女王の秘密   作:白天竺牡丹

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第18話 隙間を埋めるもの

「岡島。あたし、忠告したよな? 『この時間帯じゃなくても、道があれば通行人や車が通るから、絶対にやるな』って」

「おう…」

「メグ。磯貝。テメエら学級委員長だろう。なんで話に乗った? 本来、暴走する生徒を(いさ)める立場だぞ」

『……』

 

 今より十数分前。

 眼前で救急車が通り過ぎたのを目撃した時、嫌な予感がしてすぐに駆け出し、呆然としている同級生達と道路に散乱した物。横倒しになって空回りするペダルが上になった自転車が見えて、何が起こったかすぐ理解した。

 救急車を見送った花屋の青年に軽く会釈してから、彼らを問い詰めた次第である。

 

「でも――」

「言い訳はいらん。黙れ」

 

 言い訳を言いかける彼らに背を向けて黙らせ、必要な行動をしてくれた青年に別れを告げてから、救急車が向かうであろう最寄りの病院を探り、その道中で烏間先生と殺せんせーに電話である程度の経緯を説明する。被害者の怪我の状態が判明したのは、空一帯が夕焼け色に染まった頃だった。

 

「…右大腿(だいたい)骨の亀裂骨折だそうだ。程度は軽いので1週間ほどだそうだが、なんせ君らの事は国家機密だ。今、部下が口止めと示談の交渉をしている」

 

 淡々と告げる烏間先生の口調は(あき)れも混ざっており、標的の殺せんせーが到着早々、顔を墨のごとく真っ黒にしている。

 そこでようやく弁明を述べ始めた同級生達に、マッハ20の触手による平手打ちがされたが、あたしにはもっちりとした感触が頬に触れて、全員に中間テストの勉強を禁じられた。

 

 

 この事件による連帯責任として、保育施設の園長をしている松方さんを助けるために、子供達の世話を始めとした様々な事をやっていく。

 

「…どうしたの? 紬姉ちゃん」

「いや…。なんでもない。次の問題をやろう」

 

 子供の1人に声をかけられるまで、『愛情をかけられないなら。要らない存在なら、生まれた時からこういう場所に捨て置いて欲しかった』という暗い思考が(よぎ)り、その思いにしばらく(ふけ)っていた。

 我に返って子供達の勉強を手伝い終わった後は、台所に立つ原さんの調理の助手をして食卓を囲み、昔の習慣から腹八分目まで満たしていく。

 

「あら。もうお腹一杯なの?」

「ん、ごちそうさま。うまかったよ。原さん」

 

 食器の片付けをしている時に、原さんと二人になる機会があった。

 

「黒崎さん。さっきはどうしたの?」

「さっき?」

「勉強教えてる時よ。子供達を見て、ぼーっとしてたから」

 

 他人から見てそう評価されるなら、(ほう)けていた時間が長かったという明確な証拠になる。しかし、意固地になってずっと黙っていては、《E組の母》の暗号名を持つ彼女が困ると思って口を開いた。

 

「小さい頃は逃げ場がなかったなって思い出してた」

「っ…」

 

 食器と手についた泡を洗い流す水は冷たく、無機質なものさえ自分を(あざ)笑っているような気がして、言葉に詰まった原さんの反応からすぐに話題を変える。

 

「あ。今はたくさん逃げ道があるから、そんな顔しないでくれ」

「…本当に大丈夫?」

「大丈夫」

「悩みがあるなら、いつでも私が聞くわよ」

 

 自分を気遣う言葉をかけ、それを素直に信じ、どんと胸を叩いて快活に笑って耳を傾けてくれる姿に、(すさ)んでいる心がじんわりと温かくなった。

 

「悩みというより願望なんだけど…」

「なになに?」

 

 全ての食器を片付け終えて冷たくなった手を拭いて、改めてきちんと彼女と向き合えば、母にはない物腰の柔らかさと頼もしさが(にじ)み出ており、気がつけば到底叶わない願望が口を突いて出てくる。

 

「原さんみたいな、優しい母親が欲しかった」

「っ!!」

 

 自分ではちゃんと笑えていたと思う。

 しかし、それは彼女にとって逆効果だったようで、両腕でしっかり抱きしめられ、多少の息苦しさはあるものの不快なものではない。むしろ、心の赴くままにもっとこうしたいのに、甘えることが怖いと思うのはきっと他人に甘えてこなかったからだ。

 いつまでそうしていただろうか。

 昔から抱えこんでいた願望が違う形だったとしても、ひとつ叶ったことで浮わついた気持ちが落ち着き、彼女の背に回していた腕を離し、一歩後退して距離を取る。

 

「ありがとう、原さん。これで願望が叶った」

「私にできることなら、なんでも言ってちょうだい。協力するわ」

 

 互いに微笑み合い、改めてお礼を言って外に出た。

 

「磯貝。あたしでも手伝えることあるか?」

「あ。ありがとう、黒崎さん。そろそろセメントが無くなりそうだから、一輪車の所まで運んでくれる?」

「了解」

 

 食後の運動として、男子生徒に混じって物質の運搬を軽々とこなしていくうちに、子供達に羨望(せんぼう)の目で見られ、ここでも親衛隊(ファン)を作ってしまったことを自覚し、彼らから見えない場所で思わず苦笑する。

 

 

 それから数日後の20時。

 わかばパークの手伝い後、制服からランニングウェアに着替え、朝と夜の日課である往復20㎞と筋トレを終えて、疲弊(ひへい)した筋肉を休めるために自宅に戻った。

 風呂上がりに、自室のテーブルに置きっぱなしにしていたスマホが着信音を奏でているのが聞こえ、脱衣所から早足で向かい、それを素早く拾い上げて、一呼吸おいてから画面に表示されている通話ボタンを指先で滑らせる。

 

「もしもし?」

『あ、黒崎さん。チワッス』

「こんばんは、影山君。どうした?」

『受験勉強って、何をすればいいんだ?』

 

 しばらく状況と経緯を聞いたが、電話越しの彼の声は悲痛に満ちていた。

 

「事情はわかった。影山君は、どこの高校に行きたいか決めてるのか?」

『白鳥沢と烏野だ』

「2つは行けないだろう。第1志望は?」

『白鳥沢』

「了解。じゃあ、会う日を決めよう。いつがいい?」

『今決めるのか?』

「そうしてくれると助かる」

『っ…。ちょっと待て』

 

 どこかを走る音と耳元から携帯電話を離したのか、声が遠のくのがわかった。

 答えが返ってくるまでに時間がかかりそうなので、脱衣所に設置されている棚からタオルを取って髪を乾かすために、スピーカーのタグを押して通話状態にしたまま居間を出る。開け放していた扉を(くぐ)り抜け、回している洗濯機の残り時間に視線をやった時、彼の声が脱衣所に響いた。

 

『22日の土曜日。10時でいいか?』

「ん…。10日後か。大丈夫だ」

『またな』

「またな。おやすみ」

『おッ、おやすみ』

 

 通話を終えてタオルを手に取って、ミラーキャビネットからドライヤーを取り出し、感電防止仕様のコンセントにプラグを回しながら差しこみ、好きなグループのロックを歌いつつ黒髪を整えていると、律がメールを受信したと報せてくれる。

 

「律。手が離せないから読み上げてくれ」

《はい。差出人不明。内容は「この盗人(ぬすっと)。息子の財産を返せ」。返信はどうされますか?》

 

 誰かの財産を盗んだ記憶はない。

 父の葬儀の際、生前の息子から『独身だが女児を引き取り、里親になったこと』や『なんとか世話をしていること』など、ある程度話を聞いていたらしく、自分の存在を認めていた。だが、話を聞く限り、一番重要な文書偽造の件は意図的に伏せていたと知る。

 

「差出人の追跡はできる?」

《はい。…養父(くろさき)の同僚からでした》

「わかった。これからは、データは全部保存して。万が一の時の証拠になる」

《はい》

「黒崎家には家族愛が存在しなくて、普通の人ができる愛情の示し方とか、受け取り方が(わか)らない。…あたしは、とうの昔に人としての感情が欠けて壊れてるんだ」

 

 自分の喉から漏れ出た苦悩の言葉と乾いた笑い声は、洗濯機を回す音と一緒になって消えていく。

 それでも、律は何も言わずに画面上で自分に寄り添ってくれた。それだけで、欠けていた何かか埋まるような気がした。

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