争者は互いに失踪しても探索し、そして発見者へ報酬を渡す。故に安心して攻略に望める上に、条件として極めて公平になるだろうと……ねじ込まれました」

 

 染矢は死んだ魚のような目でぶつぶつと呟く。

 

「何を言っているかよくわからないんですけど」

「私もわかりません。無理を通して通りを引っ込ませたので明らかに論理が通っていません。……とりあえず、久竜さんを探し当てれば、いいものが貰えるそうなので……はぁ」

 

 染矢は憂鬱な溜め息を吐いて下を向いた。どうも、さらなる会話は望めそうはない。もともと鏡夜は久竜を、できればという前置きはつくが探していた。 報酬が貰えるなら是非もない。不公正は悪いことだが、鏡夜にとっては悪くない。

 第二階層を攻略したらもう少し本腰を入れて探すのもいい、と思いながら鏡夜は、パーティメンバーを連れて慣れたように塔に突入した。

 第一階層を通り抜けて。

 第二階層への扉前で立ち止まる。

 

「恒例のブリーフィングですか」

「ですわ」

 

 華澄は頷いて、全員を見る。

 

「バレッタとかぐやさんは、地上から遠距離攻撃でカバーしてください」

 華澄は両手を拳銃に形にして言う。

「わたくしは、灰原さんと【朱雀】……【フォーナインバード】に搭乗して、空中戦を行いますの」

 

 華澄は桃音へ言う。

 

「不語さんは……遊撃?」

 

 桃音は無感情に華澄を睥睨する。華澄は惚けたような顔で言う。

 

「冗談ですわ、わたくしの長物を貸しますので、援護お願いしますわ。背中のソレはご随意に」

 

 華澄はあっけらかんと言って背後から狙撃銃を出して桃音に渡した。

 

「え? 華澄さん、桃音さんが何を背負ってるかわかるんですか?」

「何を言わんや、この方が貴方のためにすることですし、当然ですわ。それよりですの」

 

 露骨に話を逸らすように華澄は、ブリーフィングへ戻った。鏡夜も素直に従う。別に、邪魔にならなきゃそれでいい。

 

「弾も光も風圧や拡散で無効化されてしまうのですけれど。で、──―飽和攻撃すればよいだけですわ、そうでしょう?」

「一理ありますね」

 

 毒ガスを噴射するなら、銅の巨人、クエスト『デッドエンド』には毒ガスの貯蔵庫があり、貯蔵庫があるならば限界があるはずだ。例えリアルタイムで生産していたとしても、全身から全力で噴き出し続ければいつかはカツカツに底をつく──。

 

「現状クエスト『デッドエンド』がブラックボックスである以上、飽和ラインがわからないので、割合希望的観測ですが……わたくしたちが加われば、片付きますわ」

「りょーかいしました」

 

 鏡夜たちはブリーフィングを終えると、ついに第二階層【密林】へ突入した。

 

 

 最悪、【密林】に入った瞬間、入口殺しが来るケースすら想定して構えていたのだが、おはようございます死ねは起きなかった。そういえば第一階層に入った時には即座にストーンゴーレムが降ってきたものだが、第二階層では起きなかった。薄浅葱は第一階層に試練のニュアンスがあると語った。なら第二階層は? 

 〈Q-z〉のロボットのせいでダンジョンの内容が変化しすぎていて意図が読み切れない。薄浅葱(うすあさぎ)なら“らしい”説明をつけるだろうが、今はいないのだった。

 

 バレッタがくすくすと笑いながら両手を天に掲げて振り下ろすと、前方に武装ヘリが現れた。

 契国軍正式採用武装ヘリ【フォーナインバード】、通称【朱雀】。が、素人の鏡夜は、ゴツイ、デカイ、ツヨイと全身で訴える火器とレーダーと機体にただただ圧倒されているだけだった。

 

「密林なので迷彩柄がキュートにマッチしておりますわ」

 

 武装ヘリを愛おしげに撫でる華澄。

 

(景色に溶け込んでるだけじゃないですか?)

 

 ……とはツッコまないでおいた。作戦前に人の気分を害する気はない。華澄が油断などするわけがないし、戒める必要はない。

 しかし本当に華澄は幸せそうだ。わかってはいたがミリタリーマニアである。

 操縦席に華澄が座り、後部座席に鏡夜が乗る。

 華澄は操縦席にある、一つのメーターを指さした。

 

「気圧高度計ですわ。本来は高度と気圧の反比例から高度を測る計器なのですが……こちらがありえない下がり方をすれば……」

「毒ガスが来たと」

 

 つまり強い風圧がかかれば、気圧から高度を測定する機器が感知して、低く飛んでいると誤認すると──本来の使い方と全く違うな。クエスト『デッドエンド』相手にしか使えない変則的使用方法である。

 

「ですの」

 

 華澄は頷いて、前を向く。

 

「では発進! ですの」

 

 華澄が操作して離陸準備をする【朱雀】。

 

(うるせぇ! エンジンの音がうるせぇ!!)

 

 なまじっか強化された五感のせいか、ヘリの回転の音もどんどんと大きく強くなっていくのが痛切に身体に響く。

 

「ヘルメットとか……」

「着けれますの? 装備不可な貴方が」

「……なんでもありませぇん」

 

 そういえばそうだった。灰原鏡夜は服が脱げない、アイテム使用不可にもう一つ、デメリットがあるのだった。

 ヘルメットは流石にアウトだろう。

 

 朱雀は空に飛びだす。密林の空を駆けるヘリの中で鏡夜はうんざりして言った。

 

「ああ。もう、見えますねぇ」

 

【密林】のボス、怪鳥とクエスト『デッドエンド』だ。鳥と巨人。

 朱雀は真っ直ぐに、銅の敵たちを打ち倒すためそちらへ向かう。

 鏡夜は悲しげに、誰にともなく問うた。

 

「空の覇者は、はたしていったい誰なんでしょうね?」

 

 

 ──―【SECOND STAGE】 Quest『DeadEnd』&Phantom『Bird』

 

 

 戦 闘 開 始

 

 

 

 

 クエスト『デッドエンド』は腰を深く落とし身構える。重戦士が行うような堂に入った所作。毒ガス放射の準備だろう。重心を落として、自身の風圧で倒れる危険を予防しているのだ。

 

「大丈夫なんですか?!」

 

 鏡夜の問いに、華澄は獰猛かつ上品な笑みを浮かべた。

 

「──―教えてあげますわ灰原さん。戦闘ヘリに勝てるのは、対空砲火だけですわ!!!」

「……ホントにッ、貴女って浪漫にぶっ飛んでますねぇ!」

 

 超巨大ロボットは対空砲火じゃないからいける(迫真)は本当に狂人の発想である。

 が、残念ながら白百合華澄とは華々しい浪漫と泥臭い実務に二重に狂った魔術師だった。

 今更である。

 朱雀は急旋回した。

 

「早い速い迅い!!! Gが、Gかかかりますッ!!」

 

 全身にかかる重圧がきっつい。鏡夜は右側に身体を押し付けられる。全身の血が偏(かたよ)る。武装ヘリ特有の現象かと思ったかが、何かがおかしい。

 違う。鏡夜は魔人だ。にもかかわらず、明らかに──。

 

「気圧計、予兆! 堕ちますわッ!」

 

 朱雀のプロペラが止まる。自由落下する朱雀。天井に伸び上がるような地獄のような負荷。

 

「いっ、ぎぃ──!?」

 

 今まで感じた経験のない──そして感じるべきではない体液が身体の片方へ偏り、さらに頭の方向へより傾く地獄のような感覚に、鏡夜は悲鳴を上げた。

 鏡夜が意識を少し混濁させながら空を見れば、毒ガスの暴風が堕ちる朱雀の上を通ったのがわかる。

 避けられてる、避けることはできているが。

 

 明らかに、人間の肉体の限界をぶっちぎった急旋回にして急停止だった。

 桃音が素早く機器をいじり、再びプロペラを回転させて、朱雀は体勢を立て直して浮かび上がる。

 ……そして、強靭な鏡夜と比べて、無改造の華澄のダメージはさらに深刻だった。

 

「華澄さん貴女、目が──」

 

 華澄の片目が真っ赤だった。人間の身体の限界を超えた血液の偏りにより、毛細血管が破れたのだろう。手も震えている。

 

「目だけじゃありませんわ。内臓のダメージと脳も少し──―そして」

 

 白百合華澄はプロフェッショナルである。故に自分の状態も完璧に把握し、そして状況も認識していた。

 その上で、彼女は行けると判断する──―。

 

 

 白百合華澄は、判断を間違えない。

 

 

 華澄は口の中で何かをかみ砕いた。魔法のように治っていく。奇跡のように瞳が白く回復し、震えていた身体も揺れていた瞳も通常のものに戻る。

 

 何が、と驚愕している鏡夜に華澄は告げる。

 

「アルガグラムの傑作。ソーマ剤ですわ」

 

 文献に名が残る神の飲み物に、錠剤の文字をくっつけた薬品である。アルガグラムが総力をかけて再現した癒しの薬だ。

 ギリギリ。本当にギリギリだが化学及び薬学の範疇に引っ掛けて押し込み、実現した”化学の奇跡”。ちなみに一錠一億円である。

 神域の飲料を再現したとはいえ、やはりオリジナルには届かない。それは寿命を延ばさない。それは病を治さない。それは霊感をもたらさない。

 

 しかし、速攻であらゆる外傷を治療する。

 

 ソーマ剤の回復の力は常識外れに華澄を癒した。ほぼ一秒で、重傷だった華澄は全快する。

 

「過激すぎでは!?」

 

 鏡夜は叫んだ。

 華澄はそんな鏡夜に笑う。

 

「貴方が──いいえ、わたくしたちが、足を止めているのが、なんだかとても我慢ならないんですの」

 

 

 これしかない、と判断したのもそうだが。より大きなモチベーションとして、白百合華澄の中では、その想いがあった。

 

「だいたい、ムカつきませんこと?」

 

 口に出して、一瞬にして熱が入る。頭は冷え切っていて、行動は繊細に完璧に。されど想いを高らかに。

 

「クエスト『カーテンコール』は傑作でしたからまだよろしい。クエスチョン『パレード』は特殊機でしたからまだよろしい。クエスト『デッドエンド』は強大だから、まだよろしい。まだよろしいまだよろしい──。そんな言い訳で、通常兵器がかませ扱い? ああ、ムカつきますの! 違いますわ! 作戦が駄目なんですの! 分析が駄目なんですの! 最適化がまるで足りていないだけなんですの! その証拠にわたくしたちは短期間で攻略している──! 攻略しなければならない! 人形使いに負けるわけにはいかない!」

 

 レバーを叩きつけるように引き、鋭い眼光で正面の銅の巨人を貫く。向こう側に誰かを迎え撃つように。

 

「エーデルワイスはそこに辿り着いている! 機械と技術によってたどり着く地平を至上の浪漫とする我々へ背信し、神代を取り入れてそこにいる! そして、わたくしは──神代なしに、武器と工作でそこに辿り着こうとしている! 足りないことを認めましょう。やはり、灰原さんたちがアタックポイントに必須であることを認めましょう。呪詛と祝福が、必要なことを認めましょう。ですが、ですが!!! いつか必ず! 明日にでも! 今日にでも! わたくしたちは、神代の遺物など必要なしに、そこに辿り着く!」

 

 華澄はもう一度口の中のソーマ剤をかみ砕いた。無傷の人間の少女が喝破する。

 

「ならば、浪漫狂いのアルガグラムが、想いに妥協するわけがありませんわ! ああ、後八錠もありますの──。急旋回! 急上昇! 急降下! まだいけますわ!!」

 

 

 言葉通り、気圧計の変化に合わせて、人体の限界を超えた機動で朱雀はクエスト『デッドエンド』へ向かう。

 華澄は歯を見せて笑う。綺麗に歯に沿うように錠剤が配置されていた。口の中なんていう、不安定な空間でちゃんと一個ずつ使えるのか、大丈夫なのかと思ったが、華澄がミスする状況を想像できない。それが答えなのだろう。

 

 ただ、にしても、ノリノリが過ぎていた。優雅で流麗だった華澄らしくないように感じる。華澄ならば当然だと納得したような気分になった。

 

 

 けっきょくのところ、女傑である。

 

 

 朱鉄の雀と銅の巨人が応酬する。アクション映画感がヤバい──ぜひとも当事者ではなく映画館で観たかった。

 

(誰か代わりにやってくれるスタントマン用意してくれェ!)

「ロックオン! シュート!」

 

 華澄のコールと操作に合わせて、朱雀の両脇に抱えられた砲から弾が連射される。至近距離だ。決まった。勝った。

 勝ってくれ。そんな鏡夜の願いも虚しく裏切られる。

 

 武装ヘリの銃弾の雨は──クエスト『デッドエンド』から猛り狂う圧倒的風圧によって空中で勢いを失い、地面に落ちて爆発する。爆散する密林。

 

 風圧のバリア。こいつ無敵か? クエスト『カーテンコール』にも感じなかった圧倒的さだ。

 

「自然は大切になさいましッ!!」

「同意見ですけ、どォオオ!?」

 

 急旋回、からの急上昇。側面から地面にかけて、全身がバイオレンスなGを感じる。

 

 決着の塔第二階層【密林】は自然ではない。一から十まで生命操作技術によって制作されたダンジョンである。だが訂正を入れる暇もない。

 

 

 

 色なき豪風を纏う銅の巨人の頭の上で、怪鳥と【朱雀】が相対する。応酬し、相対し、誘導し、そして離脱して、ようやく朱雀は怪鳥に辿り着いた。

 いつ下方から毒ガスが噴き上がるかもわからない位置取りだが、華澄は自信満々に言い放った。

 

「空はアナタのものではない──この時代の鳥はアナタだけじゃありませんのよ?」

 

 機関砲を容赦なく、撃ち尽くす勢いで浴びせる朱雀。怪鳥は全身をずたずたに引き裂かれて空中で爆発四散した。

 

 おつかいクエスト全省略の上、ボスをごり押しで打倒である。

 

「さぁ、灰原さん、空挺兵ですわ! 悔しいですけれど、ここは貴方にお任せするしかありませんの」

 

(任せるしかない? WHY? 空挺? WHAT?)

 

 プロペラの回転する音が耳に響く……。

 

「こっから降りるんですか!?」

 

 取り繕う時間もない。鏡夜は驚愕で叫ぶ。

 死ぬだろどう考えても。頭おかしい。無理。無理オブ無理。怖い。腹の底から震える。

 

 

 華澄は告げる。

 

「上空にいるわたくしたちに吹き上げない──間違いありませんの。打ち止めですわ。チャンスは今しかありませんの! 一撃で! 今!」

 

 鏡夜は直感する。うっすらわかっていた。もしかしたら、もしかして、と思っていた。しかしありえないとも感じていた。

 プロ意識と耽美趣味が両立するアルガグラムの魔術師は──白百合華澄は、灰原鏡夜を信用しているのではない。もっと重く、もっと大きく、もっと深く──。

 仕事人のお嬢様は、こんな妖しい魔人を、信頼してしまっているのだ。

 

 鏡夜は心の中で意味をなさない雄叫びをあげると、ヘリの中で立ち上がった。自動的に開く窓。強く強く強く吹き込む風。頭がおかしくなるほど高い空と遠い地面。

 

(呪うなら恐怖も呪縛しておけよ中途半端だなぁクソォ!!)

 

 彼の心は誰にも呪われていない──。自縄自縛の、彼自身以外には。

 

 鏡夜はヘリコプターから外へ飛び出した。

 

 

 鏡夜は大上段に構えて、手の中に、《鏡現》の刃を作り出す──。二メートル四方の鏡を噛みあうように整形し、六枚繋げる。

 

 鏡夜は、全長十二メートル、連結鏡の刃を──振り下ろす。

 

 クエスト『デッドエンド』の頭に乗っかった刃は銅の巨人を股下まで切り裂いた。あっという間だ。景色と光を反射する瞬きが銅の巨人を真っ二つに切り裂いた。

 

「空気よりも重くて、鋭いものに耐え切れますかァァァァァッ!?」

 

 

 ──―【SECOND STAGE】 Quest『DeadEnd』&Phantom『Bird』

 

 

 Clear! 

 

 

 

 

 

「こっからどうする?! どうする!?」

 

 落ちながら鏡夜は着地法を考える──落ちたら当然の帰結として死ぬだろう。だ。なんでパラシュートつけてくれないの? 実は謀殺されたの? 

 

 下から巨大な鏡が飛んでくる。投げたのは桃音だ。

 いつか、鏡夜が桃音に《鏡現》の盾を投げたように。桃音は鏡夜へ、ただの鏡を投げた。背中に背負っていたものとサイズは同じ──彼女はもしものために持ち込んでいたのだ。

 

 鏡夜は手の中の連結鏡の刀を消すと、空中に四角い、最大限の六枚の《鏡現》を作り出す、鏡夜は《鏡現》を横にして、踏みつけて飛ぶ。角度を間違えたら《鏡現》に全身を叩きつけて散る鏡夜を映すハメになってしまう。

 鏡夜は落ちる方向を変えるように蹴り、蹴り、蹴り──そして投げられた本物の鏡へ入り込んだ。

 

 鏡夜の鏡の中へ潜る能力──《移動鏡》。もっとも無法にして無敵の力である。

 

 

 鏡の世界で鏡夜は一人息を吐く。助かった。死んで──。うん、塔の外に放り出されるところだった。しかも最低限の治療しかしないのだ。自動回復の呪詛があろうとも、激痛の中でのたうち回り続けるしかなかっただろう。

 本当に助かった。ダンジョンの──〈Q‐z〉の難易度がどんどんと上がって言っているような気がする。

 いや、難易度は正確な言葉ではない……メタを取られているような。対策を取られている、ような。

 

 鏡夜は自分が入った鏡の窓を覗く。砕け散って細かくなっていた。どうやら地面に落ちて割れてしまったようだ。

 そして暗闇の世界を見渡すと──窓がない。

 思い返すと、外から鏡の世界で塔の中へ侵入はできなかった。なら塔の中で鏡の世界に入れば? 

 鏡夜はぞわっと冷や汗を掻く。もしかしたら一生出られない──ことはないか。もしも出口がないなら、桃音や華澄やバレッタやかぐやが、鏡を塔の中に持ち込んでくれるはずだ。

 桃音たちが気を利かせれば、出れるはず。うん。

 鏡夜は不安げに周囲をきょろきょろとした。

 ホントにないのか? よく探したのか? 

 

 ……一つだけ、光が差し込むものがあった。

 鏡夜は喜び勇んで、空間を操作し、『入口』を自分の前に持ってくる。

 

 空と木々──、池か。どうやら【密林】には池があったらしい。鏡夜はほっとしたように鏡の窓を通り抜けた。

 

 

 鏡夜は池の水面を鏡の出入り口として勢い良く出ると、木の枝につかまっってぶら下がり、逆上がりの要領で、身体を上げて枝の上に立った。

 鏡夜は自分が覗き込む媒介にしていた鏡を池だと思っていたが、実際は沼だった。中に何がいるのかすらわからないほど濁り切っている。土色が一か所に溜まってるようだ。……絶対飲んだら腹を壊すな。

 鏡夜は呪詛のせいでなんでも食える悪食になっているから、実は壊れないのだけれど。

 

 

 そして沼の縁に立つ、久竜晴水と目が合った。久竜は刀を構えて静かに瞑想している。

 

 久竜の刀は──どうも、奇妙な話ではあるが、極めて機械的だった。鏡夜はアンテナを連想した。

 

 晴水は感嘆したように言った。

 

「──―そうか、お前か」

 

 鏡夜も同じように答えた。

 

「そうか──貴方ですか」

 

 灰原鏡夜は確信する。久竜晴水も納得する。

 

「はじめまして、キー・エクスクル」

「運命的邂逅だな、ファントム・ミラー」

 

 鏡夜はまったくの幸運に、〈Q‐z〉のボスと偶発的に遭遇した。

 

 鏡夜は真っ先に考える。襲い掛かるべきか。クエスト『デッドエンド』は先ほど真っ二つにした。周囲に気配はまるで感じない。なら、今彼を処理すれば、鏡夜は塔の攻略にぐっと近づく──。

 

「いいか、鏡の魔人。お前はまず学ぶべきだよ。人間というのは愚かであり、人外とは愚鈍であり、知性なんてどこもどいつも持ち合わせていねぇ」

 

 晴水は鏡夜の考えなど意にも介さず、淡々と告げる。ああ、間違いない。忌々しい、断定的で要領を得ない、されど蠱惑的な喋り方。キー・エクスクルだ。

 

「俺もお前も大馬鹿野郎さ。だが、馬鹿正直に自分を生きている。薄っぺらいところにも、まぁ、親近感を覚えるのさ。だから──手を組もうぜ」

「貴方で三人目です。そして答えも同じだと思いませんか? 嫌です」

 

 晴水はふっ、と嘲笑する。

 

「これで止まれば俺の言った通り、お前は止まった、と、笑って肩を組めたんだが。イフなんて夢もまた夢──。“それは夢、瞬間の出来事、泡のように消えてしまう”」

 

 晴水は自分の前に強靭な魔人がいる現実などうでもいいとばかりに、自己陶酔で何も見えていないのかと勘違いするほどに、大げさに告げる。

 

「お前は多くの陣営の、『手を組もう』を拒絶した──『すべてのチャンス』を踏みにじった対価は払わなければならない」

「くだらない。誰にですか、貴方に?」

 

 対価など、等価交換など、因果応報など。鏡夜に、呪われる由縁(ゆえん)も理由もありはしない。なのに呪われている。歴史を引用するまでもない、経験則としてそんなものはない。

 鏡夜は強く言った。晴水は無表情に答えた。

 

「そいつは無意味なQだよ。付き合うつもりはない」

 

 〈Q-z〉を名乗りながら、問いを飛ばさぬ男。会話をしない第三勢力。

 

「いや──そもそも、無意味な想像なんだよ。現実に、お前みたいな奴はいないはずなんだ。どれだけ時間をかけようが、どれだけ工夫を重ねようが、お前みたいなわけのわからない、呪われてるとしか思えない、不都合なものが在るわけがない」

 

 久竜晴水は灰原鏡夜を不都合なものと思っている。魔王が、自身を絶対に倒せる聖剣をありえないと思うような。邪竜を殺す勇者の存在を埒外(らちがい)と思うような。そんな、わけのわからない、呪われたような人の形をした自身の滅亡を見る。

 だが、現実として存在する。事実として居る。

 

「だが、いる」

 

 彼は問わない。

 

「──お前の仲間は──ああ」

 

 彼は聞かない。

 

「わかった。わかった。もうわかった」

 

 だから彼はキー・エクスクルなのだ。

 

「何がわかったんですか、会話をしてください」

 

 鏡夜は苛つきながら歩を久竜へ進める。

 近づけ。近づいて、捕える。

 

「お前の行き止まりだよ。……引かせてもらう、鏡の魔人。なに、俺のことなどどうでもよくなるさ。山も谷もなく駆け抜ける地平線に、理不尽を山盛りに盛り付けて、地獄のマラソンをする羽目になるんだからな」

「逃がすわけ──」

 

 

 

 蝶。

 

 

 

 

 蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。蝶。

 

 晴水の周囲から馬鹿げた量の蝶が舞い上がり、晴水と鏡夜の間に密集する。鏡夜は《鏡現》の板で思いっきり蝶たちを振り払うが、量が多すぎてどうにもならない。むしろ無闇に頑丈な蝶の質量に、鏡夜の腕力が負ける。

 

 

「ではでは、さようなら、ろくでもない魔人め」

 

 その大質量の蝶は集団として飛び上がり──地面に久竜はいない、おそらく蝶たちに抱えられて空を飛んでいる。

 

 超速度で蝶とキー・エクスクルは飛び立っていった。

 

 ちょっとだ。ちょっとだけでも、指先が、晴水に接触できていれば、鏡夜はキー・エクスクルを拿捕できていた──。

 

 やはり自分はポンと力を投げ渡された一般人だと、こういう時に痛感する。

 

 自分が華々しくクエスト『デッドエンド』を討伐した栄冠も忘れて、鏡夜は桃音たちが迎えに来るまで立ち尽くしていた。

 

 

 呪いの権化たる灰原鏡夜の本質。彼は世界に呪われるのと同じくらい自分を呪う。はたして彼の呪いは解けるのだろうか。

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