「ちゃんと予習してきましたから、今日は先日のように先生に抱きつくなんてことはありませんよ!」
放課後のことです。私とユウカはヴェリタスの部室へと向かっていました。各教室を抜けて、化学実験室、情報処理室などを通り、水飲み場を通ってぐんぐん進んでゆきます。その間ずっと、ユウカは楽しげに話し続けておりました。
仕事を前倒しで終わらせたと言うユウカはやはりゲーマーです。ゲームは人並みに好きと以前言っていましたが、廃人の『人並みに』は、すでに沼にはまっていると思います。
長い廊下には、遊びの予定を立てて浮足立つ生徒の楽しげな声と、運動部らしき部活の掛け声が響いていました。しかしその中でも、ユウカの声ははっきり聞こえます。
「――あ、もちろんバイオハザード7の予習はしていませんからね? 他のゲームで予習をしてきたんです! ストーリーを先に知っておくとつまらないですし、何より敵の攻略法は自分で考えるものですから!」
むんずと控えめな胸を張るユウカ。目をキラキラさせております。周囲の生徒は意外そうな顔で私たちを見つめていました。
「そこまで言うのでしたら、プレイするのはユウカでよろしいですか?」
「はい、もちろんです! 任せてください!」
「それは楽しみですね」
「ガンガン進んでいきますからねー」
そうこうしているうちにヴェリタスの部室に着きました。がらがらと懐かしい音を立てながら扉を開けると、そこかしこにパソコンや周辺機器が置かれている空間が目に入りました。モモトークで聞いていた通り、今日はハレのみが部室にいるようでした。
彼女はいつも通りフード付きTシャツに白衣という格好で、奥へ来いとでも言うように手招きします。
「やっほー。セッティングはしてあるから、あとは適当にやっといてー。私は隣の個室で作業してるから、疑問に思うことがあったら呼んでよ。飲み物とかは適当に冷蔵庫漁ってねー」
見ると確かにデスクトップパソコンは立ち上がっており、キーボードは準備万端と言うように発光までしています。イヤホンもセットされていました。椅子も二つ並んでいました。サブモニターまであるのは、ヴェリタスらしいですね。と、すでにハレはいなくなっていました。
ユウカは自信満々といった感じで私を見上げます。遠足前日の子供みたいです。
「それじゃあ先生、早速やりましょうか!」
○
ユウカがマウスとキーボードを操作していたのは、ほんの十数分だと思います。どれだけゲーム実況を見て予習しても、実際に操作するのは感覚が違うのでしょう。
彼女は叫び疲れてしまったのか、今は私に抱きついて、膝の上で眠っています。ハレに対処を聞きに行こうにも、私は動けないのでした。
がらがらと、扉が開く音がしました。ハレが声を漏らしたのが分かりました。私はちょうどセーフティポイントにいましたから、首だけで振り返りました。
「ハレ、少しいいですか」
「ん? 何? 飲み物でも取ってくればいいの?」
「いいえ。ユウカの対処を聞きたいので。起こすべきかどうか悩んでいて」
「んー? あ~、途中から静かになったなーと思ったら、寝ちゃったんだ? そっか」
ハレはゆったりとした足取りで近づいてきて、ユウカを見下ろします。ハレが目許の髪をそっとどけると、ユウカの穏やかな顔が姿を現しました。普段の態度とは正反対で、安心しきった子猫のような顔です。
ハレはユウカの髪を撫で始めました。
「……先生もどう?」
「私はいいですよ」
「そっか、残念」
撫で続けながらハレは話を続けます。優しい声色でした。
「ユウカには悪いんだけどさ、本当は今日、こうやって休んでもらいたかったんだ。最近は仕事ばっかりで、お疲れみたいだったから」
「見て分かるものですか?」
「んー、いや。あんまり分からないよ? ユウカ自身、伝わらないように気を使ってると思うしね。でも、なんとなく疲れてるのは伝わってくる、普段の動作とかでさ」
「……肉体的な疲れですか? それとも、精神的な疲れですか?」
「肉体的なほうだね」
即答でした。私は思わずハレを見上げてしまいました。ハレは、ふっと笑います。そうして私の目を見つめて、意外? と問いました。薄黄色の瞳がとろりと揺れています。
彼女はなおも頭を撫でていました。
「先生も知ってると思うけど、ユウカはね、強いんだ。精神的に疲れる前に、自分で適当に手を抜いてるの。そこら辺は先生も見習ったほうがいんじゃない?」
「……もっともですね。今は手を煩わせてばっかりですから」
「ユウカは先生の世話も楽しんでそうだけど」
「どうでしょう。案外、悪態をついているかもしれませんよ」
「それはないね」
軽い冗談のつもりだったのですが、ハレはきっぱりと否定しました。ハレの手が止まりました。
「ユウカは悪口を言わないよ。愚痴と文句はたっぷり言うけどね。信じてあげなよ」
「……気をつけます。軽い冗談だったのですが」
「あれが冗談? 分かりづらいって」
「きっぱり言いすぎです」
こうして沈黙が訪れました。以前のように、私がそれに怯えて口を開くことはありません。
私は適当にあたりを見回してみることにしました。機器の名前や値打ちは分かりませんが、ホコリが目につきません。床もです。小さめのモップやらが机の上に置かれているので、掃除にも気を使っているのでしょうね。
持ち主が丁寧に扱ってくれると、機材も嬉しいのだろうと、私は勝手に想像を膨らませてしまいます。
大人は自身の子どもを、ステータスとして考え、使い捨てのおもちゃのように扱うことを私は知っていますから、たとえ無機物だとしても丁寧に扱われているものを見ると嬉しくなります。八つ当たりという言葉がありますが、私は、物や人に当たることだけはしたくありません。
「そんな見回してどうしたの、先生」
「……いえ。ここは、いい部活だと思いまして。違いますね。思えば、この部活だけでなく、学校全体がいい場所です」
「いきなり何?」
ハレは微笑を浮かべています。感想ですよと、私は恥ずかしさを隠して微笑を返しました。
さて、休憩も済みましたし、進めましょう。そういえば私は、血清をどちらか一人のヒロインにしか渡せないと聞いて悩み抜いた直後なのでした。
私はマウスとキーボードに手を掛けます。
「見てていい?」
「構いませんよ。拙いプレイですが」
「ネットだったら自虐乙って言われるね」
「上手いプレイングですからよく見ていてください」
「先生にそう言われるとなんか気持ち悪いかも」
「ではどうしろと?」
わざわざハレは椅子を持ってきて、ユウカの隣に腰掛けるのでした。
○
夜の九時を回りましたが、ユウカは依然として寝ていました。ストーリーをクリアしてしまった私は休憩がてら、ハレとコーヒーを飲んでおりました。
そこへ扉の開く音が響きました。勢いが凄かったです。ユウカを見ますが、起きていません。
ハレが扉のほうを見てシーッとジェスチャーしていました。
「マキ、今は夜だから、少しボリューム下げてね」
「あっ、すみません、ハレ先輩。あと先生、お疲れ様。先生がここにいるなんて何か用事でもあったの?」
マキは足音静かにぐんぐん近寄ってきます。お疲れ様ですと私は返し、ユウカを見て固まるマキに言葉を続けます。
「ゲームをしていたんです。今はちょうどストーリーがクリアできたので休憩中でした」
「えっ、へ~。そうなんだ」
マキの目が泳いでいます。まあ、確かに、いつも口うるさい人がこんなに安らかな顔で寝ていたら動揺すると思います。
「ユウカが寝ているのは、触れないでください。仕事が溜まっていて疲れていたようですから」
「あ~……うん! 分かった、そうするね」
マキの分のマグカップをハレは持ってきました。香りから察するに中身はおそらく紅茶でしょう。ありがとうございますと、控えめながらもよく響く声が聞こえました。
「ところでさ、マキはなんでここに来たの? 忘れ物?」
「そうそう、ちょっとUSB忘れちゃって……でも、データのバックアップ取っておきたくて走ってきたの」
紅茶を一口してから部屋の隅に向かって、「これこれー」なんて言っていますから、マキはどうやら目的の物を取ったようです。
マキと目が合いました。
「ところでさ、先生ってゲームが好きなの?」
「面白さに気づいたのは、最近ですね」
「好きってこと?」
「そうですね、好きですよ」
「じゃあさじゃあさ、今度一緒にゲームしない? BOOMっていうんだけど、あたしそれ普及させたくって! 知ってる? BOOMって」
「いえ、知りませんね。どんなゲームなんですか?」
「色々モードがあるけど、私が推してるのはスピードラン!」
「マキ、声」
「あっ、ごめんなさい」
ハレの注意に、マキが口を押さえます。
私は、今日は時間が遅いですから、また今度の機会という方向へ話を持っていきました。
マキはウキウキ顔で空いている日を尋ねてきます。遠足前日ですね。
「明日は?」
「放課後すぐに任務が二つ入っていて。明後日なら空いていますよ」
「明後日かー。テスト前の部休に遊ぶのは……ダメ、かな? ハレ先輩どう思う?」
「ダメでしょ。ただでさえもマキは成績が良くないんだから、テスト前くらいはちゃんと勉強。追試になったら、ヴェリタスで活動するのも先生とゲームするのも後回しになっちゃうよ?」
「うう……はい。じゃあ先生、テスト明けに空いてる日があったら教えてね!」
「マキ、声」
「あっ、ごめんなさい」
賑やかしいのはいいですが、寝ている人がいますからね。コーヒーを飲み終わるまで、私とハレはテストの話をしていました。声が大きくなってしまうからと、マキは雑談に加わらずに退出しました。
のちに、目を覚ましたユウカは、クリア報告を聞いてしょんぼりと肩を落とすのでした。ハードモードをもう一度プレイすると言うと目を輝かせたので、良いでしょう。