記憶、朧に   作:貝柱 焼牡蠣

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目が覚めると、多くの人の気配がした。

襖を少し開けて外を窺ったら食事を作っている人がいて、片付けをしている人がいて、屋敷の掃除をしている人がいる。

寝間着のままで出るのは恥ずかしいので枕元に置かれていた真新しい着物を手にする。

両手で広げながら浮かび上がるのは、妙な感覚。

背中に滅と書かれたそれは、着物だけれど釦とベルトでとめる変わった造りのものだ。

部屋を出ると、動き回る人たちの背中には僕と違って隠と書かれている。

頭を覆い、口元を覆って顔がよくわからない人たちだ。

その中の一人、ふくよかなおばさんがこちらに気付くと、布で隠れていない目元だけで微笑む。

「おはよう。食事の支度が出来ているから座敷で座って食べていらっしゃい」

頷くと座敷で座って食卓につく。手を合わせて、そして首を傾げた。

何かが足りない気がする。

炊き立ての白いご飯、魚の切り身、青菜のお浸しに具沢山の味噌汁。

美味しくて二回もおかわりをしてお腹が一杯になったのに、何が足りないのかわからない。

洗面所も厠も迷わない。

この着物だってそうだ。

変わった造りだということがわかっているのに、僕はその着方を知っていた。

思い出そうとするのを諦めて縁側の向こうを見ると、木立の中で多くの人が音を立てながら何かをしているのが見える。

部屋に戻り、着物と一緒に置かれていた刀を腰に帯びた。

やらなければならないことは、ひとつだけだ。

鬼を倒すこと。頸を斬って、斬って、斬りまくって、滅ぼすこと。背中の滅の文字は、きっとそういうことだから。

草履を履いて縁側から下りる。

刀を抜くとその刃は日の光を帯びて鋭く光った。

突き、斬りつけ、振り下ろし、斬り上げ、跳ぶ。

苛立つ何かを抑えるように大きく息を吸って、吐く。

刀を抜き、構え、振り、飛ぶ。たとえ頭で覚えていなくても、身体は覚えているのだから。

その手掛かりを忘れてしまわないように、身体に刻み込んでいかねばならない。

呼吸を乱さず、刀の向きを正しく、もっと速く。

手ごたえがなくなり刀を収めると、足元には藁と竹と紐の残骸が散らばっていた。

 

「指令ガ出タワ!」

大きな声がしたのは高い位置だ。日の光に目を細めて上を向くと、黒い翼が見える。

「初メテノ任務ヨ!」

見ていると、こちらへ向かって真っすぐ飛んできた。

一度大きく旋回してから僕の左肩に乗ったのでそちらを向く。

見たことがあると思う。けれどこの喋る鳥が何か思い出せない。

「私ハ銀子。私ハ貴方ノ鎹烏」

覚えているような、覚えていないような。もやつく頭を掻き毟ろうとした手に、何かが触れた。

「私ハトテモ優秀ダカラ、何デモ私ニ聞イテチョウダイ」

右の翼を広げた様は、まるで僕の頭を撫でているみたいだ。

「銀子。僕は何も覚えられないから、また君の名前を聞くかもしれないけれど」

謝ろうとする僕の言葉は打ち切られた。

「イイノヨ、何度デモ言ウ。貴方ノ分マデ私ガ覚エル。ダッテ私ハ優秀ナ貴方ニツケラレタ優秀ナ烏ダモノ!」

力強い声が僕の耳に響く。

「ありがとう。よろしくね、銀子」

銀子を撫でると、満足そうな鼻息が僕の髪を揺らした。

 

優しい時はもう終わりだ。

「鬼が、出たんだね」

多分僕は、鬼を倒したことがある。

けれど初めての任務だと銀子が言った。だから、任務としては初めてなのだろう。

僕はこれからも鬼を倒す。最後の鬼がいなくなるまで。

気持ちを引き締め拳を握り締めたところで、銀子が任務について説明を始めた。日が高いうちにそこまで移動するらしい。

草履を脱いで縁側から屋敷に戻ると、働いていた人たちが手を止めてこちらを見ていた。

緊張が伝わるその表情から、銀子の声が彼等にも聞こえたとわかる。

「麓の町までご案内します」

僕に近付く人が説明してくれた。決まり事で、目隠しをしてからその人が僕を背負っていくらしい。

「えっと…お願いします」

別に足を怪我している訳でもないのに背負われるのは何だか変な感じだ。

玄関を出ようとした時、さっきのおばさんが食事の時とは違う真面目な目元でこちらを見ていた。

「初めての任務と伺いました。時透様のご活躍をお祈りしております」

丁寧な礼を受けて、身が引き締まる。

出発しようと背を向けた僕の背後で、石のような何かを数度打ち鳴らす音が聞こえた。

「今の、何?」

振り向いて尋ねると、目元が食事の時のような優しいものに戻る。

「これは火打石よ。こうして切り火を切ることによって厄を祓い清め、任務に赴く貴方の無事を祈るという意味なの」

手元にあるそれを見せて貰ってから、別な人から目隠しをされた。

もう見えないけれど周りの気配は感じる。

そして玄関の方を振り返ってから何を言うべきか迷ったけれど、口を突いて出たのは一言だった。

「いってきます」

僕はきっと、ここに暮らしていた。

僕の家ではなさそうだし、何故ここにいたのか、誰と一緒だったのかは覚えていない。

けれどまた、僕はここへ来ることになる気がしたから。

「いってらっしゃいませ」

返ってきたのは複数の声。

けれどそこに、僕の探している声はなかった。それが誰の声なのかはわからないけれど。

 

 

数名の人の背を経て辿り着いた町。ここを麓というだけあって、あそこが結構な山だったとわかる。

僕を背負って走る人の向き、身体の重心の置き方、足の運び。それらは全て、降りる時の動きだった。

感覚的にわかる。だって自分もそうする。山の下り道はよほど踏み固められた所でなければ濡れていなくても落ち葉や草で滑りやすいから。

何故そんなことを知っているのかは思い出せないのに。

ようやく背から下ろされて目隠しを外してもらったけれど、そこには既に人の姿はなかった。

銀子に導かれたのは町の外れの古く小さな無人お寺だというが、板の間に上がるとそこには他の者がいた。

背中に滅の文字があるところを見ると、今夜行動を共にする人達らしい。

「おいお前、随分とガキじゃねえか。しかもなんだその隊服。そんなナリで大丈夫なのかよ」

「何デスッテ!コノ子ハアンタナンカト違ッテ……!」

腹を立てて猛烈に言い返そうとする銀子の口を人差し指で止め、一瞥してから無視する。

この人は、弱い。

苛立ちを隠せず乱れた呼吸。胡坐をかいている膝を落ち着きなく揺らして虚勢を張るさま。

そんな人を刺激しても邪魔になるだけだ。

視線を外すと、隅にいたもう一人がこちらを見て声をかけてきた。

「あの、俺は選別の時、貴方に助けてもらいました。ありがとうございました」

礼を言われたけれど、僕にはその顔に見覚えはなかった。

選別とはこの組織に入る試験だと銀子が耳打ちをするが全く記憶に残っていない。

「そう。じゃあ君も初めての任務なんだね」

「はい。一緒に、頑張りましょう」

さっきの人よりも落ち着いている。その人に軽く頷きを返してから、床に転がって目を閉じた。

「嘘だろ?三人中二人が初任務なのかよ……」

床を叩く音と、膝を揺らす軋み。大きく息を吸って、吐く。そうすればもう、気にならない。

 

 

「起キテ」

銀子の声に目を覚ますと、背に隠と書かれた人たちが食事を持ってきてくれたらしい。

受取りながら鬼が出た場所についての補足情報が入った。

握り飯を齧ってから腹が落ち着いた頃に縁側から出て身体をほぐす。

呼吸を整え刀を数度振るってからあたりを窺うと、雲の多い空に紫がかった夕焼けが見えた。

あの空の色は何を意味するのだっけ。

刀を鞘に納めて、腕を高く伸ばして首をまわす。

 

日が沈む直前に寺を出ると、弱そうな男が急に張り切り出した。

「いいか、お前たちは初めてだから俺の言う事を聞くんだ。いいな?」

村の人が耕す田畑の傍にある茂みは少し盛り上がった場所で、人の手が入らず木々が生い茂り蔦が絡んでいるのがわかる。

人の気配はない。

耳を澄ませば自分たちの足音以外にも何かが聞こえる。

虫の声。風に葉が擦れる音。そして、枝が重みに軋む音。

跳躍して木に飛び乗り、その枝を見る。

いた。

猿のような身のこなしでこちらの刀を躱した鬼が、奇怪な声を上げながらようやく地面に足を付いた。

腕が異様に長く、脚は短い。

「お前たちがそれぞれ鬼の腕を押さえろ!腕さえ、腕さえ何とかすればいける!」

刀を抜いた男の出す見当違いな指示を無視する。

あの鬼は脚力のほうが強い。

助走無しに真上に跳躍し、木々を移る時も脚力だけで跳んでいる。腕はあくまでも平衡を保つためにしか使っていない。

何故この人は腕を押さえ込めば倒せると思うのだろう。

それにあの腕を僕達二人で引っ張って鬼の身体を固定しようだなんて非現実的だ。馬鹿なのだろうか。

「俺の言う事を」

「うるさいな。黙ってくれる?」

長い腕の一撃は大したことがないが、短い脚の一撃で木の幹が折れた。

ほらやっぱり、脚の方が強い。

奇声を発してまた跳躍して、木に飛び乗って真上から落ちてきたところを薙ぐ。

 

それで終わりだ。大したことなかった。

これといった工夫もなく、目の前に現れたそれを薙いだだけで頸は斬れた。

あっけないものだ。あの時はあんなにも苦労したのに。

何と比べたのかは思い出せない。ただあまりにも――それが腹立たしく感じた。

「これだけ?」

そう尋ねると銀子が頷いた、その時だった。

 

 

「救援!至急救援乞ウ!隊士三名死亡、一名交戦中!救援乞ウ!」

「案内して!」

銀子ではない烏を追って山をひとつ越えて駆つけた先は、辺り一面に血の匂いがした。

人と烏の死体。そしてまだ息のある人を見付ける。破れてはいるが、僕の着物と同じ布で作られた服を着ていたのだとわかる。

僕の気配に気付いた人は、もう僕が見えていないようだった。

たった一撃で三人がやられて、自分の交戦前に烏を飛ばしたらしい。

「十二鬼月だ……下弦の陸……柱を……頼む……」

僕に伝えたところで安心したのか、そのまま息を引き取った。

その人が残した言葉に反応したのは銀子だ。肩に乗る銀子に尋ねる。

「銀子。十二鬼月が出たら、どうするの?」

「本部ヘ連絡スルノダケレド……」

明らかに落ち着きを無くした銀子は、僕の忘れてしまったことを覚えてくれている。

僕がすべきことは、何だったっけ。

考えろ。僕が今、ここですべきことは。

見渡す。

今いるのは僕と銀子と、この人の烏。先の任務で一緒に居たあの二人はまだここには着いていない。

この人の戦った鬼は、とても強い鬼なのだろう。

救援を伝えてくれた彼の烏は命からがら逃げた上に救援で往復したから疲れが見える。それに比べて銀子は元気だ。

ならば、僕がすべきなのは。

「銀子は今すぐ本部へ連絡。十二鬼月の下弦の陸が現れ、隊士が四名死亡。君はさっきの人達に来るなと言って。そして彼等の烏だけをここへ呼ぶんだ」

何かを言おうとする銀子のくちばしに人差し指で触れる。

「銀子、よろしくね」

飛び立つ二羽を見送ってから、息を吸って、吐く。

 

軽く跳躍して木の枝を蹴り、そして斬り上げる。

斬り飛ばした筈の腕をもう一方の手を伸ばして掴み、くっ付けるとその腕が繋がる。

さっきの鬼とは段違いの威圧感をもってこちらを睨む。

「もう次の鬼狩りが来たのか?早過ぎて前の奴を喰う暇もないじゃないか」

睨み返す。

「お前にはもう、人を喰う暇なんてこないよ」

俺は十分に強い隊士だ。すべきことは鬼を斬ること。弱い人を庇う手間をなくして、鬼を斬るのに専念すること。

得られる鬼の情報があるのならば、それをきちんと伝えること。

視界の端には二羽の烏。そして遅れてきた一羽が、さきほど亡くなった人の傍に寄り添っているのが見えた。

「鬼は、俺が倒す」

向かい合ったその鬼の左目には、下陸と書かれていた。

 

 

 

「クソ、やっと……やっと十二鬼月に入ったばかりだというのに」

斬り飛ばして転がった頭が、音もなく上から降ってきた人の足元で止まった。

「なんだ、倒したところか。確かに十二鬼月、下弦の陸だな。大金星じゃねえか」

目に書かれた文字を確認したらしい。

袖の無い隊服を着たその人は、両手に刀とは違う幅広の刃物を持っていた。

倒す鬼がもう死んだことに気付いた様で、その二本の刃物の峰を自分の両肩に預けるようにしてからこちらを向いた。

「――で、倒したのはお前か?」

こちらを見る人の目の周りには奇妙な文様が描かれていて、頭と耳には大きな石をつけている。

「そうだけど」

それが何かと言おうとしたら、その大きな人が顔を歪めた。

「何地味にボーッとしてんだ。派手に喜びゃいいじゃねえか」

この大きな人の言っている意味がわからない。

目の前の鬼は倒したけれど、この世から鬼がいなくなった訳ではない。

何を喜べばいいのだろう。

首を傾げていると戻ってきた銀子が僕の肩に乗った。

辺りを見渡せば、雲がないのに星が見えなくなっている。

夜明けが近いのだろう。

「行くよ、銀子。帰ろう」

肩に乗る銀子の頭をひと撫でしてから歩き始めると、大きな人が怒鳴った。

「ちょっと待て!お前、階級は何だ?」

尋ねられて首を傾げると、僕の代わりに銀子が肩から飛び立つと答えた。

「癸ヨ。今日ガ初任務ナノ。コノ子は天才ナノヨ!ホホホホホホ」

銀子が興奮しているので長くかかりそうだ。

「烏のほうが派手に喜んでるじゃねえか。って、初任務だァ?」

もう僕は疲れているから眠たいのに。高笑いしている銀子は呼んでいるのに気付いてもくれない。

そうしているうちに数名の隊士がここへ辿り着いた頃には、空が白み始めていた。

「その髪、お前、あの時の――」

一人が僕を見て何かを口にしたけれど、僕はその顔に見覚えはなかった。

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