「今日から烏間を補佐して働く事になった、鷹岡明だ。よろしくな。E組のみんな!」
ある日。見慣れない大柄の男性が、大きな箱を2つ抱えて運動場へ入ってきた。その中身は手が出せないほどの高級菓子で、僕らが喜色を浮かべる中、黒崎さんだけそれを一切口にしなかった。
「ほら、紬。これ甘くないよ」
「いらない。みんなで食ってくれ。おい、鷹岡」
「なんだ? ちゃんと敬語を使え」
彼女の青に茶色が混ざった不思議な瞳は、まっすぐ鷹岡さんをとらえたままで、険しい口調と表情で彼を見据えている。僕達は、彼女がこれほど強い警戒心を目の当たりにするのは初めてで、それを解くことも彼の注意に耳を傾けることもなく、堂々とこう言い放った。
「使う気にならないから呼び捨てにしてるんだ。テメェは、何を隠してる?」
「別に何も無いぞ?」
「その言葉を簡単に信じるとでも?」
「信じてくれなきゃ、俺が困る。家族だろう?」
「家族なんざ不要だ。吐き気がする。勝手に困れ、クソ野郎」
初めて耳にした黒崎さんの下品な言葉と軽蔑の視線。勢い良く立てられた中指。大人の鷹岡さんでさえ言葉に詰まって冷や汗を浮かべる怒気の数々に、僕達は彼女が足早に校舎に入って消えるまで、瞬くのも呼吸する事も忘れていた。
「…ッぶはァ! なんだ、あの子は!?」
鷹岡さんが息を吐き出してどうにか質問したが、生徒全員言葉を失っていた。結局、この日の体育の授業に黒崎さんが戻ってくることはなかった。
授業が終わって鷹岡さんを拒絶する態度を見せた彼女に尋ねると、少し
「あいつ、くたばった父と同じ仮面を被ってるからな」
「仮面? それって直感?」
「んー…。経験からくる直感のほうが、表現として正しいと思う」
何を言わんとするのかを理解した反応を示したのは、同級生の中で不破さんと片岡さんだけだった。
翌日。黒崎さんの『経験による直感』が当たっていることを知った。
印象を良くするために人当たりの良い仮面を被っていただけで、その
黒崎さんは、夜まで10時間にもおよぶ時間割りが記載されている紙を見た後、真っ先に苦言を言った前原の体操着の
「なんでそれを持ってるんだ!?」
「お前の鞄を物色したら出てきた。自分の勘が当たったな。お前は信用ならない。これを使って、あたし達を屈服させるつもりか?」
「クソガキが…!」
「ガキで結構。オーバーワークさせる前提の時間割りを組み、これを所持している時点で、お前の頭はイカれてる。あたしはこんな代物じゃ脅しにならないから、残念だったな。とっとと退職願い書いて、消え失せ――」
乾いた音が辺りに響き、黒崎さんが平手打ちをされたのだと知り、全員息を
「昨日言っただろう? 俺達は家族だ。父親の言う事は素直に聞いておけ」
「暴力を振るう親は、こっちから願い下げだ」
今度は綺麗な黒髪を乱暴に掴まれたかと思いきや、お腹に膝蹴りを食らい、彼女の口から
「お前ら…、まだ分かってないようだな? 『はい』以外は無いんだよ。文句があるなら、拳と拳で語り合おうか?」
「断る…!」
咳が落ち着いた黒崎さんが立ち上がって、前原と神崎さんを背中に隠す位置まで歩き、身長差がある鷹岡先生の前に堂々と仁王立ちした。
「黒崎さん! 大丈夫か?」
「…はい。どこも異常ありません」
駆け寄った烏間先生を対話していても、彼女の特徴的な瞳は
「血が出てるな。手当てしよう」
「いえ、大丈夫です。口内を切っただけですから。先生の言葉だけで満足ですよ」
先生の言葉を受け取って、ぐいっと手の甲で乱暴に
「だめだ」
「…わかりました」
彼女がイリーナ先生から半透明のビニール袋に入った氷水を受け取り、校舎から運動場を
この異常な状況で冷静に判断し、物
「スクワット300回とか、死んじまうよ~…」
「烏間先生~…」
烏間先生の名を呼んだ倉橋さんの前に彼が立った時、遠くで黒崎さんが勢い良く立ち上がり、ビニール袋を鷹岡先生に向かって投げ捨てたけど、それは地面に落ち、すぐさま駆け寄ろうとする彼女を教師2人がかりに止められていた。
「やめろ、鷹岡!」
運動場全体に響き渡った黒崎さんの大声が、僕らは心の中で救いの調べに聞こえる。
「彼らをもう一度傷つけてみろ! あたしが切り刻んで殺してやる!」
「ちょっ、紬! 落ち着きなさい!」
「黒崎さん! ほら、烏間先生がちゃんと止めに行きましたから! ね!?」
超生物の触手に
修学旅行の時もそうだったが、黒崎さんは僕達が暴力で傷つくのを心底
「おお、怖い怖い。…こうしようじゃないか、烏間。生徒の中から一人選べ。これを当てただけでも良しとしよう」
「…わかった」
烏間先生の手が鷹岡先生によって地面に突き刺さったコンバットナイフを拾い上げ、その視線が一度黒崎さんに向けられた。でも、彼は、なおも暴れ続ける痛ましげな姿の彼女から逸らし、すぐに僕達に注がれた。
結果として僕――潮田渚が選ばれ、持ちかけられた勝負に勝ちはした。
僕達は、どうして彼女が自分の身を犠牲にしてまで護ってくれるのか。その理由を何も知らなかった。
授業が終わって次の授業が始まる前に、学級委員長の片岡さんが黒崎さんの頬に湿布を貼りつける。冷たさに一瞬だけ体が跳ね、本物のナイフの代わりにスカートの裾を握っていた。
「はい。終わり」
「ありがとう。メグ」
普通ならここで立ち去るはずだけど、片岡さんはそうしなかった。湿布が貼られた頬に手を添えられた黒崎さんの体は、再度わずかに跳ね、行動理由を求めて眼前の委員会長に視線を合わせる。片岡さんは、憐れむような視線で友達を見ていた。
「…どうした?」
「紬が傷つくのを見て、心が痛いの」
「なんで?」
「なんでって…!」
その先に
「あたしはともかく、仲間がいたぶられるのを見ることに耐えられないから」
「自分の命がどうなってもいいの!?」
「ああ。今まで運良く生き延びただけだし、何も未練はない」
淡々と告げる彼女の瞳には