「英語は悪くなってるけど、国語と数学は先月に比べて上がってるな」
「…んぬん…」
「同じ問題を使って苦手を潰しながら、次の段階に進もう」
「ウッス。よろしくお願いシアス!」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
座卓を間に挟んだ形で互いに頭を下げ、あたしは再度彼の解答を見ていく。
先月は受験対策のために苦手分野の炙り出しのつもりが、全教科が苦手という衝撃の事実を突きつけられ、中学2年生までの基本的な内容を復習し、彼の学力を知るためにとことん付き合っていたら夕方までかかってしまった。
それも踏まえて、自分なりに彼の対策を別紙にまとめて立ててきたものの、今月はどうにか半分取れるようにと考えている。だが、今の一進一退の調子だと正直言って受験日まで厳しく、ここで駄目出しをすればやる気が
「…先月より10点多く点が取れてるから、今日は全教科60点を目指すぞ」
「おう」
今やっているのは、前回に引き続き3教科――国語。数学。英語――と数が少ない白鳥沢の過去問で、さりげなく目標の点数を上げているが、来月までに7割取れなければ、公立の入試にも落ちるのは確実だ。それに並行して、志望動機を含めた面接の練習もする予定を立てている。
今日も対人レシーブをやって休憩を挟みながら夕方までお邪魔して、ご家族の申し出を一度は丁重に断ったものの、隣にいた幼馴染の無言の圧力に耐えきれず、結局仙台駅の改札前まで律儀に送ってもらった。そして、夏祭り以来、もはや恒例となりつつある送迎に調子が狂いそうな自分がいる。
「…また来月な」
「ああ。アザッシタ」
1階のプラットホームに向かって下る前に、ふと気になって改札口を見ると、まだ幼馴染が自分がいる方向を見て立っていた。
それがなんだかすごく嬉しく思えて高揚し、無意識に口元が揺るんで数回手を振ると、向こうも手を遠慮がちに振り返してくれる。言葉は交わさずにそれをしっかり目撃して、名残惜しく感じながらも最後に微笑み、『バイバイ』と口だけ動かして彼から視線を外して、椚ヶ丘へ帰る一歩を踏み出した。
新幹線に乗る前に、ショルダーバッグからスマホを取り出し、居候先の家主である
『どうしたの? 紬ちゃん』
「今から帰ります。たぶん、21時頃になりそうです」
『うん、わかった。気をつけて帰っておいで』
「はい。では、失礼します」
『はい。どうも~』
間延びした家主の声に電話を切った後、護身術と最低限の読み書き以外の育児放棄した母と和解し、常識的で人格者でそれなりに人徳がある夫妻に拾われて良かったと思う反面、
影山君と2度目の受験対策をした翌々日。
1枚の紙を前にして悩み抜いた結果、次の言葉が自然と口から出てきた。
「…わからん」
「何悩んでるの?」
「進学先の高校…」
11月も数日が過ぎ、机上にある進路希望調査なるものに頭を悩ませている。
『将来志望する職業』の第一と第二は埋めているものの、氏名の下に記載されている志望校だけがまだ空欄のままだ。そこに、ひょっこりひなたが顔を
「第一志望が、SAT。第二志望が、防衛省情報本部。銃と情報を扱う仕事なの? 私、バレー選手かと思ってたから意外だな」
「…あ。全然考えてなかった。暗殺の成績を基準にしてたから」
「…本当にそれでいいの?」
「うん。これで出す」
そこで席から立ち上がり、
「おっと! 今日は逃がさないんだからね?」
「今日こそ進展を聞かせてよ」
「受験勉強し始めたって、殺せんせーから聞いたの」
「東京には無い学校名だったから、律に検索頼んだの。そしたら、なんと! 宮城じゃないですか!」
「これはもう確実ね」
『影山君のためでしょう?』
「大人しく吐きなさい!」
彼女達の口から情報を
「影山君に受験のことで助けを求められたから、それに応えたまでだし、志望校の過去問も解らない所を説明できるように一緒に買っただけ。それに、なんで殺せんせーが……。…まさか、宮城まで
だが、標的の行動がやりかねないとしても、彼女達に
「ねぇ、紬。こう考えたらどうかな?」
先ほどまで空白が目立っていた用紙を眺めていたカエデが、ぴしっと人差し指を立てて助言する。
「影山君のためを思って、紬が行動してるのは分かるけどさ。何が一番やりたいの?」
「……」
彼女の言葉は、父の葬儀に家に訪ねてきた山鹿夫妻と重なった。
(紬ちゃん。良かったら家に来ないかい?)
(遠慮しないで、紬ちゃんがやりたいことをやっていいのよ)
やりたいこと、やっていいの?
好きなこと、していいの?
脳裏に浮かんだのは、いつも相手の顔色を伺っては、言いたいことも言えずに不安な瞳で見つめ、今の自分に問いかけてくる臆病な幼い姿の自分だった。それはずいぶんと久しぶりの感覚で、無意識に二の足を踏んでしまう。
(大丈夫。いっぱい悩みなさい)
母の言葉を思い出し、決意した。
…やってみようか。
漠然とそう思えて、臆病な自分に手を差し出すと同時に、胸中に抑え続け、カエデに言われるまで
「…バレーがやりたい。思いっきり、バレーがしたい」
「それなら、どこの高校がいいの?」
「宮城で1番強いのは、新山女子。ブランクがきついけど、挑戦し甲斐がある。それでも駄目だったら、公立の烏野を選ぶさ」
「ブランク?」
「うん。格闘技のクラブと練習日が重なってて、バレーボールクラブは、週1回しか通えてない状態でさ」
「紬なら大丈夫でしょ」
「どうかな。やってみなきゃわかんないだろう?」
「そうだね」
再度席に腰を落ち着けて鞄の中に仕舞った筆箱を取り出し、消しゴムで職業の欄を全部消して、シャープペンシルの芯を出して書き直している途中、机に頬杖をついたメグが尋ねてくる。
「ねぇ。どうして、そんなに遠方にこだわるの?」
「? 遠方って感じたことないな。小さい頃から転々としてきたし。ただ、母から離れたいだけ」
「あー…。…そっか」
「うん。…よし。できた」
全ての欄を埋めたのを確認してから、筆記用具を筆箱に戻して鞄の中に仕舞い、中身の詰まったそれを背負い直して彼女達と別れ、教員室にいるであろう殺せんせーのもとへ向かった。しかし、そこにおらず本を
「ただいま戻りました」
「あら。お帰りなさい、紬ちゃん。早かったのね。…なんかいいことあった?」
「はい。やりたいことが見つかりました」
「まあ! それはお祝いしなくちゃ!」
今日有給を取得して久々に休みを取っていた美空さんが、割烹着姿で出迎えた矢先に報告を受けて喜色満面になり、一緒になって喜んでくれた。