「カエデ、有希子。今日はお疲れ様」
「うん…」
「紬もお疲れ~」
「どうした?」
「黒崎さんに名前で呼ばれることなかったから、なんだかむず
「…そういえばそうだな」
一理ある指摘を素直に受け入れて、旅館の脱衣所でなんの
「うわっ。紬、すごいね」
「何が?」
「その肉体美!」
「鍛えるのが趣味だからな」
女子から黄色い声を聞くのはこの3年間で慣れたが、一糸
「鍛えるポイントはなに?」
「腹筋が割れないように、適度にやること。ボディービルダーみたいなムキムキは目指さない」
「スタイルを維持するには?」
「体調管理を万全にすること」
タオルで前を隠してがらりと引き戸を開き、立ちこめる熱気に身を
「…どうした?」
「胸がある…!」
「誰でもあるだろう?」
「私はBだもん!」
「どう見たって…。なんでもない」
『どう見たって、Aカップだろう』と、途中まで言いかけた自分は、カエデの張りつけられた笑みから感じる圧を前に、とっさに口を
「紬はお利口さんだね」
「そういうことにしといてくれ」
入浴後に浴衣に着替えて2階に上がり、女子の大部屋を開けると、女子生徒の視線が自分に集まるのを視認して、反射的に
「離せ、優月。おい。メグも笑ってないでなんとかしてくれ」
親友2人と級友達に見放され、イリーナ先生に酒の
「あたしが影山君と会ったのは、宮城に転校した小学4年生。同じクラスになった初日に誘われて参加したのがきっかけで、バレーを始めるようになってから去年の総体で退部するまで、4年弱続けてたんだ」
「それで?」
「え?」
まだ缶ビールを半分も消費してないイリーナ先生が、片手に持ったつまみのさきいかを突きつけて、話の続きを催促する。
「なんの感情も持たなかったわけ?」
「何もないけど、影山君の良い所なら言える」
「試しに言ってみてよ」
桃花に言われて、指折り数えていった。
「強さを求めて努力し続けるストイックな所と、素直なところが良いなーと思っ……。待て。みんなその笑い方やめようぜ? な?」
ふと視線を正面に合わせると、全員ニヤけた笑いを見せていてホラー映画を観た気分になり、背筋にぞくりと寒気が走った。
「他には?」
「笑顔が可愛くて、バレーに一生懸命なところ。それから、お礼と謝罪が言えて…。もうなんだ、さっきからニヤけて。これじゃ、あたしが影山君との出逢いと良い所を列挙してるだけじゃないか!」
急に恥ずかしくなって腹いせにばしっと畳を叩き、その様子を見て腹を抱えて笑う級友達に未開封のつまみを投げたが、それは軽く陽菜乃の
「好きじゃないの?」
「男友達としては付き合いやすいな」
「いや。友達じゃなくて、異性としてよ」
「格好良いとは断言できるけど、恋愛感情に
莉桜の問いを切り捨てて、この話は終わりかと思ったが、そうは問屋が下ろさなかった。
結局、『連絡先を交換したから、たまにメールする仲だ』と白状する羽目になった。
「もう満足しただろ。寝かせてくれ」
「不破さんから聞いたの。去年、影山君の応援に行ってお土産渡してたって。たしか、お父さんの介護してた時期じゃない?」
「…優月。なに勝手に話してんだ?」
「仲
「『つい』で話すことじゃねェ」
軽くヘッドロックをかけて笑いながら悲鳴をあげる親友に、念を押したが吐き出された情報をなかったことにはできない。さらに話の種が投下されたことで、恋バナに興味がある女子達が、ギラリと目を輝かせて無言の圧力をかけられる。
「メグが話した通りだ。もうネタは尽きたぞ」
「桃花」
「はい。黒崎さん。何をするのかわかるよね?」
話さなければ、文字通り口を封じる。
自分の命が危険になる
「日本語通じるか? 話が尽きたっつっただろ?」
「っあ…」
桃花に覆い被さる体勢で、それまでの笑顔を封じる。
息を呑む同級生達は、押し倒された女子を助けようとしたものの自分の豹変に
「たとえ冗談でも、無理やり
「っ…!」
頭部を上下に振って了承の意を示した桃花を先に解放し、次にけしかけた窓際に座っている英語教師をじぃっと見下ろすだけで萎縮させ、缶ビールとつまみを持って立ち去ろうとするのを止めた。
「恋バナとやらをするのは構いませんが、強制的に聞き出そうとする手口も接吻も嫌いだと、以前申し上げましたよね?」
「っ…!」
「その口は飾りですか?」
「違っ…。い、言ったわ!」
「では、今後はこうなさらないよう、よろしくお願いします。イリーナ先生」
「…わかった」
部屋を見渡すと、女子全員唇を一文字に結んで静まり返っており、親友二人と4班の女子以外、誰も自分と視線を逸らして交わすことはない。恐怖を与えてしまった影響で『怖い人』と認識されても構わずに、さらに言葉を重ねる。
「対応は間違ってないし、嫌なものは嫌だと言っただけだ」
「ごめんなさい。紬」
「紬、許して…」
「ん。許す」
二人の謝罪を受け入れて、すでに敷かれた布団の中で廊下に近い場所を陣取り、布団を羽織って壁を背にして座り、そのまま眠る体勢を取った。だけど、この姿勢が自分にとって普通でも、周りにとっては奇異に映ることは小学生の修学旅行で判明していて、部活の合宿を含めて笑われた経験が何度もある。
「その姿勢で寝るの? 寝づらくない?」
「癖になってるから、こっちのほうが眠りやすいんだ」
「ふーん」
莉桜との会話はそれで終わったものの、その中で違う視線を、かわいそうだと思っているような視線を投げかける人がいた。
「何かあったら、私の部屋に来なさい」
「…はい」
イェラヴィッチ先生は眉尻を下げ、片手に食べかけのつまみと缶ビールを器用に持ちながら、空いた手であたしの黒髪を優しく撫でていく。
それが妙に心地良く思えたのは自分でも謎で、とりあえずお礼を告げ、何事もなかったかのように別れた。