女王の秘密   作:白天竺牡丹

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第21話 苦手なこと

「……」

「……」

 

 約束していた10月22日。土曜日。

 仙台駅前で会ってから、そのまま近くの書店に直行する。白鳥沢と烏野の過去の問題集をそれぞれ買った後、東京土産を出迎えた俺の両親に手渡して家に上がらせ、自室で白鳥沢の過去問の一部分が終わってから、黒崎さんは俺の前でその回答を全て見ていた。

 

「…どう? 紬ちゃん」

「あ、ありがとうございます。美羽さん。正直、いかんともしがたいですね」

「イカ…?」

 

 温かいココアをマグカップに入れて、丸盆に乗せて二人分持ってきた来春大卒予定の姉と、二人してちらりと俺を見て微妙な顔をされた。

 

「…影山君の得意教科は?」

「体育。バレー」

「いや。五教科のうち、何かひとつでも…」

「ない」

「……じゃあ、授業はちゃんと聞いてる?」

「聞いてねえ。たいてい寝てる」

『は…?』

 

 あきれた姉の表情より、若干怒りを含んだ黒崎さんの表情と声が怖くて、意思とは関係なく思わず言葉が詰まる。それは横にいた姉も同じ反応を示して、マグカップを置いた後、さりげなく黒崎さんから距離を取った。

 

「君は、勉強についてどう思ってんの?」

「バレーができりゃそれでいいし、興味ねえ。どうでもいい」

「…そう」

 

 笑顔のまま、問題集を閉じたところまでは良かった。

 次の瞬間、俺の目を青が混ざった茶色の瞳でじっと見て、怒鳴るでもなく静かに微笑んでいる。それだけで反射的に息が詰まり、黒崎さんへ注意を向けるしかない。

 

「影山君。君は、勉強できる環境が当たり前になってるから、『興味ない』とか『どうでもいい』とか、そんな言葉が平気で言えるんだ」

「っ…」

 

 ただ淡々と話していく様子に、俺の部屋から出るタイミングを逃した姉もきちんと正座して、黙って聞き入っている。

 

「あたしの場合、わからないところは自分の休憩時間を削ってでも先生に聞きに、ノート片手に直接職員室まで行った。今もそうだ。知らないままでいたくない。少しでもわかるようになりたい。苦手なものを放置したくないって思ってる」

 

 普段の黒崎さんからは考えられないほどしゃべって、小学校の卒業式でも会ったことのない親の姿をどうにか思い出そうとして、結局やめた。

 

「今でも苦手なものあんのか?」

「水泳。顔を水につけるのが嫌で…」

「? (おぼ)れるわけじゃねえだろ」

「……。昔、溺死(できし)しかけたせいだ」

「デキシ?」

「溺れ死ぬこと。…さあ。勉強を始めよう」

「顔洗うのは大丈夫か?」

「どうにか慣れて、できるようにはなった。ほら。君も開いてくれ」

「お、おう」

 

 小学生の頃からの付き合いがある幼馴染は、姉が息を呑む様子を無視して、何事もなかったように白鳥沢の問題集の中から、間違いが一番多かった数学の部分を開いていく。

 

「基本的に私立は、応用問題と教科書に載ってないものを出すから、まず基礎をしっかりできるようになるのが一番大事だ。君の場合、公式そのものが間違ってる」

「ウス…」

 

 暗記できる教科は後回しにして、午前中は数学の基礎問題を解くことに専念し、正午のサイレンが鳴ったのをきっかけに一段落ついた。

 

「……うん。とりあえず、基礎ができるようになったから、来月は応用問題を解いて、半分取ることを目指そうか」

「ッス」

「午後は英語。休憩挟んで、国語。それが終わったら、今日は終わりにしよう」

「わかった」

 

 隣でおおざっぱな計画を聞きながら1階に降りると、いいにおいがしてくる。母が昼飯を作っているようで、フライパンで何かを炒めていた。

 

「終わったの?」

「おう」

「一区切りつきました」

「ありがとうね。一緒にご飯食べようか」

「あ…。お手伝いします」

「そうね…。じゃあ、お皿とお箸を出してもらえるかしら」

「はい。…えっと…」

「あ! 勝手がわからないわよね。ごめん。美羽ー」

「うん。今日は和食だから――」

 

 黒崎さんは食器棚に戸惑い、母と同じエプロン姿の姉が真ん中がへこんだ皿をいくつか選んで、すぐに手伝いに戻る。俺の家族は、小学生の時から彼女の境遇を知っているから、居心地を悪くさせないようになにかと気遣っていた。

 

「そういえば、紬ちゃんは、今お母さんと一緒に暮らしてるんだっけ?」

「いえ。昔世話になったご家族に居候(いそうろう)として身を寄せてます」

「あ、そう…。ごめんね」

「いえ。お気になさらず」

 

 ただ、彼女が昔から自分のことを全然話さないから、情報がなかなか更新されずに数年前で止まっている。だから、父のほうが気まずくなる。

 

「紬ちゃん。ご飯、これくらいでいい?」

「はい。ありがとうございます」

 

 おかずと汁物の量を確認をしてから一緒に昼食にありついた。そして、食べ方も箸の運びもきれいで、ひとつひとつ味わってうまそうに食う様子に、夏祭り同様、対面に座って視線を奪われた。

 

「ごちそう様でした。おいしかったです」

「そう。良かったわ」

 

 後片付けを含めた作業を終えてから2階に上がり、受験勉強を再開する。

 しかし、黒崎さんの英語は学校の先生達と発音が全然違っていたせいで、一問も理解できないまま5分が経過した。

 

「…黒崎さんの英語、なまってるのか?」

「え? ……あー。うん。フランス語(なま)りだ。どうりで、お互い理解しづらいわけだ。…すまない」

「いや…。先生達と発音違うから、新しい言葉かと思った」

「そ、そうか。でも、君が聞きにくいなら直すぞ」

「そのままでいい。…発音しやすいほうが、余計なストレス抱えなくて済むだろ」

「ありがとう。じゃあ、このまま続けよう」

「ウッス」

 

 そして、食後から2時間集中して30点を取った後で、時計が3時半を指し、15分の短い休憩を黒崎さんが取り分けてくれた。

 

「バレーしてぇ…」

「そうだな。やろう」

「アザス!」

 

 狭いけど洗濯物が干せるくらいのちょっとした庭で対人サーブをやりながら、こうするのは一与さんの家に遊びに行った時以来だと思い出す。

 

「バレー続けてんのか?」

「ああ。居候先から遠いけど、クラブに入ってる」

「強いとこか?」

「じゃなきゃ通わないさ。年齢層が広いから、お菓子には事欠かないぞ」

「上は?」

「50代。下が、あたしも含めた10代。親子くらいの年齢差だけど、居心地いいぞ」

「…そうか」

 

 頻度は日曜日の週1回らしく、部活を辞めた自分にとって、まだバレーができる環境にいる黒崎さんがうらやましいと思いつつ、小学生の時より対人がうまくなっていると感じた。

 

「…時間になったな。勉強に戻ろう」

「…ウス」

 

 ズボンの尻ポケットからアラーム機能がついたスマホを取り出し、それを止めてから同じ場所にねじこんで、先に引き戸の玄関を通り抜けて俺を待ち、一緒に自室へ向かう。すると、ちょうど母から甘さ控えめのお菓子が出されて、休憩が15分伸びた。

 国語の中でも読解問題が苦手で、俺の理解力の低さにまた彼女の表情が曇る。いや。無表情になると言ったほうがいい。これで白鳥沢の受験勉強が終わって、俺の学力をある程度知った上で、これからの対策を練った。

 

「…とりあえず、このままだと絶望的だから、来月また来てもいいか?」

「ウス…」

「それまでに半分は取れるようになろう。わかんないところは聞いていいから、いつでも連絡して。一緒にがんばろう」

「おう。…アザッス」

 

 それから黒崎さんが帰り支度を進めるうちに、疑問が出てきた。

 

「高校どこ行くんだ?」

「んー……。まだ全然決めてない」

「バレー続けるのか?」

「そのつもり。強いところがいいなとは思ってる」

「そうか」

 

 仙台駅まで見送り、互いに拳をぶつけ合って別れた。

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