早瀬ユウカに依存したい   作:ぞんぞりもす

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九話

 七月の初めのことでした。私はクーラーの効いた執務室で返信作業を行っていました。考えながら文章を打っていくと、仕事以外のことでユウカからモモトークが入っていることに気がつきました。

 そう言えば、プライベートなことでユウカから連絡されるのは初めてです。

 

 

『先生、来週の土曜日って空いてますか?』

『ハレが買い物に付き合ってもらいたいらしくて』

     『空いていますが、私が行く必要はありますか?』

『一人一個しか買えないものを買うみたいで、頭数が必要なんです』

『ついでにシャーレのオフィスでの備品とかも買おうと思っているので、先生がいたほうがいいなと』

『それで尋ねたんです』

『嫌でしたら断ってくださいね』

     『行けます』

『信じますからね?』

『……明日念のため先生の様子を見に行きます。放課後すぐです』

     『信じていませんよね?』

『……』

『心配してると言ってください』

『集合場所などはハレと相談して、明日お伝えします』

『おやすみなさい、先生』

 

 

 ユウカは逃げるように矢継ぎ早に文章を送りました。それには触れずに、私もおやすみを返します。

 私は執務室の外に目を移しました。白い光に包まれるキヴォトスの明るさが、その日はやけに記憶に残りました。

 

 

 

 

 次の日のことです。日が暮れる前にユウカはシャーレにやってきて、シャワーを浴びに行きました。

 わざわざ汗をかくくらいならここに来なくても良いと思うのですが、厚意を無下に扱うことはできませんから、悩ましいです。

 

 ユウカはさらさらの髪をなびかせながら執務室に戻ってきました。いつもどおりのキャリアウーマンのような制服にツインテールでしたが、こころなしかホカホカしているように見えます。頬が赤いせいでしょうか。

 

 ユウカは私の近くにある椅子に座って机に頬杖をつきました。シャンプーだと思うのですが、柑橘系の香りが漂ってきました。

 

「お仕事は順調ですか?」

「順調です」

「それは良かったです」

 

 

 定型文のやり取りです。実際のところまだまだ負債はありますし、返済の目処も立っていません。けれどもこう答えるのは、体に染み付いた習慣からでした。

 それはユウカも分かっていることでしょう。私の後ろに控える紙の束を見てため息をついたあと、ユウカは口を開きます。

 私は手を止めました。近くに置いてあるコーヒーを口に運びます。

 

 

「お仕事、まだ全然終わっていないように見えるんですけど」

「減ってはいます。この調子で進めていけば、いつかは分かりませんが、いずれ終わるでしょう」

 

 

 私は以前と違い、ユウカに断り方のアドバイスを求めるようになりました。と言いますか、私がスマホを見て苦い顔をしていると、ユウカのほうから尋ねてくれるのです。ありがたい限りでした。おかげで気が楽になっており、ほどほどの人付き合いをして、仕事が減るようになっています。

 今は週四で人と出かけるのを目安にしていました。

 

 

「……それで、来週の土曜日のことなんですけど。十一時にミレニアム自治区のショッピングモール前に集合になりました」

「そこで買い物ですか」

「はい。お昼ごはんもそこで済ませるつもりです」

 

 

 分かりましたと返事をして、私は今まで止めていた作業を再開しました。

 ユウカがいつまでも隣に居座ったままなので、私は彼女に目を移しました。風呂上がりの湯気がどこかへ行ったような浮かない顔をしていました。

 

 

「本当に……無理は、してないですか? 心配になってしまって」

「大丈夫ですよ」

 

 

 私の言葉など信用できませんから、こればかりは行動で示すしかありません。時間をかけて示していくとユウカには伝えてありますが、それでも気がかりなのでしょう。

 居心地悪そうにあちこちに動く青紫の瞳からは、普段の気の強さが伺えません。私は優しく微笑んだつもりなのですが、それも彼女を心配させる要因の一つなのかもしれないと、今さら思います。

 かと言って、心配してくれる人がいるから、相談に乗ってくれる人がいるからありがたいと直接言うのも、将来の夢を人前で発表するときのような気恥ずかしさがあります。コミュニケーションは、難しい。

 

 私が女たらしであれば、彼女の手を取るなり頭を撫でるなりして安心させることができたのでしょう。けれど、私がしたことと言えば、マグカップを撫で続けることでした。

 

 

 

 

 私は十時五〇分にショッピングモールの入り口に着きました。自動ドアと駐輪場の間でユウカとハレは待っていました。日陰で雑談していたようです。……待たせてしまったのでしょうか。

 

 

「私は三分前に来たところだよ。ユウカはもっと早くから来てたみたいだけど」

「そうは言っても十分前に来たけどね」

「本当に? 楽しみで二時間前に来てたとかない?」

「ここ開店してないわよ?」

 

 私の顔が暗かったせいでしょうか。二人が軽口を交わします。表情には気を使わなければならないようです。一言だけ礼を言って、私は二人を見ました。

 

 ハレはいつも通りの、ゆったりとした黒地のフード付きTシャツに白衣のようなものを羽織っておりました。

 ユウカは黒色のTシャツにデニム生地のショートパンツ、いつも羽織っているジャンパーでした。

 二人は色違いのノヴァック・バッグを手に持っており、真っ白で健康的な素足が陽にさらされていました。元々が美人な二人は、特段凝ったファッションをしなくても、おしゃれに見えました。

 

 

「よーし、しゅっぱーつ」

 

 

 ハレはうきうきわくわくの様子で、片腕を上げて自動ドアへ向かいました。とてもまぶしいです。動作一つをとっても、私が高校生のころとはまるで違っていました。

 建物の影には、ひんやりと心地よい風が吹いています。

 

 さすがは土曜日です。大型ショッピングモールの中にはたくさんの若者がおりました。休日なんてどこもこんなものでしょうが、私は人の多いところを避ける習性がありますから、ずいぶんと久しぶりの光景に思えました。

 

 

 

 

「私がスマホを落とした理由、先生にお伝えしておきます」

 

 

 パソコンショップでハレの目的物を買い(見つけてくれた礼ということで私がお金を出しました)、一〇〇円ショップで備品を見て、フードコートで昼食を済ませた後のことでした。これから私たちはケーターショップに行く予定で、トイレに行っているハレを待っていました。

 そんな中で、ユウカがポツリと呟きました。行き交う人の波を見ながら彼女は続けます。

 

 

「実は、先生を探しているときに何回も落としてしまってスマホを壊したんです。先生を責めるつもりとかはないんですけど、一応、言っておこうと思って。……だからそんな顔しないでくださいね? 先生今すごく暗い顔してますよ?」

「しているつもりはありませんが」

「いいえ、どんよりしてます。それともいつものことですかね?」

「いつもではありません。時々ユウカに向かって笑いますよ、私は」

「私限定ですか。でもまあ、確かに」

 

 

 クスクスと笑ったあと、ユウカは続けました。

 

 

「スマホを壊したことは気にしてませんから、信じてください」

 

 

 根拠も何もない言葉でした。けれど、ユウカが事実を伝えてくれたことが、私には嬉しかったです。隠しっこなしは言うよりも難しいからです。重くのしかかってくるものがあるとはいえ、それ以上に心が軽くなった気がしました。

 私が何も言わなかったからでしょうか、ユウカは上目遣いで私を見上げてました。いじらしい表情でした。

 

 

「それとも、私が信じられませんか?」

「……その聞き方は卑怯ですよ」

「先生の攻略法が分かってきたかもしれませんねー」

 

 

 咲いたばかりの朝顔みたいに綺麗な笑顔でした。私が目をそらしたのはユウカがかわいかったからではありません。朝顔に反射した水がまぶしかったからです。嘘です。魅力的な笑顔でした。

 話を逸らすために、私はあたかも思い出したかのように話をしました。

 

 

「そうでした、ユウカ。スマホの修理費は私に払わせてください。探してくれたお礼ということで」

「……足ります? ただでさえ高いグラフィックボードを三つも買ったのに」

「大人の財力を侮ってはいけません。今は月初ですし、金銭的に余裕のある時期です。無駄遣いをしなければ問題ない範囲ですよ」

「本当ですか? コッペパンでしのぐとか言いませんよね?」

 

 

 私はここぞとばかりに表情を作りました。梅雨の時期に見るミズゴケよりもジメジメとした顔です。

 

 

「それとも、私が信じられませんか?」

「信じられませんね。お金に関しては特に。だって先生ですから」

 

 

 いい、笑顔でした。私は信頼されていない方面で、よほど信頼されているようです。

 

 店内にはアップテンポの曲が流れており、ここを歩く人たちはみな楽しげに手をつないでいます。この中で、作曲者の本当を知っている人は、隣を歩く人の本当を知っている人は、どの程度いるのでしょう。ましてや相手に受け止められている人は、どの程度いるのでしょう。

 私は自分のことを、ショッピングモールを歩く数少ない人ではないかと思うのです。

 

 ハレが戻ってくるまで、ミズゴケと朝顔の空間が続いたのでした。

 

 

 

 

 帰り道のことです。夕立に見舞われた私たちは、近くのネットカフェにたどり着きました。空席が一部屋だけあったらしく、予約なしでも利用できました。

 廊下の突き当りが自分たちの席のようです。

 

 見てみると、大人一人が寝れそうなスペースに、パソコンが置かれていました。初めて利用しましたがかなり狭いです。しかし、これで一番大きな部屋らしいのです。

 二人も口々に狭いと言っています。ここで異性と密着するのは、二人にとっては毒でしょう。

 

 私は部屋に入らずに、戸の近くで言いました。

 

 

「私は外で待っています。雨が晴れたら連絡しますから」

 

 

 そうして踵を返そうとしました。

 しかし、腕を引かれました。ユウカの仕業でした。

 

 

「この雨で外にいるのはダメです。風邪をひいちゃいます。傘を持ってないからここに入ったんですよ?」

「しかし、これほど近いのは……」

「私は問題ありません。ハレは? 別にいいでしょ?」

「んー? うん、先生だし、何もないと思う」

 

 

 力で負けていることもあり、私はあっさりと部屋に引きずり込まれてしまいました。

 部屋の隅で大人しくしていようにも、ユウカには右隣に、ハレには左隣に陣取られました。小学校の体育でも、女子二人にサンドイッチされることはなかったと思います。

 

 体温が上がるのが分かりましたが、私は信頼されているのです。大人として恥ずべき行為はしてはいけません。

 ひとまず上に羽織っているものを脱ぐことにしました。

 

 どうして二人はショートパンツなのでしょう。健康的な太ももはみずみずしい果実のようでした。時おり触れてしまうのですが、その柔らかさたるや、男を殺しにかかっているようです。二人は気にしていないようですから、私もできるだけ平静を装いました。

 バッグからタブレットを取り出したハレが口を開きます。

 

 

「私はタブレットでゲームするから、二人はパソコンいじってれば? マキから聞いたんだけど、このネカフェってすごい色んなゲームがあるらしいよ」

「へえ……パソコンゲーム。興味があるわね」

 

 

 顎に手を当てたユウカがポツポツ話します。私はユウカがゲームをしているところを見たことがありませんから、驚きました。ゲームが好きなのか尋ねてみると、ユウカは顔を上げて、

 

 

「人並みに、ですかね。攻略法を考えるのがすごく楽しいんですよ。ストラテジーやアクション系はやりませんが、ローグライクだったりRPGなどはしますかね。特にローグライクの手札の確率を計算するのはもう、楽しいです」

 

 

 などと、ゲーマーな返答をするのでした。ここはユウカがプレイするのを眺めていましょう。仕事をしようにも、私は今パソコンを持っていません。

 私はユウカのほうにディスプレイを向けますが、彼女はそれを拒みました。

 

 

「せっかくですから、先生がゲームするのを見てみたいです。ゲームってストレス解消にもいいですし、触ってみてください。お酒の代わりになるかもしれませんしね」

「……しかし、私はこの手のものは触ったことがありませんから」

「誰でも最初はそうですって。興味があるものをやってみると、案外ハマるかもしれませんよ?」

 

 

 ユウカは私の手を取って、マウスへと誘導します。ひんやりしていて心地のよい肌でした。

 ここで断ることもしたくありませんから、私はパソコンを立ち上げて、適当にホイールを動かします。クリックしたのは、どうやらホラーゲームのようでした。私でも名前を聞いたことがある、バイオハザードというゲームの七作品目です。

 ユウカは意外そうな顔をしていました。

 

 

「ホラーゲーム、ですか」

「はい、なんとなく選んだだけですが。ユウカはやったことがあるのですか?」

「私もやったことがないジャンルですねー。ホラーと言っても、どこで驚かされるのか予想してしまえば怖くないと思っているので手に取ったことがありませんでした。ですが、せっかくですから、やってみましょうよ」

 

 

 二人用イヤホンをつないで、私はディスプレイと向き合います。ユウカもイヤホンを耳にはめました。

 低音のタイトルコールが耳に響き、ムービーが流れます。現実の人間のほうがよほど怖いと思っているためか、最初はあまり怖くありません。むしろ薄気味悪い雰囲気なだけです。

 右隣に密着感を感じながら、私はキャラクターを操作し始めました。

 

 

 

 

 二時間の予約をして、今は一時間半が経ったようです。私には気がついたことが一点だけありました。それは、ゲームが面白いということです。

 私は特に登場人物の心情を考えるのが好きなようで、なぜ母親は虫と合体しているのか、息子はデスゲームをするようになったのか考えてしまいます。銃を打つことに対しても、一発ごとにアドレナリンが出ている気がしました。

 

 

「……うぅ、ぐす。なんで先生は平気なんですか……?」

 

 

 さて、問題はここからなのですが。隣の半べそ少女をどう扱えばよいのか分からぬのです。どうやらユウカは、ホラーゲームが苦手なようでした。

 ハレに目線で助けを求めても、意味ありげに横目を送られるだけです。

 

 私は右の脇腹にしがみつくユウカを見ます。頬と目を赤くしていました。

 

 

「ユウカ、いい加減にやめませんか? 怖いのに無理して見なくても」

「いいです、大丈夫です! 脅かし要素がどこから来るか予想しちゃえば平気――っ!!」

 

 

 彼女はこうして、脅かし要素が来るたびに私の脇腹に顔をうずめるのです。嬉しいやらくすぐったいやらですが、悪い気はしません。しかし、ユウカの精神をすり減らしているのではと思うと、なんと言いますか、背徳感と罪悪感が同時に押し寄せるのでした。

 それにしても、イヤホンを外すだけでも変わるのに、どうして外さないのでしょう。彼女にも意地があることは分かりますが。

 

 私は説得を試みながらも手は止めません。WASDの操作にも慣れてきた頃合いでした。

 

 

「言いたいことは分かりますよ、ユウカ。敵が来る場所を予想しておけば怖くないというのはもっともです。しかし、予想できないからホラーゲームというのは成り立つのではないですか?」

「それはっ、そうですけど……でも先生がビビらないのっておかしいじゃないですか!」

「私にとっては生身の人間の、精神攻撃のほうがよほど恐ろしいですから。ゾンビなど異形に過ぎません」

「なんかあれだね、先生が言うと説得力が違うね」

 

 

 見ているだけだったハレがやっと援護射撃をくれました。彼女は私の後ろに腕を回し、ユウカの頭をなでています。

 

 

「ユウカ、あと退出まで二十分しかないから、もうおしまいね? 顔を整えなよ」

「でも……」

「続きはヴェリタスにもあるからさ、そっちでやろ?」

「ヴェリタスにも、あるの……?」

「うん、ある。私は怖いのあまり得意じゃないから、放置してたんだけど。先生がいれば進みそうだし、今度来たときに遊べるように再インストールしとくよ?」

 

 

 ユウカは涙目で私を見上げます。迷子の子どもが親を見つけたときみたいに、がっちりとホールドしてきました。

 お構いなしに、タブレットをしまいながらハレは話を進めます。私もゲームを切り上げましょう。

 

 

「数日後にヴェリタスに来てよ。任務がない日ってあったよね?」

「二日後か、三日後ですね。それくらいのペースでしたら、仕事も大丈夫でしょうし、足を運べると思います」

「オッケー。じゃあ詳しいことはモモトークでね。ユウカはどうする?」

「……行くわよ。苦手をそのままにはしておきたくないし」

「本当に?」

「い、いーきーまーす~っ!」

「ヤケになってるでしょ」

「なってません!」

「個室だから、静かにね?」

「――ッ! もう!」

 

 

 ニヤつくハレと、口を尖らせるユウカ。間に私がいるのですが、お構いなしにバチバチしています。……後からのフォローも考えましょう。

 

 ネットカフェを出て、ハレはまっすぐ帰宅しました。ユウカはムスッとしていましたが、シャーレまで私を送ってくれると言いました。お礼に私は、コンビニでシュークリームを買いました。

 あくびを堪えるユウカの目許が夕日に照らされて、橙にきらめきます。橙色の宝石なんてあったろうかと考えているうちにシャーレに着いていました。久しぶりの平和を、私は噛み締めた気がするのでした。

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