早瀬ユウカに依存したい   作:ぞんぞりもす

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一二話

 翌日、目を覚ました私は支度を済ませ執務室に向かったのですが、またしても走ってきたユウカから、今日まではせめて自室で仕事をしてくださいと懇願されたのでした。

 

 ユウカの作ってくれた朝食を食べて、仕事をして、昼食ができたとユウカに呼ばれ、昼食を食べました。

 欲望を抑えるために歯を食いしばって、私は昼食を食べ進め、そうして完食したのでした。

 洗い物をするエプロン姿のユウカを一度しっかり見納めてから、私はため息をつき、自室へと歩きました。

 

 しかし、自室についてからというもの、立ったり座ったりを繰り返して仕事どころではありませんでした。マンホールから水があふれ出てくるかの如く、とめどなく酒欲が込み上げてきます。ふっと湧くから、酒欲とは厄介なのです。いっそのこと酒が湧いてしまえば、私は喜べるというのに。……仕事が終わらなくなって、人付き合いがもっとおざなりになって、最終的にユウカに怒られるのがオチでしょうか。

 ユウカが、彼女が描く私の幻想を押し付けてくるさまを、私は想像できませんでした。

 

 十数分の葛藤を経てユウカに相談しようと決め、私は休憩室で勉強するユウカのもとへとゆきました。

 かわいらしい女子のいる部屋の入口付近をウロウロしている時点で不審者確定なのですが、張本人である私は、えらく沈んだ顔をしていたと思います。

 

 消しゴムを取る際に顔を上げたユウカが、私の存在に気づいて訝しげな顔をしました。私は目が合って数秒間、石像のように固まっていました。

 

 

「……何してるんですか?」

「いえ、少し……えっとですね、水を飲もうと思いまして」

「嘘ですね」

 

 

 ケロリとした顔、声色で私の言葉を嘘と言いました。それから微笑んで、

 

 

「少しお話しましょうか。先生が用もなく私のところに来るとは思えませんし。ちょうど眠くってあんまり勉強する気が起きなかったので、ちょうどいいですね。コーヒーでいいですか?」

「……」

 

 

 私は無言でした。プリント類を一箇所にまとめ、立ち上がったユウカは、ドリンクディスペンサーから二つの紙コップにコーヒーを注ぎ、机に置きます。私は入り口で固まったままでした。

 

 

「先生も、どうぞ」

 

 

 ユウカが隣の丸椅子をトントンと叩きます。それから、余裕たっぷりの表情で足を組んで、机に肘を置きました。

 

 ……その昔、私の父も――丸椅子ではなく背もたれのある椅子でしたが――そんな座り方をしていました。顔すらも朧気な父ですが、会話するという理由で父の理想の私を語る姿だけははっきりと覚えています。適当に相槌を打っていると、三人分のマグカップをトレイに乗せた母がそこに加わるのです。厚い期待と願望を、薄っぺらい言葉に乗せて、両親は話すのでした。()()()の良い、家族でした。

 地獄を二十年弱さまよった人間は、存外かんたんに地獄と日常を混同させてしまうようでした。あるいはユウカの言っていた、風邪をひくとネガティブになるというやつでしょうか。しかし私は今、ああこんな事もあったなという感じで、なんの感慨も抱いてはおりませんでした。

 

 ユウカは首を傾けて私を見ていました。

 

「せんせーい? 聞こえてます? 何を考えているんですか?」

「……少し、いいえ、とても嫌だったことを、思い出したんです」

「? その割には、すごく穏やかな顔ですけど……我慢、してます?」

「さあ。私には分かりません。……もう、どうでも良いからでしょうか。ここで暮らすには必要のないことですから、悲しい気分にもならないのだと思います」

 

 

 ユウカはさらに、首を傾けました。

 

 

「聞いても、いいことなんですか?」

 

 

 遠慮がちな声でした。

 酒が飲みたくてここにやってきた私ですが、そんな気分はすっかり失せていて、ユウカになら私の家族のことを話しても良いだろうかと、そんな事ばかり考えていました。家族の話など、生まれてこの方したこともありませんでした。

 

 

「つまらない話ですよ」

「それでも、先生の昔の話なんですよね?」

「はい。ここに、キヴォトスに来る前の話です」

 

 

 私は宙を見つめました。少しして、聞きたいですとの返事が返ってきました。私はゆっくりと歩いて、ユウカの隣に腰を下ろしたのでした。

 父の座り方に始まり、家族などが押し付けてきた理想、逃げ出して社会に出たところまで話しておしまいです。ユウカはいつの間にか頬杖でなく、両腕の肘から下を机につけて話を聞いていました。浮かない顔をしていました。

 

 

「――最終的に行き着いたのは、酒に溺れるサラリーマンでした」

 

 

 思い出は、ないんですか。ぽつりとユウカがつぶやきます。

 私は呆気にとられました。大学でも友達なぞおりませんでしたし、高校の修学旅行で何があったのかすら、思い出せませんでしたから。

 

 

「私の思い出などこの程度ですよ。他には何も――」

「それって、思い出じゃなくて、覚えていることだと思うんです。思い出って、もっとこう……暖かいじゃないですか。花火を見に行ったとか、水族館に行ったとか。そこでどんなものを見たか覚えているんじゃなくて、漠然とした暖かさを感じるものが、思い出なんじゃないですか?」

 

 

 思い出でなく、覚えていること。ユウカの定義に従えば、私は思い出のない人間になるでしょう。小学生のとき、人付き合いのために行った花火大会では、枝垂れ桜のような花火が綺麗だったことを私は覚えています。いったい同級生の誰と、何人で行ったのでしょう。会話の終わりまで、私はとうとう思い出せないままでした。

 

 

 

 

 夜の九時ごろに、やらなければならない仕事は、全て終わりました。肩を数回回してからモモトークを見て、次の仕事に取り掛かります。

 三十分が経過したころ、ノックを三回してから、ユウカが部屋に入ってきました。紫無地の半袖Tシャツに紺色の長ズボンと、かなり落ち着いた色合いの部屋着でした。その分だけ肌の白さが増している気がしました。私の右隣に横座りしたユウカが、紙を見てから言います。

 

 

「今日はもう終わりにしませんか?」

「早寝は大事ですが、さすがに早すぎませんか? もう少しだけ働いてから寝ます」

「……それなら、仕事じゃなくて、お話しましょうよ」

「私は面白い話ができませんから、ユウカ任せになってしまいますよ」

 

 

 ユウカは露骨に、えっ、と嫌そうな声を上げました。

 

 

「先生のお話、もう少し聞きたいんですけど……」

「私のことは、今日話したことが全てですから、もう何もありません」

 

 

 私としては、逆にユウカのことが聞きたかったのですが、自分が話したからユウカも話してほしいというのは、なんだか横暴に思えました。心配による横暴はありがたいのですが、興味による横暴はただの迷惑です。

 

 

「……私も、面白い話をするの、苦手なんですよね」

「ハレがいれば多少は違ったでしょうか」

「ハレがいたらいたで私が持たないので、ちょっと。楽しいには楽しいんですけどね」

「ユウカは反応がいいですから」

「むしろ先生が反応しなさすぎなだけだと思いますよ」

「それもありますね。つまらない男ということです」

「そこまで言ってませんけどね?」

 

 

 私ですらボケに回れるというのです。ツッコミの神様か何かが憑いているのでしょう。

 お互いに肩をすくめて、それきり私とユウカは黙りました。仕事の話や会議には花が咲くのですが、雑談らしい雑談は芽が出る程度になります。

 一緒に話せることを探していると、一つの共通点を見つけました。

 

 

「ゲームがあれば、それができるのですが」

 

 

 ぱっとユウカの顔が明るくなりました。

 

 

「あ~、いいですね、それ。息抜きにもなりますし。……居住区にゲーム部屋というのがあるんですが、そこってアーケードゲームが全部で、据え置き型のゲームやパソコンがないんですよねー。……あっそうですよ、今買っちゃうのはどうですか? 先生のパソコンのスペックは知りませんけど、大体ダウンロードできますよね?」

「これは仕事用のパソコンです」

「あっ」

「私は自分自身のパソコンをここには持っていませんから」

「じゃあダメですね……」

 

 

 趣味というか、好きなことにお金を使うのはいいかもしれません。と言っても、今月はハレのグラフィックボードを買った影響で買えないと思うのですが。

 

 

「自分のパソコンを買う場合は、来月になるでしょうか」

 

 

 ユウカは嬉しそうに笑って、買う気はあるんですねと言います。

 

 

「じゃあそれを買うまでは別のことをしましょう。スマホゲームなんてどうですか?」

「それをするくらいなら、オセロなどのボードゲームやアナログゲームでも良いような気がします」

「……確かオセロありましたよ? あ、スマホのアプリでもありますけど、そもそもシャーレに。探してきますね」

 

 

 ユウカは立ち上がりました。遅れて石鹸系の匂いが来ました。休憩室で待っていてくださいと言われたので、私は十分だけ書類を見てから、休憩室に向かうのでした。

 

 

 

 

「雷って、昔は怖かったんですけどねー」

 

 

 白の石を置いたタイミングでユウカがこぼしました。夕方から降り始めた雨は徐々に強くなっていき、先ほどついに、雷が落ちたところでした。

 私たちは今、休憩室でなく、大きなガラス窓があるフリースペースの一角でオセロをしていたのでした。半分ほどのマスが埋まった中、現在は黒の石が多いです。

 

 

「今は怖くないのですか」

「原理を知っちゃいましたからねー。静電気の移動と思えば、近づいたらそれは危険ですけど、遠くで見る分には何も感じなくなりました。一番大きな部分は、計算できるところですけど」

「計算?」

「はい。光ってから何秒間経ったのか、数えるんです。それで音が聞こえてきたら、ああこのくらい離れてるのかって頭で確認するんです。さっきのはだいたい3.4キロメートルくらいですね。方角的に私の学校のあたりです。それができれば、何も怖いことはありません」

 

 

 カタンカタンと石を置いたりひっくり返したりする中で、ユウカは色々な計算をしていたようでした。計算できるから怖くないというのが、なんともユウカらしい気がしました。

 

 

「昔は大変だったんですよー? 私しか家にいませんでしたし、何より電気機器のコンセントを抜かないといけなくって。怖くて頭を抱えながら家を歩き回ってました」

「家に一人だったんですか?」

「ええ、まあ。一人っ子ってのもありますし、両親ともども外に行っていますから。だから小さなころから、家事とかもやってたんです。っていうかやらないと生きていけなかったし。っと、今のは近かったですね。1.2キロ位です。……どのあたりでしょう? 案外連邦生徒会のどこかだったりするんですかね」

 

 

 ユウカが色々な意味で強いというのは知っていますが、それならどうして人を頼れるのか、私にははなはだ疑問でした。一人で生きてきた人間というのは、私も含めて、何事も一人でやろうとすると思うからです。自分が全てであり、自分しか味方がいないのです。道端に一輪だけで咲いている花は、ひっそりとその場で一生を終えるのが世の常でしょう。

 尋ねると、ユウカは「んー」と悩んだ後に答えます。盤上の三分の四が埋まりました。白が優勢で、私は何度かパスをしていました。

 

 

「こればかりは、運が良かったとしか言えないですね。学校の先生や友だちなど、手を差し伸べてくれる人がいたから、私はこうなったんですよ。……えっと、ここに置けば先生パスですよね。逆に、先生は、運が悪かったんだと思いますよ。話を聞く限りでは、家族も先生も、周りも、良くなかったみたいですし」

「……ここは良いところですから、ユウカの言うことが正しいのでしょうね」

「たぶんですよー? きっと類は友を呼ぶんです。いいところにはいい人が、逆もあります」

「となれば私は、悪いほうですか」

「いいえ? 結局いいところに来たんですから、先生もいい先生です。優秀な人だと……思いますよ」

 

 

 ユウカは口を手で隠して、プククとでも言いたげに笑うのでした。優秀な人だと説明しながら、彼女は最後の一手を打ちました。私の石は三個しか残っておりませんでした。私は参りましたと頭を下げます。ありがとうございましたと、ユウカは肩を震わせます。

 どちらからともなく石を片付け始めました。

 

「先生は、もっとちゃんと考えたほうがいいですよ? すごく打ちやすかったです」

「計算は苦手なもので。負けても良いのですよ」

 

 

 むしろ負けたほうが、向こうでは親しみが持たれました。何事にも引き立て役が必要なのです。

 

 

「それはそうかもしれませんけど。でも、自分のことを引き立て役だなんて言わないほうがいいですよ。ここでの先生は少なくとも、そんな役じゃありませんし。さ、それなら、もう一回しましょうか。遊びながらの話は気楽でいいです。いい気分転換ですね」

 

 

 勉強の気分転換にオセロだそうです。それもしっかりした計算付きの。生物の格が違うと思いましたが、それを言葉にしては、ユウカからもう一度叱責をもらうことになる気がしました。

 二回目はちゃんと考えましたが、それでも最後には、十個しか残りませんでした。

 

 さて、ユウカが麦茶を取ってきてくれると言うので、私は一人でオセロ盤を片付けました。カチャンカチャンと石を重ねていくのにカジノを連想しましたが、ユウカが相手だと思うとすぐにその連想をやめました。私では勝てないでしょう。

 オセロ盤を机の端において少し、ユウカがペットボトルを二本持ってきてくれました。

 

 

「はい、どうぞ」

 

 

 ペットボトルは私の手の上を通り、おでこに当てられました。驚くほどの冷たさは感じません。ユウカがつまらなそうに半目を向けます。

 

 

「無反応ですか」

「驚くほどのものではありません」

「逆にどこに当てたら驚きます? 鳩尾とか?」

「怯えるの間違いでは」

 

 

 ユウカは笑ってから、良くなったんですねと締めました。拳一つ間を設けて彼女は隣に座りました。

 雨は少しだけ弱まっており、雷が落ちる気配はありません。キャップを開けて適当に飲みます。私は思ったより喉が渇いているようでした。そう言えば、野球部の男子がかわいいマネージャーから飲み物を渡されたら、たくさん飲んでしまうと思いませんか。

 

 

「買い物、私も連れて行ってください」

「パソコンのでしょうか?」

「はい。来月はもう、夏休みですし」

「……もうそんな時期だったんですね。毎日必死だったせいか、早く感じます。ともあれ、買い物のことは大丈夫ですよ。一人でパソコンを買いに行くなんて、思っていませんでしたから」

 

 

 当然のようにユウカと一緒に行くと思っていました。最近は彼女と一緒のことのほうが多いからでしょう。しかしユウカは私の言葉を別の意味に捉えたようで、ハレと一緒に行くのか聞いてきました。悩ましげな声でした。

 

 

「違いますよ。ですが、ハレを誘うのも一手かもしれません。彼女は機械に強いですからね」

「……私がハレから聞いておきます。その、二人で……って、ダメですか?」

「構いませんよ」

 

 

 ユウカに限ってデート商法ということはないでしょうし、任せましょう。二人きりでユウカと出かけるのは初めてですが、安心しますね。連合学院やゲヘナの人たちは手がかかりますから。

 

 

「その後買い物もしたいんですけど、付き合ってもらえますか?」

「分かりました。備品か何かですか?」

「はい。来月までれなりの消費があるでしょうし、一回でたくさん買えるのならそれにこしたことはありません」

 

 

 事務的なデートになるようでした。ハレがいたら、確かに備品を見るときに気を使ってしまいそうですね。任務の予定を詰めてから、その日はお開きとなりました。

 今日は、ユウカが手を握ってくれるなどということはありませんでした。

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