早瀬ユウカに依存したい   作:ぞんぞりもす

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七話

 ハレの指示に従って、私は色んな場所を訪れた。シャッター街、獣道、今は小川が流れる散歩道。先生の動きはころころ変わり続けて、次の場所を私たちがどれだけ予想しても外れた。円形の一〇〇メートル以内に入れればいいだけなのに、それが全くできなかった。

 シャーレの生徒と先生は近い距離にいるけれど、心は遠く離れている。私たちがどれだけ近づこうとしても、先生は、のらりくらりと離れていく。このマラソンは、そんな関係によく似ている。私が見つけられたら、先生はのらりくらりしなくなるかもしれないな。

 

 土砂降りの雨は止まなくて、傘を差していても靴がびしょびしょになってしまった。汗で上半身も濡れている。あまり濡らさないでと言われたけれど、あとでウタハに謝らないと。

 そんなことを考えていても私の足は止まらない。走りっぱなしでペースが遅くなってしまっても、動いている。

 

 なんだかもう、見つけるとか見つけないとかもうどうでも良くなっていて、なんだか大きな物に体が動かされている気がした。まさか、私がこんな不確かなもので動けるなんて思わなかったけれど。

 

 スマホ越しに悩ましい声が聞こえる。ハレはこうして、時々私の身を案じてくれていた。

 

 

『これ以上はユウカが危ないよ。もう二時回ってるって。カロリー使いすぎだし、汗もかきすぎだろうし、体温下がってるって』

「確かにね。でも朝にウタハに進捗を言うんでしょ? だったら朝までは頑張りたいな。それ以降はシャーレのみんなが探してくれるでしょ?」

『……私はなんでそんなに危険なことをするのか分からないな。だって、先生よりも自分の体のほうが大事でしょ、絶対。それなのにユウカが倒れたらどうするのさ。先生、気に病むんじゃないの?』

「見つかれば確かに、気に病むかも。自分のせいでって。あと、自分の体のほうが大事なのも分かってる」

『それなら』

「――でもね」

 

 

 ハレと話していて分かった気がする。私は先生に、あなたが大切に思われてるってことをちゃんと証明したいんだ。過去に何が合ったのか分からないけど、ここでは味方がいるって示したいんだ。

 ……そうだ。先生の過去話も聞きたいな。自分のこと話してくれないし、あの人。

 

 きっと私の声が聞き取れないくらい雨の音がうるさいけれど、それでも私はハレに言った。世界中の音がなくなって、しんとした中で私は言ったんだ。

 

 

「先生にはね、自分の体なんてないのよ。いつもいつも人のことばかり考えて自分を蔑(ないがし)ろにする。だから、私が先生のことを、見ていてあげたいの」

 

 

 恥ずかしいセリフだけれど、これが私の本心。憐憫か、同情か、恋心かもしれない。けれど感情の名前なんてあとでいい。感情の名前に縛られなくても、この思いは、確かだから。

 ハレは『ふーん』と言っている。きっと納得できていないんだろうな。でも、頑固な人を相手にするみたいに諦めている部分も感じ取れた。

 

 ――あ、レーダー!

 

 

「ハレ! レーダーに反応があった! 画像送るから大体の場所を教えて!」

『はいはい……えっと、最寄りの公園かなー。なんだか少し外れている気もするけど、うーん……? 公園の近く、としか言えないかも』

「この近くの公園にいるのね?」

『おそらく、ね。でも公園の中心じゃない。私のほうだと大雑把にしか分からないから、あとはそっちで頑張って。私はお風呂沸かしたりするから、少し電話切るよ』

 

 

 そういったハレは本当に電話を切った。積もる話をしていいという気遣いにも、捜索について任せたという信頼にも感じ取れた。

 最寄りの公園をスマホの画面で確認しながら、私は走る。まだなのに、もう見つかった気になっていて、その安心からか足の力がするする抜けていく感じがした。でも、どこか、冷え切った体にぽっと温かい火がついた感じもする。

 

 公園に入って、雨水の染み込んだ草むらを抜けて、中央にある休憩スペースみたいなところを通って、また草むら。レーダーの反応は、奥の、木が生えているほうからだ。近づくにつれて、ドクンドクンと胸が熱くなった。

 茂みの奥、木に囲まれた場所にいるらしい。

 

 そうしてやっと――。

 

 

「先生ッ!」

 

 

 仰向けで倒れている先生を、見つけた。

 私は先生に駆け寄ってスマホのライトで照らした。死んでいるのかと思ったけれど、脈を確認したらちゃんと生きてる。規則的な呼吸だ。眠っているだけみたい。

 

 

「……はあぁ~」

 

 

 自分でもびっくりするくらい長い息だ。へろへろと膝から崩れ落ちて、女の子座りになる。

 良かった。

 

 幽霊みたいに真っ白な頬にそっと手を添えて、先生の吐息が当たるくらいまで顔を近づける。先生の存在を感じたかった。

 いつも先生は、私がじーっと顔を覗き込むと、きまりの悪そうな顔をする。だから今は、見てやった。白くて面長な顔。普段あまり開かれていないし、今は閉じているけれど、目はきっと大きい。整った顔立ちだけど、そんなに鼻が高いわけではない。この人にはワイシャツよりも、和服が似合う。渋い緑色の着物かな。

 

 なんて思っていたらハレから電話がかかってきた。すぐに運べってツッコまれてしまった。でもその声は、優しいものだ。替えの服とかも用意してくれているらしい。私は彼女に改めてお礼を言って、電話を切った。

 一時間半もあればシャーレに着くだろう。

 足に頑張りの声をかけて立ち上がる。優しく抱きしめてから、私は先生を背負った。

 

 

 

 

 ふと、目を覚ましました。天国なのかと思うくらい気持ちのいい夢を見ていたような気がします。けれどここは、天国ではないようです。シャーレの、おそらく自室の天井でしょう。

 ぼーっとしているときは顔を洗うに限ります。私は立ち上がろうと体を動かして、自分の腕が不自由なことに気づきました。右腕に柔らかな感触がありました。

 

 隣で、ユウカが寝ていました。

 

 右腕にしがみつくように、自身の柔らかな胸を存分に私に押し付けていました。穏やかな顔つきでした。

 不安に襲われた私は掛け布団の中を確認しました。

 

 彼女は上下ともに紺色のメッシュ生地の半袖、ハーフパンツ。私も似たようなスポーティな格好をしていました。情を交わしたわけではないようです。

 息を吐いたところで、なぜユウカが隣で寝ているのか考え始めました。

 

 過去に記憶を巡らすと、私の愚かな行動がありありと思い出されました。すぐにでも逃げ出したくなりました。近くから聞こえる微かな寝息ですら、私を責める言葉のように感じられます。

 背筋を伸ばして深呼吸を何度か。

 だいぶ落ち着いてきました。

 

 私は確か、どこかの茂みで倒れたはずです。それなのに自室にいるのは不自然でした。服装も変わっています。

 ……つまり、見つけ出されてここまで運ばれたのでしょう。また、昨日は雨がひどかったため、風邪をひかぬようにと着替えさせてくれたのでしょう。私はつくづく、手のかかる人間のようでした。

 一度冷静になったとはいえ、それは自然につぶやかれた言葉でした。

 

 

「ここを出ましょう」

 

 

 彼女の肌がすべすべだったため、難なく右腕を抜き取れました。私はベッドから立ち上がります。

 と、目の前のテーブルに紙が置かれていました。私は紙をテーブルに置きっぱなしにすることなどないのですが。

 

 

『目が覚めても、ここにいてください。

 出て行っても探します。

                ユウカ』

 

 

 説得力のある言葉でした。それ相応の罰を受けろということでしょう。

 私はただ、じっと、ユウカが目を覚めるまでベッドに腰掛けていました。

 

 ユウカが目を覚ましたのは十二時ころでした。先生と呼ばれて返事をする間もなく、後ろから抱きつかれました。いなくなったと思って不安になったとのことでした。

 私はユウカを宥め、胸に回された手をさすります。

 

 

「この書き置きを見たら逃げ出せません。しっかりと罰を受けます」

「……罰って、なんですか」

「罰は、罰でしょう。ユウカとの約束を破り、あげくこうして手間を掛けさせたのですから、報いを受ける必要があります」

「じゃあ、側にいてください」

「ですから」

「側に、いてください……」

 

 

 ユウカの息に涙の色がうかがえました。徐々にそれは激しくなっていきました。話さなくてもいいと伝えても、彼女は続けます。

 

 

「先生は、私たちに必要な人です……必要、なんです。だから、もう少し、もう少しだけ。自分の身を大切に扱ってください。私は、先生のことを、大切に思っていますから……」

 

 

 私はなんと言えばよいのか、分かりませんでした。ここで分かったと言っても、それはきっとまやかしの返答です。私を案じてくれた少女の頼みを断るのも、違います。

 

 私は、どうすればよいのでしょう。何百年と解かれなかった数学の問題よりも難しいことに感じられました。

 曖昧に笑って、気の迷いだと断じて、そうして宥めればよいのでしょうか。違います。彼女の思いを踏みにじっていい訳がありません。……けれど、違うということしか、分かりませんでした。

 

 ユウカが再び寝息をたてるまで、私はゆっくりと、手をさすり続けました。 首筋に当たる温かな息や彼女の肌の感触は、私の臆病な心にも、そっと触れてくれたのでした。

 

 

 

 

 昼下がりの二時に、ユウカは再び目を覚ましました。

 彼女をベッドに寝かせて、私は隣で横になりながらタブレットを覗き込んでいましたから、抱きつかれることはありませんでした。また仕事なのかと、ユウカからは白い目で見られました。大きなため息もプレゼントされました。

 

 半袖のワイシャツとスラックスに着替え、私は今度、執務室でパソコンを見ています。ユウカはお昼ごはんにとチャーハンを作っています。

 でき上がったようで、私は隣の部屋に呼ばれました。執務室で食べないのは、酒のにおいが強すぎるためでしょう。消臭剤は、置いたのですが。

 

 カチャ、カチャと、スプーンが皿に当たる音だけが響きます。いつもの食事とは違って、緊張感のある無言でした。半分ほど食べ進めたところで、

 

 

「先生。お話をしてもらうことって、できますか」

 

 

 こちらの様子をうかがうように、上目遣いのユウカが口を開きました。お話とは、私が昨日、約束を破ったことについてでしょう。

 

 私は金属スプーンでチャーハンをすくい口に運びました。(もと)を使っているのでおいしいのですが、加えて米のパラパラ具合が私の好みでした。チャーハンはやはり、しっかりパラパラなほうが良い。よく咀嚼してから喉を通します。チャーハンと一緒に出された水を一口飲んで口内を整えました。

 

 部屋の暖かい空気としょっぱい香りはどこへ行くのでしょう。このまま部屋の天井にある通気口を通って、外に行くのでしょうか。バレないで逃げ出すことも、見つかることなく遠くへ行くことも、できるのでしょうか。

 今この瞬間も、私は失望されることを恐れています。もう何度も、ユウカに人間性を見られているというのに。

 

 ごまかすことは、失礼です。

 私はユウカに報いたかった。けれど、インフルエンザのように、大人にとっての初めては危険なのです。

 

 無音でした。彼女は黙ってくれています。私にはやはりそれが、怖かった。怒鳴られて縮こまることのほうがかんたんで、一歩踏み出すことのほうが難しいのです。

 

 私はついに、涙を流してしまいました。目をつむって流れないようにしても、止まりませんでした。

 こうしていても話せないのは分かっています。許されないことも分かっています。けれど、腹を割って話すことは、私にとっては、恐ろしい怪物と戦うことです。今まで尻尾を巻いて無様に逃げ続けた人間が、急に剣を持って戦い出すなんて、どこのおとぎ話でしょうか。私は勇者などではございません。

 ……これも、逃げです。

 

 ユウカが駆け寄ってきて、何も言わずに背中をさすってくれます。それが、本当に、申し訳なかった。

 

 

 

 

 どのくらい経ったかは分かりません。けれど、涙は止まりました。自分の顔はどんなに醜いのだろうかと、真正面に座り直したユウカを見て思います。

 私は昼ごはんのチャーハンを完食できていませんでした。

 

 サーフィンで大きな波が来たときみたいに、ふと覚悟が決まる瞬間がおとずれて、私は口を開きました。私はユウカと目を合わせたらまた泣きそうだったので、半分ほど減ったチャーハンを眺めていました。

 

 

「モモトークを見るようになってから、シャーレの生徒と、交流する機会が増えました。放課後や休みの日に出かけたり、任務が終わったあとも少し雑談をしたり、ですね」

「はい」

「私は、人と話すことが好きでも、得意でもありません。私にとってどうでも良いことを延々と話されるのは苦痛ですから。けれど、話をぶつ切りにしてしまっては、相手との今後の関係にヒビが入ります。ですから雑談をしています。……人と関わることも嫌いです。傷つけられるくらいなら、仲が深まって変な期待を背負わされるくらいなら、一人でいたかったのです」

「はい」

「けれど私は、シャーレの生徒と関わらなければならないと思いました。今までサボっていたツケですから。そうして関わっていると今度は、仕事が溜まるようになりました。シャーレの仕事に規定はありません。やらなくてもやっても、どちらでもよい。けれど、昔からの癖でしょうか。頼みが来たら、やろうとしてしまうのです。断ったら相手がどう思うだろうと考えてしまうのです。せっかく頼ったのにと落胆、失望するか、あるいは悲しむだけか。どれだろうと。……これは関係のない話でした。すみません」

「いえ、うん。私は聞きますよ」

「端的に言えば、出かけたせいで仕事が溜まっていくのが嫌だったのです。自分の嫌なことをして、なぜ嫌なものが増えるのでしょう。会社ではこんなことしょっちゅうでしたが、酒がありましたから耐えられました。ここでは、飲んだら止まらないと確信していましたから飲みませんでした。適度に生徒の話を断ればよかったのに、できなくて、ズルズルと仕事が溜まり、催促メールが来るようになりました。あとは耐久レースでした。すり減っていく心に限界が来て、約束を破りました」

 

 これで終わりですと、私は顔を上げました。ユウカまで悲しそうな顔をしていました。

 

 どうしてあなたが、そんな顔をするのでしょう。自分を責めることをしてはいけません。どれもこれも、私の臆病が招いたことです。今の臆病を作り上げた自分の過去をただ悔いるばかりでした。

 けれど、変に同情されなくて安心している私もいました。

 

 話しているときも堪えようとしていた涙がぶわっとあふれてきました。ユウカの顔を見るとダメですね。今までで培った感情を殺すことができなくなります。

 

 またしても、私の隣に並んだユウカが背中をさすってくれます。今日はとことんダメな日ですね。嗚咽か溜息かよく分からない息が吐き出され続けます。

 彼女は私の意識が遠くなるまで、ずっと隣にいてくれました。生まれて初めて感じる、五月のひだまりにいるような心地でした。

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