私は執務室の隣の部屋で、寝てたようでした。まだ日は沈んでいないのでしょうが、泣いたせいか、三日分くらいの疲れに襲われた気分でした。
目の前にはラップの掛けられたチャーハン。と、立ち上がったところで、背中から何かが滑り落ちました。どうやら私はタオルケットを掛けられていたようです。
チャーハンをたいらげ、皿を水につけておき、タオルケットを手に執務室に入ります。あちこちにあった缶、瓶は、片付けられていました。まだ開けていないものは、部屋の隅にまとめて置かれています。
ユウカは、ハレと話していました。こちらを見たハレは軽く手を振り、ユウカは椅子から立ち上がりました。軽く会釈をします。
「おー、相変わらず堅いねー」
「ご飯は食べましたか?」
「はい。皿は水につけてます」
部屋には夕日が差し込んでいました。時計を見ると、もう六時を回っているようです。今日は仕事が終わらないなと、ぼんやり思います。
自分の席に着いたところでユウカに呼ばれたので、私はそちらへ行きました。ハレはユウカの隣の机で頬杖をつき、タブレットを覗いていました。ゲームをしているのでしょうか。私はハレとは反対側の椅子に腰を下ろします。
「まず、昨日の処理なんですけど」
「はい」
「カタカタヘルメット団の一味にさらわれたことにして、奪還報告を済ませました。必要な書類は私が処理しておきましたので、先生は考えないでください」
「なるほど」
「C&Cとゲヘナの風紀委員、ウタハへの報告はハレがやってくれたみたいです」
タブレットを覗き込んだままのハレが「高く付くよー」と返します。ウタハの姿は見ていないのですが、何かに協力してくれたのでしょう。私は頭を下げて謝罪して、感謝の言葉も並べました。「すみません」と「ありがとうございました」だけだったけれど、ハレには軽く手を振られました。もういい、ということでしょう。
なぜだかユウカも頭を下げていました。私はそれに構わず、ユウカにも改めて二つだけの言葉を並べました。
「大丈夫です。これからも、困っていたら助けますからね?」
首を傾けたユウカは不敵に笑いました。まだ幼さの残る綺麗な顔が夕日に照らされていました。
「あ、あと。具体的な計算はまだですけど、おそらく支出が嵩んでいますから、今月はもうお酒を買わないほうがいいと思います」
と言っても、月が替わるまで残り数日ですから大丈夫でしょう。部屋の隅にある瓶三本と缶五本でも問題ありません。
顔を上げたハレが、不思議そうにユウカを見つめていました。
「ユウカって、先生のお金も管理してるの?」
「あー、管理しているわけじゃないんだけど……突発的な支出を避けるためにも、家計簿を付けてるのよ。週に一回ここに来て、何を買ったか確認するだけなんだけど」
「通い妻ってこと?」
「なな、何を言い出すのハレ! 違うって!」
「だってそうじゃん。あ、先生逃げた」
逃げたのではありません。キラーパスの予感がしたため、仕事をすると即決したのです。この場はユウカに任せましょう。
「ミレニアムの次はシャーレの財政かー。ここでも守銭奴みたいなことしてるの?」
「守銭奴だなんて人聞きが悪いでしょ!? 違いますからね? 先生! 私は、兵器の開発や発明の予算を切り詰めたいだけです!」
「私は何も言っていませんが」
「目が言ってます! 目は口ほどに物を言うんですよ!」
「使い方が違いますね」
「いいから!」
私はここらで聞き流すことにしました。唇を結んでムッとした顔を作っても、ユウカはあまり怖くありません。優しさを知っているからでしょうか。
立ち上がって抗議をしていたユウカはこめかみのあたりを押さえ、
「ただでさえも無駄な出費が多いから……」
「守銭奴でしょ?」
「倹約家って言ってちょうだい!」
彼女たちの微笑ましい口論に耳を傾けながら、私は自分のすべきことをしていました。
○
時刻は八時をまわり、ユウカは夕ご飯を作ると言って部屋から出ていきました。
私は執務室にずっと居座るハレに疑問をぶつけました。ユウカよりもハレのほうが聞きやすかったからです。
「洗濯物がどうなっているか知っていますか?」
「ああ、それ? ユウカが全部やったんじゃないかな」
「私が運ばれてからユウカは働いていたのですか?」
「……先生もしかしてさ、ここに運ばれてからのこと聞いてない?」
「聞いていません」
ユウカとは起きている時間が噛み合わなかったのです。
私は、ここに運ばれてからの出来事について詳しい説明を求めました。タブレットから目を離して、彼女は説明してくれました。
「先生が運ばれたときね、先生もユウカもすごく濡れてたんだよ。雨と汗のせいで。で、先生を起こそうとしたんだけど起きてくれなくって、風呂に入れることは断念。シャワーも無理かなって。それで体を拭くことにしたの」
「二人でですか?」
「いや、ユウカ一人でだよ。私は風紀委員とかへの連絡を任されてたから。体を拭いたあとは先生を着替えさせて、シャワーを浴びて、洗濯して寝たんじゃないかな。私もユウカに確認取ったわけじゃないけど、合ってると思う」
あとできちんとお礼を言わなければなりません。年頃のユウカにとっては見苦しいものだったでしょうに、してくれたのですから。いえ、思い出させないよう触れないほうが得策かもしれません。お礼は……こじつけの品などで良いでしょう。
そもそも彼女は何が好みなのでしょう。思えば私は、ユウカのことを何も知りませんでした。会ったとしても仕事の話ばかりだったように思います。ちくりと胸が痛み、心に寂しい風が吹きました。
ハレが私の机に腰掛けました。逆光でしたが、目をこらすと、彼女はうっとりした顔つきでした。
「でも、洗濯はしてくれたんじゃないかな。先生の下着と自分の下着を一緒に洗濯してもいいかとか、聞かれたし」
「別が普通ですね」
「あれ。意外とそういう反応なんだ? 先生が焦るのとか、期待したんだけどな」
「私が焦るように見えますか?」
「……見えない。けど、見てみたかったから」
「大人をからかっても面白いことはありませんよ」
ユウカのように表情が変わる相手のほうが、からかうのは面白いと思います。私は年がら年中負の感情ですから、焦りとは対局にあります。
チェッと古典的な舌打ちをして唇を尖らせるハレ。結局は別々に洗濯したと説明してくれました。ユウカには手間をかけっぱなしです。
夕ご飯は肉じゃが風味のポテトコロッケ、キャベツの千切り、ご飯、わかめの味噌汁という定食屋のようなメニューでした。
消耗したせいかお腹の空きが早く、私もご相伴に預かりました。ハレが「いいお嫁さんになれる」とユウカをからかっているのを、私はのんびりと眺めておりました。顔を薄紅色にして恥ずかしがるという行動が、私に抱きつくような少女の行動とは別のものであるように思えて、日中は無理をさせたのだろうかと思いました。
○
夕ごはんを食べてすぐに、ハレは自宅に帰りました。私とユウカはそれぞれで風呂に入り、仕事をします。二時間ほど経ったころに、休憩を挟みました。
「先生、モモトークの返信のことで、約束事を作りませんか?」
マグカップを静かに置いたユウカ。
「九時に見るというのとは、別ですか?」
「別というか、追加する形で。先生は分かっていると思いますけど、生徒の都合すべてに合わせる必要はないじゃないですか。でも、先生は合わせちゃうんですよね? だったら、仕事が溜まりそうなときに、私に相談してくれませんか? 日程を変更することもできますし、最悪断ることも、一人じゃなければできると思うんです」
話を聞きながら、どうしてユウカは私に良くしてくれるのだろうかと考えます。彼女は理系ですから、こういった行動にもちゃんとした理由があると思いました。けれど哲学のように、考えても答えは浮かんできません。
目の前に立っていたユウカが腰を曲げて私の顔を覗き込みます。私は目を横に流しました。
「ここからがいちばん大事なんですけど……聞いてます? 先生」
「はい、聞いていますから。顔が近いですよ」
「それで本題ですけど。先生が困っていなくても、私が困っているように見えたら問答無用で手を貸します。いいですか?」
これはおそらく、私が、相談するという行動をしないために考案されたものでしょう。横暴ですが、私にとってはありがたい申し出でした。手を伸ばされるより、手を引っ張られるほうが良いのです。
私の考えを尊重するなどと言いながら、無理やり手を掴ませようとする連中よりも、お願いに似た強制をする連中よりも、よっぽど気持ちのいい言動です。
返事をする私の声は、いつもより明るかったと思います。
「あと、明日の食事なんですけど。お弁当を作るついでに私が作っていってもいいですか?」
「それは大丈夫ですが」
私以上にユウカはオーバーワークな気がしました。コーヒーを眺めて考えます。私が心配しても良いことでしょうか。
黒い液体を見ていると思考まで真っ黒になっていくようで、私は首を振りました。
「ユウカは、働きすぎではありませんか? いくら体力があると言っても、休んだほうがいいと思います」
私の言葉を聞いたユウカは嬉しそうにくしゃっと笑いました。それを見た私は、自分の心配の無意味を悟りました。
「私はそんなに、セミナーの仕事が嫌いじゃありませんから。大変ですけどね。適度に手を抜いていますし、兵器開発の予算だとか部活の予算だとかで議論を戦わせるのも、好きなんです。相手を納得させるためにデータを集めたり文章を考えたりするのって、楽しいじゃないですか」
ユウカは強い少女でした。
私が逃げ腰でパワーポイントを作るところを、彼女は楽しいと言うのです。突っ込みどころのない安定した資料を作るより、上司にものをズケズケ言うような革新的な資料を作るのだろうなと思います。
翌日、三食はもちろん用意されており、執務室にはアイロンの掛けられたワイシャツとスラックスが置かれておりました。あながち通い妻でも間違いないと、私は思いました。
快晴の空に、寄り添うように浮雲が二つ、並んでおりました。