決着の決塔   作:ディティールノベル

8 / 10
カットアウト

 ある日のこと。

 竜と龍が顔を突き合わせてこう言いました。

 

「オレ様の方が強い」

「吾輩の方が強い」

 

 竜が言いました。

 

「火を噴けば鉄をも溶かし、空を自由自在に飛び立って、肌はいかなる金剛よりも頑丈だ。オレ様は強いぞ」

 

 龍も言い返します。

 

「風を纏い操り、空も地もするりと抜けて、鱗はいかなる刃も弾くのだ。吾輩の方が強い」

 

 するとそこに通りがかりの旅人が来たのです。

 竜と龍はその旅人の前に降り立ちます。旅人は二匹を見上げて首を傾げます。

 竜と龍は言いました。

 

「どちらが強いと思う?」

 

 旅人は答えました。

 

「君達は、なんのために強いのかな?」

 

 竜は言いました。

 

「奪うために、勝利のために」

 

 龍は言いました。

 

「自然のために、自由のために」

 

 旅人は言いました。

 

「ならどちらも弱いよ。誰も君らを強いなんて認めない」

 

 竜と龍はなぜだと問います。旅人は笑って言いました。

 

「みんなに強いって思われるから、その人は強いんだ。誰も助けない。誰も救わない、そんな溶岩を、そんな嵐を、人類も人外も強いと思わない。恐ろしいとは思ってもね。強くなるには、まず友達を作らないと」

 

 竜と龍はすっかり恥ずかしくなって空へと飛び立っていきました。

 

 

 〔勇者と魔王のジョーク集 【竜と龍】より抜粋〕

 

 

 ────────────────────────────────

『追いつかないわ』

 

《人形使い》は弱音を吐いた。

 久竜晴水は飄々と笑う。

 

『ペースが速すぎる──いくら資源があっても間に合わない。エクスクル。次の階層に合わせた機体は無理よ』

 

 久竜は人差し指をその蝶へと差し出した。蝶は竹からひらひらと飛び立ち、久竜と指の上にとまる。

 久竜は蝶へ語りかける。

 

「お前が無理っていうことは、まぁ無理なんだろう。技術者はろくでもない上司や他部署以外には嘘を吐かないからな」

『恋する私も吐かないわ』

「は、は。誠の恋とは、また面映ゆい」

 

 久竜は笑う。笑いながら考える。

 

「しかし、参ったな。あの忌々しい魔人、ついにはお前すら引き離したのか」

 

 英雄の失踪、たった一人で無理をして、彼はいなくなってしまった。これが当初のシナリオだったのに、あの灰色の男のせいで一気に崩れたのだ。本当に不都合な存在である。

 

『腹立たしい? やっぱり消した方がいいんじゃないかしら?』

 

 久竜はすっと笑顔をやめると立ち上がり、体重をかけて竹をしならせる。重さによってこうべを垂れる竹の上で久竜は言った。

 

「まさか、被害者じみた三文芝居でも見せられていれば話は別だが、あれは俺のような似非と比べるまでもなく英傑だよ。少なくとも、人も人外もそう思っている。否定的ではあってもね。で、あれば、俺たちが断頭すべきものではない。……それならば、あの銃のお嬢さんにご退場いただければいい。そうそう、《過去観測》も非常に過大で過剰で面倒だ。あれもシャットダウンすべきだろう」

 

 久竜は極限まで曲った竹の上で静止する。蝶は不愉快そうに告げる。

 

「あれは死なないわ。この時代に白百合華澄がいるのが、一番面倒なのよ。こと軍事、戦争において、あの女は無法で無敵よ。バレッタ・パストリシアが兵器や戦況のブリーフィングを完璧に行い。未来を観ても勝てない状況に追い込まれる。ああ──本当に、私が創ったのに、忌々しい観測機械ね。私が創ってあげたのに、忌々しい魔術師ね」

「それなら沈黙の──くくッ」

『ふふっ』

 

 言葉にすることすら可笑しいとエクスクルと《人形使い》は笑う。不語桃音を無力化? 悪い冗談だ。

 久竜晴水──キー・エクスクルは竹から地面へ飛び降りた。

 

「完璧を求めすぎているからこそ息が詰まるのだ。神ならぬ俺たちにできるのは、今できる八十%────?」

 

 久竜は首を傾げる。竹林から何か来る。

 

『エクスクル?』

「……都合の悪いことばかり起こると思っていたが、そうでもないらしい」

 

 久竜は、第三階層【竹林】の奥から来たソレを見て、苦笑した。

 

「奇縁だ、奇遇だ、ああ、よかったよ。安心した。なぁエーデルワイス。シナジーなんてのは、今回は不要だ。もっと単純な機構でいい。ほら、お前の弟子のソレイユから設計図でも拝借すれば、すぐ作れるものぐらいはあるんじゃないか?」

 

 蝶から聞こえる声が淡々と言う。

 

『あるわねぇ。ええ、でもいいのかしら? 言っちゃ悪いけど、業狂いから見れば全部無粋よ。たぶん障害にもならない』

「いいさ、いいさ、今回はそれがいい。“自然でない行いは、 自然でない混乱を生む”。混乱こそまさしく俺の意図するところだが、しかし目的なわけではない。今幕は、混乱よりも“彼”が俺の目的を果たしてくれるだろう」

 

 

 久竜は眩しいものを見るように迫ってくる何かへ視線を注いでいる。それを蝶越しに《人形使い》──エーデルワイスは見て取った。

 

『貴方がそれでいいのならいいのだけれど。それで……やっぱり逃がした方がいいわよね』

 

「ああ、“彼”は俺と同じことをしている。一太刀も交わしたくない。この階層、俺たちは闇に消えよう。ちょうど、裏に回ってろくでもない魔人に素敵な伏線を撒こうと思っていたんだ! “悲しみが来るときは、単騎ではやってこない。かならず軍団で押し寄せる”。まさしくまさしく!」

 

 久竜は蝶の大群に包まれて、消える。……【竹林】は静寂に包まれる。

 これまでと同じように。

 

 

 

 〈1000年1月5日 午後〉

 

 灰原鏡夜が決着の塔から帰還して告げた真実。久竜晴水こそが〈Q-z〉首領、キー・エクスクルであるという情報は驚きをもって契国……の受付、染矢令美に齎された。

 ちなみに灰原鏡夜のパーティメンバーは驚く様子はなかった。

 白百合華澄は豪奢な金髪を弄りながら言った。

 

「ああ、そっちでしたの? 挑戦者か契国王だとは思っていたので……ええ、しかし、早期に確定したのは素晴らしいことですわ。流石灰原さん」

 

 不語桃音は焦点の合っていないぼんやりとした目をしていた。

 

「……」

 

 バレッタ・パストリシアはくすくすと笑って意気込んでいた。

 

「くすくす……つまり久竜晴水様の過去を観測すればよいのですね……」

 

 かぐやは嬉しそうに鏡夜へ頷いた。

 

「つまりまた我が君が偉業を成し遂げたのね!」

(ホントこいつら普通の反応しねぇな)

 

 対して決着の塔攻略支援ドーム職員、染矢令美オペレーターは普通の驚き方だった。

 目を見開いてポカンとした表情でしばらく絶句していた。

 

「……その、……証拠とか、あります?」

「残念ながら……」

「いえ……そうですよね……わかりました。報告します。えーと、言いづらいのですが、証拠がないのでしたら、久竜さん発見の、報酬は出ないと思いますので、申し訳ございません」

「ああ、そういえばそんなのもありましたね」

 

 感情も困難も大荒れだったからすっかりと失念していた。

 久竜晴水探索に報酬が出るのは悪くないと思っていたが、絶対に欲しいと飢えていたわけでもない。

 

「別にいいですよ」

「しかし久竜さんが〈Q-z〉だったとは」

「しかも首領」

 

 鏡夜の付け足しに染矢は深刻な表情を浮かべる。

 

「正直な話、最悪ですね。少なくとも決着の塔を総合的に管理している日月の契国の威信はがた落ちです。〈英雄〉久竜晴水を差しこんだことは、契国のごり押しだった──という論調が強まってしまいますね。そして正直な話、それは間違いではありません。私は久竜少佐の派閥に関わりがないので──この情報から起こりえる揺らぎに巻き込まれることはないのですが、一軍属としては何かできることはないかと考えてしまいますね」

 

 元気な染矢オペレーターらしからぬシリアスな口調だった。

 

「〈Q-z〉はいったいなにをしたいのでしょうか? そして──貴方は──―……いえ……」

「……どうなさいました?」

 

 鏡夜は染矢を責任感の強い受付だと解釈している。告げるべきを告げ、言うべきを言う彼女が言葉を濁すとは、不思議だ。

 

「いえ、ただ、私の悪い想像が頭をよぎっただけです。不確定な妄想ですから、言う必要もないでしょう」

「そうですか」

 

 少し気になるが、不確定な妄想を聞き出せるほど染矢と親しいわけでもない。鏡夜は意図的に聞き流すことにした。

 

「それで……どうなさいます? いつものようにお帰りに──」

「いえ、ダンジョンに入ります」

「え、そうなんですか!」

「そうなんですの?」

 

 染矢が驚き、後ろに立っていた華澄が首を傾げる。

 

「ええ、なんというか、いてもたってもいられなくて」

 

 あの時。キー・エクスクル、久竜晴水を捕まえられなかったのは致命的な失敗だ。誰も鏡夜を責めないが。しかし、あの瞬間に感じた痛切な後悔は、鏡夜の精神の中で疼いている。

 いてもたってもいられない。焦燥にも似た衝動がじくじくと胸から湧き上がっていた。

 華澄は顎に人差し指を添えた。

 

「灰原さん、焦りは禁物ですわ」

「もちろんわかってますよ」

 

 そう。鏡夜はもちろんわかっている。この焦燥は、ある種の愚かな正当化だ。失敗した分を、今できる何かで取り返そうとする近眼的なヒステリーだ。それで失態をなかったことにしようとしてる。

 株だかFXだかで百万円スッたから、競馬だかルーレットで百万円を一点賭けして取り返そうとするような、ありふれて哀れな間違いだ。

 

「だから、見るだけです。それ以上はしません」

 

 それでも今湧き上がる感情は、灰原鏡夜の感情だ。思いっきり抑圧して飲み込んで我慢するのは、軽薄な鏡夜はできない。だから、どこかで折り合いをつけるしかない。

 その折り合いこそが──、ダンジョン探索の続行だ。先には進まぬ。奥には行かぬ。次の階層を覗くだけ。

 だが、もしかしたらキー・エクスクルがそこにいるのかもしれない。もしかしたら〈決着〉を手に入れる最重要の鍵を手にできるかもしれない。

 リスクは極端に低く──リターンの見込みも極端に低く。だが、いてもたってもいられない衝動は解消できる。

 

「で、どうでしょう……? 反対があるのならば、もちろんやめますが」

 

 バレッタが微笑む。

 

「くすくす……私は賛成ですね……次の階層へ、久竜様が向かったかどうか……観測するのは我が主の、調査の足しになると具申いたします」

「ふむ、一理ありますわね。灰原さんも自己管理ができていらっしゃるようですし、ええ、わたくしも構いませんの」

「私はもともと我が主に絶対服従だから」

「…………」

 

 他のメンバーも特に異論はないようだった。鏡夜は頷く。

「では、行ってまいりますね」

「あ……はい! いってらっしゃいませ!」

 

 染矢は少し戸惑った様子を見せながらも元気よく鏡夜たちを送り出してくれた。

 

 

 

 第二階層【密林】、石造りの扉、次の階層への入り口へ向かうと、その扉は空いていた。丁寧なことに、鍵穴にはあの怪鳥と同じカラーリングをした鍵が刺さりっぱなしだった。

 どうやら久竜晴水は、白百合華澄が撃ち落した怪鳥から鍵を横取りして、次の階層へ先回りしたらしい。実に抜け目がない、あの蝶を使ってちょろまかしたのだろうか。

 鏡夜はげんなりとした感覚になりがら、次の階層へと進む。

 

 第三階層【竹林】は静謐な空気が流れる場所だった。視界いっぱいに、細い竹がまだらに生えている。逢魔が時のように、夜一歩手前のように、薄暗い空。一呼吸するだけで、新鮮で冷たく穢れのない酸素が肺に満ちる。

 寒いわけではないが、景色も温度も涼やかだ。

 

(──―不吉だ)

 

 まず鏡夜が感じたのがソレである。第一階層【荒野】は殺風景で第二階層【密林】は鬱蒼としていたが、この【竹林】は物寂しくも、不穏な雰囲気だった。

 ひどく、孤独を実感するような、ひどく呑まれてしまいそうな、その妙な印象に鏡夜は違和感を抱いた。

 静寂を保つ鏡夜の背後で、バレッタが告げる。

 

「くすくす……先ほど、久竜様はこちらを通ったようですね。追いかけますか?」

「いや、追いかけませんよ(すげぇ嫌な感じするし)」

 

 かぐやは不思議そうに言った。

 

「まったく文句はないんだけど──、なんで? その久竜何某に“決着”を先に取られちゃったら大変じゃない?」

「拙速なんて隙だらけなことするのは愚かですわ」

「貴女に尋ねてないんですけどぉ」

「あら、それは失礼、ですの」

 

 華澄と掛け合いをしたかぐやに鏡夜は解答する。

 

「その懸念はもちろんありますね。行く先々に妨害を置いている。つまり先んじてダンジョンを進んでいる。なんとも腹立たしくて焦る話です。ですが、彼はこう言いました。“希望の火を絶やすことを、俺は目的にしていないからな”と」

 

 最初言われた時は意味がわからなかったが、しばらく時間をおき、何度か考えてみれば自然と思いつく。

 

「〈決着〉を先に奪ってしまっては、希望の火なんてなくなってしまうでしょう? だからたぶん、別のことが目的なんだと思います。いささか希望的観測なような気もしますが、外れてはいないでしょう」

 

 というかもっと根本的な、そして印象的な話として、あの要領を得ない、本性が煙のようなキー・エクスクルが、〈決着〉を誰より先に手に入れる! なんて単純な目標を掲げるとは鏡夜には到底思えないのだ。はっきりいって、興味はそれほどない。が、嫌でもわかる。

 きっとあの英雄様は、複雑で分裂した奇々怪々な動機で動いているに違いない。

 

「なるほどねぇ、わかったわ、我が君!」

 

 かぐやは鏡夜の言葉に、ふんふんと大げさに頷いた。

 

「納得してくださったら幸いです」

 

 両手を軽く上げて軽く微笑んだ鏡夜は【竹林】へ一歩踏み出した。

 

 

 空から落ちてくる風切り音。鏡夜は上を見上げてすぐに、《鏡現》を眼前に作り出した。衝撃が響く。

 鏡夜は無表情に、奇襲を失敗して地面に降り立つその機械を見る。

 

 巨大な一つの鋏を両手で持った針金のような細身の人型兵器。猫背で能面のような顔。ジャキンジャキンと鋏を鳴らす。

 その鋏の片刃に刻まれた刻印はQuestion“cutout”。人型のクエスチョンシリーズ。クエスチョン『カットアウト』が現れた。

 

(……ツイてねぇ 今日マジでツイてねぇ!)

 

 ただ本当にさっと、触りだけを見る気しかなかったのに、いきなり〈Q‐z〉のロボットと遭遇するとは、本当に本当に最悪だ。

 しかもクエスチョン『パレード』とクエスト『デッドエンド』の運用方法から察するに……。

 

「皆さん! 周囲の警戒をお願いします! 私は、アレに集中します!」

 

 即断してから、鏡夜は全方位の警戒を捨てて、目の前の『カットアウト』のみに集中する。〈Q‐z〉のロボットは単体でも油断ならないのに、その階層のボスと組むことで一気に難易度が跳ね上がる。

 だからこそ、他のパーティに周囲……特にボスモンスターが現れてこないか警戒してもらい、できれば分断している内に『カットアウト』を倒す。

 

 ……ということを、全て説明せずとも、そのように行動できるパーティの優秀さに感謝を抱きつつ、鏡夜は『カットアウト』と戦闘を開始した。

 

 クエスチョン『カットアウト』。シリーズ名クエスチョンの名の通り、『カットアウト』は人間大の規格だった。

 手に持っているのは巨大な鋏。

 

「シザーマン? シザーハンズ?」

 

 軽口をたたく鏡夜のそっ首をバチンと断ち切ろうと『カットアウト』の鋏が迫る。鏡夜はその刃を曲げた鏡で防ぐ。そして間髪入れず『カットアウト』は蹴りを叩きこもうとする。

 その蹴りを鏡夜は右手で掴んで、そのまま力任せに降りまわして地面に叩きつけた。

 

『カットアウト』は身体をぐるぐると回転させて鏡夜の捕縛から逃れようとする。

 このまま掴んでいると腕が捻じれてしまうと判断した鏡夜は『カットアウト』の足から手を離した。

『カットアウト』は鏡夜と距離を取る。

 

 未だにモンスターの襲撃は来ない。仲間たちは変わらず周囲の警戒に注力している。

『カットアウト』はジャキンジャキンとわざとらしく鋏を鳴らすと、また真正面から鏡夜へ挑んできた。

 

 

 なんというか──安直だ。クエスト『カーテンコール』クエスチョン『パレード』クエスト『デッドエンド』三体とも、まるで見たことがないような斬新な発想とモンスターとのシナジーを考えられて作られていたのに。それに加えて。

 

(……相性が悪いってのに、なんだ?)

 

 そう。灰原鏡夜とこの『カットアウト』はかなり相性が悪い。巨大な鋏は全て《鏡現》で防ぐことが可能だからだ。横から? 左から? あるいは先ほどの奇襲のように上から? どこから来ても同じだ。《鏡現》を作り出してしまえば届かない。

 

 

 はっきり言ってしまえば、奇襲が失敗した時点で、クエスチョン『カットアウト』は、灰原鏡夜たった一人が相手だったとしても勝ち目がないように見える。

 

(何かある──)

 

 胴体を叩き切ろうとする鋏に合わせて再び曲げた《鏡現》を作り出したと同時──鋏の中央がバチンと外れた。

 鋏の留め具が外れて両手持ちの双剣になったのだ。

 

(仕掛け武器──変形武器か!)

 

 勢いよく、弾けるように両手に片刃の剣を持った『カットアウト』が、片方を首、片方を太腿へ刃を向けて──―。

 

「だったら最初から両手に鋏を持てばいいじゃありませんか」

 

 鏡夜は目を細めて身体を横にして構えると両手に《鏡現》を投影した。──鋏に。二つの鋏に。鏡夜は両手に作り出した《鏡現》の鋏で、その二振りの剣を、重低音を響かせて断ち切った。

『カットアウト』はそれになんら動揺することなく、半分になった二振りの剣を雨のように降らせる。

 両手持ちの双鋏で鏡夜は刃の雨を迎え切る。

 鏡夜は両手に持った巨大鋏でジョキンジョキンと敵の刃を切っていく。

 そしてついに根本まで『カットアウト』の武器を刻み──。

 

「はい、チョッキン」

 

 鏡夜は『カットアウト』の首と胴体を断ち切った。

 三つの部分に断ち切られて床に散らばる『カットアウト』

 鏡夜は両手に持った《鏡現》の鋏をジョキンジョキンと操作しつつ改めて見る。

 

「わざわざ鋏を武器にするとか正気か? とも思いましたが、意外と便利ですね、これ」

 

 特に片手で綺麗に断ち切れるのがいい。《鏡現》は、極限まで薄く、そして決して壊れぬ鏡にして刃だ。つまり、切れないということは原則ない。ならば鋏を有用な武器の一つとして覚えていても損はないだろう。

 鏡夜はそんなことを考えつつ、両手の鋏を消して、顔を上げる。桃音と目が合うが、桃音はどうでもよさそうに鏡夜の傍に近寄り、ぽけーっと中空を見ていた。

 華澄もまた、困ったような顔で鏡夜に近づく。

 

「モンスターの影も形もありませんわ」

「それは妙ですね」

「くすくす……『カーテンコール』のようにシナジーのない、単体での運用だったのでは?」

 

 バレッタも会話に合流する。鏡夜はちょっと考えて言った。

 

「今までのクエスチョン『パレ―ド』やクエスト『デッドエンド』から難易度下がり過ぎじゃありません?」

 

 四字熟語で表現すると鎧袖一触だった。そりゃボロボロ出てくる通常モンスターに比べれば強かったが、嫌らしいシナジーを組み、メタを張りまくった機体と比べると……。

 

「弱かったですし」

 

 この状態をどこかで見ていた三人の〈Q‐z〉の構成員、首領は困ったように笑い、副首領兼技術顧問は冷ややかに見下し、唯一の一般構成員兼技術助手は羞恥と屈辱に顔を赤らめていた。

 それはそうだ。ただ負けるだけならまだしも──。

 

「コンセプト的に凌駕しましたものね。技術者として痛恨ですわ」

 

 華澄は頷く。

 

「鋏をわざわざ両手剣にするのならば最初から鋏を両手に持てばいい。分解による不意打ち? 奇襲失敗からのリカバリーで観念的な奇襲というのは良い目線ですが、それならば二重で満足するべきではありませんの。三重、四重……五重、六重……八重以上。奇襲奇襲と叩き込めれば実に脅威となりましたの」

 

 華澄が語る完全奇襲特化型マシーンを想像しただけで、鏡夜は腹の底からげんなりする。クエスチョン『パレード』は完全にバレない隠密に特化していたが、もしもそこに少し妥協して奇襲武装を盛り込まれていたら、万が一でも死ぬかボロボロになってかもしれないと、嫌な想像をしてしまう。まぁ、『パレード』は、大獅子とのシナジーに重点を置き特化させたある種の完成形なので、この仮定の想像は、ただ鏡夜を嫌な気分にする悲観的な無為な妄想なのだけれど。

 華澄は眉を顰めて呟く。

 

「あまり《人形使い》らしい人形ではありませんわね……? ワンオペで回しているわけではないのでしょうか……?」

 

 鏡夜は気を取り直して違和感を覚えている華澄を含め、パーティメンバーに言った。

 

「まぁ、不幸な遭遇戦でしたが、〈Q‐z〉の戦力を削げて実りはありました、もう充分です。引きま────し、ょ、う──―……」

 

 全身に走る悪寒。もう焦燥はなくなった、もう十分だと、そんな程度の気持ちで次の階層に突入してクエスチョン『カットアウト』に遭遇して、次はこれだ。

 ここまでくれば、灰原鏡夜でもわかる。たった一つの認識。

 

(ああ、わかった、今日は厄日だ)

 

 なにやってもうまくいかない日というものがある。どんな人間だろうと人外だろうと、もしくは全身が呪詛まみれの魔人にも、そんな日がある。それは、今日だ。

 

「……ッ」

 

 鏡夜は後ろ歩きで下がる。他のパーティメンバーもその気配に気づいたのか鏡夜の視線の先を見て下がっている。

 かなり早いペースで重い物が地面に叩きつけられる地響きがする。下へ降りる階段へ降りつつも視界に収まったその姿は……。

 

「龍……?」

 

 老いた龍だった。東洋の神話に燦然を輝く幻獣の頂点。

 その老龍は地を這い、跳ねる。波打つように地面を移動する龍の胴体。飛ばない、駆ける龍。

 それが──―恐ろしくてたまらない。一瞬後に頭がなくなるような、一呼吸あとに上下真っ二つにされるような死の恐怖と痛みの絶望が全身を這いまわる。

 まだ遠い。まだ届かない。

 にも拘らず、すでに全身に巻き付かれているような圧倒的危機感を覚え、動揺で目と呼吸が乱れた。

 鏡夜と老いた龍と目が合う。皺だらけの龍の顔。透徹した黄色い両目が、鏡夜を射抜く。表情がない、不気味であるというよりも、威厳があると捉えるべきか。

 

「──―」

 

 言葉はいらなかった。龍の時間は、龍の身体が語っていた。その強さが語っていた。脳内が真っ白になりながらも、自動的に身体を動かし、鏡夜は第三階層から撤退した。

 

 

 

 

 思考が再び回転し始めたのは第一階層【荒野】の道中だった。ショックから立ち直った鏡夜がまず思ったのは。

 

(──―なんだアレ)

 

 いや、ボスなのは確かだ。第三階層のボスモンスター、老龍。それはわかる。ただ、今までと違うのは。

 

(勝てる気がしねぇ)

 

『カーテンコール』は恐ろしかった、『パレード』と大獅子は気づかれねば無敵だった、『デッドエンド』と怪鳥はインチキを持ちださなければ打ち倒せなかった。『カットアウト』は一発勝負で驚いた。

 だが──あの老龍は、次元が違う。ただ勝てない。まるで超えられぬ壁を前にしているような、変えたいのに変えられない過去を思い返しているような、圧倒的な不可能。

 

「我が君、我が君」

「なんです?」

 

 やっと我を取り戻した鏡夜へ、かぐやが声をかける。

 

「あの龍さぁ、私と一緒に梱包されたはずの、老化防止薬飲んでたんだけど」

「…………はい?」

 

 鏡夜は首を傾げてかぐやを見る。かぐやはぶすっとした表情で、不服そうに告げる。

 

「ホントーなら我が君が飲むべきそれを横取りされてるってことよ! 許せなくない!?」

「や、ちょっと待ってください。えーと、なんでわかったんです?」

「あの龍の本来の耐久年数は200年程度、でも光学検査ですっぱり判明! あれは千年生きている。なんでか調べたら、ええ、見えたのよ老化防止薬の反応が! ムカつくわ。きっと塔が閉じている時に奪ったのよ! なんなのよ!」

 

 ぷりぷりとわざとらしく怒るかぐやから目を外して、鏡夜は第一階層の作り物の空を見る。

 千年。そうか。千年の時間が、立ちはだかるのか。

 

 

 鏡夜たちは決着の塔を脱出して、その入口。ステージホールの舞台へと戻った。そして、鏡夜が口を開く。

 

「勝ちましょうか」

 

 華澄は笑顔で応える。

 

「ですわねぇ」

 

 鏡夜は駆け抜けると、もう決めている。勝てないと思う敵、不可能と感じる壁。困難と遭遇してから苦悩し、決意するのでは遅すぎる。

 

 灰原鏡夜はもう悩んだ、もう決めた。だから迷わない。

 

 だから鏡夜は、その前段階、ほんの少し自分の中に不合理を感じた時、迷った時に、決意を固めた。いや、一人で固めたのではなく、桃音と華澄によるものでもあるのだけれど、それでもそうと決めたのだ。

 脳内が真っ白になってしまったのは不覚と認めよう。何をやってもうまくいかない厄日にうんざりしてしまったのは反省しよう。

 

 だが、諦める? まさか、そんな言葉は無意味だ。勝てないも不可能も、そんなことを考えている時間さえも惜しい。

 なぜって、灰原鏡夜は、駆け抜けるだけしかできないのだから。

 

 背筋が伸びる。不敵な笑顔を浮かべる。歩き姿は颯爽しつつも妖しい、意地と虚勢と鏡の魔人は、そのまま堂々と仲間を引き連れてステージホールから外に出た。

 

 

 鏡夜が決着の塔攻略支援ドームに通りかかると、そこには勇者と魔王がいた。現代の、である。肩に黒いスライムを乗せた真っ赤な麗人スカーレットも勇者の傍にいた。

 小柄でシニカルな少女、薄浅葱は鏡夜に気づくと親しげに近づいて片手をあげた。

 

「やあ、こんにちは──いや、そろそろこんばんはかな? ともかく少しぶりだね、灰原──―鏡夜くん」

 

 鏡夜は背の低い彼女を見下ろす。

 

「ええ、こんばんは、薄浅葱さん」

「ところで聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」

「なんです?」

「僕って勇者だと思う? 正直に答えてほしいんだ」

「貴女こそが勇者だと思いますが」

 

 笑えないくらいには勇者だろう。と自分の中の確信を答えると薄浅葱は、皮肉げに振り向いて、大柄で恐ろしい魔王ジャルドへ言った。

 

「ほら、ご覧、彼だってそう言ってるじゃないか。確かに僕には過ぎた称号だけど、しかし事実は変わらない。現状は変化しない」

 

 瞳に闇が渦巻く闇の魔族、巨人の系譜を持つ魔王、ジャルドは血相を変えて言う。

 

「おかしいだろうが! どうも世の中の連中ってのはお約束ってやつを理解してねぇ──特にその勇者! 王道から外れ過ぎた邪道も邪道だ。なんたることか!」

「なんたることかと言われましても、ねぇ?」

 

 知ったこっちゃねぇ。と鏡夜は困ったように薄浅葱、次にイラッとした顔をしているスカーレットへ顔を向ける。

 

「それならばミスタージャルド、貴方は勇者のなんたるかを知っているというのか?」

 

 ジャルドは、赤い令嬢スカーレット・ソアの嫌味に、それはもう大袈裟に言い返した。

 

「当然だろうが! なぁ、わかるだろ? 魔王に相対するのは勇者。穢れ! 悪! 闇! な魔王を打ち倒すのは純真! 善! 光! な勇者だろ? 悪を倒すのはより大きな悪ゥとか、大なり小なり人は穢れを持ってるゥ、とか、そういうツマラナイんじゃなくてさ。

 王道でいこうよ王道で。なんだよ探偵勇者って、ふざけてんのか」

「自分がラスボスじゃないからって拗ねてるのかな?」

「あ?」

 

 魔王ジャルドは薄浅葱に近づく。薄浅葱は鏡夜のすぐ傍にいるので、必然的に鏡夜も、魔王の間近で見下される形になる。

 

「ていうかそれならさ、僕も君も違うでしょ。君も薄々わかってて、そう動いているはずだよね。僕は別に君みたいに物語主義者でも役割主義者じゃないけど、それでも表現するならさ。今の主役は鏡夜くんだよね? そして敵手は──」

「──!」

 

 ジャルドにぎょろりと睨みつけられる薄浅葱と鏡夜。以前ジャルドに会った時は感情的でありながらも魔王としての余裕があったのに、今この瞬間だけ、それが一切消え去っていた。鏡夜はシンプルに怯えたが、それを飲み込んで薄浅葱に問うた。

 

「ねぇ、なんで今巻き込んだんです?」

 

 薄浅葱は鏡夜を見上げて言った。

 

「売り言葉に買い言葉でつい」

「言い訳もしないんですね……」

 

 ジャルドはふざけた掛け合いをしている二人を見て、ふん、と鼻を鳴らすと一歩下がった。そして不愉快そうに告げる。

 

「俺は魔王様だからな、国民どもの言葉はちゃんと聞いてるぜ──まぁ俺は魔王様だから聞いた上で無視するもんは無視するんだが。鏡の魔人、こいつは忠告なんだが、お前の評判、かなり悪いぜ。運命的宿敵たる勇者様以上にな」

 

 

 それは、鏡夜の”決着”を明らかにしていないから──。鏡夜は自分が世界的に悪評を抱かれているのを把握している。ニュースサイトでわざわざ特集されていたのは伊達ではない。

 

「知ってますよ。沈黙してますからねぇ、私」

 

 鏡夜の答えを聞いて、魔王ジャルドはげらげら笑った。

 

「いや? ははは、お前は民衆ってやつを良く見過ぎだよ。俺はちゃんと説明できるぜ。人気ある、俳優ばかりが出る舞台に、たった一人だけ、見たこともねぇような無銘の俳優が舞台の中央に躍り出たような、そんな不愉快さ、さ。何を差し置いて名優どもを押しのけて主役ぶってやがる。俺たちはお前を見に来たわけじゃない──。そんな観客──いや、野次馬根性。誰も当事者じゃないんだ。そりゃ勝手に考えるさ。なにせ別に自分がやってるんでもないんだし」

 

 ジャルドはニヤニヤしながら言った。

 

「ま、それだけお前が強いって話でもあるんだがな、どこまで行った?」

「第三階層で引き返しました」

 

 別に嘘を吐く意味もないので素直に告げる。

「第二をもう潰したのか。はえぇな、信じられねぇほどはえぇ」

 

 ジャルドはそう感想を漏らして去って行った。

 

「なんて身勝手な男だ!」

 

 スカーレットは気分を害したように言った。スカーレットの肩に乗っていた烏羽が落ち着かせるように彼女へ告げる。

 

「そんなに怒るもんじゃあないぞ、ソア。アレはままならなさに歯噛みしてるんだ。というよりも、どいつもこいつもそんなものだ」

 

 

 烏羽の言葉に合わせるように薄浅葱は鏡夜を見る。決着の塔に興味もないのに囚われる勇者、役目を全うできないぐちゃぐちゃな状況で佇むだけの魔王、未だわからぬ聖女と英雄、そして、全身を呪詛に纏わり憑かれた魔人。ままならない。ままならない。

 

「でも、私の方が先に行ってますよ」

 

 鏡夜は、たった今、超えられる気がまったくしない壁にぶつかってることをおくびにも出さないで、意地を張った。えらい不吉なことを言われたこともあるし、負けん気で出た発言である。

 薄浅葱は少しだけ目を見開いて、その後小さく笑った。

 

「──―ふっ、まいったね、こりゃ一本取られた。ああ、そうそう。この前さあ、この塔の階層は何百もあるって予測したじゃん」

「はい」

「あれ間違いだったよ。やっぱり名探偵は確証を得られるまで推理を話すべきじゃないねぇ。一階層一階層が、とてつもなく広い。上も下もだ。使われてる空間が多すぎる。そしてこれは確証を持って言える。階層の総数は一桁のどれかだよ。間違いない。3から9のどこかの数字で打ち止めだ。いい知らせかな?」

「……ええ、とても」

 

 鏡夜は微笑を浮かべて頷いた。厄日だったけれど、別に薄浅葱の推理を聞いて何が解決するわけでもないけれど。

 少しだけ、光なんてものが見えた気がした。

 

(なんだ、やっぱり勇者じゃないか)

 

 

 〈1000年1月6日 午前〉

 

 翌朝。絢爛の森管理人、不語桃音の家のリビングにて鏡夜は開口一番言った。

 

「では、対策を建てましょう」

「その前に一つ」

 

 華澄が声を上げる。

 

「なんですか?」

「以前わたくし、絢爛の森の貴方を調査しないと誓いました。ええ、その誓いを破ることはいたしませんけれど、その調査はどこまで定義されますの? わたくし、今ここの痕跡を見るだけで、まぁ、かの探偵やバレッタほどではありませんが、貴方と桃音さんの生活をいくらか推察できてしまってますの。──―ふふ、同居してるだけですのね」

「──―」

 

 桃音はゾンッ―と妙な擬音な聞こえそうなほど光のない両目を見開いて華澄を見た。華澄は桃音の視線を受けても不敵に微笑むのみである。

 鏡夜はその様子に気づかないまま言った。

 

「バレッタさんが過去観測しなければオールオッケーですよ」

 

 灰原鏡夜が異世界からの来訪者だと知っているのは、桃音とかぐやだけだ。桃音はコミュニケーション不可能者故に、彼女からは伝わらない。かぐやもまた異世界出身であることを言うなと厳命しているから、誰かが聞くことはないだろう。なら物は? それこそ辿れない。鏡夜はこの世界に何も持ち込めていない。また異世界出身だと記録も残していない。最初から世界に存在しない真実は、過去観測機械にしか見つけられない。

 そして……驚くことに、鏡夜を信頼してしまっている華澄は、必ず約束を破らないと鏡夜は確信している。

 だから、自分の過去を探らないことだけ守ってくれればいい、と鏡夜は告げた。

 華澄はそうですの、と呟くと佇まいを姿勢の良いものに直した。

 

「では──まず目標は、第三層のボスモンスター、老龍を倒すことです」

 

 ここにきて、ロボットではなく、またロボットとモンスターのシナジーでもなく、モンスター単体が脅威になるとは思わなかった。

 鏡夜が言ったタイミングに合わせて、かぐやが黒板に“老龍を倒す”と白チョークで文字を描く。

 なぜか桃音の家に黒板とチョークがあったので有効活用である。モノヅクリが趣味? なように見える桃音だから、黒板アートに手を出している時もあったのだろうと、鏡夜はいつものごとく勝手に予想していた。

 

「で、まず聞きたいんですが、かぐやさん、老化防止薬って、その……強くなる効果等あるのですか?」

 

 レベルが一気に跳ね上がっていた。大獅子は最低限力のある冒険者なら打ち倒せる強さだった。怪鳥は、お使いクエスト(鏡夜たちはやらなかったが)をきちんと行い準備すれば倒せる敵だった。

 では老龍は? ふざけている。弱点はあった。確かにあった。鏡夜の目にはもちろん見えていた。

 

 

 今でも目を閉じれば思い出せる──。弱点【自分より強いもの】【奇襲】だ。

 

(ふざけている!!)

 

 そんなの全ての生き物に適合する弱点だろう。そもそもあの龍は、鏡夜たち全員が感知しないうちに迫ってきていた。莫大の光学的感知機能を持つかぐやよりも先に、だ。

 実質、奇襲は弱点として機能していない。自分よりも強いもの? 鏡夜は、あの龍より己が強いとまったく思えない。

 しかし、あの老龍の強さが老化防止薬に端を発した強さなら、かぐやが齎す知識で勝てるかもという期待は。

 

「寿命を極端に伸ばすだけですよ、我が君。不死の薬なんて称えられることもない、本当に、ただの、名前通りの老化防止薬。不老の妙薬。でも安心して我が君! 死なないなんて、そんなことは絶対にないわ!」

 

 その期待は完全に潰された。老いないだけ。

 

「何か、こう、服用して副作用など……?」

「ないわ! まったく! 私と同じように、老いを忌む全ての人が夢見る理想の薬!」

 

 そしてつけ込むべき弱点もない。鏡夜は笑顔の仮面で本当の感情を押さえつけた。今すぐにでも屈んで髪の毛を掻きむしりたい気分だ。

 かぐやはコミカルにほわほわと袖で口もとを隠しながら、鏡夜の要望に応えようと言葉を紡ぐ。

 

「やっぱりアレね、私が遠距離からビームをぶち当てていくスタイルがいいと思うわ! 超遠距離からの高火力掃射が正義──そうよね ! 機械人形!」

 

 バレッタはくすくすと笑う。

 

「それができれば……ですね。こちらの存在を超遠距離から感知していたあの機体は、光を弾いたり曲げたりはしないでしょうが……射角を、推測して避けることが可能でしょう……。神話的不合理特徴がほぼなく、合理的なのは親近感を覚えますね……。では逆に龍の神話体系に乗っ取るようにするのはどうでしょう……生体人形さん……」

「それこそ冗談でしょー。竜殺しならたくさんあるけど、龍殺しの神話なんてないわ! 八岐大蛇は、アレは蛇だし。千年前の、神代に答えはないわよ。それは私が保証する。そんなものがあるのなら、屠竜之技なんて言葉は生まれなかったわ。あ、この言葉は竜の字だけど、意味合い的には東洋的なりゅうだから龍と捉えた方が正しいわ!」

「なんですかその豆知識」

 

 しかも屠竜之技なんて聞いたことがない。鏡夜がいた世界にあったのか? 残念ながら、調べる手段がないので確かめられなかった。

 そんなことをぐだぐだと話していると、桃音が突然立ち上がり、リビングから立ち去って、すぐに戻ってくる。手には一冊の本があった。

 

 桃音はそれをテーブルの上に静かに置く。その本のタイトルは“日月の契国、千年のあゆみ”だった。鏡夜はそれに手を伸ばし、ペラペラと捲ってみる。

 それは歴史書だった。学校の教科書のようにざっと触りだけを羅列するように解説している。鏡夜は難しい顔をしながらページに目を通すが、頭に入ってこなかった。平安時代後期あたりから、まったく鏡夜の知る歴史とは変わってしまっているし、そもそもそれ以前、縄文時代とか弥生時代はなぜか日本神話がドンッと書かれている。

 ……日月の契国の前身、“聖域”と呼ばれていた時代も、ただそんな時があった、とさらっと書かれているだけだ。鏡夜は読み込む気も失ってテーブルの上に置いた。

 それはそうだ、まったく興味がない。これが歴史? これが時間? これが経緯? それなら鏡夜が今、重苦しく感じているソレは──。

 

 華澄は、鏡夜をちらりと見て、ぽつりと言った。

 

「圧倒されていますの?」

 

「―……圧倒?」

 

 圧倒。圧力に、気圧される。圧倒的な、何か。鏡夜は頭の中で言葉を転がす。

 

「たしかに、そうですね。そうかもしれません」

 

 そうだ。鏡夜は圧倒されていた。圧倒的な危機感を、圧倒的な不可能を感じていた。それは適切な言葉だ。鏡夜は、自分でもよくわからない何かに圧倒されている。

 バレッタはそんな鏡夜に告げる。

 

「くすくす……権威に訴える論証ですね」

「? なんです、それ」

「俗に言う白衣効果です。病室に入り、そこにいる白衣を着た人物が病気と治療について語るならば、それは正しく感じる。例え根拠がなくとも……。もしかしたら、白衣を着た人物は医者ではなく、どこからか来て、偶然そこにいる、医者ではないただの人なのかもしれないのに。専門家が言うことは、正しく感じるものです……。プロのチェスプレイヤーとチェスで戦うことになると、そもそも絶対に勝てないと感じるでしょう……。何十年と修行を積んだ格闘家と格闘技で戦うことは、愚かにしか感じないでしょう……」

「……」

「ええ、あの龍は難敵でしょうが、しかし、埒外ではない……四大天使や七大罪のような戦局兵器ではない……それでも圧倒的な、権威を感じ、それに負い目を感じているのならば……灰原様は、千年の時間に、権威を感じているのです。根拠がないにも、かかわらず」

 

 鏡夜は椅子にゆっくりと座って、目を伏せた。意地と虚勢を張るのをやめない。茫然としていることを隠しつつ茫然とする。

 

 空転する思考は、パーティメンバーから齎された指摘の数々を組み合わせつつ、輪郭を為した本当の考察へと変化していく。

 

 そうだ、鏡夜はすでにわかっている。千年の時間が立ちはだかるのかと、鏡夜はあの時感じたのだ。それが全てなのだろう。

 つまり、鏡夜は、気後れしているのだ。時間に、歴史に。

 

 大獅子も怪鳥にもクエスト『カーテンコール』にもクエスチョン『パレード』にも『クエスト』デッドエンドにもクエスチョン『カットアウト』にも感じなかったのに、今更。

 契国王や魔王に感じたような素朴な畏敬を何千倍にもしたような圧迫感を感じている。

 シンプルに問題が重い。時間が長い。

 

(千年ってなんだよ。本当に今更だな、千年なんかどうでもいいって思ったのに、実際目にすれば気後れするってかぁ?)

 

 自分も騙せぬ考えだ。灰原鏡夜は、時間に──歴史にただただ圧倒されていた。

 鏡夜は苦笑を浮かべた。決意は欠片も折れていない。だが、戦う前から心が負けている。なるほど、バレッタの案内は真理でしかない。

 

(プロのチェスプレイヤーへチェスで挑むような……ね)

 

「なるほど、わかりました。しかしです、私は、絶対に勝てないとは思いません。しっかりと学び、戦略を立て、対策を構築すれば、アマチュアだってプロに勝てます、そうでしょう?」

「ええ、プロの傭兵だろうと気を抜いていれば覚悟を決めた赤子に殺されますの」

「それほど極端な話でもありません」

 

 鏡夜は立ち上がってかぐやの手からチョークを取ると、黒板に大きくこう書いた。

 

 “幽霊の正体見たり枯れ尾花 龍なんてこわくない! ”

 

「調べましょう。今までやってきたことが、少しだけ丁寧になるだけです。簡単でしょう?」

 

 そうだ。もともと一回見てから対策を立てて戦ってきた、クエスチョン『カットアウト』は突然襲ってきて、その場で倒したので例外だが、それ以外は全てそう戦ってきた。

 同じようにすればいい。一度見て、どうにも思いつかなかったのなら、何度も見れば良いのだ。何度も調べればいいのだ。

 鏡夜の言葉に全員が頷いた。

 

 

 

 〈1000年1月6日 午後〉

 

 鏡夜はバレッタ・パストリシアとかぐやを連れて第二階層【密林】、開いた石造りの扉の前で立ち止まっていた。扉を通れば第三階層【竹林】だ。

 

 まずは老龍に向けて斥候を放つ。情報収集だ。それに加えて、鏡夜自身が、落ち着いた冷静な目で戦いの場を受け入れる必要がある。

 

 華澄と桃音はついてきていない。

 鏡夜は気づいている。彼女たちは第三階層のボスモンスターを恐れてはいない。いや、老龍を難敵だとは思っているだろう。だが難しいだけだ。鏡夜のように負ける想像しかできない状態ではない。

 そんな彼女たちを付き合わせるのは酷だろうと、過去を観測する人形と、光学的に詳細な分析な可能の人形を伴い鏡夜は自主的にダンジョンへ潜っていた。

 

 目標は勝てるイメージを持てるようになること。

 長引かせるわけにはいかない。桃音は【格好良いもの】に弱く、鏡夜が灰銀の魔人という【格好良いもの】だから協力しているのだ。

 白百合華澄は……信頼こそされているが、だからこそ信頼を裏切った時が恐ろしい。

 ヘタレが長期的になればなるほど、リスクは増大する。それもまたプレッシャーだ。拙速は断じて重視していないが、遅巧を超えた遅さは仲間との不和となる。仲間ってこういうのなの? と自分で思うが、鏡夜の仲間はそうなのだ。

 

 鏡夜の決意は折れていない。しかし、決意だけで実際の危機や心理的障害を乗り越えられるほど元一般人の異世界人は強くはない。

 まったくもってままならない。

 

 そんなことを思いながらも表面上は飄々と妖しく微笑みながら鏡夜は淀みなく第三階層

 、へ入る一歩前で止まった。

 

 第三階層【竹林】へはまだ入っていない。だが入口には立っている。中はしっかりと見通せた。

 景色は相も変わらず荒涼としている。モンスター一匹いない。龍も見えない。

 

「では、かぐやさんとバレッタさん、お願いできます?」

「りょーかい、我が君」

「かしこました、灰原様」

 

 二体の人形はその眼でダンジョン内を分析し、解析する。ここに何があるのかを、過去に何があったかを。必要なのは事実だけだ。

 

 先に口を開いたのはバレッタだった。

 

「くすくす、龍は毎日欠かさず、この階層中を移動しているようです。どうも、訓練を行っているようですね」

「訓練? 生体機械がですか?」

 

 鏡夜の問いにかぐやが答える。

 

「我が君、生体機械だからこそよ。与えられた命題のために、最善を尽くすこと。私たちはそのために生まれ死ぬのだから……たぶんあの老いた龍は千年前にそう作られて、そう動いているの。ああ、だから私の老化防止薬を奪ったのね、千年の時間を、全て戦闘の訓練に費やせば、最上の敵手になれるから」

「……」

 

 常にシミュレーションし続けたのだ。必ず訪れる挑戦者へ、最上の障害となるために。

 あの龍に──―彼に、組み込まれた目標は、ただ敵となることだ。第三階層は、もはや試しではなく、本物の障害でなければならない。

 龍は塔が閉じていたころ、何かのきっかけで第一階層の青空に薬があることを理解したのだ。

 竹に括りつけられた薬箱。老化防止薬。不老の妙薬。龍が予め組み込まれている命令系統は、それを前にして、当然のように結論を出した。

 最も困難たる障害となるために、この薬を服用して千年間、自己鍛錬の果てに最適化をすれば良いと。

 その優れた考えを──龍は全うした。

 

「くすくす……大獅子や怪鳥といったモンスターは千年後のために保管されており、そして時が来たおり開封されたのでしょう……かぐやさんのように」

「でもあの龍は保管をされなかった。眠りにつくことを拒否した。千年後のために誰も何もない塔の中で、ただひらすら自己を鍛え続けた。もののふってやつ? 生体機械だけど」

 

 鏡夜は息を呑んだ。なぜ一目見て、あれは埒外だと痛感したのか、その理由を理解した。つまり、あれは試練として千年研鑽した修行者なのだ。人の認識──いや、勇者も魔王も想像すらしてなかった領域まで至ってしまった超越なのだ。

 

 誰かが用意したものではない、どんな偉そうな、上から目線の、”試し”よりも濃厚で真実な──偶然生まれた本物の”試練”。

 

 鏡夜は痺れる脳で納得する。久竜晴水が、『カットアウト』を単独で差し向けた意図を読み取る。

 老龍とシナジーを組む戦闘機械を配置しなかっただけで英断だ。

【怪物の沽券】への侮辱になるのだから。

 

 龍と竜、その系譜における最強種では決してない。ファブニルではない。ヤマタノオロチではない。それらよりも──なおいっそう恐ろしいのだ。

 

 この一歩先にいるのは神話ではない。忘れ去られた過去ではない。

 地続きの歴史だ。

 

 

 鏡夜はかぐやとバレッタに観測をお願いして、決着の塔から外に出た。

 ……あの斥候の仕事で、鏡夜のわだかまりは解決しない。むしろ、感覚的に覚えていた圧倒が、理屈をつけられたことにより形を持ち、より重荷となって鏡夜の両肩に乗ってしまった。

 じっくりと見て、聞いたことに後悔はないが、ただひらすらに重苦しい気分になる。

 

 だから斥候は人形二体に任せて、別の方向から調べようと、鏡夜は決着の塔攻略支援ドームをふらついて、書庫にたどり着いた。

 

 

 ────ヨコバイガラガラヘビという蛇がいる。別名はサイドバインダー。

 非情に独特に砂漠の上を移動する蛇であり、サイドバインダーの名前の通り横向きに、まっすぐ跳ねる。

 頭部を持ち上げて進行方向へ投げ出した後、尻尾の部分をくねらすように真横に持っていく。それを繰り返して。横→横→横と猛スピードで前に進む。

 だからヨコバイガラガラヘビの進んだ跡は、短い真横の線がずーっと続いていく奇妙な模様になる。

 砂の熱さと砂漠の熱気を最小限に抑える移動方法なのだろう。

 

 というのが桃音に投げつけられた図鑑に書かれた蛇の解説である。

 

 まさしくこの横這い運動──。

 

 であればあの老龍は、ヨコバイドラゴンと呼ぶべきなのだろうか? 

 

(おっと、あいつは竜ではなく龍だった。だが困ったことに英語では龍と竜を区別しないんだよなぁ!)

 

 

 鏡夜は顔を上げて、本を読んでいる桃音にヨコバイガラガラヘビが乗っていた図鑑をテーブルで滑らす形で返却する。

 

「ありがとうございます、桃音さん」

 

 桃音は視線を上げることなくずっと本を読んでいる。表紙には【柊氏物語】と書いてあった。ザ・平安なイラストに幽玄にしてはえらく存在感のある巨大すぎる塔が描かれている。柊氏って、柊釘真陛下の系譜のことなのだろうか。っていうか……元の世界で言う源氏物語? 鏡夜はふと気になったが、まぁいいかとすぐに興味を失い、にこっと笑う。

 もともと桃音と自分はこんな感じだ、と鏡夜は書庫を観察する。

 

 決着の塔攻略支援ドームはダンジョンへの挑戦者を支援する。モンスターの情報提供も同じ。クエスト『カーテンコール』についても映像記録と詳細なスペックデータを渡してくれたことからも、このドームは情報的な支援も所蔵も惜しまない、というのを今更知った鏡夜である。

 

「速さの秘訣はようやくわかりました。ええ、私たちが見た動作とまったく同じですね。龍の肉体と地を駆ける速さの兼ね合い……というか、最適化なのでしょうね」

 

 千年練達した結果、この動きと同じになったのだろう。

 

「それがわかったからと言って何か対策が思いつくかというと……」

 

 少し考えて。

「思いつかないですね」

 

《鏡現》で龍を囲おうとも思ったのだが、大きさが合わない。あの龍の方が大きいし、スピードも速い。

 鏡夜は立ち上がった。

 

「横這い運動……ですか。ふーむ、まぁ少し散歩でもしながら考えてみますね」

 

 書庫の扉に手をかけて振り向くと、すぐ後ろに桃音が立っていた。

 

「……? 一緒に散歩します?」

 

 桃音は無表情のまま、ぼおっと鏡夜と目を合わせた。鏡夜は肩を竦めると書庫から外に出た。

 

 

 鏡夜は頭の中であの老龍を前にする。とりあえず、一人で相対。

《鏡現》を前方に作り出して盾にすると、老龍はその蛇のような胴体で鏡夜と《鏡現》を囲み、一気に絡みつく。鏡夜は《鏡現》の裏に叩きつけられる。砕けた《鏡現》は鏡夜に大ダメージと老龍に小さなダメージを与えて。……鏡夜は龍に絞りあげられて全身が砕かれて圧死。デッドエンド。

 

 

(まだ負けてんなぁ)

 

 勝つイメージをしようとしたのに、自然に負けるシーンを思い浮かべてしまった。相手の攻め手に対応するため、悲劇的なシミュレーションをするのは訓練として妥当だが。

 これはそういう話ではない。心の中でも勝てないだけだ。

 勝つイメージすらもできないのなら、どれだけ実力があろうとも格上どころか同格にも勝てないだろう。

 

 鏡夜は憂いに満ちた溜め息を吐いて、ぼやっと青空を見上げる。

 

 では今度は、いわゆる絆の力だとか、仲間の力とか、その辺を期待して、仲間たちと立ち向かう状況でもイメージをしてみるかと、鏡夜は隣を無言で歩く桃音へちらりと目をやる。

 

 桃音はどこを見ているかわからない目で、ただ前方だけを憮然と見つめていた。

 

 

「アンタさぁ、灰原さん──だよね」

 

 いざ想像しようとした鏡夜はとつぜん話しかけられた。声のした方を見る。人型のクール系美少女、ただしキリン耳、キリン尻尾付き。

 鏡夜が、この世界で初めて遭遇した、人外──正確には人外の特徴を持った少女だった。

 

「ええ、間違いなく私は灰原鏡夜ですが──―、ええと」

 

 鏡夜は視線を迷わせてから問う。

 

「なぜこちらに? 一応、関係者以外立ち入り禁止ですが、この広場──訓練場は」

 

 鏡夜は現在、世界的に悪評に塗れている。絢爛の森から決着の塔への行き帰りならまだしも、ただの散歩で何の対策もなく、表通りを散歩するほど鏡夜は愚かではない。

 朝の出待ちは、桃音がマスコミ関係者を拿捕してからまったくなくなり、帰りは不定期な上に超人的脚力で帰宅しているので……いわゆる一般市民と鏡夜が遭遇したのは、初日の、この少女を含む三人の女学生だけだった。いや、警察官も市民に含めていいか? 

 鏡夜の気もそぞろな応対に表情を変えることもなく、キリンの少女は答えた。

 

「私、見習いシスターだから。聖先輩のところで修行、というかバイトしているんだよ。一応助手扱いだから、関係者でいいと思う」

(聖先輩……? ああ、あのぶっとびハイテンション修道女か)

 

 この広場は決着の塔攻略支援ドームに併設されている。なるほど、教会関係者なら通りがかってもおかしくはないか、まで考えて鏡夜は疑問を呈する。

 

「以前有口さんのところに行った時はいませんでしたが?」

「学生だし、いない時間はあるよ。いや、そんなことはどうでもよくてさ」

 

 キリンの少女は鏡夜をまっすぐに見据えて、問うた。

 

「決着の塔に入るために、桃姐さんに近づいたの?」

 

 疑心と、少しの隔意に満ちた視線が、鏡夜に注がれている。

 

「…………はい?」

 

 鏡夜は首を傾げた。決着の塔に入るために、不語桃音に近づく……? 誰が? 鏡夜が? 

 言われた内容を理解して鏡夜はいやいやいやと頭と手を横に振った。

 

「いや! まさか! 違いますよ。私は決着の塔に入りたくは思っていましたが、そのために桃音さんを利用はして、いませんよ?」

「ものすごく胡散臭いんだけど」

 

 キリンの少女は半目で鏡夜を見ている。

 つまるところこういうことだ。灰原鏡夜は世界的に有名人である──―悪い方に。その悪評が彼女の耳に入ったらしい。尊敬する桃姐さんに悪い虫がひっついていると、もしかしたら騙されているかもしれないと、利用されているかもしれないと。素晴らしい義侠心を抱いているようだ。正義感によって、問いただされているようだ。

 そして、なんてことだろう! それは真実だ! と少なくとも鏡夜は思っている。

 

「いえいえ。私と桃音さんは友達なんですよ。 フレンド!」

「……恋人じゃないの?」

「違います、そんな──―」

 

 畏れ多い──という手垢のついた言い回しをしようとして鏡夜の口は一気に重たくなった。ずっと桃音と、この世界にいる大半は傍にいた。その経験が告げている。まずい。絶対にまずい。口にしてはいけない言葉だ。畏れ多いと、かしこまるのは格好悪さが爆発する。

 

「こ」

「こ?」

「こんな美しく……偉大な人と、私なんて……不釣り合いでしょう?」

 

 鏡夜は意地と虚勢を張って、シニカルに答えた。不語桃音は美しいと褒めて──―。褒めて──―? 

 鏡夜は桃音へ視線を向けた。桃音はふらっと、鏡夜を置いて先へ歩き出した。

 

「桃姐さん?」

 

 キリンの少女が不思議そうに桃音の後ろ姿へ呼びかけるが、桃音は無視してそのまま広場の向こう側まで行ってしまった。

 

「し……しまった……」

 

 違う。今、灰原鏡夜は、今までずっと間違ってなかった──何かを間違えた。桃音の家には、鉛筆画の鏡夜の油絵の桃音が飾られている。鏡夜の画が恥ずかしいと言った時、バナナを全て奪われた。そして、貴女だけでこそ芸術だと答えた時、奪われた果実は半分だけしか返してもらえなかった。半分正解で、半分不正解。そのギリギリ合格から学ばず、ストレートに不合格を、たたき出してしまった。

 

「あの、大丈夫? アンタ今、顔真っ白になってるけど……」

「は、ははは」

 

 鏡夜は片手で顔を覆って、キリンの少女にもう片方の手を突き出す。

 

「大丈夫です、貴女のせいではありません」

 

 心配そうな顔をするキリンの少女へ鏡夜は意地を張る。

 

「ええと、……事実として、彼女へ来たメールから縁を手繰ってここまで来ました。私は〈決着〉が死ぬほど欲しかったので。でも、桃音さんへ近づけば〈決着の塔〉へ挑戦できるとわかる前に、私は彼女と知り合っていたし、ええ、うまくやれていたと思います……桃音さんとの関係は、言葉にできませんね。友達……という表現が的確かもわかりません」

 

 頭が一気に冷えて鏡夜は冷静に解答する。最初からこうすればよかった。

 

「以上のことから最初の質問に対する答えは、“いいえ”なのは確かです」

 

 キリンの少女は頬をかいて鏡夜から視線を外して横を見た。

 

「なんか……複雑な関係なんだね。ごめん、不躾すぎたみたい」

「いえ、先ほども言いましたが、貴女のせいではありません」

 

 完全無欠に自分のミスだと鏡夜は自嘲する。なぜって、今をもって桃音が鏡夜に悪印象を持ったのか、わからないのだ。いや、バナナを全部奪われて、半分返されたあの出来事が参考になるのがわかる。そして、宵闇、鏡夜の上に乗って鏡夜の目を黒い瞳で見据えたあの時も参考になるのがわかる。

 だが、その解答がわからない。状況証拠しかない。

 

 そして、もう一つわかることがある──。まだ大丈夫だ。見限られてはいない。

 

 ちょっと失敗した程度で見限られるのなら、うっかり状態異常の手袋で触ってしまった何度かの時にぶち殺されている。日常での失敗などもう何度も何度もかましているが、それでも桃音は離れていない。

 宵闇の時も、鏡夜は弱っていたが、それでも傍にいた。たった今、龍を相手にまごついているが、それでも助けてくれた。

 

 桃音の内面で、それこそ叙情的な、極めて強烈何かが起こっていない限り、今までの人間性や共に過ごした過去が、まだ名誉挽回できると保証する。

 これが会話できる女性ならば、素直にどうすればいいか質問するのだが、彼女は沈黙しかない人間だ。

 だから、鏡夜なりに、またしてもあてずっぽうに答える必要がある。出会った時からそうしていたし、そうするしかない。

 

 老龍に加えて桃音のことも、その背に乗って重荷となり、それでも意地と虚勢を持って背筋を伸ばす鏡夜へ、キリンの少女は言った。

 

「そっか。そんな、わかりやすい悪人なんていないよね。灰原さんは悪い人じゃないんだ。……ああ、そうだ、名乗ってなかったよね。私は」

「まったくその通りですわ。そして、貴女が悪ではないのなら、きっと誰も悪人ではありませんの」

「え──?」

 

 バシュッと、キリンの少女の背後から突然現れた華澄が、キリンの少女を撃った。鏡夜は目を見開いて驚く。

 

「何を──ん? その銃」

「麻酔銃ですわ」

 

 倒れそうになったキリンの少女を華澄は抱えた。

 

「灰原さんは、この方が突然現れたのは偶然だと思います?」

「へ?」

「今のは反語ですわ。最初に答えを言いますと、偶然ではありませんの。そもそも、この方は有口聖から不語さんが自分の意思で──失礼、ともかく、この方の行動パターンから考えて、ここで貴方と不語さんに遭遇することそのものがおかしいですわ。この方は誘導されてましたの。だいたい、わたくしが最初は不語さんしか招待しておらず、灰原さんはついてきただけという情報は世間にまったく広まってないはずですもの! ……灰原さん」

「はい」

 

 華澄は淡々と事実を述べるように言った。

 

「あの第三勢力の英雄……手筋を変えてきています。ダンジョンのモンスターが頼りになり始めたからなのか……。貴方を切り崩しにきてますの」

「……私を?」

「正確には貴方の周りを……ですわ。ああ、安心してくださいまし。不語さんには同じ内容をメールで送ってますの。スパイであるわたくしに、不和と対処のスペシャリストであるこのわたくしに、分断作戦とは! 舐め腐ってますわね」

 

 華澄は淡々とプロフェッショナルに相応しく説明すると、打って変わって演技っぽく怒った様子を鏡夜へ見せた。

 

「ありがとうございます。ただ、私が失敗したことは確かなんですよねぇ……」

 

 はぁ、と鏡夜は溜め息を吐いた。それも憂鬱だが、分断作戦というのも憂鬱だ。そうか、そうか、仲間から打倒するのは難しいかもしれない。だが、鏡夜と仲間の関係性を断ち切る方法は、一般人の鏡夜でもいくつか思いつく。ただでさえ老龍で大変なのに。

 〈Q‐z〉の、キー・エクスクルの恐ろしさとはまさしくその、既存のものと組み合わせて難題を無理難題に変える第三勢力というスタンスだ。【怪物の沽券】を汚さない代わりに、挑戦者の力を削る方向に切り替えたということなのだろうか? 

 鏡夜は呆れたような表情で言う。

 

「しかしいったいどうやって桃音さんと私のことを知ったんでしょうね? 桃音さんだけならまだしも……」

 

 キリンの少女が行った質問が鏡夜と桃音に不和を生むというのは、両者のことを深くわかっていないとできない。

 鏡夜は華澄を見て思い出したかのように言った。

 

「そういえば〈人形使い〉って〈pastricia〉の開発者なんですよね。過去観測人形の……」

「案内型過去観測機械人形〈pastricia〉ですわね。ええ、その通りですわ」

「なら私の過去を観測されたん……でしょうか?」

 

 華澄は少し考えて言った。

「それは考えづらいですわね、確かに彼女は〈pastricia〉の初期機体の保持者ですけれど、絢爛の森に侵入するのは、わたくしに不可能なら彼女にも不可能ですもの。ドームで貴方たちを観測した? それこそありえませんわ。わたくしの監視網に──外れるの──……は……」

 

 華澄は言葉の途中で沈黙した。

 

「華澄さん?」

「ああ、なるほど」

 

 華澄は深い納得を得た顔をして頷いた。その後、ふと気づいたと言わんばかりに華澄は言った。

 

「アレに人の心がわかるとは到底思えませんし、やはりキー・エクスクルがアイデアマンなのだと思いますわ。灰原さんと不語さんに会った時に何かに気づいたのかもしれませんの」

「……ありえそうですね」

 

 少なくとも第三勢力〈Q‐z〉として実質世界に殴り込みをかけているあの男が格好だけであるはずもない。あの時、あの遭遇時に、すでに鏡夜と桃音の関係を見抜いていた、はありえない話ではない。

 うさん臭くて煙のようで要領を得ない男は悪魔のように心を操れる。ろくでもない、と鏡夜は心底困って言う。

 

「うーん、これからずっと阻害されるのも面倒ですし、さっさと解決したいですねぇ、先に〈決着〉を手に入れるか、それとも〈Q‐z〉を無力化するかしたいです」

 

 できれば前者希望なのだが、今まっさかりに足止めをくらっている鏡夜である。喉から手が出るほど快刀乱麻に解決する閃きが欲しいが、今回ばかりは出る気もしない。

 なら後者でもいいのだが……〈Q‐z〉が消えれば他の四組、いや三組か、と健全な競争になるだろうし。

 鏡夜の望み薄な希望に華澄はなんでもないことのように言った。

 

「それなら……ああ、いや、確証がないですわね。わたくしは間違いないと直感しているのですけれど……〈人形使い〉の場所、わかったかもしれませんの」

「え? 本当ですか?」

 

 華澄は薄い笑みを浮かべながら不敵に鏡夜を見返した。

 

「ええ、なので、全員で、向かいましょうか……医務室へ」

 

 

 

 斥候から戻ってきたバレッタとかぐやを合流し、ふらふらとドーム内を当てもなく移動していた桃音を回収し、華澄を含めた鏡夜一行は医務室前まで来ていた。

 ……鏡夜は気まずく桃音の顔を観察してみるが、意図は読み取れない。感情の欠片ぐらいは掴めればと思うが難しい。コミュニケーション不可能者であるがゆえに、何も彼女からは伝わらないのだ。鏡夜から勝手に解釈するしかない。なんで不都合で不合理でもどかしい関係だろうか。

 しかし、鏡夜は自分と桃音の関係云々はいったん置いておくことにした。二兎を追う者は一兎をも得ずとも言うわけであるし、今は〈人形使い〉に注力するのみである。

 鏡夜は医務室の前に立って考える。確か今ここに担ぎ込まれているのは……。

 

「えーと、魔王さんの配下である四天王と久竜さんのパーティーメンバーと、あと、久竜さんのパトロンである喜連川さんでしたっけ? がいますね」

 

 なるほど。言われてみれば、確かに久竜の仲間がいそうな人員だ。特にパトロンである期連川が怪しい。

 バレッタは応えた。

 

「くすくす……喜連川様はすでに意識を取り戻してご帰宅なさってますよ……」

「あれ、そうですか、となると……」

「ええ、パーティーメンバーに〈人形使い〉がいる可能性が高いですわ」

 

 華澄へ、ああ、あのハーレムパーティの、と軽口を叩こうとして鏡夜は口をつぐんだ。

 

(人のことまったく言えねぇ)

 

 とにかく激流のごとき異世界を駆け抜けていたらこういう感じになったのであって下心はまったくないのだが、鏡夜のパーティも鏡夜以外全員女性だった。

 服が物理的に脱げない上に態度はともかく心の余裕が絶無なせいか、見目麗しい少女たちの交流を男子的に楽しめない鏡夜である。

 思考が変なところに飛んだ鏡夜を見て何を思ったのか、かぐやが反応する。

 

「えたり、わかったわ。とりあえず全員ぶちのめせばいいのね?」

「それは極端なんでちょっと待ってくださいます?」

 

 やりすぎである。鏡夜は基本的に自分のことしか考えていないが、それでも人道的にまずい。

 華澄は率先して、久竜晴水のパーティーメンバーがベッドに寝かせられている医務室へ入る。鏡夜たちも後からついていく。

 

 

「〈人形使い〉。アルガグラム所属の魔術師。名はエーデルワイス。その種族は、妖精ですわ」

「妖精ですか?」

 

 鏡夜としてはファンシーなイメージしかない幻想の生き物だ。それが〈Q‐z〉のロボットを作り、そして〈pastricia〉を創造したのか。ロボット開発者と妖精のイメージがうまく接続できない鏡夜へ、バレッタは謳うように解答する。

 

「くすくす……妖精。小さく美しく空を舞う種族であり、傾向としては天真爛漫にして純粋無垢。明け透けに言えば、勝手気ままで物事を深くまで考えない。我が創造主、エーデルワイス様は盲目の妖精であり……それ以上に、妖精の中でもかなりの異端児でありました」

 

 エーデルワイスのパーソナルデータにも興味があったが、それ以上に気になったのは。

 

「小さいんですか?」

「くすくす……」

 

 バレッタはその真っ白な陶磁器のような手を隣の鏡夜へ差し出した。

 

「これくらいですね」

「ちっさ」

 

 本当にずばり妖精ではないか。

 華澄は口惜しそうに言う。

 

「ええ、だからこそわたくしは妖精ばかりを探していましたの。もしくは妖精が搭乗することができる人形を。……思考の盲点ですわ。あの探偵勇者ならば、予断は禁物とおっしゃるのでしょうね」

 

 華澄は感情の読み取れない穏やかな目で、意識のない久竜たちのパーティーメンバーを一人一人見下ろしておく。

 

「この方たちも哀れですわ。〈人形使い〉の隠れ蓑のために用意されたのでしょうね。ああ、パトロンも哀れですわ。利用されただけなのでしょうし」

「んー? ということは、この方たちの誰かがロボットなんですか?」

 

 鏡夜はベッドで未だ安静にしている少女たちを紅い瞳で観察するが、全員に弱点が見える。

 少なくとも純機械はこの中にはない。クエストシリーズかクエスチョンシリーズのように生体部品を組み込んでいるのならばわからないが。

 かぐやはじーっと少女たちを観測すると言った。

 

「この中にバレッタ・パストリシアみたいな鉄で出来た子はいないわよ、我が君」

「ありゃ、そうなんですか」

 

 かぐやは異空間の竹から、その外にいる人間と人外と機械を感知できる程度に高性能の分析能力がある。彼女が言うならばそうなのだろう。

 華澄は言った。

 

「かぐやさん、神話と断絶してしまったわたくしたちが失ったものはたくさんありますが……実は、上位種に進化する術も、ほぼ消失しているのです」

「へ? そうなの? 白百合華澄」

 

 かぐやはぽかんと口を開けて言った。華澄は大げさに頷く。

 

「そうなんですの。だからこそ、わたくしも気づけなかった。思考の盲点、奇想の類。ですが、ええ、焦りましたね、エーデルワイス。塔の中を好き勝手にかきまわし、ドームの中で起きたことを把握して、いかなる手を打てる都合のいい何か。──―そして、灰原さんが目撃した蝶というギミック。ここまでくればわかりますわ。──―貴女、〈進化〉しましたわね! 大きく、強くなりましたのね!」

「進化とは、また大きく出ましたね。まぁ生命操作技術が溢れてるんで、それくらいもあるでしょうが」

 

 かぐやとかずばり生命操作技術の極地だ。鏡夜に使う予定はないが、彼女は周囲の気に入った存在から遺伝子を拝借して子供が創れる機能がある。まったくもって想像を超えている。

 鏡夜が例に考えた生体人形はふーんと、半分無関心、半分感心ながら華澄に言った。

 

「それなら誰なのよ」

「ダンジョン内に蝶を──異物を持ち込めることができたのは、二人だけですわ。アイテム係のお嬢さんか、銃弾をばら撒いたお嬢さん。ああ、でも大変ですわ。アイテム係兼聖職者の蜜柑さんは、〈半竜〉なんですの。妖精の系譜なんて影も形もありませんわ。ねぇ、そうですわよね──リコリスさん。いえ──―リコリス・エーデルワイス」

 

 華澄はついに長い黒髪の臥せっている少女の頭を覗き込むように見つめる。その銃使いの少女はアルガグラムの魔術師、〈銃使い〉を眼前にしても動かない。

 

「“英雄さんは猪突猛進で、リコリスさんは残弾の管理すらできず、ケールさんは口ばっかりで、蜜柑さんは他人事で、サイシンさんは英雄さんしか見ていない”」

 

 それはいつか華澄が英雄一行を酷評した時の発言だった。

 

「貴女を隠す隠れ蓑。心得なしの群れの中──その中でも、やっぱり貴女だけおかしいですわ。なんで、銃使いが、残弾の管理ができませんの。武器の選定を誤りますの?」

 

 そう言って華澄は恐るべき早撃ちでリコリスへ発砲した。

 

「────────────―……ずいぶんと得意げだけど」

「……!」

 

 黒髪は目を閉じたまま、横たわったまま口を開いた。華澄が容赦なく撃ち殺そうと発射した弾丸は、一匹の蝶によって防がれていた。ひらひらと浮かぶ白と黒の絵の具をぶちまけたような柄のアゲハチョウは銃弾を掴んだまま部屋の中を飛び回っている

 華澄は無言で懐からナイフを取り出し刺し殺そうとしてそのナイフが天井から突然現れた別の蝶に弾かれて吹っ飛ぶ。天井からタイルの一枚が剥げていた。鏡夜は理解した。今、天井のタイル一枚が、蝶へと変化した。

 

 そして久竜晴水のパーティメンバー、銃使いの少女は……〈人形使い〉リコリス・エーデルワイスは蝶が舞う中で目を閉じたまま、言葉を続ける。

 

「今まで気づけなかったのは間抜けよ。それに、少し出しゃばりすぎじゃないかしら? 準備もドラマも足りないくせに」

 

 華澄はナイフを持っていた手を開閉しつつ、皮肉げに言う。

 

「あら、わたくしが、貴女をここで殺すつもりで準備したら貴女は逃げていたでしょう? 準備もドラマも追いつかない技術者が減らず口とは……業狂いも落ちたものですわね! それと追いつけずに作ったであろう間抜けな『カットアウト』はクライアントに満足いただけましたの?」

「ええ、私のダーリンは浪漫が解かる男だから。羨ましい?」

「──────―誰が」

 

 華澄は心底ありえないと否定する気持ちをまったく隠さない不愉快な表情を浮かべる。リコリスは起き上がるとベッドに座った。そして黒髪の──不吉な少女は目を開く。その目はまるで白い絵の具と黒い絵の具をぐちゃぐちゃに混ぜて、合わせなかったような、散らかったモノトーンの瞳だった。

 その瞬間、病室の白い壁が全て、白と黒の模様を浮かべる蝶に変じる。

 

「……!?」

 鏡夜は驚愕して周囲を見渡す。間違いなく、鏡夜が知るあの蝶だ。白い壁から白と黒のまだらの蝶へ。アゲハチョウが、全て鏡夜を見ている。

 

「壁が、蝶に……いえ、蝶が、私たちを見ている?」

 

 鏡夜の目に蝶の弱点は見えない。この蝶は生き物ではない。しかして機械でもない。だが、見ている。

 見られているのが鏡夜にはわかった。

 かつて鏡夜はバレッタから聞いた。エーデルワイスは盲目の妖精だと。だがしかし、リコリス・エーデルワイスはそのぐちゃぐちゃな瞳を華澄から鏡夜へ視線を動かして笑う。

 その瞳は、蝶の柄と同じだった。

 華澄は鋭い視線をリコリスへ向けながら言う。

 

「貴女──目を──トレードオフしましたの?」

 

 トレードオフ。すなわち呪詛の施術。リコリスは答えた。

 

「盲目の呪いは、私にとっては踏み倒しと同意義だから。蝶を私の視覚にしたのよ? すごいでしょ?」

 

 だから【目が見えない】が弱点として鏡夜に感知できなかったのだろう。見えているのに見えないのが弱点になるわけがない。

 鏡夜自身の性質も同じだからすぐにわかった。呪詛の全てが紅の瞳に映るわけではない。鏡夜の目に映るのは弱点だけだ。

 華澄は静かに告げる。

 

「それで―誰が貴女を羨ましいと言いますの」

「この呪い、神からもらったんだけどね──」

「自分でもどうでもいいと思っているものを自慢して、楽しいんですの?」

「楽しいわよ? だってこれもまた、ああ、──彼のためになってるのだと思うと。心底!」

 

 華澄は今度こそありえないほど表情を歪めた。歯を見せて、認識することは苦痛だと目の前の少女を見ている。

 ……華澄のミッションだとは聞いていた。鏡夜は、〈人形使い〉の拿捕を協力したと約束した。だが、華澄が〈人形使い〉のことを話す時、こんなに感情を乱すことはなかった。もしもここまでの隔意があったのなら、華澄は協力の取引をした時に話すだろう。彼女は耽美趣味ではあるがそれと同じくらい泥臭いプロ意識の塊だ。自己の客観視をバレッタに謳わせて鏡夜に伝えて元気づけようとするほど誠実な彼女が、せいぜい自分を見損なわせないために弱点となりえる欠点を黙っているとは思えない。

 そもそも華澄に弱点はない。

 だから、たったいま、〈人形使い〉のたった今の在り方が、ぐさぐさと華澄の何かを刺激しているとしか鏡夜には思えなかった。

 バレッタが口を開く。造物主へ問う。

 

「くすくす。エーデルワイス様──―動機は、まさか、“恋”なのですか?」

 

 リコリスはふふっと、小さくは笑う。

 

「ええ、そうよ。私を裏切った作品。私の浪漫を裏切った被造物。──私の浪漫は、もう、彼と共にあるの」

「裏切った?」

 

 鏡夜は油断なく入口へ回りながら質問を飛ばす。時間を稼ぎつつ退路を塞ごう。蝶は恐ろしいが、見た限り捕縛はできるはずだ。

 久竜を逃してしまった鏡夜が、ここで二度目も〈Q‐z〉を逃がしたらただの馬鹿だ。

 リコリスは鏡夜へ言う。

 

「ええ、裏切ったの。私の浪漫、私の理想、それこそが〈pastricia〉だったのに。愛を知る機械なんて──―」

(愛を知る機械──?)

 

 何とも詩的な言い回しだ。アルガグラムの魔術師とは、詩人である義務でもあるのだろうか。

 鏡夜は意地と虚勢をフルスロットルに回して、笑顔で手を叩く。全員の視線が自分に注目したことを確認すると。夜は愛想よく言った。

 

「したり顔で婉曲な言い回しはいったんやめて、有益な話をしましょう。〈Q‐z〉の目的とか!」

 

 リコリスは淀みなく話し始めた。

 

「誰もが難しく考えすぎなのよ。〈Q-z〉の目的は、ああだこうだと妥当性をこねくり回さないと出ないものじゃない。それは極めてシンプルで、単純で、そして、ええ、断言してもいい。全ての心ある生き物が、抱いている一つの想いに帰結する」

 

 彼女は不吉に笑う。不穏に揶揄する。不吉で不穏な盲目の妖精改め──―不吉で不穏な盲目の女王は告げる。

 

「でも、残念ながら、それは言葉にするものじゃない。正確には、人に知られると不都合なのよ」

 

 いまはまだ、とリコリスは静かに告げた。またぼかされる。キー・エクスクル、久竜晴水よりも話は通じるが、それだけだ。〈人形使い〉は最初からまともなことを喋る気はないだろう。

 鏡夜は溜め息を吐いて右手を上げる。

 

「はぁ、もういいです」

 

 そう言って鏡夜は《鏡現》を作り出して、リコリス・エーデルワイスを閉じ込めた。かつて鏡夜は絶対防御として外側に《鏡現》を向けたが、今度はその逆、内側に向けて作り出した。

 鏡夜の目にはリコリス・エーデルワイスの弱点が見えていた。【持久力がない】と【脆弱】だ。例え妖精から進化して妖精の女王となるとも、根本的な弱点は変わっていないようだ。

 蝶はどうだか知らないが、リコリス本体は脆くて弱い。なら本体を閉じ込めればいい。

 

「名付けるなら《封鎖鏡》……ですかね? 続きは尋問の専門職の方に任せますか」

 

 蝶が一匹煌めくように殺到するが、かぐやのビームで焼き切られる。さらに全部の蝶が《封鎖鏡》を外から割るために殺到するがかぐやがビームでひらすら焼き切ってそれを防ぐ。

 

「銃は防げるようですが、ビームは無理と。リコリスさん、無駄です……よね?」

 

 鏡夜は華澄を様子をうかがう。華澄は険しい顔で《封鎖鏡》を睨めつけている。その中でリコリス・エーデルワイスが言った。

 

「華澄。なんで私が長々と話したかもうわかっているでしょう? これも作戦よ。そこのサイレントフリークスにしたようにね──―ねぇ、ファントムミラー」

「なんです?」

「これは私のダーリンの自慢なんだけど──今回の妨害は最高よ。実にドラマティックで浪漫たっぷり。ああ、ああ、やっぱり最高の男ね! そう思わない?」

「いや知りませんけど」

 

 久竜晴水が良い男など知らん。恋する女性にとって宝石のようにきらめいていようとも、鏡夜から見ればただの障害というか、障害の宿敵である。

 

「……思いませんわ。そもそも最高の男性はどう考えても──―」

 

 華澄は途中で言葉を止めて嫌そうに歯を見せて黙った。リコリスは心底楽しそうに笑い声をあげ──―。

 

 

 そして塔京が揺れた。

 

 

 鏡夜は医務室の窓から外を見る。天変地異のような光景だった。

 

 地面から白黒の竜巻が噴き上がっている。いや、鏡夜の超人的な視覚はそれの正体を捉える。

 蝶だ。間違いなく蝶だ。

 

「この世にただ一匹の妖精の女王。ティターニアの能力は、触れた無機物を蝶に変換すること。ご存知? 久竜晴水ご一行はダンジョン攻略数が世界一であり──そして、その中心的活動拠点は、塔京なのよ? この首都中をあっちへいったりこっちへいったり──ちょうどいいわ。【決着の塔】の中に部品を追加しようと思ってたの。これでも貴方たちは殺せないけど──羽ばたきは止めることはできないでしょう?」

 

 そして舞う蝶が全て、窓を割って飛び込んできた。

 

 

 ありえないほどの蝶の物量が一室に充満する。しかもこの蝶、まったく軽くない。重い、硬い。それが鏡夜の全身に殺到するのだ。ひとたまりもない。ががががっとダメージを喰らって直感する。この蝶の嵐の中に無防備にい続けたら、比喩でもなんでもなく全身打撲で死ぬ。強靭な鏡夜でこれなのだ。桃音ならまだしも華澄は本気でまずい。

 二度目に逃がすのは馬鹿など言ってられない。鏡夜は即座に《封鎖鏡》を解除すると、両面鏡の《鏡現》を作り出して、精いっぱい空間を薙ぎ払った。

 よし、前方は空く。鏡夜は華澄がいた地点まで進む。そこではかぐやが光線で蝶たちを薙ぎ払って華澄とバレッタと桃音を守護していた。

 だが、かぐやのゴジラもかくやというような太いビームでも精いっぱいだ。いつ崩れてもおかしくない。

 鏡夜はかぐやの傍に立つ、と蝶を薙ぎ払うのに加勢した。

 

 蝶の嵐の向こう側から声がする。

 

 

「まったく、この大規模攪乱ギミックは当初の予定だと二十年後ぐらいにやる感じだったのに──―」

 

 

 リコリス・エーデルワイスの姿は一変していた。真っ黒な──オープンショルダーのワンピース一枚。背中からは白と黒がぐちゃぐちゃに混ざったような蝶の羽根を伸ばして、空を飛んでいる。

 

 その表情は、にこやかだった。目を完全に閉じて口の中を一切見せることなく、ニンマリと笑顔を浮かべている。

 

 不吉だ。不穏だ。──それ以上に盲目の女王だ。ティターニアだからではない。〈人形使い〉という技術者であり、浪漫狂いであり──何よりも、在り方こそが女王なのだろう。

 

「“恋は目でものを見るのではない、心で見る、だから翼もつキューピッドは盲に描かれている”──―なんて、好きな人の真似よ」

 

 そう呟いてリコリス・エーデルワイスは窓──からではなく扉へ、蝶を伴って部屋を飛び出していった。

 

 

 医務室の中はボロボロだった。棚も温度計も薬瓶もカーテンも蝶へ変じたのか、がらんどうの室内。壁紙もすべて剥がれてむき出しになっている。

 無事なところと言えば、ベッドで寝転がっていた久竜晴水のパーティーメンバーだけだった。

 どうやら彼女たちとそのベッドを避けるように蝶を操っていたらしい。

 

 鏡夜はふーと溜め息を吐くと《鏡現》を解除する。

 

 華澄は豪奢な金髪を掴んで頭に押さえつけるようにした。

 

 

「不覚──―!」

 

 

 

 

「ずいぶん行儀の良い嵐が過ぎ去っていきましたね」

 

 もちろん皮肉ですが、と呟きながら鏡夜は服をパンパンと両手ではらった。どうせ呪いの権化たる鏡夜は汚れないのだが、壮絶とも言える蝶の衝撃が残って煩わしかったのだ。

 鏡夜は窓の外を眺めてみる。火災や交通事故などは見えている範囲では起こってないように見えた。塔京中から蝶が噴き上がったにも関わらず混乱は驚くほど小さかった。戸惑った人々や人外が外に出て周囲を見渡しているぐらいである。

 緻密制御にもほどがあるのではないだろうか。どこまでの範囲の蝶を、どこまで精緻に動かせば現在の状態になるのか。

 

 鏡夜は病室の蝶番が外れたドアから出る。

 廊下もとんでもないことになっていた。ボロボロのズタズタだ。こうして廃墟のごとき有り様になったのを見ると、決着の塔攻略支援ドームとは塵一つなく、傷一つない綺麗な施設だったのだと痛感せざるおえない。

 もちろん、見える範囲に蝶の一匹も残っていなかった。

 

 華澄は病室のドアから顔を出して廊下を見て顔を顰める。鏡夜は振り返って静かに言った。

 

「別に貴女のせいではありませんよ。仕方のない──」

「いいえ」

 

 華澄は食い気味で鏡夜の言葉を遮った。

 

「エージェントが仕方ないで片付けるつもりはありませんの。そもそもわたくしは、捕らえられるつもりでした。ドーム中になんらかの神話的な目があることはわかっていましたが、それがどれほどのものであろうとも、わたくしたちなら対処できると。ああ、なんと甘い。コンセプトではなく、スケールを超えられましたわ。塔京すべてに仕掛けたソレを、ただ逃げるためだけに使うなんて。……流石、魔術師ですの」

 

 もちろん皮肉ですのよ、と華澄は鏡夜の言葉を借りるように呟いた。

 

 お淑やかに華澄へ歩み寄ってバレッタが口を開いた。

 

「くすくす、エーデルワイス様はこちらに向かったようですね」

「ああ、過去観測ですか、お願いします。どちらに行ったかだけでも把握しておかないと」

 

 鏡夜の頼みにバレッタは頷いて先導して歩き始めた。

 

 バレッタは廊下を油断なく観察しつつ、説明するように謳う。

 

「ドーム中の様々な物が蝶に変じて、エーデルワイス様の周囲に集まっていきました。そしてその大質量を引き連れて……。おっと、職員が巻き込まれていますね」

 

 鏡夜は横たわっている黒スーツの職員を見て眉をしかめる。死んでいるのか? と思ったが、呼吸は上下しているようだ。……鏡夜へ殺到した蝶は攻撃を受け続けると死ぬと理解できる程度には容赦なかったのだが。この手加減もまたリコリスが制御したものなのだろう。

 決着の塔では殺しはできないが、そもそも〈Q‐z〉は人類にしろ人外にも──この区別に意味はないが──殺傷するつもりはないようだ。

 希望の火を絶やす云々の言い回しを考えるに、まぁ、何か信念があるのだろう。素晴らしいことだ。

 

「かぐやさん、ちょっとどれくらい怪我してるか調べてもらっていいですか?」

「あいあいさー」

 

 かぐやは廊下で倒れている角が生えている男性職員に近づくと、傍にしゃがみこんで目を光らせて検査する。

 

「気絶してるだけだね」

「くすくす、蝶の嵐に巻き込まれた衝撃のせいでしょうね……」

「でしょうね」

 

 それ以外の要因はないと思う。鏡夜はなら大丈夫かと判断して、バレッタについていく。仲間たちも周囲を警戒しながらついてくる。

 

 辿り着いたのは受付エントランスだった。ここも台風にさらされたのごとき有り様だった。あらゆる塗装が剥げ、備品も分解されたのかと誤解するぐらい散らばっている。リコリスがパーティメンバーとしてドームの中をうろつき、触ったものだけが蝶になったからか。なくなるものも残っているものも規則性なくバラバラだった。

 受付に職員はいない……というか誰もいない。

 

 バレッタはぐるりと一回転する。

 

「くすくす……あちらの」

 バレッタはドームの入り口を指さして言った。

 

「出口から外に出たようですね。多くの蝶を纏いながら」

「外ですか? ダンジョンの中ではなく」

 

 鏡夜はてっきり【決着の塔】の中に入ると思ったのだが。あれほどの蝶を中で自在に操られれば障害になるだろうし。なにせまともに先も見通せなくなるほどの量と、当たれば鏡夜がダメージを受けるくらいの硬さがあるのだから。

 

「くすくす、全ての蝶を纏って出ていったわけでないですね……目測の概算ですが、おそらく半数。残り半数は……あのステージホール、【決着の塔】の入り口の方へ向かっています」

「あ、さいですか」

 

 虎の尾を踏んだ気分だった。いやエーデルワイスは当初から、どこかで、本人曰く二十年程度で、蝶のギミックを使うつもりだったと述べていた。遅いか速いかの違いであり、速いことは鏡夜の歓迎すべきことだった。

 もちろん最高は、全部の罠と作戦を発動させる前に〈Q‐z〉を無効化することなのだが。

 

 憂鬱である。まだ厄日は終わってないのかとため息を吐く。流石に、あの数百万を超えた蝶はどうにもできなかった。

 すると鏡夜は、受付後ろ、関係者専用の出入り口の向こう側から男性の声と女性の声が聞こえてきたことに気づいた。

 二人とも聞き覚えのある声だ。受付後ろの扉が開く。

 

「!」

「なんと」

「……」

 

 鏡夜と華澄、そしておそらく桃音が全員驚いた。なぜならそこから現れたのは──。

 

「何があったのかな」

 

 日月の契国の王、柊釘真だった。こんな大事件が起こったにもかかわらず、まるで意に介していないとばかりに堂々と受付から鏡夜のいる方向へとやってくる。要人なのに安全確認などしなくて大丈夫だろうかと疑問をいだく鏡夜へ合わせたわけではないだろうが釘真へ話しかけていたもう一人の人物──染矢令美が言う。

 

「柊王! 危険です! まだ残党──残蝶がいるやも──!」

「いないさ。いないとも。嵐はもう過ぎ去っている。そうだろう、灰原鏡夜くん」

 

 鏡夜は片眉を上げつつ応えた。

 

「ええ、おそらくは……ところでなんで私に聞くんです?」

「おや、とぼけるのかい。私は恐らく君たちが原因かあるいはその起点だと予測しているのだが、それは間違いなのかな」

 

 流石は鏡夜が契国人ではないと見抜いた柊王。鋭い。だがその鋭さはいま発揮してほしくなかったと鏡夜は微笑の仮面を被る。

 

「違いますねー。もちろんこれは卑劣な敵手、〈Q‐z〉の仕業ですよ、そうでしょう?」

 

 鏡夜は同意を願いように周囲へ目線をやる。

 華澄は柊釘真を無表情で見やっていた。桃音は──。

 

(おや?)

 

 どこだと探すと、珍しいことに、心あらずと言った様子ではなく、鏡夜の袖を掴んでいた。表情は不服そうにも不機嫌そうにも見える無表情だった。怖がっているわけではないだろうが、桃音にしてはかなり珍しい反応だった。

 誰も口を開かないので、主に気を利かせたのかかぐやが大きく頷いた。

 

「間違いないわ。悪戯好きのあやかしの仕業ね! ずっと病室にいたのに気づかなかったの!」

「へ? どういうことです?」

 

 染矢が疑問符を浮かべる。

 

「あの、黒髪の妖精女王のことよ!」

「くすくす、久竜晴水パーティメンバー、リコリス様が、〈人形使い〉だったのです」

 

 バレッタの言葉に釘真は、ほうと、感心したように呟いた。

 

「なるほど、彼女がアルガグラムの魔術師だったわけか。それならばこの大騒ぎも納得しよう」

 

 鷹揚としているなぁ、まさに大人物、と鏡夜は尊敬を新たにする。もしも鏡夜が釘真の立場だったら、意地を張りつつも驚きの反応くらいは浮かべてしまうだろうが、それもないとは。

 鏡夜は大げさに頷いた。

 

「その通りです! まさに大敵と呼ぶにふさわしいでしょう! それほど罪深く、全ての責任は彼女にあるのですよ! 絶対!」

 

 釘真は全力でリコリスへ責任を押し付ける鏡夜の言い分を聞き、愉しげに笑った

 

「まぁ、君の言い分はわかったよ」

 

 鏡夜はほっ、と息と吐いた。すると釘真は、華澄の方を見て言った。

 

「さて、しばらく待ってくれ。まだ彼と話すことがあるんだ」

「……」

「?」

 

 華澄は開きかけた口を閉じて押し黙った。鏡夜はその様子へ少し疑問を抱いたが、今はこの国で一番偉い人間が目の前にいるのだからそこに集中するべきと判断して、釘真へと向き直る。

 

「さて、私はここから忙しくなってしまうだろう。だから鏡夜くんへの用事をここで済ましておきたい。なに、ただ一つの質問だ。いいだろうか?」

「……別に構いませんが」

 

 どう考えてもドームのみならず塔京がえらいことになっているだろうに、それよりも優先するべきことだ、と明言され鏡夜は身構えた。

 

 

「君は〈決着〉についてどう思う? 正直な想いを聞かせてほしい」

 

 

 

 

 

 

「…………どう思う? ですか?」

「ああ」

 

 まるで悪戯を成功させたように笑う釘真へ聞き返す。

 

「君は全ての挑戦者と私にその問いをしたのだろう? だったら君自身にもしなくてはフェアではない」

「…………」

 

 鏡夜はその問いを自分へ聞くことはしていなかった。だがそれは逃げていたからではない。聞くまでもないことだったからだ。鏡夜は自分のため以外に〈決着〉を使うつもりはない。ただの手段に思いも何もない。

 なるほど、勇者は〈決着〉をどうでもいいものだと言外に示した。英雄はあるものはしょうがないと呟き、魔王は負債と吐き捨てて、聖女はチャンスだとほくそ笑んだ。そして契約の王は、妥当だったと評した。

 

 では鏡の魔人、灰原鏡夜にとってあの老龍が立ち塞がり、〈Q‐z〉さえも妨害する、世界を変える力、千年を超えて現代にある〈決着〉とはなんなのだろうか。

 

 

「……ッ」

 

 鏡夜は、自分の願いを叶えるための手段でしかないと口にしようとして、喉で言葉が突っかかった。

 つい先ほど、蝶の嵐のその前に、鏡夜は言葉で失敗した。その失敗の記憶が鮮明なせいか、こうやって改まって問われると、本当にこれが正しいのか自信がなくなり、言葉に音が伴わなくなる。

 確信が霧散して、後に残った答えは……。

 

 

「……わかりません」

 

 そんな、まるで教師に指名され答えることができない学生のような返答のみだった。

 釘真は意外そうな面持ちだった。鏡夜も自分に対して意外に思っているのだから当然だろう。意地と虚勢の魔人なら、ここは不敵な解答が正解だったはずだ。舐められないために、全ては私のためにあるんですよ、くらいは嘯くのが、冒険者の金言を全うするいつもの態度だったはずだ。

 だが、奇妙なことに鏡夜は、この解答だけは失敗ではないという確信もまたあった。百点満点ではないだろう。だが、今、鏡夜ができる答えとしては最上だ。極めて軽薄な男ではあるが、学習能力はあるのだ。

 

 釘真はしばらくしてから頷くと、鏡夜がいつもやっていた問いをなぞるように二度目の問いを発した。

 

 

「では、君は〈決着〉を手に入れたらどうするのかな?」

 

 一つ質問が、と前提を置いていながら二つ目の問いを飛ばす。諸人から見れば気紛れで不躾な発言の展開。しかし、鏡夜と釘真から見ればこれは、お約束である。ここで質問は一つだけと言いましたねと、指摘することは無粋でしかない。舐められる。

 それに、鏡夜は、この問いには正直に答えられる。

 

「私の呪いを解きます。できればそのことで発生する不都合も解決します」

 

 言葉が違うとか、もしかしたらこの異世界では素の状態だと適応できないかもしれないとか、格好良くなくなったら桃音の家に世話になることができなくなるとか、その辺の、呪いの恩恵によって成り立っている全てをも解決する。

 それが鏡夜の絶対的な大目標だ。そしてもしもそこまでやってまだ〈決着〉に融通が利くのならば──元の世界に帰ってもいいかな、と。

 希望的観測も混ぜればそうなる。

 

 釘真はエレガントな微笑を浮かべた。

 

 

「なるほど、そうなると鏡の魔人はいなくなるね」

 

 

 二人の少女が小さく息を呑んだ。しかし鏡夜は仲間たちの顔色の変化へ気づくことなくその通りだと頷く。

 

「ええ、私という魔人はいなくなります。もしかしたら、灰原鏡夜そのものがいなくなるかもしれませんね」

 

 鏡夜は柊釘真相手だからか、異世界関係の情報はぼかしつつも、実直に解答した。

 もしも、鏡夜がこのやり取りで起こっている出来事を正確に把握することができたなら、先ほど桃音にしてしまった失言など些事とばかりに血の気がなくなるのだが……。

 

 どれだけ強靭で、どれだけチートで、どれだけ機知に富んでいても、神ならぬ人間には、全てを見通すことはできないのだ。

 

 

 釘真は微笑をさらに深めて、もはや笑みを浮かべていた。そして鏡夜へ親しげに語りかける。

 

「そうか。私は君を応援しているよ。〈決着〉についてどう思っているかは──もしも機会あれば、いつか教えて欲しい」

「ええ、もちろん!」

「では、私はもう行くよ。ああ、令美くん、ドームの後始末は君に一任する。それと、どこかの会議室を塔京緊急対策室として確保しておいてくれたまえ。準備ができたら私へ連絡を入れるように……では」

「ちょ、ちょっと待ってください! 柊王! あの塔京ってどういうこと……! あ、すいません、今日はドームを閉めるので、その、後日来てください! では!」

 

 染矢は大げさに一礼すると、スタスタと歩き出した柊王を追いかけていった。

 

「やー、流石ですね! あれほど冷静とは! 上の人がどーんと構えているとやっぱり安心しますよねぇ」

 

 鏡夜はうんうんと感心する。

 

「…………。……あれ?」

 

 鏡夜は華澄へ目を向けた。いつもなら華澄が賛成にしろ反対にしろなんらかの反応をするのだが、いつまでたっても来ないので鏡夜は華澄の顔をうかがった。

 華澄は冷静な表情を浮かべているが、鏡夜へ視線を向けていなかった。ボロボロになった天井を見上げている。

 

「華澄さーん?」

「……ああ、なんですの? 灰原さん」

「いえ、大丈夫ですか……ってそういえば華澄さん、柊王陛下に何か言うことがあったのでは?」

 

 そういう様子だったのだが、どうやら話そびれたようだ。鏡夜は心ここにあらずな華澄へ気を利かせて提案する。

 

「えーと、呼んできましょうか?」

「……いえ、よろしいですわ。わたくしが〈人形使い〉について詳細に報告する時にでも、聞きますわ」

「そうですか? それならいいのですが」

 

 どうにも極端なことが起こりまくる一日だ。鏡夜と桃音とかぐやは、華澄とバレッタと別れて帰路についた。

 華澄は鏡夜のパーティメンバーであると同時に柊釘真王直下〈Q-z〉事件特別対策本部 外部特別顧問である。

 その仕事を果たすために受付後ろの関係者出入口へ去っていく華澄を思い返しながら、鏡夜は桃音の家のドアを開ける。

 

 

「ただいま帰りましたー」

「はーい、お帰りなさい、我が君!」

「……」

 

 鏡夜はとすっとソファに座る。今日は本当に疲れた。桃音は立ったままである。

 

「おっと、私が夕食を作ってあげるよ。豪勢なのをね!」

「それはいいですね!」

「……」

 

 かぐやはルンルンとキッチンへと帰って行った。桃音はリビングでぼーっと突っ立ったまま鏡夜を見ている。

 鏡夜は桃音を見返した。

 

「…………」

「…………」

 

 桃音は何を言うでもなく、何を伝えるでもなく、立ったまま鏡夜を見下ろしていた。

 

 

(誰か助けてくれ)

 

 

 

 

 

 

 〈1000年1月7日 午前〉

 

 

 もちろん助けなどあるはずもなく、気まずい雰囲気のまま夜は終わり、迎えた翌朝。

 鏡夜は白米や魚、味噌汁と言った和風の朝食を食べ終えて、緑茶を飲んだ後に言った。

「今日、ダンジョンに入って、できたなら老龍へ挑戦します」

 向かい側に座る桃音は無音でお上品に納豆をご飯にかけて食べていた。表情にはまったく出ていないが、昨夜と比べれば少しだけ雰囲気が柔らかくなった気がする。だが、もちろん許されていないのも確実だ。

 なぜなら今朝桃音は創作活動を行っていなかったらからだ。何も作ってなかった。椅子も絵も踊りを動画作成するのも朝食作りまで、なにもせずにぼーっとかぐやが朝食を作るのを待っていたのだ。異常事態である。そしてその理由も歴然だ。

 時間で、なぁなぁで流して自然消滅を待つのはあまりにも格好良くないのだ。

 

 そんな桃音の平穏なピリピリとした雰囲気をまったく意に介すこともなくかぐやがほわほわと言う。

 

「おお! ついになのね! でも大丈夫なのかしら? 施設が朽ちていたようだけど」

「問題ないようですよ、そうですよね? 桃音さん」

「…………」

 

 桃音は無反応だった。

 鏡夜は内心はともかく虚勢で柔らかな微笑を浮かべつつ、かぐやへ説明する。

 

「昨日、ドームはその大半が蝶の嵐の被害を受けましたが、ダンジョンに入るだけなら問題ないらしいと連絡がありました。桃音さんのPCのメールに」

 

 ならば遠慮する必要はない。大騒ぎだったから! 老龍が恐ろしいから! そんなものはいくらでも足を止める理由になる。

 一日、一ヶ月、そして一年。いくら何もしなくても、足を止めてもおかしくない。

 だから嫌なのだ。

 駆け抜けるしかないのに、足を止めることに慣れてはきっと何事もなせないだろう。

 わかっているのだが、恐ろしい。なにせ老龍をどうすればいいか、冴えた閃きが未だないのだから。

 だが、例えやみくもに近いものだとしても舐められてはいけない。故に鏡夜はこう続けた。

 

「楽しみです」

「我が君ならくしょーよ。間違いないわ!」

「そうヨイショしていただけると活力が湧く気がしますねー。ありがとうございます」

 

 まぁ、気がするだけなのだが。薄浅葱のようにやる気がないよりマシである。

 もうひとつの動機として桃音へのアピールもあるのだから、やる気はいくらあっても足りない。

 

 ……結局のところ桃音に対する何らかの失言及び断絶は、言葉での解決方法は思いつかなかった。

 何度も自分が吐いたセリフを想起しては、どういう影響を桃音に与えたのか頭を捻ったが、解釈ができない。いくら考えてもわからない。

 けれど時間は待ってくれない。危機もまたチャンスと同じように、一度取り逃せば二度と取り戻すことはできないのだ。

 さらに言えばチャンスは逃せば二度と来ないだけで済むが、危機は解決の機会を取り逃せば延々と後を引いて被害が大きくなってしまう。

 

 そこで鏡夜は発想を転回させる。

 なら行動で取り戻そうと。好感度が下がったと強引に解釈すれば、格好良いところを魅せれば弱点を突く形にもなるはずだ。

 そして直近で格好良いところを見せるには、足を鈍らせている老龍を相手にするしかないのである。

 

 

 鏡夜は怯える心を意地と虚勢の炎で熱しつつ、朝食を終えた。抜けるような早朝の青空と青々とした絢爛の森を見下ろしながら深呼吸をして自分に気合を入れる。

 そして鏡夜は、桃音とかぐやを引き連れて絢爛の森を出た。

 

 いつもは人も人外もまばらにしかいない早朝の塔京を移動している鏡夜だが、今日は少し勝手が違った。

 どこもかしこも工事中だったのだ。道路工事が大々的に行われ、どこの建物も外側から鉄パイプを基礎とした足場が組まれ、作業員や警備員がひたすら働いていた。

 さすが首都塔京。インフラ対策は迅速で妥協がない。

 

 この分なら一週間後ぐらいには、見えている範囲での建物や道路の不調はなくなるだろう。

 

 鏡夜は嫌な意味で有名人だが、土方業の方々は自分の仕事に専念しており、むしろ道を行き交う一般市民はいなかった。

 なので鏡夜は久々にすがすがしい空気の中を、ゆったりとした歩みでドームへ向かうことができた。

 

 

 そんな清々しい気分でドーム前までたどり着く。昨日は疲れであまりよく観察できていなかったのだが、ドームの外観はほぼ崩されていなかった。

 例外は扉だけである。まるで直径十メートルはあろう岩石が内側から飛び出したのかというぐらい、ドームの入り口は破砕していた。いつかステージホールの天井をぶち抜いた砲丸ロボットを思い出すような大穴だ。

 入り口を通る時破片が降ってこないように応急処置こそされているが、それだけだ。

 

 鏡夜が花開いた洞穴のような入口を取ってドームの中に入ると、今度はたくさんの作業服を着た人々と人外たちが修繕を行っていた。

 

 招集された冒険者たちがエントランスでたむろっていたのに遭遇して以来の密度である。

 

 脚立の上でトンカチを振るっていたり、床を掃き掃除していたりする者たちの中央まで歩く。

 すると向こう側から華澄とバレッタがやってくるのに気づいて鏡夜は片手をあげた。

 

「おはようございまーす」

「おはようございますの」

「くすくす……」

 

 エントランスの中央で鏡夜たちのパーティは合流する。そしてさっそく鏡夜は老龍に挑戦するという意志を全員に改めて伝えた。

 

「あら、もうですの?」

「ええ、もうですよ。先日、拙速なんて隙だらけなんて華澄さんは言ってましたけど、一日観測して分析して調べましたし、これ以上何か収穫を得ようとしても当てはありません。ならもう挑戦してもいいでしょう」

 

 鏡夜は左手の人差し指を立てて振りながら冷静に挑戦する根拠を提示した。

 華澄は鏡夜のセリフを聞きながらしばらく考えていたが、一つ頷く。

 

「わかりましたわ。正攻法で相対するというのならば、わたくしも相応しいやり方をいたしますの」

 

 都合もよろしいですし、と華澄は心の中で呟いたがもちろん鏡夜にそれは聞こえない。

 

 鏡夜は不都合な世界に不敵な笑みを浮かべると、仲間たちへ視線を向けた。

 

「では参りましょうか、老いたる龍に未来というものを見せてあげましょう」

 

 

 

 とは言ったものの。未だに鏡夜の心の中ではうまくいく光景は見えない。意地と虚勢とその他諸々動かざるおえない理由が複合して身体を前に動かしているに過ぎないのだ。

 完全に足を止めるよりかは数百倍マシだとはいえ、それでも最善ではない。

 

 

 鏡夜は心こそ折れていないものの、暗闇を歩いている気分のまま、ダンジョンへ潜った。

 

 第0階層、かつてクエスト『カーテンコール』と戦った入口から鏡夜たちは自然と警戒心マックスになる。

 当然だ。なぜなら、この塔の中には、ティターニアの蝶が大量に入り込んでしまっているからだ。

 いつ襲ってくるかわからない。どこからくるかもわからない。だからダンジョンに入ったのならば出るまで警戒し続けねばならない。それはストレスとなり、注意力と体力を削いでいく。〈Q‐z〉らしい、性格の悪い妨害である。

 だが、油断なく会話もない警戒心に反して特異な出来事は起きなかった。モンスターが通常通りの頻度で襲ってくる程度。

 

 そして拍子抜けするほど簡単に第三階層【竹林】へ入る一歩手前までたどり着く。

 

 鏡夜は舌打ちを打ちたいのを気合で耐える。一歩一歩先へ進むごとに感じるものは、今朝想像していたものと違った。

 てっきり鏡夜は恐怖に襲われるものとばかり思っていたのだ。だが現実はどうだ? 今この瞬間感じている感情は──―。

 

 舌打ちの変わりに出たのは意地と虚勢と──そして何より、本心だった。

 

「そもそもなぜ私が、月も星も光もない暗闇の夜に放り出されたような気持ちにならないといけないんです? そんな人生、生きてて楽しいんですか。いえ、楽しいわけがない。何が理由だろうとそんなぐだぐだぐだぐだ鬱屈した有り様が肯定されるわけがない。生きてても見てても楽しくない」

 

 鏡夜は苛つきのまま、仲間を惹きつれて【竹林】へと侵入した。

 

 

「そもそも、あの老龍が千年待っていたのは、こんな愚にもつかないことに悩んで、世界も人生も陰鬱なものにしかできない人間なのでしょうか?」

 

 

 違うだろう。絶対に違う。千年前の勇者と魔王が果たして何を思い契約を結び、この【決着の塔】というダンジョンと千年の契暦を作り出したかは知らない。

 挑戦者たちに問うても教えてもらえなかったし、調べても文献なんかありはしない。【当代の勇者と魔王が挑むこと】なんて決まり事は、どこかで勝手に生まれた伝承ルールであり、始まりにそんな取り決めはなかった。

 受け継いでくれと、そんな言葉は何一つとして残ってはいない。なぜなら受け継がせて、未来を切り開ける何かなど──過去から続けて、教訓となるべきような何かなどなかったのだ。

 

 彼らは、恥知らずではなかった。少なくともそれだけは確かだ。

 

 

 鏡夜は契国の王から〈決着〉か何かを問われた時、答えることはできなかった。今でも答えることはできない。だが、自分にとって何であるか答えることはできなくとも、千年前のソレがなんであるかは、今ここに立ってようやくわかった。

 

 

 竹林の向こう。奇跡の切符、その資格を問うために最善を尽くせと命じられた龍がやってくる。

 鏡夜は──―むしろ、さらに一歩前に進んで、人差し指を突きつけて老龍へ言った。

 

 

「あなたに託されたものは〈祈り〉だ。そうでしょう?」

 

 老いを弱さではなく、強さに変えた、強大な龍が──―奇跡を待ち向ける門番たれと願われて、だからこそ奇跡を起こした龍が、鏡夜たちへ襲い掛かってきた。

 

 

 

【THIRD STAGE】 question『CutOut』&Elder『Dragon』

 

 

 戦 闘 開 始

 

 

 地面を跳ね、波のように迫ってくる老いた龍。馬鹿げた速さと質量を持つ怪物から、鏡夜は目を逸らさなかった。

 華澄とバレッタが龍に銃撃する。美しくのたうち弾丸を避ける老龍を、鏡夜は直視し続けた。

 かぐやのビームすらも、光を先読みしているように潜り抜け、眼前まで迫ってきた老龍。透徹した黄色い龍の瞳を、鏡夜は真っ直ぐ見返した。

 

 ついに鏡夜を全力で噛み砕こうとする龍の顎。鏡夜はその顎を右足で蹴りつけて止めた。《鏡現》は作り出さない。老龍は〈Q‐z〉とは違い、鏡夜たちの戦法や武器を知らない。勝ち目があるとすればそこだ。

 

 老龍は鏡夜をにらみ、牙を噛みしめる。鏡夜は右足をしなるように降りまわして老龍を弾き飛ばした。

 

 老龍は深入り……しない。すぐに引いていく。竹林全体を利用して常に機動し続ける。円の形と思えば直線にも跳ねて縦横無尽だ。

 

 ……彼は食べることも眠ることもない、生き物の形をした機械だ。彼に油断も慢心もありはしない。

 

「……」

 

 鏡夜は冷たい無表情で、身体をいつでも動かせるように揺れながら老龍を見据え続ける。

 だが、乾いて罅割れた肉体だ。時の刻みが表皮に現れている。これは生体機械に過ぎない。そうだ。魂などありはしない。知性などありはしない。

 超えられない壁などではない、と自分に言い聞かせる。

 

 鏡夜は仲間たちの居場所や行動すら認識から消していく。華澄が機関銃を取り出し、バレッタがバズーカを取り出し、かぐやと桃音が老龍を鏡夜へ近づけさせないように大暴れしている音も気配も、世界から失くしていく。

 

 集中する。言葉にすれば、たった一言で表せる行動に、全身全霊を傾ける。

 

 完全にゾーンに入り切る前に鏡夜は、静かに言った。

 

 

 

「信じます」

 

 

 

 鏡夜は、誰よりも前へ駆け出した。

 

 

 

 老龍が鏡夜へ再び噛みつこうとする。鏡夜はそれをステップで避けようとした。しかし老獪な龍は直前で頭を捻ると鏡夜を巻き付こうと囲い始める。

 

「それは想像しました」

 

 鏡夜は地面スレスレを這うがごとき低空飛行で飛び出し、老龍と地面と隙間を潜り抜けた。

 地面に手をついて着地。回転し、老龍に向き合う鏡夜。

 

 老龍がもだえる。きっと仲間が攻撃しているのだろう。避けて無駄な動きをしているのだろう。全員の補助がなければ、鏡夜は即座に殺されている。下を潜り抜けた時、押しつぶされたら死んでいた。だが、その最悪の想像は現実になっていない。

 

 

 そうだ。鏡夜は一人ではない。今の鏡夜には真白の世界と老龍しか見えていないけれど、それでも一人ではない。

 仲間がいて──なによりも、尊敬すべき敵手がいるのだ。

 

 

 鏡夜はここだと判断して、両手に作り出した《鏡現》の大鋏で老龍を迎え撃つ。その刃が老龍の鱗に──突き刺さらない。弾かれた。

 しかし鏡夜は慌てない。パニックになる精神的余剰すらなくして老龍と戦っているからだ。老龍は、意識がないが馬鹿ではない。例え不意打ちだろうと絶対に鋏が危険だと判断できるし。ギリギリの刹那。体躯をねじり、側面から鋏へ体当たりする、その神域の絶技を行える。

 驚嘆するのは──できるのは観客のみだ。

 そして驚嘆せぬ踊りのパートナーたる鏡夜は、弾かれた方向へ思いっきり身体を投げ出す。転がりながら新たに作り出した《鏡現》のナイフを空中に作り出し、その持ち手の底を蹴って投げナイフならぬ蹴りナイフを突き立てようとする。

 

 

 そして──見事に、その胴体に、一本のナイフが突き刺さる。

 

 

 鏡夜の想像ですら成し遂げられなかった快挙だった。きっと桃音が蹴りを入れて避けて隙ができたのだろう。あるいは華澄が隙間を縫うようなピンホールショットを撃ち、それに惑わされたのかもしれない。

 だが同じことだ。鏡夜は信じた。これは絆の力ではない、仲間と力を合わせているわけでもない。

 

 ただ、認めただけだ。彼女たちは自分よりも強いと。老龍もまた、自分よりも強いと。

 

 

 認めた上で、自分が勝つ。

 

 

 どんな神よりも神々しく、どんな嵐よりも荒々しい──あの蝶の嵐なんかよりも──そんなものを相手にしたとしても。

 鏡夜は立ち止まるでもなく、下がるでもなく、前へ前へ前へと踏み込んでいく。

 

 

 集中力が極点まで達した時、鏡夜の口は自然と動いていた。

 

 

「貴方の歴史と託された〈祈り〉に敬意を持って──―私は貴方を打ち倒そう」

 

 背負えない。背負っていくと、貴方の想いを受け継いでいくと、言葉にするだけで──確信する。できない。

 例えこれから先、千年前の勇者と魔王が何を考えていたかとか、あるいは望郷教会や冒険者組合や秘密結社アルガグラムを切っ掛けにして、千年の歴史の真実とか、老龍に託された〈祈り〉の詳細を知ることができたとして。

 きっとそれは、たった今千年と相対している、この刹那を超えることはないだろう。

 

 

「私は貴方を背負えない。駆け抜けるだけです」

 

 

 だけだ、だけだ、だけだ。それだけで──目の前の龍を、倒せるのか。万が一届いてしまったとして、そのまま〈祈り〉を踏みつけることができるのか。

 誰かのためと言い訳しない。より大きな大義を持っていると嘯きもしない。鏡夜は例え勝っても負けても、自分のためだけにしか戦っていないのだから。

 

 話し合う? 理解し合う? まさかまさかまさかまさかまさか──それは、知性体にだけ許された贅沢だ。打ち倒せ、打倒しろ、戦え──それがどれだけ遠く無理な難行だったとしても──。

 

 龍の尾が鏡夜の防御の隙間を縫って、右腕を切断する。圧倒的呪詛たる服のおかげで外見上は汚れも血も浮き出ていないが、完全に服の中で、肩から断ち切られた。

 

 超えさせない、ではない。超えろ、超えろと千年、ただそれだけのために動き続ける絡繰り老龍。容赦がない。悲痛なほどに妥協しない。

 

 ああ──重い重い重い重い重い痛い痛い痛い痛い。

 

 

 しかし──覚悟は、揺るがない。

 

 

 鏡夜は龍の胴体の上に乗った。龍が大暴れするが、跳ねて掴んで跳ねて、その身体を巧みに登って行く。そして両手でうまく老龍を掴むごとに、状態異常が弱点として発症していく。毒で麻痺で睡眠で恐怖で魅了で、生体が発症しえる思いつく限りの状態異常が積み重なっていく。

 

 

 重い荷に限界を迎えて、いつかは老龍のことを薄れさせて、忘れるだろう。灰原鏡夜は、根本的に軽薄な男だ。精神的プレッシャーを長い間持ち続ける強さなどない。灰原鏡夜は本質的に惰弱な男だ。

 

 

 鏡夜はついに老龍の首まで到達する。左手に作り出したのは《鏡現》の大鋏。老龍の瞳は未だ透徹して、まるで黄金のようだったけれど、鏡夜の紅瞳はまともに動くことすら難しい状態異常の数々を老龍に見て取る。

 

 

 だから──―駆け抜けるしかないのだ。背負えない。認めよう。認めるが故に、老龍の歴史が時間の闇に消える前に──早く、速く、何よりも早く、〈決着〉へとたどり着こう。

 

 

「忘れないとは言いません。私は貴方を背負えない。ですが──貴方を決して無駄にはしない。幻想にはしない。それが、私が貴方へ果たす責務です」

 

 そんな背負い込むだけよりも、もっともっと難しい選択肢を選びとって、想像するだけ不可能の障害たりえた老龍の首を鏡夜は、バチンッと断ち切った。

 

 鏡夜は落ちていく老龍の首と共に地面へ落ちながら、これは皮肉ではないのですが、と呟いてから言った。

 

「首は断ち切れても想いは断ち切れないと良いですよね……?」

 

 

 

【THIRD STAGE】 Question『CutOut』&Elder『Dragon』

 

 

 Clear! 

 

 

 鏡夜は背中から地面に落ちた。

 

「かはっ……」

 

 そしてあらゆる周辺情報と自分の状態が、鏡夜の世界に戻ってくる。

 

「これはッ……なかなかキツイですね……ッ」

 

 右肩からの激痛が一番だが、致命傷ではないと見過ごしたダメージが全身のいたるところに刻みつけられていた。

 仰向けのまま左手で右肩を掴む。眉をひそめながら感触を確かめるが、急速につながってきていた。自動回復は変わらず働いている。

 今までで一番のダメージだ。まともに起き上がるのも難しい。

 

 日が沈む寸前の、逢魔が時。薄明の空に一匹の蝶が飛んでいる。

 

 

『”奇跡”を起こしたな。いや……お前の存在こそが”奇跡”だったのかもしれない。奇跡的に、都合が悪い』

 

 蝶から声がした。久竜晴水──キー・エクスクルの声だった。桃音、かぐや、華澄、バレッタが鏡夜の傍に近寄って、傍に立つ。蝶はそれを気にすることもなく、ひらひらと鏡夜の上を飛びながら雲をつかむような話をする。

 

『あの龍こそが真の理不尽だろう。そしてそれを打ち倒したお前こそが冒険者の鑑だ』

 

 鏡夜は急速に回復していく身体を横たえたまま、エクスクルの宣告を聞き続ける。

 

 

『だがお前は──―最強ではない。あらゆる難敵を呪詛の頂で薙ぎ払う最強の主人公ではない。最強のヒーローではない』

 

 鏡夜は脱力して倒れたまま溜め息交じりに言った。

 

 

「それでも貴方たちに負けませんでしたし、これからも負けませんが?」

 

『だがお前は、パーティの中で一番弱いだろう?』

 

 

 

 

 

(何を当たり前のことを)

 

 精神攻撃のつもりだろうか。それならばまったくもって遅すぎる。それならば第一階層あたりにやらなければ効果がない。

 エクスクルの声を届ける声はひらひらと鏡夜の膝の上に乗った。

 

『白百合華澄はお前より強い。不語桃音はお前よりも強靭だ。バレッタ・パストリシアは、お前よりも高性能だ。かぐやはお前よりも万能だ。それがお前の【弱点】だよ」

「意味が、わかりませんが」

「そしてお前は──愛されている。それがお前の【盲点】だ」

 

 そして蝶ははじけ飛んだ。華澄が拳銃で撃ち抜いたのだ。華澄はゆっくりと拳銃を垂らしながら言う。

 

 

「今まで黙っていて申し訳ありませんが──リコリス・エーデルワイスが、今朝自首しましたの」

「………………はい?」

 

 華澄は感情の読み取れない表情を浮かべている。

 

「わたくしと貴方との取引を覚えていらっしゃいますの? “アルガグラムの人形使い捕獲に協力してくだされば──―、貴方たちが〈決着〉を手に入れられる手伝いをしますわ”そして貴方はこう言いましたの。“私は決して貴女を侵さない。己であることの尊さを、人間的な生活のすばらしさを体現する貴女を。私は決して、侵害しない。〈決着〉で叶える願いは、果てしなく貴女に無害にしましょう”……と」

 

 鏡夜は息を呑んだ。

 

「人形使いが拿捕できたのですから、もう手伝いはいらないですわよね。ああ、それと。貴方が叶えようとしている願い──全身の呪詛を取り除き鏡の魔人、灰原鏡夜をやめる、でしたわよね」

(──“愛されている”。白百合華澄は、灰原鏡夜を信頼するほど好意を抱いている)

 

 鏡夜はまったく想像もできていなかった危機を前にして絶望した。

 

「──その〈決着〉で叶える願い。わたくしに、最悪なほど、有害ですわ」

 

 鏡夜は桃音に胸を踏まれて、その額に拳銃の銃口を、心臓にバレッタの狙撃銃を突き付けられた。

 

 そしてこの瞬間の鏡夜には知る由もないことだけれど、まったく同時刻。塔京に大混乱を引き起こした下手人として、鏡の魔人、灰原鏡夜が柊釘真の手によって全世界に指名手配犯として発表されていた。

 

 白百合華澄は、判断を間違えない。だから──間違えたのは、灰原鏡夜だ。

 

 不語桃音は、何も語らない。だから──語るべきだったのは、灰原鏡夜だ。

 

 世界は説明を求めていた。だから──最初から、沈黙と非コミュニケーションで何かが解決するわけがなかったのだ。

 

 もう一匹の蝶が竹の上に止まっている。そしてそこから嘲るような、挑戦するような

 〈Q‐z〉の首領の声がした。

 

「生きることは難しく大変だ。不可能の連続だ。障害の雨だ。絶望はそこらに散らばっていて老若男女関係なく、突然危険に襲われる。超えられない壁を超えた──それで、次がもっと高い壁ではないとは、神も仏も保証しない。俺が保証しよう。今度の“遅延”は、効くぞ」

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。