記憶、朧に   作:貝柱 焼牡蠣

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「この屋敷を建てたのは霞柱でしてね。継子はいませんでしたが、ここで隊士に教えることもあったそうです」

今はいない柱だ。そしてその人が、彼に霞の型の全てを見せた人なのだろう。

「私にとって霞の型は特別なものです。実は、実戦で柱が振るうところを傍で見たのは霞の型だけなのですよ」

秘密を打ち明けるような、そんな口調で彼が言った。

ある時点で就任している全ての柱の型を見る機会を得たと言っていたが、それは実戦ではなかったらしい。

稽古をつけて貰ったのであればそう言うだろうし、少なくとも鳴柱の弟子が彼の存在くらいは知っていたのではないかと思う。

どういう状況で見たのか気にはなったが、詮索する必要を感じなかった。

彼は隠の責任者でお館様が子供の頃に護衛をする立場だった人だから、何でもありだ。

どうせ普通の状況ではないだろう。今日の彼等や隠の反応を見ればそんな気がする。

彼はこちらの妙な視線を気にすることなく言葉を続けた。

「霞柱が元十二鬼月を肆ノ型で倒すのを見た時、基本の型との違いに気付きました」

最初にこれを振るった者が違う明らかな理由は、足捌きだという。

力強く踏み込み腰を落として踏ん張りをきかせる他の型と違って、霞の型は斬り込みながらも摺足で素早く動く。

最速と呼ばれる雷の型は駆け抜ける移動に目が行きがちだが、最初の踏み込みは他の型よりも強い。

最も差が出るのは足場が不安定な場合だ。足場が不安定な状態で振るえるのは、霞の他に基本の型では水の一部だけしかない。

僕にそのまま座っているよう合図をすると、彼は木刀を手に立ち上がり軽く肆ノ型を振るってみせた。

摺足から滑り込みに切り替えつつ斬り上げる動作は早さも勢いもあるが、静かなものだ。

床に座っているからこそ、その振動がほとんどないことに気付く。

掌を床に当てる。贅沢な造りの床板なので厚みはあるが、木刀を手にこちらへ戻ってくる足音は殆ど感じられなかった。

「私は護衛の為に音を立てない癖がついていますが、霞柱も他の方より足音が軽めでしたね」

ただし大切なのは音を立てないことではない、と彼が言った。感覚の鋭い鬼は音や匂いで人より先に察知するからと。

「霞柱が着地を軽くしていたのは、その後の動きに繋げるためです」

あの三人と木刀を交えた時の光景が目に浮かんだ。飛んできた石を大きすぎる跳躍で避けて体勢を整えることに手間取った隊士がいたっけ。

体勢を崩すのは論外だが、他の型なら着地と同時にそこで足を踏ん張り強く構えればいい。

けれど霞の型は違う。動いた後に、次の動きがある。

筋肉の緊張と弛緩を上手く切り替えることで、着地の衝撃を和らげながら次の動きに繋げる術はもう教わっている。

それが彼の見極めた、霞の型の本質なのだろう。

「霞の型を最初に振るった剣士は、既存の型にとらわれない自由な発想ができる方だったのだと思います」

しかしその自由な発想から生まれた霞が独自の型ではなく、風の派生と呼ばれているのは何故だろう。

尋ねると、彼から逆に尋ねられた。

「風の型には他の基本の型にはない特徴がありますが、それが何かわかりますか?」

風の型の特徴を思い出す。攻撃に特化していて、そして。

「範囲攻撃があること!」

正解だと彼が頷く。

基本の型の中で一人の者が多数の敵に攻撃する、いわゆる範囲攻撃を持つのは風の型しかない。

他の型は刀の振り幅の広さで結果的に複数を倒すことはあっても、初めから複数を対象に薙ぎ払う目的で振るう技がないのだ。

霞の型にはある。今まで意識したことはなかったけれど、それは彼と一対一で戦っていたからだ。

今日、三人を同時に倒した時に使ったのは参ノ型だった。

「範囲攻撃は大きな敵に攻撃するだけでなく、複数の敵へ一気に攻撃をかけることが可能です」

風の型との意外な共通点に驚きながら、彼の言葉に頷く。

「血鬼術で物を操るような鬼と戦う時は、他の型より有利でしょう」

そうなのだ。複数と対峙する時は圧倒的に有利なはずなのに、他の型に範囲攻撃がないのは何故なのだろう。

尋ねると、彼は説明を始めた。

刀は平安時代から、日輪刀は鎌倉時代末期から、そして呼吸の型は戦国時代から使われている。

廃刀令の出された現代とは違い、通常の武器としても刀が使われていた時代だ。

同じ刀でも、対人の戦闘と対鬼の戦闘では戦法が違う。

「鬼殺隊は、鬼が群れないことを前提とした戦法が主流です」

対鬼の戦闘では一対一、もしくは複数の人間対一体の鬼で戦うことを想定した型がほとんどだ。

一人が複数と対峙することを想定した構えは、本来は対人戦向けのものだという。

「呼吸の概念が入る前の風の流派の開祖や、霞の呼吸の型を拓いた方は元々高名な剣士だったのではないかと思います」

過去に一人だけ鎌を使う風柱もいたらしいが、風の型の得物も基本的には刀である。

鬼殺隊に入って剣士になったのか、剣士が鬼殺隊に入ったのか。

鬼を倒す剣術しか知らない剣士と、一般的な剣術を鬼殺に使用できるよう高めた剣士。

普通ならばどちらが強いとか有利とかはない。練度や筋力の差の方が大きいから。

けれど、それが十二鬼月と戦う場合は違う。

「鬼との戦いはより新しい力を持つことが鍵になります」

新しい力は外から来た者が齎している。風の流派、呼吸の概念、新しい武器や戦術。

鬼殺隊は貪欲にそれを取り込み、高め、だからこそ絶えることなく発展し続けてきた。

だから彼は僕に、教えただけではないそれ以上の霞の型を掴めと言った。

情報と知識で鬼を斬る彼は隠の責任者として高い地位にいる。

正統派でない柱、派生の呼吸の柱が多く就任する現在の体勢は、きっと彼の分析が採用されたということ。

彼は、これまでの鬼殺隊にない力を求めている。鬼が見たことのないという力を。

だから外の技術を持って入る人が短期間で地位を上げることがある。音柱のように。

過去を覚えていない僕は、鬼殺隊しか知らない。

知らず歯を食いしばっていた。

僕は何も、持っていない。

 

こちらの気を知ってか知らずか、彼は木刀を置くとついてくるように言った。

「この屋敷には他にはない設備がありましてね」

草履を履いて外に出ると、丈の低い草の生えたところに白い鳥小屋のような何かがあった。

隙間のあいた鎧戸のようなその外観のその一面を開けると、中には見たこともない物が入っている。

「百葉箱と言います。ここで気温を測定し、少し離れたそこで雨量を測定しています」

草むらの中によく見れば筒状の何かが置かれている。

「霞柱の要望に応じて設置したものです。天気の予測は時に勝敗を分けることになりますから」

霞柱亡き今も欠かさず、隠が決まった時間に観測し記録を続けているという。

「これは国が気象観測の為に設置しているのと同型の物です。実は設置したのも、使い方を説明したのも私でしてね」

霞柱という人を僕は知らない。けれどその人は、普通でない隠の彼にそんな命令を出せる人だったようだ。

きっと彼は、霞柱に近いところにいた。実戦でその型を目にするくらい。

柱についた隠の最初の一人が、彼だったのではないだろうか。

僕が柱になってもついてくれないだろう彼に指示を出して連れまわした霞柱。

彼に派生の型が上位の鬼に有効だと気付かせ、強いと認識されていた柱。

きっと、外から新しい何かを持って来た強い人で―――

「霞柱は就任こそ遅めでしたが、幼くして鬼殺隊に入った方だったそうです。だから外の事はあまりご存じなかったとか」

驚いて彼の顔を見ると、いつもの微笑が向けられていた。

「霞柱は私の持って来る外の話に大変興味を持たれ、様々なことを試されました。残ったのはこの百葉箱だけですがね」

幼くして鬼殺隊に入った、外をあまり知らない人。

重なる姿に息を呑む。

「最初の一人に限らず、霞の呼吸の使い手は自由な発想が出来る方なのだと思いますよ」

こちらを見た彼が言った。

「えっ……それって、僕もって事?」

首を傾げて彼を見ると、彼が頷いた。

「はい。時透君は目にするものや耳にすることに興味を持ち、良く考えてください」

鼓動が早くなる。

覚える必要はないと言われた座学の時間。動きに活かせと言いつつ、彼はいつも僕に考えさせた。

それは何か、何故そうなのか、何が必要か、どうすれば良いのか。覚えられないのなら、その都度考えればいい。

半ば癖のようになりつつある思考は、彼に植えられた苗のようなものだ。もう僕の中ですっかり根付いて、今や僕のものとして育ちつつある。

嬉しくなる。

新しいものは外から自身が持ってきたものとは限らない。見出せばいいのだ。

興奮とともに彼を見ると視線が合った。

「利用できる物があれば使ってください。必要なものがあれば私が用意しますよ。どんなものでも」

彼は、国が使うような物さえ用意できる存在だということ。百葉箱はひとつの例に過ぎない。

何を頼むことになるのかはわからないけれど、きっと彼が何とかしてくれるのだろう、どんなものでも。

「絶対だよ」

そう僕が言ったら、頼もしい頷きが返ってきた。

 

道場へ戻って木刀を握り締めて、そしてふと気付いた。

「本来なら稽古をつけて貰う時、僕も木刀を振るうべきだったんだね」

隊士同士で刀を向けたら隊律違反だ。今日は互いに木刀だった。

彼が呼吸の型を見せる時そうしたように、危険のない状態でしか真剣を振るってはいけないらしい。

夜に実戦形式で僕が刀を振るう時も、相手を務める彼は木刀しか持たない。

「普通の育手がどのようにするのかは知りませんが、木刀だけで教えを終えることはないと思いますよ」

あくまでも稽古だから良いということなのだろうか。

でも僕は既に選別を突破しているのだから、刀を初めて握った訳ではないのだけれど。

「君は呼吸の型を知る前に選別を突破してしまいました。ですから刀を持って日が浅いだけでなく、型を振った経験もありませんでした」

だからまずは刀で型を振るうことを覚えなければならなかったのだという。

「先に木刀で型を覚えると、刀に持ち替えた時に苦労するのですよ」

確かに木刀とは重さも空気抵抗も違う。何より一番違うと感じるのは重心である。

覚えていないが真剣を持つ前には木刀で稽古をつけていた筈なので、身体が覚えていたらしい。

先に刀で型を覚えたからこそ、刀より持ち慣れている木刀でも型を振るえたのだろう。

「私がそれで苦労しましてね。君は、その見直しに時間をかける訳にはいきませんでしたから」

一緒に居られる期間が短いことを思い知らされた気がして寂しさが蘇ってしまう。

そしてもうひとつ、どうしても聞きたいことがあった。

「どうして僕を護衛の仕事に誘ってくれないの?」

あの人は誘ったのに。

すると彼はこちらを見て首を傾げた。

「護衛は鬼を斬る仕事ではありませんが、時透君はそれで良いのですか?」

鬼を斬らなければならない。一体でも多くを。だって鬼は根絶させなければならないから。

けれどそれとは違う気持ちもある。僕は随分と、諦めが悪いようだ。

「だって護衛だったら、もっと今みたいに教われるんじゃないかと思って」

そう。僕の向かうべき道が彼と違うことは理解しても、まだ共にいることを諦めた訳ではなかった。

あの人に直接教えるのかと尋ねると、彼は否定した。

「私は一般的な護衛ではありません」

何が違うのか尋ねると、彼は微笑んだまま言う。

「当時子供だったお館様と同じくらい、私も子供でしたからね。同じ格好をして一緒にいるのが仕事でしたよ」

それでは護衛というより身代わりだ。予想していた護衛の仕事と違い驚いたが、彼の声はいつもと同じ穏やかさを保っていた。

前の座学で人を庇いながらの戦いは過分に苦しく大変なものと言っていたが、それとは違うのだろうか。

「気になりますか?それでは護衛の仕事を少しだけ、体験してみましょう」

予想外の提案に驚きつつ頷くと彼が道場を出て、そして何かを手に戻ってくる。

さっきのラムネ瓶だ。彼が手にした二本の空き瓶を軽く振ると、中のビー玉が鳴った。

「時透君は自分の背後の瓶を護ってください。誤って自分で倒したら失格ですので注意してくださいね」

それぞれが刀を持った腕を伸ばして届かない距離をとり、背後にラムネ瓶を置いた。

「余裕があれば、私の瓶を狙ってみるといいでしょう」

始まりの合図を委ねられる。

摺足で接近し斬り込む肆ノ型にしようと決めたところで初めの声を出すと、その次の瞬間には背後から高い音が聞こえた。

「えっ」

ラムネ瓶が倒れて転がり、中でビー玉が転がっている。その傍にあるのは、彼が手にしていたはずの木刀。

彼は初めの合図と同時に床に木刀を置いて滑らせ、僕へ攻撃せずにラムネ瓶だけ倒したらしい。

しかも僕が木刀を構える為に軽く開いた足の間を彼の木刀がすり抜けたようだ。

遅れて正面に向き直ったらもうそこには彼もラムネ瓶もない。

「卑怯だと思うでしょうが、護衛の敵とはそういうものです。技も名誉もなく、手段を選ばない攻撃を仕掛けてきますからね」

少し離れた斜め後ろから彼の声がする。

木刀を持ったまま半端な構えで立つ自分が滑稽で、情けなくて、でも妙に納得もした。

「あの人は、そんな相手から護衛対象を護れそうなの?」

その問いには彼が少し笑った声で答える。

「最初は戸惑うと思いますよ。続けられるかどうかは彼次第です」

護衛と鬼殺隊の剣士との一番の違いは優先順位だ。

鬼を倒すことより対象を生還させることを優先させるのだから敵前逃亡することもあるだろう。

状況によっては自分が確実に倒せそうな鬼さえも見逃さねばならない。これが剣士から転じた者は大変に歯痒い。

倒したい気持ちを抑えて守りに徹することができるかが護衛として続けられるかを決める要素になるそうだ。

「原田君は藤原君を護ることも、形振り構わない手段を取ることも出来ました。それは大きな強みになるでしょうね」

鬼の討伐数を誤魔化した件の発案者だったらしい。

「そっか」

もう一度ラムネ瓶を立て彼に戦いを挑んだが、踏み込んで大きく木刀を振るったせいで背後の瓶を倒し失格になってしまった。

その次からは最初のような技を使わない彼が剣士としての構えで応じてくれた。

攻守が入れ替われば違うものが見え始める。

一見彼は僕の攻撃に応戦しているように見えるが、瓶を背後に隠した状態を常に保っていることがわかった。

だからどんなに僕が動いてみても、彼の背後にあるはずの瓶が見えない。

「護るのは鬼殺隊の協力者とはいえ非戦闘員です。不用意に動いたり恐怖を抑えられなかったりと、この瓶のようにはいかないものです」

何も知らない一般人よりマシなのだろうが、背後でじっとしていられるかは別問題らしい。

「何より、襲撃者が一体の鬼とは限りませんからね」

最初の彼の攻撃からもわかるように正々堂々とした戦いではないし、場合によっては襲撃者が鬼そのものではない可能性もある。

「異能の鬼が物を操る場合もありますし、そうとは知らずに鬼の協力者に仕立て上げられた人間が襲ってくるかもしれませんから」

今のこの状況であれば、彼が僕と向き合っている間に他の誰かが彼の背後の瓶を倒せばいい。

それだけではない。襲撃者は一瞬に集中して全ての力を込めればいい。けれど護衛側は四六時中襲撃に備えなければならない。

「難しいね」

自分の瓶を護ったまま彼の背後の瓶を倒すことはできなかった。

「ええ、とても難しいことです」

けれど、と木刀を下ろした彼が微笑む。

「倒すことを優先してはどうかと言っていた時透君が、人を護る難しさを理解してくれていることが私は何より嬉しいですよ」

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