剣を握って二週間で選別を突破して、それから更に二週間。ようやく隊服と自分の刀が届いたところで烏からの指令がきた。
とある屋敷へ向えという。
目隠しをして数名の隠で交代しながら背負われて着いた屋敷は、深い森の中に開かれた明るい場所にあった。
背中から下りて目隠しを外されたところで、隠が屋敷の方を向くとその場に跪いた。
特に声を掛けたわけではないのに玄関が開く。出てきたのはまた、隠と同じく顔を覆った人だった。
「時透君ですね、お館様から事情は伺っています」
何と答えて良いかわからずにいると、迎えてくれた人が背負ってきた隠に労う言葉をかけている。
「近藤君、ありがとう」
隠だから顔の殆どは覆われていて目元しか見えない。あれでよく名前が解るものだ、と思った。
近藤と呼ばれた隠よりも若い声だが、屋敷から出てきた人の方が立場は上らしい。
隠と同じ鼻から下を覆う布こそあるものの、それ以外は髪も見えているし隊服ではなく書生のような恰好をしている。
ぼんやりと見ている間に話は終わったらしい。背負ってくれた隠が帰るのを見送ってから屋敷へ入り、奥の座敷へ通された。
「えっと…よろしくお願いします」
言うのを忘れていたというか、機会を逃していた。何と声を掛けて良いのかわからなかったし。
ここで何をするよう言われたのかは忘れたけれど、この人の世話になるような気がした。
正面で向き合っていたその人が顔の覆いを取って微笑む。
「こちらこそ、どうぞよろしくお願いします」
その顔も、声も、覚えのある気はするけれど、それが一体いつなのかは思い出せない。
けれど自分は、この人と前に会ったような気がした。
「時透君には七日間、この屋敷で生活してもらいます」
屋敷はそれほど広くはないが、上等な造りであることが判った。この家の柱を見ればそれが判る、何故かは知らなけれど。
あの床柱にいたっては銘木と呼ばれる逸品に違いない。良い杢目をしている。
広葉樹の森の中で少し開けた場所にある屋敷は日当たりが良く、縁側から外を窺うと近くの山が見える。
いい場所だな、と思った。
「ここは少し特殊な立地にありましてね、出入りする者の少ない屋敷です」
出入りをするのは屋敷の維持に必要な最低限の隠だけで、期間中はその隠ともほとんど顔を合わせない生活になるらしい。
人と会わないのは面倒がなくていい。何より顔と名前を覚える必要がないし、その人と何を話したのかを覚えておく必要もない。
覚えていないことで困ることがないのも、自分が覚えられないという説明が要らないのもありがたい。
「ここでの実技、座学、それ以外の質問も、すべて私が受け持ちます」
驚きに目が見開かれるのを感じる。
彼は今、何と言った。彼が外して置いた顔を覆っていた布がまだ膝の上にあるのに、実技も彼が教えるというのだろうか。
「時透君に適性が認められた霞の呼吸は使い手が少なく、現在教育に携われる者がいません。私は隠の立場ではありますが、日輪刀を持ち呼吸を使う剣士でもあります。霞の呼吸を中心に、実践的な戦闘方法についても一緒に学んでいきましょう」
剣士なんだ、と意外に思う気持ちとともに不思議な心地良さを感じた。
「お茶を淹れますが、甘いものはお好きですか?」
頷くと、彼が立ち上がった。今日はカステラがあるらしい。
「美味しい……」
思わず零れた声に、彼が微笑む。
「好きな食べ物があったら遠慮なく言ってくださいね」
一緒にお茶を飲んで、カステラを食べて。この人はこれから一体何をするつもりなのだろう。
「時透君は成長期ですからね。たくさん食べて、たくさん眠る必要があります」
年上が多い鬼殺隊員の中で子供扱いされるのはいつものことなので慣れている。
慣れているが、侮ってくる者達より自分の方が強かった。実力差さえ見せつければ何も言われなくなることは体感している。
しかし今のは自分を侮っての発言でない感じが伝わってくる。よくわからない上に不思議な雰囲気の人だ。
「本来なら夜更かし厳禁と言いたいところですが、鬼と戦うのは夜間ですからね。鬼殺隊員としては明るい中の就寝に慣れるのも大切なことです」
これまでの生活を振り返る。
頭で覚えられない分、身体で覚えなくてはならないから人より多く鍛錬をした。人より多く走り込んで、人より多く素振りと打ち込みをした。
一日の時間は皆と同じだから、どうしても睡眠時間を犠牲にせざるを得ない。
「寝ている暇なんて……」
ない、言う暇は与えられなかった。
「眠らないと身長が伸びませんよ」
彼の顔から微笑みが消え、強い視線がこちらを見ていた。
「それは困るかも」
口ごもると、彼が真顔のままで続ける。
「大変困ります。今十三歳の時透君はこれからが一番伸びる時期なんです。高い身長、長い手足。一定以上の力を求める時に、その差はあまりに大きい。鍛えることも大切ですが、睡眠はそれ以上に大切です。理解できますね?」
頷くと、彼に微笑みが戻った。
食べ終わると彼が洗い物をして戻ってきた。本当にここは人がいないらしい。
「さて、今日は初日ですから身体を慣らしていきましょう。これから座学を行い、十分に眠った後で夜に霞の呼吸をお見せしますね」
自分の刀身が白い事で耳にするようになった、霞の呼吸という響きに息を呑んだ。
でも、と考える。ここいるのは七日間。短い期間しか教わることができないのなら、全部実技にしたほうが身につくのではないだろうか。
この人は最初、お館様から聞いていると言った。だから知っている筈なのに。
疑問と不満が顔に出ていたのだろう。
「時透君、ここではどんなささいなことでも構いません。気になることがあれば、遠慮なくどうぞ」
促されて口を開く。
「僕はどうせ何も覚えられないから、座学はあまり意味がないんじゃ……」
教えて貰う側の最初からの反発にもかかわらず、彼は怒るどころか微笑みを浮かべたままこちらを見ていた。
「ここで行う座学は実技の理解を深めるためのものです。知らず闇雲に剣を振るうよりも、効率良く技の習得ができることに重きを置いています。身体が覚える助けをするものですので、私の言葉を覚える必要はありません。貴方の動きに、それが活かされるなら」
彼は微笑みを浮かべてはいるがその視線はまっすぐだ。信じられる強さがそこにはあった。
「覚える必要ない、活かす……」
言われた言葉を反芻すると、彼が頷きを返した。
「夜に身体を動かして頑張る分、昼は眠くなるかもしれません。退屈せずに受けられるよう工夫しますね。それではまず基本的なことから始めましょう」
最初の座学は、全集中の呼吸とその常中、そして霞の呼吸の型とその名の由来についてだった。
座学といいつつ呼吸は流石に実践もする。座学後の仮眠中にもこの呼吸を維持するのだと聞いて頷く。
「深い呼吸を行う時に、自分の意識で動かすことができるのは肺ではなく横隔膜です。肺は横隔膜の動きに合わせて伸び縮みします。」
出てきたのは口が細くて底のないガラスの瓶。瓶の中にゴム風船を入れてその口を瓶の口へと折り返して、瓶の底を風船の上半分を切ったような結び目のあるもので覆い縛った。
中に入れた風船が肺で、底を覆っているのが横隔膜だという。
「肺は自分の意志で動くものではありません。下の結び目を引っ張って伸び縮みさせてみてください」
深呼吸をしながら横隔膜の動きを意識しつつ、ゴムの結び目を引っ張ってみる。中の風船が少しだけ大きくなった。引っ張るのをやめ元に戻すと、中の風船は萎んだ。
「これが、身体の中で行われています。それでは深呼吸と全集中の呼吸を比べてみましょう」
今度は彼が瓶を手にする。
深呼吸は先ほどの手の動きと同じだったが、全集中の呼吸は引っ張る時はより強く、そして逆は戻すだけでなく底のゴムを瓶の中へ押し込む様子を見せる。
「特徴的なのは、呼吸を吐くときの強さです。意識して強く吸う深呼吸に加えて、意識して強く長く吐き出す、これを維持できるよう心掛けてください」
今までしてきた呼吸は何だったのだろうと思うくらいに、それは無意識の呼吸と異なるものだった。
「横隔膜で肺を広げて多くの空気を吸い、横隔膜で押し出すように肺に残る空気を絞り出す。いいですよ、その調子です」
彼の呼吸を真似していると、繰り返すごとに呼吸の長さが伸びていくのがわかる。
呼吸については思った以上に座学で手ごたえを感じられたが、剣は流石に座学で学ぶには物足りないのではないだろうか。
そう思っていたものの、剣の動きと足の運び、突きや斬りの解説を聞くのは意外に楽しかった。
その後は彼が写真や絵を見せてくれる。霞の呼吸の型の名の由来となった自然現象のものだ。雲海は綺麗だが、移流霧による濃くて範囲の広い海霧は船が遭難すると聞いて怖いと思った。
教わったばかりの深い呼吸をしながら思う。
普通の隊員は一体どこまで理解してそれらを使っているのだろうか。
わからない。いや、人のことはどうだっていい。
呼吸法と型の由来。今面白いと思っていても、自分はこの教えをいつまで覚えていられるのだろう。
この後の仮眠で全て忘れてしまうのかもしれない。
急に襲い来る不安に顔を曇らせると、優しい掌が頭に置かれた。
「心配いりません。たとえ忘れてしまっても、必ず君の強さの支えになります」