我が愛しのルーク・ハントへ   作:相馬アルパカ

2 / 2
ルーク・ハントと魔法の額縁

 カレンダーというのは不思議なもので、絶対に忘れない日ほど印をつけておきたくなる。テスト日程、特別な休日、好きなゲームの発売日。そして誕生日。

 監督生の自室にかけてあるカレンダーは12月2日に丸がついていた。

 その日はルーク・ハントの誕生日。ルークを慕っている監督生にとって、ある意味で一番特別な日と言えた。

 

 日頃の感謝を込め、ルークが喜んでくれそうなものを贈りたい。

 そこで考える。ルークが喜ぶものとは、いったいなんだろう。

 美しいものが好きなのは知っているが、彼が美しいと感じるものは広範囲に及びすぎた。道端に咲くタンポポ、片腕が朽ちた彫像、ピアノが奏でるワルツの旋律、目に見えるもの・見えないもの、思想やファッション、とにかくなんにでも美を感じる。

 おそらく彼は善意のこもったプレゼントであれば心からの笑顔を浮かべて受け取ってくれるだろう。だからこそ気になった。

 ルークが欲しいものは、いったいなんだろう。と。

 

 思い切って尋ねてみると、金色の髪が美しい人は「世界で一番美しい絵」と微笑んだ。

 

 

「世界で一番美しい絵、ですか……」

 監督生は言葉をそのまま復唱した。場所は教室前の廊下で、監督生の隣ではルークがしなやかな背中を壁に預けている。羽根帽子のツバが前髪に優雅な影を落としていた。世界で一番とは、あまりに抽象的である。なぞかけのような気さえして、悩んだ末、監督生は「先輩が美しさに序列をつけるなんて意外ですね」と困ったように笑うことしかできなかった。

「ふふ。困らせてしまったね、トリックスター」

 ルークは人差し指で帽子のツバを持ち上げるようにしておどけてみせると「実は最近、気難しい友人ができてね。彼の美的感覚に寄り添うような絵が欲しいのさ」と片目をつぶる。

「へえ。どんな人です?」

 監督生が純粋な好奇心から尋ねると、ルークは軽い調子で「会ってみるかい?」と首をかしげ「私の部屋に来れば会えるけれども」とささやく。急に耳に息がかかって監督生は思いっきり横に飛び退いた。

 ルークは監督生が耳をかばうのを見て目を細めている。人を驚かせるのが好きなのだろう。監督生は(先輩は自分のことをトリックスターと言うけれど、先輩のほうがよほどトリッキーだ)と思った。

 監督生は動揺してしまった自分を少し恥ずかしく思いながら、鼻から息を出す。「部屋でこっそりペットでも飼っているんですか」とぼやいた。

「いいや? 飼育はしていないね。所有と言ったほうが適切だと思うよ」

 ルークはかかとを床につけて背中を起こした。

「私の新しい友達はね、額縁なんだ」

 

 

 

 ふもとの街では月に何度か蚤の市が開かれる。アンティークの家具や美術品が売られることも多い。様々な家を巡ってきた品々を眺めるのがルークの楽しみのひとつだった。

「雲の晴れ間から一筋の光が差し込んでいてね。ああいう光の差し込み方を天使の階(きざはし)と呼んだな、と考えながら光の行方を追っていたんだ。すると――」

「いま、先輩が持っている金色の額縁が目に入ったと」

「ウィ。そのとおり!」

 ルークは満面の笑みで額縁を掲げた。金の塗料が塗られた額縁と黒い手袋は色の相性がいいな、と監督生は思った。額縁はA4のプリントが入りそうなサイズで、内側と外側に小さな溝が掘ってある。デザイン自体はありふれたものだが、額縁のそこかしこに刻まれた傷が味となっていた。

「シンプルな額縁ですね。先輩の部屋によく似合いそうです」

 監督生はルークの淹れた紅茶に口を付けながら感想を述べ、視線だけ動かした。

 ここはルークの部屋である。

 監督生がルークの部屋を訪れるのは初めてだった。よく片付いている部屋だ。床に物が転がっているようなことはなく、備え付けの家具を丁寧に使っているように見えた。壁に鹿の首でも飾ってあるかと思っていたのに、帽子掛けと真紅のカーテンがあるだけだった。

 ルークは額縁の角を指で弄びながら左右対称に口角を持ち上げていた。まっすぐに切りそろえられた髪型のせいか人形めいた雰囲気がある。触ればひんやりと冷たそうだった。

「それがそうもいかなくてね。この額縁は誇り高く、中身が気に入らないと機嫌を損ねてしまうんだ」

 ルークが引き出しから数枚の絵葉書を出した。絵葉書にはこの世界の名画がプリントされていた。黒い指先が額縁の裏をなぞると金具がぶつかる音がして、絵葉書がガラスと木の板に挟まれるようにして飾られた。監督生は「見ていてごらん」と言う声に素直に従った。

 金色の額縁が端から黒ずんでいく。

 消し炭のような色は額縁の落胆を表しているようだった。

「この額縁は自分が気に入った名画を飾ったときに素晴らしい姿になるそうだ。叶うならば私はそれを見てみたい。この額縁にとって美しい絵とはなんなのだろうと、気になって仕方がないよ」

「そんな絵、本当にあるんですか?」

 監督生は額縁をまじまじと眺めながら素直なところを口にした。

 ルークの見立てによればこの額縁には魔力が宿っており、意志があり、美醜がわかるとのことだ。確かに飾った絵葉書によって額縁の反応は様々で、額縁が中身に対してなんらかの基準を持っていることはわかる。

 しかし、だ。

「さっきの絵葉書はどれもいい絵でした。でもこの額縁さんはどれもこれも気に入らないって言う。単に絵を飾るのが嫌なひねくれものなんじゃないでしょうか」

「その可能性も大いにありえるね。なぜなら」

 金色の額縁が持ち上がり、枠の中に猫のように細い虹彩が浮かんだ。枠の中から「私はこの額縁からは美学を感じるんだ」とよくわからない言葉が聞こえる。監督生は内心ためいきをこらえた。

 美学、ねえ。嫌いなものを否定するだけの額縁に、美学も何もないと思うけれども。

 監督生は絵を描く人間だが感覚でものごとを把握するのは好きではなかった。人体を描くのであれば骨や筋肉の構造を学びたいし、風景を描くのであれば太陽の角度を意識した。名画と呼ばれる絵は色彩や構図にいずれも優れたところがある。それらを無視して「否」とする額縁に対していい印象は持てなかった。

 でもまあ、と監督生は苦笑いを浮かべる。

「先輩がご所望なのでしたら、額縁用の美しい絵を用意してみせましょう」

「嬉しいね。キミの可能性に私はとても期待しているよ」

「ご期待に添えるように努力します。額縁、少しお借りしてもいいですか?」

「いいとも」

 監督生はまず額縁の印象に合わせて絵を描いてみようと考えた。額縁の表面を自分に向けて目の前の風景を切り取る。写真を撮る人が両手の親指と人差し指で枠を作る作業に似ていた。金色の額縁なら青空が映えるかもしれない。そう思い、監督生が窓の外に広がる青空を枠の中におさめようとしたところ金色の額縁がキラキラと輝きを増した。

 ルークの顔が初夏の朝のように輝いた。

「新しい反応だ! 素晴らしい発見だね、トリックスター」

「ありがとうございます。枠の中に入るのは景色でもいいみたいですね」

 枠の中に煙のような雲が流れている。綺麗な空ではあった。

「トリックスター、散歩に行かないかい? この額縁に世界中の綺麗な景色を見せようじゃないか」

 監督生はおおげさだな、と思いつつ「いいですね」と微笑んだ。ルークはタンスから立派な狐の襟巻きを出して監督生の首に巻き「去年仕留めた獲物だよ」と笑顔を見せた。

 仕留めたということは、生きている狐の命を摘んだと言うことだろう。

 監督生は毛皮に首をうずめながら、食用の動物と毛皮のために狩られた動物、なるならどちらがいいだろうと考えた。血肉になるのと、美しい姿のままで側に置いてもらえるの、どちらが幸せなのだろう。

「さあ、美しいものを探す旅に出よう」

 ルークの言葉に意識が引き戻される。ルークがドアを開いているのが見えて、監督生は「はい、先輩」と左右非対称に口角を上げた。

 狐をかわいそうとは思わなかった。

 

 

 木枯らしが吹きすさぶ中、監督生とルークは額縁をかかげて学園中を歩き回った。冬は四季のうち最も色が少ない季節ではあるが、森を歩けばやわらかい冬毛に身を包んだうさぎが地面を駆け抜け、蜜の詰まった鮮やかなりんごが枝をしならせていた。

 額縁はそれらを枠におさめると嬉しそうに金色に輝いた。

 ルークが「彼は窓辺に飾っておくのが正解なのかもしれないね」と独り言のようにつぶやいた。ルークは額縁にふさわしい絵が見つからなくても、それはそれでいいと考えているようだった。美意識を持つ同士が見つかったこと自体を喜ぶような雰囲気がある。

 しかし、くちびるに指をあてじっと考え込んでいた監督生は「ボクはそうは思いません」とはっきり意見を言った。いつも穏やかな態度の監督生が人の意見を否定することは珍しい。ルークが「おや、なぜだい?」と波がたゆたうような声色で尋ねると、監督生はハッとして自分の無礼に赤面し「その、先輩が間違っていると言いたいわけではなかったんです」と申し訳無さそうにした。

「いいんだよ。続けて」

「……額縁は美術品ではありません。額縁は家具で屋内にあるのが正しい姿です。だから、あの、ふさわしい中身があるんじゃないかと思うんです」

 言いながら、監督生は自分が意地になっているかもしれないと考えた。ルークが欲しがった『世界一美しい絵』を誕生日までに用意して見せたい、という意地だ。この意地にルークへの思いやりは含まれていない。自分の身勝手さに気づいた監督生は恥ずかしくなって襟巻きに顎をうずめる。

 ルークは監督生の様子を知ってか知らずか、ふむと空を見上げる。白い息が横になびいた。

 

「時にトリックスター、人間と動物の違いはなんだと思う?」

 

 え、と監督生が目を見開く。曲がり角から急に人が飛び出して来たかのような驚きがあった。いきなりなんなんだと思いつつ「二本足で歩く、とか?」と答えてみる。羽根帽子の人は「そういう意見もあるね。二足歩行をするから両手で道具を使えるようになり、人間は地上の生き物の中で最も繁栄したと」と白い歯を見せて肯定してくれる。その上で「私は獲物を追いかけているときにね、色々考えてみたのだけれど」と続けた。

 

「人間と動物の違いは、時間の概念の有無じゃないかと思うんだ」

 

 え、と監督生は再び目を見開いた。言われた意味がよくわからない。「朝が来て夜が来る、冬の次は春が来るっていうのなら、動物もわかると思いますけど」と、おずおず聞いてみると、ルークはうんうん!と満足そうに頷いている。

「そうだね、1日や1年のサイクルは動物たちも理解している。ただ彼らは『あと何日』のように考えることはない。それは彼らに時間の概念がないからだ」

 そこまで言われて、監督生はルークの言いたいことがおぼろげに理解できた。「数年後にあれをやろう、なんて考える動物はいないでしょうね」と言ってみる。そうとも、とルークが相槌を打ってくれて監督生は安心した。適したことを言えていたらしい。

「時間の概念があるから私達は歴史を理解できる。過去の連なりが今を作っていることに気がつけるんだね」

「なんだか壮大な話になってきたなぁ。ああでも」

 監督生は顔をくしゃっとさせて笑顔を作った。

「そう考えると、誕生日って人間にしか無いんですね」

「そうだね。もちろん動物たちにも生まれた日はあるけれど、彼らはそれを理解できない」

 ルークは空を見続けている。

 監督生がルークの視線の先が知りたくなって空を見上げると、小鳥たちがじゃれあうようにして空を飛んでいた。

 

「………………」

 

 監督生はふと、ルークと一緒にいられるのも1年と半分くらいなのかと考えた。いや、4年生になると研修などが忙しいと聞くからもっと短いかもしれない。

 一緒にいられる時間は、とても短い。

「先輩、その額縁しばらく借りていいですか。お誕生日には返しますので」

 やや挑戦的な声で尋ねると「いいとも!」と歌うような声が聞こえた。

 

 残り時間がわかるから必死になれることもある。

 

 

 監督生はルークから額縁を借りて、彼の誕生日までに正解を探す決意をした。

 額縁のことは絵に聞こうとロザリアを尋ねたり、図書館の文献を探したりした。また、額縁が何を美しく感じるかを知るために色々なものを見せたりした。何を美しく感じるか周りに聞いてみたりもした。

 

 美しいってなんだろう、と1日中考えてわかったことは「何を美しいと感じるかなんて、人によって違う」という当たり前すぎることだった。

 額縁が何を美しいと思うかなんて、額縁にしかわからない。

「……あ、そうか。そういうことか」

 蜘蛛の巣が張られた天井を見ながら監督生の口から笑い声が溢れる。

 なーんだ。簡単じゃないか。

 

 

 

 そしてルークの誕生日当日、監督生はポムフィオーレ寮のルークの自室を扉を叩いた。

 周りが明るくなるような笑顔を浮かべている監督生を見て、ルークが「その様子だと、額縁が認めるものを見つけたようだね」とピンとくる。監督生は「はい」と頷いて額縁をルークに返した。額縁の中には手つかずの真っ白いカンバスが入っている。

 絵が入っているにも関わらず、額縁の色は金のままだった。

 

「額縁さん、額縁さん。あなたが好きなものを教えて」

 

 監督生が呪文のように唱えると額縁が星の粉を撒いたように輝いて、カンバスに様々な場面が浮かんだ。海鳥の舞う港に、暖炉で絵本を読んでもらう子どもたち、陽気なジプシーの宴会に夜空を埋め尽くす星々。絵を飾ることができない不出来な家具として扱われていた額縁は、それでも捨てられることはなく様々な人々の手に渡り、美しい景色を枠の中におさめてきた。

 そうして最後に、楽しそうに冬の森を歩く監督生とルークの笑顔が描かれた。

 監督生はため息をついた。額縁のことは今でも好きになれないが、この絵は素晴らしい。他者の才能に嫉妬したのは初めてのことだった。

「ルーク先輩ほどこの額縁に相応しい人はいないでしょうね。世界中の素敵なものをたくさん見せてあげてください」

 言いながら顔を上げると、監督生はルークが思いのほか真面目な表情でカンバスを見つめていて驚いた。喜びを体全部で表現するような人が静かだと、触れてはいけないような空気が出ている気がした。

「私はこんなふうに笑っていたのだね」

 ルークの肩が弛緩したようにわずかに下がった。監督生は「そうですよ」と言いながらカンバスを眺める。もう先程の二人の絵は消えていて、どこの国か、いつの時代かもわからないような人々の笑顔に変わっていた。

 先程の監督生とルークは額縁が記憶した一瞬の場面に過ぎない。

 それでもこの額縁は二人の笑顔を覚え続ける。ずっと。永遠に。

 それは尊いことに思えた。

 

「お誕生日おめでとうございます、ルーク先輩。素敵な1年になりますように」

 心からの気持ちを込めて伝えると「キミのその気持ち、大切にさせてもらうよ」と優しい声がした。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。