「お、おい……リノ、そのままじゃ刺されて……」
声をかけるが、避ける様子はない。
そのまま刺身の突進を待ち構えるようだ。
「フカ……これからあなたにやってほしいのは、こういうこと」
待ち構えながら、口を開く。
「お兄様に話しかけないで……! わたしの……お兄様にいいいいいいっ!」
直後、出刃包丁の先がリノの小さな身体に突き刺さる。
血液が勢いよく溢れ出し、その場に膝をついて崩れ落ちる。
しかし――よく見ると、その顔は未だ笑顔だ。
立ち上がったときと何ら変わらない不敵な笑み。
表情はそのままに、両の腕を刺身の後ろへと回している。
――そして、彼女は刺身の耳元で囁いた。
「あーあ……これで立派な犯罪者……だね?」
「――――――――――――――――っ!」
刺身が硬直する。
恐らく、怒りと悲しみ。
感情のゲージがマックスになったんだろう。
許容範囲を超えた感情は体内で消化レベルできるレベルをとうに超えていて、溢れ出す。
眩い光――ライトの数千倍の光となって、現前する。
「うわ……っ…………!」
視界が奪われて、存在するもの全てが無に帰してしまったかのような錯覚に陥る。
脳にまで光が届き、その中を蹂躙されているかのような不思議な感覚。
今朝、体験したばかりの感覚だ。
「……どう、フカ? 二度目のレベルアップを目にした気持ちは」
「……二度目だろうと三度目だろうと、慣れる気がしないよ……」
俺の口から、弱々しい声が漏れる。
それもそのはず、この現象は自然界に存在するはずのないものなのだ。
自分の遺伝子にも刻まれているワクチンだとはいえ、その衝撃は決してやさしくない。
「今のでわかってもらえたかな……? レベルアップのやり方」
光を一番近くで感じつつも、包丁による怪我以外はノーダメージのリノ。
こうなることが分かっていたなら、事前に目を覆うように指示して欲しかった。
そんな不満を心にしまい、俺は答える。
「やり方は……なんとなく分かった。刺身の感情を、脳や身体が処理できないくらいに増幅させる手伝いをすればいいんだろ? そうしたら、なぜかレベルがアップする」
「ご名答! レベルアップっていうのは、言わば感情の制御装置。宿主の感情が限界に達すると、周囲にそのエネルギーを放出して処理するの。そして、その回数や濃度が大きい数字になればなるほど、次の許容範囲が大きくなる。見たところ今はレベル五十くらいのはずだから、許容範囲も中くらいね。……もっとレベルの低い時は、かなり頻繁に爆発してたはずだよ」
「かなり頻繁に……。それって、身体に影響はあるのか?」
説明を聞いて、ある疑念が生まれる俺。
俺の立てた仮説が正しいとすれば、小さい頃の刺身は――
「そうね……身体への負担はかなり大きいと思う。それこそ、普通に生活するのが難しいくらいに」
――やっぱりだ。
前述の通り、刺身は幼い頃病弱だった。
移動には車椅子を使用しなければならないくらい、足腰が弱くなっていた。
しかし、結局医者の診断でその理由が解明されることはなく、研究チームも白旗を挙げた。
その、病弱の原因がレベルアップによるものだったとすれば、あのとき医者や研究チームが総力を上げても突き止められなかったのも頷ける。
あの時から、刺身にはオードル・ト・レール人の遺伝子が色濃く出ていたんだろう。
そうなると、今まで見てきた刺身のちょっとおかしな部分は全部、遺伝子が地球の環境に合わないがための暴走だったのか……。
人類の新事実の後に知る、妹の新事実。
どちらかといえば、後者の方が自分の身近にあるだけに衝撃が大きい。