記憶、朧に   作:貝柱 焼牡蠣

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始まると思った座学の時間だったが彼は眼鏡をかけた隠の姿をしていて、玄関から人の気配がした。

入ってくる複数の隠に戸惑っていると、彼が彼等から受け取った何かを僕に手渡す。

風呂敷包のそれを開けば目に馴染んだ漆黒の布。

「これに着替えて貰えますか?」

渡されたのは新しい隊服のようだ。別室で着替えてみると、それは不思議な造りだった。

釦でとめる詰襟の隊服の袖は着物のように広がり、腰をベルトで締める脚絆をつけない袴。

鏡台の大きな鏡を覗き込む。

新しい隊服は、彼が普段している和洋折衷の恰好を隊服にしたかのような形状をしていた。

部屋に戻ると彼に木刀を渡され、その場で軽く振るように言われる。

その後も指示されるがままに腕を広げ、裾を捌き、跳躍したり屈んだりといくつもの動きをする。

彼が一人の隠に何事かを伝えると、その人が頷きながら書き写していく。

「動かしづらいところはありませんか?」

むしろ今までの隊服よりも腕や脚が自由になった気がする。

動かしづらいところなんてない。首を振ってそれを伝えると目元しか見えていない彼が微笑む。

「一週間頑張った君への贈り物です。銀子君と隠の皆に頑張って貰いました」

彼の肩に乗った銀子が得意気に胸を張っている。手を伸ばして撫でてやると満足そうに鼻息を漏らす。

前の座学の途中、銀子に頼んだ重要な指令というのはこれだったらしい。

日の呼吸の話をした時、彼は確かに銀子を飛ばし、必ず返事を貰うよう命じた。

「本当にもう横暴ですよ。ですが、間に合って良かったです」

彼からの言葉を書き写していた隠が書きつけを仕舞うと顔を上げた。きっと銀子に持たせた返事を書いた人なのだろう。

書きつけの様子といいこちらを見る目線といい生真面目そうな人だが、言葉が少し砕けているのは彼の立場を知らないからだろうか。

「小柳君、ありがとうございます。彼が時透君の隊服を仕立ててくれました」

彼に倣って頭を下げると、その背後から何かが飛び出して来た。

「少女の男装!!それならそうと先に言ってくださいよ!知ってさえいればこの私が担当して!もっとこう!袖と裾をですね!」

こちらに接近して何やらまくし立てる眼鏡の隠。彼と同じ格好なのに雰囲気は全然違っている。

「いいですか、秘密を守るために胸元を直線的に仕立てながらも将来性を見据えて締め付けないよう内側は――」

少し高めの声が耳障りな上に、言っていることがさっぱりわからない。

「ねえ、何なのこの人。さっきから気持ち悪いんだけど」

僕が言うと、彼が飛び上がる様にして驚きさっきの小柳という隠の後ろに下がった。

「えっ男!?嫌です困りますよ声変わりしてるだなんて信じませんよ私は!」

早口で一気に言い切った男に眉を寄せると、小柳という隠が口を開く。

「だから最初から少年だと言っているじゃないか」

背後を諌めてから詫びるようにこちらに頭を下げる。しかし後ろの隠はまだ何事かを呟いている。

僕が木刀を握り締めたのに気付いたらしい。彼が僕の前に立った。

「前田君?」

いつもの調子で彼が声を掛ける。

「君も一緒に人体の可動域について学びますか?」

彼はどんな顔をしていたのだろう。

僕からは背中しか見えていなかったけれど、前田と呼ばれた隠は悲鳴を上げて脱走しようとしたが、その場にいたもう一人の隠から片手で捕まえられた。

小柳という隠が引きずるようにして連れ去るのを見送りながら、残った一人の隠が声を出した。

「何でアイツをまだ雇っているんですか」

聞き覚えのある声は、雷の呼吸の彼等に隠としての指導をつけるよう命じられた隠だ。

彼は僕の手から木刀を取ると、僕とその隠を手招きした。

いつも座学を行っていた座敷へ移ると、彼が木刀を置いてから隠に手で場所を示す。

「後藤君、人には向き不向きというものがあります。活かせる特技を有効活用しなければ勿体ないでしょう」

何か包みを運んできた後藤とか言う人が指示された場所で慎重に置く。貴重品なのだろうか。特に重そうではないが、置いたことで随分安心しく息を漏らした。

「ですが前田のヤツ、蟲柱様に隊服を燃やされたんですよね」

彼が目元を細めてから座る様に言い、後藤という隠と一緒にそこへ座る。

「縫製係以外は気付いていない者がほとんどですが、隊服の素材があれ以来変わりましてね」

彼が昨夜使った大きな黒い風呂敷のような布を取り出す。

「私が着ている隊服とこの布が旧式で、君達が今着ている隊服が現在使用している生地によるものです。何が違うかわかりますか?」

後藤という隠と二人で、僕の長い袖と風呂敷を見比べてみる。

光沢のない透けにくい生地で、折り畳んだ跡もない滑らかで触り心地の良い生地だ。

同じにしか見えない。

二人で首を傾げたところでふと外から射す日の光に照らされた彼を見て違和感を覚える。

袖と風呂敷を光に翳す。

「あっ!」

「それだ!」

声を漏らした僕に、後藤という隠が同調した。

違うと言われなければわからない程度なのだが、色味がごく僅かに違って見える。

旧式に比べて新しい布の方が光を通しにくいらしく、黒がより深く見えるのだとわかった。

「元々、斬撃にも炎にも強い布です。蟲柱はそれを燃やしました。ただの油ではなかったのです」

油をかけてマッチで燃やしたとは聞いていたが、そこまでは知らなかったと隠が言う。

「恋柱は燃やされませんでしたので明らかにはなっていませんが、前に蟲柱の使った油では燃えないようになっていますよ」

恐らくは蟲柱が手に入れるであろう他の油も。

あの隠は燃やされた隊服の燃えカスを持ち帰り、使用した油を分析してその対策まで考えたらしい。

「なんたる執念……」

隣で唸る隠を見ながら、僕は隊服の袖を握り締める。

座学の時に聞いた。隊服は、普通の着物とは違う。

普通の刃物が通らない繊維で、裁断はもちろん織機も縫い針も専用品だという。

縫い合わせる糸も同じ素材で、隊士の戦闘にも切れやほつれが出ないよう縫うには高い技能が必要らしい。

そんな特別な隊服の素材を、変えた?

「そして君が着ているその新しい隊服、縫い上げたのは小柳君ですが、型紙を起こしたのは前田君ですよ」

彼の言葉に、こちらを向いた後藤という隠が眉を寄せる。

「初めて見る型です。稽古着の袴とも違いますし、隊服以外でも見たことがありません」

袴と違って紐を結ぶ必要がなく、脇の開きもない。上着も、普段の彼のようにシャツと小袖と羽織を重ね合わせる手間も必要ない。

「それなりに細かい指示は出しましたが、あれを図面なしで形に仕上げられるのは前田君くらいでしょうからね」

あの時銀子に持たせた手紙はそれほど長いものではなかった。絵や図もない。

彼に伝達する力があったとしても、受け取る側にも読み解く力が必要だ。ましてやこれまでにない形状の隊服の指示だ。

けれどあの前田という隠は、彼の指示通りに形にした。

今度は僕が唸る番だった。

自分が目にしたことに興味を持ち、その問題点に気付いて改善した者。

情報を受け取る力を持ち、そこから新しい何かを生み出す者。

それこそまさに、彼の求める鬼殺隊に新しい力を齎す者だ。

つまりあの変な隠をその地位に留め置いているのは彼なのだろう。

 

「さあ後藤君、準備して貰えますか」

彼が声をかけると、後藤という隠が包みを解いて箱から黒い何かを取り出す。

これは何かと尋ねると、新しいカメラだという。

準備ができたところで彼に刀を渡され腰に差す。

「はい、顔をこちらへ向けて、そう、そのままじっとしてくださいね」

彼が何枚か撮影したところで僕を見つめる。

「時透君。笑顔ですよ、笑顔!」

そんなことを言われても、楽しい気持ちになどなれない。

「銀子君、時透君の肩に」

彼の肩から銀子が飛び立ち、僕の肩に乗った。

翼を得意気に広げて見せる銀子を綺麗だと褒めながら数枚撮影したところでようやく彼の手が止まる。

「どうしました?」

カメラを置いてこちらへ来た彼に尋ねる。

「ねえ。一緒に写すことはできないの?」

彼は可能だと答えた。だから、我儘を言いたくなる。

「この恰好じゃなくて、いつものがいい」

彼の隠の隊服を引っ張る。

僕は、覚えることができない。いつか全部忘れてしまう。

けれどもし彼の写真を貰うことができたら、忘れずに済むかもしれない。たとえ忘れてしまったとしても、それを見れば思い出せるかもしれない。

あの隠に顔を見られるのはどうかと考えたけれど、彼はあの後藤とかいう人を重用しているので大丈夫だと思った。

何故ならあの時、他の隠は見ていないのに後から来て一人だけ彼の階級を見ている。今もきっと、この人だからこそここに呼ばれた筈なのだ。

ちょっとした嫉妬を覚えたところで、彼が着替えに出て行った。

すると後藤という隠が僕に話しかけた。

「あの方は……隠の責任者だけじゃない顔もあるんだな。刀を振るうなんて知らなかったよ」

雷の呼吸の彼等から何かを聞いたのかもしれない。

「俺は同じ隠の立場なんだが、あの方と直接話したのは数えるくらいしかない。ずっと一緒にいるお前は、あの方の継子みたいなもんなんだろうな」

その言葉のお蔭で急に嬉しくなって、込み上げる笑みに口元が緩む。

「隠とはいえ柱みたいなもんだし。んー、でもお前は剣士なんだよな……。変な事言ったか?悪い、忘れてくれ」

言われなくてもそのうち忘れてしまうが、今だけは忘れたくない。

 

「お待たせしました」

着替えてきた彼が小さな台を運ぶとその上に箱を重ねて高さを出し、上にカメラを載せて向きを調整した。

後藤という隠に使い方を教えたところで彼が僕の隣に立つ。

その腰には、色が変わらなかったというあの日輪刀。

隠ではなく、僕の師として隣にいてくれているのが嬉しい。

「おや、ご機嫌ですね」

隠の覆いがない顔で彼が微笑む。

「綺麗ニ撮リナサイヨネ!失敗シタラ許サナイワヨ!」

厳しい銀子を撫で宥めたところで、彼と顔を見合わせ笑ってしまう。

ロールフィルムというのが終わったと声を掛けられるまでの短い時間。

僕は師と、肩を並べて同じところを見た。

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