フィリップくんが心折れなかった話を見たかっただけのやつ 作:一般通過6級フィクサー
「…それでも僕は、前を向くと決めたから」
血塗れの青年が呟いた。大理石を加工したような鎧と剣、そして翼の如き盾を身に纏って、踞っていた姿が嘘のように凛として立ち上がっていた。
彼の師と、想い人の幻影はもはやそこにない。決然とした呟きこそが、その勇気を物語る。
道化の男、オズワルドは自らが極上のサーカス団員にするはずだった青年の臭いが劇的に変わってしまったことを理解して、大袈裟に嘆いた。
「ふーむ、瑞々しくて甘酸っぱい香りですねぇ。いけませんよ、これではいけません。もっと汚ならしい、撒き散らすような汚物臭こそ貴方には似合うはずです!」
場違いなほど明るい声色が、青年を誘う。悪魔のような悪逆非道を、天使のような善意で行っているという『八時のサーカス』。その代表者とも言われるオズワルドと、青年は真正面から目を合わせた。
「………」
「おや、どうしました? 入団は何時でも歓迎ですが、やはり私が直々に香り付けて差し上げなくてはなりませんね!」
支離滅裂、ではないのだろう。他人の笑顔が、笑い声が、この人の生き甲斐なのだろうと青年は素直に思う。
ねじくれていても、それでも確かな信念があることを直感した。
その上で、オズワルドの行いを許すことは出来ないと断じた。
「僕は、リウ協会直属の夜明け事務所に所属している5級フィクサーのフィリップと言います」
「これはこれは! ご丁寧にありがとうございます! 私は八時のサーカスで団長をしておりますオズワルドと申すしがない道化、都市の皆様に笑顔をご提供することをモットーに活動しているんですよ!」
オズワルドが捲し立てた。青年、フィリップは口元の流血を拭って静かにオズワルドを見つめている。
「貴方の信念、八時のサーカスの理念は都市の人々に笑顔をもたらすこと。それその物は大変立派だと僕は思います」
「ウフフ、嬉しいことを言ってくれますねフィリップさん!」
嘘偽りでなく、本当に喜んでいる。オズワルドの喜びに、フィリップは痛々しい物を見るように目を細めた。
「だけど、貴方と貴方のサーカスがもたらす笑顔は誰かの苦しみを以てして作り出すものだ。僕はそれが気に入らない」
「…ふーむ、それは重々承知しておりますとも。だからこそ、団員だけでなくエキストラの皆様にもご了承を頂いた上で上演してございます。ご心配には、及びませんよ?」
いけしゃあしゃあとオズワルドは嘯いた。事実ではあろう。だが、事実しか言っていない。隠された過程は、フィリップにとって許せないことだった。
「それは最終的に同意を得ただけでしょう。その過程で何をされるのか、その一端は僕自身が知っている」
仄かに、大理石の剣が熱を帯びる。燃え上がるような激情は、今度こそフィリップの味方に違いなかった。
曙光の如くに淡く輝く翼の盾によって、フィリップの姿は逆光の影に隠された。ただ、鋭い眼光だけがオズワルドに向いている。
「人の笑顔のために、人を犠牲にするようなことがあってはならない、と僕は思う。何故なら、犠牲を繰り返す内に自分が笑顔を提供するはずの人を無くしてしまうから。自分自身の幸せを失くしてしまうから」
「…ウフフ」
オズワルドが笑みを深くした。気味の悪い、道化師の笑顔だ。フィリップは言葉を続ける。
「きっと貴方もそれは本意ではないんだろうな。貴方の幸せは、あくまでも人がいてこその物だから」
ゆっくりと、劇場の帳の中に火の粉が舞い始める。夜闇を切り拓くかのように、フィリップの剣が赤々と輝いた。
おもむろに、フィリップが宙を見た。そうして、何処かへ向けて話し始める。その様子に気が付いたオズワルドが、フィリップを観察するように押し黙った。
「そうだ。醜い自分が確かにいる。お前の言う通り、この悔しさも、後悔も、醜い感情の全ても、一生抱えて行くことになるんだろうな」
噛み締めるように言葉を紡いで、フィリップは虚空を睨み付けた。
「だけど、それは人間が等しく持つものだ。否定も、非難も出来ない。有って当たり前なんだから」
フィリップが身に纏う大理石の武具が、気付けば大きくなっていた。鎧は要所だけではなく全身を覆い、盾は花開いたように両翼を広げ、剣は身の丈を大きく超える大剣へ。
「僕は僕自身を信じている。師匠が信じてくれたように、先輩が信じてくれたように。楔事務所の人たちが信じてくれたように。僕が彼らに恥じない男でありたいから」
フィリップは翼の盾を背負い込んで、ゆっくりと両手で大剣を構えた。
「お前がどれだけ僕を否定しようとしても無意味だ。僕を否定、そして肯定出来るのは僕自身だけで、お前じゃない」
曇りのない瞳で、フィリップは断言した。その覚悟を祝福するかのように、背負った盾の翼が更に強く光を放つ。
フィリップが呆れたような調子で眉をひそめた。
「季節外れの徒花が遺せる物はない、か。気に入らないな。例えそうだとして、どうして僕が諦める理由になるんだ?」
謎の声からの言葉をバッサリと切り捨てて、フィリップは虚空への視線を再びオズワルドに向け直した。
「…貴方を討つのは僕のエゴだ。あくまでも、僕がそうすべきだと思ったから、切っ先を貴方に向ける」
にわかに、フィリップが背負う光がその輝きを強くした。観察を終えたオズワルドが団員たちに大きな声で呼び掛け、フィリップに向き直って両手を大きく広げた。
「さぁ、今宵のショーは刺激的ですよ! 皆さん、張り切って参りましょう!」
「僕が戦うのは、誰かのためではなく僕のため。立ち塞がる困難に、勇気を持って立ち向かう時だ」
元々は人であった異形を前にしても、もはや迷いはない。フィリップは煌々と燃え滾る巨剣を大きく振りかぶって、道化の舞台を豪快に薙ぎ払った。
ローランが小さく息を吐いた。
不完全なE.G.O.とやらを発現した夜明け事務所のフィリップは、楔事務所のオスカーが用意した脱出装置に逃がされて、その後のことは一切分からなかった。
あくまでも、招待までの経緯を見ることができるのは、これから呼ぶことになる客だけだ。
結局のところ、フィリップはすぐさま図書館に戻ってくるつもりはないのだろう。
「なぁ、アンジェラ。フィリップは図書館に戻ってくると思うか?」
問われたアンジェラが興味深そうに答えた。
「分からないわね。なんだかんだ言って、招待した客を逃したことは少ないから」
でも、その内に敵討ちとか本を取り戻すとか言って戻ってくるでしょうね。アンジェラは例の仲良し事務所の連中を思い出した。
ローランが、今度は大きくため息を吐いた。
「あんなのを何度も相手したくないな」
「あら、そう言う割には意外と上手に仕事してくれてるじゃない」
存外に柔らかい表情でアンジェラが言った。ローランは固い表情を崩さない。
「ハァ、評価してくれるのは嬉しいけどさ。ああいう奴は順当にトラウマとかを乗り越えると強くなるんだよ。ホントにびっくりするくらいな」
アンジェラは納得したような顔をした。
「そうね、あのフィリップって人が自分を信じきることが出来たなら、E.G.O.も完全な姿になるでしょう。その時は凄く強くなっているかもね」
ローランはげんなりとして、「厄介そうだなぁ」としみじみ呟いた。
V社の巣にフィリップが帰還したのは、八時のサーカスと戦ってから2日後の明け方のことだった。
戦っている最中に、『昨日の約束』を名乗る髑髏の男が割って入り、彼と共にオズワルドには逃げられた。
現在地も判然としないまま当てずっぽうで歩き回り、漸く
リウ協会直属の事務所に所属していたのは幸運だったと言う他ない。J社の巣にもリウ協会の支部があり、事情を説明してV社の巣に戻りたい旨を告げれば、直ぐに手配してくれた。
簡易的な治療を終えた後、夜間バスに乗ってV社の巣へと向かう途中、車窓から夜空を見上げてフィリップは一筋の涙を流した。それきり、疲れから固めのシートに体重を預けて寝入ってしまった。
バスの止まる振動にふと気が付けば、車窓のカーテンの隙間から朝日が昇る様が見える。フィリップはV社の巣に戻ってきたのだ。
色々なことがありすぎて、正直に言えば何も考えたくは無かったが、生きて戻ってきた以上はこれからのことを考えなくてはいけない。
夜明け事務所は所詮5級フィクサーに過ぎないフィリップ一人で経営するには難しいだろうし、別の事務所に移籍することになるか、楔事務所とはまた別の協力事務所に厄介になるくらいしか考えつかなかった。
「まずはリウ協会に正式な報告をしてから、か…」
図書館が如何なる場所であったか。楔事務所のフィクサーが全滅したこと。自らの身に起きた不思議な現象。八時のサーカスとの遭遇戦。
得た物はあれど、握りしめた手の中に残ったものはあまりに少ない。取りこぼして、取りこぼして、それでも前を向くしかないのだ。それが生き残った者の務めだとフィリップは悟っていた。
「…必ず、取り戻す」
フィリップの心の奥底で、赤く燃え滾る武具たちが主人の想いに応えるかの如く鼓動した。
何時か何処かで、大義の中に本心を隠した臆病な少年はもういない。ここにいるのは、自分自身で立ち上がることを諦めなかった一人の男だけだ。
なんかカッコいい感じのフィリップ君ですが、最終的に図書館に負けて本になります。
あんな化け物だらけの図書館に勝てるわけないだろ!いい加減にしろ!